「十兵衛両断」(1) 人外の魔と人中の魔
荒山徹先生の第四作は、全五編からなる連作短編集。全編通じて描かれるのは、朝鮮妖術と柳生剣法の対峙であり、これだけで伝奇時代小説ファンにはもうたまらないのですが、しかし、読後感はこれまでとは些か異なる作品として仕上がっています。
それにしても収録された全五編は、いずれも一本一本が長編となってもよいほどのアイディアとパワーに満ち満ちた作品。こちらもいちどきにこれほどの作品群の感想を書くのは、正直なところかなりパワーが必要なため、何回かに分けて感想を綴っていきたいと思います。
「十兵衛両断」
短編集全体のタイトルともなっているこの作品、この朝鮮と柳生を巡る奇怪な一連の物語の語り起こしとして、まことに相応しい驚天動地の作品であります。
家光に仕えていた柳生十兵衛が、勘気を被って一時期表舞台から姿を消していたのは有名な話で、その理由・その期間の行動などは、様々な作品の中で描かれてきましたが、その中でも最も奇怪なものとしてこの作品は挙げられるでしょう。なにせ、朝鮮妖術ノッカラノウムによって、かの剣豪柳生十兵衛の肉体が奪われてしまうのですから!
伝統的に文を尊び武を蔑む朝鮮が、権力のための「力」として目を付けたのが日本の、柳生の剣法。その奥義と最強の剣士を奪うための秘策がこの精神交換の妖術であり、一度奪われれば二度とは元の体に戻れぬという絶望的な状況から、いかに十兵衛が復活するかがこの作品の眼目の一つ。
そして、朝鮮妖術を上回るかのような奇怪な人間の魂と肉体の作用から、遂にこの世に二人存在するに至った二人の十兵衛の対決が、この作品のクライマックスとなっています。
と、そのような伝奇ものとして非常に「たまらない」シチュエーションの一方で、際だって描かれるのが十兵衛の父、宗矩の、ひいては権力というものの非情。
己の役に立たぬ存在、己の行く道を阻む存在と思えば、血を分けた実の息子ですら冷然と処分しようとし、一方、己の益になると知れば、たとい我と我が息子を苦しめた宿敵であっても平然と手を結ぶ…権力亡者、という言い方が悪ければ権力の魔に取りつかれたかのような人物としての柳生宗矩というのは、これもしばしば見られるシチュエーションではありますが、人外の魔というべき妖術の脅威が描かれる今作だけにより一層、それにも負けぬ、言ってみれば人中の魔というべき精神の恐ろしさが際だちます。
ちなみにこの作品、十兵衛対十兵衛という点では山田風太郎先生の「柳生十兵衛死す」を想起させますが、もう一つ、登場人物の顔ぶれを見ると、五味康祐先生の「柳生武芸帖」をも思い起こします(というか、作中で朝鮮十兵衛が設置した武術機関が「柳生武芸庁」と呼ばれるというそのものズバリなお遊びもあるのですが)。
いわば短編一作品で、時代小説史上に残る二つの柳生ものへオマージュを捧げるという離れ業には驚きますが、そこに止まらず、「新陰流」という名前・流派に秘められた意味を描き出し、そしてそれが神秘的なまでに美しいラストの一シーンに結晶する辺り、剣豪小説としても第一級の作品だと感心させられました。
冒頭に書いたとおり、何回かに分けて感想を記したいと思います。以下続く(いつになるか不明ですが…)。
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