入門者向け時代伝奇小説百選

 約十年前に公開した「入門向け時代伝奇小説五十選」を増補改訂し、倍の「百選」として公開いたします。間口が広いようでいて、どこから手をつけて良いのかなかなかわかりにくい時代伝奇小説について、サブジャンルを道標におすすめの百作品を紹介いたします。

 百作品選定の基準は、
(1)入門者の方でも楽しめる作品であること
(2)絶版となっていないこと、あるいは電子書籍で入手可能なこと
(3)「原則として」シリーズの巻数が十冊以内であること
(4)同じ作家の作品は最大3作まで
(5)何よりも読んで楽しい作品であること の5つであります

 百作品は以下のサブジャンルに分けていますが、これらはあくまでも目安であり、当然ながら複数のサブジャンルに該当する場合がほとんどです(また、「五十選」の際のサブジャンルから変更した作品もあります)。
 そのため、関連のあるサブジャンルについては、以下のリストからリンクしている個々の作品の紹介に追記いたします。

【古典】 10作品
1.『神州纐纈城』(国枝史郎)
2.『鳴門秘帖』(吉川英治)
3.『青蛙堂鬼談』(岡本綺堂)
4.『丹下左膳』(林不忘)
5.『砂絵呪縛』(土師清二)
6.『ごろつき船』(大佛次郎)
7.『美男狩』(野村胡堂)
8.『髑髏銭』(角田喜久雄)
9.『髑髏検校』(横溝正史)
10.『眠狂四郎無頼控』(柴田錬三郎)

【剣豪】 5作品
11.『柳生非情剣』(隆慶一郎)
12.『駿河城御前試合』(南條範夫)
13.『魔界転生』(山田風太郎)
14.『幽剣抄』(菊地秀行)
15.『織江緋之介見参 悲恋の太刀』(上田秀人)

【忍者】 10作品
16.『甲賀忍法帖』(山田風太郎)
17.『赤い影法師』(柴田錬三郎)
18.『風神の門』(司馬遼太郎)
19.『真田十勇士』(笹沢佐保)
20.『妻は、くノ一』シリーズ(風野真知雄)
21.『風魔』(宮本昌孝)
22.『忍びの森』(武内涼)
23.『塞の巫女 甲州忍び秘伝』(乾緑郎)
24.『悪忍 加藤段蔵無頼伝』(海道 龍一朗)
25.『嶽神』(長谷川卓)

【怪奇・妖怪】 10作品
26.『おそろし』(宮部みゆき)
27.『しゃばけ』(畠中恵)
28.『巷説百物語』(京極夏彦)
29.『一鬼夜行』(小松エメル)
30.『のっぺら』(霜島ケイ)
31.『素浪人半四郎百鬼夜行』シリーズ(芝村涼也)
32.『妖草師』シリーズ(武内涼)
33.『古道具屋皆塵堂』シリーズ(輪渡颯介)
34.『人魚ノ肉』(木下昌輝)
35.『柳うら屋奇々怪々譚』(篠原景)

【SF】 5作品
36.『寛永無明剣』(光瀬龍)
37.『産霊山秘録』(半村良)
38.『TERA小屋探偵団 未来S高校航時部レポート』(辻真先)
39.『大帝の剣』(夢枕獏)
40.『押川春浪回想譚』(横田順彌)

【ミステリ】 5作品
41.『千年の黙 異本源氏物語』(森谷明子)
42.『義元謀殺』(鈴木英治)
43.『柳生十兵衛秘剣考』(高井忍)
44.『ギヤマン壺の謎』『徳利長屋の怪』(はやみねかおる)
45.『股旅探偵 上州呪い村』(幡大介)

【古代-平安】 10作品
46.『諸葛孔明対卑弥呼』(町井登志夫)
47.『いまはむかし』(安澄加奈)
48.『玉藻の前』(岡本綺堂)
49.『夢源氏剣祭文』(小池一夫)
50.『陰陽師 生成り姫』(夢枕獏)
51.『安倍晴明あやかし鬼譚』(六道慧)
52.『かがやく月の宮』(宇月原晴明)
53.『ばけもの好む中将』シリーズ(瀬川貴次)
54.『風神秘抄』(荻原規子)
55.『花月秘拳行』(火坂雅志)

