入門者向け時代伝奇小説百選

 約十年前に公開した「入門向け時代伝奇小説五十選」を増補改訂し、倍の「百選」として公開いたします。間口が広いようでいて、どこから手をつけて良いのかなかなかわかりにくい時代伝奇小説について、サブジャンルを道標におすすめの百作品を紹介いたします。

 百作品選定の基準は、
(1)入門者の方でも楽しめる作品であること
(2)絶版となっていないこと、あるいは電子書籍で入手可能なこと
(3)「原則として」シリーズの巻数が十冊以内であること
(4)同じ作家の作品は最大3作まで
(5)何よりも読んで楽しい作品であること の5つであります

 百作品は以下のサブジャンルに分けていますが、これらはあくまでも目安であり、当然ながら複数のサブジャンルに該当する場合がほとんどです(また、「五十選」の際のサブジャンルから変更した作品もあります)。
 そのため、関連のあるサブジャンルについては、以下のリストからリンクしている個々の作品の紹介に追記いたします。

【古典】 10作品
1.『神州纐纈城』(国枝史郎)
2.『鳴門秘帖』(吉川英治)
3.『青蛙堂鬼談』(岡本綺堂)
4.『丹下左膳』(林不忘)
5.『砂絵呪縛』(土師清二)
6.『ごろつき船』(大佛次郎)
7.『美男狩』(野村胡堂)
8.『髑髏銭』(角田喜久雄)
9.『髑髏検校』(横溝正史)
10.『眠狂四郎無頼控』(柴田錬三郎)

【剣豪】 5作品
11.『柳生非情剣』(隆慶一郎)
12.『駿河城御前試合』(南條範夫)
13.『魔界転生』(山田風太郎)
14.『幽剣抄』(菊地秀行)
15.『織江緋之介見参 悲恋の太刀』(上田秀人)

【忍者】 10作品
16.『甲賀忍法帖』(山田風太郎)
17.『赤い影法師』(柴田錬三郎)
18.『風神の門』(司馬遼太郎)
19.『真田十勇士』(笹沢佐保)
20.『妻は、くノ一』シリーズ(風野真知雄)
21.『風魔』(宮本昌孝)
22.『忍びの森』(武内涼)
23.『塞の巫女 甲州忍び秘伝』(乾緑郎)
24.『悪忍 加藤段蔵無頼伝』(海道 龍一朗)
25.『嶽神』(長谷川卓)

【怪奇・妖怪】 10作品
26.『おそろし』(宮部みゆき)
27.『しゃばけ』(畠中恵)
28.『巷説百物語』(京極夏彦)
29.『一鬼夜行』(小松エメル)
30.『のっぺら』(霜島ケイ)
31.『素浪人半四郎百鬼夜行』シリーズ(芝村涼也)
32.『妖草師』シリーズ(武内涼)
33.『古道具屋皆塵堂』シリーズ(輪渡颯介)
34.『人魚ノ肉』(木下昌輝)
35.『柳うら屋奇々怪々譚』(篠原景)

【SF】 5作品
36.『寛永無明剣』(光瀬龍)
37.『産霊山秘録』(半村良)
38.『TERA小屋探偵団 未来S高校航時部レポート』(辻真先)
39.『大帝の剣』(夢枕獏)
40.『押川春浪回想譚』(横田順彌)

【ミステリ】 5作品
41.『千年の黙 異本源氏物語』(森谷明子)
42.『義元謀殺』(鈴木英治)
43.『柳生十兵衛秘剣考』(高井忍)
44.『ギヤマン壺の謎』『徳利長屋の怪』(はやみねかおる)
45.『股旅探偵 上州呪い村』(幡大介)

【古代-平安】 10作品
46.『諸葛孔明対卑弥呼』(町井登志夫)
47.『いまはむかし』(安澄加奈)
48.『玉藻の前』(岡本綺堂)
49.『夢源氏剣祭文』(小池一夫)
50.『陰陽師 生成り姫』(夢枕獏)
51.『安倍晴明あやかし鬼譚』(六道慧)
52.『かがやく月の宮』(宇月原晴明)
53.『ばけもの好む中将』シリーズ(瀬川貴次)
54.『風神秘抄』(荻原規子)
55.『花月秘拳行』(火坂雅志)

