戦国武将の人間力を見よ 「影風魔ハヤセ」第1巻
今までもこのブログで何回か紹介してきた森田信吾先生の最新作「影風魔ハヤセ」の第1巻が遂に発売。改めて収録の10話分まとめて読んでみると、やはり実に面白いのです。
物語の始まりは本能寺の変から。光秀の謀反により自刃に追い込まれたと思われた信長ですが、彼に付き従う影の陰、忍者(しのび)に忍び寄る者・玄忍者(くろしのび)こと影風魔ハヤセの策により信長は生存。そして光秀もまた、真犯人によりはめられたことを悟り、逆襲に転じんと策謀を巡らし――というのがメインのストーリーとなっています。
元々、バイオレンス時代劇を描かせたら当代五本の指に入るであろう作者ですが、その筆の冴えは初の忍者もの(だよな?)であるこの作品でも全く衰えることなく、いやむしろ、何でもありの戦いが繰り広げられていた戦国時代の合戦、忍者同士の死闘というものを、全く容赦ない、徹底的な描写でもって描ききっております。
特にハヤセが初登場で見せた、そのイケメンっぷり(たぶん森田主人公一の色男)にも似合わぬダーティーファイトは非常に鮮烈なインパクトがありました(まあ、1巻で主人公が大活躍するのここくらいなんですが…)。
…と、しかしこの作品で――少なくともこの第1巻の時点で――より強い印象を残すのは、忍者たちよりも三人の戦国武将、すなわち信長・秀吉・光秀のキャラクター(あ、ほんの一シーンでしたが家康も面白かった)。いずれも綺麗事の効かない、何でもありの戦場修羅場をくぐってきた男としての人間力が読んでいるこちらにビンビンと伝わってきて、これだけでもこの作品を読んだ甲斐があったというもの。
特に、比較的従来のイメージに沿っている信長・秀吉はともかく、光秀のキャラクター造形は強烈の一言。光秀といえば、どうしても「悲劇の文化人」とか「身の程知らぬ小才子」のイメージがつきまといますが、どうしてどうして、この作品での光秀はそんな小さな人間ではありません。というか、あたかも森田イズムを体現したかのような言動にもうメロメロ。
以下、特に印象的な台詞を抜き出せば…
「この俺相手に謀略戦挑むとは……愚かな奴もおったもんだ!! ……のう?」
「この明智……もともと流浪の我が身ひとつ! 機が満ちるまでたかが俺ひとり……身を隠すすべなど心得ておるわ!!」
「あまたの戦場修羅場くぐり抜けてきたこの光秀……詩歌ひねるだけが取り得の……そこらのヘナチョコ公家・坊主と同じだと思うなよ!!」
特にね、三番目の台詞には、本当にごめんなさいという感じです。
と、これだけ書くとキャラの魅力だけで保っている作品のようですが、伝奇的に見ても、例えば山崎の合戦の解釈などなかなかユニークかつ納得できるものがあり、そして何よりも本能寺で死ななかった信長がこれからどのように動いていくのか、興味は尽きません。
連載の最新回では、信長と玄忍者たちを狙って、日本中の腕利き忍者たちが集合、これがまたいかにも、な面々で、忍者ものとしてももちろん大いに期待出来そうです。
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