【鎌倉-室町】 5作品
56.『幻の神器 藤原定家謎合秘帖』(篠綾子)
57.『彷徨える帝』(安部龍太郎)
58.『南都あやかし帖 君よ知るや、ファールスの地』(仲町六絵)
59.『妖怪』(司馬遼太郎)
60.『ぬばたま一休』(朝松健)

【戦国】 10作品
61.『魔海風雲録』(都筑道夫)
62.『剣豪将軍義輝』(宮本昌孝)
63.『信長の棺』(加藤廣)
64.『黎明に叛くもの』(宇月原晴明)
65.『太閤暗殺』(岡田秀文)
66.『桃山ビート・トライブ』(天野純希)
67.『秀吉の暗号 太閤の復活祭』(中見利男)
68.『覇王の贄』(矢野隆)
69.『三人孫市』(谷津矢車)
70.『真田十勇士』シリーズ(松尾清貴)

【江戸】 10作品
71.『螢丸伝奇』(えとう乱星)
72.『吉原御免状』(隆慶一郎)
73.『かげろう絵図』(松本清張)
74.『竜門の衛 将軍家見聞役元八郎』(上田秀人)
75.『魔岩伝説』(荒山徹)
76.『退屈姫君伝』(米村圭伍)
77.『未来記の番人』(築山桂)
78.『燦』シリーズ(あさのあつこ)
79.『荒神』(宮部みゆき)
80.『鬼船の城塞』(鳴神響一)

【幕末-明治】 10作品
81.『でんでら国』(平谷美樹)
82.『ヤマユリワラシ 遠野供養絵異聞』(澤見彰)
83.『慶応水滸伝』(柳蒼二郎)
84.『完四郎広目手控』(高橋克彦)
85.『カムイの剣』(矢野徹)
86.『箱館売ります 土方歳三蝦夷血風録』(富樫倫太郎)
87.『旋風伝 レラ=シウ』(朝松健)
88.『警視庁草紙』(山田風太郎)
89.『西郷盗撮 剣豪写真師・志村悠之介』(風野真知雄)
90.『明治剣狼伝 西郷暗殺指令』(新美健)

【児童文学】 5作品
91.『天狗童子』(佐藤さとる)
92.『白狐魔記』シリーズ(斉藤洋)
93.『鬼の橋』(伊藤遊)
94.『忍剣花百姫伝』(越水利江子)
95.『送り人の娘』(廣嶋玲子)

【中国もの】 5作品
96.『僕僕先生』(仁木英之)
97.『双子幻綺行 洛陽城推理譚』(森福都)
98.『琅邪の鬼』(丸山天寿)
99.『もろこし銀侠伝』(秋梨惟喬)
100.『文学少年と書を喰う少女』(渡辺仙州)



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2024.10.07

『るろうに剣心 明治剣客浪漫譚』 第二十五話「京都へ」

 斎藤と別行動をとり、一人東海道を急ぐ剣心。その頃東京では、剣心を追おうとする左之助の前に斎藤が現れ、お前たちは剣心の弱みだと指摘、怒った左之助は斎藤に殴りかかる。一方、剣心に別れを告げられて以来気力を失った薫のもとには恵が現れ、厳しい言葉をかけるが……

 というわけで、いよいよ始まった新アニメ版『るろうに剣心』、「京都動乱」というシリーズタイトルがついていますが、オープニングはまだ剣心と仲間たちの京都への道中を感じさせます。しかし、恵って京都行ったっけ……(行ってないこともない)

 さてその初回となる今回は、原作三話分プラスαを順調に消化。そのα部分は冒頭の剣心と斎藤のやり取りで、原作では次回に当たる回で描かれましたが、時系列的には順当ですし、ここで出さないと今回主人公が出ないので、まず納得のアレンジです。
 そしてそれ以外の部分は、問題の月岡津南の炸裂弾が明らかに巨大化している点――というよりよりリアルな形になっている点を除けば、まあほぼほぼ原作通りということで、原作との違い中心に見ている人間は困ってしまうのですが、改めて見てみると、キャラクターの立ち位置というのがわかって、なかなか面白いものです。