【鎌倉-室町】 5作品
56.『幻の神器 藤原定家謎合秘帖』(篠綾子)
57.『彷徨える帝』(安部龍太郎)
58.『南都あやかし帖 君よ知るや、ファールスの地』(仲町六絵)
59.『妖怪』(司馬遼太郎)
60.『ぬばたま一休』(朝松健)

【戦国】 10作品
61.『魔海風雲録』(都筑道夫)
62.『剣豪将軍義輝』(宮本昌孝)
63.『信長の棺』(加藤廣)
64.『黎明に叛くもの』(宇月原晴明)
65.『太閤暗殺』(岡田秀文)
66.『桃山ビート・トライブ』(天野純希)
67.『秀吉の暗号 太閤の復活祭』(中見利男)
68.『覇王の贄』(矢野隆)
69.『三人孫市』(谷津矢車)
70.『真田十勇士』シリーズ(松尾清貴)

【江戸】 10作品
71.『螢丸伝奇』(えとう乱星)
72.『吉原御免状』(隆慶一郎)
73.『かげろう絵図』(松本清張)
74.『竜門の衛 将軍家見聞役元八郎』(上田秀人)
75.『魔岩伝説』(荒山徹)
76.『退屈姫君伝』(米村圭伍)
77.『未来記の番人』(築山桂)
78.『燦』シリーズ(あさのあつこ)
79.『荒神』(宮部みゆき)
80.『鬼船の城塞』(鳴神響一)

【幕末-明治】 10作品
81.『でんでら国』(平谷美樹)
82.『ヤマユリワラシ 遠野供養絵異聞』(澤見彰)
83.『慶応水滸伝』(柳蒼二郎)
84.『完四郎広目手控』(高橋克彦)
85.『カムイの剣』(矢野徹)
86.『箱館売ります 土方歳三蝦夷血風録』(富樫倫太郎)
87.『旋風伝 レラ=シウ』(朝松健)
88.『警視庁草紙』(山田風太郎)
89.『西郷盗撮 剣豪写真師・志村悠之介』(風野真知雄)
90.『明治剣狼伝 西郷暗殺指令』(新美健)

【児童文学】 5作品
91.『天狗童子』(佐藤さとる)
92.『白狐魔記』シリーズ(斉藤洋)
93.『鬼の橋』(伊藤遊)
94.『忍剣花百姫伝』(越水利江子)
95.『送り人の娘』(廣嶋玲子)

【中国もの】 5作品
96.『僕僕先生』(仁木英之)
97.『双子幻綺行 洛陽城推理譚』(森福都)
98.『琅邪の鬼』(丸山天寿)
99.『もろこし銀侠伝』(秋梨惟喬)
100.『文学少年と書を喰う少女』(渡辺仙州)



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2023.12.05

『名探偵の生まれる夜 大正謎百景』(その二)

 青柳碧人による、実在の有名人たちを配置して描く大正ミステリ短編集の紹介、第二回であります。

「都の西北、別れの歌」
 学生時代におかしな縁で知り合い、大変世話になった島村抱月が亡くなったと知った吉岡信敬。芸術座の二階にある居室で亡くなった抱月の遺体を一階の舞台に降ろそうとした信敬は、舞台の上手に建築意図が不明の階段があることを知ります。
 なんとかその階段を使って遺体を下ろし、葬儀準備を進める信敬は、舞台の下手のこれも不思議な位置に、小さな引き戸があることに気付くのですが……

 本作の探偵役は、横田順彌の明治ものでお馴染みの、早稲田の応援隊長――バンカラやじひげ将軍こと吉岡信敬。バンカラの権化のような信敬ですが、人間的には正反対の抱月と交流があり、そして抱月の愛人である松井須磨子ともかつて出会っていたことから、抱月と芸術座劇場にまつわる「謎」に関わることになります。

 はたして階段は、窓はなんのためにあるのか? そこに信敬が見出した精神は、早稲田出身者であればよく理解できると思うのですが(作者も早稲田出身)――その推理をひっくり返して、ある意味極めて現実的な解を示す松井須磨子の言葉は(彼女の早稲田人評が極めて的確なこともあって)何とも言えぬほろ苦さと切なさを残します。


