「新・里見八犬伝」
八犬伝特集第六回は、角川映画全盛期に真田広之と薬師丸ひろ子で映画化された「里見八犬伝」の原作小説「新・里見八犬伝」。八犬伝をいわゆる「超伝奇バイオレンス」のフォーマットで描き出した作品とでも言えばよいでしょうか(本当は「超伝奇~」の語が出てきたのはこの作品よりもう少し後のように記憶していますが…)。
ストーリー自体は、もちろん八犬伝を冠する物語であるからして伏姫の八つの玉を持つ八犬士の物語であり、敵や脇役の中にも聞いた名前がちらほらしてはいるのですが、各キャラクターの設定自体や物語構成は相当に大きく異なります。
その相違点を詳しくは採り上げませんが、やはり全体を貫く最も大きな相違点は、この物語全体が「光と闇の対決」という構図に貫かれていることでしょうか。もちろん元の八犬伝においても、八犬士は人間の徳目を具現化したいわば善なる存在。そして彼らに対立する存在として幾多の悪人、時には妖怪変化までもが登場しますが、あくまでもそれは善の障害物としての存在という色彩が強いように感じられます。
一方で本作においては、悪=闇は、善=光と対等以上の力と存在感を持つものとして描かれています。本作では、光の側に八犬士がある如く、闇の側にも八人の妖鬼が存在していることが、そのことを端的に示しているように思えます。
ちなみにこの妖鬼たちの顔ぶれ、オリジナルキャラもいますが、原作に登場するキャラクターをモディファイした者もいるのが八犬伝ファン的に面白いところ。原作でも里見家を大いに苦しめた蟇田素藤、八犬士で悪女といえばこの人な船虫の登場は十分納得として、かなり小悪党の籠山逸東太と泡雪奈四郎がこちらでは猛烈にバイオレンスなキャラになっていたのは、違和感ありすぎてかえって愉快でしたよ。
なお、光と闇、と言葉だけ聞くと、どうしても今の目で見ると陳腐な印象があるかもしれません。が、本作においては相当に光側の八犬士の生い立ち・前歴が半端ではなく悲惨であって、それでもその中にあって何とか自分の生まれてきた意味を探し求め、また、自分が孤独ではなく信じうる絆がこの世には存在することを命を賭けて証明しようとする姿が力強く描かれており、そうした陳腐感は感じませんでした。
いずれにせよ、現代における八犬伝リライト…というよりオリジナル八犬伝を考えた時に、やはりまず採り上げられるべきであろう本作。八犬伝という古典の中に、現代のエンターテイメント世界に通用する要素が含まれているとはっきりと見て取れるだけでも、本書の持つ意味は決して小さく内のではないかと思う次第です。北斗信仰とか八字文殊菩薩とか、妙にマニアックなところに題材を求めているのもポイント高いです。
まあ、全く個人的な話をすると、終盤「ここは俺に任せて先に行け!」の連発だったのが大好きなんですが…(でも荘助の死に様はいまだにトラウマ)
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