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2007.01.31

「ムーン・ドラゴン」 魂魄の中の龍を釣る

 結構意外なところでお名前を拝見することも少なくない小沢章友先生ですが、本作は児童向け作品。タイトルは横文字ですが、平安時代末期を舞台とした、歴とした時代ファンタジーであります。

 主人公・月丸は、戦乱で親を失い、比叡山で僧として修行してきた少年。しかし、武士として名を上げ、美しい姫君と結ばれることを夢見る彼は、比叡山を抜け出して都に向かいます。時あたかも平家がこの世の春を謳歌していた頃、平家の禿となっていた旧友と再会した月丸は、連れて行かれた先で美しい舞い女・蘭に出会い、一目で恋に落ちます。
 が、その日の食にも事欠く月丸にとって、彼女は高嶺の花。かといって禿となって町の人をいたぶるのも性に合わず…と悩む彼の前に現れたのは、泥門と名乗る奇怪な僧侶。後白河法皇の夢の中に潜む龍を釣って、天下一の力を手に入れてみぬかと、奇ッ怪なことを唆す泥門に、果たして月丸は…

 と、いかにも小沢先生らしい奇想が本作の魅力。時の権力者の夢の中の龍と、その龍を釣り上げる力を持つ少年という、この題材の妙には、ただただ感心するのみです。何やら、作者の土御門クロニクル第一作たる「夢魔の森」に通じる空気もあり、ファンとしては嬉しい限りです。

 が、一個の作品としてみると、正直なところ残念な部分も多い本作。
 なんと言っても、悩める少年・月丸が、若さ故とはいえあまりに無計画で、周囲の状況に流されるままに物語が展開してしまうのが非常に気になったところで(特に、終盤の蘭救出のくだりはその最たるものかと)、少年の成長物語としても、食い足りない部分がありました。

 即身成仏を図った僧の末路などに見られるような、いかにも作者らしい、何とも不可思議でどこかやるせない味わいの世界描写は魅力的ですし、その中でもがきながら歩を進めていく少年の姿は、悪くはないのですが…

 もちろんこれはファンゆえの必要以上に厳しい見方かもしれませんが、「夢の中の龍を釣る」という題材が非常に魅力的であっただけに、色々ともったいなく感じてしまった次第です。


「ムーン・ドラゴン」(小沢章友 理論社) Amazon bk1

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2007.01.30

「白狐魔記 洛中の火」 混沌の中の忠義と復讐

 時を超えて生き続ける神通力をもった狐、白狐魔丸の目を通して人の争い合う姿を描く「白狐魔記」の第三巻の舞台となるのは、鎌倉末期から室町初期の混乱の時代。そう、あの混沌たる「太平記」の世界であります。

 久々に都に出て、宮方の隠密である十蔵という男と知り合った白狐魔丸。その縁で彼は、千早城に籠もる楠木正成という不思議な武士と知り合います。
 それからややあって吉野を訪れた白狐魔丸は、十蔵の主君である村上義光が、大塔宮の身代わりとなって死ぬ姿を見取ることに。敬愛する主君を失った十蔵は、義光を置いて逃れた大塔宮に復讐を決意します。
 そして復讐に燃える者がもう一人――それは白狐魔丸と同じく神通力を持つ女狐の雅姫。かつて愛した北条時輔とよく似た北条仲時が宮方に破れ、自決するのを止められなかった彼女は、後醍醐天皇と大塔宮を深く恨み、策略を巡らせます。二人の復讐を止めるべく奔走する白狐魔丸ですが、力及ばず討たれる大塔宮。それでも人間たちの争いは終わらず、ついに正成にも最期の日が…

 これまでも、巨大な歴史のうねりの中で生き、戦い、死ぬ人々の姿を描いてきた本シリーズですが、本作はこれまでになく敵味方が変転し、戦いが戦いを生んだ時代が舞台。人間は好きだけれども、武士と人殺しが大嫌いな白狐魔丸にとっては、何ともやるせなく、悲しい時代であります。
 そして今回、彼を更に悩ませるのは、「復讐」という人の想いの強さ。大義・忠義の名の下に命を捧げる者がいること、そのこと自体は良いとして、残された者は、その命を捧げられた者に怨みを抱いてはいけないのか。大義・忠義の名の下に、愛する者を「敵」として討たれた者は、その大義を奉じる者に怨みを抱いてはいけないのか…これはもちろん難しい問題であり、基本的に傍観者の立場にある白狐魔丸にとっては未知の領域と言っても良いかも知れません。

 さらに面白いのは、その復讐の、怨みのターゲットとなるのが、これまで悪役(という言い方は本作においても正しくないのですが)として描かれることの少ない…というよりおそらく滅多にない後醍醐帝と大塔宮であること。このような本作の視点が全く唯一正しいと言うつもりは毛頭ありませんし、それは作者も同様かと思いますが、十蔵や雅姫の立場からすれば、なるほど、こうした視点も当然ありうべきでしょう。
 題材的に扱いにくい、特に歴史的経緯を考えると、触らぬ神に…的な対象ではありますが、それに対して、比較的抵抗感の少ない形で、「あったかもしれないもう一つの道」を提示できるのは伝奇ものならではの機能ではないかと個人的には思います。

 もちろん、大所高所からではなく、狐の視点という一風変わった角度から歴史の流れを見るという本作の物語としての楽しさは健在ですし、大塔宮を付け狙う十蔵の後身があの人物であったり、後醍醐天皇と大塔宮の仲を裂くため雅姫が取り憑いて操る人物が阿野廉子だったりと、伝奇ものとしても面白い作品となっています。

 また、キャラクター的に見ると非常に面白いのが雅姫の存在で、前作ではちょい役に近いキャラクターだったのが、本作では実質主役級の活躍。何よりも、一応児童文学である本作ながら、その言動から強い女性としての業が伝わってくるのが強く印象に残りました。たぶん、これからもちょくちょく顔を出すことでしょう…
 そしてもう一人印象に残ったのが、楠木正成その人。戦前の「忠義の臣」という属性から解放されて、今では様々なアプローチで描かれるようになった人物ですが、本作での、「本当は戦いが嫌いでありながらついつい戦場に出て活躍してしまった人物」というアプローチは、ありがちではありますがなかなか面白いと思いますし、あの湊川の戦での悲劇的な出撃に秘められた本作ならではの正成の想いには、なるほどこれもアリかもしれないと思わされたことです。

 そして次の第四巻では、時は流れて舞台は戦国。白狐魔丸があの信長と出会うようですが…さて、狐の目に映る信長の姿はどのようなものでしょうか。こちらも楽しみです。


「白狐魔記 洛中の火」(斉藤洋 偕成社) Amazon bk1

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2007.01.29

「天保異聞 妖奇士」 第十六話「機の民」

 何者かに狙撃された勘定奉行・跡部能登守。小笠原は妖夷の存在を疑い、奇士たちは調査にあたる。その頃、アビは町で機の民マスラオと再会するが、マスラオはアビを掟を破った者として殺そうとする。姿なき狙撃犯とマスラオの関係を疑う往壓たちは彼の元に向かうが、マスラオを追う中でアビの姉・ニナイがかつて妖夷に攫われ、アビはそれを追って奇士になったことを知る。マスラオは、薬種問屋の山崎屋でニナイを見たと告げるが、その寮には、奇しくも宰蔵たちが用心棒として張り込んでいた…

○音も火薬の匂いもしない鉄砲で狙撃される跡部能登守。犯人らしき男は銃を火にくべていますが…

○山崎屋で不思議な甲骨文字を見せられる小笠原様。往壓も読みとれないそれは今後の展開につながっていくのでしょうか…。しかし、往壓を門前の小僧扱いする小笠原様は結構見栄っ張り。そして主人は小笠原様に用心棒周旋の依頼を。

○新しい仕掛け扇子を手に入れて喜ぶ宰蔵。一方、宰蔵についてきたアビはどこかで見たようなファッションのメガネ青年に目を留めて…と思えばそれは宰蔵の扇子を作ってくれたマスラオさん。

○逃げ出したマスラオを追いかけたら、実は罠にはめられたのは自分、変な器具に緊縛されて吊されてしまうアビ。よくもこんなものを持ち歩いていたものだ…と思ったら、おお、絡繰り応用の器具のようです。地の神=妖夷を倒しているアビを、掟を背いた者だと罵り、殺そうとするマスラオ。大したテクノロジーを持っているのに意外と信心深いんだなあ。というよりアンタ後に思いっ切り掟に背きまくるくせに…

○と、さも当然な顔をして円盤馬七に乗ってアビを助けにくるアトル。便利すぎる。

○火器のスペシャリストのえどげんでもわからない狙撃者の正体を推理する奇士たち。相変わらず絵がへたくそな小笠原様は、狙撃者の正体を鳥居の手の者、しかも妖夷の力を使ってるかも…と、素人目にも見当違いとわかる推理を展開します。

○阿部老中のの護衛に回る小笠原様と往壓・アビ。一方、宰蔵とえどげんは山崎屋に用心棒に。相変わらず男前すぎるえどげんは、何故か襟巻き着用です。それにしてもこの男、ノリノリである。

○警護空しく狙撃事件発生。捜査に当たる一行の前に、何故かバーローこと狂斎登場。馬七とアトルまでやってきて、もう隠す気ないだろ小笠原様。

○池に捨てられた紙を見つけて、紙製の鉄砲ならば…と思いつく狂斎。空気鉄砲のこと知ってるのに今まで気付かなかった小笠原様って…

○やたらと行動力と推理力のあるバーローは芝居小屋で小道具を作っていたマスラオ様のところに。また主人公が誰だかわからない状態に…

○先を越されたくせに偉そうなアビはマスラオさんを追いかけるも、プロペラこけしで襲われて転落。しかし再び円盤馬七に救われるアビ。本気で便利だ馬七。

○走りながら拾った木材で何か細工して…と思ったらいきなり絡繰り人形ですよ! 先行者みたいな絡繰り人形に押し倒されて腰カクカクされるアビはカッコ悪過ぎる。主役エピソードなのに…

○アビをかばって飛び込む往壓に驚くマスラオさん。仲間だからとさらりと言っちゃう往壓にアビメロメロですよ(多分)。そこに追いついたアトルは、ニナイという名を呟きます。

○妖夷と身近に暮らしていたというアビ。…が、ある日超美形のニナイ姉さんは妖夷に攫われて、それ以来アビは山を捨てて妖夷を追う身となったのでした。

○山崎屋の寮にニナイがいると告げるマスラオさん。その頃、二人仲良く(?)床を並べていた用心棒のえどげんと宰蔵は、部屋の天井に張り付いた妖夷を発見して…

○それにしてもこの番組のすぐ後にカッパ映画のコマーシャルは勘弁していただきたい


 アビ篇スタートの今回は、早くも山の民であるアビが、何故江戸の町で妖夷退治に加わっているのか、その理由である過去の事件が語られました。

 しかしそれ以上に目立ったのはマスラオさんの活躍。走りながら木材拾って絡繰り人形を作ってしまうのにはひっくり返りました。真面目に色々推理した小笠原様たちがかわいそうになるほどのオーバーテクノロジーぶりです。さすが、幕末に変形巨大ロボを作る人は違うよな。
 ちなみにマスラオ役は浪川大輔氏。「いろはにほへと」の耀次郎役であります。氏は何だか最近時代劇アニメ常連になりつつある…ってのは言い過ぎか。

 しかし次回予告で国津神いう言葉が出てくるのが気になります。仮に妖夷が国津神――おそらくはマスラオの言う地の神――と呼ばれる古き神の眷族であるならば、この物語は、単なる妖怪退治ではなく、神殺しの物語であるということでしょうか。
 だとすると、江戸と明治という、古き時代と新しい時代の切り替わりが迫っている天保という時代にこの物語が展開されることにも、意味があるのかもしれません。

 一方で気になったのは、アトル・雲七・狂斎の三人(?)組が便利な存在として活躍しすぎていること。往壓たち奇士が、それぞれの形で、時代の制約に縛られた存在として設定されている一方で、こちらの三人は束縛から自由な形で――本来であれば一番不自由なはずのアトルも含めて――動かされている感があります。
 様々なキャラクターがいるのは良いのですが、あまりいきすぎると折角の奇士の設定が霞むのでは…と、余計な心配をしてしまった次第です。


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2007.01.28

「幕末機関説 いろはにほへと」 第十六話「同行四人」

 北への旅を続ける耀次郎と赫乃丈は、会津で白虎隊の少年・惣之助と、土方歳三に出会い、米沢まで旅を共にする。既に官軍の勢力下にある城下に嫁いだ姉の身を案じて隊を脱してきた惣之助の想いを叶えるため、耀次郎と土方は偽決闘を演じて官軍の目を引きつける。そして会津に戻るという惣之助と別れ、松島までやって来た三人は、遂に覇者の首の憑いた榎本艦隊に追いつくのだった。

○いきなり変調をきたして倒れる赫乃丈。それでも耀次郎は「座長!?」なのが何とも。そして赫乃丈を宿屋に担ぎ込んで寝かしつけた耀次郎。そこで聞こえてくる微妙な、本当に微妙な感じの歌声は…耀次郎が歌う手鞠歌でした。そして意識を取り戻して一緒に歌い始めた赫乃丈を見る耀次郎の目が優しすぎる。

