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2006.08.31

「獣兵衛忍風帖 龍宝玉篇」第一話 「かくれ里無惨」

 深い森の中で死闘を繰り広げる異形の者たち。それは一族に伝わる龍の宝玉を盗み出した男・狼牙と彼に対する追っ手、更に彼らと対立する鬼門衆だった。と、そこに飄然と現れた男は、襲いかかる鬼門衆を剣風のみで一刀両断。狼牙はその技から彼を凄腕の雇われ忍者・牙神獣兵衛と悟り雇おうとするも、獣兵衛はそれを断り去っていく。あてどもなく旅する獣兵衛は、山間の隠れ里に迷い込み、そこで気の強い娘・しぐれと出会う。が、突如、里を鬼門衆の巨大カラクリ戦車が襲撃。獣兵衛は炎の中で鬼門衆・うぶめと対決、これを斃す。一方、狼牙はしぐれを逃すも瀕死の重傷を負い、獣兵衛に宝玉を託して息絶えるのだった。

 井上敏樹の時代劇といって頭に浮かぶのがアニメ版「仮面の忍者赤影」「獣兵衛忍風帖 龍宝玉篇」。日本の時代劇アニメ史上に残る名作「獣兵衛忍風帖」(以下「オリジナル」)の設定を使った(素直に続編・シリーズ作と言えないのがややこしい)連続シリーズですが、響鬼劇場版DCの文章を書いていて思い出したので、久々に通して見る(紹介する)ことにしました。

 で、不定期紹介の第一話なのですが、冷静に見てみると、これがまた実にかっちりした作り。いや、やっていることは(良くも悪くも)ブッ飛んではいるのですが、連続シリーズの第一話としては、気持ち悪いくらいに手堅い作り方と思います。
 まず冒頭から異形の者同士が激突するアクションシーンで問答無用で物語世界に視聴者を引き込むと同時に相争う二つの勢力の存在を暗示し、そしてそこに飄々と割って入る主人公のバカ強さとひねくれた性格を見せる。そして後半は主人公とヒロインを一度出会わせ、そして再びのアクションシーンを通して、その二人がそれぞれの理由から冒険の旅に出る(出ざるを得なくなる)様を描く――改めて書くのもちょっと馬鹿馬鹿しいくらいわかりやすい(もちろんこの場合は褒め言葉)構成であります。
(難点を言えば獣兵衛のキャラが今ひとつ薄い(ってこれは実は第一話だけじゃないような…)ところですが、しぐれが外の世界に何がある、何が違うと尋ねたのに「どこに行っても人は人、空は空。何も変わらねえよ」と答えたシーンはなかなか良かったかと思います)

 が、その一方で、既に第一話の時点でオリジナルとの差別化は図られていることがわかるのは面白いところ。一言で言えば時代劇と時代ファンタジーの違いと言いますか、ものすごく大雑把に喩えれば山田風太郎と石川賢の違いと言いますか…
 オリジナルが、常人離れした超人バトルを描いているようで、実は非常に真っ当な時代劇のフォーマットに則って描かれていたのはご覧になった方であればうなづいていただけるかと思いますが、「龍宝玉篇」は、少なくともこの第一話の時点ではかなり異なる手触り。例えばキャラクターに目を向ければ、少なくともこの第一話に登場するのは、一部を除いてビジュアル的にも能力的にも時代劇のキャラクターとも到底思えない者たちばかりで、正直なところ、隠れ里の人々が出てくるまで、異世界ファンタジーと言っても通じるような作りであります。
 もちろん、キャラだけ比較するのも如何かと思いますが、オリジナルではほとんどの敵相手にボコボコにされながら苦闘を演じた獣兵衛が、こちらではやたらと強いキャラに描かれているのも含めて、意図的にオリジナルとの違いを描いているのだな、という印象を受けました。

 もちろんこれは、オリジナルを見た人間の感想ではありますが、やはり同じタイトルを冠している以上は当然気になる点ではないかと思います。そしてオリジナルと意図的に異なる手触りで作品を作って見せたことについては、賛否両論あるかと思いますが(というか後者が大半か)、それはそれでスタッフ側の意図というものが明確にあったのだろうな、と今にして感じられた次第です。
 …何だか第一話にしていきなり総括してしまった気もしないでもないですが、続く。


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2006.08.30

「仮面ライダー響鬼と7人の戦鬼 DC版」 一本の映画としての再生

 だいぶ前にDVDを入手していたのに今頃紹介するのも何ですが、ちょうど今、今年の劇場版ライダーが上演されているし丁度いい(そうか?)ということで、「劇場版仮面ライダー響鬼」のディレクターズカットを。

 劇場公開版については、既に感想を書いており、基本的なものは、その際からあまり変わっていないのですが、やはり時間の都合でカットされていたシーンが復活したのは、一本の映画として見た場合、非常に大きかったな、という印象です。
 ざっと見たところ、復活したシーンは、鬼たちの心情描写が中心。これがまた、さりげなくも重要なシーンばかりで、正直なところ、何故これを切りますか、という印象。
 確かに子供向けの特撮アクション映画として見た場合、プライオリティが低くなる部分ではあるかと思いますが、純粋に独立した一本の作品としてみた場合、キャラクター造形を深める点において、切るにはもったいないシーンでありました。
(本作の脚本を担当した井上敏樹が、「俺様のの見事な脚本を切りやがって」とか何とか言っていたというネタ臭い話を聞きましたが、それもうなづけるかと。それにしても、わずか数秒・数分のシーンを復活させるだけでぐっと物語の奥行きが変わって見えるというのは、裏返せばそんな短いシーンにきっちりと書き込みが為されているということで、やはり敏樹はすごいや)。
 劇場版公開直後に、ドラマ面に対する不満の声も聞こえてきましたが(まあ、あの当時の評判は色々バイアスがかかっているのでナニですが…)、この形であれば、そうした声はかなり小さかったのではないか、と非常に勿体なく感じました。

 劇場公開版で最も不満だった、描かれなかった歌舞鬼の最期のシーンもきちんと復活しておりましたが、これがまた重要なシーン。予想外にあっけなくはあったのですが、しかし、歌舞鬼というキャラクターの存在を全うさせるにあたって重要かつ印象的な場面であり、これが上映されなかったのは、返す返すも残念なことでした。
 本作が時代劇として描かれることの意味、必然性については既に書きましたが、その点からも歌舞鬼の存在は重要であり、最期まできちんと描ききって欲しかった…と強く感じたことです。

 何はともあれ、復活したシーンにより、物語の深み・厚みが(勿論特撮ヒーロー映画という枠の中ではあるかもしれませんが)増すこととなった本作、さすがに全く元番組を知らない人にまで薦めるのは厳しいかも知れませんが、余計なこだわりなく元番組を楽しめた人なら勿論のこと、一年前に劇場公開された作品に不満を持った方にも――いや、そんな方にこそ――見ていただきたい作品です。


 ちなみに蛇足を承知で書くと、歌舞鬼と並んで本作の実質主役であった(戦国パートの)明日夢少年の感情剥き出しのキャラクター描写は、演じる栩原楽人の熱い演技もあって実に印象的でした。TVではニマニマしている表情が印象に残っているキャラクターだけに、より一層そのように感じられたのかも知れませんが、やはり役者さんは凄いですね。


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2006.08.29

「美男狩」 時代伝奇小説の魅力をぎゅっと凝縮

 時代小説にも様々なタイトルがありますが、その中でも随一と評してよいインパクトを持つものと言えば、まずこの「美男狩」をおいて他にはありますまい。何せ「美男」を「狩」ってしまうわけで、健全な男子としては果たして読んでよいものか一瞬ためらうものがないでもないですが、もちろん大丈夫。名手・野村胡堂先生の手になる、まるで時代伝奇小説のお手本のような大名作であります。

 舞台は幕末も間近な頃の江戸。密貿易の咎で捕らえられ獄死した銭屋五兵衛が残したという莫大な財宝を求めて、五兵衛の孫・お京が現れるところから物語は始まります。
 品川台場沖に船を出したお京たちですが、それを見咎めたのは幕末三剣客の一人斉藤弥九郎と桂小五郎。彼らに捕らわれたお京を救うために立ち上がった北辰一刀流の美剣士・篠原求馬の前には彼の宿命のライバルで同じく美剣士、斎藤門下の横山新太郎らが立ち塞がります。窮地に陥った求馬らを救ったのは、伊皿子の怪屋敷に住まう謎の女主人と、彼女に仕える女道士・笹野雪江で…

 と、冒頭から目まぐるしく物語が展開する本作、以後も一読巻を置くあたわざるという言葉がぴったりのジェットコースターぶり。内容の方も、宝探しあり剣戟あり、恋の鞘当てあり妖術合戦ありと、時代伝奇小説の魅力をぎゅっと凝縮したような盛り沢山の内容であります。
 そして、個性豊かな登場人物が巻き起こす事件や戦いの数々の中心に――すなわち本作の中心にあるのが、伊皿子の怪屋敷とその住人たち。奇しき因縁の糸に操られるかのようにこの屋敷に登場人物と物語は収斂していくわけですが、そここそがタイトルである「美男狩」の場。

 妖艶な女主人は、実は大の美男好き、吉田御殿よろしく屋敷に美男を次々と引きずり込んでは…というわけですが、更にこの女主人、美男(同士)が己の命を賭して闘うのを見て悦びを覚えるという、まことに結構な…あ、いや悪趣味な嗜好の持ち主。
 かくて共に美剣士にして剣の道でも恋の道でも不倶戴天のライバルである求馬と新太郎は、怪屋敷で死闘を繰り広げることになるのでありました。
 と、これが他の作家、例えば怪建築と妖しの女性大好きの国枝史郎が書くと妙にEROくてその一方で妙に求道的な内容になりそうですが(もちろん褒めているのですよ)、そこはさすがに胡堂先生、「ですます」調の爽やかな文体もあって、全体のテンションを保ちつつも、題材から来る陰惨さや淫靡さを巧みに緩和して物語を構成しており、感心させられます。
 ちなみに、感心を通り越しして愕然とするのは、本作が胡堂先生の時代小説第一作ということ。もちろん、既に新聞記者として、音楽評論家として、SF作家として(!)筆名を成していた方ではありますが、いやはや、その後の大活躍もむべなるかなと痛感した次第です。


 しかし――胡堂先生の時代伝奇小説のファンであるところの私が常々不満なのは、「銭形平次」以外の作品が、本作をはじめとして現在ほとんど幻と化してしまっているということ。せめて、本作と「三万両五十三次」くらいは普通に読める状態にしてくれてもいいではないか……と長い間思っているのですが。


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2006.08.28

「影風魔ハヤセ」第3巻 さらば戦国、さらば忍者

 森田信吾の戦国忍者アクション「影風魔ハヤセ」も遂に最終第三巻。秀吉と家康、そして実は生きていた信長と光秀という、戦国の英傑たちの最後の激突が描かれる、全編クライマックスというべき内容となっています。

 ハヤセら影風魔と滝川一益らの助力により、一軍団を成した信長。信長生存を知らずも、再起を目指して暗躍する光秀。そして戦国の覇者たらんと最後の激突に向かわんとする秀吉と家康…表の歴史の背後で激しくぶつかり合う四巨頭ですが、その暗闘の中で、主人公ハヤセが、忍者としてではなく、指揮官・参謀として才を表していくのが意外かつ面白い展開です。

 そしてそのハヤセの転身が、歴史の皮肉とも言うべき第二の○○○を契機に、日本の歴史をも大きく転換させていくというダイナミックな終盤の展開については、既に雑誌掲載時に読んでおり、こちらで紹介もしているのですが、改めて読んでみてもつくづく唸らされます。
 一つ匙加減を誤れば架空戦記に転がりかねない展開の中で、見事に史実の枠内に物語を収めてみせつつも、同時にその史実に全く別の意味を与えてみせた作者の手腕はただただ見事。これぞまさしく時代伝奇の醍醐味というものでしょう。
 もちろん、そんな大きな展開の一方で、忍者同士の秘術合戦も平行して描かれており、割かれたページ数こそ多くないものの、血で血を洗う死闘を描かせれば当代屈指の名手である作者らしく、一瞬の動きが生死を分ける忍者の戦いというものがしっかりと描き出されていたかと思います。

