入門者向け時代伝奇小説百選

 約十年前に公開した「入門向け時代伝奇小説五十選」を増補改訂し、倍の「百選」として公開いたします。間口が広いようでいて、どこから手をつけて良いのかなかなかわかりにくい時代伝奇小説について、サブジャンルを道標におすすめの百作品を紹介いたします。

 百作品選定の基準は、
(1)入門者の方でも楽しめる作品であること
(2)絶版となっていないこと、あるいは電子書籍で入手可能なこと
(3)「原則として」シリーズの巻数が十冊以内であること
(4)同じ作家の作品は最大3作まで
(5)何よりも読んで楽しい作品であること の5つであります

 百作品は以下のサブジャンルに分けていますが、これらはあくまでも目安であり、当然ながら複数のサブジャンルに該当する場合がほとんどです(また、「五十選」の際のサブジャンルから変更した作品もあります)。
 そのため、関連のあるサブジャンルについては、以下のリストからリンクしている個々の作品の紹介に追記いたします。

【古典】 10作品
1.『神州纐纈城』(国枝史郎)
2.『鳴門秘帖』(吉川英治)
3.『青蛙堂鬼談』(岡本綺堂)
4.『丹下左膳』(林不忘)
5.『砂絵呪縛』(土師清二)
6.『ごろつき船』(大佛次郎)
7.『美男狩』(野村胡堂)
8.『髑髏銭』(角田喜久雄)
9.『髑髏検校』(横溝正史)
10.『眠狂四郎無頼控』(柴田錬三郎)

【剣豪】 5作品
11.『柳生非情剣』(隆慶一郎)
12.『駿河城御前試合』(南條範夫)
13.『魔界転生』(山田風太郎)
14.『幽剣抄』(菊地秀行)
15.『織江緋之介見参 悲恋の太刀』(上田秀人)

【忍者】 10作品
16.『甲賀忍法帖』(山田風太郎)
17.『赤い影法師』(柴田錬三郎)
18.『風神の門』(司馬遼太郎)
19.『真田十勇士』(笹沢佐保)
20.『妻は、くノ一』シリーズ(風野真知雄)
21.『風魔』(宮本昌孝)
22.『忍びの森』(武内涼)
23.『塞の巫女 甲州忍び秘伝』(乾緑郎)
24.『悪忍 加藤段蔵無頼伝』(海道 龍一朗)
25.『嶽神』(長谷川卓)

【怪奇・妖怪】 10作品
26.『おそろし』(宮部みゆき)
27.『しゃばけ』(畠中恵)
28.『巷説百物語』(京極夏彦)
29.『一鬼夜行』(小松エメル)
30.『のっぺら』(霜島ケイ)
31.『素浪人半四郎百鬼夜行』シリーズ(芝村涼也)
32.『妖草師』シリーズ(武内涼)
33.『古道具屋皆塵堂』シリーズ(輪渡颯介)
34.『人魚ノ肉』(木下昌輝)
35.『柳うら屋奇々怪々譚』(篠原景)

【SF】 5作品
36.『寛永無明剣』(光瀬龍)
37.『産霊山秘録』(半村良)
38.『TERA小屋探偵団 未来S高校航時部レポート』(辻真先)
39.『大帝の剣』(夢枕獏)
40.『押川春浪回想譚』(横田順彌)

【ミステリ】 5作品
41.『千年の黙 異本源氏物語』(森谷明子)
42.『義元謀殺』(鈴木英治)
43.『柳生十兵衛秘剣考』(高井忍)
44.『ギヤマン壺の謎』『徳利長屋の怪』(はやみねかおる)
45.『股旅探偵 上州呪い村』(幡大介)

【古代-平安】 10作品
46.『諸葛孔明対卑弥呼』(町井登志夫)
47.『いまはむかし』(安澄加奈)
48.『玉藻の前』(岡本綺堂)
49.『夢源氏剣祭文』(小池一夫)
50.『陰陽師 生成り姫』(夢枕獏)
51.『安倍晴明あやかし鬼譚』(六道慧)
52.『かがやく月の宮』(宇月原晴明)
53.『ばけもの好む中将』シリーズ(瀬川貴次)
54.『風神秘抄』(荻原規子)
55.『花月秘拳行』(火坂雅志)

