入門者向け時代伝奇小説百選

 約十年前に公開した「入門向け時代伝奇小説五十選」を増補改訂し、倍の「百選」として公開いたします。間口が広いようでいて、どこから手をつけて良いのかなかなかわかりにくい時代伝奇小説について、サブジャンルを道標におすすめの百作品を紹介いたします。

 百作品選定の基準は、
(1)入門者の方でも楽しめる作品であること
(2)絶版となっていないこと、あるいは電子書籍で入手可能なこと
(3)「原則として」シリーズの巻数が十冊以内であること
(4)同じ作家の作品は最大3作まで
(5)何よりも読んで楽しい作品であること の5つであります

 百作品は以下のサブジャンルに分けていますが、これらはあくまでも目安であり、当然ながら複数のサブジャンルに該当する場合がほとんどです(また、「五十選」の際のサブジャンルから変更した作品もあります)。
 そのため、関連のあるサブジャンルについては、以下のリストからリンクしている個々の作品の紹介に追記いたします。

【古典】 10作品
1.『神州纐纈城』(国枝史郎)
2.『鳴門秘帖』(吉川英治)
3.『青蛙堂鬼談』(岡本綺堂)
4.『丹下左膳』(林不忘)
5.『砂絵呪縛』(土師清二)
6.『ごろつき船』(大佛次郎)
7.『美男狩』(野村胡堂)
8.『髑髏銭』(角田喜久雄)
9.『髑髏検校』(横溝正史)
10.『眠狂四郎無頼控』(柴田錬三郎)

【剣豪】 5作品
11.『柳生非情剣』(隆慶一郎)
12.『駿河城御前試合』(南條範夫)
13.『魔界転生』(山田風太郎)
14.『幽剣抄』(菊地秀行)
15.『織江緋之介見参 悲恋の太刀』(上田秀人)

【忍者】 10作品
16.『甲賀忍法帖』(山田風太郎)
17.『赤い影法師』(柴田錬三郎)
18.『風神の門』(司馬遼太郎)
19.『真田十勇士』(笹沢佐保)
20.『妻は、くノ一』シリーズ(風野真知雄)
21.『風魔』(宮本昌孝)
22.『忍びの森』(武内涼)
23.『塞の巫女 甲州忍び秘伝』(乾緑郎)
24.『悪忍 加藤段蔵無頼伝』(海道 龍一朗)
25.『嶽神』(長谷川卓)

【怪奇・妖怪】 10作品
26.『おそろし』(宮部みゆき)
27.『しゃばけ』(畠中恵)
28.『巷説百物語』(京極夏彦)
29.『一鬼夜行』(小松エメル)
30.『のっぺら』(霜島ケイ)
31.『素浪人半四郎百鬼夜行』シリーズ(芝村涼也)
32.『妖草師』シリーズ(武内涼)
33.『古道具屋皆塵堂』シリーズ(輪渡颯介)
34.『人魚ノ肉』(木下昌輝)
35.『柳うら屋奇々怪々譚』(篠原景)

【SF】 5作品
36.『寛永無明剣』(光瀬龍)
37.『産霊山秘録』(半村良)
38.『TERA小屋探偵団 未来S高校航時部レポート』(辻真先)
39.『大帝の剣』(夢枕獏)
40.『押川春浪回想譚』(横田順彌)

【ミステリ】 5作品
41.『千年の黙 異本源氏物語』(森谷明子)
42.『義元謀殺』(鈴木英治)
43.『柳生十兵衛秘剣考』(高井忍)
44.『ギヤマン壺の謎』『徳利長屋の怪』(はやみねかおる)
45.『股旅探偵 上州呪い村』(幡大介)

【古代-平安】 10作品
46.『諸葛孔明対卑弥呼』(町井登志夫)
47.『いまはむかし』(安澄加奈)
48.『玉藻の前』(岡本綺堂)
49.『夢源氏剣祭文』(小池一夫)
50.『陰陽師 生成り姫』(夢枕獏)
51.『安倍晴明あやかし鬼譚』(六道慧)
52.『かがやく月の宮』(宇月原晴明)
53.『ばけもの好む中将』シリーズ(瀬川貴次)
54.『風神秘抄』(荻原規子)
55.『花月秘拳行』(火坂雅志)