 ちなみに――今まであまり取り上げたことはなかったですが、森田作品は、台詞まわしが適度にリズミカルかつケレン味が利いていて、長い台詞もテンポよく読めてしまうのは、これも一つの業かと思います。

 それはさておき、ハヤセらの日本全てを向こうに回した大芝居の果てに、終りを迎えた戦国時代。最終回で描かれる、本作のもう一人の主人公とも言うべき秀吉の末期の姿は、その一つの象徴として、胸に響きます。
 単行本全三巻というのは決して長いものではありませんが、それだけにダレることなく、一気呵成に戦国時代の最後を描ききった本作。戦国時代ファンには、是非手に取っていただきたい名品かと思います。


「影風魔ハヤセ」第3巻(森田信吾 イブニングKC) Amazon bk1

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2006.08.27

「乱飛乱外」第2巻 婿入り作戦大乱闘

 戦国ドタバタ忍者アクション活劇ラブコメ(?)「乱飛乱外」第二巻の登場です。何の取り柄もない少年が、ある日突然美女美少女に囲まれて…という漫画は、現代を舞台にしたら山ほどありますが、戦国時代を舞台にしたのはちょっとしたコロンブスの卵、という印象で、そちらの要素ばかり目がいってしまうかも知れませんが、この第二巻は、時代劇として、ドラマとして、実に面白い内容となっていました。

 この巻のメインとなるエピソードは、近江の国は相良城主の娘・ひばり姫への、主人公・雷蔵の婿入りアタック作戦。かつて滅んだ刀家の生き残りである雷蔵を、よその大名に婿入りさせてお家再興の足がかりに…という作戦の第一弾ですが、当然のことながらこれがスムーズにいくわけがない。

 雷蔵の押し掛け配下たる三人のくノ一(約一名例外アリ)の芝居で、首尾良く姫の用心棒役に収まった雷蔵ですが、元々が心優しきお人好し、疑うことを知らない姫を騙すという良心の呵責に苦しむことになりますが、これは序の口。
 ひばり姫は、芝居でなくお家乗っ取りを企む一党に狙われ、当然のことながら雷蔵たちも命がけの綱渡りを演じることになります。
 が、そんな中で、雷蔵は、城主代わりに家中のアイドルとして超ハードスケジュールをこなす姫の等身大の素顔を見て、彼女を守るために身を投げ出す覚悟を固め、一方姫も、自分の理解者であり頼もしい勇者である雷蔵に胸をときめかせて、二人の中は急接近!? …が、そのままうまくいくわけがないのはある意味当然、お家乗っ取り派に最初の芝居のからくりを暴かれた上、姫暗殺を狙った謀反人として雷蔵たちは地下牢につながれて絶体絶命の危機に。

 そして――ここからの盛り上がりが素晴らしい。事破れた上は、さっさと逃げ出して次の国へというくノ一たちに対し、雷蔵は、いまや一人ぼっちで命すら狙われている姫を見捨てるわけにいかないと力強く宣言、思わぬ、しかしナイスな手段で牢から脱出、今まさに逆臣たちに姫が命を奪われんとした場に乱入!
 あとはもう、往年の東映時代劇もかくやという(ごめんちょっと言い過ぎた)痛快大活劇、各人がそれぞれの能力を活かしての大活躍も痛快な上に、遂に正体を見せた謀反の仕掛人があっと驚く人物で、史実への目配りを見せてくれたのも心憎い仕掛けでありました。

 で、めでたく姫は救われ、晴れて雷蔵と姫の祝言が…と、うまくいくかどうかは伏せますが(バレバレですな)、ここでの雷蔵の選択は、くノ一たちならずともバカバカバカ!
と叫びたくなるものではあるものの、しかしそれは彼が姫を見捨てず立ち上がった心と表裏一体のものであるところが、物語構造として面白く、また深いものがあって唸らされました。

 ほぼ一巻丸々のあらすじを書いてしまいましたが、それだけ面白かったこの第二巻、ギャルゲー的な表面にとらわれず(もちろんそういう要素もバッチリですが)、できるだけ多くの人が手にとって、楽しんで欲しいな、と思います。


 …と、話の流れで書きそびれたのですが、第二巻冒頭のエピソードでは、雷蔵に仕える(はずの)第四のくノ一・みずちが登場。これがまた、宿敵に寝返るほどお金好きのロリっ子で、しかもくノ一の一人でヒロイン格(…なのにようやく今名前が出せましたな)のかがりにほとんど百合チックな感情を抱いているという、キャラが立っているにもほどがあるキャラクターでした。
 冒頭で顔を出したっきりまたどこかに行ってしまったのですが、再登場時にはまた大変なことになるでしょうな。


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2006.08.26

「鏡花夢幻」 境界越えへの畏れと憧れ

 私は泉鏡花のあまり良い読者とは言い難いのですが(一番好きなのが「眉かくしの霊」というのはどうなんでしょう)、そんな私が(私でも)非常に気に入っているのが、鏡花の三つの戯曲を漫画化したこの「鏡花夢幻」。「雨柳堂夢咄」の波津彬子先生ならではの佳品揃いです。

 本書に収録されているのは、「天守物語」「夜叉ヶ池」「海神別荘」の三編。いずれも鏡花戯曲の代表作と呼んでよいかと思いますが、それに波津氏の筆が加わると――そこに生まれるのはより一層美しい妖異の世界でありました。
 鏡花の作品が持つ独特の美については、ここで今更述べるまでもありませんが、もとより波津氏も、舞台の古今東西を問わず、時に妖しく時に哀しい男女の姿を、幻想的に描きあげることにかけては屈指の腕の持ち主。
 この組み合わせで外れるわけがない、という予感は、勿論裏切られることはなかったわけですが、意外だったのは波津氏がさほど熱心な鏡花ファンというわけではない――いやむしろクールな視線で見ている――という点。なるほど、冷静に考えてみれば共に耽美的な世界ながら、男と女それぞれの視線・ファンタジーというものが――非常に即物的な表現で全く恐縮ではありますが――それぞれの作品から感じられる気がしないでもありません。

 にもかかわらず、本書に収められた作品が、いずれも齟齬や違和感なく、原作と絵が見事に結びついて感じられるのは、波津氏の客観的なスタンスが良い方向に働いたという点はあるにせよ、それ以上に、原作者と作画者が、方法論・方向性は一でないにせよ、共に「男と女」「人と妖」「現世と異界」という境界に浮かんでは消えることどもを愛し、それを越えようとする者たちの姿を描き出しているという共通点によるのではないかと感じました。

 そういった意味からも、個人的に最も印象に残ったのは「天守物語」。無邪気な妖魅たちの女王と、謹厳な若侍の出会いと愛の道行きは、そのまま、上に述べた境界線上で描かれるドラマであり、波津氏の絵からは、その境界を越えることの畏れと憧れが、蠱惑的な、そして不思議なことにそれと同時に清冽な空気でもって描かれているように感じられました。


 鏡花のあまり良い読者ではないといいつつ、色々と生意気にも語ってしまいましたが、鏡花ファンの方はもちろんのこと、鏡花に興味があるがまだ触れたことがないという方にも、本書は一度手にとっていただきたい存在であることは間違いと感じている次第です。


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2006.08.25

「ガゴゼ」第1巻 闇深き時代の地獄絵図

 本屋に行くことの楽しみの一つに、全く未知の作品に突然出会えることがあるかと思いますが、本作もそんな出会いで手にした一冊。室町時代を舞台とした、時代伝奇妖怪コミックであります。

 時は1404(応永11)年、魔境・朽残谷を訪れた武士の群…それは、足利義嗣を大将とする大鬼・ガゴゼ討伐隊でありました。父・義満の命でガゴゼ討伐に来た義嗣ですが、彼の前に現れたガゴゼはあまりに巨大、まだ十歳の義嗣に太刀打ちできるわけもなく、哀れその命は風前の灯火…と思いきや、ガゴゼの前に立ちふさがったのは奇怪な仮面の少年・土御門有盛。時の陰陽頭の子である彼は、凄まじい呪力でガゴゼの力を封じますが、けた外れの力を持つガゴゼは、かろうじてその場を逃れます。

 しかしながら妖力の大半を失って小さな子供の姿となってしまったガゴゼは、かつての配下たる谷の妖怪たちにリンチにかけられても手も足もでない有様。かろうじてその場を逃れて放浪する彼が出会ったのは、父と暮らす少女・鬼無砂ですが…腹を減らした彼にとっては何よりのご馳走、とばかりに襲いかかろうとするも、あまりにイノセントな彼女の前には調子が狂うばかり。いつしか彼女の元で安らぎを感じるようになりますが、そんな彼の命を狙う妖怪たちの影が…

 というのが第一巻のあらすじですが、とにかく絵を見てみなければ本作の魅力はわからないのではないか、と思います。何というか、日野日出志先生の絵柄を一見可愛らしくしたような絵柄は、舞台に満ちる闇と、その隙間から時折顔を出す狂気を巧みに描き出していて、とにかく無闇に怖い。
 そしてそんな筆致で描かれる世界で繰り広げられるのは、登場人物(?)の九割方が化け物か、腹に一物持った奴という地獄絵図。南北朝の動乱はひとまず終結したとはいえ、未だ動乱の余燼くすぶり、そして人の世界のすぐ隣に魔が在った闇深い室町の世界で展開される物語は、全く先が見えず、また時におぞましいものではありますが、しかし一種残酷なおとぎ話という観もあり、不思議に魅力的に感じられます。

 果たしてガゴゼを狙った義満の真意は何処にあるのか。その命を受けつつも、ガゴゼの力を狙う有盛は何を企むか、そしてその仮面の下の素顔は何か。そして力を失ったガゴゼは、己を狙う妖怪たちを如何に退けるのか。そしてなにより、ガゴゼと鬼無砂はこの先どうなっていくのか…
 いまだ物語は始まったばかりですが、先が気になるような謎とシチュエーションが随所にばらまかれており、今後の展開が楽しみです。

 というか、第一巻のラスト一ページの地獄絵図のインパクトがあまりにも大きくて、この後どうなるか、読んだ人は絶対気になると思いますよ、ホント。というかありゃあんまりだ。


 ちなみに本作、Webコミック誌「幻蔵」で連載中とのこと。単行本派なので「幻蔵」はチェックしていなかったのですが、この時代伝奇率の高さは一体どうしたことか。素晴らしい。


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2006.08.24

「暗殺道場」 激突する“武術”と“武術”

 「闇の土鬼」を紹介しておいて、これを忘れちゃいけないというのがこの「暗殺道場」。「闇の土鬼」のいわばプロトタイプと言うべき、短編ながらピリッと引き締まった武術アクションの佳品であります。

 主人公は武術道場・天真流の道場主に育てられた少年・鷹丸。彼は、ある日師から道場の四天王の恐るべき秘密を聞かされます。
 実は彼らこそは幕府が極秘裏に結成した暗殺集団のメンバー。天真流に目を付けた彼らは、流派の秘密技を盗むために入門してきたのでした。偶然彼らの正体を知った道場主は、己の流派が悪用されることを防ぐため、彼らを倒そうとしますが四人に隙はなく、かえって毒を盛られてしまったのでした。
 そしてそれからほどなく、遂に四天王は道場主を暗殺。鷹丸は恩師の仇を討ち、天真流の秘密技を封じるために、単身四人に戦いを挑む…というのがあらすじであります。

 経験・技量とも自分より上、しかも四人いる相手を主人公がいかにして討ち果たすかという、一種(言葉の正しい意味で)ゲーム的展開を見せる本作は、開幕からひたすらアクションとサスペンスの連続。それでいて一本調子になることなく、長編を読み切ったのと同等以上の満足感を味あわせてくれるのは、まさに名匠の技というべきでしょう。

 そして、本作で四天王が操る殺人術というのは、いずれも正当な剣術・武術からは離れた外道の技。その暗殺集団の操る裏武術に、それと根を同じくする技でもって単身戦いを挑む主人公というのは、まさに「闇の土鬼」に通じるものであり、この「剣術」でも「忍術」でもない「武術」同士の激突というシチュエーションが、いかに作者会心のものであったかうかがえます。

 もちろん、ページ数の制約等から、土鬼の方にあった人間ドラマ、テーマ性は希薄ではあるのですが、ある意味、その分だけ武術ものとしての純粋さは強いとも言えるかもしれません。
 さすがに一般的な知名度という点ではかなり他の作品に比べて劣るところではありますが、内容においては些かも劣るところない本作。機会があれば一読を(できれば「闇の土鬼」との併読を)お勧めします。


