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2005.08.31

金庸健在なり 「射雕英雄伝」第1巻


 中国の大伝奇作家・金庸が元勃興時の中国を舞台に描く伝奇活劇「射雕英雄伝」(「雕」は正しくは「周+鳥」)の第1巻。内容的にはまだ導入部といった部分なのでしょうが、さすがは金庸というべき内容となっていました。

 憂国の士であった父を金兵に殺された少年郭靖(梁山泊の豪傑・郭盛の子孫という設定。何であんなマイナーキャラの子孫が…)は、江南七怪と呼ばれる七人の豪傑に武術を教え込まれ、チンギス・ハンのもとで成長していきます。が、実は江南七怪が郭靖に武術を教えたのは、かつて彼らと対立した武術家・丘処機との約束によるもの。丘処機は、郭靖の父と共に殺された親友の子を弟子としており、師匠たちの諍いを、弟子二人の武術試合で決着をつけようとしていたのでした(この辺り、素晴らしく金庸的展開)。そして約束の試合のためモンゴルを旅立った郭靖ですが、早速事件に巻き込まれて…というのが一巻までの内容。

 要約してもややこしい設定・展開ですが、実際にはこれに様々な好漢・怪人たち、そして様々なエピソードが物語を彩っており、さらに複雑な内容。果たして物語の落としどころが那辺になるのか、現時点ではさっぱりわからないのですが、しかしそれでももどかしさやつまらなさを全く感じさせず、ただただ物語に引き込まれてしまうのは、まさに金庸の面目躍如といったところ。
 因縁と因果、偶然と誤解が登場人物と物語を動かしていく金庸節には好き嫌いは分かれるかもしれませんが、私は大いに楽しめましたし、続巻が非常に楽しみです。

 金庸作品は、単行本では全て刊行されておりますし、この作品もその中でだいぶ以前に刊行されているので、「健在」という表現は変なのですが、私自身は実に久しぶりに(「秘曲笑傲江湖」以来)触れた金庸作品であり、そしてその面白さは相変わらずであったため、あえて「健在」という語を使わせていただく次第。


「射雕英雄伝 1 砂漠の覇者ジンギスカーン」(金庸 徳間文庫) Amazon bk1


関連記事
 混沌の心地よさ 「射雕英雄伝 2 江南有情」
 底抜け脱線嫁取り騒動 「射雕英雄伝 3 桃花島の決闘」

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2005.08.30

縁の下にも気を付けろ 今週の「Y十M」

 今週の「Y十M」は、むさいオヤジとぬらりひょんみたいなのと目つきの悪い大黒様が出ずっぱりという、ある意味壮絶な展開。原作には相当忠実な展開なんですけどね。

 前回の続きで京人形を買おうという孫兵衛&鉄斎。誰が公家の娘か当てたら値引きという、週刊誌の俗悪企画みたいなノリになって――出ました、日常生活で役に立たない知識という点では一、二を争う公家の娘の見分け方講座が。
 実にバカバカしいのですが、読者サービスにもなっている点には感心してしまいました。さすがは山風先生、考えることが違います。

 それにしても今回(も)目立つのは、七本槍のヘタレっぷり。良いところ(?)を見せたのは上記のシーンくらいで、あとは唐紙に書かれた暴露記事に焦り、庄司甚右衛門には足下を見られ、さらに縁の下の影に気づかず…いいところなし。
 この辺りは全く原作に忠実ではあるのですが、何だかあまりといえばあまりのヘタレ様に、むしろ気の毒になってきました。

 そういえば、縁の下に隠れていて「不浄の金、とはまさにこのこと」という名台詞を吐くのは、原作では確かお千絵でしたが、こちらではさくら。さくら、ちょっとフィーチャーされすぎではないかと逆に心配になりました。香炉銀四郎と因縁もありそうなのに…他の女たちももっと頑張れ。

 何はともあれ、今回は全般的に会話中心だったせいもあり、ちょっと地味な印象。その分、次回は思い切りはっちゃけて欲しいものです。

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2005.08.29

今日は二本立て 「闇を斬る 直心影流竜尾の舞い」&「新選組隊外記 無名の剣」

 今日は二本立てですよ(理由は何となく察してください)。
 お題は、小説「闇を斬る 直心影流竜尾の舞い」と漫画「新選組隊外記 無名の剣」であります。

闇を斬る―直心影流竜尾の舞い
 まず一冊目は、おそらくこれがデビュー作かな? の荒崎一海氏の剣豪アクション「闇を斬る 直心影流竜尾の舞い」。主人公は、さる事情から新妻とともに主家を出奔した青年剣士・鷹森真九郎。ある晩、何者かの襲撃を受けていた大店・和泉屋宗右衛門の主人を救った真九郎は、それが縁で宗右衛門の用心棒を務めることになるが、襲撃は幾度となく繰り返され…という内容です。
 展開的には、襲撃-撃退-捜査-襲撃…の繰り返しに終始しているのですが、それでもそれなりに面白く読めてしまうのは、描写が丁寧になされているのと、何よりも主人公の生真面目なキャラクターに好感が持てるからでしょう。
 また、中盤で主人公が複数の剣客相手に血闘を行った後、その後始末の様がきっちりと書かれているのが目を引きました。結構この辺りが流されている作品も多いですからね。
 シリーズ化されるようなので、次巻も読んでみようかと思っています。

 そして二冊目は、「コミック時代活劇」に連載されていた「新選組隊外記 無名の剣」。沖田・土方に匹敵する腕を持ちながらも人を斬れぬ青年・間源之介を狂言回しに、芹沢暗殺から土方の戦死まで、新選組の興亡を描いた作品となっています。
 正直に言って、絵的には相当微妙なものがあるのですが、源之介の背負う重い過去には説得力がありますし、相手の突きを、刀を抜いた後の自分の鞘で受けるというとんでもない技はなかなか面白く感じられました。
 ちなみに私はネットで調べてみるまで知らなかったのですが、この作品の主人公、氏の代表作である現代版「必殺」というべき「闇狩人」の主人公の先祖らしく、なるほど、芹沢や伊東の凄まじく因果応報な最期は、「必殺」的であるなあと、変なところで感心した次第。


「闇を斬る 直心影流竜尾の舞い」(荒崎一海 徳間文庫) Amazon bk1
「新選組隊外記 無名の剣」(坂口いく 集英社ホームリミックス) Amazon

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2005.08.28

草木に心がないものか 「暗夜鬼譚 細雪剣舞」

細雪剣舞―暗夜鬼譚
 もうすぐシリーズ完結だしここでまだ採り上げてなかった分をサルベージシリーズその2。レーベルをスーパーファンタジー文庫からコバルト文庫に変えての第一作です。
 前作で新章突入、となったのにレーベルが変わってしまう、といういささかタイミングの悪いことになってしまったためか(これはもちろん、作者の責任ではないのですが)、冒頭に、軽い人物紹介&これまでのあらすじといった趣の短編「あおえがたり」が収録されています。

 さて、本編の方は、上記のような事情もあってか、あまりシリーズ全体としてのストーリーの動きは少ない、単発エピソード的内容となっています。常連悪役(?)であり、今は帝の子を宿した承香殿の女御のもとに恋文が届けられるという一種の椿事の陰には、人ならぬ者の恋情が。そしてその想いが人の悪意に歪められたとき、惨劇が――という展開で、相変わらず堅実に面白い。
 シリーズものの強みでもあるのでしょうが、きっちりとキャラが立った登場人物たちが動き回り、物語を展開していくため、安心して読むことが出来ます。堅実すぎるきらいもないですが、今回登場する青竹の怪のように、いかにも平安怪奇譚的な怪異のチョイスは、うまいものだと感心させられます。

 そして一連の怪異の背後には、前巻にも登場した謎の白拍子の影が。果たして彼女の正体は?(シリーズ通して読んできた人間には明らかですが)という引きもあり、そして今後の夏樹の運命を微妙に予感させる描写もありというところで以下次巻なのでありました。


「暗夜鬼譚 細雪剣舞」(瀬川貴次 集英社コバルト文庫) Amazon bk1

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2005.08.27

色々な意味で目が離せないドラマ化 「秘太刀馬の骨」第1話

 昨晩から放映開始となったTVドラマ版「秘太刀馬の骨」。早速観てみましたが、一点を除いてはなかなか面白い作品でした。

 このドラマ版、基本的なストーリー展開は原作と同じようですが、大きく異なるのは、主人公が浅沼半十郎から石橋銀次郎に変わっていること。これは、ドラマ版を娯楽時代劇として描くのであれば、それなりに正しい変更かと思います。
 またそれに合わせて、銀次郎の性格も変わっている様子。原作では偏執的で、相当に嫌らしい人物として描かれていた銀次郎ですが、こちらでは、困った人物であるのは同様ながら、それは若さゆえの(周囲の迷惑を顧みない)直情ぶりから来ているように感じられるキャラクターとして描かれています。
 この辺り、改悪と怒る方もいるかもしれませんが、原作での銀次郎像は半十郎の目から見たものであって、銀次郎の立場から描けば、案外このような人間だったのかもしれない…と思うと、ちょっと楽しいと思いませんか。