「夫婦たちの新世界」
 妻である自分に比べて、最近パッとしない鉄幹を元気付けるため、最近できたばかりの新世界に連れ出した与謝野晶子。しかし鉄幹が昔の女の話をしたのに怒った晶子は、一人、新世界上空を渡るのロープウェーに乗ることになります。
 しかしそのロープウェーが事故で止まり、宙ぶらりんとなったことを知って駆けつけた鉄幹は、園内で出会った青年から、ある事実を聞かされることに……

 社会進出等、女性の自立性の点で大きな変化があった大正時代。しかしそうであっても女と男がいるのが世の中、そこにギャップが生まれるのは不可避であります。本作はそんな自立的な女性の先駆けというべき与謝野晶子とその夫・鉄幹をはじめとする夫婦たちを通じて、その姿を浮き彫りにします。

 ミステリとしてはロープウェーが宙吊りとなった出来事のホワイダニットを描くものですが、その謎と上で述べた夫婦たちの絡め方も実にユニークです。
 そしてもう一つ、ユニークといえば、本作の探偵役――ボーイスカウトの制服を着た青年社長の正体にも驚くと同時に、不思議に納得されられるのです。


「渋谷駅の共犯者」
 週に一度、帝大の農事試験場で研究を行い、帰りに渋谷駅で愛犬のハチ公に迎えられるのが習慣だった上野英三郎。しかしある日、彼は渋谷駅で研究資料を奪われ、駅員の証言から、スリの仕業が疑われるのでした。
 スリのことはスリと意見を求められたのは、巣鴨刑務所に服役中の仕立屋銀次――英三郎に面会を求めてきた銀次は、幾つかの質問の末に何事かに気付いたようで……

 近代農業土木学の開祖である上野英三郎――現代ではむしろ渋谷の忠犬ハチ公の飼い主として記憶されているかもしれないこの人物を中心とする本作の探偵役は、なんと日本一のスリの大親分として知られた仕立屋銀次であります。
 様々な実在の人物の顔合わせを描く本書の中でも、その意外性という点では随一ですが――しかし銀次は当時服役中、その状態から英三郎の言葉だけで真相を推理する、いわば安楽椅子探偵を務めるというのですから、二重に驚かされます。

 しかし本作の真の驚きは結末に待ち受けます。本作の題名である「共犯者」とは誰なのか――爽快さと微笑ましさすら感じられるどんでん返しに驚嘆すると同時に、その先の史実に切ない思いを抱かされる、そんな佳品であります。


 次回、最終回に続きます。


『名探偵の生まれる夜 大正謎百景』(青柳碧人 KADOKAWA) Amazon

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2023.12.04

『名探偵の生まれる夜 大正謎百景』(その一)

 つい先日、第六回細谷正充賞を受賞したユニークなミステリ、大正時代を舞台に、実在の有名人が探偵役を務める作品を中心とした全八話の短編集であります。様々な事物が大きく変化していった大正時代、そこに生きた人々が見たものは……

 青柳碧人といえば、『浜村渚の計算ノート』シリーズ、最近では『むかしむかしあるところに、死体がありました』の昔話シリーズと、ユニークな趣向のミステリを得意とする作家という印象があります。
 本作も、大正時代を舞台に、有名人を探偵役にしたミステリという点では極めてユニークではありますが、一種の時代伝奇ものとしても、あるいは歴史小説としても読み応えのある作品が収録されています。

 収録された全八編は基本的に全て独立した作品ですが、それぞれに魅力的な作品であるため、一作ずつ紹介させていただきます。


「カリーの香る探偵譚」
 岩井三郎の探偵事務所に、探偵志願で乗り込んできた学生・平井太郎。国外追放処分になりながら行方をくらまして話題となっていたインド人活動家・ボースの行方はどこか、という課題を出された平井は、三日でボースを探すと飛び出していくのでした。
 インド人といえばカレーと、最近何故か店からカレーの香りがするようになった新宿中村屋に潜入する平井ですが……

 本作は平井太郎――後の大作家が、日本で姿を消したインドの独立運動家ボースの行方を追う一編。その知名度や作風のためか、日本で有名人が探偵役を務める作品に登場する率がかなり高い人物が主人公だけに、どんな謎解きが展開されるのか、冒頭から胸躍ります。
 といっても本作は、一種の素人探偵もの――素人が見当違いな推理で事件に首を突っ込んで周囲を混乱させる――といった味わいで、大いに事態をかき回してくれます。

