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2004.05.08

髑髏城の七人

 織田信長が本能寺の炎に消えて八年。髑髏城に潜み、関東に覇を唱える天魔王なる仮面の男がいた。その配下髑髏党に追われる少女・沙霧を行きがかりから救った謎の浪人・玉ころがしの捨之介と狸穴二郎衛門は、彼女を匿うため、無界屋蘭兵衛が治める色町・無界の里へ向かう。沙霧が隠し持つ絵図面こそ、難攻不落の髑髏城の設計図。秀吉との決戦が迫る今、絵図面を秀吉側に渡さぬために、髑髏党は彼女を追っていたのだ。そして無界の里にも迫る髑髏党の魔手。捨之介と蘭兵衛は里の大太夫・極楽太夫と、彼女にベタ惚れの傾気者・抜かずの兵庫と共に立ち向かい、これをかろうじて撃退するが、天魔王と秀吉との決戦は間近に迫っていた。復讐のため、自分の在処を守るため、そして自らの過去の清算のため、寄る辺なき七人の男女は、天魔王と髑髏党に絶望的な戦いを挑む。

 伝奇者としては避けては通れないと思っていた劇団☆新感線のいのうえ歌舞伎、その中でも最高傑作と言われるこの作品をようやく見ることができました。そして…心から後悔しました。今まで見ていなかったことをね!
 主人公・捨之介の小気味いい活躍をさらりと見せてそのままタイトル(そう、舞台なのにタイトルが出る!)に雪崩れ込む冒頭から、幾多の笑いと涙、数々の山場とどんでん返しを経て、ええええこれで終わりなの!? と思わせておいてところがどっこいの爽快極まりないエンディングまで、約2時間半もあっという間の、実に痛快な伝奇時代活劇、まさに私のストライクゾーンど真ん中に来ました。
 私は、世間から外れたアウトローたちが、手前の意地と誇りをかけて集まり、強大な敵に牙をむくというパターン、そして一癖も二癖もある連中が集まって、不可能にしか見えないミッションに立ち向かうというパターンが実は大好きなんですが、この作品はまさにそれ。物語の後半、天魔王に捕らわれた捨之介を救うため、戻る場所を失った六人の男女が絶望的な戦いに立ち上がるシーンは、もう涙ナミダでした(端から見てりゃさぞかし不審者だったことでしょう…)
 と書くと、ドシリアスなドラマのように思えますが、物語の半分近くはベタでアホなギャグの連続。しかしそれはそれで非常に楽しく、また物語に絶妙な緩急を与えていた上、あるギャグシーンが後々のシリアスなシーンの伏線になっていたりといううまい演出もありました。

 登場人物それぞれの性格・コスチュームを含めたキャラクターデザインは、言ってみれば非常にマンガ的・ゲーム的で、純粋な時代劇ファン(≠私みたいなの)が見ればなんだこりゃ、かもしれませんが、そんな連中が描き出す物語は、まさしく昔むかしの時代劇が持っていた野放図なものを色濃く残しているようにも思え、私にとては非常に心地よく感じることができました。

 日頃、時代劇(そのうちの特殊な部分ですが)を追いかけているうち、正直、時代劇というジャンルは年配の方々や私のような物好きしか見なくなるんじゃないか、もうこのまま先細りになっていくんじゃないか、などと悲観的になっていましたが、何のことはない、全く私の不見識でした。時代劇はここにありましたよ。


 ちなみに捨之介を演じた古田新太氏に対しては、誠に失礼ながら正直オサーンじゃ…と見る前は思っていましたが、そのキャラクターとしての深みや包容力は見事なものでしたし、終盤で見せるある決断も、この人の演技あってだろうな、と感心しました。
 といいつつ、秋の公演では捨之介役を市川染五郎が演じるということで、これはこれで痛快でイキな捨之介が見れそうだ…と早くも行く気マンマンです。

 …その前に、新感線のこれまでの舞台のDVD買いまくらないといかんな、と嬉しい悲鳴ではあります。

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