「射雕英雄伝 5 サマルカンドの攻防」 良くも悪くもの金庸イズム
金庸先生による全5巻の長篇伝奇「射雕英雄伝」もこれで最終巻、これまでは武林(武術界)での争いがクローズアップされていた感のある本作ですが、終盤では、ジンギスカーンの征西に焦点が当てられ、歴史劇の色彩を強くしつつ、郭靖と黄蓉、二人のドラマが描かれていきます。
…で、実はだいぶ以前にこの第5巻を読み終えていたのですが、今まで感想を書いていなかったのは、この作品をどう扱ったものかちょっと悩んでしまった、というのが正直な理由であります。
何と言いますか、本書では良くも悪くも金庸イズム爆発。というか主に後者の意味で超爆発。
物語的には、郭靖が義理と人情の間に板挟みになりながらも、遂に黄蓉との愛を貫くことを決意し、二人の関係も丸く収まるかと思えば、黄蓉の父・東邪の桃花島で郭靖の師たちが惨殺されているのが発見されるという急展開。傷心のうちに郭靖はモンゴルに戻り、ジンギスカーンの征西に参加、そこで郭靖が見たものは…と、いう展開。
これだけ読むと誠に結構な内容に見えるのですが(いや、実際結構なんですが)、爆発しちゃったお方が約一名。その名も西毒・欧陽鋒。
いや、本当に欧陽鋒の暴落ぶりは凄まじいものがありました。奸佞邪悪な妖人であったはずが、最強の秘伝書「九陰真経」を求めて郭靖と黄蓉に関わったのが運の尽き。戦場において深刻な物語が展開される一方で、何度も郭靖に挑んでは敗れて捕らえられ、挙げ句の果てに全裸スカイダイビング…ラストの扱いも壮絶で、いやはや、金庸先生のある側面が暴発してしまったか、という印象です。
以前にも挙げた素敵なバカ映画「大英雄」は、案外金庸作品の一面を正しく把握していたのかな、と妄言の一つも書きたくなります。
が、その一方で、快進撃を続け、遂には大帝国を樹立したジンギスカーンに対し、郭靖が英雄なんたるかを語るラストは、非常に重くかつ味わい深いものがあり、こちらもまた金庸作品の――世の人にもて囃される所以の――一面でありましょう。
非常に失礼なことを承知で申せば、「先生、ラストは最初に決めておいて後はノリで書いたんじゃないかしらん」と思わないでもなく、その意味ではこの作品はちょっと違う方向で評価されすぎではないかと思わないでもないですが、しかしやはり、全5巻を読んでいる間、本当に楽しい時間を過ごすことができたのは紛れもない事実。まあ、私はおバカなノリも重厚な味わいも元々大好きなのですが。
続編である「神雕剣侠」も読まなければ、と思います。
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