○白虎隊士の惣之助を追う官軍を叩っ斬る耀次郎。が、止め絵で見せるだけの手ェ抜いたチャンバラシーンにはがっかり…一方、赫乃丈は白い月涙刀を手に覚醒して官軍の隊長に刃を振るいます。斬った後に意識を取り戻して慌てるのはお約束。

○そしてその場に土方が。出会うなり沖田の最期の話を始める耀次郎が、らしくてオカシイ

○色々あって同行四人の旅に。この時、土方が、常にすぐに鯉口が切れるように手をやっているという描写がキャラを立てていて良いですね。

○姉の嫁ぎ先へ走った惣之助を見送った後、いきなり京での遺恨があったと言い出す耀次郎と、その真意を悟って応える土方。二人の呼吸の合いようが愉快です。

○隊士から官軍の目を逸らすために、いきなり城下で決闘を始める耀次郎と土方。芝居がかった大仰な口上が楽しい場面です。土方に芝居の心得が? と聞かれて、門前の小僧と答える耀次郎の茶目っ気が素敵。にしても耀一郎って…w

○姉を慕う惣之助に沖田総司の姿を重ねる土方は、自分と共に北に向かわないかと誘いますが…それを断って城に向かう惣之助を見つめる土方の目が優しくて良いです。


 土方登場編の今回は、直接本筋とは関わらないストーリーではありますが、白虎隊という史実を拾いつつ、これから本筋に大きく関わるであろう土方歳三という人物のキャラを立ててみせた、なかなか良くできたエピソードであったと思います。
 その土方役は檜山修之氏で、ちょっと声が若いかなあ…という印象がなきにしもあらずですが、静と動の演じ分けがくっきりしている声優さんなので、ドラマの展開に合わせて、土方の様々な側面を演じてくれるものと思います。

 アクション的には、上記の通り不満な部分もありましたが、何よりクライマックスの、シリーズ前半で芝居の世界を舞台としていた設定をうまく絡めた展開が実に面白かったので、満足しています。ラストの、妙に気合いの入った演出も良い感じでした。

 そして次回――蒼鉄先生の魔手が土方に!? 一体どれだけ周囲の男を振り回せば気が済むんですか、蒼鉄先生…まさに魔性の男だよまったく。


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2007.01.27

「ぬばたま一休 -紅紫の契-」 原作の空気感を描き出した哉井一休

 いまや朝松健先生の代表作である「ぬばたま一休」シリーズ、その第一作である「紅紫の契」が、「少年シリウス」誌上で哉井涼氏により漫画化されました。
 このシリーズが漫画化されたのは今回が初めて、果たして如何なる作品に相成りますか、と楽しみにしておりましたが、なるほどこのような描き方になるのか…と感心いたしました。

 失意に沈んだ歌人のもとに現れ、夜毎契りを結ぶ美女の怪を描いた本作は、その物語上、艶めいた空気感が必要となりますが、哉井氏の絵は、それにきちんと応えて、少ないページ数の中で、下品にならない艶っぽさというものを描き出していたと感じました。
 そして――この物語で描かれた人外の恋は、一休の調伏により終わりを告げるわけですが、妖が消える際に若き歌人が、そして一休が一瞬浮かべた切ない表情は、この物語を単なる妖怪退治ものに留まらない余韻あるものとしており、その点には大いに頷かされるものがあります。
 また、表情と言えば、ラストの一休の表情が、物語中の厳しいイメージと裏腹な実に茶目っ気たっぷりなものとして描かれていましたが、これは朝松一休の持つ多面的なキャラクター性の現れと解してもいいのかもしれません。

 もっとも、説明的な台詞が多すぎると感じさせられる点はあり、そこは漫画として見た場合はどうかと感じましたのも正直なところですが、そこは今後の経験が解決してくれるでしょう。
 「ぬばたま一休」シリーズは、相当にバラエティ豊かな内容であり、時にグロあり、時にアクションありとなっている中で、本作の原作は比較的おとなしい部類に入るもの。その原作の味わいを絵として活かしてみせた哉井氏がシリーズの他の作品を描くとき、どのような姿となるのか…これはなかなかに興味深いことであります。
 次の哉井一休との出会いを楽しみに待ちたいと思います。


「ぬばたま一休 -紅紫の契-」(哉井涼&朝松健 「少年シリウス」2007年3月号掲載)

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2007.01.26

「ガゴゼ」第二巻 大鬼の辿り着く先は何処に

 室町前期を舞台とした伝奇妖怪コミック「ガゴゼ」の単行本第二巻が発売されました。力を失った大鬼ガゴゼを襲う運命は大きく変転し、ガゴゼの周囲の人間・妖怪たちを巻き込んでいよいよもって波瀾万丈の展開となってきました。

 餓えに任せて少女・鬼無砂の愛犬を喰らってしまったものの、動物は食物としか見れないため、彼女の哀しみが理解できないガゴゼ。そんなある日、妖怪たちに襲われ、その身を引き裂かれたガゴゼは、おぞましい姿に変容して敵を倒すも、鬼無砂にその姿を見られた哀しみから彼女の元を離れ、慣れ親しんだ生育の地を訪れます。が、そこにも異変が生じていたことを知ったガゴゼは、己を封じた陰陽師・土御門有盛を求めて京に向かいます。
 一方、その有盛は、各地に散ったガゴゼの残骸を求めて旅立ち、そこからガゴゼの妖気を手に入れていくことに。また、かつて(名目上とは言え)ガゴゼ討伐の総大将だった足利義嗣は、父・義満の命で強引に出家させられるところを逃走するもガゴゼを慕う老妖狼に捕らえられて…と、ガゴゼを巡る人々の運命も様々に動き始めます。

 地獄風味は相変わらずの本作、冒頭のガゴゼを襲う水妖たちとの戦いのシーンから、目を覆わんばかりのおぞましい人外の死闘が描かれます。以前、第一巻の感想では「日野日出志先生の絵柄を一見可愛らしくしたような絵柄」と書きましたが、むしろ中村嘉宏氏の絵にグロをぶち込んだような絵柄と言うべきでしょうか、その緻密な描き込み様は、この世の者ならざるガゴゼや妖怪たちに、凄まじいまでの存在感を与えて余りあるものがあります。
(特に変容したガゴゼの姿は、実はヨグ=ソトースの御子でした、と言われても信じるほどの怪物ぶりでありました)

 正直なところ、良くも悪くも先の読めない展開の本作。ガゴゼがこれから辿る運命も、足利義満の真意も、反義満派に接近し一人暗躍する有盛の真の狙いも、全てが謎のままではありますが、今回ガゴゼの生誕の地とも言える場所が登場したことにより、それまで全く意識の範疇外にあった「そもそもガゴゼとは何なのか」という点について、俄然興味が湧いて参りました。
 また、これだけ先が読めないと、一歩間違えると、読者の物語自体に対する興趣や興味も失われがちになりますが、そこを上記の絵柄のインパクトで補っていると感じられる部分もあり、その点については漫画作品として好感が持てるところであります。

 一度は人間的な感情に目覚めつつあるように見えたガゴゼではありますが、まだまだそんな生やさしい存在ではないとも思わせるガゴゼのキャラクター。この巻のラストでは、奇しき運命の悪戯から、思わぬ所でガゴゼと義嗣が対面、ここでのガゴゼの行動が、物語的にも、キャラクター的にも今後の展開に大きな意味を持つのではないか、ガゴゼの辿り着く先が少し見えてくるのではないかと思いますが…さて。


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2007.01.25

「鬼喰う鬼」 鬼と人、武士と貴族の狭間で

 酒呑童子伝説をベースとした時代伝奇活劇たるこの「鬼喰う鬼」、初めて触れる作者の作品だったので、果たしていかがなものかと思いましたが、個性的なアイディアとドラマチックな展開が光る良作でありました。

 源頼光と頼光四天王による酒呑童子退治の物語は、演劇や小説等の現代のエンターテイメントは言うに及ばず、古典芸能や絵草紙の世界でも扱われてきたもにであって、あまりいい表現ではありませんが、手垢にまみれた題材であります。そしてそれは同時に、なまなかな趣向では先行作品を超えることは困難ということも意味するわけですが、本作では源頼光ならぬ源雷光というキャラクターを主人公に据えることにより、極めて個性的な物語を描き出すことに成功しています。

 渡辺綱(一般には頼光四天王の一人として知られるあの綱)の子である隻眼隻腕の青年雷光は、元服の日に、彼が綱の実の子ではなく、赤ん坊の頃に何者かに殺されかけていたところを拾われたことを知ります。更に不思議な因縁に導かれて、自らが、源頼光に嫁いだ藤原道長の姪が、鬼に憑かれて生んだ子だったと知った雷光は、生まれたばかりの自分から眼と腕を奪い、今また命を狙おうとしている源頼光と源氏一門に復讐の一戦を仕掛けることとなります。
 目覚めた鬼の力、そして実は雷光同様鬼の力を持つ綱の力により、並みいる源氏の武者たちを粉砕した雷光は、藤原道長の計らいで、頼光に代わって源氏の頭領の座に就きます。

 ここまでが丁度物語の前半部分、ここまででも意表を突いた展開の連続ですが、後半に至って物語はますますパワーアップ。かつて幾度となく都を騒がせた強力な鬼・朱天童子が、鬼の軍団を引き連れて再来、雷光たちと死闘を繰り広げることとなります。
 都の闇に紛れて狼藉を働くに飽きたらず、遂には大胆にも内裏を襲撃した朱天童子。無数の鬼を率い、更に自身も恐るべき神通力を持つ朱天に、源氏の総力を結集して挑む雷光ですが、朱天の前には己の鬼の力も通じずに破れ去り、内裏(の建物)そのものを奪い去られて(!)しまいます。
 大枝山に築かれた鬼たちの居城を攻略するには、都の軍勢では、人間の力ではあまりにも不足。しかし――少数の鬼たちによる奇襲攻撃ならば!? というわけで編成されるのが、人に味方する鬼たちのチーム。雷光と綱、代々王城守護に当たってきた鬼・太郎坊、そして綱が東国で見出した怪童・坂田金時…

 かくてクライマックスで描かれるのは一騎当千の、まさに「鬼喰う鬼」たちと朱天童子一党との、血で血を洗う総力戦。詳しくは書きませんが、無双の力を持つ鬼たちですら窮地に陥る、逆転また逆転の大殺陣は、迫力・アイディアともになかなかに見事で、久しぶりにド派手なアクション・エンターテイメントを堪能させていただいた気分です。

 しかし本作の優れているのは、単に良くできたエンターテイメントであるというに留まらず、鬼と人間、武士と貴族の相克と、その果てに生まれる歴史の巨大なうねりまでも描き出している点でしょう。
 時あたかも藤原道長の絶頂期、すなわち少数の貴族たちがこの国を支配し、武士はその下で、力を蓄えつつも、態の良い番犬としか扱われなかった時代であります。
 そして雷光は、表向きは源氏の長者と藤原氏の娘の間に生まれたものの、真の父は何処のものともしれぬ鬼であり、本人もその血を色濃く引いた青年。いわば武士と鬼という、共に強大な力を持ちつつも、この国の支配層からは一段も二段も低く見られた、まつろわぬ者の化身とでも言うべき存在であります。

 そんな雷光は物語の中で幾度となく差別され、現実を突きつけられては、鬱屈と悲哀の中で、それでも武士として、鬼として戦いの中に飛び込んでいくこととなります。その果てに彼が得たもの、そして同時に失ったものは、とてつもなく大きいのですが、しかしそのものたちが、そこに至るまでに彼が経験したことどもが、後の歴史を動かす巨大な力となったことを示すラストは、 それだけに大きな感動を呼びます。

 あまりに多くの者が血と涙を流し、数限りない死と暴力が撒き散らされる物語ながら、本作の読後感が悪くない――いやむしろ大変に爽快ですらあるのは、武士としての、まつろわぬ鬼としての雷光の意気地と生き様が、決して無駄ではなかったことを示すこのラストがあるからでしょう。

 久々に時代伝奇小説のダイナミズムというものを感じさせていただきました。満足です。


 蛇足ながら、本作で最も格好良いキャラクターは、頼光の弟の頼信でしょう。雷光の命を幾度となく狙う酷薄な男に見えながらも、武人として綱と激突する中で真の交誼を結び、それがやがて歴史の中で大きな意味を持つことになる…鬼として、武士として雷光が切り開いた運命を、人として、同じ武士として継承する存在として、彼が本作で果たした役割は、決して小さなものではありません。


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2007.01.24

「哀斬の剣」 これぞチャンバラ、まさに大殺陣!