【鎌倉-室町】 5作品
56.『幻の神器 藤原定家謎合秘帖』(篠綾子)
57.『彷徨える帝』(安部龍太郎)
58.『南都あやかし帖 君よ知るや、ファールスの地』(仲町六絵)
59.『妖怪』(司馬遼太郎)
60.『ぬばたま一休』(朝松健)

【戦国】 10作品
61.『魔海風雲録』(都筑道夫)
62.『剣豪将軍義輝』(宮本昌孝)
63.『信長の棺』(加藤廣)
64.『黎明に叛くもの』(宇月原晴明)
65.『太閤暗殺』(岡田秀文)
66.『桃山ビート・トライブ』(天野純希)
67.『秀吉の暗号 太閤の復活祭』(中見利男)
68.『覇王の贄』(矢野隆)
69.『三人孫市』(谷津矢車)
70.『真田十勇士』シリーズ(松尾清貴)

【江戸】 10作品
71.『螢丸伝奇』(えとう乱星)
72.『吉原御免状』(隆慶一郎)
73.『かげろう絵図』(松本清張)
74.『竜門の衛 将軍家見聞役元八郎』(上田秀人)
75.『魔岩伝説』(荒山徹)
76.『退屈姫君伝』(米村圭伍)
77.『未来記の番人』(築山桂)
78.『燦』シリーズ(あさのあつこ)
79.『荒神』(宮部みゆき)
80.『鬼船の城塞』(鳴神響一)

【幕末-明治】 10作品
81.『でんでら国』(平谷美樹)
82.『ヤマユリワラシ 遠野供養絵異聞』(澤見彰)
83.『慶応水滸伝』(柳蒼二郎)
84.『完四郎広目手控』(高橋克彦)
85.『カムイの剣』(矢野徹)
86.『箱館売ります 土方歳三蝦夷血風録』(富樫倫太郎)
87.『旋風伝 レラ=シウ』(朝松健)
88.『警視庁草紙』(山田風太郎)
89.『西郷盗撮 剣豪写真師・志村悠之介』(風野真知雄)
90.『明治剣狼伝 西郷暗殺指令』(新美健)

【児童文学】 5作品
91.『天狗童子』(佐藤さとる)
92.『白狐魔記』シリーズ(斉藤洋)
93.『鬼の橋』(伊藤遊)
94.『忍剣花百姫伝』(越水利江子)
95.『送り人の娘』(廣嶋玲子)

【中国もの】 5作品
96.『僕僕先生』(仁木英之)
97.『双子幻綺行 洛陽城推理譚』(森福都)
98.『琅邪の鬼』(丸山天寿)
99.『もろこし銀侠伝』(秋梨惟喬)
100.『文学少年と書を喰う少女』(渡辺仙州)



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2023.06.01

重野なおき『雑兵めし物語』第2巻 グルメと歴史と――ラブコメと!?

 この5月29日には重野なおきの歴史四コマが三社三冊同時発売されましたが、本作もその一つ。前巻同様、戦国時代まっただ中の信濃を舞台に、歴史の陰で、しかし懸命に生きた雑兵(と同居人)の生き様が、食を通じて描かれます。そして今回、舞台は信濃を離れて越後にちょっとだけ移ったりも……

 天文十七年(1548年)、武田晴信と小笠原長時の塩尻峠の戦いで、身を寄せた小笠原方が敗北して必死に落ち延びる雑兵の作兵衛と豆助。その途中作兵衛は、武田軍の攻撃で家族を失った武家の姫・つるを拾うことになります。
 もはや行く宛もないつるを見捨てるわけにもいかず、使用人の名目で家に住まわせた作兵衛。実は滅茶苦茶くいしんぼうだった彼女に手を焼きつつ、作兵衛は日々の暮らし(主に食事)に励むことに……

 というわけで、作者の他の歴史四コマと異なり、ほとんど歴史に絡まない(もちろん、舞台となる信濃の歴史には少し絡みますが)本作。当時の戦国武将は武将で生き残りに色々と大変でしたが、少なくとも衣食住に苦労はなさそうなあちらとは異なり、少しでも気を抜けばあの世行きのハードな生活が、基本コミカルに、そして時に生々しく描かれることになります。