 …と、ここまで書いてきてふと、都筑道夫先生の名作ライトハードボイルドアクション「なめくじに聞いてみろ」を思い出しました。あの作品も、主人公が様々な殺人術の継承者たちを次々と倒していく物語ですが、影響を受けていたりすることは…さすがにないでしょうな、きっと(ちなみに「なめくじに聞いてみろ」、舞台こそ現代ですが、ちょっと設定をいじるだけで簡単に時代劇にできる内容なのは、これは都筑先生、わざとやったのかしらん)。


「暗殺道場」(横山光輝 講談社漫画文庫「鬼火 珠玉短編集」所収) Amazon bk1

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 「闇の土鬼」 第三の術、そして骨肉の争い

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2006.08.23

「闇の土鬼」 第三の術、そして骨肉の争い

 「伊賀の影丸」をはじめとする時代漫画の分野でも数々の名作を残している横山光輝先生ですが、その中でも、ファンの間では非常に評価が高いにもかかわらず、一般には知名度が低いというのがあまりに残念な、隠された名作がこの「闇の土鬼」。今般、コンビニ売りコミックでも登場とのことで、援護射撃という趣も込めてここに紹介します。

 時は三代将軍家光の頃。隻眼の少年・土鬼は、育ての父であり武術の師である大谷主水が謎の一団に襲撃され、瀕死の重傷を負ったことから、主水の秘密を知ることになります。
 主水は、幕府成立期に徳川家に仕えて暗躍した暗殺者集団「血風党」の元メンバーであり、幕府から疎まれ、闇に生きるうちに血に飢えた殺人集団となった血風党の堕落を嘆いて党を脱退したのでありました。逃避行の最中、間引きで土中に埋められながらも驚異的な生命力で生き延びた赤子――すなわち土鬼――を助けた主水は、血風党の追求を逃れつつ、土鬼に血風党の裏の武芸を仕込んでいたのでした。
 かくて父を殺された土鬼は、血風党とその首領・無明斎に孤独な死闘を挑むことを決意。一方、幕府においても、目に余る動きを見せ駿河大納言忠長(あの忠長様です)に近づく血風党を滅ぼすため、松平伊豆守は土鬼を利用せんと策を巡らせ、ここに土鬼・血風党・幕府の三つ巴の死闘が展開されることとなります。

 元々、ストイックなキャラクターの多い横山作品でありますが、その中でも土鬼は横山流ストイシズムの権化、一種の戦闘マシーンともいうべき存在。養父仕込みの戦闘術は、七節棍のような派手なアクションもあるものの、基本はリアル指向の超実戦流儀(雪山であらかじめ温石を準備して万全の体制で戦いを挑むシーンなど実にイイ)で、暗器(暗殺用の隠し武器)を主体とした血風党や終盤に登場する柳生一門との死闘は見応え十分、とにかく戦いに戦いの続く作品ですが、敵味方のバリエーション豊かな武術アクションにより、全く飽きるところがありません。

 言ってみれば本作は、剣術でもなく忍術でもない第三の術、「武術」を中心に据えた時代アクションというべきであり、ガチガチのリアリズムでも荒唐無稽なフィクションでもない、抑制とケレンの効いたアクションを創出してみせたのは、流石は時代漫画の巨匠の業と唸らされた次第です。

 その一方で、物語的にも深いものを見せる本作。死闘を繰り広げる土鬼と血風党は、元はといえば同じ流派を操る者たち。そしてまた、彼ら血風党を根絶やしにするために幕府が動かす忍者、中盤に登場する宮本武蔵、更には柳生十兵衛率いる柳生一門も、それぞれが優れた能力を持ちながらも、権力の走狗として利用されていくという点では共通の存在であります。
 一見血湧き肉躍るアクション活劇は、しかし、見方を変えればそうした権力に消耗されていく異能者たちの骨肉の争いであって、もちろんそれは例えば「伊賀の影丸」の忍者トーナメントも同様なのですが、その悲哀がより前面にされるような――そしてそれでいてアクション漫画としての面白さを損なわない――ストーリー展開の巧みさにより、単なる「ああ面白かった!」というだけではない、胸に残る読後感があるのです。

 そしてその構成の妙が、本作終盤の、ストーリーのコペルニクス的大転換につながっていく辺り、同じく異能者たちの悲痛な戦いを描いたSFアクションコミックの名作「地球ナンバーV7」に通じるものを感じる…というのは言い過ぎでしょうか。

 何はともあれ、時代アクション漫画の名作として記憶されるべき本作。時代劇ファン、横山光輝ファン、あと「ジャイアントロボ」で初めて土鬼の存在を知った方、そんな方々にはぜひ一度触れていただきたい作品として、強くお薦めいたします。


「闇の土鬼」(横山光輝 講談社KPCほか) Amazon

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2006.08.22

今週の「Y十M 柳生忍法帖」 …そして三つ目

 お盆休みで一週空いた今週の「Y十M」、何のために前回引いたのか、あっさりと正体を明かされた謎の御坊は沢庵様(むしろ、誰も謎とは思っていませんでしたが)。静かな静かな「喝」の一言と共に手をさしのべるだけで、あれだけ荒れていた天丸を鎮めてしまったのはただ見事。

 さて、先週の動きを見た後では、言われないとわかりませんでしたが、天丸自身も相当の深手で、余命幾ばくもない状態。そんな天丸に対して、このままでは地獄に落ちるだけ、自ら清めさせて成仏させてやろうと沢庵は語りますが…

 さて、舞台は変わって江戸の加藤屋敷。逃げ支度…いや、遅れた参勤交代の準備で騒然とする中、戻らない丈之進に苛立ちを隠せない明成ですが――と、ここで明成の正室と、子(の名前。また微妙にフォローを入れてきたのかな)が登場。ああ、このオヤジにもちゃんと妻子がいたんだ…と変なところで感心してしまいました。特に正室の方は、側室の印象が強烈だっただけに(と微妙にネタばれ)。にしても、こんな既知外の家族というのはどんな気持ちなのか…正室の微妙な表情を見て、少し同情。

 そして、そんな最中に静かに帰ってきた天丸。その口には、何かの包みが下げられていますが…と、大抵の人が予想していたと思いますが、その包みは丈之進の生首、しかも口には「蛇ノ目は四つ」と犯行声明まで…成仏させてやると言いつつ、愛犬に、惨殺された飼い主の首を運ばせるとはどういう猟奇殺人犯ですか。沢庵は天丸にひどいことしたよね(´・ω・`)
 それはともかく、七本槍もついに三本までが打ち砕かれたわけで――と、ここまで毎回騒いできてなんですが、個人的に言わせていただければ、「柳生忍法帖」という物語はここまでがいわば序章(「魔界転生」で言えば、魔界衆が集結した辺りでしょうか)。
 舞台を江戸から敵地・会津に移し、敵味方総力を挙げて始める攻防戦にこそ、本作の醍醐味がっ!(って、もしかして十兵衛たちは明成が会津に帰るのを知らないってことは…)

 というわけでいよいよこれからがいいところなんですが、残念なことに来週はお休み。先週も休んだのに、ねえ。


 …にしても「Y十M」の感想、書く人によって目の付け所が違っていて(当たり前ではありますが)面白いですね。

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2006.08.21

「からくりの君」 恐ろしくも熱い、怪奇熱血時代伝奇漫画の快作

 藤田和日郎先生の「からくり」と言えば、最近めでたく大団円を迎えた「からくりサーカス」が浮かびますが、このブログ的に忘れてはいけないのは、なんといっても「からくりの君」。人形遣いの健気な姫君と、やさぐれた下忍が活躍する、怪奇熱血時代伝奇漫画の快作です。

 時は戦国時代、悪大名・狩又貞義が擁するという死なずの忍びの秘密を追っていた下忍・睚弥三郎は、蘭菊という少女と出会います。人と見まごうほど精巧なからくり人形を操る彼女は、実は、貞義に家を滅ぼされた文渡の姫君。父の仇を討ち、家から奪われたからくり人形の技を封じるために旅する彼女は、その助っ人として伝説の忍び・鳶加藤を探していたのでした。
 成り行きから蘭菊と行動を共にする弥三郎ですが、人形を操っているとき以外は全く世間知らずの蘭菊に手を焼くばかり。が、戦いの中で蘭菊の中に眠るある哀しい想いを知った弥三郎は、彼女に一つの問いを投げかけます。それは…

 と、短編ながらも、いやそれだからこそ物語を構成する全ての要素がクライマックスに向けて巧みに絡み合い、溶けあっていく様が実に気持ちの良い本作、怪奇と熱血、狂気と感動といった、一見バラバラに見えるものを一つところにまとめて、熱い熱い物語を作ってみせる作者ならではの快作かと思います。
 また、内容的に見ると、「異形を討つ者は自らも異形にならねばならぬ」というテーゼと、異形と化しつつも、その中で如何にして人間性を――熱い魂を――持ち続けるかという、「うしおととら」から「からくりサーカス」まで貫かれた作者のスタンスが本作にも息づいているのが何とも興味深いところ。
 もちろん、人形遣い対人形遣い、人形遣い対自動人形という部分――そしてもう一つ、人形を操る蘭菊の心中も――は、「からくりサーカス」のパイロット版ともいえるものであり、その意味でも見逃せない作品かと思います。

 ちなみに本作が収められた短編集「夜の歌」は、最近文庫化されましたが、こちらには単行本時に収録されていなかった掌編一本と、作者自身による作品解説が付されておりますので、未読の方は是非この機会にどうぞ。


「からくりの君」(藤田和日郎 小学館文庫「藤田和日郎短編集 夜の歌」所収) Amazon bk1

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2006.08.20

「柳柊二 妖怪画展」に行って参りました

 そして今日は、高円寺で開催されていた柳柊二 妖怪画展に行ってきました。
 柳柊二先生といえば、私たちの世代(中心はもう少し上の世代かと思いますが)ぐらいまでの人間にとって、怪談奇談妖怪談の挿し絵で子供の時分の我々を震え上がらせて下さった巨匠。
 私は雑誌などの挿し絵は直撃世代ではないと思うのですが、ジャガーバックスの妖怪本の挿し絵には――水木先生のどこかユーモラスなタッチとは全く異なるリアルなタッチで――大いにおっかない思いをさせられた記憶があります。あとは、旧版のファファード&グレイ・マウザーシリーズの挿し絵とかね(今でもあのシリーズは柳先生の絵が最高にマッチしていたと確信しています)。

 さて、今回の展示会は、会場がマンションの一室のようなところということもあり、展示している件数自体は多くなかったのですが、いずれも独特のタッチで彩られた素晴らしい作品ばかり。雪女や鬼婆、九尾の狐、ドラキュラなどといった定番妖怪の他、香山滋先生の秘境ものの軟体人間や、企画ものの記事とおぼしい、リャマを襲っている宇宙人(チュパカブラとメタルナミュータントを足して二で割ったようなデザインが素敵)、さらにはなんだかわからないんだけど恐ろしい挿し絵など、十分堪能させていただきました。

 そしていずれの氏の作品からも感じられるのは、リアリティを突き詰めていった先に生まれるハイパーリアリティとでもいうべきものと、そしてそれを含めて作品全体を覆いつくさんばかり情念。児童書であろうがなんだろうが一切手を抜くことなく、己の脳裏に浮かんだ情景を余すところなく刻みつけたのが、あの作品群なのでありましょう。
 個人的に印象に残ったのは、九尾の狐の挿し絵。ビジュアル的には、普通の(動物図鑑などに乗っている)狐に九本尻尾をつけただけのようにも見えるのですが、その目にあるのは、紛れもなく知性――それも邪悪な――という、色々な意味で一度見たら忘れられない作品でありました。

 ちなみに展示会は本日が最終日、私が行った時間は終了間際で、しかも結構お客さんが多かったためか、特別に、会場に展示しきれなかった作品を、主催者の大橋博之さんが解説付きで見せて下さるという、非常に幸運な場に居合わせることができました。
 これがまた、展示された作品に勝るとも劣らぬ素晴らしいものばかりだったのですが、うちのサイト的に嬉しかったのは、ラストに見せていただいた二つの絵物語の挿し絵。
 一つは、少年マガジンに掲載された「忍法人外境」という作品。宮崎某氏の文の挿絵を担当したこの作品、秘境を探っていた忍者が、異形の怪人たちが棲む人外境に迷い込み、そこで自分と同じ普通の人間である美少女と出会って、彼女を連れた脱出行が始まる…ってこれ、宮崎惇先生の「魔界住人」の元ネタでは? 意外なところで意外な発見。
 そしてもう一つは、少年サンデーに掲載された南條範夫先生の「燈台鬼」の挿し絵…ってオイ! と、南條ファンの方であれば突っ込みたくなるのではないかと思います。直木賞作品である本作、読んだ後でどんよりとした作品の多い南條作品の中でも特にキツい、それこそ鬼のような作品ですが、それをよりによって少年誌で、しかも柳先生に挿し絵を担当させるとは…もちろん、挿し絵の方は、それァもうこれぽっちも手抜きのない、子供時代に見たらトラウマ必至の壮絶さで、何というか昔の編集者さんの蛮勇に感心しました。
(子供時代に見たらって言えば、他のお客さんが全ていわゆるマニア層な中に、小さい子を二人連れた綺麗な若いお母さんがいらしてたのにはちょっと驚きました。あの子たちはいいお母さんを持ったなあ…?)

