入門者向け時代伝奇小説百選

 約十年前に公開した「入門向け時代伝奇小説五十選」を増補改訂し、倍の「百選」として公開いたします。間口が広いようでいて、どこから手をつけて良いのかなかなかわかりにくい時代伝奇小説について、サブジャンルを道標におすすめの百作品を紹介いたします。

 百作品選定の基準は、
(1)入門者の方でも楽しめる作品であること
(2)絶版となっていないこと、あるいは電子書籍で入手可能なこと
(3)「原則として」シリーズの巻数が十冊以内であること
(4)同じ作家の作品は最大3作まで
(5)何よりも読んで楽しい作品であること の5つであります

 百作品は以下のサブジャンルに分けていますが、これらはあくまでも目安であり、当然ながら複数のサブジャンルに該当する場合がほとんどです(また、「五十選」の際のサブジャンルから変更した作品もあります)。
 そのため、関連のあるサブジャンルについては、以下のリストからリンクしている個々の作品の紹介に追記いたします。

【古典】 10作品
1.『神州纐纈城』(国枝史郎)
2.『鳴門秘帖』(吉川英治)
3.『青蛙堂鬼談』(岡本綺堂)
4.『丹下左膳』(林不忘)
5.『砂絵呪縛』(土師清二)
6.『ごろつき船』(大佛次郎)
7.『美男狩』(野村胡堂)
8.『髑髏銭』(角田喜久雄)
9.『髑髏検校』(横溝正史)
10.『眠狂四郎無頼控』(柴田錬三郎)

【剣豪】 5作品
11.『柳生非情剣』(隆慶一郎)
12.『駿河城御前試合』(南條範夫)
13.『魔界転生』(山田風太郎)
14.『幽剣抄』(菊地秀行)
15.『織江緋之介見参 悲恋の太刀』(上田秀人)

【忍者】 10作品
16.『甲賀忍法帖』(山田風太郎)
17.『赤い影法師』(柴田錬三郎)
18.『風神の門』(司馬遼太郎)
19.『真田十勇士』(笹沢佐保)
20.『妻は、くノ一』シリーズ(風野真知雄)
21.『風魔』(宮本昌孝)
22.『忍びの森』(武内涼)
23.『塞の巫女 甲州忍び秘伝』(乾緑郎)
24.『悪忍 加藤段蔵無頼伝』(海道 龍一朗)
25.『嶽神』(長谷川卓)

【怪奇・妖怪】 10作品
26.『おそろし』(宮部みゆき)
27.『しゃばけ』(畠中恵)
28.『巷説百物語』(京極夏彦)
29.『一鬼夜行』(小松エメル)
30.『のっぺら』(霜島ケイ)
31.『素浪人半四郎百鬼夜行』シリーズ(芝村涼也)
32.『妖草師』シリーズ(武内涼)
33.『古道具屋皆塵堂』シリーズ(輪渡颯介)
34.『人魚ノ肉』(木下昌輝)
35.『柳うら屋奇々怪々譚』(篠原景)

【SF】 5作品
36.『寛永無明剣』(光瀬龍)
37.『産霊山秘録』(半村良)
38.『TERA小屋探偵団 未来S高校航時部レポート』(辻真先)
39.『大帝の剣』(夢枕獏)
40.『押川春浪回想譚』(横田順彌)

【ミステリ】 5作品
41.『千年の黙 異本源氏物語』(森谷明子)
42.『義元謀殺』(鈴木英治)
43.『柳生十兵衛秘剣考』(高井忍)
44.『ギヤマン壺の謎』『徳利長屋の怪』(はやみねかおる)
45.『股旅探偵 上州呪い村』(幡大介)

【古代-平安】 10作品
46.『諸葛孔明対卑弥呼』(町井登志夫)
47.『いまはむかし』(安澄加奈)
48.『玉藻の前』(岡本綺堂)
49.『夢源氏剣祭文』(小池一夫)
50.『陰陽師 生成り姫』(夢枕獏)
51.『安倍晴明あやかし鬼譚』(六道慧)
52.『かがやく月の宮』(宇月原晴明)
53.『ばけもの好む中将』シリーズ(瀬川貴次)
54.『風神秘抄』(荻原規子)
55.『花月秘拳行』(火坂雅志)

