写楽とは何だったのか? 「写楽百面相」
版元の二代目・二三は、馴染みの芸者・卯兵衛の部屋で、見たこともないタッチの役者絵を目にする。この浮世絵の魅力に取り憑かれ、絵に残された「東」という一文字を頼りに作者を捜す二三だが、その周囲には次々と奇怪な事件が起こる。その果てに浮かび上るのは、江戸と京を結ぶ一大醜聞だった…
最近、泡坂妻夫先生の作品を色々と読んでいます(まだ時代小説のみですが)。淡々とした枯れた味わいと、ひどくモダーンで洒落た味わいが同居し、そしてそこにトリッキーなひねりが加わるという独特の作風が楽しくも心地よく感じるのです。
その中でも特に面白かったものの一つがこの「写楽百面相」。寛政期の江戸のアートシーンを背景とした、時代伝奇推理作品とでも言えばよいでしょうか。
主人公…というか狂言回しは「誹風柳多留」の版元の二代目・二三。ある日馴染みの芸者・卯兵衛の部屋で、見たこともない斬新なタッチの役者絵を見たことが物語の発端、この浮世絵の魅力に取り憑かれた二三は、絵に残された「東」という一文字を頼りに作者を捜すのですが、そんな彼の前に次々と怪事件と謎が現れます。
雪の中で消えた謎の足跡、行方知れずとなった卯兵衛、上方で消息を絶った二代目菊五郎、そして卯兵衛の死…これら一見バラバラにしか見えない事件の一つ一つが、まるでパズルのピースのようにぱちりぱちりとはまっていき、そこに浮かび上がったのは、江戸と京を結ぶ大秘事――という構成と物語展開の妙には唸らされました。
そんな伝奇推理としての味わいが物語の横糸とすれば、縦糸となるのは、江戸のアートシーンの状況を活き活きと描いた部分でしょうか。後の世まで名を残す作家・芸術家を多数輩出しながら、同時に空前の文化統制期にあったという、冷静に見てみればアンビヴァレンスな時代だった寛政期。そんな時代にあって、意地と理想を持ってあくまでも自分の芸術を全うしようとした当代の文化人たちの姿は、強く印象に残ります(そしてまた、この背景設定が、上述の伝奇推理部分と密接に絡み合っている――というよりこの設定でなければ起きえない事件を描いているのにまた感心します)。
そして、この物語と縦糸と横糸の交わるところにいるのが、言うまでもなく東洲斎写楽。この謎の絵師の正体探しが、物語の中心(の一つ)であることは当然なのですが――しかし、物語が進むにつれて、その行き着く先は、さらに深いところにあると気づきます。
それは「写楽は誰だったのか?」ではなく「写楽とは何だったのか?」という命題。すなわち、写楽の正体ではなく、写楽登場の理由とその存在意義を解き明かすのが、この物語の目指すところであり、そしてこの作品を一層味わい深いものとしていると言えるでしょう(最近では、えとう乱星先生の「写楽仕置帳」がこれに近いアプローチを行っておりましたな)。
最後に一つ、年表好きとしての感想を。
いささかネタばらしになりますが、本作の最終章は年表形式。エピローグ的な形で本編に関係する史実が淡々と語られていくのですが、これが実に印象的でありました。
それまでの、個々人の血の通った「物語」から、動かしようのない冷徹な「史実」へ。「史実」の持つ圧倒的な重みを感じさせられる一方で、その背後にある「物語」の存在を感じさせる――実に美事としか言い様のない伝奇的離れ業でありました。
と、その一方で、最後の最後でメタフィクション的な味わいを投入してくる作者の茶目っ気も素敵ですね。
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