 たとえば斎藤は、前シリーズのラストからひたすら小姑のようにネチネチツッコミをいれるキャラのように感じられますが、前シリーズでは現在の剣心の実力のチェック役、さらに今回は剣心に京都までの移動手段を伝えにきたり、足手まといの左之助が京都に来るのを止めようとしたり(結果として実力チェック役にもなりましたが)――なんというか、自分一人ではなく全体を考えて動いていることがわかり、興味深い。
 もちろん彼の場合は、組織人として上がいるわけですし、自分の動きやすさを優先に考えているのも間違いありませんが、しかしやはり新選組で隊長を張っていた人間は、チームとして人を動かす視点があるのだな、と感心させられます。その点、初め人斬り後に遊撃剣士として動き回っていた剣心や、赤報隊を抜けてからは一匹狼を気取っていた左之助とは全く違うわけで――というか、人斬りなのにあれだけカリスマがある志々雄は何なんでしょう。

 それはさておき、その左之助や薫が動く決意を固める時に居合わせるのが弥彦というのも面白いところで、彼の存在はある種の目撃者であると同時に、他のキャラクターを引っ張り、動かす役割でもあるのだな、と感じさせられます。もっとも弥彦の場合、未熟な割に自分も動くので、物語のノイズに見えかねないのが難点ですが……
(その辺りがはっきりと噛み合ったのはこの先の人誅編であるわけで)

 さて、今回の中盤の山場が左之助vs斎藤のステゴロだとすれば、終盤の山場は薫と恵の心のぶつかり合い――というか、薫が左之助以上に一方的にボコボコにされていた気がしますが、これは一から十まで恵が言うことが真っ当すぎるので、もう仕方ないといえば仕方ない。二人の歩んできた人生というか、二人の立ち位置の違いが生んだ結果なので、どちらが正しく、どちらが間違っているということもないのでしょう。
(昔だったら恵の方に感情移入したような気がしますが、今は薫も素直に頑張れと思えるのは、これは見ているこちらが老けたからの気もします)

 そしてEDでは、その薫を差し置いて、謎の新キャラ(現時点では)がほとんどヒロイン状態なのも、なかなか趣があるものです。


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関連サイト
公式サイト

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2024.10.06

棠庵の悩み、藤介の悩み 京極夏彦『病葉草紙』(その三)

 京極夏彦『病葉草紙』の紹介の第三回です。これまで謎に包まれていた棠庵の正体(?)が徐々に明らかになっていく中、棠庵と藤介の関係性にも少しだけ変化が……?

「肺積」
 長屋で特にしつこい住人であるお澄が棠庵に持ち込んできたのは、何と彼への縁談。さすがの棠庵も困惑する事態ですが、相手は以前、彼が助けた宿場の本陣の娘・登勢でした。
 棠庵が去ってから登勢の様子がおかしくなり、周囲から、恋の病ではということになったのですが、しかしその振る舞いは、厠の近くを好んだり、辛いものばかりを食べるようになったという、確かにおかしなもので……

 物語もいよいよラスト一話前に来て、棠庵がある意味事件の発端となるエピソードが描かれます。これまで、棠庵が年に一度か二度、姿を消す時期があるという謎が語られていましたが、その際に出会った娘が棠庵に恋煩いを!? という、およそありえないシチュエーションから物語は展開していきます。

 しかし一番不可解なのは登勢の症状で、これはもう、何かおかしな虫に憑かれたとしか思えない状態。それを棠庵が、以前に彼女と出会った時の状況のほかは、安楽椅子探偵状態の知見で解決してしまうのが痛快です。(まさか××××が伏線だったとは!)