【鎌倉-室町】 5作品
56.『幻の神器 藤原定家謎合秘帖』(篠綾子)
57.『彷徨える帝』(安部龍太郎)
58.『南都あやかし帖 君よ知るや、ファールスの地』(仲町六絵)
59.『妖怪』(司馬遼太郎)
60.『ぬばたま一休』(朝松健)

【戦国】 10作品
61.『魔海風雲録』(都筑道夫)
62.『剣豪将軍義輝』(宮本昌孝)
63.『信長の棺』(加藤廣)
64.『黎明に叛くもの』(宇月原晴明)
65.『太閤暗殺』(岡田秀文)
66.『桃山ビート・トライブ』(天野純希)
67.『秀吉の暗号 太閤の復活祭』(中見利男)
68.『覇王の贄』(矢野隆)
69.『三人孫市』(谷津矢車)
70.『真田十勇士』シリーズ(松尾清貴)

【江戸】 10作品
71.『螢丸伝奇』(えとう乱星)
72.『吉原御免状』(隆慶一郎)
73.『かげろう絵図』(松本清張)
74.『竜門の衛 将軍家見聞役元八郎』(上田秀人)
75.『魔岩伝説』(荒山徹)
76.『退屈姫君伝』(米村圭伍)
77.『未来記の番人』(築山桂)
78.『燦』シリーズ(あさのあつこ)
79.『荒神』(宮部みゆき)
80.『鬼船の城塞』(鳴神響一)

【幕末-明治】 10作品
81.『でんでら国』(平谷美樹)
82.『ヤマユリワラシ 遠野供養絵異聞』(澤見彰)
83.『慶応水滸伝』(柳蒼二郎)
84.『完四郎広目手控』(高橋克彦)
85.『カムイの剣』(矢野徹)
86.『箱館売ります 土方歳三蝦夷血風録』(富樫倫太郎)
87.『旋風伝 レラ=シウ』(朝松健)
88.『警視庁草紙』(山田風太郎)
89.『西郷盗撮 剣豪写真師・志村悠之介』(風野真知雄)
90.『明治剣狼伝 西郷暗殺指令』(新美健)

【児童文学】 5作品
91.『天狗童子』(佐藤さとる)
92.『白狐魔記』シリーズ(斉藤洋)
93.『鬼の橋』(伊藤遊)
94.『忍剣花百姫伝』(越水利江子)
95.『送り人の娘』(廣嶋玲子)

【中国もの】 5作品
96.『僕僕先生』(仁木英之)
97.『双子幻綺行 洛陽城推理譚』(森福都)
98.『琅邪の鬼』(丸山天寿)
99.『もろこし銀侠伝』(秋梨惟喬)
100.『文学少年と書を喰う少女』(渡辺仙州)



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2022.12.06

上田朔也『ヴェネツィアの陰の末裔』(その二) 自律した個人としての魔術師の道

 16世紀中頃のヴェネツィアの陰で活躍する魔術師たちの姿を描く『ヴェネツィアの陰の末裔』の紹介の後編であります。当時のヨーロッパの政治情勢を背景とした伝奇もの、伝説のウェルギリウスの呪文書を巡る魔術師同士の戦いを二つの軸としつつ、本作にはもう一つの軸があるのですが……

 そう、本作にはもう一つ、その両者を結び――そしてある意味ミクロな意味で展開するするもう一つの軸があります。それは主人公・ベネデットの秘められた記憶――いや彼自身の生を巡る物語であります。
 父と思しき男の死体と、瀕死の母が自分に何かを語り掛ける――そんなショッキングな光景しか、幼い頃の記憶を持たないベネデット。さらにその時に受けたと思しい、頬の醜い傷跡、この時代では排除され狩り立てるられる対象である魔術の素質――それらはいずれも彼にとっては忌まわしきものであり、そしてそれは、今の彼自身の生もまた、はたして価値あるものなのかどうか、という鬱屈した想いに繋がっているのです。