 好漢・辻風弥十郎と仲間たちの、許せぬ悪を仕留める裏稼業を描いてきたシリーズ第五巻は、最終回スペシャルと言うべき長編スタイル。仕掛けに失敗し、遂に正体を知られてしまった弥十郎が、次々と迫り来る討手・刺客群と江戸八百八町を舞台として大血闘を繰り広げます。

 前作「碧燕の剣」に収められたエピソード「学び舎は誰がために」で、弥十郎が斃した外道侍の父にして御手先組の強者・安野総右衛門が、息子を殺した者に復讐を誓い、傍若無人に犯人探しを始めたのが事の発端。あまりに非道なその所業に怒りを抱いた弥十郎は、ただ一人、総右衛門の屋敷に乗り込みますが、思わぬ反撃に遭い、やむなく逃走する羽目となります。
 しかし総右衛門の追求の手は緩まず、御手先組の剣士団が弥十郎の行方を執拗に追うことに。さらにそこに手柄の臭いを嗅ぎつけた北町奉行所の外道同心も加わって、八百八町に弥十郎の身の置きどころはない状態となります。一方、弥十郎がかつて所属していた――そしてその任務を厭って出奔したことによりこの物語の幕が開くこととなった――水戸藩お抱えの暗殺団も、裏切り者であり、藩の暗部の生き証人である弥十郎を討つため、暗躍を開始します。
 かくて、現在と過去からの、幾重にも及ぶ包囲網の中に囚われた弥十郎は、必殺の死地に陥ることとなりますが…

 しかし、これまでの弥十郎の死闘の数々が生み出してきたのは、冷たい死だけではありません。彼の活躍は、同時に暖かい想いもまた生み出して来ました。
 隣人として彼に親しんできた根津の人々。彼の戦いに命を救われ、無念を晴らしてもらった人々。一度は彼と対峙しながらも、やがて厚い交誼を結んだ者。そして何よりも、これまで幾多の戦いを共にしてきた田部伊織と留蔵爺さんというかけがえのない仲間…
 彼らが弥十郎のために直接戦ってくれるわけではなく、そして彼もそれを望みませんが、しかしその存在は何よりも大きな見えない力となって、彼を孤独と絶望から救うことになります。

 本シリーズは、いわゆる「必殺」ものであると同時に、暖かく熱い人の心、すなわち「人情」を描いてきた作品でありました。本作においては、シリーズ中でも最大の危機にあって、その両者が見事に結びつき、一つの巨大な力となって燃え上がった感があります。

 かくて、何にも勝る心強い味方を手に入れた弥十郎の反撃が開始されるのですが、上記の通り、敵はあまりにも強大であります。到底一度の勝負では倒すことのできない相手を前に、弥十郎が繰り広げるのは――江戸八百八町を股に掛けた文字通りのマラソンバトル。これがもう、素晴らしいの一言であります。
 本郷を皮切りに、江戸の町という町、道という道を、弥十郎が走る! 斬る! 吼える! この戦いだけで、普通の剣豪小説の何倍もの――単に分量だけでなくその質の点においても――チャンバラアクションが展開されることになります。一瞬たりとも目の離せない激斗に次ぐ激斗の連続は、シリーズのクライマックスにふさわしい、まさしく大殺陣!
 牧秀彦氏の時代小説については、単行本となっている分については全て読んでいる私ですが、本作についてはその中でも群を抜く完成度、現時点の最高傑作と断言いたします。

 そして死闘の果てに皆の前から姿を消した弥十郎。ある日ふらっと現れ、また消えてしまった弥十郎は、その名の通り一陣の辻風のような存在だったかもしれませんが、しかし、それに触れた者の心に小さな火を灯す、暖かい風でもありました。
 いまは何処を吹いているかはわかりませんが、しかし風は気まぐれ、またいつか彼を待つ人々――もちろん我々読者を含めた――の前に、ふらっと現れることもあるかもしれません。いまはただ、その日を楽しみにするばかりです。


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2007.01.23

「慶長無頼伝」(再録)

 関ヶ原の合戦直後。剣の腕はめっぽう立つが金と女にうるさい無頼の青年・青空十兵衛は、偶然女忍を救ったことから、小早川家の跡目相続にまつわる騒動に巻き込まれる。急逝した小早川秀秋に成り代わり家を牛耳ろうと企むかつての朋輩に挑む彼女の助っ人に回る十兵衛だが、二人の前には更なる陰謀が――

 …あらすじ的には間違っていないんですが、どうも物語の勢いを伝えられないのが困ったものだなあ。
 と、いう嘆きは置いておくとして、帰ってきました伊藤勢先生が! それも時代アクション! ということで伊藤勢ファンは驚喜しているのではないでしょうか。頁数としてはかなり限られているためか、もっともっと派手に動いて欲しかった部分もありますが、画としての美しさと漫画としての動きを両立させた画力の確かさは健在。(時として不謹慎な)ギャグセンスも健在で、青年誌らしいエロシーンからギャグに、そしてそこからアクションにとつないでいく流れの巧みさには笑いつつ感心しました。

 しかし何よりも嬉しいのはその主人公の正体が、どうも「斬魔剣伝」「羅ゴウ伝」に登場した「謎の素浪人」の若き日の姿らしいこと(時代背景、剣の腕前、意地汚さ、長髪とキセル、蠅(笑)とこれだけ証拠が揃えばまず間違いないでしょう)。しかも敵役として顔を見せるのが、上記二作品にも登場した奴ということを考えれば、単なるファンサービスやパラレルワールドというよりも、むしろビフォアストーリーなのでしょう。

 以前から富士見を離れて白泉社で描くのでは、という噂が流れていた伊藤氏の作品がこういう内容で発表されたというのは、深読みしてしまえば「羅ゴウ伝」の続きが読める可能性も皆無ではないこと、というのは決してファンの妄想ではありますまい(他者からの移籍組に(連載作品のパイロット的な)短編を描かせて、それから連載、というのはしばしばあるパターンです)。

 …結局、妄想で終わっちゃいましたけどね。


「慶長無頼伝」(伊藤勢 「ヤングアニマル嵐」Vol.17)

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今週の「Y十M 柳生忍法帖」 タヌキ和尚ここに極まれり

 さて堂々と駕籠で番所に乗り付けた沢庵一行ですが、駕籠から現れたのは正真正銘沢庵その人。これまで沢庵の顔を知らなかった銀四郎は、あの道中の嫌がらせ読経坊主が沢庵と知って仰天ですが、そりゃあ将軍家も帰依する高僧が自分たちの大名行列に陰湿な嫌がらせをして主君をノイローゼにするとは思うまいよ。そして仰天している間に相変わらず人を喰った表情で、ネチタラと明成をいたぶります。

 しかしそこで一人で空気感が違うのは芦名銅伯。駕籠から女の匂いがすると言い出して、一眼房が駕籠を強引にブチ壊して、そこから現れたのは女の黒髪。これはいかん、と思いきや、現れたのは(沢庵発案の嫌がらせによりノイローゼになった)明成に拉致監禁アレコレされたおとねさんでありました。さすがの明成も、沢庵の眼前(そしておゆらの眼前)で自分の旧悪の犠牲者と対面させられては分が悪く、さすがに顔をひきつらせていますが…それにしてもおとねさんは強い。
 自分をあんな非道い目に遭わせた男の前に、いかに沢庵がついているとはいえ顔を晒し――いやひたと睨み据えるというのは、なまなかな心の強さではできません。おそらくはその心にあるのは強い強い怒りなのでありましょう…そしてそのおとねさんをダシに、明成をじわじわといたぶる沢庵和尚マジ外道。タヌキ和尚ここに極まれり、

 しかしそれでも食い下がろうとする銀四郎に対しては「無礼であるぞ この小せがれ」と一睨みでこれを黙らせる貫禄には惚れ惚れです。この場面、原作ではもっと激しい口調ですが、こちらでは静けさの中に迫力があって良いですね。

 が、そこで済まさずに、何と駕籠の中には七人の女人がいると言い出す沢庵ですが…さて一体何を言い出すのか。そろそろ般若侠の出番も欲しいですね、というところで以下再来週。
 今のところ一方的に沢庵の攻勢ですが、自分では動いていない銅伯が恐ろしい。そしてすっかり退屈しているおゆらがかわいい。おとねのことを知ってもこの態度なのは空恐ろしくもありますが…


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2007.01.22

「天保異聞 妖奇士」 説十五「羅生門河岸の女」

 アトルを殺人犯として捕らえようとする火盗改の市野ら。狂斎の協力で脱出したアトルは、羅生門河岸で遊女の清花に匿われる。実は清花を愛していた市野は、彼女の元に現れ、吉原から連れ出そうとするも、その首筋に殺人事件の関係者に共通の蝶の入れ墨を見てしまう。清花のためアトルを斬ろうとする市野だが、その刃は誤って清花を斬り、その傷口から巨大な蝶の妖夷が飛び出す。妖夷を追う奇士たちの前に、自らも妖夷と化して立ち塞がる市野。が、漢神を取り出された市野は倒れ、空を舞う清花の身も崩れて消える。往壓の取り出した市野の漢神、それは「愛」だった――

○なんか吉原慣れていなさそうな小笠原様の小芝居が愉快。こういうところにキャラが見えるのはいいですね。そして前島聖天に移れと言う小笠原に、往壓がここに居ろと言ったからと逆らうアトル。おーおー可愛いね

○お馬(アトル)を救えたら自分のものと、明らかに往壓をライバル視して言い放つ狂斎。が、肝腎の往壓はアトルのことは狂斎に任せたと余裕の表情で…そんな往壓にムキになったように怒る宰蔵。同年代、それも一緒に行動することも多かったアトルのことを気遣ってのことでしょうか。若いっていいねえ

○すげえ! 一緒に二階から飛び降りながらアトルをお姫様だっこした! と思ったら思いっきり足に来たらしい狂斎。コナンはコナンでもそっちのコナンかい。

○清花の口から語られる、お歯黒どぶや投げ込み寺、羅生門河岸の存在。そしてまた語られるのは、一流になれなかった女郎の真実の姿。年期が明けても行く先のない女郎は、吉原で朽ちていくのみ…前回、あまりに脳天気な狂斎の言葉に違和感を感じましたが、やはりきちんとこの辺りは語られました。

○犠牲者の死体を調べる小笠原様。犠牲者の体内では骨も肉も混ざり合っていると。確かそれは蛹状態の蝶も…と思っていたら、本物の蛹を持ってきてちゃんと解説して下さいました。何だか小笠原様が珍しくちゃんと役に立っている気がします。そしておそらく保冷のために三方から凍りに人力扇風機で風を当てている往壓・えど・アビが妙におかしい。

○一連の殺人は、犠牲者の肉体を蛹として成長していく妖夷の仕業と推理する小笠原。妖夷の仕業であればアトルを捕らえる必要はないというわけで…丁寧な展開、面白くなってきました。おお、しかし小笠原様、アトルにはお目こぼししても、往壓が馬に近づくのはお冠のようす。焼き餅か<違います

○男に縋ることを頑なに拒否する清花。そこに訪れたのは市野…しかし捜査中だというのに清花に復縁を迫ります。自分のところに迎え入れるという市野と、それが自分のすごろくの上がりかと自嘲的な清花。何ともやるせない場面ではあります(というか、この場合単に男が情けないだけの気もするけどな)。しかし一番困るのは壁越しにこんな話聞かされているアトル…

○と、そんなことをしていながらもアトルの気配を察した市野は、清花の身代わりにアトルを殺そうとしますが、清花はアトルを庇って市野の刃に斬られ、その背中の斬り口からは美しい羽が――

○そんなことはお構いなしに少女に迫る南町の二人…と思いきや円盤雲七登場。そして馬雲七に乗って清花を追うアトルの前に現れたのは高手小手に縛られた狂斎…ってどうやって逃げ出したんだと突っ込むべきかその微妙な間抜けさを突っ込むべきか。しかしここで脳天気に外に行こうという狂斎は大きくマイナスポイント、そのまま放置プレイの憂き目に。

○どこに行けばよいのかわからないかのように、茜空を頼りなく舞う清花。それを追う奇士たちに追いついた市野はいきなり往壓に襲いかかり…その顔は蝶の妖夷に。往壓に漢神を抜き去られ一刀の元に切り倒されますが…いや、斬られたのは漢神か

○そして事件の全容とアトルのことを隠すため、全ての罪を引っ被らされた市野。その市野から引き出された漢神は、人が後ろを顧みている姿、去りゆく者が後ろに心を残している意味の…「愛」という文字でありました。

○何だかどさくさに紛れて今まで通りのアトル。狂斎の誘いも断って…アトルの心の中には異界が…ここではないどこかの景色が今なおあるのでしょうか。そして吉原の喧噪の中には新たな蝶の彫り物の女が…


 さて、題材的にどうなることかヒヤヒヤした吉原篇でしたが、終わってみれば、演出・ストーリーの面では、これまででも屈指の内容でありました。時代小説はともかく、アニメ…いやいやTV時代劇でも滅多に突っ込んだ描かれ方をされることがない吉原を題材に、よくぞここまで、と言いたくなるほどの切り込み方で、スタッフには心から敬意を表したいと思います。
 吉原の遊女たちの自由を求める想いが…というのは、それほど珍しい題材ではないですが、そこに彼女たちを一途に愛する男の想いと、さらに本作のキーワードである「ここではないどこか」を絡めることにより、より奥行きのある物語構成となっている点にも感心いたしました。
 己の中の「愛」を斬られて倒れる市野――裏を返せば彼は「愛」の力で生きていたということでしょう――と、仮初めの自由を得ながらもはかなく消える清花の姿が実に哀しく胸に迫ったことです(そしてまた、狂斎はまだまだお子様だな、と苦笑させられたり)。