 特に本作の主人公である作兵衛(と豆助)は、専業の雑兵。普段農業に従事し、何かあったら雑兵へ――というのではなく、普段は村の用心棒や仕事の手伝いをして暮らしているのですが、非正規雇用だけに色々と厳しい状況にあります。
 言うまでもなく当時は戦が日常の世界ですが、それでも四六時中戦をしているわけではありません。しかし戦がなければ作兵衛のような男は――いや、「専業」ではない村の人々も――干上がってしまうのです。

 この巻の裏表紙には「戦が無くて滅んだ村があるって噂だが…あれ本当かもな…」という作兵衛の言葉が引用されていますが、この時代の農民にとって、戦はただただ迷惑、というだけでなく、益になっているというのは、やるせない話ではありますが、事実なのでしょう。
(その他にも、山境を冒した隣村と戦になりかけたと思ったら、やな形で手打ちになったりと、リアルさ満点……)

 しかしもちろん、人間何とかして喰わなくてはなりません。幸いというべきか大の料理好きである作兵衛は、野にあるものも様々に利用してサバイバルすることになります。
 どじょうの味噌汁、おやき、ヘビの串焼き、なまずのかまぼこ――味の想像がつくものもあれば、想像を絶するものもありますが、しかしいかにもグルメ漫画のキャラっぽい(?)つるのリアクションもあって、何となく伝わってくるのが楽しいところです。


 さて、冒頭に述べたとおり、本作は信濃を舞台としつつ、この巻では越後を舞台としたエピソードがあります。
 塩を買うため、顔なじみのなんでも屋の依頼を受けて、越後に塩の買い付けに向かうことになった作兵衛・豆助・つる。普段は山に囲まれた土地で暮らしている彼らが海を見てのリアクションは、お約束といえばお約束ですが、実にほほえましいものがあります。

 しかしこの時代の越後といえば――そう、上杉謙信、いや長尾景虎。もちろん作兵衛たちが積極的に関わるわけではないのですが、思わぬ成り行きから鬼小島弥太郎と共に登場した景虎はさすが戦闘のプロというべき強さであります。
 ある意味クロスオーバーで、ニヤリとさせられるゲスト出演ですが、そこで雑兵と武将の格の違いを見せるのは、前巻の馬場信春同様、本作の巧みなところでしょう。
(ちなみに作兵衛の地元の小笠原氏から、山家昌治が登場するのにはちょっとびっくり)


 グルメものとして、歴史ものとして、変わることなく魅力的な本作。しかしこの巻では、新たな魅力が前面に出ることになります。それはラブコメ――!
 先に述べた通り、つるを使用人として、一つ屋根の下で暮らしている作兵衛。二人の関係は、あくまでもそれだけ、のはずなのですが――しかしこの巻では折りに触れてお互いを意識しまくる姿が何とも初々しいというか微笑ましいというか早く結婚しろというか……
(と思ったら別の作品でもっとすごいのが来るとは!)

 楽しいのは、それが同じものを食べる、一つの食卓を囲むというところから生まれている関係性であることでしょう。本来出会うはずのない二人が、食を通じて結びつく――実に本作に相応しいと感じます。
 とはいえ、二人が素直になるのは当分先になりそうで、それまではやきもきさせられることになりそうです。もちろん、それもまた良しであります。


『雑兵めし物語』第2巻(重野なおき 竹書房バンブーコミックス) Amazon

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重野なおき『雑兵めし物語』第1巻 食うために戦い、戦うために食う者の物語

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2023.05.31

神永学『殺生伝 一 漆黒の鼓動』 開幕、命を吸う石を巡る争奪戦

 神永学といえば、『心霊探偵八雲』をはじめとするミステリの印象がありますが、『浮雲心霊奇譚』のような時代ものも手がける作家でもあります。そして本作もその一つ――戦国時代を舞台に、九尾の狐の怨念が籠もった殺生石を宿した姫君を中心に繰り広げられる、伝奇アクションであります。

 甲斐の武田晴信の大軍に攻められ、風前の灯火となった笠原家の志賀城――そこからただ二人落ち延びた笠原の姫・咲弥と警護役の紫苑は、山賊に襲われた末にはぐれ、紫苑は二人組の忍び・無名と矢吉に助けられるのでした。
 一方、川に転落した咲弥は、山奥で親代わりの老人・真蔵と共に暮らす少年・一吾に助けられます。咲弥を助けることを誓う一吾ですが、武田家の武将・穴山信友に仕える忍者集団・百足衆が襲いかかります。