 と、冗談はさておき、柳先生の挿し絵を堪能した上に、意外な作品との出会いまであって、実に充実した、楽しい時間を過ごすことができました。主催者の大橋博之さんと、そしてこの展示会の情報を教えてくださったケイトさんに心から感謝いたします。

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荒山祭に行って参りました

 昨日は神無月さん主催の荒山祭・夏に参加して参りました。まあ、要するにネット上の荒山徹ファンのオフ会だったわけですが、とても楽しゅうございました。
 参加者は、神無月さん物体おーさんfhvbwxさん
荒山スレの1さん、あと私という非常に濃いメンバーでありました。

 話題的には神無月さんのところをご覧いただくとしまして、神無月さんが猛然とダウンした後の、荒山話を離れたあれやこれやのお話も、皆様のバックボーンを垣間見ることができて興味深く感じました。

 少し前から、荒山徹の主なファン層は一体どの辺りなのだろう? という疑問に些か頭を悩ませていたのですが(普通の時代小説ファンはもうついてこれんでしょう…)、その一つの回答…かどうかはわかりませんが、いずれも様々な分野でそれぞれに邁進してこられた方々、元々時代小説や伝奇ものに興味のあった方なかった方が、こうやって荒山作品にハマってこられたのか――と、感心した次第。

 まあ、結論としては皆さん(自分も含めて)業が深いなあ、という微妙に失礼な結論でこの稿おしまい。

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2006.08.19

今日の小ネタ集

今日は荒山祭り出陣準備のため(ウソウソ)、似非ニュースサイトモードで。

夏休みに読みたい時代小説・ベスト5
 第一位に注目。こうやって見ると比較的真っ当な小説に…見えないか、やっぱり。最近、荒山徹を時代小説の文脈で語るのに違和感を感じつつあったのですが、縄田先生がこう言ってるんじゃしかたないナァ。
 しかし「夏休み」ってどの世代を対象にしているのかしら。社会人、ですよね…

そして本人は
【著者に聞きたい】荒山徹さん 『処刑御使』
 よりによって産経…ですが、荒山先生のコメントも含めてごく普通の紹介記事。問題は、氏が至極真っ当なことを言えば言うほど、作品との絶望的なギャップが浮き彫りになって来てバッドトリップできることなんですが。

「天保異聞 妖奇士」公式
 秋から放送開始の時代伝奇アニメの公式。會川昇原作だけあって、想像以上にしっかりした設定の時代劇アニメになりそうです。題材的にどれだけ受けるか未知数ですが、時間帯はこれまで種、ハガレン、BLOOD+が放送されていた、まずはゴールデンタイムと言ってよいものですので、頑張っていただきたいと思います。
 しかし、「奇士は妖夷を捕獲後、その肉を食らう。一度その味を知ると、それ以外のものでは満足できなくなってしまう。」とはまた黒い設定ですごいと思いましたが、それ以上に藤原啓治主演ってのが更にすごい。氷の運航部長が主役か…<よりによってそれか

忍者じゃじゃ丸くん~ペンは剣より強しでござる~
 忍者ゲームの古株(正直、もう20周年というのを聞いたときには自分の年齢を感じて死にたくなりました)「忍者じゃじゃ丸くん」の最新作がニンテンドーDSで登場。操作は全てタッチペンというのが自爆要素満点で不安ですが、画面写真やイメージイラストを見た限りではかなりよい感じかと思います。
 が、「ペンは剣より強しでござる」と聞いて、これを連想してしまったり。

時代小説SHOWリニューアル
 偏ったニュースばかりの後に紹介するのは大変恐縮なのですが、時代小説サイトの大先達である時代小説SHOW様が、サイトのリニューアルを開始されました。XOOPSを導入されていて、コミュニケーション機能を重視するのかな、という印象ですが、これから先の展開が楽しみですね。
(XOOPSには私も興味を持っていますが、これくらい大手サイトにならないと導入しても意味ないのだろうなあ…)

杏野はるなの日常。
 最後に、もうこれはニュースでも何でもないブログ紹介なんですが、最近私が最も衝撃を受けたブログを。いわゆるアイドルの方のブログなんですが、何故かレトロゲームの攻略が…しかも異常に濃い。時代ゲーネタでも「源平討魔伝」や「最後の忍道」など――って後者は普通のゲーマーでも大変なゲームだよ!
 あと、「バキ 習字」でググってみると更に恐ろしいことに。

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2006.08.18

「天を行く女」 若さま侍、伝奇世界を行く

 これは前にも書いたかもしれませんが、私が一番あこがれる、なれるものならなってみたいと思う時代もののヒーローは、城昌幸先生の「若さま侍捕物手帖」(「若さま」でも「若様侍」でもないぞ!)シリーズに登場する若さまであります。
 この若さま、普段は柳橋の船宿・喜仙の二階で看板娘のおいとを相手に、日長一日ゴロゴロと屈託なく過ごしている呑気な人物ですが、一度難事件怪事件が起きれば、そのあらましを聞くだけで見事事件を解決してしまうという名探偵。当然のことながら(?)由緒ありげな人物ではあるのですが、その正体は一切謎、葵の御紋を平然と身につけることから徳川家ゆかりの人物とも思えますが、これは正体不明の方が面白いということでしょう。

 さてこの若さま、作品数は二百を超えるという巨大なシリーズ――あまりに膨大なためにいまだシリーズの全貌が見えないほど――で、長きに渡って長編短編織り交ぜて活躍してきたのですが、長編と短編で物語の趣向が大きく異なっているのが面白いところ。短編は、若さまが居ながらにして難事件を解決してしまう、いわゆる安楽椅子探偵ものとも言うべき推理ものですが、長編ではぐっと伝奇色・活劇色が強くなる傾向にあり、例えば以前に光文社文庫から刊行されていた「百鬼夜行」などは太田道灌の隠し財宝を巡る一大攻防戦を描いた作品でありました。

 そして、この長編「天を行く女」も伝奇色の極めて強い作品です。
 物語は、江戸城の将軍の寝所に、夜な夜な怪しの化け物が出没するという怪事件から始まります。常識外れのこの事件の背後には、島原の乱の残党にして、異国渡りの念術を操る一党の影が。将軍家に怨みを持つこの一党、しかし、本朝における念術宗家の印可を巡り、二家に分かれて相争う状態にあるのでした。この錯綜した状況に乗り出してきたて若さまは、果たして長きにわたる因縁の糸を断ち切ることができるのか!?
 と、あらすじだけ見ると伝奇アクション活劇になりそうなのですが、そうそう素直に行かないのがこのシリーズの、若さまというキャラクターの楽しいところ。

 普段は鷹揚な人柄で一種平和主義のようでありながら、一度刀を抜けば人並み外れた腕の冴えを見せる若さま、いよいよここで破邪顕正の太刀を振るうのか!? と思いきや、やはり若さまは若さま。何とも暢気で人を食ったやり方で事件解決に向けて活躍します(その顛末についてはさすがにここでは書けませんが…)

 結局のところ、推理ものであっても伝奇ものであっても若さまはどこに行っても若さま。ああ、若さまにとっては国を揺るがす陰謀も、町中で起きたささやかな(?)怪事件も同じレベルの出来事なのだなあと、妙なところに感心してしまいましたが、このマイペースさ、屈託のなさこそが若さまの最大の魅力であり、私が非常に好ましく思う所以であります。

 ちなみに本作、現時点では絶版となっておりますが、つい最近まで普通に書店に並んでおりましたし、古本屋で見かける確率もかなり高いので、興味をお持ちの方は是非一度手に取っていただきたいと思います。そして若さまにハマるのだ!


「天を行く女」(城昌幸 春陽文庫) Amazon bk1

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2006.08.17

「名作日本の怪談」 四大怪談ここに集結

 何時もながらに怪奇・伝奇の世界に一種アカデミックなようなそうでないような角度から切り込んで下さる我らが志村有弘先生の手になる新作は、夏らしく怪談、それもタイトル自体は広く人口に膾炙しながらもその全体像を知る方は存外少ない名作怪談集です。

 収録されたのは「四谷怪談」「牡丹灯籠」「皿屋敷」「乳房榎」と四大怪談とも言うべきメジャーどころ(新刊情報では「五大怪談」となっていたのはキニシナイ!)。
 「乳房榎」はちょっとあれかも知れませんが、その他三編については日本人であればほとんどの方がご存じの怪談かと思いますが、しかし例えば南北の「東海道四谷怪談」が如何なる構成の作品であるか、あるいは円朝の「怪談牡丹灯籠」の全体像がどのような姿であるか、ということになると、これは首を傾げる人も多いかと思います。

 かく言う私もあまり偉そうなことは言えず、「東海道四谷怪談」については朧気に、「怪談牡丹灯籠」については途中まで(なぜ途中までかと言えば、ここ数年桂歌丸師匠が少しずつ高座にかけているのを聴いていたのですがそれがまだ完結していないので)しか知らない状態で、恥ずかしながら本書を読んで、こういう内容だったのか! と感心した次第です。

 そういう意味では誠に結構な本書なのですが、しかし、いつものことながら簡明である意味淡々とした文章ゆえに、純粋な怪談としての味わいがどれだけあるかと言えば、これは正直微妙な印象があります(もっともこれは文体のためというよりは、舞台上で演じられる/語られるために作られた作品を文章化することから来る構造的な問題も大きいかと)。

 また、こちらは完全に原典由来の問題ですが、因果因縁と忠義孝心によるデコレーションが、現代人の目から見るといささか鼻につくように感じられるかもしれません。
 もっとも、忠義や仁愛といった感情とは無縁の人間が織りなす人間地獄絵図とも言うべき「四谷怪談」は、それ故に現代の我々の心にダイレクトに響くものがありますし、「牡丹灯籠」のお露と新三郎の物語が前半で終わり、後は色と欲で動く人間たちの物語となる構成も、かえってお露の純粋な感情を際だたせているようで、興味深く感じられます。

 帯に短し襷に長しの観もなくはない本書ですが、しかしこれだけ安価で名作怪談の原典に、それも四編も接することができるのはとてもありがたいことですし、更に深く原典に触れ、原典について考えるステップとしても意味を持つ一冊かと思います。


「名作日本の怪談 四谷怪談・牡丹灯篭・皿屋敷・乳房榎」(志村有弘編 角川ソフィア文庫) Amazon bk1

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2006.08.16

「戦国忍法秘録 五右衛門」第二回 物語は一気に伝奇世界へ

 さて、連載第二回の「戦国忍法秘録 五右衛門」、いきなり表紙&巻頭カラーと破格の扱いですが、それに応えるだけのテンションの高さとスケールの大きさがあって今回も実に楽しい展開となっていました。

 信長暗殺に失敗して服部半蔵ら伊賀の残党と合流した五右衛門は、信長の目的が単なる侵略ではなく、ある物を奪うためと長老から知らされます。
 それは、何処でどう戦えば勝てるか、“刻”が読めるという「忍法天下取り」の秘巻。これこそは刻読みの一族が残した「万龍眼宙秘録」なる巻物であり――そして信長の耳にその存在を吹き込んだ裏切り者の名は…伊賀の五宝猿、今の名を羽柴藤吉郎秀吉!