 何はともあれ、人情ホラーものとしてかなりのレベルであった今回のエピソード。一体、メインターゲットはどの辺りの層なんだ、という気もしますが、私は実に面白く見せていただきました。
 …冷静に考えたら結構作画は荒れていたのですが、物語が面白ければ気にならないんだなあ。

 と次回予告…機の民って、ええっヒヲウ!? と思って公式サイトみたら、予告編のメガネ美形はマスラオさんだって!? 確かにどこかで見たメガネだと思ったら…
 確かに本作とヒヲウ戦記、メインスタッフは同じですが、本当につなげてくれるのでしたら最高です。
 しかしアビの存在、一歩間違えるとアトル以上に難しいネタだと思っていましたが、まさかこういう方向で来るとは…


「天保異聞 妖奇士」第一巻(アニプレックス DVDソフト) 通常版 限定版

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2007.01.21

「幕末機関説 いろはにほへと」 第十五話「秘刀共鳴す」

 後をついてきた赫乃丈と共に日光に向かった耀次郎。そこで耀次郎は聖天よりの手紙を受け取り、東照宮に向かう。実は永遠の刺客であり、大坂の陣は首封じの戦だったという家康。その家康を祀った東照宮の奥で、耀次郎はかつて覇者の首が封印されていた場所を見つける。と、そこに現れた幻影兵士に苦戦する耀次郎。耀次郎を追ってきた赫乃丈は、引き寄せられるようにそこに置かれていたもう一つの月涙刀を手にする。からくも脱出した二人だが、赫乃丈は、耀次郎と同じ道を行くと告げるのだった。


○いきなりわらじがアレして役立たずの赫乃丈。でも自分の腿の上に足を乗せさせて様子を見てやる優しい耀次郎。しかし今回絵がかなりマズいです。赫乃丈も微妙に別人なのはどうでもいいとして、脇キャラがマズすぎる。完璧に別世界の住人です。

○途中出会った旅芸人の一座と同宿する二人。が、旅芸人は唄を始めて赫乃丈も一緒に舞うことに。その間にそっと耀次郎の食膳に手を伸ばす近所の浮浪児。子供たちのために食膳を押してやる耀次郎ヤサシス。そしてその喧噪の中で耀次郎に聖天からの文を渡す旅芸人の女。その文に呼ばれて東照宮に向かった耀次郎だが空には赤い妖星が…

○しかし家康さんもささら者だったり鬼道衆だったり九龍一族だったり実は服部半蔵だったり朝鮮や明の手先だったり永遠の刺客だったり忙しいですね。

○東照宮の奥で、いかにも動かして下さいと言わんばかりの狛犬を発見した耀次郎、早速動かしてみると滝の奥に洞窟が…(こんなに見つけやすそうだったら誰かがとっくに見つけていると思う)。しかしこの辺りのシーンの耀次郎の別人ぶりもひどい

○そして洞窟の奥で見つけたのはもう一本の月涙刀。が、そこに出現した幻影兵士たちに耀次郎はあっさり追い詰められて大ピンチに。そこに彼を追ってきた赫乃丈も現れて…しかし耀次郎、「座長」って呼ぶのね。


○そして輝くもう一つの月涙刀が動いて…正気を失ったように手を伸ばした赫乃丈がもう一つの月涙刀を手にしたとき、耀次郎の月涙刀にも力が宿り、今まで全く手の出せなかった幻影兵士をも切り裂く力が。そして幻影兵士を呼び出していたとおぼしい壷を破壊する耀次郎ですが、その頃東照宮には妖しげなピンクのオーラが…

○崩れ落ちる洞窟から脱出する二人…が、絵と演出のヘボさから緊迫感全くなし。ただ、珍しく声に感情をにじませた耀次郎が印象的でした。

○もう一本の月涙刀に呼ばれたと語る赫乃丈。そして耀次郎と同じ道を――おそらくは永遠の刺客の運命を――ご一緒いたしますと告げるのでした。


 いや…私は絵についてはあんまりうるさく言わないたちですが、やっぱりアニメには絵も大事な要素だとわかりました。特に本作のようにリアルな絵柄で描き込まれた作品の場合は、少しの絵の狂いが相当の違和感を生みますね。原画はそこそこの面子だったように思うのですが…贅沢を言い過ぎかもしれませんが大変気になりました。
 絵の方のひどさに気を取られてしまいますが、話の方も何だか…あれだけ見つけやすそうな仕掛けの奥にあった月涙刀が何故見つからなかったものやら。これでオープニングの赫乃丈の持つもう一本の月涙刀が登場したわけですが…

 などと文句いっていたら、次回土方キタコレ! 勇者王っぽい微妙な声の土方さんですね。


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2007.01.20

「火ノ児の剣」 新井伝蔵斬奸の剣

 若き日の新井白石が剣術の達人として活躍する剣豪アクション小説という本作、新刊情報で知っていらい大いに気になっていたのですが、いざ手に取ってみれば、これが実に私好みの快作でありました。

 大体、新井白石といえば正徳の治の立役者であってバリバリの文人・政治家、時代小説に登場する際も当然そのスタンスであって、いかに若き日のこととはいえ、自ら剣を取って大暴れとは一体どういうことか…と思いましたが、こんなお話です。
 いまだに謎の多い、稲葉正休による大老・堀田正俊殺害事件。しかし堀田に止めを刺したのは、御駕籠之者(将軍家の駕籠の担ぎ手兼護衛役)でありました。堀田家に仕えていた新井伝蔵(後の白石)は、仇を討つため、その頭である轅半左衛門を襲撃し、その片腕を奪いますが、額に毒吹き矢を受けて、取り逃がしてしまいます。命は取り留めた伝蔵ですが、額に「火」の字に似た傷が残り、「火ノ児」の異名をとることになります。
 それから九年、浪々の身となった伝蔵は私塾を開きつつも仕官運動を続けますが、「火ノ児」の名がかえって邪魔をして、うまくいかない毎日。そんな時、彼は、かつての将軍綱吉の側用人・牧野成貞に、将軍警護を依頼されます。柳沢吉保の屋敷に来駕する綱吉を、あの半左衛門が狙っていると聞かされ、不承不承任に就く伝蔵ですが、それが思いも寄らぬ暗闘の始まり。あれよあれよという間に次々巻き起こる事件に巻き込まれ、ついには綱吉誘拐犯にまで仕立てあげられて…

 いやはや、とにかく中盤以降、怒濤の如き勢いで展開する物語にただただ圧倒されるのですが、何よりも面白いのは伝蔵のキャラクター。謹厳実直な後世のイメージはどこへやら、伝蔵先生、結構…いや相当人間ができていない。火ノ児の名にふさわしい気短で一本気な性格で、べらんめえ口調がピッタリはまる人物像にまずびっくりしました。
 そしてまた、理想に燃えつつも、そのためには権門にすりよるもやむなしという計算高さや(まあ、上記の気短っぷりで台無しになるんですが)、若い美女に迫られて思わず…なところなど、相当人間くさいキャラクターです。

 そんな伝蔵が巻き込まれるのは、他人を犠牲にして顧みない冷徹な権力者たちの暗闘の世界。理想と現実の違いは認識しつつも、そんな次元を遙かに超えた邪な意志の存在に直面した伝蔵が、いかに苦難を乗り越え、己の正義を貫くかが、本作の見所の一つでしょう。
 そして、そんな政治の世界の醜さ・虚しさを知った伝蔵がラストに選ぶ道は、それが困難であることが物語を通して嫌というほど知らされたからこそ、一層感動的であり、清々しさすら感じさせられました。

 本作は作者のデビュー作とのことですが、ストーリーは伝奇色も入っていてなかなか良くできていましたし、チャンバラ描写も達者。キャラクターも、上記の伝蔵のほか、脇の人々もなかなかユニークで、特に女性陣のキャラクターがなかなか面白く描けておりましたし(特に伝蔵の奥さんの素晴らしいツンデレっぷりには感動いたしました)、全般的にクオリティの高い作品であったかと思います。
 作者の今後の作品が大いに楽しみですね。伝蔵の活躍も、この一冊で終わらせてしまうのはもったいない気がします。


「火ノ児の剣」(中路啓太 講談社) Amazon bk1

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2007.01.19

「魔法半将軍 十四歳の魔王」 魔少年、都の荒れ野を往く

 タイトルだけで題材が分かった方は相当に歴史好きかもしれません。「魔法半将軍」とは、室町時代後期に権勢を振るって半将軍の異名を取り、そして妖しげなる妖術魔法に手を染めた一世の怪人・細川政元のこと。応仁の乱で荒れ果てた京の都を舞台に、少年時代の政元と腹心・司箭院興仙が、皇位簒奪を狙う魔手に立ち向かいます。

 この細川政元、あの応仁の乱を招いた細川勝元の子であり、後に管領として辣腕を振るい、時の足利将軍の首のすげ替えすらやってのけた人物。そしてその一方で、幸田露伴の「魔法修行者」にもあるように、飯綱の法に耽って数々の奇矯な振る舞いを見せ、生涯女色を遠ざけたという(それが結果的に彼の命を縮めたのですが)、実に伝奇者好みな側面をも持っています。

 本作においては、生まれついて奇怪な力を持ち、ついには第六天魔王と契約してその力を得たという魔少年として造形されている政元。いまだ十四歳の少年ながら、その性は苛烈にして傲岸不遜、しかし応仁の乱で灰塵に帰した京の姿に憤りを抱き、己なりのやり方でこの国の在り方を変えようとする大望に燃える人物として描かれています。
 一方、いま一人の主人公である司箭院興仙は、元は宍戸又四郎という武家の生まれながら、政元と同年同日の生まれであったことから、その物霊両面の守りにあたるべき者として修行に出された少年。自分の生はただ政元のためにあると信じ、彼のためにやはり第六天と契約をした術者ですが、政元ほどの冷徹さは持てずにいる…というキャラクターです(ちなみに実在の人物)。

 この二人が立ち向かうこととなるのは、皇位簒奪をもくろむ塵芥丸なる怪人。門外不出のはずの土御門の術を操って禁裏に出没し、御所を、そして京の都に幾度となく怪火でもって火の海に沈めたこの青年、ついには不敵にも帝襲撃を予告して政元らに挑戦状を叩きつけるのですが――

 そんな塵芥丸の跳梁に直面する宮中と幕府周辺の人々たちですが、本作ではそうした人々の姿を、史実を踏まえた上でエッジを立てて描いています。
 傀儡であることに慣れ、都壊滅の危機にも無気力な姿しか見せない将軍と帝。政元を敵視しつつも、大事にあたっては割り切って共にことに当たる畠山政長。一連の怪事を奇貨として己の教義の浸透を図る吉田神道の祖・吉田兼倶…
 いずれも脇役ではあるのですが、アクの強い主人公に負けずかといって食わずのほどよいキャラ立ちで、印象に残ります。
 また、もう一人重要なキャラとして一休宗純も登場。相変わらずの(?)ひねくれ爺ぶりで、さしもの政元も全く頭の上がらない古強者ですが、物語の中心となる宮中・幕府といった雲の上の世界と、庶民の暮らす野の世界を繋ぐ人物として要所要所を引き締めます(個人的には、もう少し帝の子という方面から掘り下げて欲しかったように思いますが)。

 こうした多彩な登場人物が織りなすドラマが展開する一方で、クライマックスの決戦はなかなか派手で私好みの展開でした。
 あえて幕府を挑発し、その気になれば幕府そのものを転覆させることも可能な戦力を集結させた塵芥丸、果たしてその真意は…と思いきや登場したのはあまりにも意外な存在。単純な外見からは想像もつかないその「敵」のパワーは、「戦いは数」という常識を覆してむしろ痛快さすら感じさせますし、そしてまた、「正規軍も歯が立たない=主人公たちが戦うしかない」というエンターテイメントとして誠に正しい展開に繋ぐ役割をきちんと果たしていて、感心させられました。

 このように脇役も舞台も展開も水準以上の本作なのですが、どうも残念なのは政元のキャラクター。
 その(むしろ悪い意味での)エキセントリックさは、読者として感情移入できない――というより敢えて感情移入を拒否させることを計算しているのだと思いますが――キャラクター造形となっており、やはりこの物語を読んだだけでは、いや単純に史実を知っているだけでは「子供が何を言っている」という印象になってしまうのが残念なところです(これは単純に私がじじいだから…ではないと思う)。
 また葛藤を抱えつつも、結局は自分の意志を持たない(それはそれで一つの尊い選択なのですが)興仙のキャラクターも、もう少し踏み込んで欲しかったように思います。

 非常に面白い題材であり、内容的にも楽しめる部分が多かっただけに、これ一冊で終わるのではなく、その先の二人の戦いを見たい思いますし、この先の物語が描かれれば、政元の生きざまがよりはっきりと見えてくれば、おそらく上記の印象はまたかなり変わってくると思うのですが…数年前に登場して以降、続編が出ていないのがまことに残念でならない本作であります。