 そこに現れた無名たちによって辛くも難を逃れた一吾と咲弥。合流した一行は、咲弥が追われるのは、彼女が生まれながら殺生石――かつて世を騒がせた九尾の狐が変じた石の欠片を宿しているためだと知ることになります。
 武田晴信を操り、持つ者に恐るべき力を与えるという殺生石を狙うのは、晴信の軍師を自称する怪人・山本勘助。彼が放った邪悪な妖魔たちを前に、咲弥たちは絶体絶命に……


 都で悪の限りを尽くした果てに追い詰められた九尾の狐が変じ、周囲に毒気を放って近づく者たちを死に至らしめたという殺生石。その後、玄翁和尚によって打ち砕かれたというこの伝説の魔石を巡る戦いが、本作の軸であります。

 莫大な価値を持つ秘宝を巡り、善魔様々な勢力が入り乱れての争奪戦は、時代伝奇小説の華であり、一つの典型といえるでしょう。その中でも本作がユニークなのは、何といっても秘宝――殺生石の危険極まりない性質によります。
 何しろ、この殺生石を宿す者は、たとえ深手を負ったとしても、周囲の者の命を吸収して回復し、決して死ぬことはありません。ある意味、己を守る最強の盾にして矛、それが殺生石なのです。

 つまり、殺生石を宿す者から、強引にそれを奪うことはできない。しかし宿す者もまた、それをその身から引き剥がすこともできない。そんな何とも皮肉な存在の殺生石と、それを宿した咲弥――本人の意思とは無関係に発動する殺生石に悩み苦しむ姿が痛ましい――の複雑な関係性が、本作の最大の特徴といえるでしょう。


 一方、一吾もまた、秘密を背負った少年であります。生まれたときから両親を知らず、ただ真蔵に育てられてきた一吾。自然の中で伸び伸びと育った明朗な野生児である彼もまた、(咲弥ほどではないようには思えますが)一つの宿命を背負った存在なのです。
 さらには油断のならなさと男らしさを併せ持つ自称上杉の忍び・無名、一吾の育ての親であり実は無名とも面識を持つ真蔵(その正体は何と!)、咲弥を守ることに命をかける美女・紫苑と登場人物も多士済々。敵対する武田側も決して一枚岩ではなく、穴山信友が一種第三勢力的な立ち位置となっているのも面白いところであります。


 正直なところ、物語はまだ始まったばかりといった印象で、主人公たちが追い詰められる展開がほとんどなのが何とも歯がゆいところではあります。
 しかしこのユニークな秘宝争奪戦がどこに落着するのか、そして物語の中心となる少年少女がその中で何を経験し、どのように成長するのか――この先が気になる物語ではあります(もっとも、現時点では第三巻までが刊行されたところで中断しているのですが……)


『殺生伝 一 漆黒の鼓動』(神永学 幻冬舎文庫) Amazon

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2023.05.30

アントンシク『天晴爛漫!』 自動車の創世期と西部開拓の終わりと日本男児と

 2020年に放送された同名のアニメを、キャラクター原案を担当したアントンシクが漫画化した作品であります。思わぬ成り行きでアメリカ大陸に渡り、大陸横断レースに参加することになった日本人青年・天晴と小雨。強敵たちを相手に奮闘する彼らのレースの先に待つものは……

 時はおそらく明治後期、大商人の次男坊ながら家業も手伝わずにカラクリ作りに明け暮れる青年・空乃天晴。彼と旧知の間柄だったためにお目付役を押しつけられた一色小雨は、天晴の出奔を止めようとして、かえってそれに巻き込まれることになります。
 その結果、天晴作の小型蒸気船・天晴号で沖に出てしまい、漂流する二人。辛うじてアメリカ船に救出された二人は、ロサンゼルスに到着したものの、文無しで帰国の当てもありません。折しも自動車の普及を目指す三大自動車会社がアメリカ大陸横断レースを企画、それを知った天晴は、天晴号を改造してレース参加を目指すことになります。