 登場人物についてはもう一人、半十郎の妻・杉江のキャラクターが、メンヘル状態から普通の良妻賢母へと変更されていますが、演じる南果歩さんであれば原作版の杉江でも立派に演じられたであろうだけに、ちょっと勿体なかったかもしれません。

 さて、それでは一番最初に書いた「一点を除いては」というのはどこかと言えば、実際観た方ならほとんど同意見なのでは、とすら思うのですが、CGの使い方。
 基本的に、一部特撮を除く日本のドラマ――なかんづく時代劇――でCGを使えば、失笑もののビジュアルとなるのが常ではありますが(技術力というよりセンスの問題ですな)、それはこの作品でも変わらず。
 冒頭の子供の落書きのような虹などは、笑ってすませることもできますが、それでは済ませられないのが秘太刀馬の骨の伝説が語られるシーン。原作でも屈指の迫力を持つ名シーンが、ドラマではプレステ時代のCGを思わせる珍妙なCG画像のイメージ映像に…許せん。
 小生の頭の中では、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地覇王」でのビリー・チョウの馬殴りシーン(詳しくは「ビリー・チョウ 馬」でググってみてください)に匹敵するビジュアルが展開されていただけに(無茶言うな)、それとのあまりの落差に愕然としました。

 第一話のクライマックス、ジャンプ一番宙に舞った銀次郎の姿に暴れ馬が重なり、果たして出るか馬の骨!? という演出はなかなか面白かっただけに、馬CGの駄目っぷりが残念でなりません。

 これは、色々な意味で目が離せない作品となりそうですね。

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2005.08.26

写楽とは何だったのか? 「写楽百面相」

 版元の二代目・二三は、馴染みの芸者・卯兵衛の部屋で、見たこともないタッチの役者絵を目にする。この浮世絵の魅力に取り憑かれ、絵に残された「東」という一文字を頼りに作者を捜す二三だが、その周囲には次々と奇怪な事件が起こる。その果てに浮かび上るのは、江戸と京を結ぶ一大醜聞だった…

 最近、泡坂妻夫先生の作品を色々と読んでいます(まだ時代小説のみですが)。淡々とした枯れた味わいと、ひどくモダーンで洒落た味わいが同居し、そしてそこにトリッキーなひねりが加わるという独特の作風が楽しくも心地よく感じるのです。
 その中でも特に面白かったものの一つがこの「写楽百面相」。寛政期の江戸のアートシーンを背景とした、時代伝奇推理作品とでも言えばよいでしょうか。

 主人公…というか狂言回しは「誹風柳多留」の版元の二代目・二三。ある日馴染みの芸者・卯兵衛の部屋で、見たこともない斬新なタッチの役者絵を見たことが物語の発端、この浮世絵の魅力に取り憑かれた二三は、絵に残された「東」という一文字を頼りに作者を捜すのですが、そんな彼の前に次々と怪事件と謎が現れます。
 雪の中で消えた謎の足跡、行方知れずとなった卯兵衛、上方で消息を絶った二代目菊五郎、そして卯兵衛の死…これら一見バラバラにしか見えない事件の一つ一つが、まるでパズルのピースのようにぱちりぱちりとはまっていき、そこに浮かび上がったのは、江戸と京を結ぶ大秘事――という構成と物語展開の妙には唸らされました。

 そんな伝奇推理としての味わいが物語の横糸とすれば、縦糸となるのは、江戸のアートシーンの状況を活き活きと描いた部分でしょうか。後の世まで名を残す作家・芸術家を多数輩出しながら、同時に空前の文化統制期にあったという、冷静に見てみればアンビヴァレンスな時代だった寛政期。そんな時代にあって、意地と理想を持ってあくまでも自分の芸術を全うしようとした当代の文化人たちの姿は、強く印象に残ります(そしてまた、この背景設定が、上述の伝奇推理部分と密接に絡み合っている――というよりこの設定でなければ起きえない事件を描いているのにまた感心します)。

 そして、この物語と縦糸と横糸の交わるところにいるのが、言うまでもなく東洲斎写楽。この謎の絵師の正体探しが、物語の中心(の一つ)であることは当然なのですが――しかし、物語が進むにつれて、その行き着く先は、さらに深いところにあると気づきます。
 それは「写楽は誰だったのか?」ではなく「写楽とは何だったのか?」という命題。すなわち、写楽の正体ではなく、写楽登場の理由とその存在意義を解き明かすのが、この物語の目指すところであり、そしてこの作品を一層味わい深いものとしていると言えるでしょう(最近では、えとう乱星先生の「写楽仕置帳」がこれに近いアプローチを行っておりましたな)。


 最後に一つ、年表好きとしての感想を。
 いささかネタばらしになりますが、本作の最終章は年表形式。エピローグ的な形で本編に関係する史実が淡々と語られていくのですが、これが実に印象的でありました。
 それまでの、個々人の血の通った「物語」から、動かしようのない冷徹な「史実」へ。「史実」の持つ圧倒的な重みを感じさせられる一方で、その背後にある「物語」の存在を感じさせる――実に美事としか言い様のない伝奇的離れ業でありました。

 と、その一方で、最後の最後でメタフィクション的な味わいを投入してくる作者の茶目っ気も素敵ですね。


「写楽百面相」(泡坂妻夫 新潮文庫) Amazon bk1

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2005.08.25

真の使い手は誰だったのか? 「秘太刀馬の骨」

 今週の金曜(明日だ!)からNHKでTVドラマ化されるというので慌てて読みました。ミステリ的趣もある剣豪小説…とでも言えばよいでしょうか。いかにも藤沢周平先生らしい味わい深い作品でした。

 主人公は、さる藩の近習頭取・浅沼半十郎。ある日家老から呼び出された半十郎は、秘太刀「馬の骨」なる秘剣の存在を知らされ、その使い手を探すという家老の甥・石橋銀次郎の介添人を命じられます。かつて暴走する馬の首の骨を一撃で断ったという伝説の秘太刀、その使い手と目されるのは矢野道場の高弟六人ですが、彼らは他流試合は禁止とばかりに技を見せない。そこで銀次郎は、六人それぞれの弱みを探り、それをネタに彼らを強請って立ち合いに持ち込む…というのがあらすじ。

 秘太刀「馬の骨」の存在が面白いのはもちろんですが、なんと言ってもこの作品の最大の特徴は、上に書いたように、第二の主人公とも言える銀次郎が、目的達成のため人の弱みを暴いて利用してしまうという何ともダーティな行動を見せる点。半十郎同様、読者である我々も、銀次郎の行動には嫌悪感を禁じ得ないわけですが、しかしそこで描かれる剣士たちの姿がこの作品の最大の魅力でもあるのです。

 登場する剣士たちの抱える弱み・秘密・悩みは人それぞれですが、その一つ一つが、現代で生きる我々にとっても、よく理解できるものばかり。彼らは、剣の達人という点では、超人的な存在ではありますが、しかし一度剣から離れればあくまでも人間であり、そこにたまらない人間臭さと、共感を感じてしまうのです。
 そしてそうしたものを抱えるのは、六人の剣士のみではありません。半十郎は、子供を失ったショックで鬱になった妻を抱え、これからの夫婦生活に半ば途方に暮れた状態、権力では並ぶところのない家老も、跡継ぎに悩み若い女中に手を出す始末(これはまあ、あんまり共感できませんが)。
 秘剣という超人の技と表裏一体の存在として、こうした誰でも持つ弱み・悩みが――すなわち平凡な人間の生の姿が――描かれるという物語の構成・描写が実に面白く、そしてまたその秘剣の名が「馬の骨」というのは何とも示唆的ではないかと思った次第です。


 ちなみにこれはネタバレにつながるのであまり詳しくは書けませんが、ラストに登場する秘剣の使い手の正体について、ファンの間で意見が分かれているというのがなかなか面白いところ。確かに、読んだ時には私も「あれっ?」と思うような展開ではありましたが、熱心なファンの方々は、なかなか面白い論考をされているようです(ここではリンクしませんが、作品名で検索してみると色々出てきますよ)。

 驚いたのは、雑誌掲載時と単行本で、使い手の正体が異なっているとのことで、果たしてそれが如何なる意図の下によるものかは、もちろん想像の域を出ませんが、私にはそれが、使い手の正体は、実は物語の最重要ファクターではないことを示しているように感じられて何とも興味深く感じられたことです。


「秘太刀馬の骨」(藤沢周平 文春文庫) Amazon bk1

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2005.08.24

敵は六万五千、挑むは一匹の犬神 PS2「戦神」発表

 今日も今日とてタイムラグありありの似非ニュースサイトモードですよ。
 今日のお題は、取り憑かれたように時代劇ゲームを発売し続ける元気様が11月24日に発売するPS2用の新作、「戦神」です。

 ジャンルが「群れぶった斬りアクション」という時点で既に尋常でないこの作品、プレビューサイトニュース記事を見た限りでは、いわゆる「無双」系のゲームのようですが、最大のウリは、最大65,535体のキャラクターを同時に表示可能という、その描画エンジンとのこと。
 正直に言って技術的なことはよくわからないのですが、同時に表示可能という意味は、「一画面中に」ということなのでしょうか。だとしたら、自キャラも含めてそれだけ表示したら、自分がどこにいるかわからなくなるだけなんじゃ…という素朴な疑問はありますが、話半分に聞いたとしても、とにかくもの凄い数字ではあります。
 しかし、これだけ多いと、自分が群がる敵をバッタバッタと薙ぎ倒す姿よりも、自分が敵に十重二十重に押し包まれてボコボコにされる姿しか頭に浮かばないのは、こないだ「地球防衛軍2」をプレイしていてクモに四方八方囲まれて糸グルグル巻きにされたトラウマのせいかしら。