【鎌倉-室町】 5作品
56.『幻の神器 藤原定家謎合秘帖』(篠綾子)
57.『彷徨える帝』(安部龍太郎)
58.『南都あやかし帖 君よ知るや、ファールスの地』(仲町六絵)
59.『妖怪』(司馬遼太郎)
60.『ぬばたま一休』(朝松健)

【戦国】 10作品
61.『魔海風雲録』(都筑道夫)
62.『剣豪将軍義輝』(宮本昌孝)
63.『信長の棺』(加藤廣)
64.『黎明に叛くもの』(宇月原晴明)
65.『太閤暗殺』(岡田秀文)
66.『桃山ビート・トライブ』(天野純希)
67.『秀吉の暗号 太閤の復活祭』(中見利男)
68.『覇王の贄』(矢野隆)
69.『三人孫市』(谷津矢車)
70.『真田十勇士』シリーズ(松尾清貴)

【江戸】 10作品
71.『螢丸伝奇』(えとう乱星)
72.『吉原御免状』(隆慶一郎)
73.『かげろう絵図』(松本清張)
74.『竜門の衛 将軍家見聞役元八郎』(上田秀人)
75.『魔岩伝説』(荒山徹)
76.『退屈姫君伝』(米村圭伍)
77.『未来記の番人』(築山桂)
78.『燦』シリーズ(あさのあつこ)
79.『荒神』(宮部みゆき)
80.『鬼船の城塞』(鳴神響一)

【幕末-明治】 10作品
81.『でんでら国』(平谷美樹)
82.『ヤマユリワラシ 遠野供養絵異聞』(澤見彰)
83.『慶応水滸伝』(柳蒼二郎)
84.『完四郎広目手控』(高橋克彦)
85.『カムイの剣』(矢野徹)
86.『箱館売ります 土方歳三蝦夷血風録』(富樫倫太郎)
87.『旋風伝 レラ=シウ』(朝松健)
88.『警視庁草紙』(山田風太郎)
89.『西郷盗撮 剣豪写真師・志村悠之介』(風野真知雄)
90.『明治剣狼伝 西郷暗殺指令』(新美健)

【児童文学】 5作品
91.『天狗童子』(佐藤さとる)
92.『白狐魔記』シリーズ(斉藤洋)
93.『鬼の橋』(伊藤遊)
94.『忍剣花百姫伝』(越水利江子)
95.『送り人の娘』(廣嶋玲子)

【中国もの】 5作品
96.『僕僕先生』(仁木英之)
97.『双子幻綺行 洛陽城推理譚』(森福都)
98.『琅邪の鬼』(丸山天寿)
99.『もろこし銀侠伝』(秋梨惟喬)
100.『文学少年と書を喰う少女』(渡辺仙州)



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2020.07.14

横田順彌『幻綺行 完全版』(その二) 世界を股にかけた秘境また秘境の冒険

 世界一周無銭旅行を成し遂げた実在の痛快男児・中村春吉を主人公とした秘境冒険SF『幻綺行』の紹介の後編であります。今回は残る4話について、紹介いたしましょう。

「流砂鬼」
 ペルシャの砂漠を自転車で横断途中、思わぬことから食料を失ってしまった春吉・志保・石峰。窮地を奇特な富豪・マファッド氏に助けられた春吉たちは、彼が悪魔の砂漠に宝探しに出かけた息子を探していると知り、手助けを申し出るのでした。
 しかし途中、マファッド氏は大砂嵐に吹き飛ばされ、春吉たちも流砂に飲み込まれることに。流砂によって巨大な地底の洞窟に運ばれた彼らを待つものは!?