 そんな中で、BNW社の御曹司アルや、レーサー志望の少女・景夏蓮と出会う天晴たち。そして父の仇を探すネイティブアメリカンの少年・ホトトをガイドとして仲間に加えた天晴たちは、ついにレースに参加にこぎ着けます。
 天晴やアル、夏蓮の他に参加するのは、伝説のアウトロー「サウザンドスリー」の一人でありGM社に雇われたディラン、同じくサウザンドスリーの一人でアイアンモーターズに雇われたTJ、更に残る一人である「虐殺のギル」までも……

 開始早々、ギル一味の卑劣な妨害工作によって混乱するレース。しかし実はこのギルは偽物、皆ギルの影に怯えていただけだったのですが――しかしその直後、出場者たちが次々と襲撃を受け、死者も出ることになります。
 思わぬ事態となりながらも、コースを変更して続行することとなったレース。しかし残った選手たちの前に、真のギルが現れ……


 アメリカ大陸横断というのはやはりロマンをかき立てられる題材らしく、現実のレースのみならず、フィクションの世界でも様々に取り上げられる題材であります。

 現実にはマラソンや自転車がほとんどで、自動車レースというのはあまりないようですが、しかしそれだけにフィクションでは扱い甲斐があるということでしょうか。本作は、大陸横断に加えて、自動車創成期、そして西部開拓時代の末期を重ね合わせることで、独特の空気を生み出しているといえるでしょう。
 その象徴が、個性豊かな出場者が駆るワンオフの自動車であり、そしてサウザンドスリーに代表されるアウトローたちといえます。

 しかし本作はこうした様々な要素を、さらに異質な存在――言うまでもなく、日本から裸同然で飛び込んできた、しかも蒸気機関を動力とする自動車を駆る――である天晴(と小雨)を主人公とすることで、不思議なバランス感覚でもって成立させているといえます。


 さて、この漫画版は、冒頭に述べたようにキャラクター原案を担当したアントンシクが描いた作品であります。しかし作者の連載デビューが時代伝奇の『ガゴゼ』、本作の一つ前の連載が時代劇+西部劇の『恋情デスペラード』(さらに前には一種のテクノロジーものである『リンドバーグ』も)であったことを思えば、本作は元作品へのコミット以上に、作者向きの題材という印象もあります。

 実のところ本作は作者のオリジナル作品と言われても納得のできるクオリティで、キャラクターの柔らかい描線と、アクションなどのハードな描写を同時に描ける作者ならではの世界が十分に展開されているという印象があります。
 少なくとも、先に述べたような様々な要素が重なり合う本作を違和感なく成立させてみせる画は、作者ならではといってよいでしょう。

 ちなみに本作は、元作品のキャラクターとストーリーをかなり忠実に踏まえているのですが、大きく異なるのが、ホトトの仇の正体とその最期、そして武術の達人でありながら過去のトラウマで刀を抜けなかった小雨の覚醒のくだりであります。
 元作品ではこの二つは、中盤に一つのエピソードの中で描かれるのですが、本作では終盤に別個に展開。それぞれに好みはあるかと思いますが、前者はその残酷さ・良い意味の(?)悪趣味さにおいて、後者は純粋に盛り上がりという点において、漫画版の方が好きだな、と個人的には思います。

 終盤はレース以上に陰謀との対決がメインとなってしまった感もありますが、それはそれでレースものの王道。全三巻というボリュームも短すぎず長すぎず、よくまとまった佳品という印象であります。


『天晴爛漫!』(アントンシク 角川コミックス・エース全3巻) 第1巻 Amazon/ 第2巻 Amazon/ 第3巻 Amazon

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2023.05.29

岡村星『テンタクル』第4巻 武士か人間か 物語は大きな展開の時へ

 幕末の福岡を舞台に、九州独立の企てに巻き込まれた杖術使いの青年・長岡津春の苦闘は続きます。九州独立派の旗印である少女・周子とその弟を巡り、ついに始まった全面衝突。その中で過酷な選択を突きつけられた津春は大きな決断を下し、ここに物語は大きな転回の時を迎えることになります。