 ところが史実を知る者にとっては、「おや?」という展開になるのですが――ここで本作の巧みな仕掛けが機能します。史実を活かしつつも、ミステリとしても捻りを加えた、本書の巻頭に相応しい一編であります。


「野口英世の娘」
 若き日の米国滞在中に知り合い、意気投合した星一と野口英世。帰国して実業家として大成した一は、医学者として名を上げた英世の帰国費用を出して迎えることになります。
 しかし帰国した英世の前に現れたのは、彼の娘を名乗る少女。かつて英世と一夜を共にした女の子供だという少女が騙りではないかと疑い、素性を調べる一ですが……

 星新一の父であり、日本の製薬王と呼ばれた星一が、野口英世と親交があったことは、意外と知られていないのではないでしょうか。一方、英世が、かなり破天荒な人となりであったことは、こちらは比較的知られているかもしれません。
 本作はそんな二人の史実を踏まえて描かれる物語。まあ英世であれば隠し子がいてもおかしくなさそうですが、その真偽を見破るというのは、この時代ならではの難題でしょう。その難題が、とんでもないところから解決する展開が愉快であります。

 結末は、一見甘いように見えるかもしれませんが――一と英世の過去が、新たな未来への希望に繋がっていく結末は、爽やかな後味を残します。


「名作の生まれる夜」
 「赤い鳥」創刊のための作品集めに奔走する鈴木三重吉。芥川龍之介に声をかけた三重吉は、はかばかしい反応を見せない龍之介の気を引くため、自分の家の近所で起きた出来事を語ります。
 二年間磨き清めた檜の板に願い事を書いて奉納すれば、願い事が叶うという神社。恋に悩んでいた男がこの神社に願ったところ、男が世話していた亀の弔いをしたことがきっかけで、恋が実ったというのです。しかし話を聞いた龍之介は、意外なことを言い出し……

 分量的には本書の中で最も少ないものの、ミステリとしての完成度としては、最も高いのではないかと思われる本作。
 日本の児童文学を語る上で欠かすことができない「赤い鳥」誕生前夜を舞台に、日常の謎――というより、身近のふとした出来事の中に、ある種の人間心理の存在を見て取る芥川龍之介の鋭い視線は、まさに名探偵というに相応しいものでしょう。

 この推理がある名作に繋がって――という趣向も(定番とはいえ)楽しく、本作のタイトルが、本書のそれのベースとなったであろうことも納得の名品であります。


 次回に続きます(全三回予定)


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2023.12.03

楠桂『鬼切丸伝』第18巻 美しく とても美しく 美しすぎる姫が招く鬼

 鬼を斬るために永遠をさすらう鬼切丸の少年を通じて、人の歴史の陰の部分を描く『鬼切丸伝』の最新巻は、美しすぎる姿が周囲に不幸を招く姫、妻への愛のために千人斬りを志す男、人々のために起った義民を襲う悲劇――三つの物語が収録されています。

 この世で唯一鬼を斬ることができる神器名剣・鬼切丸を振るう名のない少年――彼が様々な時代で出会う鬼と、様々な人の愛憎の姿を描く本作。
 この巻の冒頭の「鬼観音初音姫」は、戦国時代の伝説の姫、九鬼澄隆の娘である初音姫にまつわる物語であります。

 生まれついて周囲の者を惹きつけずにはおかない美しさを持ち、結婚を求める者が引きも切らなかった初音姫。そんな彼女には、越賀玄蕃允という相思相愛の相手がおりました。
 しかし玄蕃允は九鬼家にとっては敵方、父の決めた相手に嫁がされそうになったのを拒んだ初音は、城に幽閉されることになります。己の美しさが不幸を招いたことを嘆いた彼女は、以後はこの地に美しい女が生まれないようにと願いながら、井戸に飛び込んだ……

 概略このように伝わる初音姫の伝説。本作もそれをほぼ敷衍しているのですが――作中で逃げる初音に斬りつけた相手の刀が、逸れて地蔵の首に当たるのも伝説通りであります――しかし本作で「美しく とても美しく 美しすぎて」と現される初音姫の存在感は、伝説を遙かに上回るものといえます。
 何しろその美しさは無自覚に周囲を惑わせ、彼女を守ろうとするあまりに周囲の者が鬼と化すほどなのですから。