 しかし本作で起きる先に述べた事件の数々は、同時にそんな彼の過去に密接に結びつき、それをきっかけに彼自身の生を見つめ直すことになります。いわば本作は、歴史のマクロな動きと同時に、一人の多感な青年の魂の軌跡を描く物語でもあるのです。


 そしてそんな物語構造を考えた時、魔術師という存在も、その直接的な意味とはまた異なる意味を持ちます。

 本作に登場する魔術師たちは、いずれも超常的な力を持つ存在であります。しかしそれはあくまでも人知によって操られるもの――どれほどこの世の則を超えたように見えても、それ独自の理を持ち、そしてそれを用いる者の才能に左右されるのです。
 その意味では本作で描かれる魔術は一種の技術であり、そしてそれを操る魔術師は、技術者――この時代の様々な工業や美術を生み出した者たち同様、自分自身の手で何かを生み出す術を持つ者といえるのです。

 とはいえベネデットたち魔術師は、他の技術者に比べて、遙かに寄る辺なき立場であるといえます。
 作中で様々な形で語られるように、この時代は、皇帝や王であっても神に、教会に依って立つことが求められた(ある意味最後の)時代でありました。そんな中にあって、魔術師はまさに神に背を向けた(向けられた)存在であり、依って立つところがない身であります。

 しかしそれは同時に、彼ら魔術師が、この時代を支配する神の論理に縛られず、自立した、自律する個人として生きていることを――たとえそれが自ら望んだものではなかったとしても――意味しているともいえます。
 その意味では、本作の魔術師たちは、人間解放の一つの象徴であり――そしてベネデットが繰り広げる、己が何者であるかを知るための苦闘は、その解放のための道程なのです。
(その意味では、終盤で明かされる敵の正体は、そんなベネデットとはまさに対照的な存在であると納得できます)


 スケールの大きな歴史伝奇であるとともに、一人の青年が自己を確立する過程を描く物語でもあるという、様々な魅力を持つ本作。

 そんな物語の中で活躍するベネデットとリザベッタのコンビのほか、ベネデットの周囲の人々――敵か味方か底を見せぬセラフィーニ、同僚で名門貴族の出身にして変人発明家のイルデブランド、かつての師で今は貴族相手の幻影師として働くバルダードといった面々も面白く、キャラクター小説としても楽しませていただきました。

 願わくば、ベネデットたちのこの先の物語を――歴史の陰で己自身の生を力強く生きた魔術師の物語を読みたいものです。


『ヴェネツィアの陰の末裔』(上田朔也 創元推理文庫) Amazon

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2022.12.05

上田朔也『ヴェネツィアの陰の末裔』(その一) ヴェネツィアの史実を巡る魔術師たちの戦い

 周囲の様々な勢力の思惑の中でしたたかに生き残りを模索する16世紀中頃のヴェネツィアで、巨大な陰謀に巻き込まれた「魔術師」たちの姿を描く、伝奇ものにして極めてユニークなスパイものというべき物語――第5回創元ファンタジイ新人賞佳作作品であります。

 様々な勢力の思惑が複雑に絡み合うイタリア半島で、独自の勢力を維持すべく様々な権謀術数を巡らせるヴェネツィア――その中で、己の持つ魔力を武器に諜報活動を行う魔術師たち。
 その一人であるベネデットは、両親が自分の目の前で命を落としたという以外の幼い頃の記憶を失い、孤児院で暮らした過去を持つ青年。そこで魔力を発現し、魔術師を育成する〈学院〉に拾われた彼は、孤児院での幼馴染で護衛剣士となったリザベッタとともにヴェネツィアの繁栄の陰で、人知れず裏の仕事を担ってきたのであります。