 それにしても、嫁を迎えるかもしれないという話に対する棠庵の(住環境というか保存環境に関する)戸惑いには、理解できる方も多いのではないでしょうか……


「頓死肝虫」
 その日は父親が家で転倒したり、長屋では泥棒騒動が起こったりたりと、散々な状況だった藤介。しかも伍平のもとには銅物屋の主人の死体が持ち込まれ、棠庵は検屍を依頼されることになります。
 騒動はさらに続きます。長屋に越してきた登勢の部屋を訪ねていた志乃が、登勢と間違えて攫われ、棠庵に五百両もの身代金が要求されたのです。銅物屋の主人の死と関わりがあるらしいこの事態に頭を悩ませる棠庵に対し、藤介は……

 サブレギュラーであるお志乃の誘拐、これまで謎だった棠庵の資金源(いきなりサラッと伝奇的な秘密が!)の判明など、最終話に相応しい展開となった今回。しかし何よりも印象的なのは、自分の存在が、自分の行動が事件のきっかけとなってしまった棠庵の姿でしょう。

 これまでにも棠庵は、幾度となく物語の中で判断を迫られ、悩んできました。彼はこれまで、法を守ることと、人の命や心を救うこと――その両者のジレンマを、「虫」という存在を持ち出すことによってくぐり抜けてきたといえます。
 しかし今回彼が迫られるのは、法を守るのではなく、法を破ること――はたして人の命を救うために悪事に加担することは許されるのか? 何よりも理を重んじてきた棠庵にとっては最大の問題であり、それが彼の限界というべきかもしれません。

 そしてここで語られる本作のタイトルの意味にも唸らされるのですが――そこから繰り広げられる怒涛の展開は痛快の一言。語り手に当たる人物が、探偵役の変人に振り回されてひどい目にあうというのは京極作品ではおなじみのシチュエーションですが、しかし――その意味でも、最終話にふさわしい物語だったといえるでしょう。


 かくして本作は完結し、棠庵と藤介との、そして周囲との人間関係も少しずつ変化を見せましたが――しかしまだまだ棠庵を主人公に描ける物語はあるはずです。

 本作は天明年間を舞台としていますが、『前巷説百物語』は文政年間と、40年近い差があります。もちろんその間を全て埋める必要はありませんが、この朴念仁で理屈屋の――しかしどこか人間臭い棠庵の物語を、もっと読んでみたいと思うのが今の正直な気持ちです。
(実のところ、巷説百物語シリーズでほぼ唯一、去就が不明な人物ということもあります)

 何よりも、「針聞書」にはまだまだ「虫」がいるのですから……


『病葉草紙』(京極夏彦 文藝春秋) Amazon

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2024.10.05

相次ぐ怪事件ととんでもない解決 京極夏彦『病葉草紙』(その二)

 京極夏彦の『病葉草紙』の紹介、第二回目です。物語がいよいよテンションを上げていく中、藤介は棠庵と周囲の人々に振り回されるばかりで……

「脾臓虫」
 料亭・うお膳で働いていた在所の娘・おたかが死んだと聞かされたという長屋の住人・幸助。一方棠庵のところには、平次の親分・伍平が、うお膳の客四人が店で食事した翌日に全員不審死を遂げた話を持ち込んでいました。
 食中りや毒を疑う伍平から聞いた死者の様子から、棠庵は虫の仕業と断ずるのですが……

 四人の怪死の謎自体は、この時代でなければ成立しない(謎にならない)ものですが、そこに女中のおたかの死が加わることで、途端に謎が深まる今回。
 思わぬところで以前のエピソードと繋がるのもユニークですが、目を惹くのは、「犯人」と「被害者」、双方の事情を慮って悩む棠庵の姿でしょう。事件の謎はあっさり解いても、答えの出ない人の心の綾に苦しむ彼の悩みは、本作全体を貫くテーマと言えるかもしれません。


「蟯虫」
 父の友人で同じく長屋の大家である金兵衛から、長屋で庚申講が流行って困っていると聞かされた藤介。たまたまそこに家賃を払いに来た棠庵は、金兵衛に尋ねられてあっさり虫などいないと言うのですが……