 もちろんそんな初音の存在を、少年が放っておくはずがありません。作中で触れられるように、これまでその美によって、無自覚に鬼を生み出す者はおりました。あるいは、自分は無垢のまま、人を追にに変える者もいました。
 初音もそんな存在と見做して、命を絶とうとする少年ですが――しかし初音姫の場合は、それとはまた異なる、そして桁違いの力を持つ存在であるといえます。あの、人間も女も嫌いな少年が、思わず言うことに従いそうになるのですから、尋常ではありません。

 そんな彼女が自ら命を絶つのは、その絶望ゆえですが、実はここまでが前編。本作の愛読者であれば予想がつくと思いますが、彼女が死の際に残した願いは強固な呪いと化し、この地に更なる災いと悲しみを招く模様が、後編で描かれることとなります。
 その呪いの有り様たるや、実に本作らしいというべきか作者らしいというべきか――その残酷さには、胸が痛むほどであります。

 正直なところ、後編の結末はかなり甘いようにも思われるのですが、しかし怪異としての己と初めて向き合った初音姫の姿は確かにこの上なく美しく、そこに一つの救いを感じるのです。


 また、辻斬りにあって死んだはずの妻から、千人を斬れば自分は蘇生できると告げられた男が、辻斬りの鬼と化す「辻斬り鬼願」は、江戸時代に実在したらしい辻斬りを題材としたエピソード。
 物語自体はシンプルに見えますが、終盤にガラリと全ての構図が変わる展開が巧みであります。

 一方、ラストの「佐倉鬼義民伝」は、千葉県民であれば誰もが知っている(?)佐倉惣五郎伝説を題材としたエピソードです。
 領主・堀田正信の苛政を将軍に直訴した末に妻子ともども処刑された惣五郎が、怨霊と化し、ついには正信を狂わせて藩を滅ぼした――という伝説自体が、既に祟りの物語であるわけですが、本作ではそこに鬼の存在を絡め、新たな物語を描き出します。

 本作に登場する、惣五郎の叔父であり、鬼と化して修羅道に堕ちた者すら成仏させる高僧・光善和尚――しかし、惣五郎一家の処刑に際し、この少年すら驚かせた高僧が抱いた絶望が、物語をさらに苦いものに変えていくことになります。
 同じ生者が変じた存在であっても、既に人ならざる存在である鬼と、あくまでも人である怨霊は、本作では明確に区分された存在ですが――それを踏まえた皮肉極まりない結末も印象に残るエピソードです。


 連載の方はついに百話を数えたとのことですが、歴史に鬼の種は尽きまじ――はたして現代に辿り着くまでに、少年がどれほどの鬼と出会うのか、まだまだ見守る必要がありそうです。


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2023.12.02

ジェイムズ・ラヴグローヴ『シャーロック・ホームズとサセックスの海魔』 邪神大決戦! ホームズ最後の挨拶

 あのシャーロック・ホームズがクトゥルー神話の邪神と対決するクトゥルー・ケースブックの完結編であります。時は流れ、サセックスで隠退生活を送るホームズ。しかし突然の悲報に、彼は再び起つことになります。ドイツ人スパイの暗躍と、宿敵の再来と――死闘の末に、彼が選んだ道とは?

(以下、本作を含めたシリーズ全三作の内容に触れますのでご注意ください)
 名探偵シャーロック・ホームズの生涯は、実はクトゥルー神話の邪神との戦いに捧げられたものだった。かのホームズ譚は、そのカムフラージュのために、相棒であるワトスンが記したものだった――という、大胆極まりない設定で展開してきたクトゥルー・ケースブックシリーズ。
 その第一作『シャーロック・ホームズとシャドウェルの影』では、出会ったばかりのホームズとワトスンが邪神の存在を知り、ナイアーラトテップの力を操るモリアーティ教授と対決する姿が――そして第二作『シャーロック・ホームズとミスカトニックの怪』では、その十五年後、一人の精神病患者の失踪をきっかけに、邪神ルルイログに変じたモリアーティとの戦いが描かれました。

 そして第三作にして完結編の本作で描かれるのは、第一作から三十年後、数々の戦いの末に邪神の勢力をある程度押さえ込み、サセックスに隠退したホームズの姿であります。
 冒頭、久々に訪ねてきたワトスンとともに、邪教徒の陰謀を粉砕したホームズ。しかしその直後に飛び込んできたのは思わぬ悲報――あのマイクロフトの死の知らせでした。