 そんなある日情報が入ってきた、異国の魔術師による元首暗殺計画。魔術師たちの束ねであり、外道錬金術師の異名を取るセラフィーニの命の下、密かに警護に入るベネデットたちですが――しかし彼が陽動にかかった隙に仲間の魔術師の一人が敵に捕らわれ、無残な最期を遂げることになるのでした。
 次々と挑発と襲撃を繰り返す敵の正体が、フランス王の使節を隠れ蓑に、ヴェネツィアに潜入した謎の女魔術師であると突き止めたベネデットとリザベッタ。しかもその魔術師が、かつてリザベッタの故郷の村を焼いた張本人であったことから、二人は敵の本拠となっている屋敷への潜入を志願します。

 しかしその屋敷でベネデットが見たものは、彼の数少ない記憶に残った風景と重なるもの。混乱する彼をあざ笑うように仕掛けられた罠にかかったベネデットは、上層部からの尋問を逃れ、敵の企みを阻むため、セラフィーニの指示で危険な任務に挑むことに……


 魔術師が活躍するファンタジー小説はそれこそ無数に存在します。しかし本作はファンタジー世界ではなく、16世紀のヨーロッパを舞台に、かつてローマ帝国やキリスト教勢力によって弾圧された魔術師が密かにその知識を伝え、美と混沌の都・ヴェネツィアで後継者たちが生きていた――という、非常に魅力的な設定で繰り広げられる物語であります。

 それも、ヴェネツィアで彼らが担う役目は、いわば裏仕事、陰の役目――決して表に出ない、それだからこそ重要なミッションに挑むという、いわばスパイものとしての側面が強いのですから驚かされます。
 魔術師の素養のある者を密かに育成する〈学院〉、魔術師とは文字通り死命を共にする契約者・護衛剣士、そして魔術師と護衛剣士が持つ魔力が込められた腕輪(一人六つまで、様々な魔力を事前に込めておくことで呪文の詠唱なしで魔力の使用が可能)――そんなどこかキャッチーな設定も相俟って、本作はいわゆる魔術師ものの中でも、異彩を放つ作品となっています。

 もちろん、本作の魅力はそれだけに留まりません。本作ならではの魅力の一つは、魔術師たちのスパイ戦の背景となる、複雑怪奇な欧州情勢にあります。神聖ローマ帝国、フランス、ヴァチカン、そしてオスマン・トルコ――当時の欧州は、様々な勢力の合従連衡によって成り立っていた、ある意味戦国時代のような状態にあったことはご存知でしょう。
 表向き様々な勢力と均衡状態にあるヴェネツィアにおいて――いやそんなヴェネツィアだからこそ――その水面下で激しく繰り広げられる暗闘の数々を描く本作の物語は、そのそのまま縮図いうべきものなのです。
(正直なところ、西洋史をある程度把握していないと厳しい部分もありますが、本作はそれだけ史実を踏まえて展開しているということでもあるでしょう)

 そう、本作はファンタジーというよりもむしろ伝奇的な側面の強い物語。ヴェネツィアを巡る史実の陰で戦う古の魔術師の末裔たち――本作はその姿を描く歴史伝奇というべき作品なのです。

 しかし本作は同時に、「表の」マクロな歴史だけでなく、「裏の」マクロな歴史を描くものでもあります。かつてガリアが古代ローマに滅ぼされた時、偉大な詩人ウェルギリウスによって記された呪文書――本作は、絶大な魔力を秘めるというその呪文書を巡る暗闘の物語でもあります。
 はたしてそのウェルギリウスの呪文書には何が記されているのか。そしてそれはどこに、誰が隠し持ち――そして何故この時代に至るまで秘匿されてきたのか? 本作の表の軸が欧州諸国の政治的暗闘であるとすれば、裏の軸はこの呪文書を巡る魔術的暗闘――そういってよいかもしれません。


 いや、その二つだけではありません。本作にはもう一つの軸があるのですが――長くなりましたので次回に続きます。


『ヴェネツィアの陰の末裔』(上田朔也 創元推理文庫) Amazon

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2022.12.04

碧也ぴんく『星のとりで 箱館新戦記』第7巻 散りゆく綺羅星 さらば土方

 ついにこの物語にも終わりの時がやってきました。新政府軍の総攻撃を前に、最後の戦いの覚悟を決めた旧幕府の脱走軍。しかしあらゆる方面から迫る新政府軍の猛攻は、確実に彼らを追い詰めていきます。はたしてそんな中、土方の戦いの行方は――『星のとりで』完結であります。

