「世話焼き家老星合笑兵衛 竜虎の剣」 武士として、人として
久々に、実に気持ちのいい作品を読むことができました。将軍吉宗の時代を背景に、瀬戸内海に面した倉立藩の家老・星合家の人々の活躍を描く痛快時代活劇であります。
といっても、普通の時代活劇とはひと味違うこの作品。何せ舞台となる倉立藩は、殿様重臣が幕府成立時に功あって武士に取り立てられた職人たちで、そのためか他藩では想像もつかないほど武士と町人たちの垣根の低いという特異な事情があります。
そんな倉立藩で進む計画というのがまた破天荒。何せ、藩をあげて、藩政を幕府に返上してしまおうというのですから! 幕府にお取り潰しされる藩、お取り潰しを逃れようと苦闘する藩は数あり、しばしば時代劇のネタとなってきましたが、藩を返してしまおうとは、意表を突いた、という言葉では足りないほどの見事な設定です。
もちろん、この仕掛けが単なる鬼面人を驚かす体のものではないのは言うまでもない話。詳しくはここでは書きませんが、上記の倉立藩の成り立ちを踏まえた、武士としては意外ながらも、人としてみれば実に暖かく、納得できる倉立藩の人々ならではの想いが、そこには込められているのです。
とはいえ、そうした一種の善意に素直に納得できない者たちがいるのも当然な話。武士としての生き方に固執して反発を見せる者、彼らを利用して藩政転覆を企む者、更にその背後に潜む謎の怪人「源氏様」が登場、一気に物語はクライマックスに向けて突っ走っていきます(ちなみに源氏様の正体は、時代劇ファンであればニヤリとしてしまうものとなっています。ヒント:時代背景)
そしてまた、この「武士として」「人として」の生き方の相克は、この作品全体を貫くテーマとでも言うべきもの。この時代から見れば、むしろ倉立藩の人々の方が異端児なのは、言うまでもないお話です。
特に主人公・星合健吾の親友であり、武士としての矜持を貫かんとするあまりに、藩乗っ取りを企む源氏様一党に利用されてしまう沢渡典馬は、この物語のもう一人の主人公とも言うべき存在。健吾と共に倉立藩の竜虎とも称される典馬が、親友との悲劇的な対決の果てに何を見出すのか、それは物語のクライマックスの一つと言えるでしょう。
しかし個人的に何よりも感動させられたのは、その典馬の妹で健吾の恋人・静花の存在です。
正直言ってこのキャラクター、登場した時には、典型的な足手まといの古臭いヒロインにしか見えませんでした。美しく慎ましやかですが、自分の意見を持たず、周囲の状況に巻き込まれ主人公の救いを待つだけのお人形さんと。
が、そのような描写すら作者の計算のうちだったと思い知らされるのがラスト。兄にも負けぬ葛藤に苛まれてきた彼女が、その果てに達した想いの、何と美しく、力強いことか。彼女の言葉は、そのまま「人として」生きることの尊さ、素晴らしさ――すなわち本書のテーマに直結するもの――の一つの表れと言ってもよいでしょう。詳しくは述べませんが、その彼女の言葉が一つの孤独な魂を救いだしたことにより、物語は見事な大団円を迎えることになります。
いやはや全く、私の完敗です。
ちなみにこの星合家、嫡子・健吾が井蛙流、父が空鈍流、妹が深甚流をそれぞれ修めているというマニア好み(?)のマイナー剣法一家。残念なことに、健吾以外その設定が十分に活かされているとは言い難いのですが、それはこれからの楽しみ、ということなのでしょう。
…当然、シリーズ化されますよね? いや、されないわけがないと信じたい。それだけのポテンシャルのある良作です。
| 固定リンク
コメント