 密林、岩山と来て今回は砂漠! 次々と大自然の脅威に晒される春吉たちですが、しかしその果てに現れたのは、超自然、いや超科学的とも言うべき存在。その強敵を相手に、シリーズでも屈指の死闘を繰り広げる春吉ですが、決め手が何とも――なのもまた、豪傑の春吉らしいというべきでしょうか。

 そして本作の結末は、作者の明治SFによっくあるパターンなのですが――途中で描かれたガジェットが我々の世代には何とも懐かしいものを連想させるだけに、一層の不条理感を感じさせるのが面白いところです。


「麗悲妖」
 欧州に向かい、ロンドンに入った春吉。しかしそこで春吉と志保は、新婚の旧友・松尾を訪ねて一人ペテルブルグに向かった石峰から至急の呼び出しを受けることになります。
 仲睦まじい様子ながら、最近妻のエヴグーニヤに不審の目を向けているという松尾氏。彼はある晩、風呂場で血の海に浮かぶ女性のバラバラ死体を目撃したというのですが……

 作中では最も秘境要素の薄い本作。内容的にも、舞台が舞台だけに冒険よりも謎解き色が色濃いものとなります(それでもラストは大乱闘になるのが春吉らしい)。
 その謎自体はなかなか豪快で奇想天外なのですが――作者の他の明治SFを連想させるものがあるのがちょっと気にかかるところです。もっとも、結末の物悲しさと微かな温もり(そしてそこで志保が果たす役割)は何とも味わい深いのですが……


「求魂神」
 ケープタウンに向かう船から、思わぬ成り行きで途中のマデイラ島に降ろされてしまった春吉一行。次の便までの時間に、島の火山に登る春吉たちですが、そこでは上空に奇怪な球体が目撃され、英国の探検家夫婦が行方不明になっていたのでした。
 山中をさまよう中、不思議な空間に飲み込まれた春吉と志保。そこで二人を待ち受けていた恐るべき秘密とは……

 ここから以前刊行された単行本未収録の作品ですが、本作では神を名乗るモノが春吉の前に登場。その「神」は、遠く日露戦争の戦場であるものを集めていたというのですが――と、何と本作は○○○○テーマというべき作品であります。

 しかし真に驚くべきは、本作が、作者の明治SFシリーズのある作品の裏面に位置すると(も感じられる)内容であることです。
 といっても、屈指の恐怖エピソードだったあちらに対して、こちらはまた随分と――という印象。そして志保の過去が、また思わぬ形で皆を救うことになるのも印象的です。
(しかし本作が本当にあの作品の裏面であれば、結局脅威は去っていなかったことに……)


「古沼秘」
 ついにアフリカ入りを果たした春吉一行。ザンジバルに向けて密林を行く途中、黒い砂の沼近くにテントを張った春吉ですが、そこは現地人たちが悪い神が居ると恐れる場所でありました。はたしてその晩、沼から巨大な影が現れ……

 掉尾を飾る本作では、秘境の本場・アフリカ大陸についに到達。途中の春吉の史実に基づく冒険は楽しいのですが、肝心の謎と怪奇の方はいささか薄味という印象です。
 しかし春吉たちの前に立ちはだかるのは、これまででも屈指の強敵、はたして打つ手はあるのかと思いきや――もはや完全にチームの知恵袋担当の志保が見事な閃きで勝利に貢献。いやこれは現代人でもなかなか気付かないのではないでしょうか。


 以上、いささか駆け足になってしまいましたが、単行本収録済みの4話に加えて2話を収録し、さらに単行本や雑誌掲載時のバロン吉元の挿絵も収めた、まさに「完全版」に相応しい本書で、久々に春吉の豪快な活躍を存分に楽しむことができました。
 本シリーズには長編の『大聖神』がありますが、こちらも是非復刊していただきたいものです。もちろん、本書のような装丁で!


『幻綺行 完全版』(横田順彌 竹書房文庫) Amazon

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2020.07.13

横田順彌『幻綺行 完全版』(その一) 帰ってきた自転車世界一周無銭旅行の豪傑!

