玉藻の前
だいぶ前に読んだのに感想書きそびれていた作品をサルベージシリーズ。
インド・中国の王朝を騒がせ世に災いをばらまき、日本では玉藻の前と名乗って朝廷に入り込むも、大陰陽師安倍泰成に正体を見顕され、ついには那須で討たれて殺生石と化した金毛九尾の狐の狐は、古典芸能の世界から、現代の小説・漫画に至るまで非常に有名な存在ですが、この物語も、その伝説に依ったものであります。
が、さすがは岡本綺堂と言うべきか、単なる怪奇・伝奇ものに収まらず、むしろ少年少女の非常に切ないロマンス(ロマンスも伝奇ではありますがな)として成立しているのがこの作品の独自性であり、素晴らしいところ。
平凡ながらも微笑ましい、幼いカップルであった藻と千枝松が、奇怪な運命に引き裂かれ、藻は玉藻の前に、千枝松は安倍泰親の弟子にといわば敵味方に分かれるという悲劇は、決して派手でも扇情的でもない、静かに、淡々とした――それは綺堂が怪異を描く時にも共通する態度ですが――筆致で描かれるだけに、むしろより一層読む者の心を打ちます。
この作品のベースとなっているのが、綺堂も自ら訳している吸血鬼小説の古典「クラリモンド」にあるのは有名ですが、この「玉藻の前」は、誰でも記憶の底に眠っているであろう幼い日の淡い恋心を思い起こさせるだけに、「クラリモンド」よりも一層多くの人に、普遍的に訴えかける力を持つのではないかな、とも思っています。
綺堂先生お気に入りの作品であったというのもむべなるかな。
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