「魔法半将軍」(鷲田旌刀 集英社コバルト文庫) Amazon bk1

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2007.01.18

「天狗童子 本朝奇談」 異界からの乱世への眼差し

 コロボックルシリーズで知られる児童文学者の佐藤さとる先生が、室町後期の混乱の時代を背景に天狗の世界を描いた本作、民話めいた長閑さの中にも確かな人物描写が光る、味わい深い作品となっています。

 舞台は室町時代の後期、上州否含山の山番で笛の名手の老人・与平のもとに、ある夜、大天狗とカラス天狗が現れたのが物語の始まり。このカラス天狗の九郎丸に笛を教えてやって欲しいという大天狗の依頼を引き受けた与平は、カラス天狗に天狗の力を与える「カラス蓑」をはがされて普通の少年の姿となった九郎丸と共に暮らすことになります。
 しかし共に暮らすうちに情が湧いた与平は、九郎がカラス天狗に戻らないようにカラス蓑を焼いてしまいますが、蓑は一部しか焼けず、九郎丸も怒らせてしまうのでした。かくて大山の大天狗の元でお裁きを受けることになった与平ですが、そこで大天狗から聞かされたのは、九郎丸の出生の秘密と、意外な依頼で…

 というのがおおまかなあらすじですが、とにかくユニークなのは、作中で物語られる天狗たちの社会・生態の描写。人間を遙かに超えた験力を持つ天狗ですが、その中には幾つもの階級やキャリアパス(?)があり、またその出自も、生まれながらの天狗から、人間が変じた者まで様々。さらに、大山天狗たちの、一種仙境と言える住処の描写も詳細で、何だか不思議なリアリティがあります。
 この辺りは、江戸時代等の天狗に攫われて帰ってきた人々の体験談をベースにしているのかなとも思いますが、それ以上に、コロボックルシリーズで描かれた、コロボックルの世界描写が、天狗世界を描く際の助けになったのではないかな、と想像しています。私は子供の頃にあのシリーズを読みましたが、本当に日常世界からちょっとだけ外れたところに、コロボックルの世界があるんじゃないか…と思わされたあの感覚が、本作にもあるように思えるのです。

 それはともかく、本作における日常世界・人間の世界はまさに戦乱の世。時期的には丁度、伊勢宗瑞(北条早雲)が相模攻めを行い、名門三浦氏と激しい戦いを繰り広げていた頃ですが、本作の後半においては、その史実が、意外な形で物語に絡んでくることとなります。
 もっとも、それで急に展開が派手になったりしないのがこの物語の味といったところ。血生臭い武士たちの争いの世界からは一定の距離を置いて、天狗と、そして与平爺さんのような一般人の目から、昔話めいたおだやかでのどかなタッチで、最後まで物語は展開していくことになります。

 しかし、そのようなタッチの物語、しかも児童文学だから大人が読んでつまらないかと言えば、全くそうではないのが本書の魅力。登場するキャラクターたちは、一人一人に――それが人外の天狗たちであっても――その時代に生きていた者としての一種の重み、リアリティというものが備わっており、特に主人公の一人である与平爺さんのキャラクターには、それまでの人生の積み重ねというものが、確かに透けて見えてきました。
 そして、そうしたキャラクターたちの、時代というもの、世相というものに対して向ける眼差しには、時としてハッとさせられるものがあり、本作を、単なる愉快で不思議なおとぎ話に留まらないものにしていると感じられますし、その意味で本作も優れて時代小説なのだと思う次第です。

 終盤については、些か駆け足となった感もありますが、そこは既に物語が天狗の世界から離れ、人間の世界の領域に入り、この物語で扱うべき範囲を超えたということなのでしょう。そんな中でも、結末部分は、本作らしい実にのどかで暖かいハッピーエンドであり、何とも嬉しい気分になったことです(そして、やっぱりラストは里見八犬伝につながっていくのかなあ…と思うとちょっと愉快な気分にもなりました)。


「天狗童子 本朝奇談」(佐藤さとる あかね書房) Amazon bk1

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2007.01.17

「顔のない侍」 顔をなくして己を得たヒーロー

 徳間文庫の幻の時代小説発掘企画第二弾というべき作品が、この「顔のない侍」。題名だけ見ると一瞬ホラーかと思ってしまいますが、さにあらず、死を装って己の存在を消した隠密ヒーローが、痛快な活躍を繰り広げる時代活劇です。

 主人公・伊勢小弥太は、田沼意次の下で活躍した腕利きの隠密。しかしその切れ者すぎる点が災いして、海上で斬首に処されてしまう場面が、本作のファーストシーンであります。もちろんここで本当に死んでしまったら物語が続かない、実は周囲と示し合わせての大芝居で死を装い、己の存在を消して「顔のない侍」となった小弥太は、いわば影の影として大手を振って(?)活躍を始めます(ちなみに小弥太の最大の武器はその巧みな変装術であり、老若男女を問わず顔と姿を変えて活躍する彼は、この意味からもまさに「顔のない侍」であります)。

 そんな彼の前に立ち塞がるのは、田沼と対立である松平越中守の配下の殺人剣士・八束六介。陰の存在ながらどこまでの陽性の小弥太とは正反対の、陰の陰ともいうべき人斬りで、幾度となく小弥太と激突することとなります。
 また、六介とは違うベクトルで小弥太と対立するのは、大目付配下の隠密・三枝大蔵。元は小弥太の友人で、小弥太が死を装う際にも片棒を担いだ仲ながら、あくまでも公儀隠密としてお役目大事な彼にとって、奔放に動き回る小弥太は何とも煙たい存在で…ある時に対立し、またある時には手を組むその微妙な距離感の関係が、いかにもプロフェッショナル同士、という感じで実に良いのです。

 そんな彼が挑むのは、蝦夷地から名古屋・京まで各地を叉に掛けるバラエティに富んだ冒険の数々。隠密であれば主の命の下、あちこちを飛び回るのは当然…かもしれませんが、しかし、小弥太の場合は、そこが大分異なって見えます。
 元々が公儀屈指の隠密ながら、今は公の身分を失った彼にとって、身分やらお役目やらの軛などは大して意味を持たないもの。田沼の命に従っているのも、たまたま向いている方向が同じだからに過ぎず、そういう意味では、彼はスパイというよりもむしろ冒険児と言えるでしょう。

 そして――陰の世界で生きてきたスパイが、己のアイデンティティーの根幹であり唯一の拠り所である「顔」――武士においては「名」と言い換えてもいいかもしれませんが――を失う。普通であればどうにも暗い物語となるべきところが、むしろ主人公はそれを逆手に取って、この世の誰にも縛られない「個」として胸を張って歩き始めるという逆転が何とも痛快であり、小弥太の派手な活躍の陰に隠れがちではありますが、本作の大きな魅力の一つだと思います。
 確かに、真の自己を確立するために己を捨てざるを得なかったのは封建社会の限界ゆえであり時代性というものでありましょうが――尤も現代においてその状況がどれだけ変わったかは怪しいものですが――それでもなお、この小弥太の生き方は時代を超えて魅力的であり、そしてそこに本書が決して短くない時間を超えて復活した意味の一つがあるようにも思えたことです。

 と、ずいぶんと大上段に振りかぶってしまいましたが、そんなことを抜きにしても純粋に時代エンターテイメントとして楽しい本作。数多くの名作を世に送りながらも、現在では残念ながらそれにふさわしい知名度があるとは言えない村上先生の再評価につながってくれればと願う次第です。


「顔のない侍」(村上元三 徳間文庫) Amazon bk1

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2007.01.16

今週の「Y十M 柳生忍法帖」 微笑む娘と怒る父

 新年二回目の「Y十M 柳生忍法帖」は、言ってみればつなぎに近い回。派手なアクションはありませんでしたが、その分、新キャラクターであるおゆらと、ほとんど新キャラクターの芦名銅伯の描写が目を引きました。

 相変わらず擬音は「ゆらり」のおゆら様を見て、駕籠から転がりだした加藤明成ですが、その明成に優しく近づくや、公衆の面前で口吸いするおゆら様。しかも胸元に明成の手が! なんと破廉恥な! などと明成に言うも愚かですが、正室の冷たさに比べれば御国御前の優しいこと、まあ明成がデレるのもわからんでもありません。

 が、このおゆらの父はあの芦名銅伯で――いや、原作読者としてはとうに知っていたことではありますが、こうして絵で見ると実に意外…というより遺伝子の不思議というものを考えさせられます。
 しかし清楚なんだか妖艶なんだかわからないおゆらの表情は見事ですね、どうも。

 一方、江戸で三人を討ち果たされた七本槍に対し、メラメラと怒りを燃やす銅伯。自分が明成に推挙した者が、いかに強力な助っ人がいたとはいえか弱い女人に討たれたとあらば怒るも当然…と言いたいところですが、あのエロへっぽこぶりには師匠の指導力不足にもあるんじゃねえかという気もします。
 さらに、もう一人のエロへっぽこ・廉助が先行したとばかり思っていたらまだ到着していなかったことが判明、さらにぼろくそに言われるいまや三本槍。この辺の銅伯の描写はなかなかの迫力で、さすがは師匠、悪役としては些か間が抜けていた七本槍とは、ちょっと違う凄みを感じさせます。

 と――そんなところに駕籠で現れたのは沢庵一行。さすがに十兵衛は別行動ですが、そんな真っ正面から乗り付けてどうするの、というところで以下次号。立ち位置的には似たところのある沢庵と銅伯のファーストコンタクトが気になるところです。

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2007.01.15

2月の伝奇時代劇アイテム発売スケジュール

 何だかこないだ松の内が明けたと思ったら、もう2月の伝奇時代アイテム発売スケジュールを書く日がやってきました。
 …が、アイテム数が唖然とするほど少ないこの月。非常に寂しいのですが、久々にあの作品の続刊が登場というサプライズがありました。

 その作品とは「BEAST of EAST」! あの素晴らしく美麗で波瀾万丈ながらも超不定期連載で読者をやきもきさせたあの名作の第三巻が遂に発売であります。まだ山田章博先生のサイトでは第三巻の発売が時期未定となっているのが少し不安ですが、これは非常に嬉しいニュースであります。
(しかし今年中に完結予定とは…あれだけのスケールの物語がどのように結末を迎えるのか、大いに気になるところであります)。

 その他、コミックでは「Y十M 柳生忍法帖」第六巻、「オヅヌ」第二巻と注目の作品の最新巻が目を引く中、コミカライズ版の「天保異聞 妖奇士」の第一巻が発売されるのも気になるところ。TVアニメとはまた異なった展開を見せるこちらも要チェックです。

 なお、紹介する順番が逆になってしまいましたが、「天保異聞 妖奇士」はDVDの第一巻も発売されますので、こちらも楽しみなところです。

 そして最後に小説ですが…これが非常に寂しい点数。その中で、おお懐かしや、高橋三千綱先生の右京之介シリーズの最新刊「お江戸の用心棒」が単行本化されるのが楽しみなところではあります(しかし本やタウンだと「左京之介」と掲載されている罠。一心斎先生みたいに改名したのかと思いましたよ)。


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2007.01.14

「天保異聞 妖奇士」 説十四「胡蝶舞」

 吉原で相次いで発見される遊女の変死体。その容疑者とされたのは、アトルに興味を抱く狂斎だった。とばっちりで捕らえられたアトルを受け出すために現れた往壓は火盗改の市野と乱闘となるが、そこに新たな死体が見つかり、狂斎らは釈放される。しかし遊女の死体からは、生前あった蝶の形の入れ墨が消えていた…

○いきなり隠し売女の取締り→吉原への下げ渡しという、ずいぶんヘビーな場面からスタート。捕らえられた気の強い女郎・清花と火盗改の市野には因縁がある様子ですが…

○飴食ってるアトルはちょっと可愛い…と、いきなり小指(の作り物)を見せる狂斎。驚いて思わずアトルの口から飛び出した飴を食べちゃう狂斎はいかがなものか。しかしこの小指の作り物、詳しくは知りませんがたぶん現実にあったのでしょうね。

○一方えどげん&アビの大人サイドは二日酔い。あまりの醜態に(?)起こしに行ったアトルも、見ちゃいけないものを見たように逃げ出すほどですが、それじゃえどげんとアビが何かマズいことをしていたみたいではないですか

○相次いで発見される女郎の変死体。殺された女郎の店に出入りしていたため、狂斎は市野に疑われることに

○吉原の人間に顔が利くらしいえどげん。女郎の死体を見て、斬り口の不審さにすぐ気付くあたり格好良い。とてもさっき頬に畳の跡つけて寝込んでいた人とは思えません。

○一方、鳥居のいない隙に鳥居配下の本庄・花井を詮議する小笠原様。が、あっさりとアトルと雲七のことで反撃され、上役にもアトルたちのことを知られてしまう自爆ぶり。アトルも素顔で外うろついていたからな…が、胸元にちび妖夷を入れて歩くヤツも大概だと思います。

○今回もへんな顔要員の宰蔵。しかも往壓に男芸者呼ばわりされてもっと変な顔に…

○ある大雨の日、川を流れる緑毛亀を見つけた狂斎…が、それは実は生首。しかも奇怪な妖夷に変じて狂斎を襲いますが――その瞳の色は、アトルがかつて見た異界の色と同じ?