 体内に住むという虫・三尸が閻魔に告げ口に行かないよう、庚申の晩に眠らず起きているという庚申講。ポピュラーな風習ですが、なるほど虫にまつわるものとして、本作で扱うのに相応しい題材です。
 しかし、年寄り中心の長屋の住人が「爺婆は互いに抓り合ったり叩き合ったり、そりゃ悲惨なもんらしいからよ。泣き乍ら徹夜してんだもの」と金兵衛が語るほど、必死に庚申講を続けているのが謎というのは、本作ならではというほかありません。

 そんな謎を一点突破で解き明かし、さらにとんでもないビッグゲストの投入で解決してしまう棠庵の豪腕ぶりが楽しい一編です。
 そして最後まで引っ張られる艾ネタがここで初登場することに……


「鬼胎」
 棠庵のもとに武家の妻女がやって来たと大騒ぎになる長屋。なりゆきから彼女と棠庵の対面に立ち会うことになった藤介は、そこでとある娘が、医者から鬼胎なる虫がいると診察されたと聞かされます。
 はたしてその医者は信用できるのか。棠庵は調べを始めるのですが……

 長屋を離れ、武家の世界を題材にした今回は、正直なところ事件の内容や謎解き的にはあまり目に付くものはないのですが、子供を産むこと・産まないことに対して考えを巡らせる棠庵の姿が印象に残ります。
 それ以上に印象に残るのは、冒頭に描かれる艾トークと、そして今頃になって語られる棠庵の正体(?)探しかもしれません。


「脹満」
 長屋の空いていた部屋に入った新たな住人・仙吉。しかし彼は仕事にも行かずに部屋に引きこもり、どんどん不健康に太っていると住人たちの間で噂になります。そんな中、長屋の皆の前で行き倒れた仙吉に、藤介は頭を抱えます。
 そこに飛び込んできたのは、反物屋の入り婿が殺されたという一件。犯人はすぐに捕まったのですが、この事件が思わぬ形で長屋の騒動と繋がり……

 ある意味謎解きという点では最も豪快なのが本作でしょう。部屋に引きこもり、どんどん太っていく男(しかもそれだけ太っているにもかかわらず、何も食べていないと倒れてしまう)と、とある反物屋での入婿殺し――一見全く無関係ながら、ある一点でのみ繋がる二つの事件(椿事)が、とんでもない形で解決を見ることになります。

 その真相は、いくらなんでも――と言いたくなってしまうシチュエーションではあるのですが、しかし、それでも何となく納得させられるのは、棠庵の言葉の奇妙な説得力と、ほとんど落語状態の登場人物たちのやりとりの妙に丸め込まれているのかもしれません。
 何しろ『どすこい。』の作者ですし――というのはさておき、そういえば棠庵のデビュー作である『前巷説百物語』の「寝肥」も、肥満体に関する奇譚でありました。


 次回が最終回となります。


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2024.10.04

変人学者、虫にかこつけて事件解決!? 京極夏彦『病葉草紙』(その一)

 今年の夏は、京極夏彦の時代小説の新刊が三冊刊行され、ファンとしては嬉しい悲鳴が上がりましたが、その一つが本作、『前巷説百物語』に登場した本草学者・久瀬棠庵を主人公としたユニークなミステリです。若き日の棠庵が、長屋を舞台に「虫」と絡めて様々な騒動を解決していく、全八話の連作集です。

 とある長屋に住む久瀬棠庵は、日がな一日、本に囲まれて暮らしている奇妙な男。いつ食事をしていつ眠っているかもわからない彼を心配して、差配役の藤介は毎日顔を出していますが、棠庵の驚異的なマイペースぶりに振り回されるばかりです。
 そんな中、長屋やその周辺で奇妙な事件が起き、棠庵の耳にも届くのですが、彼は「これは――虫ですね」と言い放ち、ほとんど部屋にいながらにして解決してしまう――本作は、そんな一種の安楽椅子探偵もの的な味わいの時代ミステリです。