 新政府軍の総攻撃が翌日という状況で、武蔵野楼に集い、それぞれの形で別れの盃を交わす脱走軍の面々。そんな中で土方は、相馬主殿に対して最後の命を下すことになります。これまで新選組において、土方に対して複雑な感情を抱きながらも、付き従ってきた相馬の答えとは……

 そして翌日、予想を遥かに上回る規模で始まる総攻撃。もはや五稜郭の他、依るべき陣も砦もごくわずかという状況で、四方八方から、さらに函館湾の深くから攻撃を仕掛けてくる中では、もはや風前の灯であります。
 その中で、蟻通が、古屋が、伊庭が、春日が、中島が――綺羅星たちが次々と堕ちていく中、それでも新選組とともに戦い抜こうとした土方は……


 こうして物語は、始まったその瞬間から定められていた結末を迎えることになります。当然のことながら、こちらもそれを覚悟の上で読んでいたのですが――しかしいざその時が訪れてみれば、やはり辛いとしかいいようがありません。
 もう少し希望はないものか、一矢報いることはできないものか――無理とわかりつつも思わず祈ってしまうのは、これはここまで追いかけてきた読者であれば無理もない話でしょう。
(そんな中で、弁天台場のタニシ取りの場面は数少ない微笑ましい場面でホッとさせられます)

 そして、土方の運命は――これもまた史実をご存知の方であれば言うまでもないことではあるのですが、しかし「それ」を見せるタイミングが非常に巧みで、こうきたか! と感心いたしました。
 そしてそこで描かれた彼の姿は、すでに前巻のラストで幽明の境を踏み越えた感のあった土方に相応しい――そんな印象があります。


 しかし、物語はまだ終わりません。戦いを締めくくることができるのは、戦いの中で散った者ではなく、生き残った者――そんなことを思わせる形で、物語はこの戦いの結末までを、そしてその先を描いて終わることになります。

 希望に満ちた明日ある少年たちの姿を描くことから始まり、次いでその明日の夢に向かって奮闘する大人たち、そしてその夢のために最後の最後まで戦い抜いた土方を描いてきた本作。
 そしてそこで描かれた戦いの終わりが、五稜郭に最後に残った少年である田村銀之助の言葉がきっかけとなるというのは、これは美しい結末と言ってもよいのではないでしょうか。
(そしてその言葉をある意味逆説的に受け止めて大人としての態度を示すのが、大鳥というのもまたいい)

 もちろん、そこにあるのは美しいものだけでは決してありません。単行本に付されたあとがきのページ(ここまでで一つの作品というべきでしょうか)を見れば、その先に待っていたものも、決して平坦な道程ではないことがわかります。
 特に相馬のその後には、やはり何とも苦い気持ちにならざるを得ないのですが――これは物語として、これ以上付け加えるべきでないものであることは理解できます。

 歴史ものとして見た場合、やはり敵側の視点がほとんどない、ある意味非常に主観的な物語であることが気にならないではありません。しかし、土方や新選組だけでなく、旧幕府軍に――それも本当に様々な身分・出自の面々に脚光を当て、それぞれの立場から描いた(そしてそれがまさにコンセプトであって、主観的なのは当然なのですが)本作は、やはり貴重であり、そして非常に魅力的に感じます。

 幕末に輝いた綺羅星たちの束の間の夢と誠を描いた『星のとりで』、これにて大団円であります。


 なお、この最終巻と同時に電子書籍で刊行された番外篇「親子鶴」は、本編でも断片的に触れられた、新政府軍に捕らえられた近藤勇の死の間際を描いた掌編であります。
 正体が暴かれて尋問を受ける間、豊田市右衛門宅に留められた近藤と、彼のもとに訪れて一緒に折り紙を折る少女の束の間の交流を描く――そんな本作で、本編では描かれることのなかった作者のもう一つの作風に近い内容で、切ない印象を残します。