 昨年逝去した横田順彌の第三の明治SFシリーズが帰ってきました。明治時代、自転車による世界一周無銭旅行を敢行した実在の人物・中村春吉。その春吉が、世界各地の秘境で謎と怪物に挑む短編連作シリーズが、単行本未収録の二編を加えてここに復活したのであります。

 押川春浪を中心に、明治時代のバンカラ人脈の人々が活躍する明治SFを数多く発表してきた作者。その作品の大半が日本を舞台とした作品であったのに対して、このシリーズは、その主人公の活動に合わせ世界各地を舞台としていることに大きな特徴があります。
 収録された6話はいずれも「SFアドベンチャー」誌に掲載されたものですが、単行本では4話のみの収録であったものを全話収録し、「完全版」と銘打ったのがこの文庫版であります。

 その装幀たるや、「新刊なのに古書」としかいいようのない凝りに凝ったもので、判っていても一瞬ギョッとさせられるほどの見事なものなのですが――現代に甦った明治の冒険譚に、これほど相応しいものはないといえるでしょう。

 さて、前置きはこれくらいにして、収録各話を一話ずつ紹介させていただきます。


「聖樹怪」
 探検に訪れたスマトラ島の町で、廓から飛び降りようとしていた日本人娼婦・雨宮志保を成り行きから助けた春吉。そのために人から預かった金を使ってしまった彼は、現地で働く青年・石峰省悟から、ボルネオの密林に眠るという山田長政の秘宝探しを持ちかけられるのでした。
 かくてボルネオ島に向かった春吉・志保・石峰は、現地の人々が恐れる密林に分け入っていくのですが……

 記念すべき第一話である本作では、シリーズのレギュラー三人の登場からその人物のキ紹介、初めての冒険が手際よく盛り込まれた物語であります。
 一身是胆の豪傑でありながらどこか抜けたところのある春吉、日本から拐かされて辛酸を嘗めながら勇気と知恵なら負けない志保、謹厳実直そうでいてお家再興のために宝探しに燃える石峰青年――全く異なる境遇ながら冒険心は共通する三人が挑むのは、冒険ものの王道というべき密林の奥地です。

 そこで彼らを待ち受けるものは――詳細は伏せますが、数十年前の少年誌の秘境探検もののグラビアなどで、読者を震え上がらせたあの怪物というのが嬉しい。
 もっとも、一般誌らしく(?)その力はより嫌らしいものとなっていますが、それを乗り越える志保の機転が、ある意味彼女の設定に即したものとなっているのも、何とも凄まじく感じられます。

 それにしてもその志保を、花和尚魯智深ばりの活躍で救出した春吉ですが――さすがにこの結末は悪党の方にちょっと同情してしまいます。


「奇窟魔」
 石峰青年と別れ、ビルマからカルカッタ、そしてネパール、チベットに向かった春吉と志保。そこで山中のラマ寺院が、近隣の娘たちを理不尽に召し上げていることを知った二人は、志保を身代わりに立てて、寺院に乗り込むことになります。
 そこで謎の地下通路に入り込んだ春吉の前に現れた奇怪な怪物たちの正体とは……

 毎回バラエティに富んだ舞台設定は本シリーズの特色ですが、今回は密林から一転、チベットの山中へ。しかしこの当時のチベットは鎖国状態、作中でも言及のある河口慧海が幾多の苦難を乗り越えて乗り込んだ、歴とした秘境といえるでしょう。
 さてそこで繰り広げられるのは――これまた色々な意味で何とも凄まじい悪事を働く一党との対決。まさに因果応報とも言うべき結末は痛快ですが、しかしさすがに春吉たちは楽観的過ぎるようにも感じます。

 ちなみに本シリーズの雑誌掲載時・単行本時のバロン吉元の見事な挿絵は、嬉しいことに本書にも収録されているのですが、本作の前半、インドの平原を一人行く春吉が狼に襲われるくだりの挿絵が、特に素晴らしい迫力で印象に残ります。