 錯乱した様子でホームズに電話した直後に、飛び降り自殺したとおぼしきマイクロフト。それだけでなく、マイクロフトと共に邪神の脅威に立ち向かっていたダゴン・クラブの構成員たちが、皆謎の死を遂げたことを知ったホームズは、執念の捜査で事件の影にドイツ人スパイ、フォン・ボルクがいることを突き止めるのでした。

 そしてボルクとの対決の末、その背後で糸を引くドイツ大使フォン・ヘルリングの元に乗り込んだホームズとワトスン。しかし二人は、罠にかかった末、かつてのイレギュラーズ――蛇人間に引き渡されることになります。
 大きな犠牲を払いながらも辛くも窮地を脱し、サセックスに戻ってきた二人。しかしそのサセックスでは、土地に伝わる伝説の海魔が霧の夜に出現し、既に三人の女性が攫われたというではありませんか。

 海魔の出現を待ち伏せし、その正体を暴いた二人。しかしそれは、二人を待ち受ける新たな、そして最後の苦闘の幕開けに過ぎなかったのでした……


 ホームズが晩年にサセックスに隠退し、養蜂生活を送った――これはいうまでもなく、聖典の「最後の挨拶」等で描かれたものであります。ボルク、ヘルリングと、本作の下敷きとなっているのはこの「最後の挨拶」ですが――しかし本作の内容は、そこから大きく離れた、奇怪なものであることは言うまでもありません。
 実は上で述べたあらすじは、全体のほぼ半分辺りまで。そこからの物語は、予想だにしなかった(しかしラヴクラフトのある作品を連想させる)場で展開し、そして全編のクライマックスに相応しい地に至ることになります。

 正直なところ(これまでのシリーズ同様)ホームズが名探偵として推理を働かせるシーンはそれほど多くなく、また、魔術ではなく推理で怪異に立ち向かって欲しかったという想いは強くあります。
(特にボルクに対してのあれは、場合が場合とはいえ流石に嫌悪感が……)

 とはいえ、絶望的なまでに強大な敵を前にした絶体絶命の状況から、ほんのわずかなひらめきから逆転してみせるのは、邪神の脅威に対する人間の叡智の勝利の姿を描いたものとして、実に痛快というほかありません。
 特に本作で死命を決したものは、ある種の人間性というべきものであり――大きな皮肉と、幾ばくかの切なさを感じるそれは、物語の締めくくりとして印象に残ります。

 そしてクライマックスで繰り広げられる大激闘や、結末に待つオチなど、作者は本当に好きなのだなあと、何だかんだ言いつつ、すっかり嬉しくなってしまうのです。


 シリーズがここで完結するのは、寂しいところではありますが、やむを得ないことでしょう。見事な大団円――最後の挨拶であったと思います。
 そして、実はシリーズには今年出たばかりのスタンドアローン長編があるとのこと(大丈夫だったのかラヴグローヴ)。おそらくは邦訳されるであろう同作を、楽しみに待ちたいと思います。


『シャーロック・ホームズとサセックスの海魔』(ジェイムズ・ラヴグローヴ ハヤカワ文庫FT)

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2023.12.01

安達智『あおのたつき』第12巻 残された二人の想いと、人生の張りということ

 ついに電子書籍と紙の書籍が同時発売となり、絶好調の『あおのたつき』、この第12巻のメインとなるのは、あお=濃紫が亡き後に現世に残された人々の物語。濃紫に恋していた幇間の猪吉と、その猪吉に恋する濃紫の同輩・夕顔。すれ違う想いの行方は……

 かつて吉原の三浦屋にその人ありと知られながらも、生き別れの妹を救おうと逸った末に、間夫の権八の手にかかって命を落とした濃紫。妹に対するわだかまりを抱えた末に彼女が冥土の吉原で取った姿があおというわけですが――この巻のメインとなるエピソード「通い猫」では、彼女亡き後の吉原が舞台となります。

 密かに濃紫に恋し、時にはその足抜けをフォローしながらも、結局は彼女を救うことができず、死に至らしめてしまったことに深い悔恨の念を抱き続ける猪吉。一方、濃紫の同輩であり、最も彼女と近しい間柄だった遊女の夕顔は、密かに猪吉に想いを寄せていたのですが――それがもはや押さえきれなくなった末に、客を取れない状態になってしまうのでした。