 個人的にはそうしたデータ的なものよりも気を引かれるのはそのストーリー。舞台は戦国時代というのはお定まりですが、諏訪湖から魔物の群れが突如出現して各地に侵攻、戦国大名たちを苦しめる中、戦神・建御名方命の使いとして「犬神」が現れる…伝奇だ、伝奇ものですよ、これは。
 まあ、「無双」系のゲームにとってはストーリーは二の次、という気がしないでもないですが、果たしてこのストーリーを、派手なゲーム展開・エフェクトとどう絡めてくれるのか、まずは期待したいと思います。

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2005.08.23

赤い袿が招く災いの新章 「暗夜鬼譚 霜剣落花」

暗夜鬼譚 霜剣落花
 もうすぐシリーズ完結だしここでまだ採り上げてなかった分をサルベージシリーズその1。シリーズの新展開突入というべき巻です。

 主人公・夏樹と懇意の滝口の武士・弘季から、御子を懐妊した承香殿の女御の元に贈られた祝いの品である犀角が、巨大な牛の妖獣に変化。弘季の息子・季長から請われた夏樹は、親友であり天才陰陽師の一条を引っ張り出して共に妖獣の行方を追うが…というのが今回のストーリー。
 内容的にはさほど入り組んだものではありませんが、奇怪な真っ赤な袿がひらひらと現れ、その下から牛の妖獣が現れるというのは、いかにも平安時代の怪奇っぽくて好印象。
 そしてシリーズ全体として見れば、これからのシリーズを通して強敵となりそうな謎の白拍子が登場(というかこの白拍子ってシリーズ初期に登場したあのキャラクター…だよなあ)ということで、この巻はまだ序章といったところですが、これからのシリーズもまた一筋縄ではいかないものとなりそうです。


 …にしても、季長と急速に親しくなる夏樹を冷ややかに見つめる一条が、どこをどうしても嫉妬しているようにしか見えないのは、別に小生の目とか心が腐っているためではないと思った次第。


「暗夜鬼譚 霜剣落花」(瀬川貴次 集英社スーパーファンタジー文庫) Amazon bk1

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2005.08.22

声なき声が叫ぶ地獄行 「怨みの刺客 鬼一法眼 鬼哭之章」

 そのタイトルのためか長らく幻の作品となっていた「唖侍・鬼一法眼」の原作コミックが復活。既にTV版の方は「鬼一法眼」のタイトルでDVDボックス化されていたので、もの凄く意外、というわけではないのですが、数年前に名著「蔵出し絶品TV時代劇」での紹介を読んで以来(って、今読み返してみたらこの作品の紹介してるの牧秀彦先生だった!)読みたい読みたいと思いつつ、叶わなかった作品が復刊(しかもコンビニ売りコミックで!)するというのは、非常に嬉しいものです。

 内容は、少年時代にスペインの剣士に家族を皆殺しにされた上、自分も喉を潰されて声を失った賞金稼ぎ・鬼一法眼(ゴルゴ似のルックスにスキンヘッドwith太いモミアゲというロックなビジュアル)が、仇を追って諸国を流浪しつつ、様々な事件に巻き込まれるというもの。
 炎暑の中、村の水を独占する無頼漢たちと対決する第一話、密書を胸に嵐の川を越えようとする女性に助太刀する第二話、異人に怨みを持つ剣士との道行きから裏街道の輸送路の利権争いに巻き込まれる第三話、そして護送中何者かに狙われる凶悪犯の護衛をするうちに隠し金山を巡る悪党同士の争いに巻き込まれる第四話と、この巻では全四話収録されていますが、共通するのは、人情紙風船というか人間地獄というか、凄惨としか言い様のない人間模様。テイスト的にはいかにも70年代の時代劇チック…というよりもむしろマカロニ・ウェスタンチック(唖のガンマンが主人公である「殺しが静かにやって来る」に影響を受けた、という説もアリ)と言えるでしょうか。

 とにかく、主人公の傍らに居る者が、尽く――普通、このポジションのキャラは殺さないだろうというのも含めて――次々と無惨に死んでいく様は、今日日のある種平和な時代劇を見慣れた者の目には、衝撃的の一言。特に第四話のラスト数ページの救いようのなさには、度肝を抜かれました。
 そしてそれを目の当たりにするのが、慟哭の声すら満足に上げられぬ主人公であるだけに、その悲壮さは一層重くこちらの胸にも響くのです。

 己の主義主張を口に出来ず、ただ剣でのみ道を切り開くしかない主人公の地獄行の行方に果たして何が待つか、来月刊行の完結編が待ち遠しく感じます。


「怨みの刺客 鬼一法眼 ~鬼哭之章~」(神田たけ志&五社英雄 リイド社SPポケットワイド)

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2005.08.21

「和心」に行って参りました

 昨日の晩はY2K ROPPONGIで開かれた「和心 その五」というライブイベントに行ってきました。
 おいおい、ずいぶん似合わねえところに顔出してるな、という感じですが、このイベント、和物系バンドの大集合ということで、古今の和物・時代物好きとしてはとても楽しいのですよ。

 バンドの出演は東京音姫ぐゎらん堂秘密屋猫部金色と多士済々で、またそれぞれに「和」というものの解釈がバラバラで、これはこれで興味深かったのですが、個人的に非常に琴線に触れたのは猫部金色の二つ。

 猫部は私の知り合いがやってるバンドで、ぶっちゃけここ目当てに行ったんですが、打ち込み&生琴の和風テクノユニット(with白目)という奇っ怪かつキュートな存在。
 このバンドの何が素敵って、その曲の、実にダウナーかつ黒い…というかぬめぬめと青白い印象の味わいで、歌詞のノリは江戸川乱歩…というよりかは「新青年」(に載っているエログロ怪奇探偵小説)的な世界観と言ったらよいでしょうか。
 特に、友達と遭難してただ一人生還して以来肉が食べれなくなった少年を描いた「肉」(オチはもう、皆さんおわかりですな?)、ロバート・ブロックの「猫神ブバスティス」を想起させる(ってのは褒めすぎか)「猫神城」が、私はお気に入りです。

 そしてもう一方の金色は、侍と坊主の和風テクノですが、これがもう、昨日の参加バンドの中では、正直に言って完全に頭抜けていた印象。
 キャラクター、パフォーマンスが実に「立って」いて、実に愉快。 確か以前も一度イベントで曲は聴いていたはずですが、あの時は小さい会場だったせいかなあ…ライブハウスで聴くと全く違うテンションの高さで一発でファンになってしまいました。
 侍なのに歌い主の掛け声が「アイヨッ!」なのはどうかと思いますが、格好良いので良し。


 実は本業の方が忙しさのピークで、寝不足・体力不足・空腹という状況で行ったので、途中軽く死にかかりましたが、最後まで楽しいイベントでありました。ラストは出演者全員参加で「ええじゃないか」(という曲がある)の大乱舞で、愉快な気分で帰ってくることができました。
 たまにはこういう和物もアリじゃないかな、と思った次第。

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2005.08.20

想う心が呼ぶ悲劇 「外法師 冥路の月」

外法師 冥路の月
 外見は10歳だが中身は25歳の外法師(≒在野の陰陽師)・玉穂の活躍を描くシリーズ第二弾。
 吉祥天女の導きで、大納言道綱の娘の周りで次々と起こる怪異に立ち向かうことになった玉穂ですが、守るべき姫君は魂が抜けたようで何も語らず、自身も何者かの術にかかってネガティヴ思考の堂々巡りに…という展開です。

 大納言邸で夜毎燃える怪火、姿を見せなくなった夜の月、玉穂らをつけ狙う覆面の凶漢、何者かの術の干渉といった怪事件の数々の果てに、時満ちたかのように現れる亡霊。苦闘の果てにその正体と事件の真実にたどり着いた玉穂が見るのは、純真な心を苛んだ周囲の人間たちの悪意と、邪悪の誘いに歪められた切ない想い――
 というわけで、前巻に引き続き、怪異と同時に、怪異の背後にあるもの、怪異の引き金となるものである、人の心の昏い部分・闇の部分を、丹念に描き出した印象のある作品です。

 それだけに、少々精神的にキツいシーンもありますが、最悪の事態から二つの魂を救ったのが、人(+α)の善意であったというのは、甘いようにも見えますが、しかしやはり救われた気分になりますし、物語として「正しい」のではないかと思います。

 主人公が10歳の少女の体という、およそ最弱に近い状態に設定されているのも、怪異に立ち向かい打ち克つには、(物理的なものであれ霊的なものであれ)単なる「力」であってはならない、という主張の表れであるのかな、とも思わされた次第。


