「木島日記」(小説版) あってはならない物語
民俗学者・折口信夫は、ある日誘い込まれるように訪れた古書店・八坂堂の一角で、構想中の己の小説の題が冠せられた、己の名義の書物を発見する。それは八坂堂の主人にして奇怪な仮面を身につけた男・木島平八郎の手による偽書であった。「この世にあってはならないもの」を仕分けることを裏の生業とする木島に導かれるように、折口は次々と奇怪な事件に巻き込まれていく。
「偽史」、というものが以前から気になっておりました。
歴史好きで伝奇好きの僕にとって、偽史というものはもちろん避けて通れない存在であり、いずれはうちのサイトの年表の中に全て取り込んでくれようと不遜に思っていたのですが、さて、偽史と伝奇の違いとは何だろう、と思ったのは、間抜けなことについ最近のこと。
おそらくは歴史に根ざすフィクションであって、己をフィクションとして自覚してその域に留まっているのが伝奇なのに対し、自覚しているといないとにかかわらずある意図の元に己を事実・史実として主張するようになったものが偽史なのでありましょうが、さて、それではフィクションを偽史たらしめる意図・意志とは――というところでこの「木島日記」。
本作の舞台は昭和初期、二・二六事件後の、日本がまさに戦争の狂気に飲み込まれていかんとする時代。その昏く狂熱的な時代を背景に、仮面の古書店主・木島に魅入られた折口信夫が目撃する事件の数々は、いずれも正史と偽史のあわいを縫うように現れ消えるものばかり。
木島の仮面の下の素顔にまつわる物語「死者の書」、サヴァン症の子供たちによる未来予測計算の顛末が語られる「妣が国・常世へ」、偽天皇とキリスト日本渡来説とロンギヌスの槍という奇怪な三題噺「古代研究」、帝都を騒がす赤子攫いと八百比丘尼伝説が意外な交錯を見せる「水の女」、ジプシーの記憶する水が語るヒトラーの出自とユダヤ人満州移住計画を描く「若水の話」――本書に収められた物語で扱われる“ネタ”は、伝奇好きであればどこかでお目にかかったものも少なくありませんが、しかしそんなフィクションを偽史たらしめんとする意志の存在が、木島たちの存在を介して描かれることにより、物語を実にエキサイティングなものとしているのは、本作の収穫でしょう。
我々が正史と信じているものに、どれだけ虚構で構成されているか。我々が偽史と嗤うものに、どれだけ真実が含まれているか。本書を読み進むうちに、確かなものと信じていた過去=歴史が、もしかすると…という気分が自分の心の中に生まれていくのは、木島の手による偽書の中に己の姿を見いだした折口の姿に重なるものがあって、一種倒錯した愉しさも感じられることです。
そしてまた、その愉しさの中にある危険性(それはもちろん本作や姉妹編「北神伝綺」で描かれる民俗学の孕む危険性と同種のものですが)に気づかせてくれるのは、なるほど悔しいが大塚英志ならではの業前と言わざるを得ません。
偽史が――それもロマンの欠片もないつまらない代物が――大きな顔をして白日の下で跋扈する今という時代に読む(書かれる)に相応しい作品であると申せましょうか。
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