 いや、この情報が語られるのは、分量にしてみればわずか二、三ページなのですが、それまでは「時代アクション」だった作品がここで一気に「伝奇時代アクション」になったわけで、この飛ばしぶりは全くもって見事としか言いようがありません(「刻読み」なる不穏なワードも登場したので、「超伝奇時代アクション」になるのも間近かもしれません)。

 そしてその直後に襲来する信長配下の忍者(?)雀丸。ビジュアル的には天草四郎か霧隠才蔵かという典型的な石川美形顔ですが、操るのは無数の鳥でもって相手を襲わせるという、柳生忍群にいたねそんな人的な術ですが、とにかく長老たちに肉薄、彼らが隠していた秘巻の一つを奪取!? というところで五右衛門の破天荒な反撃。石川賢と言えば大爆発を忘れちゃなんねえとばかりに豪快な爆発シーンで以下次号。

 第二話の段階でかなり情報が出てきたような印象で、またそんなに長くない連載なのかなと思ったりもしますが、忍法秘巻の争奪戦という実に定番ながら熱い設定に、忍法! 爆発! と石川節バリバリで、ここは難しいことは考えずにこの先の展開を大いに楽しみにするとします。


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2006.08.15

「にっかり 名刀奇談」 刀身に映る人間模様

 奇譚もの・歴史ものを得意とする東郷隆が、戦国時代を舞台に、名刀と戦国武将との関わりを描いた短編集です。時に奇譚的な味わいで、時に史伝的な味わいで、八腰の名刀にまつわる八つの物語が収められています。

 登場する名刀は、「にっかり」「すえひろがり」「竹俣」「かたくり」「このてがしわ」「伊達脛巾」「石州大太刀」「まつがおか」と、非常にマニアックというか渋いチョイスですが、これが実に面白い。どの作品も、刀が語る戦国裏面史・意外史といった趣のある、バラエティと陰影に富んだ物語でありました。

 個人的に特に面白かったのは「にっかり」と「このてがしわ」の二編でしょうか
 前者は、享保の頃に武芸好きの御家人たちが刀剣談義をする中で、一人の老僧が「にっかり」の由来を語るという、ちょっとひねった趣向が面白い作品。
 にっかりといえば幽霊を斬ったとか、化け地蔵を斬ったなどのいかにも伝奇チックな伝説がありますが、本作ではそれをうまく取り込みつつ、浅野長吉配下の軽輩がにっかりでもって奇怪な化生と戦う冒険談の中に、秀吉配下の武将たちの暗闘模様が描き込まれる構成が実にうまいものだと感心すると共に、いかにも作者らしい人を喰ったようなオチが大いに愉快でした。

 そして後者は、細川幽斎が足利将軍家から拝領した名刀「児手柏」を通して、幽斎の生涯を描く味わい深い作品。
 細川幽斎と言えば、足利将軍家に仕えながらも、その後信長-秀吉-家康とことごとく歴史の勝者の下にあった傑物とも侫人とも取れる人物でありますが、しかし本作では、有り余る才を持ちながら、戦国乱世の中で生き抜くために表裏ねじけた生き方をせざるを得なかった幽斎の韜晦された心根が、「児手柏」の変転する運命と共に描かれており、読後に何とも言われぬ哀しさと切なさが残る印象的な作品となっています。
(それにしても幽斎というと古今伝授の印象が強かったのですが、剣では卜伝と伊勢守に師事し、若い頃から好んで牛と力比べしたとは、いやはや何とも)

 もちろん、その他六編も、名刀を物語の中心に置きつつも、それを持つ者・欲する者、遣う者に斬られる者それぞれの人間模様を描き出しており、それぞれに興味深い内容でありました。
 考えてみれば名刀というものは、元来が人を斬る道具でありながら、武士の魂の象徴となり、伝説中の妖魅を退ける利刀となり、贈り贈られして人の間をつなぐ物となり、はたまた後世の人々から見れば美麗な芸術品となり…と、時と場所によって様々にその性格を変える存在。その様々な性格を名刀の刀身に映る人間模様もまた、実に様々で、それだけにまた魅力的ということなのでしょう。


「にっかり 名刀奇談」(東郷隆 PHP研究所) Amazon bk1

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2006.08.14

作品集成更新しました

 このblog及び元サイトで扱った時代伝奇作品のデータ集である作品集成を更新しました。五月末から八月上旬までのデータを収録しています。
 データ集と言いつつ、あまりにもデータが貧弱で本当にお恥ずかしいのですが、時間を見つつ少しずつ充実させていきたいと思っているところですのでご勘弁を。
 お盆中ということで(?)本日の更新はこの作品集成の更新で変えさせていただきたく。

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2006.08.13

9月の時代伝奇関連アイテム発売スケジュール

 早いものでもう8月も中旬、そろそろ来月の情報が、ということで、9月の伝奇時代劇関連アイテム発売スケジュールを更新しました。

 かなり充実の感があった今月とうって変わって、アイテムの数という点ではちょっと寂しい印象のある9月。ですが、小説では快調「闇を斬る」シリーズの新刊が早くも登場し、また「平安妖異伝」の続編「道長の冒険」が文庫化、そして何よりも個人的に大プッシュの「世話焼き家老星合笑兵衛」シリーズの続刊がようやく登場と、決して不作などではありません
 もっとも、漫画の方はかなり数が少なくて寂しいのですが…
 なお、怪談コレクションが出尽くした光文社文庫の岡本綺堂シリーズ、この後はどうなるかと思いましたが、「巷談コレクション」が刊行される様子。わはは、これは思いつかなかった。

 また、DVDCDで、桂歌丸師匠による「牡丹灯篭」が発売されるのも気になるところ。ここ数年、夏になると国立演芸場で歌丸師匠がこの「牡丹灯篭」を一場ずつ高座にかけているのですが、ちゃんと完結するか不安(汗)なので買ってしまおうかなあ…
 ちなみにDVDでは一体何度目になるんだ! と言いたくなるくらい何度も発売されている「さくや妖怪伝」がまたもや登場。しかし今回の定価は621円…安い! とりあえず買うかな。

 一方、ゲームの方では、「戦国無双」シリーズ初のEmpiresバージョン(無双にシミュレーションパートを加えたもの)である「戦国無双2 Empires」が登場。通常版に加えて更に二種類パッケージを発売と、相変わらずのコーエー商法ですが、プレミアムBOXは「戦国無双2」と「戦国無双2 Empires」二本合わせて7,497というのは何だか安いような気がしてきました。まだ2もプレイしていないし、良い機会だから買おうかな…と、いかんいかん、これが狙いか!
 また、懐かしの忍者アクション「影の伝説」が収録された「タイトーメモリーズ 下巻」のBEST版も発売。、通常版では(全然意味のない)隠しになっていたタイトルも最初からオープンになっていますし、上巻のBESTでは通常版のバグも直っていたので(その一方で新しいバグが追加…)今度こそ買おうかな。


 と、これは時代伝奇ではないですが、伝奇ジュヴナイルゲームの大傑作「九龍妖魔學園紀」の完全版というべき「九龍妖魔學園紀 再装填(re:charge) 」が発売となります。新宿区の高校を舞台に、若き《宝探し屋》たる《転校生》と、呪われた力で学園を支配する生徒会の魔人たちとの死闘を描いたこの作品、いずれきちんと紹介しようと思いつつ時間が経ってしまいましたが、キャラ・ストーリー・設定・演出・ゲーム性の全てが奇跡的なクオリティで結びついた名作ですので、伝奇ファンはぜひ!

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2006.08.12

「旗本花咲男」 幻のヒーローここに復活!

 約十五年前に発表された作者幻の作品が、なんとベスト時代文庫から復活。それも、雑誌掲載のみ&未発表分も含めた完全版上下巻としての刊行です。
 「なんと」と書いたのは、本作が、ライトノベルという言葉もまだない(なかったよな?)頃に早川書房から刊行されていた若年層(ハヤカワ的にはYAと呼ぶべきか)向け小説誌「ハヤカワHi!」に連載されていた作品ゆえ。その作品がバリバリの時代小説文庫から復活するというのは、内容的には不思議ではないのですが、当時を知る者としては不思議な気分になりました。

 と、ジジイの昔語りは置いておくとして、タイトルだけ見れば言うまでもなく「旗本退屈男」のパロディと思える本作。主人公の名は茶乙女留主水介(ちゃおとめ・るもんどのすけ)、額には臀部の割れ目に似た桃割きず、必殺の諸屁流真顔くずしの使い手で将軍から殿中放屁御免の御墨付を頂戴したとあらば、これはどうみても人呼んで旗本退屈男こと、早乙女主水之介のパロディなのですが…実はパロディなのはこのくらいで、その実は非常に真っ当な(?)ユーモア活劇時代小説であります。

 太平の世の旗本らしく(?)暢気で太平楽な留主水介ですが、生まれついての好奇心ゆえかはたまたそういう星の巡り合わせなのか、将軍吉宗の御落胤・鰻一坊の出現、大盗・日本左衛門の跳梁などなど次から次へと難事件・怪事件に巻き込まれることに。
 かくて留主水介の尻が唸りをあげ、先祖代々の放屁術が大活躍することとなるのですが、そんな主人公の荒唐無稽ぶりと裏腹に、登場人物や舞台背景、起きる事件のディテールは実にきちんと描かれていて、下手な時代小説など及びもつかぬほどのしっかりした作品となっているのには驚かされました。

 旗本退屈男のパロディ主人公が、放屁術で暴れ回ると書くと、どうにも馬鹿馬鹿しい、現実離れした作品のように思えるかもしれませんが、それ以外の部分をきっちりと描き込むことにより、その第一印象をうまく緩和するとともに、物語の生々しい部分、どぎつい部分(登場する悪人の所業の中には、他でも滅多にお目にかかれないような凶悪無惨なものもあったりして)を巧みにオブラートに包んで、ひたすら明るく楽しい物語として成立させている本作。
 どんなにシリアスな、重い物語であっても、どこか爽やかさを感じさせる作者の作風は、この頃から培われてきたのだなあと感心いたしました。

 ちなみにここで恥を忍んで白状すると、ハヤカワ文庫から最初に単行本化(今回の文庫の上巻に相当)されたのを読んだ際には、このまっとうさが目立ってかえって面白いと思えなかったのですが、あれは我ながらまったくもって見る目がなかったわいと、今更ながらに冷や汗をかいた次第(一点言い訳をすると、YA向け雑誌・YAレーベルの文庫で展開するような作品ではなかったよなあ…とは今でも感じます。あれはYAファン、時代小説ファン双方にとって残念な出会いだったような)。

 何はともあれ、ながらく幻の作品となっていた本作が、完全版となって復活したのはまことにめでたいお話。宮本ファンはもちろんのこと、楽しく面白い・明るい気分になれる時代小説をお探しの方には強くお勧めいたします。


「旗本花咲男」全2巻(宮本昌孝 ベスト時代文庫) 上巻 Amazon bk1/下巻 Amazon bk1

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2006.08.11

「降魔霊符伝イズナ」 可愛い顔して歯ごたえあり!