「外法師 冥路の月」(毛利志生子 集英社コバルト文庫) Amazon bk1

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2005.08.19

果たしてどちらが主人公? 今週の「SAMURAI DEEPER KYO」

 過去――壬生を出ようとする村正は、道は違えども親友であることは変わりないと吹雪と握手を交わす。それを目にするのは狂とひしぎ。現在――覚醒した狂は、吹雪の水龍もひしぎの百目もものともせず圧倒。二人に向けて巨大な朱雀を放つが、ひしぎは吹雪をかばって深手を負う。吹雪はひしぎに生き延びるように告げ、壬生再臨計画の失敗を認めながらも、先代紅の王がいれば壬生は滅びないと、太四老長禁忌の技を放たんとする。

 自分がしてきたことが徒労と認めつつも、配下には生き延びるように告げ、自らは、信じる主を守るためただ一人最期の力を振り絞って信念とともに立ち上がる――おそらく狙って描いているとはいえ、これまであれだけ憎々しげだった敵役の方が、どうみても主人公チックな言動を見せるというのはちょっと凄い…というか主人公のはずなのに、活躍すると「こんなの狂じゃない」「空気嫁」とファンから言われてしまう狂はもっと凄い。
 これで本当に狂が吹雪を斃してしまったら、作者はさらに凄い…というかそんな打ち切り間近展開は勘弁して下さい。来年のカレンダーのラインナップに入ってなかったし(と思ったら、コミックスの最新刊には、本編に専念したいため、と理由がありましたが)。これで吹雪が死んだら、裏拳一発で沈んだ辰怜が完全にネタキャラで終わってしまうではないですか。


 …よく考えてみたら、同じ村雨を見逃しても、自分たちは口をぬぐって知らんぷりで、四方堂はボコにするのか。やっぱり悪だ、吹雪。

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2005.08.18

9月の伝奇時代劇関連アイテム発売スケジュール

 9月の伝奇時代劇関連アイテム発売スケジュールを更新しました。右のサイドバーからも見ることができます。
 小説については28日の新潮文庫の単行本文庫化ラッシュがなんと言ってもインパクト大。「十兵衛両断」「ふたり道三」「聚楽 太閤の錬金窟」という凄まじいラインナップで、月末が楽しみです。

 月末が楽しみと言えば、発売日が明示されていなかったためスケジュールの方には掲載しなかったものの、朝松健の新刊「修羅鏡 白鳳坊伝綺帖」が遂に刊行。白凰坊と言えば、朝松逆宇宙最大のトリックスターにして人気キャラクター、正も邪もあるものかはと暴れ回る白衣の妖術僧が、戦国時代を舞台にして如何なる活躍を見せるのか、9月最大の期待作であります。

 漫画の方では、遂に遂に岡野玲子版「陰陽師」が完結。こんなことを言うと怒られそうですが、この作品に限っては、物語を描ききった作者と同じくらい、物語についていった読者もエラいと思います。
 また、主人公たち忍者を完全に押しのけて武将たちのキャラクターが面白すぎる「影風魔ハヤセ」も待望の第1巻が発売なのでぜひチェックを! いや本当に面白いですから。

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2005.08.17

伊庭八急展開 今月の「コミック乱ツインズ」

 今月の「コミック乱ツインズ」は、センターカラーで石川賢の「武蔵伝」。表紙ページで結構大きく光姫武蔵のヌードが描かれてますが、賢先生の描く裸体なのであまり嬉しくありません。
 それはさておき、今回は柳生流斬撃剣なる、石川賢作品には珍しくちゃんとした(理屈のある、自然法則をブッちぎってない)剣法が登場。その剣を操る但馬守の影武者と義経武蔵との対決は、しっかり剣豪ものしておりました。
 その一方で、遂に櫂を握った新免武蔵のパワフルな暴れぶりは痛快。そして謎の老人・無風坊と但馬守の間の因縁もほのめかされて、なかなか良い感じに盛り上がってまいりました。

 二ヶ月ぶりの森田信吾「伊庭征西日記」は、相当の急展開。いきなり将軍家茂が死去して(もしかして先月号にちゃんと載っていたのを見落としたんではと一瞬思いました)、伊庭八郎はいったん江戸に戻ることに。あれ、「征西日記」って将軍に随行した時の日記なんでは…とも思いましたが、それはまあ置いておくとして。
 前回思わせぶりに出てきた仇敵(と本人は思っている)もあっさりかわして、八郎は今度は鳥羽伏見の戦いに参戦(おお、確かに「征西」だ)。ラストは、このまま終わってしまうんでは…と思わされるような勢いで八郎が銃弾を喰らったところで以下次号。
 正直に言って今月も絵が相当荒れていますが、血を吐いた八郎が病魔を振り払うために道場で素振りを行うシーンの迫力はさすがでありました。

 岡村賢二の「真田十勇士」は、今回は大坂城内の評定がメインで動きは少なめ。しかし、評定中に横槍を入れて籠城策を採らせた小幡勘兵衛(実は家康の間者)を、笑顔から一転の鋭い眼光で射すくめる幸村がなかなか印象的でよろしかったと思います。

 そしてお楽しみの「黒田・三十六計」は作者急病のためお休み…orz
 が、代打(?)で思わぬ作家が登場。毎月、この雑誌では近藤ゆたか氏の埋もれた時代劇コミック紹介エッセイであるところの「時代劇百科」が掲載されているのですが、そこで以前紹介された(よな、確か…)植木金矢先生の「憂国の御用党」が掲載されたのです。
 御用党とは、これすなわち御用盗。幕末に行われた数々の蛮行の中でも最たるもの(と思ってます、私)の御用盗に心ならずも加わることとなった青年の苦悩を描いた短編であります。
 正直に言って、内容的には今ひとつ盛り上がりに欠けるのですが、さすがに絵の迫力は素晴らしく(ラストの断末魔はかなりのインパクト)、また、幕末を描いた物語であっても、自らの正義のためと称してテロルに走る者たちの姿は、現代におけるテロリストたちの姿と変わらず、おそらくはこの作品が選ばれたのもその辺りがあったのでは…と想像する次第。


 で、来月も「黒田・三十六計」は掲載されない模様…

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2005.08.16

「柳生忍法帖」「甲賀忍法帖」新装版刊行!

 お願いです、私にも夏休み下さい! Part2ということであっさり紹介記事。
 以前も軽く紹介したかと思いますが、せがわまさき先生による表紙絵で、山田風太郎先生の大名作「柳生忍法帖」「甲賀忍法帖」がノベルスで発行されています。
 以下、その表紙絵。

柳生忍法帖・上 柳生忍法帖・下 甲賀忍法帖

 拡大画像はこちらこちらこちら。ご覧いただければわかるように、キャラクターそれぞれの顔の部分だけ漫画絵で、首より下は墨絵タッチというユニークなスタイルとなっています。
 これまで刊行された山風作品にはほとんど見られない雰囲気の表紙ですが、普段時代小説を読まない若い層の読者が、表紙に惹きつけられて手に取ってくれたら本当に嬉しいですね。

 それにしても、「甲賀」の方は、「バジリスク」が放送中でもうすぐ「SHINOBI」という、史上稀に見る追い風時期ということでわかりますが、完成度の割りには知名度が正直今ひとつ…(血の涙)という「柳生」がこういう形で刊行されるのは本当に嬉しいことです。まったく、船橋に足を向けては寝られません。


「柳生忍法帖」上巻(山田風太郎 講談社ノベルス) Amazon bk1
「柳生忍法帖」下巻(山田風太郎 講談社ノベルス) Amazon bk1
「甲賀忍法帖」(山田風太郎 講談社ノベルス) Amazon bk1

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2005.08.15

国書文芸カレッジ開設

国書文芸カレッジ
 既に左サイドバーからリンクしていますが、改めて紹介。小説家、翻訳家、漫画家を目指す人のためのカルチャー・スクールです。

 私は正直なところ実作の方面についてはよくわからないので滅多なことは言えませんが、「小説の書き方」講座自体は珍しいものではないと思いますが、複数のジャンルにわたって、これだけのメンバーを集めたというものは、初めて…かどうかはわかりませんが、かなりユニークな試みなのではないかな、と思います。

 国書刊行会の佐藤社長の言によれば「広く社会に門戸を開いた、カルチャー・スクール形式の「道場」」ということで、これは、特に時代劇ファンにとっては非常にわかりやすい、面白い譬えだと思います。
 技は一人でも磨けるかもしれませんが、心構えや人と人とのつながりは、師匠と仲間が必要でしょうから…

 さてこのサイト的に気になる時代小説については、えとう乱星先生が担当とのこと。
 えとう先生には一度直にお会いしたことがありますが、非常にパワフルでサービス精神旺盛な方なので、話をうかがっているだけでも相当楽しいのではないかと思います。


 しかし、笹川先生の書評講座とかあったら絶対受けるんですが…

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2005.08.14

百八星ここに集う 「水滸伝」全8巻完結

水滸伝 (1)水滸伝 (8)
 この1月から8ヶ月連続刊行された「水滸伝」全8巻のコミカライズが完結しました。
 水滸伝のコミカライズは、もちろんこれが初めてというわけではなく、横山光輝先生によるものをはじめとして幾つかこれまでにも刊行されていますが、これまでのものと比べて、今回刊行されたこの「水滸伝」には、特筆すべき特長があります。