 いまや三浦屋を背負う身の夕顔にやる気を起こさせるために、店に因果を含められた猪吉は、夕顔を床に入ることになるのですが……


 かつて恐丸の試練の中で明かされたあおの過去。それはどうにもやり切れない、あまりにも救いのないものでしたが――しかし彼女の死後も、苦界に身を置く者たちは生き続けなければなりません。
 今回描かれるのは、まさにそんな者たちの物語――それも、店の幇間と遊女の禁断の恋の物語であります。

 いうまでもなく、店の者(店に出入りする者)と遊女の色恋沙汰はきつい御法度。明るみに出れば制裁の対象となるものですが――しかし、禁じられたくらいで押さえられるはずもないのが恋の炎というもの。ましてや当事者の二人は、濃紫という故人を失い、大きな喪失感に苦しめられる者たちであります。
 といってもここで複雑なのは、二人の関係が、夕顔が恋する猪吉にその気はなく、猪吉が恋するのは亡き濃紫であるという、一種の三角関係というか、二重の一方通行であるということであります。

 それでももはや己の想いを隠すことなく滾らせる夕顔の姿には、これまで本作の中で描かれてきた数々のキャラクターの中でも、ある意味最も生々しいパワーを感じさせられる――というより、ただただ圧倒される、というほかありません。
 もはや行き着くところに行っても止まりそうにない――そしてその果てに待つのは、破滅しかない――と思われた夕霧。そんなを止めることができる人物はといえば、言うまでもないでしょう。

 己の想いと己の所業との板挟みになった果てに、冥土の吉原に迷い込んだ夕顔と、顔をつきあわせることとなったあお。
 そこで彼女が語る言葉は、ある意味その場しのぎなのかもしれません。しかし人生はその場その場の連続。そしてそれが長い人生に張りを与えるのであれば、それは一つの救いと言うべきでしょう。

 結局何一つ変わらない、変えられない、それでも――このエピソードのラストで夕顔が見せる粋で艶やかな姿には、重荷を背負いながら、それでも立つ人間の張りが感じられます。
 吉原を舞台とする本作において、最も現世に近かったエピソード――異色作であると同時に、本作らしい物語であったと感じます。


 この巻にはその他に単発エピソードとして、冥土の吉原の盆祭りを舞台に、亡き祖父を探して現世から迷い込んでしまった幼子を描く「誰そ彼縁日」を収録。
 幼子の微笑ましいわがままぶりや、祖父を慕う姿だけでなく、盆祭りに駆り出される廓番衆の姿が何とも微笑ましい、ホッと一息つけるエピソードであります。

 そして巻末には長期連載名物というべきか、登場キャラクターの人気投票結果を掲載。第一位はなんと――なのですが、記念漫画で描かれる姿が何ともはや……
 そういえば以前もこんな姿が描かれたことがあったような気もしますが、いやはや普段から物語の緊迫感を和らげてくれる存在だけに、ここでもしっかりその役目を果たしているというべきなのかもしれません。


『あおのたつき』第12巻(安達智 マンガボックス) Amazon

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安達智『あおのたつき』第7巻 廓番衆修験編完結 新たな始まりへ
安達智『あおのたつき』第8巻 遊女になりたい彼女と、彼女に群がる男たちと
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安達智『あおのたつき』第10巻 再び集結廓番衆 そして冥土と浮世を行き来するモノ
安達智『あおのたつき』第11巻 二人のすれ違った想い 交わる想い

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2023.11.30

冲方丁『剣樹抄』 光圀が追う邪悪 少年が踏み込む地獄

 先日、続編が文庫化された連作時代活劇の第一作であります。江戸時代前期、子供たちの隠密集団・拾人衆と共に、増加する火付け盗賊の取り締まりに奔走する水戸光圀と、彼と奇しき因縁で結ばれた無宿の少年・六維了助の戦いを、様々な歴史上の有名人を配して描く物語であります。

 幼い頃、旗本奴に父を殺害され、以来、同じ無宿の人々に育てられてきた了助。しかし明暦の大火で育ての親を失い、ただ一人辛うじて生き延びた彼は、深川で芥運びなどをして命を繋ぐことになります。