 棠庵が解決する事件は、罪として裁くには複雑な事情があるものや、あるいは一見事件性がない出来事ばかり。それを、江戸時代の鍼灸書「針聞書」に登場する、現実には到底存在しないような――現代でもそのユーモラスな姿で一部で人気の――虫たちを引っ張り出し、何だかんだと理屈を付けつて、棠庵は「虫」の仕業として片付けてしまうのです。

 そのスタイルは、簡単には解決できない厄介事を、「妖怪」の仕業として解決してきた『巷説百物語』シリーズを思わせるものがありますが――それもそのはずというべきか、もともと棠庵は『前巷説百物語』の登場人物。そちらでは又市たちの仕掛けを、その知識でもってもっともらしく説明する役割を担っていましたが、本作ではその数十年前の彼が描かれています。

 そして本作のもう一つの特徴は、そのコミカルとも緩いともいうべきユーモラスな空気感です。本作で狂言回しを務める藤介は、周囲に振り回されがちな、どうにもすっきりしない人物。そんな彼が、思わぬ事件に巻き込まれたり、四角四面な棠庵の言動に振り回される姿には、落語めいたおかしみがあります。
 さらに彼の父で長らく隠居して呑気に暮らす藤左衛門、長屋に住む臆病者の下っ引きの平次と異常にそそっかしい妹のお志乃など、その他の登場人物も、どこかすっとぼけた連中ばかりなのです。

 その一方で、作中で描かれる事件は、結構洒落にならないものが多いのですが――それはこれから一話ずつ、紹介していきましょう。


「馬癇」
 長年かけて貯めたという金で、孫娘のお初と共に棠庵の向かいの部屋で気楽に暮らす老人・善兵衛。しかしある日、部屋から出てきたお初は、善兵衛を殺してしまったと繰り返します。
 部屋にあったのは確かに善兵衛の死体、状況もお初の犯行を示していましたが、棠庵はこれは殺人ではないと言い出して……

 第一話ということで藤介と棠庵、平次ら登場人物の紹介を兼ねたエピソードですが、どう見ても凶器としか思えない、善兵衛の部屋に残された濡れ紙の真実を鮮やかに解き明かす棠庵は、なかなかの名探偵ぶりです。
 事件の真相究明については、ある意味反則的要素があるのですが、むしろ見どころは「厭」な真相を表沙汰にせず解決してみせる、棠庵の知恵にあることは言うまでもありません。


「気積」
 亭主が虫のせいでおかしくなったと藤左衛門に泣きついてきた、左官の巳之助の女房・おきん。これまで生真面目だった彼が、このところ毎日帰りが遅くなり、食事もろくにせず、自分に近付こうとしない――そんなことを訴えるおきんに手を焼く藤介は、棠庵に相談するのですが……

 前話を虫の仕業として解決したと思えば、それが災いしての思わぬ騒動を描くこのエピソード。親しい人間が突然奇妙な言動を取り始める――というのは日常の謎の定番ですが、本作の真相は予想外すぎて、あっけに取られます。
 その真相もさることながら、今回印象に残るのは藤左衛門の珍妙なキャラクターでしょう。すっとぼけたようにとんでもないことを言い出す彼は、今後いよいよ猛威を振るうことになります。


 長くなりますので、次回に続きます(全三回)


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2024.10.03

三千年の呪いに挑め! 伝説の伝奇ホラーミステリ J・D・ケルーシュ『不死の怪物』

 美貌の心霊探偵が、イギリスの旧家を襲う不死の怪物の三千年の呪いに挑む、伝奇ホラーの古典的名作です。先祖代々伝わる不気味な予言の怪物が、第一次大戦後にまたもや出現――更なる犠牲者を防ぐため、伝説に挑んだ探偵が知った恐るべき真実とは……

 サセックス州ダンノーの荘園領主ハモンド家――千年以上の歴史を持つこの旧家には、一つの詞が代々語り継がれていました。
「マツやモミの生い茂るところ、星々のもと、熱も雨もなかりせば、ハモンドの当主、なんじの禍に気をつけよ!」
 これまでこの詞の通りの状況で、幾人もの当主や周囲の人々が、ある者は怪物に殺され、またある者は怪物の恐ろしさに自ら命を断ち――現在(第一次大戦直後)の当主・オリヴァーと妹のスワンヒルドの祖父も、使用人を怪物に惨殺された直後に、自ら命を断っていたのでした。