 なかなか面白いのにあまり売れていないようなのでここらで紹介記事を。「降魔霊符伝イヅナ」、ニンテンドーDS用の和風ダンジョンRPGです。
 ゲーム内容は一口で言えばローグライクゲーム。ローグといっても宮部みゆき先生にボロクソ言われたあれではなく、今で言えばいわゆる不思議のダンジョン系というやつですね。入るたびにダンジョンの形が違う、一度死ぬとそれまでのアレコレがパー、という、シビアだけど一度はまると延々プレイしてしまう悪魔のゲームですね。

 主人公は仕えていた城からリストラされてしまった忍者一族(?)の少女くノ一・イヅナ。放浪の果てに、ようやく安住の地になりそうな田舎の村に辿り着いたものの、ふとしたことからその村の荒神たちを怒らせてしまい、村には奇病が流行ったり、村人や仲間たちが心身に不調をきたしたりとトラブルが続くことになります。かくて、仲間を救うため、そして村を元の姿に戻すため、イヅナは六人の荒神が守る洞窟に挑む…というのがストーリー。

 ゲーム的には、冒頭に述べたとおりローグライクなのですが、一度死んでも、経験値はそのまま残るのが他のゲームと違うところ(他のゲームは経験値0・レベル1に戻るのが普通)で、最初はクリアできないダンジョンでも、繰り返してプレイしているうちにレベルが上がるので、初心者でも投げ出さなくても済む、というところでしょうか(ちなみに食料のシステムもないのもゲームの敷居を下げている一因かと。貧乏性の私としては食料のシステムは苦手なのでありがたいのですが)。
 こう書くと、熟練プレイヤーには簡単すぎるようにも見えますが、死んで残るのは経験値だけで、ちゃんと(?)手持ちのアイテムは無くなってしまうので、その辺りのシビアさは健在というところでしょうか。事実、苦労して鍛え上げてきた武器や秘蔵の霊符を失った時のショックたるや…

 と、霊符というアイテムは本作の最大の特徴。一種の巻物の役割なのですが、本作では単に使うだけでなく、これを武器に貼り付けることにより、例えば「睡眠の霊符」であれば、攻撃した相手を眠らせたりなど、武器に様々な特殊能力を与えることができるようになります。霊符は複数貼ることもできるので、貼れば貼るほどパワーアップするかと言えばそうではなく、武器毎に定められた「許容霊力」というものがあり、それをオーバーすると、武器が壊れやすくなるというペナルティが生じることになります。
 霊符をそのまま使うか、武器に貼るか。貼るにしてもまんべんなく武器を強化するか、一つを集中的に強化するか(ちなみに武器には「愛用度」というステータスもあり、使えば使うほど能力アップ)。この辺りの判断は完全に人それぞれで、なやみどころであり、魅力でもあります。

 ゲーム展開としては、村の中に隠されたダンジョンの入り口を見つけ、その奥にいる、そのダンジョンを司る荒神を倒せば一段階クリア。その度に村人が回復したり、新しい村人が増えたりして、村に店が増えていくので、それを利用して装備を調え、さらに次のダンジョンへ…という繰り返しになります。

 全体的な印象としては、やはり経験値・レベルが残るおかげで緊迫感は少し薄れたきらいがありますが、キャラクターの可愛い外見とは裏腹に、なかなか歯ごたえのあるゲームで楽しむことが出来たと思います。なかなか難易度調整の難しいローグライクゲームの中にあって――得てしてローグライクは初心者向けにしようとすると、とんでもなく簡単なものになったりするので――健闘した作品なのではと思います。
 和風テイストのローグライクゲームというと、「風来のシレン」という、それこそものすごい固定ファンがついているシリーズがあるので、そちらと比べられるとちと不利ですが、値段分は十分楽しめる作品ではないかと思います。


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2006.08.10

「比叡山炎上」 クトゥルフと時代伝奇の見事なる習合

 戦国時代の日本でクトゥルフ神話の世界を展開するテーブルトークRPGのルールブック&シナリオです。これまで時代伝奇とつけば小説でも漫画でもゲームでも舞台でも採り上げてきたこのblogですが、テーブルトークRPGは初めてではないかと思います。
 残念ながら周囲にTRPGをプレイする人がいないので、一通り目を通しただけの感想になってしまい、果たしてTRPGというメディアの紹介としてふさわしいかはわかりませんが、こういう見方もあるということで。

 冒頭に述べたとおり、クトゥルフ神話を題材とした本書、基本的にはアメリカで発売された「クトゥルフ神話TRPG」をベースとしています。ご存じない方のために簡単に説明しますと、「クトゥルフ神話TRPG」は、他のRPGに比べると一風変わった作品で、「正気度」というパラメータを設定することにより、プレイヤーキャラクターたちが冒険を続ければ続けるほどその精神が危険にさらされていくという(体力がゼロになれば肉体の死を迎えるのと同様、正気度がゼロになれば精神が死ぬ=発狂することになります)ルールを採用して、ホラーならではの「おっかなびっくり感」を再現しています。

 その「クトゥルフ神話TRPG」in 戦国時代である本書ですが、単純に原典のルールをそのまま使用するのではなく、色々とマイナーチェンジがほどこされているのが面白いところ。一番目立つ点を挙げれば、原典では基本的にプレイヤーキャラクターはごく普通の人間(せいぜい禁断の知識を持っている、幾つか呪文を使うことができるくらい)なのですが、本書では、キャラクターに山風忍者的な術の習得や肉体の変容(「甲賀忍法帖」に登場した忍者たちを想起されたし)といった時代伝奇ならではの要素を追加することにより、派手なアクション活劇をも許容するルールとなっています(まあ、真っ正面から邪神に挑めば勿論プチッといきますが)。
 また、戦国時代という、生きるか死ぬかの極限状況に遭遇しやすい舞台背景を反映して、正気度の低下にも一定の軽減措置が加えられているのも、なかなか面白いアイディアだと思います。

 さて、個人的に、本書を含めたクトゥルフ神話TRPGのルールブック(あ、書き忘れましたが私二つほど前の版の原典のルールブックは持ってます。英語版)やサプリメントを読んでいて面白いと感じるのは、作品の背景世界の構成要素を、巧みにルール化・数値化している点です。架空のファンタジー世界を舞台としたRPGと違い、基本的に古今東西の違いこそあれ、現実世界を舞台としたこのTRPGでは、当然のことながら、登場する職業や技能、アイテム、はたまた貨幣なども現実にある(あった)ものが使用されることになります。
 もちろん、ゲームである以上、現実を再現するにも限度というものがあるわけですが、その限度の中で如何に構成要素の数々を、リアリティを持たせて再現する(=ルール化・数値化する)か、というのがゲームデザイナーの腕の見せ所であります。
 その点では本書は、なまじ史料が多い&比較的知名度が高い時代を扱っているだけに細かくしようと思えば幾らでも細かくなりかねない戦国日本の再現を、適度にシェイプアップしつつ成功していると思いますし、また、当時の年表や著名人の略歴、文化風俗等も手際よくまとめて掲載されているので、日本史に詳しくない方でもそれなりに楽しむことができるのではないかな、と思います。

 一方、クトゥルフ神話としての視点から見ても、本書はなかなかに刺激的で面白い内容となっています。
 ここで個人的なスタンスを述べさせていただけば、実のところ日本にクトゥルフ神話を持ち込む際には、慎重の上に慎重を重ねて行うべし、と思っています。他の神話伝説がそうであるように、クトゥルフ神話もまた、その生まれた・育った世界(この場合は現代アメリカ)の文化風俗に大きな影響を受けているのであり、それを何のひねりもなくそのまま日本に――ましてや戦国時代の日本に――持ち込んだところで、違和感の固まりになることは目に見えています。
 その点、本書においては十分に考慮した上で神話体系の導入が行なわれており、神話体系の邪神や怪物について、異次元の妖物としての存在感を発揮させつつも、本朝に存在するものとして違和感を感じさせない、節度を持ったジャパナイズが行われており好感が持てます。
 これはもちろん、デザイナーの朱鷺田祐介氏の力量によるところ大であることは間違いありませんが、同時に日本文化お得意の「習合」がここでうまく効果しているように感じられるのが興味深いところです(例えば、本書の設定では、大黒天が神話体系上のある神格と習合されているのですが、もともと大黒天自体がインドと日本の神仏が習合された存在であり、なるほどこのような習合の形はアリだろうな、とスムーズに受け止められた次第)。まあ、原典そのままの設定で登場してくる邪神もいますが、地面は世界中でつながってるから仕方ないか…

 さて、既にクトゥルフ神話が紹介されて久しく、ある意味世界でも有数のクトゥルフ大国とも言える我が国ですが、まだまだ時代ものの世界にクトゥルフ神話を絡めてみせた作品はさほど多くないのが事実。
 そんな中で、ゲームのルールという一定の客観性を備えたものとして戦国日本にクトゥルフ神話を、上記の通り違和感なく導入してみせた本書は、全くもって賞賛に値する成果であります。
 また、単純に時代劇ファンの立場からも、時代劇世界を如何に表現するかという一つの試みとして、大いに評価すべきものと感じた次第です。

 その媒体の性質ゆえに万人にお勧めとは言い難いものではありますが、ゲームをプレイすることを抜きにしたとしても、我が国へのクトゥルフ神話の導入(?)を考えている方には、一度手に取ってみていただきたい作品です。


「クトゥルフ神話TRPG 比叡山炎上」(朱鷺田祐介 エンターブレイン) Amazon bk1

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2006.08.09

「東山殿御庭」 一休、ぬばたまの闇を往く(その2)

 さて、「東山殿御庭」紹介の続きです。

「応仁黄泉圖」(「魔地図」)
 時代はぐっと下って舞台は応仁の乱の最中の京。一休は、地獄と化した京から逃れるため、愛する森侍女を連れて阿鼻叫喚の巷を逃げまどうのですが…
 まず圧倒されるのは、その舞台設定でしょう。一休ら二人が駆け抜ける「世界」は、京の都に防御坑として掘られた巨大な空堀「構」。そして構を逃げまどう人々に火矢を射かけ、地獄を現出させるのは、巨人の骸骨とも見える稼働式の巨大な兵櫓で――これまで応仁の乱を描いた作品は少なくありませんが、このような「世界」からの視点で乱の戦場を浮かび上がらせてみせたのは、本作のみでしょう。
 そして二人の前に現れたのは、この悪夢めいた世界の地図たる「構遷図」を手にした怪しげな男。奈良時代の高僧・行基上人が描いたという触れ込みながら、室町の世に造られた構の構造が描かれた――いや、あるはずのない非在の通路までもが描かれた――構遷図はまさに魔地図とも言うべき存在であります。
 実はこの構遷図のモデルとなった行基の地図は実在するのですが(詳しくは 「龍の棲む日本」という本をご覧下さい)、それに、世界を描いた地図なのか、はたまた地図の通りに世界が生まれるのか、奇怪な呪物としての性格を与えたのは、作者一流の工夫でしょう。
 オチが先に収められたある作品に似てしまっているのが残念ですが、この構遷図という魅力的な存在に出会えただけで満足です。

「東山殿御庭」(「黒い遊園地」)
 そして本書のトリであり、表題作である本作。実は異形コレクション掲載時に一度読んでいるのですが、その際に味わった感動は、こうして単行本で再び読んでも変わりません。
 実はその初読時の感想を既に掲載しており、本作に対して語るべきことはほとんど書いてしまっているので、詳しくはそちらをご覧いただきたいのですが(手抜きちゃうぞ)、怪異の描写といい、登場人物の心理描写といい、そして何よりも哀しく切ない怪異の正体といい、作者の――いや、数ある時代ホラー小説の中においても――屈指の名品であることは間違いないと感じている次第。

 以前にも書いたことですが、真に優れた時代ホラーは、その舞台となる時代ならではの必然性を、言い換えれば時代性を持ちながら、同時に、読者の暮らす現代にも通じ、読者が己のものとして感じ取ることができる、いわば超時代性を備えた恐怖を描いたものと考えています。
 当然、そのような一種矛盾したものを兼ね備えた作品の数は非常に少ないのですが、その少ないうちの一つがここにあることは、本作を読んだ方であれば頷いてくれることと思います。
 時代ホラーの名手たる宮部みゆき氏が絶賛するのもむべなるかな、です。 

 そしてまた――一種反則とも言える本作の結末からは、しかし、人の世の怪奇と哀しみと悦びを見つめ、苦闘の旅を続けてきた朝松一休像の、ある意味の完成型・理想像を読み取ることができます。
 そしてその印象は、本書に収録された作品が、一休の青年期から晩年(そして…)に至るまでの順に配置された、すなわち一休の魂の遍歴を描いたものであることにより、より一層強まっていると言えるのであり、構成の勝利と言えるかもしれません。


 以上全五作、その恐怖の質・姿はそれぞれながら、いずれも怪奇ファン・伝奇ファンを満足させてくれることは間違いない粒よりの作品ぞろいであります。

 なお、作者のブログによれば、本書より一休の短編シリーズは「ぬばたま一休」と称される由。
 「闇」の枕詞であり、また「闇」そのものを指す「ぬばたま」を冠するとは、まことにふさわしい呼び名ではありますまいか。
 もちろん、本書をはじめとするこれまで作品の中で、いまだ語られざる朝松一休の冒険行は存在しているはず。ぬばたまの闇を往く一休の姿を、この先も見つめ続けていきたいと思います。