 それにしても、「いまこそ、真の蛮勇をふるう時ですわ」はもの凄いキラーフレーズ……


 残る4話は次回ご紹介いたします。


『幻綺行 完全版』(横田順彌 竹書房文庫) Amazon

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2020.07.12

8月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 表向きは世の中の動きはだいぶ以前のそれに近づいてきましたが、しかし出版にかかる作業期間を考えればそろそろ大変なのでは、お盆休みもあるし――というこちらの心配は杞憂らしく、しっかりと色々と発売される8月の時代伝奇アイテム発売スケジュールです。

 そんなわけで点数自体は結構多い8月ですが、ちょっと面白いのは前半に小説、後半に漫画の発売日が固まっていることであります。

 まず文庫の新作では、『臆病同心もののけ退治』(田中啓文 ポプラ文庫)、『吉原水上遊郭 まやかし婚姻譚』(一色美雨季 ポプラ文庫ピュアフル)、『平安・陰陽うた恋ひ小町 言霊の陰陽師』(遠藤遼 宝島社文庫)、『影がゆく 2 悪魔道人』(稲葉博一 ハヤカワ文庫JA)と、時代小説プロパーではないレーベルからの作品が目立ちます
 また、発売が一ヶ月延びたらしい霜島けい『もののけ騒ぎ 九十九字ふしぎ屋商い中(仮)』も楽しみなところです。

 そして復刊・文庫化は、何といっても河出文庫の「山田風太郎傑作選」の室町篇として登場『柳生十兵衛死す』上下巻に注目。また、青柳碧人『彩菊あやかし算法帖 からくり寺の怪』、夏原エヰジ『Cocoon 修羅の目覚め』も文庫化です。
 またこれはノンフィクションですが、加門七海『大江戸魔方陣 徳川三百年を護った風水の謎』の復刊も懐かしいところです。


 一方漫画の方では、以前春頃に発売予定であったものが延期されていた赤名修『賊軍 土方歳三』第1巻、そしてある意味飛び道具の組み合わせである花月仁&奥浩哉『GANTZ:E』第1巻の新登場がやはり注目でしょう。
 その他新登場としては、草川為『年年百暗殺恋歌』第1巻、叶輝『残月、影横たはる辺』第1巻と、少女漫画系の新作があります。

 そのほか、シリーズものの最新巻として鶴淵けんじ『峠鬼』第3巻、石川ローズ『あをによし、それもよし』第3巻、高橋留美子『MAO』第5巻、舞台化に合わせて久々登場の霜月かいり『BRAVE10 暁』はもちろん要チェック。
 また海外を舞台とした作品では、中国もので川原正敏『龍帥の翼 史記・留侯世家異伝』第16巻、星野之宣『海帝』第6巻、名作パスティーシュとして嶋星光壱&島田荘司『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』第2巻を楽しみにしているところです。


 と、点数的には満点というわけではないものの、期待以上のラインナップとなった印象の8月であります。



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2020.07.11

細川雅巳『逃亡者エリオ』第5巻 彼らの戦いの理由、彼らが戦いに見出したもの

 エリオと仲間たちの戦い、カスティージャ王位を巡るエンリケとペドロの戦いもいよいよ決戦であります。この最終巻をほとんど全て使って描かれるのはこの決戦の模様――その最中で描かれるエリオたちにとっての戦いの意味は、そしてペドロの向かう先は……

 カスティージャ王位を巡り、いよいよ激しさを増すエンリケとペドロの戦い。自らに指図する母マリアを追放し、ただ一人王としての道を征こうとするペドロと、彼に一度は大敗を喫しながらも、仲間たちと再起を図るエンリケ――対象的な二人の戦いは、ついに決戦の日を迎えることとなりました。
 以前ペドロと結び、エンリケ軍を苦しめた英国のエドワード黒太子がペドロと決別した今こそ好機と、エンリケとエリオ、バルド、デボラ、ゴルディ――固い絆で結ばれた仲間たちは、モンティエルの地でついに対峙することになります。

 と、ここまでくれば、もはやできることは激突あるのみ。エンリケとペドロの一騎打ちから始まった戦いは乱戦に発展し、その中で描かれるのは、戦いに臨む者たちの想い――一人ひとりがエリオと出会った時に比べて変わったもの、変わらぬものを描くエピソードが続くことになります。