 黒船来航の動きにも無策な幕府に絶望した九州諸藩が密かに企てる九州独立計画――前福岡藩主と皇族の女性の間に生まれ、二刀流の達人である周子は、その旗印に選ばれることになります。一方、事情はわからぬまま周子の身の証となる刀を奪う藩命を受けた津春は、周子一党と藩の暗闘に巻き込まれ、その最中で親友と師を失うのでした。
 暗闘の末、会談を持つこととなった大目付と周子一党。しかしその中で独自の動きを見せる藩の隠密・寺内とその妻・十和は周子抹殺を画策するも、その企みを事前に察知した周子たちは機先を制すべく動きだし……


 という緊迫した状況で終わった前巻ですが、この巻の冒頭で描かれるのは、長崎を舞台にした佐賀商人・深川新左の思惑であります。
 いきなりの新キャラの登場に面食らいますが、躁鬱病ぎみの彼は周子一党の企ての後ろ盾となっている様子。見るからに曰くありげな用心棒・ワニとアラオを連れている辺り、只者とは思えません。

 この第三勢力めいた深川の動きも気になりますが、やはりメインとなるのは大目付派と周子一党の激突。大目付がなんとか穏便に収めようとしていたのに対し、寺内は膿を出しきるために周子の命を狙っていたわけですが――周子側も黙って討たれるはずもなく、逆に奇襲を仕掛けることになります。

 何しろ周子は二刀を手にすれば藩有数の使い手。そして彼女の一党もかなりの人数を擁し、もはや勝負は決したかに思われたのですが――しかし彼女にとっての誤算は、十和の存在であります。
 薙刀を手にすれば男も及ばぬ使い手であり、そしてそれ以上に、殺人狂というべき異常の精神を持つ十和。その場のパワーバランスを完全に崩した十和の登場に、周子は自ら迎え撃つことに……


 共に女性ながら、本作最強クラスの使い手である周子と十和。これはもはや頂上決戦というべき大一番ですが、しかしその対決は意外な形で終わることになります。戦いの中に紛れ込んだ周子の幼い弟・仁緒を捕らえ、喉元に刃を走らせる寺内。しかしその刃が決定的な結果を与える前に阻んだのは、意外な人物だったのです。
(そしてその人物の行動の理由も、意外ながらなるほどと納得)

 しかしその結果は、津春の運命にも大きな影響を与えることになります。元々医学を志していた津春にとって、目の前で幼い子供が傷を負ったのを黙っていられるはずがありません。しかしその子供は、大陰謀のもう一人の旗頭となりえる存在であり、仁緒への手当はいわば利敵行為。しかし寺内に非難されても、大目付に殺せと命じられても、津春の決心は……

 武士という生き方を貫くのであれば、津春が取るべき行動は明らかでしょう。しかしそれは本当に武士の生き方なのか。いや、人間の生き方なのか――同時の常識からみれば論外なのかもしれませんが、しかしここで津春が放つ言葉は、人間として大いに納得できるものがあります。
 そしてそれは、かつて侍の世の仕組みの中で敬愛する先輩を討たなければならなかった周子にとって、一つの救いだったのではないか――そのようにも感じさせられます。


 しかし津春が良心に従った、選択の代償は決して小さなものではありません。彼の行動の結果、これまでの敵と味方が一気に入れ替わってしまうような展開は、正直なところ予想だにしていませんでしたが、さて、この先に津春たちを待つものは何なのか。

 周子たちを迎えにやってくるワニたちの動向も含めて、この先も波乱含みであることだけは予想できますが――ラストでは思わぬ場所が登場し、そこでこれまた思わぬ人物が窮地に陥っていたりと、早くも前途多難を予想させる展開であります。


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2023.05.28

エリザベス・コーツワース『極楽にいった猫』 涅槃図と猫と優しい奇跡と

 今から100年近く前の1931年に米国人作家が発表し、米国で最も重要な児童文学賞の一つであるニューベリー賞を受賞した作品――むかしむかしの日本を舞台に、涅槃図を描くことになった貧乏な絵師と飼い猫の交流が思わぬ奇跡を呼ぶ、猫好き必読の美しい物語であります。

 むかしむかしの日本に、全く仕事が入らず、貧乏に苦しむ絵師がいました。身の回りの世話をするばあやと二人、かつかつ暮らしを送っていた絵師ですが、ある日ばあやは、一匹の三毛猫をもらってくるのでした。
 その猫に「福」と名付けて飼い始めた絵師ですが、ある日不思議な巡り合わせで、近所の寺の住職から、涅槃図を描くよう依頼されることになります。寺に飾る涅槃図を描けば、名が上がり、生活も楽になる――絵師もばあやも大喜びです。