 これまでに描かれた「水滸伝」コミックはほとんど全て(日本で書かれた「水滸伝」小説の多くがそうであったように)、梁山泊の百八人全てが集うことなく(あるいはいつの間にか百八人集っていて)、百八星全ての顔ぶれが描かれることはなかったのですが、今作では、百八人全てがビジュアライズされ、その梁山泊参入が描かれています。
 特に、端折られる率が異常に高かった、大刀関勝・双鎗将董平・没羽箭張清ら終盤参入組がきちんと登場しているのはポイントが高く(張清の最大の見せ場である単騎で梁山泊勢十数人を圧倒した活躍も再現!)、これは一つの快挙と言ってもよいでしょう。

 ストーリー的には、百八星が集う原作第七十回までを中心に、招安を受ける辺りまでで完結。描写としては、日本製「水滸伝」らしく、梁山泊の連中が相当「いいもん」に描かれていており、正直、ちょっと気持ち悪さを感じないでもないですが、しかし原作には現代の日本人の目で見て相当違和感を感じる部分があるのもまた事実。そう言った点からすると、こうしたアレンジも、決して否定すべきではないでしょう。
 特に、原作では後味の悪さばかりが残った生辰綱を強奪された直後の青面獣楊志の描写が、こちらでは「まさに好漢かくあるべし」というべき実に気持ちの良いものとなっており、強く印象に残りました(まあ、原作の描写も、楊志の人間の出来てなさが活写されていて、これはこれで意味深いものではあるのですが…)

 ただし、良い点ばかりでもないのも、残念ながら確かな話。何よりも大きいのは、全八巻の分量で百八人全てを描き、原作の主要エピソードを網羅しようとしているため、非常に詰め込み感が強い点。特にひどいのは、中盤の宋江放浪の辺りと、後半のvs高廉~vs呼延灼辺り。どちらも印象的なキャラクターと出来事が数多く登場する部分だけに、正直に言って非常に勿体ないとしか言いようがありません(その一方で、どうでもよさげなシーンにかなりページ数が割かれている部分もあって、なかなかページ割りについては謎な部分が多い)。また、何ヶ所か、原作を読んでいないとわかりづらい省略・場面転換がされている箇所もあり、その辺りも残念なところです。
 そして――確かに百八人全ては登場するのですが、一部メジャーどころを除いて、画的にキャラクターが弱い(要するに、一目では誰が誰だか判別できない人間が多数いる)というのがもう一つの大きな弱点。確かに、原作でも十把一絡げの連中も多いので、その点ではこの漫画を責めるのは些か酷ではあるかもしれませんが、しかし、巻末に付録として収録された正子公也先生の絵巻水滸伝が(原作を離れたアレンジを盛り込みつつも)、百八人のキャラクターをきちんと立てながら魅力的な画として成立させているのを見ると、もう少しやりようはあったのではないかな、という気はするのです。

 などと、色々と書きましたが、やはり日本では残念ながら今ひとつマイナーな作品である「水滸伝」が、原作にかなり忠実な形で漫画化され、しかも文庫という手に取りやすい形で刊行されたというのは、一水滸伝ファンとして非常に嬉しく、かつ心強いことであります。


「水滸伝」全8巻(李志清&夏秋のぞみ MF文庫コミック版) Amazon bk1

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2005.08.13

正に妖怪ファン必見 「妖怪文藝<巻之壱> モノノケ大合戦」

妖怪文藝〈巻之壱〉 モノノケ大合戦
 妖怪テーマのアンソロジーを連続三ヶ月、文庫で発行という非常に意欲的かつ冒険的な企画の第一巻であります。
 この巻では、前半は「モノノケ大合戦」のタイトル通り、妖怪モノノケたちが人間と、あるいは同族(?)同士相争う内容の作品を特集し、後半は文藝上に現われたる妖怪たちの数々を集めた「文藝妖怪名鑑」という構成の、徹頭徹尾妖怪だらけの一冊。妖怪好きとしてはよくぞ! という快哉を挙げたくなる一冊となっておりました。

 前半に収められた「モノノケ大合戦」テーマの作品は全部で五編。以下、簡単に紹介いたしますと――

「月は沈みぬ――越国妖怪譚」南條範夫
 美しい人魚を巡って、前半は妖怪たちのおかしな恋のさや当てが、後半はその妖怪たちと海坊主の死闘(?)が描かれるという、まさに「モノノケ大合戦」の劈頭にふさわしい一編。ラストの味わいなど非常に寓話的ですが、それ以上に、先祖の霊威はどこへやら、人魚姫の魅力に骨抜きになった妖怪たちの姿が、妖怪ファンとしてはほろ苦くも非常に愉快に感じられました(この作品を読むと、南條先生、相当の妖怪好きだったんでは…と想像してしまいます)。

「河童将軍」村上元三
 心ならずも河童となってしまった侍崩れの男が、河童たちの頭領となり、河童の領土を侵す水虎たちと対決する羽目になるという一編。河童の生態・精神といったものを、元人間の目から客観的に描くという試みが実に面白いのですが、それと同時に、河童という非人間的である存在を通して、人間というものの本質・業を描き出すという、一種伝奇小説にも通ずる手法に感心させられました。しばしば差し挟まれる時事パロディ的なネタはさすがに時代を感じさせますが、それは些末なことでしょう。

「妖恋魔譚」藤原審爾
 人間と大蜘蛛との死闘に、異類婚姻譚を絡めた名編。神通力を持った妖怪でありながら、生物としてもリアルに描かれた大蜘蛛の活躍(?)シーンは、妖怪ファンだけでなく怪獣ファンも必見かもしれません。この作品が収められた短編集「大妖怪」は、妖怪ファンであれば必読の名作揃いですが、比較的ストレートな対決ものも少なくない作品群から、この作品が選ばれたのは、人間と妖怪の死闘の陰で描かれる哀しい男女の姿が、人間と妖怪のもう一つのつながり方として印象的であるためでありましょうか。

「狐の生肝」石川淳
 ある事件をきっかけに人間たちと対決することとなった江戸の狐たちの姿を描いた不思議なムードのこの一編、人間以上に人間臭い狐たちの評定のシーンが実に面白く、また、何だか人を食ったような味わいでいて、どこか切ない余韻を残す結末が印象的でありました。登場人(?)物たちの問答をメインに展開するこの作品、舞台で上演したらなかなか面白いものになるのでは、と個人的に感じました。

「荒譚」稲垣足穂
 タルホ作品で「稲生物怪録」に初めて触れた、という人は実はかなり多いのではないかと思いますが(かくいう私もその一人)、これもタルホ版「稲生物怪録」の一つ。前半で語られる「稲生物怪録」のエピソードを読んでいると、本当にタルホ先生はあの世界が好きなのだなあ、と愉快な気持ちになれる一編であります。しかし妖怪ファン(というより怪談ファン)的には、町のおッさん訥々と語るお化け話を描いた後半部分が印象に残りました。


 …と、この前半だけでも満足感はかなりのものですが、後半は、小説に留まらず、詩やエッセイ、能や狂言に至るまで、実にバラエティ豊かな媒体に妖怪の姿を求めた、これだけで一冊のアンソロジーにもなりそうな充実ぶり。以下、特に印象に残ったものを挙げますと

「小豆洗い」龍膽寺旻
「からかさ神」小田仁二郎
 どちらも江戸時代の怪談奇談に原典を求めた作品であり、私も原典は既読でしたが、それでも、いやそれだからこそ唸らされた作品二つ。前者は美しい文章で綴られる陰鬱な世界が、どこかユーモラスなイメージのある小豆洗いという妖怪の姿の後ろにある人間の暗い情念を淡々と抉り出していてしばらく読後にひきずるものがありました。
 一方、後者は思わぬことから空を飛び、神として祀られることとなった一本のからくさの心情(!)描写と、すっとぼけたオチの対比が、聖と俗というものの関連を思わぬ角度から描き出しているように思えました。

「すなかけばば」別役実
 メジャー妖怪でありながら、言われてみればその実体がほとんどわからない砂かけ婆を至極真面目に(?)論じた一編。いや、そりゃないだろうとこちらが目を白黒させているうちにとんでもない結論に達する文章は、一種奇術的な味わいですが、しかし冷静に見てみれば、砂かけ婆という固有の妖怪を通して、妖怪全般に対するアプローチ手法を提示しているのが実に面白い。


 以上、メジャーな作品もあれば、一般人の手にはなかなか入りがたい作品、さらには思いもよらぬ変化球ありと、妖怪ファン、妖怪馬鹿予備軍としては、非常に楽しくも嬉しい、正に必見の一冊かと思います。こういうアンソロジーが文庫で出るのだから、世の中まだまだ捨てたものではありません。

 もちろん、残る二巻も非常に楽しみではあるのですが、個人的には次巻の「響き交わす鬼」ってタイトルは本当にどうかと思いますよ。いや、単に私があの作品(TVのほう)好きじゃないだけなのかもしれませんが、なんというかこう、ねェ…


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2005.08.12

限界突破を超えて 「SAMURAI DEEPER KYO」第32巻

Samurai deeper Kyo (32)
 ボーッとしていたら今月に次の巻が出てしまうので慌てて紹介。ちょうど今週はマガジンもお休みですからね。
 さて、「SAMURAI DEEPER KYO」もはや32巻。この巻では全編に渡って太四老・時人と(元)四聖天・アキラとの死闘が描かれます。
 時人は少年の姿ながら以前梵天丸をも軽々とあしらった怪物、実力では遙かに勝る時人に、前々巻で「もはや強さは限界」宣告されてしまったアキラがいかに挑むか、開始前は全く予想のつかなかった戦いですが、蓋を開けてみればKYO史上最高の名勝負となりました。