「東山殿御庭」(朝松健 講談社) Amazon bk1

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2006.08.08

今週の「Y十M 柳生忍法帖」と単行本第四巻

 よくよく見ればなかなかひどいサブタイトルの今週の「Y十M」は、お千絵さんと具足&天丸コンビの対峙からスタート。
 連載初期から比べるとずいぶん頭身も伸びたお千絵さん、自分一人で戦うと勇ましくも宣言しますが…

 小娘一人なにほどにやあらんと既に勝った気分の丈之進、またもやエロい妄想を始めんとしますが――
 そこに文字通り飛び込んできたお沙和さんの一刀に串刺しに。失礼ながらあまりにも絶妙のタイミングだったので爆笑しました。
 さらにお品さんも天丸に対して空爆を敢行するも、当たりが浅かったか野生の生命力の恐ろしさか、お品を乗せて天丸は疾走を開始します。

 ここで状況を確認すれば、ホリにょ二人は少し離れた大木の枝に下げられた綱に掴まり、己を振り子にして空中ダイブした様子。
 お千絵さんが一人で戦うと言った直後にこれはずるい、という声もあるかもしれませんが、これも兵法のうち。むしろ、空中からピンポイント爆撃をしてみせたその腕を褒めるべきでしょう。
 さらに言えば、敵は二人でどちらかを討ち漏らせば万事休す、そして地を近づこうにも天丸の鼻に嗅ぎつけられること必至、という状況を鑑みれば(丈之進に緊迫感がなさすぎて忘れてましたが、こうしてみれば大ピンチだったんですね)、この攻撃がほとんど唯一の解であったことがわかります。

 それにしても、人並み外れた敏捷性と戦闘力、さらには索敵能力を備えた三匹の犬を操る丈之進って、実は強敵だったんですなあ…

 と、まだピンチは終わらない。お品を乗せたまま猛スピードで往く天丸(この辺りのスピード感溢れる描写が見事)に、駆けつけた十兵衛も手を出せない。このままではお品の命が、東海寺の秘密が…というところで天丸の行く手に現れたのは一人の老僧。東海寺で老僧と言えばあの方ですが…はたして。


 さて、先週末には単行本第四巻が発売されました。表紙はもちろんお圭さん、内容的には第二十一話「凶賊般若組(二)」から第三十話「水の墓場(二)」、つまりけっこう仮面×3の登場までが収録されています。
 単行本の話になると毎回書いているような気がしますが、雑誌連載時は紙質の関係で見えづらかったシーン(例えば十兵衛が廉助とすり替わった際の雨の夜のアクションシーンなど)が非常にクリアーに見えるようになっているのでオススメ。

 それにしても、改めて見てみるとやっぱりけっこう仮面×3がバーンと登場するシーンのインパクトはもの凄い…というかほとんど異次元の光景のように思えますね。原作を読んでいてもこうなのだから原作未読の方はどう思われたのでしょうね。


「Y十M 柳生忍法帖」第4巻(せがわまさき&山田風太郎 講談社ヤングマガジンKC) Amazon bk1

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2006.08.07

「東山殿御庭」 一休、ぬばたまの闇を往く(その1)

 朝松健の一休シリーズ最新作として発売された本書。一休シリーズは活劇色の強い長篇と、怪奇色の強い短編が存在しますが(最近は幻想色の強い「暁けの蛍」という作品もありますが)、本書は後者を五編収録した短編集。いずれも「異形コレクション」にて発表された、いわばお題ありきの作品なのですが、どの作品も、そのお題に応えつつ、そんな縛りを一切感じさせない独立した作品としてきっちりと成立している、作者ならではの見事な室町伝奇ホラーなのには感心させられます。
 以下、一作ごとに採り上げて簡単に解説いたします(タイトル脇のカッコ内は、収録された「異形コレクション」のテーマ名)。

「尊氏膏」(「蒐集家」)
 奇病に取り憑かれた鎌倉公方足利持氏を救うため、治療薬たる尊氏膏を求めて奥秩父に向かった一休が見た、尊氏膏の「原料」とは――と、狂気の蒐集家の集めた「もの」の恐怖(というか「もの」が…)を描いた本作。一言で言えば、いきなり地獄。
 奇病と、その治療薬の材料を得るために人を捕らえ、苛む者という構図は、やはり真っ先に「神州纐纈城」が浮かぶわけですが、しかし、本作ではそんなこちらの予想を(厭な方向に)飛び越えて、作者ならではの、恐ろしく絢爛なまでにビジュアライズされた恐怖と狂気の世界を描き出していて圧倒されます。
 特に中盤以降、転がり落ちるように地獄絵図が展開されていく様は、作者のいい意味で悪趣味な一面が出たものと申せましょうか。ただただ圧倒されます。

「邪笑う闇」(「獣人」)
 とある山麓の鄙びた里を訪れた一休が、「しゃが様」なる魔物と対決するも…という内容の本作は、本書の中では比較的ストレートな怪異を扱った作品。年に一人、里の娘を要求する魔物を退治する旅の僧、というのは、民話などによくあるモチーフですが、もちろんよくある内容で終わらないのが朝松作品。
 「異形」収録時に初読した際に強く印象に残りましたが、それまで描かれてきた肉体に対する恐怖が、一転、ラスト間際で精神に、魂に対する恐怖へと変貌する呼吸は見事かと思います。

「甤」(「アジアン怪綺」)
 題名の「甤」は、「豕」に「生」まれるという意味(…うぇっ)の字。そんな不思議な題名の本作は、異国人や臑に傷持つ者たちが集まった小浜の港を舞台にした悪夢めいた作品、そのインパクトでは本書で一番ではないでしょうか。
 助けを求める一人の道士と出会った一休。師の愛妾と駆け落ちしてきた彼ですが、美しい恋人には師におぞましい呪いをかけられたというのです。そこで一休はその呪いと対峙せんとするのですが――。不実な美女の肉体にかけられた呪いと言えば、真っ先に浮かぶのは谷崎潤一郎の「人面疽」ですが、本作はそれを遙かに上回る、地獄としかいいようのない世界が展開されます。
 その呪いの正体については、さすがにここで明かすわけにはいきませんが、異人の吹き溜まりたる小浜(この描写がなかなか魅力的で、本作のみで終わらせるのが勿体ないほど)の者たちに不自然なまでに避けられる道士と恋人、美女の潜む蔵に充満する悪臭、蔵の周囲に埋められた女の…と、恐怖をじわじわと煽っておいて、ラストでドン! と一気に明かされるその姿たるや――本作ばかりは、己の想像力の限界に感謝したいところです。


 残る二編については、また後ほど。


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2006.08.06

「白狐魔記 源平の風」 狐の瞳にうつるもの

 人に変化する術を身につけた狐の視点から見た児童文学シリーズ「白狐魔記」の第一巻。源平合戦の頃を舞台に、主人公・白狐魔丸が、人と様々に触れ合いながら人の世の不条理・不思議を見つめていきます。

 主人公の狐は、元々はごく普通の、名もない野生の狐。その狐が、親兄弟のもとを離れ、各地を転々とするうちに、人間という存在に興味を持ち始めます。やがて人の言葉を理解するようになった狐は、ある里で、仙人の下で修行を積めば、狐も人間に変化できるという話を耳にして、純粋な――本当にそんなことができるのかという――興味から、仙人の棲むという白駒山を目指します。
 途中、源氏と平氏の合戦(一ノ谷の合戦)を目撃したり、猟師たちに追われ心ならずも猟犬を殺したりといった冒険の果てに辿り着いた白駒山の仙人の下で暮らすようになった狐ですが、仙人は修行・苦行という行いを鼻で笑い、ただ狐に人間の言葉と、人間の姿での振る舞いを教えます。

 そして時は過ぎ、仙人に人間に変化する法を教わった狐は、白狐魔丸(しらこままる)という名をもらい、旅に出るのですが、そこでふとしたことから出会うこととなったのは、兄・頼朝に疎まれて京から落ち延びる途中の源義経主従。かつて、一ノ谷の合戦の鵯越で義経と出会ったことのある白狐魔丸は、義経という人間の不思議な魅力に興味を持ち、一行と行動を共にするのですが…

 人に変化する術を会得した白狐魔丸ですが、そのパーソナリティーはあくまでも狐のもの。その彼の目から見た人間という存在、そして人間が繰り広げる戦というものは、彼にとっては不可解なもの。
 野生の動物であれば、自分が食べるために獲物を殺すことはあっても、あくまでも己が食べる分のみ。縄張りを守るために戦うことはあっても、相手を殺すまで戦うことはありません。しかるに人間は…(この辺り、ラストでいかにも狐らしい納得の仕方をしていて、それはそれでいいのかなあとは思いますが、それは今後のシリーズによって変わるやもしれず)。
 と、こうやって書くと非常に青臭い疑問ではあるのですが、まあ狐だしな、とその印象をうまく緩和しているのはうまい作品構成だと感心します。

 そして義経主従の中で白狐魔丸が一番親しみを覚えたのは、優しい心を持った佐藤忠信(忠信と狐と言えば「義経千本桜」が頭に浮かびますが、当然そこからの連想なのでしょう)。白狐魔丸とも分け隔てなく言葉をかわし、ある意味武士らしからぬ心根を持つ彼ですが、しかし、主君である義経を落とすため、追っ手相手にただ一人、獅子奮迅の活躍を見せることとなります。
 ここで白狐魔丸が再び感じるのは、主君のために自分の命を投げ出し、そして他者の命を奪う忠信の――すなわち武士の心・生き様への違和感。我々人間にとってみれば、ある意味当然、とは言わないまでも普通に理解できる忠信の行為ですが、命を守るために死ぬ、あるいは命を守るために殺すというのは、客観的に見れば、矛盾した、不可思議な行動なのかもしれません。

 しかしながら、人間の歴史というものは、ある意味、そんな矛盾した行動の蓄積とも言えるもの。本シリーズはこの後、鎌倉から室町、戦国時代まで続いていくようですが、その歴史の中で白狐魔丸が人間の存在をどのように理解していくのか、あるいはしないのか。児童文学ではありますが、なかなか読み応えのあるシリーズとなりそうです。


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2006.08.05

「織江緋之介見参 孤影の太刀」 過去と現在を貫く妄執

 織江緋之介シリーズ第三弾は、宿敵松平伊豆守の執拗な攻撃をかわしつつ、緋之介が保科正之の娘の変死事件と、江戸で頻発する鷹匠の怪死事件の、二つの謎に挑みます。

 あいも変わらず吉原で暮らす緋之介に、親友である徳川光圀が依頼したのは、光圀の妹・沙弓の幼馴染みであり保科正之の娘・媛姫の、嫁ぎ先での不自然な死の真相の調査。表だっては動けぬ光圀らに代わり探索に当たる緋之介ですが、大名家の奥向きのことであり、探索は遅々として進まず。それどころか、鷹匠が引き起こした刃傷沙汰に巻き込まれ、思わぬ敵を増やすことになります。

 果たして媛姫の死は事件なのか事故なのか。頻発する鷹匠絡みの事件の原因は何なのか。そして、この両者の間に関係はあるのか…
 己の命が旦夕に迫ったことを悟り、これまで以上に執拗かつ陰湿に迫る松平伊豆守の攻撃をかわしつつ、一歩一歩二つの事件の真相に迫っていく 緋之介が見たのは、数十年の過去と現在の権力者の妄執というべきもの。
 これまでの作品においても、作者は、史実の伝奇的な解釈を通して、権力に憑かれた者の醜さ・邪悪さとそれに対する怒りを描いてきましたが、その姿勢は本作でも変わりません。本作では松平伊豆守と対立し、その地位を狙う存在として阿部備前守が登場しますが、敵の敵は味方ならず、緒戦は同じ穴の狢である備前守に組みすることなく、緋之介は孤影を落としつつ往くこととなります。

 正直なところ、シリーズ第二作においては、キャラクターの描写が今ひとつの印象があったのですが、本作は上で述べたような「上田節」を抑えつつ、キャラクターそれぞれが躍動感を持って描かれており、充分以上に楽しむことができました。
 そして、更なる権力者との対峙の道を選びつつ、一人の女性の幸せを守るために戦うことを決意する緋之介の姿は、時代劇ヒーローとして、そして一人の男として非常に魅力的であり、彼の行く先をこれからも見届けたいと思った次第です。