 涅槃図を描く前に、王子時代から出家、悟りを経て、入滅に至るお釈迦様の生涯を思い描き、まさに精魂込めて絵を描き始めた絵師。お釈迦様を、弟子たちを描いた絵師は、いよいよ動物たちに着手することになります。
 かたつむり、象、馬、白鳥、水牛、犬、猿、虎――お釈迦様の逸話に登場し、入滅の時に駆けつけた動物たちを次々と描いていく絵師。しかし絵師が画を描くのをずっと傍らで見ていた福は、何やら悲しげです。

 そう、涅槃図には猫はいない――気位が高かったせいで、お釈迦様の入滅に立ち会わず、極楽に迎え入れてもらえなかったという猫。いくら福が可愛くても、涅槃図に猫を描くわけにはいかないのです。
 しかし段々と弱っていく福を前に、絵師は覚悟を固めます。そして涅槃図を完成させた絵師を待つものは……


 お釈迦様が入滅する際、菩薩や弟子、そして様々な動物たちが集まり、嘆き悲しむ様を描いた涅槃図。その中に猫がいないというのは、日本人でもご存じない方は少なくないかもしれません(もちろん、猫が描かれた涅槃図もあるのですが)。
 一番よく知られた理由は、お釈迦様に母親が薬を届けようとしたところ、木の枝にひっかかってしまい、それを取ろうとした鼠が猫に追いかけられたために、結局薬が間に合わなかったから――というものですが、その他にもいくつか理由は語られており、いささかすっきりしないところではあります。

 何はともあれ本作は、そんな涅槃図と猫にまつわるある種トリビアルな知識を柱として展開する物語であります。100年近く前の米国人作家がこの涅槃図を題材として選んだことにまず驚かされますが、作中で語られるむかしむかしの日本の姿にも大きな違和感はなく、また、「しっぺい太郎」の逸話なども取り込まれているのにも感心させられます。
(ちなみに本作では、しっぺい太郎に討たれるのは狒々ではなく化け猫となっているのですが――どうもこれは、これは明治時代にしっぺい太郎の物語が海外に紹介された際、猿から猫にリライトされたのに影響を受けているようです)

 しかし何よりも心動かされるのは、作中における猫の、猫と人間の関わりの細やかな描写であります。
 絵師の前に初めて現れた福の姿(それまでは何だかんだで飼うのを渋っていたのに、手のひらを返す絵師が微笑ましい)、そして絵師との日常での穏やかな姿――ふとした拍子に絵師に触れてくる猫、絵師が一心不乱に画を描く横で静かに過ごす猫等々、猫好きであればすぐにその情景が頭に浮かぶことは間違いありません。

 その一方で、猫好きほど、物語が進むに連れて心かき乱されるのもまた事実。どれだけ福が愛らしくとも、絵師が福を愛そうとも、絵師は自分の入魂の作品に、福の姿を描けないのですから。
 そんな悲しみとやるせなさを、本作は容赦ないといってよいような筆致で語ります。
「生き物のなかで、猫だけが、お釈迦さまの御心にかなわなかったんだよ。」
「とても優しく可愛らしいのに、永遠に呪われた生き物なのです」
「ほかの動物は釈迦に受け入れられ、慈悲を受け、極楽にいくことができたのに、猫のまえで極楽へと通じる扉は閉まってしまったのです」と……

 その果てに絵師が下した決断は、いくつもの悲劇を彼にもたらします。しかし――しかしその果てに彼を待っていたものがなんであったか。ラスト五行に示された優しい奇跡は、絵師への、福への、いや全ての猫への救いとして感じられるのです。


 日本語訳も上質で、猫好きであればぜひ一度手に取っていただきたい、優しい童話であります。
(ただ一つだけ贅沢をいえば、本作はぜひ日本人の手になる絵本で読んでみたかった、という気もいたしますが……)


『極楽にいった猫』(エリザベス・コーツワース 清流出版) Amazon

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2023.05.27

田中芳樹『カルパチア綺想曲』 大冒険 古き時代の怪奇と新たな時代の科学と

 SF、ファンタジー、中国歴史ものと、様々なジャンルで活躍してきた作者は、欧州を舞台とした歴史活劇の名手でもあります。本作もその一つ――19世紀末、囚われの身であるハンガリー独立運動の旗手を救うため、カルパチア山脈に向かう英国人たちの冒険を描く一大活劇であります。