 そしていま、予言と密接な関わりがあるという「いかずち塚の社」の森を夜に通りかかったオリヴァーが怪物に襲われ、彼は一命を取り留めたものの、村の娘と彼の愛犬が、無残に引き裂かれた姿で見つかったのです。
 幸か不幸か、頭を打った衝撃で、怪物の記憶を失っていたオリヴァー。しかしスワンヒルドは、このままでは兄の命が危ないと、数々の怪事件を解決してきた霊能者にして心霊探偵のルナ・バーデンテールに、事件解決を依頼するのでした。

 かくしてダンノーにやって来たルナと、ハモンド家の兄妹、スワンヒルドの婚約者のゴダードは、ハモンド邸の隠し部屋から土地の教会、さらにはいかずち塚の社と、様々な場所の探索を進めます。さらにルナは催眠術によって、オリヴァーの中に眠る遺伝的記憶を辿り、遥か北欧の過去のバイキングにまで遡るハモンド家の歴史を知るのでした。

 果たして一族の先祖の一人である十六世紀の魔術師が行っていた禁断の儀式の正体とは何か。いかずち塚の社には何が眠っているのか。隠し部屋に残されていた碑文の欠けた部分に記された文字とは。そして何よりも、数多くの人々の命を奪ってきた怪物の正体とは何か? ついにルナは、恐るべき真実にたどり着くのですが……


 かつて国書刊行会のドラキュラ叢書の幻の第二期にラインナップされ、それから数十年を経て(そして今から二十年ほど前に)文春文庫て刊行された本作。原書は1922年に刊行されたものてすが、作者はほとんどこの一作でホラー史に名を残したという名作です。

 発表時の「現代」を舞台としつつ、千年、いや数千年の過去まで遡る恐怖を描く本作は、まさしく伝奇ホラーというべき作品ですが、しかしそれと同時に強く印象に残るのは、そのアプローチが極めて論理的な、ほぼミステリ的と評すべきものである点です。

 本作の主人公の一人であるルナは霊能力者であり、彼女の口から出るのは(彼女自身は極めて「現代的」で理知的な人物なのですが)、四次元や五次元といった怪し気なワード――そして本作で非常に大きなウェイトを占める催眠術による記憶遡行も、遺伝的記憶という疑似科学的に基づくものです。
 その意味では、本作を論理的というのは違和感があるかもしれません。

 しかし、ルナの捜査スタイルは――そして本作の物語展開は、便利な霊能力などで全てを片付けるのではなく、一つ一つ証拠を丹念に集め、それを分析して推論を組み立てるというもの。件の催眠術も、あくまでもその確認手段といえます。
 そこから浮かび上がる真実もまた、伝奇ホラーらしいものではありつつも、またその真実に相応しい論理的な部分があり――一度は中世に封印された怪物が、十六世紀の魔術師によって復活した理由付けなど実に巧い!――大いに唸らされるのです。

 そしてその真骨頂が、ラストに繰り広げられる呪いとの対決なのですが――これがもう、本作でなければできないような、それこそホラー史に残るような超展開であるのですが、、しかしそこで描かれる対処法には、ただ納得するほかないのです。(ここまで来ると、疑似科学的な部分は一種の特殊設定と理解してもよいのかも、と……)

 実は終盤のある重要な展開がちょっと唐突に感じられた点もあったのですが、しかしそれに対しても、実はきっちりと伏線が張られていたのにも、感心するほかありません。


 先に述べたように、今から約百年前に発表された作品ではありますが、しかし本作は今読んでみても十二分に楽しめる(二人のヒロイン像など今見ても違和感がありません)、まさに伝説の名作と呼ぶべき作品です。

