「髑髏検校」 不死身の不知火、ここに復活
吸血鬼という存在は、どこまでの人の心を引きつけるらしく、およそ文学の世界に吸血鬼が登場して以来、それこそ無数の吸血鬼物語が生まれ、語られたのではないかと思います。そしてまた、吸血鬼同様、そうした物語も(もちろん「貴種」ともいうべき優れた内容のものに限られますが)極めて長命で、一度姿を我々の前から消したように見えても、またしばしの時を経て復活するものと見えます。
この「髑髏検校」も、もちろんそうした吸血鬼物語の一つ。そしてその生命力たるや、一度どころかほとんど不死身と思えるほど幾度も復活するほど(私の知る限りでも、四度は文庫化されているかと思います)。もちろんそれは、本作がそれだけ優れた作品である証しにほかなりません。
と、持ち上げておいてなんですが、本作を一言でストレートに評すると「吸血鬼ドラキュラの翻案」以外の何物でもありません。
異境で吸血鬼の一党に出会った若者の手記に始まり、その吸血鬼が都に現れ、若者の恋人をはじめ、次々と人々を毒牙にかける。やがてその魔の存在に気付いた老碩学が仲間たちとともに吸血鬼と対峙し、死闘の果てに遂に魔人を滅ぼす…
もちろん、これは吸血鬼ものの定番展開ではあるのですが、それにしてもこれはあまりにもそのままの構成かと思われます(もちろんレンフィールドに相当する狂人も登場しますしね)。
が…それでもなお、本作が我が国の吸血鬼文学史上燦然と輝くのは――単に時代小説で初めて「ドラキュラ」をやったというコロンブスの卵的存在だからではなく――そのあまりに見事な翻案ぶりによります。
その翻案の見事さを一つ一つ検証はしませんが、例えば物語の冒頭、吸血鬼不知火検校の侍女、松風と鈴風(もちろんこちらも人外の魔性)が初登場するシーン。「ドラキュラ」では、彼女らに相当するキャラクターは、吸血鬼として棺から現れるですが、本作においては、不知火検校の骨寄せで登場するのです。ナイスジャパナイズ!
その他、登場する事物の一つ一つが見事に日本風にアレンジされており、翻案ものにままある違和感というものは、まずもって感じられません(おそらくは、「ドラキュラ」を読んだことのない方が読んで、全く元ネタの存在は感じ取れないのではないでしょうか)。
もとより、妖異陰惨であると同時に、どこか歌舞伎的絢爛華美な作風を備えた作者の時代小説であるが、本作ではその特長がもっとも良き形で現れたのではないかと思います。
本来は日本から遠く離れた欧州の果ての、一梟雄の伝説と、土着的妖怪譚とを混淆させた、いわば純粋に欧州産である物語が、これほどまで違和感なく日本の物語として描かれるとは、驚くほかありません。
正直なところ、想定よりも連載期間が大幅に短縮された関係で、終盤の展開にやや食い足りない部分はあるのですが、既に伝説と化した感もあるラスト(検校の正体)のインパクトの前には、それももう、小さなことのように感じられます。
本作が、ほとんど不死身の生命を持つかのように思えるのもむべなるかな。今回の復活で、一人でも多くの餌食が生まれることを願ってやみません。
…と、「髑髏検校」の名パートナーたる「神変稲妻車」について書く余裕がなくなってしまったので、そちらはまた別の機会に。
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