 そもそも、GENKAITOPPAを旨とするこの漫画で、強さ限界はほとんど死刑宣告。そら確かに針刺すだけでパワーアップというのは胡散臭すぎますが、それすらも封印されたアキラに勝ち目ってどう考えてもないんじゃ…と思いましたが、さすがは元祖GENKAITOPPA男にして“信念”の漢、GENKAITOPPAを超えたKISEKIというやつを見せてもらいました。

 …まあ、結局は「もの凄くパワーアップできるけれども短期間かつその後は戦闘不能」という、バトルものでは定番のパターンでパワーアップしてしまうのは、冷静に見ると突っ込みどころなのですが、そこに行くまでが、これまで散々にアキラと衝突してきた水と油の関係の紅虎が「わいの最高の親友(ダチ)や」の殺し文句とともに刀を託し、雑魚を引き受けて散華、というこれまた超定番ながら燃える展開。

 そして、紅虎の友情を受けて、これまで狂の背中を追いかけるだけだった――狂の背中が目指せない(見れない)のであれば価値はないと自らの眼を潰すほどだった――彼が、遂に狂の背中の先の世界に目を向け、自分自身が進むべき“先”をはっきりと見出し、心の強さを備えた新たな強さに開眼するというのは、熱血少年漫画として実に正しく、感動的なシーンでありました(勢い余って潰したはずの眼が治って文字通り「開眼」しちゃうのは、まあそれはそれで実にこの漫画らしい)。

 まあ、そんな一方で、結局パワーアップの呼び水になったのは針治療だったり、上に書いたように潰したはずの眼が開いちゃったり、絶対零度を超えた「灼熱の冷気(ヘル・ゴースト)」(ああ、写しているこちらが恥ずかしい)を更に上回る「天国の冷気(ヘブンズ・ゴースト)」を放っちゃったりと、突っ込みどころというか高純度のネタを投入してくるのがこの漫画らしいといえばこの漫画らしくて安心というかなんというか。

 それはさておき、戦いが終わった末に、実は時人もまた、かつての自分と同様、自分自身に価値を見出すことができず、他者から見捨てられることを心の底で恐れていたことにアキラが気づき、挑発の形で、時人に生きる方向性を見出させるシーンを見ると、(非常に失礼な、生意気な物言いですが)ああ、作者も、この作品も成長したのだなあ、と感慨深いものがあります。

 この巻において、アキラは一つの限界を超えて大きな成長を遂げますが、この「SAMURAI DEEPER KYO」という作品自体が、同時に限界を超えた成長をここで見せたのではないか…とまで書いてしまうのは非常にイタい感想であると自覚しつつ、それが私の、一つの偽らざる感想であるとここに書き留めておきます。
 時代漫画としては、正直何というかその…だってKYOだから、としかいいようがありませんが、熱血少年漫画として見れば、きょうび珍しいほどに正統派の、「友情」「努力」「勝利」を謳った黄金期の少年ジャンプイズムを継承した作品なのでは、とすら感じさせられた次第です。


「SAMURAI DEEPER KYO」第32巻(上条明峰 週刊少年マガジンKC) Amazon bk1

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2005.08.11

度胸のある文化財廃止話

 お願いです、私にも夏休み下さい!(せめてネット上くらい) というわけで似非ニュースサイトモード。
 東京都で、「旧跡」に指定している歴史文化財のうち約九割を指定廃止を視野に再点検しているというお話であります。

 うちのサイト的にひっかかってくるのは以下の部分。
(前略)都は条例制定50年を迎える今年を前に、考古学者や歴史学者で作る検討委員会に分析を依頼。その結果、約200件が「伝承や物語に過ぎない」「史実の根拠があいまい」などと判定された。
 見直し対象に挙げられたのは、「四谷怪談」のお岩さんが信仰した田宮稲荷神社跡(新宿区左門町)、反乱を起こし、京都でさらし首となった平安時代の武将、平将門の首が宙を飛んで落ちたと伝えられる将門塚(千代田区大手町)、「忠臣蔵」の赤穂浪士の一部が切腹した熊本藩江戸屋敷跡(港区高輪)――など。

 …文化財って、文化って一体何なんですかねえ。
 考古学者や歴史学者の方の立場からすれば上のような結論になるのでしょう。
 しかし、(素人があまり生意気なことを言いたくないのですが)「そのように語り継がれている」ってのは、文化の継承を考えていく上で決して無視できない要素だと思うのですがね。


 つーか、普段は「伝承や物語に過ぎない」「史実の根拠があいまい」な中身いっぱいな教科書を推してるじゃねえか東京都とかガタガタ言わない。
 ここは一つ、名前を挙げるのも畏れ多い方々をバッサリ斬り捨てた検討委員会の身の上に何か面白いことがないかなァって楽しみにしてやるって! ついでに都知事の身の上にも期待したいってことですよ。

 …と、思わずヘタクソな「やるって節」が出てしまうくらい、検討委員会のブレイブハートに感心したことです。ハワード・カーターとカーナボン卿も目じゃねえぜ。

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2005.08.10

昏君の夢と剣侠の謀 今週の「Y十M」

 折角ケイトさんのところで紹介していただいたのに、そのケイトさんの記事を見るまで今週「Y十M」があったことを知らなかった私が来ましたよ(だってさー、隔週連載で一回休んだら、次は再来週とか思うじゃない? …思わない? ごめんなさい)。
 前号お休みしたせいか、ボリュームアップして感じられた今回。前半がオリジナル展開で後半が原作通りと言ったところでしょうか。

 オリジナル部分は、まず、十兵衛と堀の女たちの描写。ページ数にしてわずか数ページではありますが、特訓を重ねる間に、十兵衛と堀の女たちの間に信頼関係が生まれていることがわかります。そしても一つ、堀の女たちに少しずつ明るさが戻ってきたことも。
 それ以上にページが割かれているのは、なんと加藤明成の内面描写。女たちと戯れる中での白昼夢で、明成が既に亡き父・嘉明と対面し、自分の正当性を主張、さらに明成と芦名衆との出会いが描かれるという趣向です。
 明成というキャラクターは、実に様々な悪役が登場する山田風太郎作品においても少々珍しいくらい、いいところの無い、悪のための悪といった人物。原作では明成は自分の行動の正当性を全く疑わないキャラクターとして描かれていましたが、このように夢裡に父の姿を見るというのは、「Y十M」での明成は、より鬱屈したものを抱えたキャラクターとして描かれていくのかもしれません。
 また、原作ファンとしては、芦名衆との出会いのシーンが原作を補完するように描かれているのがなかなか嬉しいところです。
 しかし、あたかも玉座の如く山積みとなった女体の上に君臨する明成は、まさしく「淫虐の魔王」という表現がふさわしい。単なるアゴの人じゃないんですな。

 そして後半は吉原を舞台に、なにやら企む十兵衛の姿と「京人形」を買い入れに来た鉄斎らの姿が描かれます。
 なんと言ってもここで非常に印象的なのは、見開きでもンのすごい笑みを見せる十兵衛。企んでる…絶対何かすごい痛快なこと(そして悪人にとってはすごい悲惨なこと)企んでるよこの人! と思わせる、もう楽しくて仕方がないという笑みです。原作にはない描写ですが、いや、確かに「柳生忍法帖」の十兵衛は、こういう場面でこういう表情を見せる人でありましょう。
 も一つ印象的な表情を見せたのは、今回初登場の庄司甚右衛門。こちらはまた、あまりにも原作の描写通りの、好々爺然とした部分と、裏の世界の住人としての厭らしさを合わせ持った人物として描かれておりました。特にラストの表情は、(あまり眼にしたくない類のものですが)絶品であります。

 さて、今回はここまで。次回はいよいよ鉄斎&孫兵衛の京人形品定めが描かれるのでしょう。何というか、実世界であまりにも役に立ちそうのない知識を僕らに教えてくれたあのシーンがついに…楽しみというと問題かもしれませんが、さてどのように描かれることやら。

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2005.08.09

アツいシチュエーションの冒険行 「灼熱の要塞」

灼熱の要塞
 サルベージシリーズ。幕末を舞台に、薩摩藩の一大軍事工場・集成館破壊の極秘命令を受けた将軍直属の隠密機関・中町奉行所の面々の死闘を描く時代伝奇冒険小説です。

 最初、内容は知らずに、「時代小説に「要塞」というのはちょっと珍しいな…」と思い手に取ったのですが、個人的に大好きな、特殊チームによる不可能ミッションもの、(よくあるたとえで恐縮ですが)アリステア・マクリーンの軍事冒険小説を彷彿とさせるなかなかの快作でありました。
 何よりも、舞台設定が見事、の一言です。強大な薩摩の軍事力に圧倒される幕府。その状況を覆すため、薩摩の強大な軍事力の背景である一大軍事工場にして大要塞・集成館を爆破してしまおうというミッションは、あまりにも豪快かつ無謀でありますが、それだけに読んでいるこちらもアツくなるシチュエーション。
 そしてそれに挑むのが、南原作品には何度か登場した隠密組織・中町奉行所(中町奉行所自体は、江戸時代、一時期実際に存在した組織であります)の無頼与力とその一党、というのがまた良い感じ。更に彼らの前に立ち塞がる、いわば薩摩の国境守備隊・鰐塚の郷士衆が、大坂の陣で敗れて落ち延びた真田一党の末裔というのも面白いアイディアだと思います。