 それはすなわち、何のために戦うのか、戦いの中に何を見出すのか? を問うことでもあります。
 厳格な法の守護者であったバルド、「先生」の命じるまま暗殺を繰り返していたデボラ、ひたすら戦いの生を送ってきたゴルディ、そして何よりも拳を弟の血で染めて以来運命に逆らってきたエリオ。この戦いは、彼らにとっての戦いの意味を問うものでもあるのです。

 そして戦いの末、ついに追い詰められたペドロ。これまでとは違った形でエンリケと対峙することを余儀なくされながらも、なおも王として戦おうとするペドロの前に立ったエリオの言葉とは……

 「逃亡者」という言葉をタイトルに冠しつつも、結果的には物語のかなりの部分で、それとは無縁に見えてしまったエリオの生き方(せめてエンリケ軍が大敗を喫した戦いのエピソードが、もう少し詳細に語られれば……)。
 やはり王位を巡る戦いという巨大な歴史の中では、個人の逃亡というものは目立たなくなってしまうものなのか――というこちらの想いは、ここに来て、意外な形で否を突きつけられることになります。

 エリオにとって、逃亡は負けではない。逃亡もまた、己に対して生き方を強いる運命を否定する手段、すなわち戦い方の一つである――そんなことを思わせる彼の言葉に、なるほどそうであったか! と大いに感心させられた次第であります。


 正直なところ、前巻同様、この巻でもかなり駆け足な印象は否めず、とにかく乱戦また乱戦で終わった感はあります。
 上でも触れたように重要な戦いの内容が回想シーンで終わったのも(レギュラーの一人がここで退場しているだけに)残念なところですし、何よりもせっかく新デザインとなったキャラクターたちの活躍をもっと見たかった、という気持ちは強くあります。

 特にデボラなど、新コスチューム自体が彼女の生き方の変化を大きく表すもの――ということ自体は、一話を使って明確に描かれているのですが――だけに、勿体無いと感じます。
(正直なところ馴染めなかったエリオのオールバックも、また印象が変わったかも――というのは考え過ぎかもしれませんが)

 しかしそれでも、ギリギリのところで本作は描くべきものを――各自の戦う意味とその変化を――きっちり描いて終わったことは間違いありません。
 特にデボラについては、彼女自身の内面を描いたものに加えてもう一話、彼女を近くから見つめてきた、しかし非常に意外なキャラクターの視点から描かれているのには――私自身が〇〇好きということもあって――大いに感心した次第です


 かくて終わりを告げた本作。毎回のように人死が――それも景気よく首や胴が飛んで――出た物語ではありますが、その結末はキャラクター一人ひとりが辿り着くべきところに辿り着いた、爽快なものであったと感じます。
 まずは大団円――そう言いたいと思います。


『逃亡者エリオ』第5巻(細川雅巳 秋田書店少年チャンピオン・コミックス) Amazon

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 細川雅巳『逃亡者エリオ』第4巻 弟殺しの真実 そして運命への抵抗へ

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2020.07.10

細川雅巳『逃亡者エリオ』第4巻 弟殺しの真実 そして運命への抵抗へ

 14世紀のカスティージャの王位争いを背景に、監獄帰りの青年エリオと仲間たちの戦いを描く本作も、同時発売されたこの第4巻・第5巻で以て完結となります。まずご紹介する第4巻で描かれるのは、エリオの過去編の続き――彼が監獄に送られることとなった弟殺しの真実であります。

 無実の罪を着せられたララを助けたのをきっかけに、彼女の兄であるエンリケとペドロの王位争いに巻き込まれることとなったエリオ。ペドロに追い詰められたエンリケを助けて窮地を脱した彼は、エンリケらの求めに応じて、自らの過去を語り始めることになります。