 時は1898年、「ロンドン絵入り新聞」の新米記者ジョーと同僚のアランは、久々に帰国した元下院議員でありジョーの父・ジェラードと再会した矢先、とんでもない冒険話に巻き込まれることになります。
 当時、オーストリア・ハンガリー二重帝国に併合されていたハンガリー独立運動で活躍してきたヴルム伯爵――ジェラードとは旧知の仲であるこの人物の子息・アランがロンドンを訪れ、カルパチア山中の要塞に幽閉されているのを救出してほしいと依頼してきたのです。

 二つ返事でこの依頼を引き受けたジェラードですが、口から先に生まれたような人物で、トラブルメーカーの父に、ジョーは憮然とした態度を崩せません。しかし特ダネ目当てにアランと共にこの冒険に参加することになったジョーは、ジェラードが中国から連れ帰った美しい妻・ランファと四人で、ブダペストに向かうことになります。
 そこでイオンや伯爵の同志の資産家・ルカーチ、どこかうさんくさいユダヤ人青年・トレビッチらと共に、伯爵救出計画を練る一行。険阻なカルパチア山脈の中、オーストリア軍が警備する要塞に如何に潜入し、老体の伯爵を連れ出すのか――ジェラードはそこで思わぬ策を披露するのでした。

 しかし、どこからかこの動きを察知した憲兵隊のノイマン中佐は、密かにスパイを送り込み、ジェラードたちの動きを探ります。さらにブダペストの夜には奇怪な獣の影が徘徊、ルカーチ氏の妻の周囲でも不審な事件が相次ぐなど、事態は混迷の度合いを深めます。
 そんな中、ついにカルパチアの要塞に向けて旅立つ一行。しかしその最中、思わぬ裏切りと、意外な真実が明らかになり……


 カルパチアといえば、怪奇小説ファンにはなんといっても、あのドラキュラの城が在った吸血鬼伝説の本場――あるいはヴェルヌの『カルパチアの城』が浮かぶのではないでしょうか。本作はこれらの作品を踏まえつつも(作中ではっきりと言及)、いかにも作者らしいキャラクターたちが活躍する冒険活劇であります。

 何しろ実質主人公格のジェラードは、元下院議員ながら、むしろ山師か冒険家か、と言いたくなるような破天荒な人物。これはこれで一個の快男児ですが、娘(そう、ジョーの本名はジョセフィン、歴とした女性であります)が事あるごとに反抗するのも理解できます。
 一方、彼らに対するオーストリア憲兵隊のノイマン中佐は、切れ者で冷徹な敵役――なのですが、この当時の人間としては破格なことに民族差別などは行わず、決して単純な悪役ではないのが面白い。しかしかといって正々堂々な人物ではなく、そしてどの民族を問わず、人間全てに冷徹なだけ――というのも、実にユニークで、不思議な魅力があります。

 本作はそんな食わせものたちを中心としたキャラクターが入り乱れることになりますが、しかし入り乱れるのはそれだけではありません。ブダペストを騒がせるジェヴォーダンの獣めいた怪物、そしてハンガリーで吸血鬼といえばこの人、な人物の後裔までも登場して、物語はグッと怪奇度を深めていくことになるのですから。
 その一方で、カルパチアに向かう手段には当時の最新の科学の成果(どちらかというとフィクションの成果?)を用いたりと、古き時代の怪奇と新たな時代の科学が取り混ぜられた趣向もまた、この舞台設定ならではというべきでしょう。

 そしてさらに物語は意外な方向に展開していくことになるのですが――特に後半で明かされるある真実には、なるほどちょっと不自然に見えた登場人物の行動にも確かな意味があったのか! と納得で、この辺りのドラマ作りの巧みさはさすがというべきでしょう。

 そして最後の最後まで油断できない大活劇の末に、物語は綺麗にハッピーエンド。一見ライトな手触りでも、中身のしっかり詰まった、娯楽小説のお手本のような作品であります。


『カルパチア綺想曲』(田中芳樹 らいとすたっふ文庫) Amazon

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