 なお本作は、帯と解説でさりげなくネタばらしされているのでこれだけはご注意を……


『不死の怪物』(J・D・ケルーシュ 文春文庫) Amazon

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2024.10.02

ついに終結! 文永の戦い たかぎ七彦『アンゴルモア 元寇合戦記 博多編』第10巻

 長きにわたる戦いも、ついに終わりの時が訪れます。一致団結した日本武士団の逆襲の中、ついに蒙古軍の大将を討ち取った朽木迅三郎。情勢が大きく変わり、撤退に向けて動き出した蒙古軍ですが、その機に乗じて暴発する者が現れます。追撃する迅三郎たちがそこで見たものは……

 一時は太宰府撤退を余儀なくされたものの、なおも抵抗を続ける迅三郎と大蔵太子たち。奇襲作戦は失敗したものの、各地の援軍が駆けつけたことにより、日本軍は互角の情勢まで盛り返します。
 そして、少弐景資のもとに初めて一致団結した日本軍は、ついに蒙古軍との全面対決に突入。当然ながらその先頭に立って切り込んだ迅三郎は、見事に敵の大将・ガルオスを討ち取ったのでした。

 形勢が一気に逆転したかに見えた日本軍ですが、蒙古軍にはまだ幾人もの将が残っているはず。しかし彼らにとって何よりも恐ろしいのは、風の吹く方向――これから冬にかけていよいよ北西の風が強くなれば、海を越えて帰ることは不可能になるのです。
 日本軍との戦いよりも、敵地である日本に取り残される方が恐ろしい。蒙古軍の中には、征服されて戦いに駆り出された高麗や女真の兵も多いのですから、その恐れはなおさらです。

 侵攻の早さもさることながら、引き際の早さも蒙古の兵法とばかりに、撤退を決定する東征軍元帥・クドゥン。しかし勝ちの勢いに乗る日本軍が、その隙を見逃すはずがありません。
 追撃が迫る中、戦いの途中での撤退に不満を抱いた高麗軍の金侁は、蒙古に反旗を翻し暴走を始めます。これに対し、クドゥンの腹心として両蔵は金侁を討たんとするのですが……


 というわけで、前巻の決戦によって戦の趨勢はほぼ決し、蒙古軍の撤退戦が描かれるこの巻。迅三郎も攻撃前夜に随分余裕のあるところを見せますし、どこか消化試合という感もあります。
 そもそも侵略してきたのは向こうとはいえ、逃げる相手に追い打ちをかけるのはあまり気分のいいものではありませんが――しかしそこに倒すべき敵を設定するのは、作劇上の工夫というものでしょうか。

 しかもその相手というのが、迅三郎とは博多編冒頭からの因縁の相手というべき金侁――ヒステリックで卑怯かつ悪辣、しかも蒙古に逆心を抱くという、まさに悪役に相応しい人物です。
 ここでも最後の最後まで憎々しい姿を見せる金侁――といいたいところですが、ここでは彼の別の一面もうかがわれるのが、少々意外なところです。

 確かに相変わらず卑怯でヒステリックな言動ながら、その一方で、彼は高麗人として、侵略者であり支配者である蒙古への逆襲の機会を待ち、ついに立ち上がった――そう書くと何やらヒロイックにすら感じられます。
 これまでも幾度となく描かれ、この巻でもクローズアップされた蒙古軍内の不協和音――蒙古軍の中での征服者と被征服者の上下関係は、攻められる日本側にとってはいい面の皮ですが、物語としては興味深い題材です。せめて金侁が典型的な悪役に描かれていなければ、もう少しこの点は面白い要素になったのではないか、と感じます。
(もっとも、本作の蒙古側のキャラクターは、大体においてあまり魅力的に描かれていないわけですが……)


 何はともあれ、そもそもの目的を果たして迅三郎は対馬に「帰還」し(ある種の余裕か大蔵太子は天草に去って)、ついに物語は平和を取り戻したといえます。
 しかし、クドゥンが語るように、征服するまで何度も繰り返すのが蒙古の兵法であり――そして蒙古軍の侵略がこれで終わりでないことを、我々は知っています。

 かくして、物語は第十一巻、弘安の戦いへと続きます。(「弘安編」にならないのは少々意外ですが……)


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