○その生首を持ち帰って絵に描いたりした奇行を問題にされて容疑者扱いの狂斎。そんなのが問題だったら栞と紙魚子はどうなるんですか。

○アトル、そして往壓と同様、異界を目にしながらも、異界よりも現世を選ぶ狂斎。往壓との違いはやはり若さによるものでしょうか。

○アトルに対し、吉原の女たちの姿を肯定的に語る狂斎。しかしそれはあくまでも狂斎が男である故に思えます。27歳で年期明けても、馴染みのところにお嫁入りするとか、行くところがなければ女郎続けるしかないわけだしねえ。しかし納得してしまったアトル。

○一方、店の女郎が奇怪な蝶の妖夷に変化、客を殺害する事件が発生…が、そんなことも知らずに往壓と市野はアトルを巡って大立ち回りに。そんなどさくさに紛れて、アトルは狂斎といい雰囲気に。

○結局、客と(妖夷に変じたはずの)女郎の死体が発見され、狂斎は無罪放免。そして清花の姿を見かけた市野ですが、彼女の首筋には蝶の彫り物が…

○一方、何だかんだで往壓たちと行動を共にする狂斎は、犠牲者の姿から不思議な「色」を感じ取っていたと語りますが…


 前回のラストを受けて、狂斎とアトルが物語の中心の今回。往壓たちはちょっと影が薄くなってしまいましたが、しかし数多い登場人物を様々な位置に配して、ストーリーを進めていく様はなかなか面白く、アクションはほとんどなくとも楽しく見ることができました。

 それにしても今回感心させられたのは、普通の時代劇でも滅多にやらないレベルまで吉原の文化・風俗を掘り下げて描いていたこと。なかなか難しい題材だとは思いますが、少なくともアニメではほとんどこれまで扱われていないものだけに、うまく活かせばかなり面白いことになるのではないでしょうか。
 また、説明臭くなりすぎない程度に、登場人物の口を借りて時代用語を解説してくれるのにも好感が持てます(火盗改なんて常識と思っても、それは時代ものファンの頭なんだものなあ)。

 それにしても印象に残ったのは、死体の斬り口のことやら蝶の彫り物が消えたことやらで示された、狂斎の観察眼の鋭さ。絵師なんだから当たり前、なのかもしれませんが、声が声だけに、やっぱりどうしてもどこぞの名探偵を思い出してしまいますね。


「天保異聞 妖奇士」第一巻(アニプレックス DVDソフト) 通常版 限定版

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「人斬り鬼門 魔都脱出」(再録)

 赤子の頃手に葵の葉を持って捨てられていたため、将軍家斉に戯れに「鬼門」と名付けられ、寛永寺の墓守として暮らす孤独な青年・鬼門。江戸に直訴に来ていたところを伊賀者に襲われた大原幽学の娘を救ったことから江戸町奉行・遠山金四郎の怒りを買い、江戸所払とされた鬼門は、己とうり二つの容貌を持つという平手造酒を求めて、下総国に向かう。天保水滸伝の世界を漂泊する鬼門は、ついに大利根河原で平手造酒と対峙するが…。

 私が密かにひいきにしている加野厚志先生の新刊(といっても過去作の改題加筆)。
 加野先生の小説は、地の文・台詞ともに独特の気障ったらしさというか奇妙なリズム感があるのですが、それはこの作品でも健在。一歩間違えると鼻につきかねない文体だけれども、自分のアイデンティティを求めて彷徨う孤剣士には、よく似合っていました。伝奇風味もほどよくまぶしてあって、このクラスの娯楽時代小説(廣済堂文庫とか集英社文庫とかこのM文庫とかでよく出ている作品)として合格点でした。

 が、序盤の展開があまりに急すぎて、一瞬「これって一巻目じゃないんだっけ!?」と思ってしまうような部分があったのが難と言えば難。特に鬼門の師匠がいきなり正体を現すところなど、上記の文体のためもあって、いい具合に電波を発していました。いや、個人的には面白かったんですが、結局その辺りの伏線が一巻目ではまるで回収されていないので、ぜひ二巻以降も出して欲しいものです。


「人斬り鬼門 魔都脱出」(加野厚志 学研M文庫) Amazon bk1

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2007.01.13

「幕末機関説 いろはにほへと」 第十四話「北へ」

 榎本艦隊と行動を共にする蒼鉄。耀次郎も、彼らを追って旅立つ。そして赫乃丈は一座と別れ、一人耀次郎を追うのだった。一方、左京之介は、パークスの傍若無人な行動を難詰するが、女王の名を出されて膝を屈する。そして左京之介は、パークス麾下の特殊部隊を率いて榎本艦隊に潜入。覇者の首を巡る物語は北へ…

○あ、アバンタイトルが変わった(というよりなくなった)

○チェス部隊に今度は榎本を殺せと命じるパークス。が、そこに拳銃を乱射しながら左京之介登場、前回大砲を乱射したパークスを難詰します。それにしても左京之介、チェスチームを「貴様ら」呼ばわりするところを見ると一応偉いのでしょうか。しかもパークスまで呼び捨て。

○が、パークスの言葉に日英問わず虐められた子供の頃の暗い記憶を思い出す左京之介。言っちゃ悪いが本当に面白い(物語中の立ち位置として)キャラだなあ。結局、自分にはどこにも寄る辺がないという痛いところを突かれ、セーラー服を着せられてパークスに従うことになりました。

○店を畳んで北に行くという太夫。太夫が追いかける相手はやはり先生…

○チェス部隊の面々の腕を確かめる左京之介。巨漢のビショップは手榴弾、紳士っぽいナイトは長剣、ツインテールメガネで無駄に大きいクイーンは弩、少年っぽいルークは投げナイフとそれぞれ個性的な得物を使う面々が自然を破壊しながらアスレチックです。あんたら人の国に来て何をやってるんですか。

○一方、全員戦場でやりすぎて疎まれることとなった面子の集まりらしいチェス部隊、「命令されたから一応下に入ってやる」感が満々で、ああ、お約束だねえ…という感じで素敵です。しかしあれか、この四人は死鬼隊みたいなもんなのか。左京之介は…むしろイプシロン?

○一座の者に別れを告げ、子供たちを置いて一人男を追う座長ヒドス。

○フランス軍人たちに、「私の望みは唯一つ、世界に冠たる真の国家」 と告げる先生。それは革命だと軍人さんたちは勝手に納得していますが…しかし洋装の先生は無闇に格好良すぎる。

○フランスの物資補給艦を奪取する左京之介チーム。しかし人質にしたはずがあっさり抵抗されるルークみっともねえ

○一方、残された一座のもとには先生の手紙が…絶対また騙されるんだろうな、みんな

○そしてラスト、ようやく耀次郎に追いついた赫乃丈ですが…この時の耀次郎の表情がえらく色っぽくて驚いた。おかげで予告で家康が何とか言ってたの聞き逃しました。


 新展開第一話、内容的にはつなぎではありますが、登場人物それぞれの心身の動きが手際よく描かれていてなかなか面白い回でありました。何よりも面白かったのは左京之介回りのエピソードで…日英混血という生まれから、己が確として在るべき場所がないために、より大きな力にただ流されていくほかない哀しさが印象に残りました。まあ、「赫乃丈気になるオーラ」が出過ぎなので台無しなんですが。

 しかし次回予告では随分大きな展開になるようで――時代伝奇アニメでは東照宮がトレンドなんでしょうか<偶然です


「幕末機関説 いろはにほへと」第1巻(バンダイビジュアル DVDソフト) Amazon

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「影狩り」(再録)

 「影狩り」文庫版全巻読了しました。諸藩お取り潰しのために陰謀を巡らす影と、それに立ち向かう影狩り三人衆という基本ラインの下に、アクション、サスペンス、人情話、伝奇、ホラーと様々なタイプの物語が、男泣きテイスト山盛りで展開され、飽きることがありませんでした。

 しかし何よりも魅力なのは、主人公三人のキャラクター造形。個性的な三人の性格・外見に、それぞれが背負った影との因縁とそれに起因する現在の生き様というものがきっちりと描かれており、それが物語を何倍も面白くしていたのは間違いないところ。個人的にはやはり、ビジュアル的にはヒゲゴルゴとも言うべきインパクトながら、内に熱く優しい心と重い過去を秘めた十兵衛がお気に入り。引退した柳生の老剣士と将棋を通じて心を通わせるエピソードなど、その後の悲劇的な結末も含めて、このキャラならではのものだったと思います。

 それにしてもラストエピソードの「十兵衛は影だ!」は圧巻。タイトル通り、実は十兵衛もまた影だった!? という疑惑を主軸に、影狩り三人の思いが交錯するこのエピソードは、最後まで二転三転、十兵衛vs○○の決闘からついに明かされる真実(それがまた、いかにも十兵衛ならでは、というもので感心)、そしてラストの大死闘まで息もつかせぬ展開で、まさしくラストエピソードにふさわしい一編でした。
 このエピソード、版によってはラストになっていないものもあるようですが(というより連載時からしてそのようですが)、「これが本当に影狩り三人衆の見納め?」と煽りまくって読者をハラハラさせるという点においては、ラストにおいて大正解と言えるでしょう。いや、作者の思うがままに振り回されました。


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2007.01.12

「陰陽師 鬼一法眼 ときじく之巻」 異形の源氏三代記ついに完結

 「陰陽師 鬼一法眼」シリーズも最終巻。三代将軍実朝の運命の瞬間に向けて、物語は複雑怪奇な様相を呈することに。そしてまた、法眼にも宿命の精算の時が訪れます。

 次第に孤立の度合いを高めていく実朝。頼みとする古くからの家臣たちは、次々と北条義時・政子の謀略の前に滅ぼされていき、実朝自身は歌の世界への逃避を強め、同時に京の朝廷へと近づいていくことになります。これに危機感を覚えた周囲の思惑により、遂に暗殺される実時ですが、しかしその時に彼の前に現れたのは安倍泰俊と「ときじく」なる物体――

 ときじくと聞けば、やはり田道間守が探し求めた「非時の香菓」のことが頭に浮かびますが、ここで登場するのは思いも寄らぬ、SF的存在で、この辺りは作者一流のひねりといえるでしょう。
 そのときじくの力で死を免れ…いや死ぬ前の時の流れに戻った実朝は、己の非業の死から逃れるため、すなわち歴史を変えるために手を尽くすのですが――さてその結末がどうなるか、ここでは伏せますが、これまで物語の中でその生きざまが描かれてきた実朝であれば、なるほどそうであろうという選択を行う姿には、静かな感動がありました。

 と、大きな流れである源氏最後の将軍実朝の物語は見事に完結した一方で、鬼一法眼の物語も完結。新たに陰陽寮の長となった泰俊が、己の息子である竜元までも狙うに至り、遂に対決を決意するのですが…
 が、これがちょっとこれまで引っ張ったわりにはあっさりとしすぎ、というのが正直な印象。特に泰俊の秘めた想いは、言われてみればなるほどなあと思えるのですが、そこまでの積み重ねがないので、あまりにも唐突な感じが否めません。
(しかも泰俊、「勝負はまだ一回の表だ」とか言ってたら後ろからスペシウム光線を喰らわされたようなオチだったしなあ…)
 その他、牛若天狗も後白河天狗も、登場人物それぞれに決着は付けられますが、みなどこか性急なイメージがあって…あくまでも一応の決着と思えば良いのかもしれませんが。

 結局、物語を構成する一つ一つのネタはとても面白いのに、物語全体として見るとどうにも…という印象は、シリーズ全体を通して拭うことはできなかったのが残念なところでした。
 とはいえ、鎌倉時代初期を描いた異形の源氏三代記としては、実に面白い作品ではありました。続きは幾らでも書けるスタイルではありますし、いつかこの鎌倉時代の終焉たる太平記の時代を藤木先生には描いていただきたいな、と思う次第です。


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2007.01.11

「外法師 孔雀の庭」 過去の陰を乗り越えて

 重くもしっかりとした人間ドラマが魅力だった外法師シリーズも遂に最終巻。災いを招く青い蓮の秘密に挑む玉穂が、京の壊滅を企む最強の敵との戦いに挑みますが、彼女の身にも重大な変化が現れることとなります。

 眼病を患ったという藤原道長の甥・隆家の治療を依頼された玉穂。気が進まないまま隆家邸を訪れた玉穂は、邸の庭で青い蓮の蕾を目撃します。折しも都では殺人事件が続発、その被害者の邸にも、同様の青い蓮が目撃されていたことを知った玉穂は、隆家の治療にあたっていた呪禁師の少女・広音と共に調査にあたります。
 そして調査の先に浮かび上がってきたのは、庶民に絶大な人気を誇る「孔雀さま」なる宗教団体の中心人物・真由利と、彼女を支える謎の僧・妙見。玉穂の父を知るという妙見の術により、十歳のまま成長が止まっていた体が急激に成長を始め、苦しむ玉穂。そして妙見は、己の野望――平安京壊滅に向けて最後の詰めに取りかかりますが…。