 なお、本作では、緋之介を導く存在として、もう一つの小野一刀流の流祖であり、緋之介の叔父である小野忠也が登場。なるほど、この人物がいたか! と、人物チョイスの妙に感心させられると同時に、まさに剣鬼ともいうべきこの人物のパーソナリティーに戦慄させられたことです。
 まだ出番は多くありませんが、果たして物語にどう絡んでくるか、こちらの行く先も楽しみです。

「織江緋之介見参 孤影の太刀」(上田秀人 徳間文庫) Amazon bk1

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2006.08.04

「BEAST OF EAST」 眩暈するほどの絢爛豪華な伝奇絵巻

 つい最近、岡本綺堂の「玉藻の前」を読み返していて、この作品をまだ紹介していなかったことを思い出しました。天才絵師・山田章博先生によるジャパニーズ・ファンタジーであります。

 本作の舞台となるのは平安時代、かつて印度・中国で猛威を振るった伝説の妖魔・金毛白面九尾の狐に魅入られた少女・藻と、彼女の幼なじみの少年・鬼王丸が物語の中心となります。
 鬼王丸に助けられながら、京の外れで病身の父と静かに暮らしていた藻が、ある日、古塚に封印されていた魔物に魅入られたのが悲劇の始まり。見違えるほどの妖しい魅力を身につけた藻は、玉藻前と名を変えて宮中に侍ることになります。一方、藻の背後に魔物の影があることを知った鬼王丸は、彼女を救いださんとしますが――

 と、ここで気づいた方もいるかと思いますが、この基本設定は、冒頭で名を挙げた綺堂の「玉藻の前」とほぼ同じ。少年の名こそ異なるものの、基本的にはオマージュと呼んで差し支えはないでしょう。
 が、本作が単なる綺堂作品の漫画化かと言えば、もちろん「否」。基本設定の部分が同じだけで、後は全く本作独自の、まさに眩暈がするほどの絢爛豪華な伝奇世界が展開されます。

 何せ、この物語に登場する京の都は、晩屍衣(バンシー)や互武倫(ゴブリン)と言った怪物たちが出没するファンタジックな世界。そこで活躍するキャラクターたちも、賀茂光栄に安倍晴明、平将門に藤原純友、菅原道真、芦屋道満と、虚実入り乱れたオールスターキャストであります。
 そしてその世界を、キャラクターたちを描くのが、あの山田章博なのですからたまらない。どこかレトロで、同時にどこかモダーンな氏の筆は、古今東西、様々な世界が入り交じった、猥雑でパワフルで魅力的な物語世界を描いて余すところがありません。

 そして主人公たる鬼王丸もまた、ひょんなことから知り合った異国からの怪人・快人たちを仲間にして大暴れ、物語世界の圧倒的なパワーに対して一歩も引かずに活躍してくれるのが頼もしい限りです(しかし鬼王丸と言えば、劇中にも登場しているあの人物の幼名なわけですが…さて)。

 と、歴史をある程度知っている方であれば、本作の登場人物たちが本来であれば一同に会するはずがない――一言で言えば生没年が重なっていない人物同士がいる――のですが、それをとやかく言うのは野暮というものでしょう。それで物語の面白さが削がれることなどないのですから…(というより、冒頭に提示される元号等を見るに、作者が敢えてやっているのは明白かと)。

 ただ一つ、本作の残念な点を挙げれば、それは連載が極めてスローペースなことでしょうか。基本的に単行本派なので、もう何年続刊を待っていることやら…いやはや勿体ない。


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2006.08.03

「大剣豪」 パロディーという現実認識

 パロディ・パスティーシュで鳴らす清水義範氏の作品の中から、時代ものを集めた短編集。収録された作品の傾向は二つ、お得意のパロディ地獄で時代劇の世界を描いた作品群と、基本的にパロディ抜きの真っ当な(?)作品群に分かれています。

 まず第一のグループ、表題作「大剣豪」をはじめとする「笠地蔵峠」「大江戸花見侍」「ザ・チャンバラ」のパロディ群は、どこかで見たようなシチュエーションに、どこかで見たようなキャラクターたちが、これでもかと言わんばかりに詰め込まれて、とにかく難しいことを考えたら負けの、いい意味で実にしょーもない作品ばかり。ノリで言えば、ほりのぶゆきの時代劇パロディ漫画に近いものがある、と言えば、何となくおわかりいただけるかと。
 個人的には、この中で一番楽しませていただいたのは「笠地蔵峠」。タイトルを見れば一目瞭然、中里介山の「大菩薩峠」のパロディたる本作、文体も原典に則して「ですます」調で、巡礼の老爺が、主人公に理由もなしに斬られるシーンから始まり、主人公の机龍之助ならぬ抽出梁之助の魂の遍歴が始まるわけですが…違うのは、物語の進行速度が原典の十数倍、いや数十倍あること。そのスピード感たるや、それ自体がパロディといえるほどなのですが、それで時空が歪んだのか、とんでもないゲストが登場してある意味夢の対決となったところで…という展開にはもう口アングリでありました。

 一方、ぐっとシリアスな作品群の方。実は本書を手にしたのは、ここに収められた「天正鉄仮面」を読みたかったのですが、これが期待通りの面白さでありました。
 主人公はあの大盗石川五右衛門。ふとしたことから細川幽斎邸におかしな動きがあることを知った彼は、興味からその謎を追いますが、背後に秀吉の影があることに気づきます。なおも謎を追う五右衛門は、謎の人物が幽斎邸から大坂城に移送されたことを知り、遂に大坂城にまで忍び込みます。
 が、そこで出会ったのは、鉄仮面を被せられた一人の人物。賓客の如き扱いを受けながらも仮面の虜囚となったこの人物の正体は…もちろんここでは触れませんが、短編ながら堂々たる大伝奇で、ラストで二つの史実につながるあたりも含めて唸らされました。

 そしてまた、それ以外の非伝奇小説についても、期待以上の面白さでありました。特に、信長の囲碁相手であった僧が語る信長像「三劫無勝負」、タイトル通りの人物から見た山内一豊の出世ぶりを描く「山内一豊の隣人」などは、人知の及ばぬ歴史の巨大な力を目の当たりにした思いを抱かされましたが、何よりも感心させられたのは、作者のその歴史を語る手法です。
 ここに収められた作品の多くに共通するのは、歴史上のある人物、ある事件を描くのに、第三者の目を通していること。上記二作品はもちろんのこと、舅から見た太閤記である「どえりゃあ婿さ」も同様ですし、さらに言えば「天正鉄仮面」もまた、五右衛門の目から見た秀吉像が克明に描かれておりました。

 物事を描く際、真っ正面から直接的に描くよりも、なにがしかのフィルターを通して描いた方が、不思議なことにかえってクリアにその対象の本質が見えることがしばしばありますが、ここで作者が取った手法はまさにそれでありましょう。

 そしてまた――そのフィルター越しに物事を描く手法に、笑いというスパイスを加えれば、パロディというものになります。
 なるほど、パロディは作者一流の現実認識の手段せあったか、と非パロディ作品というフィルターを通すことにより、今更ながらに(本当、今更…)気づかされた次第です。


「大剣豪」(清水義範 講談社文庫) Amazon bk1

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2006.08.02

「外法師 髭切異聞」 鬼と人と名刀と

 見かけは幼女・中身は凄腕の術使いという外法師・玉穂の活躍を描くシリーズの第四弾は、鬼と人間と名刀の関わりを描く中編二編を収録しています。

 まず「戻橋奇談」は、渡辺綱が一条戻橋の上で美女に化けた鬼に襲われるも片腕を切り落としたという伝説を下敷きに、本当に幼女だった頃の玉穂と綱の出会いを描いた作品。
 単純な善玉も単純な悪玉もいないこのシリーズらしく、鬼女・茨木が綱を襲ったのにもユニークな理由があるのが面白いところ。さらに玉穂が茨木の娘に腕の奪還を依頼されたことで事態はややこしくなり、そこに綱の能天気ぶりが重なって、重い話が多いこのシリーズの中ではコミカルな作品となっています。
 しかし、綱を守るために現れた安倍晴明と玉穂の対決(共に達人ながら、片や老人、片や幼女という体力的ハンディキャップを背負った二人の対決というのが面白い)を通じて、人と人とがわかりあうことの難しさを描くところは、いかにもこのシリーズらしいと思わされました。

 一方、酒呑童子伝説を下敷きにした「髭切異聞」は、ぐっとシリアスな内容の作品。大鬼・千尋王(酒呑童子)の配下にさらわれた源頼光の三女・有花里を救い出すため、玉穂と坂田金時が乗り出すのですが、そこに人間と鬼それぞれの思惑が絡み合って状況は混沌としていきます。
 実は金時は、有花里の兄・頼国から、ただ刀に箔を付けるためだけのために、千尋王を斬れと命じられ、己の正義感――そして自らも妖の血を引くという出生――との板挟みになって苦しむことになります。
 一方、鬼の側でも、人間と共存する王に不満を持つ野心家の鬼が陰謀を巡らし、それに千尋王の想いを確かめたいと思う気持ちを利用された王の妻(人間)が巻き込まれることとなります。

 酒呑童子が実は悪党ではなかった、というのは、ある意味伝奇ものの定番の一つではありますが、本作では、酒呑童子を人間と共存しようとしつつも、鬼と人との違い(そしてそれと同時に共通点)を冷静に認識している、一種のリアリストとして描いているのが目を引きます。
 そして、上記のように人間の側にも鬼の側にもそれぞれに思惑があり、善玉もいれば悪玉もいるということを描くことにより、どちらか一方が被害者というわけでなく、対等な存在であることを浮かび上がらせているのが、印象に残りました。


 …さて、本書に収録された二作で共通して描かれるのは、人間と鬼との間の関係の様々な在り方ですが、それは見方を変えれば人間と他者との関係であり、さらに言えば、人間と人間との間の関係と、変わるものではありません。
 そしてまた、本書に登場する二つの名刀――綱の髭切と金時の童子切り――は、その関係を時に断ち切り、時にはつなげる力であり、コミュニケーション/ディスコミュニケーションの象徴と言うべき存在なのでしょう。

 人や鬼たちが生き、死んでいった後に、この刀たちの伝説が残るというしみじみとしたエピローグが、何とも象徴的に感じられた次第です。

 なお、本書は巻末にイラストの紗月輪氏による短編コミック「迷夢」が収録されていますが、本文中で普段は美男子なのに「アマガエルに似た」と描写される綱の笑顔をうまくビジュアライズしてあって感心しましたよ。


「外法師 髭切異聞」(毛利志生子 集英社コバルト文庫) Amazon bk1

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2006.08.01

今週の「Y十M 柳生忍法帖」 いろんな意味でサルでした

 さて一週おいての「Y十M」は、自分の首がかかった具足丈之進が、天丸の鼻を頼りにホリにょを追跡、という展開。既に自慢の犬を二匹まで討たれ、単純計算すれば戦力1/3の丈之進の勝機やいかに、というところですが…

 さすがは犬の鼻の威力は大したもので、遂にホリにょの本拠たる東海寺に辿り着きますが――丈之進、天丸の背にしがみついてただけじゃあ、というツッコミが聞こえたのか、丈之進はなんと坊主コスで寺に潜入。半信半疑で寺の中を行く丈之進ですが、折悪しくそこにはお千絵さんが。と…あれあれ、何だか丈之進の頭の中にはおかしな絵がまじってますよ? というか絵の半分くらいはお千絵さんが服着てないですよ? そんなに全裸でダウン攻撃が嬉しかったのか。

 と、手柄と色に目の眩んだ丈之進、仲間を呼びに行かずに単身、いや天丸と一緒にお千絵に迫りますが、サルなのは顔だけではなかったか、肝心なところでエロ妄想にとらわれて文字通り肘鉄砲を食らわされます。しかしここで逃げれば天丸が仲間を呼びにいってしまう、というわけで、お千絵も一歩も引かずに応戦の構え、丈之進だけならばともかく、天丸をも相手にするのはあまりにも不利と思われますが…さて。

 しかし、大体、忍法帖では単独行動した奴&色に目がくらんだ奴にはかなりの確率で死亡フラグが立つわけですが――いや、犬を二匹も倒されたのに、ここまでよくやりましたよ丈之進は<すでに故人扱い
 というか、ここまでサルだとは思いませんでした。ここまでダメダメだとむしろ感動的ですね。

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