 正直なところ、展開(特に薩摩に潜入してからの)が、些かおとなしい、というか平板に感じられる部分もあり(個人的には、この手の作品では定番の○○りネタがなかったのが残念)、主人公たちの前に現れる謎のヒロインの使い方もそれほどうまいとは思えないのですが、上記のような冒険小説としてのお膳立ての巧みさの前に、それもまあ許せるかな、というところ。
 何よりもラスト、集成館爆破ミッションがある歴史的事件につながっていくあたりの展開は見事で、素直に感心させられました。

 時代小説としてはなかなか珍しいと思われる正統派の冒険小説として、このジャンルが好きな方は読んでみても損はないと思います。


「灼熱の要塞」(南原幹雄 集英社文庫) Amazon bk1

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2005.08.08

最強の力人との出会い 「修羅の刻 雷電編」第1回

 「月刊少年マガジン」誌の今月号(9月号)から、3号連続で久々の「修羅の刻」がスタート。今回は「雷電編」――すなわち最強の大関として今なお語り継がれる伝説の力士・雷電為右衛門と「陸奥」の戦いを描いたシリーズ(となる見込み)です。

 第1回となる今回は、雷電が力士として大成するまでの半生、その規格はずれの――相手を殺しかねない張り手を封印させられるという――強さが丹念に描写され、名声を得ながらも、どこか満たされないものを、強さに対する渇望を抱えた格闘者、という、「修羅の門」「修羅の刻」に登場するにふさわしい人物として雷電が描かれます。
 様々な格闘技が登場した「修羅の門」「修羅の刻」を通じて、「相撲」という格闘技が描かれたのはさほど多くないと記憶していますが(「修羅の門」第四部で元力士とヴァーリで戦ったのと「修羅の刻」信長編の冒頭で相撲大会があったくらいかな)、さすがに格闘描写は巧みの一言。雷電と谷風の稽古シーンなど、この作者独特の、空間の白さを印象的に使った画で描かれていて、「ああこれこれ」とすっかり嬉しくなってしまいました。

 肝心の陸奥の方は、「(仕合)やらないか」と、ちょっとやさぐれっぽい陸奥圓明流継承者が子連れで登場、まだ名乗っていませんが、普段は飄々としていながら、いざ戦いの場を前にすると牙を剥き出しにする様は相変わらず。
 主人公(?)としては年を喰った陸奥なのと、子供(女の子の格好をしていますが本当に娘かは?)連れというのがかなり珍しく、それが、不敗の流派と最強の力人とが出会った先の展開にどう絡んでくるのかも楽しみです。

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2005.08.07

人情ロード・チャンバラ 「夜来の雨 素浪人三木兵庫」

夜来の雨―素浪人三木兵庫
 三木兵庫シリーズ第3弾。これまでシリーズは「大江戸殺法陣」というタイトルでしたが、今作はそのクレジットはなく、疑問に思っていましたが一読して納得しました。今作は三木兵庫が江戸を離れて江戸に向かうロードノベルであります。

 前作の事件で孤児となったかつての友の子・新之助を引き取って育てる兵庫ですが、実はその子供こそが、駿河真壁藩主の血を引くと判明。折しも真壁藩ではお家乗っ取りの陰謀が進行中、奸臣一派から藩を救うには、新之助を世継ぎとする他ない状況となりますが、当然それを奸臣一派が見逃すわけもなく…かくて兵庫は新之助を守りつつ、一路駿河に向かうこととなるという趣向です。

 と、エンターテイメントとしていつも水準以上の作品を書く城駿一郎先生ですが、正直なところ今回はかなり「並」の作品という印象。敵の暗殺者が一風変わった技を使ったり、一族復興のために兵庫らを襲う忍びの一族が登場したりと相変わらずサービス精神は旺盛なのですが、どうにもお話しが一本道という印象が強いのです。
 確かに、駿河へ向かう兵庫と、江戸で藩主殺しの犯人を追う大目付・乾官兵衛のエピソードが並行して描かれているのですが、「ええっ、こんな展開になるの!?」的な起伏に乏しいと申しますか…目的地に一直線、なロードノベル形式は、構成の段階で捻らないとなかなか難しいものなのだなあ、と考えさせられた次第。

 かなり厳しい感想になってしまいましたが、それだけ毎回楽しみにしている、ということでご勘弁いただきたく。


「夜来の雨 素浪人三木兵庫」(城駿一郎 ベスト時代文庫) Amazon bk1

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2005.08.06

いいバカは往く 今週の「SAMURAI DEEPER KYO」

 愛刀・天狼の力を最大限に引き出した無明神風流奥義・朱雀を放つ狂だが、吹雪とひしぎに傷を与えることはできない。ひしぎは、灯や遊庵たち、更には今の壬生一族全てを指して、自分のことしか考えていない、護るに値しない者たちと言い切るが、狂は呵呵大笑して、皆自分のしたいことをして何が悪いと言い放つ。もはや問答無用と狂に襲いかかる吹雪とひしぎ。だが、ついに真の紅眼を覚醒させた狂の力は遂に二人を上回るのだった。

・最大級の朱雀を放つ⇒吹雪とひしぎ全く無傷
・二人に押され気味 ⇒理屈になってない理屈で反論、ペースをつかむ
と、狂の魅力が大爆発の今回。特に前者には大笑いさせてもらいました。

 が、真面目な話、連載当初の、自分より格下の相手を格好付けながら倒して粋がるどうしようもないDQNぶりに比べて、ボロボロになりながらも、傍から見ると滅茶苦茶な理屈であっても不敵に言い放つ今の狂の方が、はるかに「いいバカ」で魅力的に感じられます。

 そして、弱ければ強くなればいい、過去や今より未来、という狂の言葉(=信念)こそが、狂と、吹雪&ひしぎ(そして今の壬生一族)を分かつものであり、初代紅の王に彼を認めさせた所以なのでしょう。


 しかし今週のひしぎの独白は、どうみても愛の告白でしたな…お、恐ろしい。

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2005.08.05

そして怨讐の果てに 「陰流・闇仕置 怨讐狩り」

陰流・闇仕置―怨讐狩り
 サルベージシリーズ。ついに「陰流・闇仕置」シリーズも最終巻です。シリーズを通しての謎だった蒼二郎の母殺しの犯人が明らかになりますが、その仇は蒼二郎にとって縁深い人物。そしてその背後には父であり自分を暗殺者として指嗾していた松平定信の陰が――更に、火付盗賊改長官の探索の手も蒼二郎に迫り、ラストにふさわしい(?)四面楚歌の状況であります。

 正直なところ、母殺しの犯人は、この人物以外いないだろうという人物ではありますし、火盗改との戦いも、もう少し引っぱって欲しかった(まさか登場した次の巻でシリーズ完結とは思いませんでした)という印象はありますが、蒼二郎がこれまで死闘の中で編み出した数々の奥義をあっさりと破る真の敵との対決シーンは、さすがの迫力でした。

 そして何よりも、松平定信のキャラクターが、それが単なる悪のための悪ではなく、一つの強固な――そして歪んだ――信念を持った人物として鬼気迫る姿で描かれており、非常に印象的でした。このような人物として描かれているからこそ、その父に対して激しく怒りを燃やす蒼二郎の想いが、納得できるものとして読者である我々にも伝わってきます。

 母の仇との死闘、そして苦い勝利を経て、ついに父との対決を決意する蒼二郎。闇仕置の仲間たちに別れを告げ、ただ一人、どこまでも修羅と化して進む彼の姿は――それが新生のためのものであっても――あまりに切なく、胸に迫ります。

 このシリーズはここでひとまずの完結のようですが、いつか、いつの日か、怨讐を越えて生まれ変わった蒼二郎に再会できる日が来ることを祈っている次第です。


「陰流・闇仕置 怨讐狩り」(牧秀彦 学研M文庫) Amazon bk1

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2005.08.04

白獅子仮面 第一話「青い目と赤い目の狼」

 時は享保。江戸の町を脅かす怪物・狼仮面の脅威に立ち向かうため、大岡越前は懐刀の青年与力・剣兵馬を頭に武装同心隊を結成した。その頭脳と行動力でたちまち狼仮面を追いつめ、倒した兵馬。しかし狼仮面は一体ではなかった。狼仮面の頭目は、越前の妹・縫を誘拐して兵馬をおびき出し、生き埋めにしてしまう。と、絶体絶命の窮地に陥った兵馬の前に現れる獅子面の神。その神の力を借りた兵馬は白獅子仮面に変身、越前爆殺の陰謀を未然に防ぎ、狼仮面一党を壊滅させるのだった。