 5年前、武術の達人である厳格な父・ビクトルの下で、王衣――王族の護衛を務める武術使いとなるべく、修行していたエリオと弟のパブロ。王位選抜の闘技会に参加することとなった二人は、過酷な予選の末、自分たちを含めた8人によるトーナメントに参加することのなります。
 二人以外の参加選手は、戦場仕込みの技を操る傭兵に、代々王位を務める名門の達人、幼い姿で残酷な技を操る少年や得体の知れぬ美少女と多士済々。

 その第一回戦でそれぞれ勝利を収めたエリオとパブロですが、しかしその戦いぶりは大きく異なります。方や、相手の身に不必要なダメージを与えることなく倒そうとし、試合が終わればノーサイドのエリオ。方や、容赦なく相手を叩き潰し、勝負が着いた後にも相手の命を奪うパブロ。

 そしてこの二人の戦い方は、その生き方の象徴ともいえるもの。お人好しと言えるほど相手のことを慮るエリオと、ただひたすらに力を求め、孤高に生きるパブロと――対象的な兄弟ながら、エリオはそんなパブロを愛し、彼の身を案じるのでした。
 しかしそんな二人に対して、王位としての指名を果たせと厳しく接するビクトル。そしてそれがついにパブロを激昂させ、骨肉の悲劇が演じられることに……


 物語冒頭から触れられていたエリオの罪――弟殺し。それだけに結末は決まっているとはいえ、どのような経緯を経てそこに至るのかが、この過去編の眼目といえるでしょう。
 そして描かれたその悲劇の引き金は、表向きはパブロの暴走に見えますが――しかしそれは、使命や運命といったものに縛られ、己の未来を決められた少年の心の叫びというべきものと感じられます。

 あるいは彼が一人であれば、結果はまた違ったかもしれません。しかし同じものを背負っているはずのエリオはどこまでも明るく人々を助け、それでいて自分には手を差し伸べない――それはあくまでも弟の自由を重んじるがゆえだったのですが――ことが、パブロを凶行に走らせたといえるでしょう。
 だとすれば、その幕を引いたエリオが、運命に――すなわち、自分以外の者に自分の生き方を決められることに激しく反発するのは、むしろ当然とも感じられます。


 と、エリオの過去としては納得の内容だったのですが、一つの物語として見ると、かなり駆け足に感じられたのも正直なところであります。
 このトーナメントの陰に、ララの母の命を狙ったペドロの母・マリアの存在が在ったり、デボラの師である暗殺者の元締め「先生」の弟子がトーナメントに参加していたりと、盛り上がる要素があっただけに、せめてトーナメントがもう少し進んでも――という印象は否めません。

 この過去編の、トーナメントの参加キャラもなかなか個性的であっただけに、結果的にここでフェードアウトになってしまったのも、何とももったいなく感じられるところであります。
(特に、いかにも「先生」の弟子らしかったけれども実は、というあのキャラ)。


 何はともあれ、この巻の終盤で舞台は「現在」に戻り、さらに数年の月日が流れることとなります。
 ペドロに戦いを挑んだものの、敗残の身となったエンリケが、乾坤一擲の大勝負を見せようとする中、それぞれ成長し、新コスチュームとなったエリオと仲間たちは、いよいよ最後の戦いに臨むことに……

 と、残すところはあと1巻、最終第5巻も近々にご紹介いたします。


『逃亡者エリオ』第4巻(細川雅巳 秋田書店少年チャンピオン・コミックス) Amazon

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2020.07.09

矢島綾&吾峠呼世晴『鬼滅の刃 風の道しるべ』 風柱の過去、語られざる過去

 同日に原作単行本、ノベライゼーション(の電子版)、そして本書と、都合3点が発売された『鬼滅の刃』関連書籍。本書はこれまでもご紹介してきた矢島綾による小説版第3弾であります。これまで以上に踏み込んだエピソードの多い本書、キメツ学園を含めた全5話構成であります。

 これまで、(キメツ学園以外は)原作の語られざるエピソードを短編形式で収録してきたこの小説版ですが、今回もそのスタイルは健在。しかしその原作とのリンクの仕方は、より大きく、あるいは絶妙なところを突いていくようになった印象があります。