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2022.12.03

小林久三『真夏の妖雪』(その三) 長英脱獄 真夏の雪が象徴するもの

 小林久三の時代歴史社会ミステリ短編集というべき『真夏の妖雪』の紹介のラストであります。今回は掉尾を飾る表題作を紹介します。

「真夏の妖雪」
 天保十五年七月、江戸で破牢した高野長英が城下に潜入したとの噂に、非常警戒網が引かれた下総古河藩。岡っ引きの蝮の銀次もそれに駆り出されるのですが――その最中に彼も跡継ぎで息子の直吉が、何者かに殺害されたとの報が入ります。
 その懐には真夏だというのに雪があったという、異様な状況に疑問を持ちつつも、息子の仇討ちに異常な執念を燃やす銀次。彼は町に出没する黒ずくめの渡世人に疑いの目を向け、鳥居耀蔵の密偵ではないかと疑うのですが、事態は意外な進展を見せることになります。

 そんな中、「雪」など初めからなかったかのように口を噤む目撃者たち。その一方、親の代から銀次に十手を預けている町廻り同心・間中新八郎は、上役からある命令を受け……

 巻末の表題作は、本書の四分の一を占める中編――冒頭に引用された下総古河藩土井家の家老・鷹見泉石の日誌(おそらくこの部分は創作だと思われますが)にあるとおり、高野長英の脱獄を背景に、それがきっかけで引き起こされた奇妙な殺人事件の顛末が描かれることになります。

 時代小説でも様々に題材となっているこの長英の脱獄ですが、その影響は、単に一囚人の脱獄という治安上・法秩序上の問題に限られません。思想犯というべき扱いであった長英の脱獄は、一種の政治的な事案――長英ら蘭学者を憎んでいた鳥居耀蔵、そしてその後ろ盾である水野忠邦の不興を買うことを恐れた諸藩の動きが、本作の背景にはあります。
 そしてそれ故に銀次の探索も、藩の内側に作られた壁にぶち当たることになることになるのですが――その点も含めて、本作もまた、一種の社会派というべき作品というべきでしょう。

 しかし本作のユニークな点は、物語の中心となるのが岡っ引きの銀次という点でしょう。蝮の仇名を持つように、執念深く陰険で暴力的という、ある意味史実の上の岡っ引き像に忠実な人物(そしてその息子の直吉も、タイプこそ違えやはり同様の人物)として描かれる銀次は、とても本作のような物語の中心となるには相応しくないような人物であります。
 しかし結末に至り、そんな明らかに読者の感情移入を拒む彼の存在が本作には必要であったことが、理解できるようになるのです。

 歴史には偉人というべき人物は確かにいます。しかしその命は、本当に他者よりも価値あるものなのか。偉人ではない者、周囲から爪弾きにされるような者の命は、価値ないものとして打ち捨てられるしかないのか――本当は既に答えが出ているのかもしれないこの問いかけに対して、本作は悲痛な異議申し立てを行っているといえるでしょう。
 そしてもう一つ、本作の鍵となる真夏の雪の存在もまた(物語背景と合致したものであるのはもちろんのこと)、歴史における「価値あるもの」というものを逆説的に象徴している――そう感じさせられます。

 三度笠の男絡みのエピソードなど、ちょっと時代ものを意識するあまり浮いてしまった感はあるのですが(いくら何でもちょっと強すぎるでしょう……)、しかしそうした点を差し引いても、表題作に相応しい時代社会ミステリの佳品であることは、間違いありません。


 以上六編、正直なところ読んでいて気が重くなるような作品ばかりではあるのですが、しかしこうした作品が描かれるべき意味があったことは――いや、今に至ってもあることは間違いありません。この時期に手に取ったのは偶然ですが、読む価値のあった、そして社会派ミステリというものの意義を考えさせられた一冊です。