 突然ですが(本当に突然…)時代劇ヒーローの第一話シリーズ。第一回は、もうすぐDVDも発売の「白獅子仮面」。
 たぶん数ある特撮時代劇ヒーローの中で、「魔人ハンターミツルギ」とタメを張るくらいにマイナーであろうこの作品ですが、実際に観てみると、特撮番組というより時代劇番組のフォーマットできちんと作られていることに驚かされます。
 舞台となるのは、大岡越前の時代ということで江戸中期。特撮時代劇ヒーロー番組のほぼ9割9分(というかこの番組以外)が戦国時代~江戸初期を扱っているのに比べて、独自性十分であります。時代が時代、しかも主人公は町奉行所の同心ということで、当然のことながら舞台は江戸八百八町。なかなかセットを用意するのも大変なんじゃないかな、という気もしますが、その辺りも手を抜いていないようで好印象です。
 そして剣兵馬(演じるは三ツ木清隆)も、一人で派手な(時代劇離れした)格好をしているのはまあご愛敬として、いかにも切れ者、といった凛々しさで、まさに「時代劇ヒーロー」そのもの。二丁拳銃ならぬ二丁十手というのも、なかなか面白いアイデアだと思います。
 その他のキャラクターも、頼りがいのありそうな大岡越前に、男勝りなその妹・縫、コメディリリーフコンビの同心・田所&目明かし・一平と、定番ながら楽しい配置となっていて好感が持てます。

 更に面白いのは今回の敵である狼仮面。造形的には正直今ひとつですが(むしろ犬か狐チック)、一体ではなく複数登場するのが素晴らしい。一体倒したと思ったらワラワラ登場、という意外性もさることながら、敵はワンオフの怪人ではなく、妖怪という一つの種族である、というこの作品の設定を感じさせてくれて感心しました(この、一妖怪が複数登場というのは、第一話に限らずこの先のエピソードでも同様で、この作品の特長の一つと言えます)。

 で。兵馬が変身する白獅子仮面なんですが…問題はこの人かもしれません。何故って、怖いんだ。本当に。
 ビジュアル的には、歌舞伎の獅子頭なんですが、顔が灰色というか…つまり死体色。そしてしかめっ面。これだけでも十分にヤなインパクトがあるのですが、恐ろしいのは変身シーン。
 兵馬が「獅子吼ーッ!」と叫んで二丁十手を打ち合わせる、というなかなか格好いい変身シークエンス、ここまではいいんですが、そうすると飛んでくるんですよ。そのおっかない白獅子仮面の顔が! 顔だけ!

 と、余計なことも書いてしまいましたが、時代ものと変身ヒーローもののミックスのさじ加減が絶妙のこの作品、変格の痛快アクション時代劇として観ても十分楽しい作品ですし、今般の妖怪ブームとDVD化を機に、もっと評価されても良いのではないかな、と思う次第です。

 …ちょっと褒めすぎちゃったかな。


おまけ:今回の怪人 狼仮面
 江戸征服を狙う火焔大魔王の命を受け、八百八町を騒がす怪人。西洋風の服とマントをまとった狼人間で、赤い毒ガスと目からの催眠光線が武器。一体だけでなく、青い目の頭目と、赤い目の手下複数が存在する(これが第一話のタイトルの元)。倒されると、赤い光を放って消滅。
 兵馬をおびき出し、生き埋めにした上で、越前の妹を操って越前を爆殺しようとしたが、白獅子仮面の登場で全員倒される。


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2005.08.03

姫巫女の決意のゆくえは 「池田屋の血闘 姫巫女烏丸龍子」

池田屋の血闘―姫巫女烏丸龍子
 サルベージシリーズ。加野厚志先生の烏丸龍子シリーズ第二弾です。タイトルでは池田屋事件を謳っていますが、今回の龍子の冒険は、怪陰陽師からの依頼を受けての、一条戻り橋から解き放たれたという十二体の式神封じがメインとなります。
 そしてそこで炸裂するのが加野節絶好調の超展開。はたして誰が敵で誰が味方なのか、何が正しくて何が邪なのか、そして龍子は何のために剣を振るうべきなのか…そこまで描かれてきた「真実」が、一ページ後にはひっくり返される超展開の前には、龍子ともども読者であるこちらまで、途方に暮れて――そしてそれはもちろん、こちらにとっては楽しい困惑なのですが――しまいます。

 もっとも、そんな世界の中で、我らが沖田総司君の、龍子さんに寄せる純情だけは変わらないのですが。
 気持ちが良いほどに真っ直ぐで、それだけにどこか痛ましいものを湛えた総司の言動は、この作品の清涼剤と言えましょう。

 そして、その一方で、そんな総司をあごでこき使う龍子というのは、(これに先立つ沖田総司シリーズも含めて)このシリーズの定番なわけですが、実はこの二人の関係に、決定的な転機が生じるのが今作。詳しくは申せませんが、作中で龍子が見せるある決意は、何というか、「萌え」? ってやつでありましょうか。(それなのに、ああそれなのに総司ときたら…)

 果たして龍子の、そして総司の運命や如何に。
 今後の展開が大いに楽しみなシリーズなのですが、続刊が(今のところ)ないのですなあ…


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2005.08.02

将軍吉宗意外伝 「吉宗御庭番」

 将軍吉宗直属の警護者・総番となった伊賀谷の忍・恐竜(おそれりゅう)を主人公としたバイオレンス・アクション。以前に「恐竜傳」として発表されたタイトルが、廉価版コミックとして二冊に再編集されたものです。

 総番は幕府の忍びにとって最高の栄誉たる職。群がるライバルたちを蹴落としてこの総番となった恐竜は、忠実すぎるほど忠実に職務を遂行していきますが、その吉宗はあまりに狭量かつ残虐な人物。そして新型銃の大量生産で天下を狙うと言われた吉宗のライバル・尾張宗春を探ることとなった恐竜は、宗春と直に触れてその英明さを知り、ついには吉宗に反旗を翻すこととなります。
 …というか、この作品での吉宗は、こちらが唖然とするほどの残虐非道・傲岸不遜の暴君。一般に吉宗=名君というイメージがあるもので、この落差には大いに驚かされました(実はこれがもの凄い伏線になっているのですが…)

 そして幕府創立以来、将軍に対し唯一刃を持って叛逆した存在となった恐竜は、襲い来るグロ怪奇な怪忍衆(キモいですキモすぎます)と死闘を繰り返す中、権力者たちは所詮同じ穴の狢に過ぎないこと、そして主に叛逆した犬は主を噛み殺すしかないことを悟り、逆襲に転じるのですが…

 ここから先、ラストにかけての展開には、もうただただ唖然。そんな馬鹿な!? という思いと、その手があったか!? という思いが同時に沸いてくる、そんな意外かつ伝奇的に非常に面白い結末に満足しました。


「吉宗御庭番 女忍地獄之巻」(さいとう・プロ&大川タケシ リイド社SPコミックス) Amazon
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2005.08.01

和風ファンタジーの復権はなるか 「天外魔境 ZIRIA」復活

 今日も今日とて周回遅れのネタを得々としてネタにする似非ニュースサイトモードですよ。
 さて、今回のお題は、マイクロソフトの次世代ゲーム機XBOX360でのリリースが発表された「天外魔境 ZIRIA 遥かなるジパング」。最近になって突如復活した「天外魔境II MANJIMARU」と、今年発売された「天外魔境III NAMIDA」に先立つシリーズ第一作のリメイクです。

 ゲーム屋店員の戯言様に紹介されているように、こちらで商品説明会の際のデモ動画を見ることができますが、まあ見た目はきょうびのゲームという印象で、PCエンジンで発売された「天外魔境 ZIRIA」をプレイした身としては隔世の感がありますが、これまで幻となっていたシリーズ第一作が復活するのは実にめでたいことです。

 この天外魔境シリーズ、あくまでも室町時代の日本風の異世界を舞台にしたファンタジーであって、うちで普段扱っている時代伝奇ものとは少々異なるものではあるのですが、シリーズの主人公たちが火の一族(ヒの一族!)出身であったり、井光の民が登場したりと、伝奇的ネタのアレンジの仕方がなかなかに巧みで、伝奇時代ものゲームがほとんど存在しなかった当時では、なかなかユニークかつ印象的な存在でありました。
 そしてゲーム以上に伝奇ファンとして忘れてはならないのは、角川スニーカー文庫から全3巻で発売された小説版。原作ゲームの設定を使いつつも、それを再構成し直し、独立した小説として読んでも面白い、和風ファンタジーとして成立させた名作でありました。特にジライアたち火の勇者と、宿敵・大門教の面々が、元々はまつろわぬ民として同根のものであったという設定(これはその後「天外魔境II」でも同様のものが見られますが)とそこから生じるドラマは、良質のファンタジーノベルとしての味わいが横溢しておりました。
 どうせリメイクするのであれば、是非この小説版の内容も盛り込んだものとなって欲しい…というのが心からの願いです。

 さて、この天外魔境シリーズ。いきなり言ってしまいますが、商品価値として見た場合、かなりマズいところにあるのかな、というのが現在の状況。上に述べたリメイク版II、そして新作であるIIIが、正直に言ってこれまで長きに渡ってシリーズを支えてきたファンと、これからファンになったかもしれない新しい層を残念ながら満足させるものではなかった(婉曲的表現)ため、天外魔境シリーズの神通力(要するにキラータイトルとしてのパワー)は相当低いところに来てしまっている印象があります。
 このリメイク版が名作和風ファンタジーシリーズの復権の第一歩となることを期待しております。


 おまけ。に比べるとちょっと男前になっているジライア…でもツナデはツナデで安心というかなんというか。

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