 このシリーズの主人公・玉穂は、過去の事件がもとで、年齢上は二十代ながら、肉体的には十歳のままで成長が止まってしまったという特異なキャラクター。しかし本作においては、敵の術で元の――年齢相応の肉体に変貌(?)させられてしまい、いよいよシリーズがラストであることを否が応でも感じさせられます。
 敵の狙いも、貴族社会への復讐と、その具現である平安京の壊滅とスケールは大。その背後では、その貴族の筆頭である藤原道長のある意志も働いていて、官制陰陽師でない外法師である玉穂が、決して負けられない戦いに赴かなければらない必然性が生まれているのには唸らされます。

 そして人の心の――特にダークサイドの――細やかな襞をきっちりと描いてきたシリーズの姿勢は、もちろん本作でも健在。陰謀を巡らす妙見や、彼に利用されつつもその対局の存在である真由利、血塗られた過去を持ちながらも彼女に献身的に仕える青年・王岻王丸…玉穂と対立するサイドのキャラクターたちにも、それぞれの想い、行動原理がありる存在であって、単なる書き割りではなく――その彼らが心の中に抱える(過去の)ネガティブな想いが、彼らの現在に影を落とし、悲劇を再生産することとなるのです。

 一方、心の中に己の過去から来るネガティブなものを抱え、それが現在の在り方を歪めているという意味では、玉穂も同様の存在。本作では、これまでさらっとしか触れられてこなかった、玉穂が少女の姿であるわけが、初めて真っ正面から、掘り下げられ――そして彼女はそれを乗り越えることとなります。
 確かに、そのきっかけとなったのは、妙見の術――それも玉穂を害せんとした――であり、受動的な契機ではあるのですが、しかし、そうであってもやはり彼女が自分の未来を掴んだのは、嘆くばかりでなく、自分と、自分を支える者たちのために立ちあがって現在を乗り越えることを玉穂の心が望んだからであり、ダークサイドに墜ちた者たちとは、その点で大きく異なるということなのでしょう。

 その意味では、同じく妙見の術の脅威に晒され、また自身に多大な問題を抱えながらも、自分自身の意志で戦い、周囲の者たちを救う道を選んだ藤原隆家も、玉穂と並ぶ存在と言ってよいでしょう。藤原隆家と言えば、花山法皇に弓を射かけた事件がやはり印象に残っており、バカ殿という印象が強かったのですが、そのイメージを踏まえつつも独自のキャラを提示した本作の隆家には感心させられました。

 もっとも、本作に欠点がないわけではなく、特に終盤の展開は、やはりどうにも詰め込みすぎという印象は否めません。妙見の過去はもう一つ二つ掘り下げて欲しかったところですし、シリーズを通じての敵である謎の女との決着も、それなりに描かれはするのですが、いま一歩、食い足りない感が個人的にはありました。
 それとも一つ、蛇足を承知で言えば、シリーズ当初からのレギュラーである渡辺綱が登場しなかったのは、やはりシリーズ通して読んできた身としては残念なところ(キャラクター配置的に厳しいのはわかりますが…)。少女姿の玉穂でも構わず求婚していた綱が、大人になった玉穂を見てどんなリアクションを取るのか、見てみたかった気がします。

 とはいえ、本作がシリーズで質・量ともトップクラスの作品であるのは間違いのないところ。妙見とは別の形で過去に囚われて現在を歪めることとなった真由利に、玉穂が与えた救いの形は、本作の締めくくりに描かれるにはふさわしいものであったと思いました。
 もちろん、ここで終わるのはもったいない、幾らでも続編は書けるではないですか、という思いも同時にあるのですが――


「外法師 孔雀の庭」全二巻(毛利志生子 集英社コバルト文庫) 上巻 Amazon bk1/ 下巻 Amazon bk1

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2007.01.10

「天保異聞 妖奇士ナビ 奇士5人衆VS妖夷 壮絶バトル七番勝負!」

 順番が逆になってしまいましたが、1月5日の深夜(6日の早朝)に「天保異聞 妖奇士ナビ ~奇士5人衆VS妖夷 壮絶バトル七番勝負!~」という特番が放映されていました。言ってみれば一種の総集編なのですが、色々な意味で面白く見ることができました。

 内容は、サブタイトルが全て。奇士五人の簡単な紹介と、これまでに登場した妖夷七種――山子・列甲・ギギ・ケツアルコアトル・豊川狐&無慈儺・日光街道妖夷軍団(!)・獏――との戦いをダイジェストするというもの。
 喩えていうなら「ウルトラファイト」(焼き抜き版の方)の妖奇士版、すなわち「妖奇士ファイト」とでもいうべき内容です。
 これまで七番も勝負していたのか…とか、えどげんとアビが普通に強そうとか、色々と失礼な感心の仕方もしてしまいましたが、これがなかなか面白い。

 いや、あの曲者番組の内容を、普通のエンターテイメントのフォーマットで抽出・再構成しているのが、何というか色々な意味で楽しいのですが、しかし改めて観てみると、アクションのクオリティがかなり高いということが再確認できたのは大きな収穫でした。
 特に最初に採り上げられた往壓対山子は、バックに流された初代主題歌「流星ミラクル」が非常に良くはまった高揚感溢れる大活劇。また、最後に流された獏との空中戦は、改めて観ても神懸かったクオリティで、今更ながらに唸らされたことです(ただし、こちらはバックに新ED曲が流されたんですがこれが猛烈に似合わなくてねえ…)
 動くところはえらくよく動いているのがよくわかりましたし、本当に(こういう方面でも)面白く見えるのは良いことだなと思います。

 だから、生き人形の設定ってこんなんだったっけ? とか、ケツアルコアトルの説明がはしょりすぎな上に微妙に本編と違うことを言っていたり雲七の説明がほとんどなかったりと、突っ込みどころは色々とありましたがガタガタ言わない。

 また、番組の中ほどには、奇士たちを演じる声優さんたちが素顔で名シーンを選ぶというコーナーもあり、何というか、その生温かいテンションが正月休みに観る深夜番組にピッタリで…。
 というのは失礼な言いようかもしれませんが、あんまり声優さんの素顔のことは知らないためか、折笠富美子さんて美人だなあとか、霞のジョー久し振りだなあ(よく知ってるじゃねえか)とか、私は楽しく観れました。
 特に、宰蔵役の新野美知さんの選んだシーンが第一話の男風呂シーンというのに爆笑しましたよ(横からの藤原啓治さんの身も蓋もない突っ込みも愉快)。

 この時間帯で宣伝効果はあるのかなとも思いますが、本編の方でも(キャラクター主体の)総集編がほぼ同じ日に流されたこともあり、それなりに相乗効果はあったのではないかな、と期待します。
 ネタ的にも内容的にも、私のように好きな人間にとっては本当に面白いのだけれど、アニメファンの方にはどうなのだろう…と心配になってしまう本作ですが、少しでもこれで裾野が広がれば嬉しいな、と思っている次第です。


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2007.01.09

今週の「Y十M 柳生忍法帖」 そして九人目登場

 さて年をまたいで新年第一回の「Y十M 柳生忍法帖」は、原作で言えば丁度上巻と下巻の境目の部分。物語の舞台はこれより会津に移ることとなります。

 両手を封じられ両足を失いながらも、一部で絶大な人気を誇るお鳥に、なおもにじりよる廉助。が、そんな動きを見逃されるわけでもなく、あっさりと十兵衛の足に止められますが…
 そこで初めて般若面を外した十兵衛の顔を見た廉助、その正体を察して、このわしが女や坊主に負けるはずがないと勝手に納得して死んでいくのですが、実はここのくだりは原作にはない部分。しかし個人的には、なるほどうまいアレンジをしたものだと大いに感心いたしました。
 自分を斃したのは天下の大剣士・柳生十兵衛と廉助は満足して逝ってしまいましたが、しかしもちろん事実はそうではなく、勝ったのはまさしく女や坊主。むしろ十兵衛にとっては自らが手をこまねいているうちにみすみす二人の犠牲者を出してしまった初の敗北とも言うべき結果でありました。
 ここで十兵衛が感じたであろう敗北感をどのように漫画で描くのかと思いきや、廉助の言葉で逆説的に浮き彫りにするという手法を見せるとは…その後の十兵衛の表情も合わせて、納得の描写です(この場面での薬師坊の、普段と全く変わらぬ柔和な表情が逆に迫力を生んでいるのにも感心)。

 さて、自分の戦いの重さを改めて認識させられたかのような表情の十兵衛ですが、しかしパワフルな行動力は相変わらず。警備厳重な会津国境を如何に越えるか、というところで皆を行かせて、一人般若面を取り出しますが――

 そして後半は会津藩サイド。虹七郎を先頭に(無駄にキャラの立った)名もなき芦名衆たちが出迎え…いや、芦名衆首領たる芦名銅伯までもが登場。見開きで銅伯が立つシーンは、背景と不思議なコントラストがあって、妖気立ち上るような見事な絵柄でありました。実質ラスボスはこうでなくては。

 と、ここでもう一人――文字通り「ゆらり」と現れましたるは明成の御国御前・おゆら。最後のページの最後のコマで登場なのでキャラ描写はまだまだこれからではありますが、原作読者としては大いに納得のビジュアルで、九人目のヒロインとも言うべき彼女の、これからの活躍に期待したいと思います。

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2007.01.08

「陰陽師 鬼一法眼 駕篭の鳥之巻」 駕篭の鳥二羽の運命は

 「陰陽師 鬼一法眼」もいよいよ終盤、第六巻のこの「駕篭の鳥之巻」では、鎌倉第三代将軍に就任した実朝を中心に、幕府の主導権を巡る人魔入り乱れての争いが描かれます。

 この巻の実質上の主人公…というか物語の中心となるのは、源実朝その人。彼の将軍就任から物語は始まり、そして彼の周囲の者たちが歴史を動かしていくこととなりますが――しかしほとんど傀儡である彼自身にその流れを変えることはできず、できるのはただ眺めているのみ。副題通り、駕篭の鳥でしかなく、彼自身が、本作の中でも数少ない心優しく常識的な人間だけに、より痛ましく感じられます(妻である皇族出身の祥子との幼い触れ合いのシーンがまた切ないのです)。

 こちらが歴史の表とすれば、裏である鬼一法眼の周囲にも大きな動きが。いよいよこれまで遠くより指令を出すだけであった法眼の上司たる安倍泰俊が、遂に鎌倉にその姿を現します。
 泰俊の目的は、京の既存の陰陽寮の権威に邪魔されぬ、己のみの権威のため、鎌倉の地に陰陽寮を作ること。法眼も、そもそもはその地盤固めのために送り込まれたのですが、いよいよ頃合い良しとして、泰俊が乗り込んできたというわけです。
 そしてここにもう一つの「駕篭の鳥」が。かつて泰俊が懸想しながらも、法眼の方に想いを寄せ、それが拒まれたために自ら命を絶った女性――法眼の心の重荷となり続けているその女性の魂を封じた鷺を、泰俊は己の式神として使役していたのでした。
 果たしてこちらの駕篭の鳥の運命が――すなわち法眼と泰俊の確執のゆくえが――どうなることか、気になるところです。

 正直なところ、相変わらず良くも悪くも(後者の方が大きいように思いますが…)淡々と進んでいく物語運びはちょっとなあ…と思わざるを得ませんが、泣いても笑ってもあと一巻。
 実朝がどのような運命を辿ったか、そしてその後の鎌倉幕府の権力の行方は、日本史に触れたことのある者であれば誰もが知ることではありますが、さてその裏側で鬼一法眼がどのような役割を果たすこととなるのか。ここまでつきあったことですし、最後まで見届けようと思います。


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2007.01.07

「天保異聞 妖奇士」 説十三「地獄極楽風聞書」

 今週の「天保異聞 妖奇士」は、予想通り総集編。新年一回目の放送ではありますが、新規視聴者に向けたこれまでのおさらいという意味も込めて丁度良いようにも思います。
 が、色々と曲者ぶりを発揮しているこの番組、単なる総集編に留まらない今後につながるネタ振りなどもあり、これまで観てきた者にとってもなかなか興味深い回でありました。

 冒頭はいきなり明治時代のある風景から。見事な竜の画を前にした老絵師こそは、幕末・明治に名を残した河鍋暁斎、私のような人間にとっては、様々な妖怪画で印象に残る人物であります。その竜の見事さを讃えられて、これは現実に見たものだと語る暁斎ですが…

 そして語られる暁斎の記憶。まだ少年だった暁斎が、堂々と吉原に上がりこんでいた際に見かけた奇怪な一団…それは言うまでもなく奇士ご一行(除く小笠原様)。吉原には不釣り合いなほど悪目立ちする奇士たちに興味を持った暁斎が偶然であったのは、奇士…というより往壓を追ってやってきた玉兵親分で――ここで親分の口から語られるという形で、奇士各人のキャラクターがおさらいされることになります。

 以降はほとんど総集編なわけですが(ただし、これだけ見て意味が通じるかと言えば微妙な繋ぎ方ですが…どんな話なんだろう、という興味は引くことができるのかな)、所々に挿入される新作の日常風景が愉快です。