 一方、突然に父から火付けを働く浪人一味を追うように命じられた若き水戸光圀は、幕府が密かに育成してきた、子どもばかりの隠密組織・拾人衆の存在を知るのでした。
 それぞれ特技を持つ拾人衆の力を活かし、先手組の徒頭・中山勘解由とともに、正雪絵図なる精巧な絵図面を持つ一味を追う光圀。しかし、その一人を密かに追う光圀たちの前に現れた了助は、野球のバッティングめいた異形の剣術で、浪人に襲いかかります。

 我流で木剣の修行を重ね、育ての親や皆の仇として、火付け一味を狙っていた了助。その凄まじい技と執念に目を付けた光圀は、拾人衆に了助を誘います。
 人の世話になることに反発と恐れを感じながらも、相次ぐ事件の中で様々な人と触れあい、成長していく了助。そんな了助と絆を育む光圀ですが、彼には絶対了助には明かせない過去が……


 江戸市中はおろか江戸城天守閣までが消失し、死傷者も甚大な数に及んだ江戸時代最大の大火にして、その後の江戸の都市計画にも大きな影響を与えた明暦の大火。
 出火の原因は、若くして死んだ娘の念が籠もった振袖だという怪談めいたものから、かの由井正雪の残党によるものだという説まで様々ですが、本作はその後者を踏まえつつ、物語を展開していくことになります。

 江戸においては様々な理由で「効率のいい」火付け盗賊。本作ではこれを取り締まるために、まさに後の火付盗賊改である火付改加役の中山勘解由とともに、まだ藩主を継ぐ前の水戸光圀が奔走する――という時点で、作者の名前を見ればオッと思う方も多いでしょう。
 言うまでもなく作者の冲方丁の歴史ものの代表作は『光圀伝』――本作はそのスピンオフと明示されているわけではありませんが、光圀・泰姫・左近・頼房といった面々が登場、そして『光圀伝』では武蔵との出会いとなったあの事件が、物語の背骨として位置付けられています。

 しかし本作は、光圀の――武士の視点(もっとも光圀は、それまでの武士からは些か異なる立場にはあるのですが)からのみ描かれるわけではありません。もう一人の主人公として、無宿者として生きてきた了助を配置することで、変わりゆく江戸という街を、変わりゆく武士という存在を、重層的に描くことに成功しているといえるでしょう。


 そしてまた本作で魅力的なのは、次々と登場する実在の人物たちであります。先に挙げた中山勘解由のほか、勝山、水野十郎左衛門、幡随院長兵衛、明石志賀之助、鎌田又八、龍造寺伯庵等々――これら同時代の人々が、短編連作スタイルの物語の中で、様々な形で火付け盗賊を巡る騒動に絡んでいく姿には、伝奇時代劇ならではの楽しさが溢れています。
(その中でも旗本奴と町奴の争いが意外な方向に展開していく「丹前風呂」は出色)

 そしてその一方で、架空の人物もまた、実在の人物に負けないほどの重みを持ちます。その中でも特に強烈な印象を残すのは、作品通しての光圀と了助の宿敵となる、錦氷ノ介であります。
 総髪の美形で、隻腕に鎌を取り付けた剣鬼、いや剣狂というべき氷ノ介。作品の随所で火付け盗賊の一味として邪悪な姿を見せる彼の誕生の陰には、実在の大名・稲葉紀通が起こした稲葉騒動がありました。そのある意味作者らしい凄まじい地獄の描写は、憎むべき邪悪でありながらも、彼もまた犠牲者の一人という、何ともやりきれないものを感じさせるのです。


 そして人間が生み出した地獄は、一人、氷ノ介のみが見るものではありません。名前も顔もわからぬ仇を討つために、ひたすら剣を練る了助もまた、その心の中に一つの地獄を持っている、いや、持っているといわぬまでも地獄に近づいているのですから。

 本作のタイトルにある「剣樹」――それは了助が身を置く東海寺で見た、刃の枝葉を持つ樹に貫かれる地獄絵図に由来します。
 了助が父の仇を知った時に、恐れつつも魅せられたその地獄に彼は踏み込んでしまうのか? 本作の中では描かれなかったその時に、了助は、そして光圀は何を想い、どのような道を行くのか――それが描かれる続編も、近日中にご紹介いたします。


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