柴錬の最晩年の作品、完結した長編としてはおそらくラストの作品である本作は、田沼時代を舞台に、「世直し」への強烈な想いを胸にした曲者たちが活躍する異色作です。
主人公は、鋭利な知性と凄まじい武芸の業前、そして非情とも言える冷たく冴えた心根を持つ若者・禁門影人。英明を謳われながらもそれ故に暗殺された桃園天皇を兄に持ち、それ故に世をすねた生活を送っていたという、まさに絵に描いたような柴錬主人公なのですが、しかし彼が他のヒーローと明確に異なるのは、世直しを目的に活動を開始する点。
およそ世の中の動きに、他人の生に――いや自身の生にすら――興味を持たぬのが大半を占める柴錬主人公の中で、数少ない世直しという目的を持ち、社会変革のために戦おうとする影人の存在は、柴錬ファンの目にも異彩を放って見えることです。
もちろん、世直しという巨大な目的に一人で立ち向かえるものではないの事実。そこで彼がスカウトするのは、いずれも劣らぬ心根と技を持つ「曲者」たち。
平賀源内、公儀御庭番・鬼堂天馬、上田秋成、女忍者・無香、高山彦九郎、掏摸の元締め・松井源水…虚実ないまぜにした、生まれも育ちもそれぞれ大きく異なる曲者たちの力を束ねて、影人が天下に挑むか、というのが本作の眼目の一つであります。
もちろん柴錬主人公だからして(?)、尋常な、常識的なやり方ででそれを成そうとするわけもなく、その世直しの手段も破天荒なもの。
己の意志の代弁者としてあの田沼意次に目を付けた影人は、偶然命を救った銭屋五兵衛の身代や、数々の死闘の果てに手に入れた末次平蔵の隠し財宝を意次に与え、意次を最高権力者にまで押し上げます。更にとんでもないことに、平賀源内が作った麻薬をばらまいて、大奥すら手中に収めてしまうという有様。ヒーローはヒーローでも、ピカレスクヒーローというのが相応しいかもしれません。
しかし、影人の行動に生臭さが感じられないのは、それが己自身の欲望・野望から出たものではなく、一種純粋な想いに依っているから。社会を変えていくことがきれい事だけでは叶わないと知りつつ、そして己があくまでも礎であることを自覚しつつ世直しのために戦う彼は、どこまでも純粋で、己の美学に殉ずる者として感じられます。
もちろん、歴史を見れば、田沼意次とその時代がどのような運命を辿ったかは明白であり、そこに初めから結末を提示された物語としての哀しみも感じてしまうのですが、しかし、操っていたはずの意次の反抗に遭い、次々と仲間たちを失いながらも一人立つ影人の姿からは、どこか清々しさすら感じられるのは、その向かう先に違いこそあれ、彼もまた己の「心意気」を何よりも尊ぶ者――無頼の徒、だからなのでしょう。
ちなみに、本作の執筆動機の一つであり、また田沼意次の一種モデルともなっているのは、あの田中角栄の存在。柴錬が、角栄首相誕生時に寄せていた期待と、それが裏切られた際の複雑な心境については、エッセイ集などに明らかですが、それを心の片隅に置いておけば、より興味深く本作を読むことができるでしょう。
田沼時代の終焉から江戸幕府が消滅するまで80年。田中角栄の時代から今に至るまで約35年、あと45年で果たしてこの世の中が如何変わっていくのか…本作を読了してふとそんなことを考えさせられた次第です。
「曲者時代」(柴田錬三郎 集英社文庫) Amazon bk1