『真夏の妖雪』(小林久三 講談社文庫) Amazon

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2022.12.02

小林久三『真夏の妖雪』(その二) 残酷な時代の流れに取り残された者の視点

 小林久三の歴史ミステリ短編集『真夏の妖雪』、後半の作品の紹介であります。前半はいずれも明治・大正を舞台とした作品でしたが、ラスト二編は江戸時代が舞台となります。

「雪の花火」
 京都で起きた殺人事件で警察に捕らえられた被害者の妾・葉子。犯行を認めた葉子ですが、密かに彼女に想いを寄せる高等遊民・本木は、犯行時刻に彼女を別の場所で目撃していたことから、無実を信じて独自に調査を始めることになります。
 そんな中、葉子の弟が、犯行現場近くで京電(路面電車)の先走りを務めていることを知った本木。弟の犯行を疑う本木ですが、電車の運転手から事件当日のある事実を聞き……

 本書の中では直接史実に絡むわけでもなく、小品に近い印象のある本作。殺人事件のトリックも大掛かりなものではないのですが、しかしこの時代ならではの、ちょっと現代人ではすぐには思いつかないものとして、印象に残ります。
 しかし直接ではないものの、本作においては、物語の背景として描かれる日露戦争の旅順攻防戦が、ラストで思わぬ形で本筋と結びつくことになります。葉子には一方的に想いを寄せるだけで、実際には一度も言葉を交わしていない本木のように、そんな本作の構図からは、この国における決して交わることのない二つの世界――一種の分断の形が感じとれるのです。


「「解体新書」異聞」
 古河で漢方医を営む迂斎のもとに担ぎ込まれた怪我人――それはかつて彼の弟子であり、娘と通じながらも裏切って蘭学医に鞍替えした男・順平でした。迂斎の凋落の原因を作り、娘を心身ともに傷つけた順平に殺意を向ける迂斎ですが――しかし彼が目を離したわずかな間に、順平は忽然と姿を消してしまったのであります。
 そして翌日、離れた場所で、何者かに引き裂かれたような無惨な姿で見つかった順平。その現場で迂斎は、解剖図である『解屍篇』を著した藩医・河口信任と出会うのですが……

 冒頭に述べたとおり、ここから二編は江戸時代を舞台とした時代ものとなります。その一編である本作のタイトルには「解体新書」の文字がありますが、物語の視点はある意味その反対側――漢方医学側から描かれることになります。

 基本的に蘭方医学を題材とした物語の場合、漢方医学は、それと敵対するもの、旧態依然・頑迷固陋な存在という描写がほとんどであり、それは本作の主人公というべき迂斎においても同様ではあります。しかし本作で迂斎を通じて描かれるのは、現代の我々が見落としている視点――当時においてはそれがむしろ自然であり、当然であった視点からの物語なのです。

 彼自身には責任のない時代の流れに押し流され、取り残された迂斎。本作で描かれる事件は、そんな残酷な時代の趨勢の、一つの象徴ともいえます。
 そんな物語の結末で語られる迂斎の姿――それは、冒頭にその著述が引用されている河口信任の作中の(いささか極端な)言動と対比した時、決して異常でも非難されるべきものではなかったことが、その時代の先に生きる我々にも理解できることでしょう。

 そんな本作ですが、ミステリのトリックとしては、本書で最も凝った部類に入るかもしれません。
 迂斎が真実に気づくきっかけも巧みなのですが、最も印象に残るのは、被害者の死体が何故そのような姿となったか、という点でしょう。冷静に考えればヒントはあるのですが、しかし物語の展開と結びついて示されるその答えには、やはり脱帽です。


 想定外に長くなってしまいました。ラストの表題作「真夏の妖雪」の紹介は、次回といたします。


『真夏の妖雪』(小林久三 講談社文庫) Amazon

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2022.12.01

小林久三『真夏の妖雪』(その一) 明治・大正が舞台の社会派ミステリ!?