 その最たるものが、表題作であり、本書の4割を占めるボリュームの第1話「風の道しるべ」。風柱・不死川実弥の鬼殺隊入隊から、柱昇格までを中心に描く物語ですが――原作ファンであればよくご存じのとおり、そこにはもう一人の人物が大きく絡むこととなります。

 それは実弥にとって親しい人物であった粂野匡近――実弥を鬼殺隊に紹介し、そして二人で下弦の壱を倒したものの、自らはその戦いで命を落とした(そして結果的に実弥は柱に昇格することとなった)人物であります。
 この匡近、原作ではわずか2ページの出番(アップは一コマのみ!)ながら、実弥の人生に大きな影響を与えたことを窺わせるキャラだったのですが――このエピソードでは、彼の人となりや実弥との関係性が大きくクローズアップされることになります。

 原作にあるとおり、ただ一人力任せで鬼と戦っていた実弥と出会い、育手である自分の師を紹介した――すなわち実弥にとって兄弟子に当たる――匡近。自分とは正反対の、明るく軽薄にすら感じられる匡近に反発を抱きながらも、やがて名前で呼び合う仲になっていく実弥ですが、中堅にまで成長した二人は、ある日共同で任務に当たることになります。
 それは子供ばかりが行方不明になるという空き屋敷の調査――そこにはかつて、夫に虐待され、娘を病で失った末に姿を消した美しい女性が住んでいたというのであります。しかし屋敷に一歩足を踏み入れた実弥と匡近は、いつの間にか離ればなれとなって……

 先に述べた通り二人を待つ運命は明確なわけですが、そこに至るまでを丹念に描いていくこのエピソード。実弥と対照的に脳天気ですらある匡近の言動が漫画的ではあるのですが、しかしそれが実は――という展開は、予想はできたものの、グッとくるものがあります。
 そして本作オリジナルの下弦の壱も、シチュエーション的にちょっとだけ原作の別の鬼を思わせる部分はあるものの、実に厭なキャラクターと能力は印象的な造形。そして何よりもこの鬼が実弥を狙う理由が、彼の戦う理由に繋がる辺り、実弥の語られざる物語の敵として、納得できたところであります。


 と、第1話で大きく分量を取ってしまったので、簡単に他のエピソードを紹介すれば――
 鋼鐵塚蛍37歳のポンコツぶりを矯正するために周囲が仕組んだ見合いの顛末「鋼鐵塚蛍のお見合い」
 蝶屋敷で起きたある出来事をきっかけに生まれた伊之助とカナヲの交流「花と獣」
 移転間近の刀鍛治の里で、無一郎と小鉄が壊れた絡繰人形を直す姿を通じて無一郎の成長と夢を描く「明日の約束」
 学園で噂される怪談の内容を確かめに夜の校舎に向かった宇随・煉獄・カナエ・義勇が起こす騒動「中高一貫☆キメツ学園物語!! ミッドナイト・パレード」
 と、硬軟取り混ぜた内容であります

 これらのエピソードもさすがに手慣れた内容という印象なのですが、個人的にはちょっと驚いたのは第3話と第4話であります。
 第3話では、カナエが童磨戦直後に髪が乱れていたのが善逸と再会時には髪飾りをつけていた描写。そして第4話では、刀鍛治の里編で戦った面子と善逸・伊之助が賑やかに騒いでいるという、冷静に考えればこれ何時だ!? な第21巻冒頭の無一郎の回想の一コマ――このそれぞれにフォローが入っているのであります。

 細かいといえば非常に細かい点であり、(これまで同様)原作の小ネタを拾いすぎるのが鼻につく面もなきにしもあらずですが――しかし原作の語られざる物語を描くものとして、大いに納得できるスタンスではあります。


 というわけで今回も楽しめた小説版なのですが、唯一の問題は、原作完結の後に振り返ると(特に同時発売の原作第21巻の後だと)色々と曇らされる点でしょうか。
 いや、これは全く以て本作の責任ではないのですが……


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