 映画人であり、社会派を中心としたミステリ作家であった小林久三は、歴史もの・時代ものも少なからず手がけています。全六編を収録した本書は、その多くが社会派歴史ミステリというべき、ユニークな短編集です。以下、一作品ずつ内容を紹介しましょう。

「焼跡の兄妹」
 関東大震災で、奉公していた亀戸駅前の店が全滅し、ただ一人生き残って町を彷徨していた志乃に声をかけてきた見知らぬ青年。自分はお前の兄だというその青年・正之の、優しくも有無を言わせぬ態度に、志乃は言われるままに彼の家に伴われることになります。
 正之の母、そして姉と名乗る女性たちとともに奇妙な同居生活を始めた志乃。正之の正体とは、そしてその目的とははたして……

 身寄りをなくした少女が、町で声をかけられた見知らぬ青年の妹にされてしまうという、奇妙な味の短篇のような本作。しかし物語の背景となっていた時と場所が前面に出てくるにつれて、それは非情で理不尽な、しかし現実の物語へと転じていくことになります。
 登場人物たちの間に生まれかけていた、緩やかな感情の繋がりを全て断ち切るような、あまりに残酷な結末には言葉を失うのですが――しかし昨今の報道を見るにつけ、我々の生きる時代は、確かにこの延長線上にあると感じさせられるのです。


「海軍某重大事件」
 大正三年二月のある日発見された若い男の水死体。上司の武見警部とともに捜査を開始した滝上巡査は、死体の身元がタクシー運転手であり、彼が数日前から客に妙な疑いをかけられたと塞ぎ込んでいたことを知ります。
 馴染み客であったとある商会の重役を乗せた後、男が大金等の入った風呂敷包みを車内に忘れたと騒いだものの車の中に品物はなく、運転手が疑われることとなった――疑いを気に病んだ運転手の自殺とも思われた事件ですが、その客は昨今世間を騒がしている海軍収賄事件の関係者と知った滝上たちは……

 若い巡査と定年間際のベテラン警部が、市井のささいなものと思われた事件から、一大疑獄事件に繋がる糸を見つけ、核心に迫っていく――驚くほどに昭和の社会派ミステリ的な設定と展開の本作ですが、舞台となるのはもちろん大正時代であり、題材となるのも、この時代に興味がある方であれば、すぐに気づく史実であります。

 言ってみれば本作は、社会派ミステリと歴史ミステリの融合――というより前者のスタイルに後者を当てはめたものと言えますが、しかし違和感がまったくないのは、今(当時)も昔も、そして令和の今も、このような事件が絶えることがないからなのでしょう。
 ミステリ的にはシンプルな内容ですが、そこにもう一人人物を絡めることで、事件の構図を複雑かつやりきれないものに変えているのも巧みであります。

 それにしても、海軍の力を弱め陸軍の暴走を招く遠因となったという説もある事件を描いた作品のタイトルが、その暴走の一つの極みを指す言葉のもじりというのは、皮肉というべきか……
 もう一つ、この時代のタクシー運転手が高給取りで、滝上巡査が特権階級という感慨を抱く場面は、本筋とはあまり関係ないものの、印象に残ります。


「血の絆」
 明治三十四年、明治天皇の行幸の下で行われる秋季陸軍大演習を前にして、前年からの赤痢の流行を食い止めるべく奔走していた宮城県警。その検疫部の二宮警部は、県内巡回の途中に通りがかった村はずれの小屋で、駐在の巡査が何者かに殺されたのを発見するのでした。
 隔離病舎として作られた粗末なものながら、小屋には内側から閂がかけられ、犯人の出入りの痕跡はない――いわば密室殺人に頭を悩ます二宮警部。誰がどうやって、そして何故巡査を殺したのか――警部がたどり着いた「真犯人」とは……

 自治体を挙げての一大イベントの目前に発生した疫病の流行とそれに翻弄される人々――と、はからずも本書の中でも特にいま我々に深く刺さる作品となってしまった本作。
 疫病を食い止めようと奔走する専門家と、知識と理解の不足から結果としてそれを妨げる庶民という構図は、ある意味古今東西のパンデミックものの定番かもしれませんが、本作の場合はそれが特に残酷な結果を招くことになります。

 ハウダニットはかなりシンプルながら、ホワイダニットという点では極めて重く、やりきれないものを残すのは、それが現実にも容易に起こりかねないものだと、我々が実感しているからでしょう。時を越えて強烈な現実性を持ってしまった作品であります。


 後半三作品は次回紹介いたします。


『真夏の妖雪』(小林久三 講談社文庫) Amazon

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