 えどげんの表の顔(?)はなんとところてん売り。こうしていると普通に美形な棒手振りルックで江戸の町を流してはところてんを売り歩き、家の二階から呼び止められたらところてんを手押しポンプの要領で下から飛ばして着弾(?)させるという技を見せてくれるのが愉快(しかし江戸時代の行商人・大道商人には芸紛いの技で商品を売る人たちがいましたから、これはこれでアリかと)。本当に一番謎な人物だ、えどげん…
 一方、アビの表家業はと言えば、なんと猫の蚤取り。これも珍妙な商売ですが、どうやら実際にあった商売らしく(まあ、伝奇者的にはどうしても国枝史郎を思い出しますが)、何よりもあのアビが大きな体を丸めて猫の相手をしているというのはこれまた愉快な眺めではあります。
 そして愉快、というかおかしいのは宰蔵。彼女については既に大体のことは語られた故か、遊女たちにもてまくるのに閉口して暴れるというのが出番で、やはり先日よりギャグ要員にジョブチェンジしたのか、男装の美少女というキャラはどこへやらのイジられっぷりです。

 と、そんな話を聞いた暁斎、実は自らも先日の日光での騒動を目撃していたことから、奇士たちの存在に興味を持ちます。更に彼が興味を持ったのはアトル――というところで以下次回。
 今回は総集編のみならず、どうやら吉原篇とでもいうべきエピソードの導入部でもあったようです。冒頭で老いた暁斎が語った竜とは、やはり往壓のことなのでありましょうし、新OP映像を見た限りでは、彼もサブレギュラーに加わるようです。

 そうそう、今回からOP・EDは曲・映像ともに変更。この時間帯の番組では定番パターンですが、まだちょっと違和感があります。特にOPは、一発で引き込まれた第一期に比べるとおとなしい感もありますが、荒れ地に一人ボロボロになって座り込む往壓に手を差し伸べるアトルという意味深なカットもあり、色々と気になるところではあります。
 さらにアトルはEDでは出ずっぱり…というよりアトル(と馬の雲七)のみが登場するEDで、もう完全にアトルがヒロイン格ということになったようです(片や宰蔵はギャグ要員…南無)。

 全般的にコミカルな描写が多かったり、アトルを前面に押し出したEDになったりと、色々と作品の印象を変えようとしているようにも感じられますが…何はともあれ、次回以降も楽しみにしたいと思います。


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2007.01.06

「幕末機関説 いろはにほへと」 第十三話「覇者の首入魂」

 遂に幕が開かれる赫乃丈一座の第二幕。蒼鉄の台本通り耀次郎までもが舞台に上る。同じ頃、中居屋と左京之介は、首を封印した壷を渡すよう蒼鉄に迫る。そして舞台上で耀次郎の一刀が舞台の垂れ幕を切り裂いたその先にあったものは――中居屋と蒼鉄が対峙する桟橋だった。そのまま中居屋に肉薄する赫乃丈一座だが、そこに英国の特殊部隊の砲撃が雨霰と降り注ぎ、その一発が中居屋と恵比須を直撃。一方、耀次郎の一刀も覇者の首を斬るに及ばず、首は榎本に憑くのだった。そして榎本艦隊は、蒼鉄を乗せて一路北へ…

○何だか突然登場のスパイ大作戦なイギリス間諜組。曰くありげなビジュアルですが、見かけ倒しだった五人の悪鬼羅刹よりかは役に立つか?

○負け戦を恐れて踏み出そうとしない榎本に対して、ほんのわずかながら感情の動きを見せる蒼鉄先生。これは珍しい

○回想シーンで自分の過去をアッピールする左京之介。耀次郎が相変わらずよくわからないキャラなだけに一歩リード? しかし片目は戦いで受けた傷とかそういうことかとと思ったら…申し訳ないですがこの辺りの微妙な地味さがいかにもこの作品らしい

○桟橋の下に隠していた首を引き上げたところをあっさり中居屋に見つけられてしまう蒼鉄先生。意外と抜けていらっしゃるのか。中居屋も知らない、真の首の使いようとは…。しかし確かに中居屋の首の使い方って結構間抜けね。

○そしてついに耀次郎まで舞台デビュー。相変わらずの無表情ながら意外とノってるっぽいところが所作から見て取れます。耀次郎格好良いよ耀次郎。

○舞台裏の布を切り落とすと――その裏は品川沖の海。そしてすぐ後ろから続く桟橋の先には、蒼鉄・中居屋・左京之介が対峙する船が…! すみません、前言撤回します。このために蒼鉄先生はあえて中居屋を誘き出したのですね。いや、本当にこの展開は読めませんでした。そして会場に立てられた無数の蝋燭に火が灯り、現れたのは巨大な五芒星! 蒼鉄先生、戯作者というより演出家としても超一流です。

○と、どさくさに紛れて首を奪い、さらに自分の存在をアピールする左京之介。しかしノリノリの耀次郎は銃弾を真っ向から刀で弾くという無茶の前にすぐに首を手放す羽目に。そして首を手にした中居屋は幻影兵士を呼び出して赫乃丈たちを阻み…

○一方間諜たちはいきなりこの乱闘目がけて大砲を発射。大英帝国以外に首が渡るくらいならって、パークスのすることは相変わらず無茶すぎるそしてその中で思わず赫乃丈を抱きかかえるように庇った耀次郎の姿を見て、過去の心の傷を勝手に思い出した左京之介のヘタレぶりが痛々しい。

○混乱の中で赫乃丈たちから離れていく中居屋の舟。そこに恵比須が大ジャンプを敢行、見事に中居屋を舟に縛り付ける! が、微妙に死亡フラグが立ったような…と思っていたら、中居屋と恵比須のいた舟に着弾する砲弾。さしもの中居屋もさすがにこれで…と言い切れないところが恐ろしい。恵比須はご愁傷様ですが、最後にいい見せ場でした。

○中居屋の手から海中に落ちた首の壷。そこにジャンプ一番月涙刀を叩きつけた耀次郎ですがまたもや失敗。首は宙を舞い、榎本の元に…髑髏が相手の頭にかぶりつくように重なっていくという、覇者の首が人に取り憑く際のビジュアルがユニークでした。そして急にやる気になった榎本は一路北へ…ちょっと意外だったようですがすぐニヤリとする蒼鉄。そして舞台は北へ――


 前半戦ラストということで大いに盛り上がった今回。耀次郎はともかく、どうやって中居屋を舞台の上に…と思っていた矢先に飛び出した大仕掛け。品川に芝居小屋がかかったのはこのためでもあったのか、成る程! と膝を打ちたくなるような舞台上から真剣勝負への移行のスムーズさには本当に感心させられました。全くもってこの展開は全く予想できませんでした。脱帽です。

 しかし…ここで冷や水を浴びせるようで申し訳ないのですが、前半を通して見て何とも困ってしまうのは主人公。ようやく首に一刀を浴びせたはいいが、首の封印を破ったおかげで事態がかえって悪化したようにしか見えません。むしろ耀次郎が本当に永遠の刺客なのか、月涙刀が本物なのかすら疑う必要がある気までしてきました。

 まあ、そんなことよりも耀次郎のキャラクターがほとんど全く見えてこないことと、耀次郎と赫乃丈一座がいなくても物語が進行してしまいそうなのが何とも前半を通して気になったところではあります。幕末という激動の時代だけに、黙っていても(?)事態が進展していってしまうだけに、主人公たちがそれに巻き込まれて――というよりその波の上に乗っているだけに見えてしまうのが(おそらくは製作側の狙いでもあるのでしょうが)、残念なところ。
 正直なところ、蒼鉄先生が物語を一人で動かしているようなもので――何だか高橋監督というより高松監督の作品に出てきそうだな、蒼鉄先生。

 色々ときついことも書いてしまいましたが、何はともあれ、次回より第二部突入ということで楽しみにしています。お侍さんを一人追いかけようとする赫乃丈ですが…


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2007.01.05

「危機之介御免」第一巻 バイタリティ溢れる愛すべき作品

 「マガジンZ」誌で連載中の「危機之介御免」の単行本第一巻が発売されました。1770年代の江戸を舞台に、天下御免の部屋住み(フリーター)・富士見喜亀之介が暴れ回ります。

 主人公の喜亀之介は、武家の次男坊で部屋住みの身分、定職がないのをいいことに飄々と町を行く彼は、他人の危機を見過ごしにできず、「その危機 俺が引き受けた」と助っ人を買って出る厄介な性分。かくて、同じく部屋住みで親友の柳生十三、絵師の卵の少女・喜多川ウタとともに、様々な危機に首を突っ込んでは、度胸と(悪)知恵で事件を解決していく、というのが物語の基本ラインとなります。

 しかし本作でユニークなのは、江戸時代を舞台にしつつも、現代の風俗を豪快に取り込んで物語の題材としている点。お互い顔を隠して会話や情報交換を行う「茶塔(ちゃとう)」、江戸中の情報が集まり、中古品の売り買いもできる「八報(やほう)」、さらには幽霊姿の給仕のお姉さんが一杯の「冥土茶屋」(ベタですなあ…)、飲み会でのお楽しみ「殿様ゲーム」など、良くも悪くも実にしょーもないネタの数々が、本作のウリの一つと言えるでしょうか。

 この辺り、真面目な時代劇ファンは怒り出すかもしれませんが、僕が思い出すのは、一昔…いや二昔三昔ほど前のTV時代劇。今に比べ、遙かに時代劇の製作本数が多かった頃には、こんな風に時代考証に敢えて目を瞑って、放映当時の風俗を大胆に取り込んで見せて、その時代のパロディを描いてみせた作品が様々にあったものでした。
 時代劇の製作本数が激減して、あまり冒険できなくなった当代、こんな形で現代という時代のパロディを見せてくれる作品があってよいと思いますし(多かれ少なかれ、時代劇には元々パロディの側面はあるものです)、本作からは、そんな時代劇が問答無用に元気だった頃のバイタリティが、息づいているように感じられるのです。

 江戸時代から現代までトンネルを掘るのに、鑿やタガネ、あるいはツルハシではなく、ダイナマイトで豪快に吹き飛ばすかのような勢いの本作、まだまだ荒削りではありますが、愛すべき作品であります。


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2007.01.04

「柳柊二怪奇画帖」 鬼才の怪奇画ここに集まる

 新年早々におどろおどろしい内容ですが、年末に入手したこの本を紹介。昨年夏に展示会も開かれた柳柊二先生の怪奇画集です。基本的に収録されている作品は展示会の時のものとほぼイコールですが、最終日に行って運良く見ることができた展示外の作品も収録されているので、展示会に行けなかった方はもちろん、行かれた方にも非常におすすめの一冊です。

 柳柊二先生の絵の魅力については、今さら私がここで云々するまでもありませんが、こうして一冊の画集として手にとって、間近で思う存分じっくりと、細部まで時間をかけてじっくり見てみると、描かれた人物一人一人の表情が実に見事で――単に描かれた怪異そのものの迫力のみならず、それを目の当たりにした人物の恐怖や驚きの表情が、その迫力をさらに増幅してこちらにぶつけてくる効果を上げていることに今さらながらに気付かされました。

 ちなみに(ここで無理矢理うちのブログに絡めると)時代ものとしては、展示会の時にも触れた「燈台鬼」「隠密人外境」の他、民話伝承をベースとした「日本の怪奇シリーズ」(鬼婆、九尾の狐etc.)、「雪おんな」に「耳なし芳一」などが収録されています。どでもみな素晴らしいクオリティですが、特に「燈台鬼」は、画を見ただけでも恐ろしさと、それと同時に切なさが伝わってくる傑作で…これだけでも皆さんには見ていただきたいものです。
 …しかし、「隠密人外境」は「魔界住人」よりも面白そうに見えるなあ。

 何はともあれ、一つ一つの作品が、到底児童書の挿絵として描かれたとは思えないほどのクオリティの画ばかりが集められた本書。本のサイズが少々小さめなのが残念ではありますが、柳先生の怪奇画ばかりがこうして一冊にまとめられる機会はこの先おそらくはないことを考えれば、そんなことは小さい小さい。子供の頃、柳先生の画に震え上がった記憶を持つ方全てに手にとってもらいたい一冊です。


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2007.01.03

元三大師のおはなし

 今日は一月三日ということで、今日の日になんだ小ネタを。
 今日は、慈恵大師会あるいは元三大師会が行われる日です。慈恵大師も元三大師も、ともに平安時代の天台宗の高僧・良源のことを指しますが、前者は良源の諡号、後者は良源の命日が一月三日であることからの呼び名とのこと。

 この良源、比叡山中興の祖と呼ばれる実在の人物ですが、幾つか面白い伝説を持っている人物であり、幾つかの異名を持っています。実は観音の化身であったという伝承から、観音の化身の数たる三十三体の豆粒のような姿でお札等に描かれたことから「豆大師」、また、疫神を追い払うために、角の生えた鬼と変じたという伝承から、「角大師」など…。特に後者は、巨大な角を持った黒鬼が片膝を立てているかのような姿で描かれており(こちら)、高僧の姿としては何とも不思議な印象を受けます。

 このように奇瑞譚の多い平安時代の僧の中でも、異彩を放つ存在である良源ですが、伝奇世界で良源といえば、思い浮かぶのは陰陽師コミックの傑作「王都妖奇譚」の良源でしょう。本作の良源は、常日頃から奇怪な鬼の仮面をつけた有髪僧で、仮面の下は超美形。そしてその類い希なる法力を発揮する際には、額には鬼の角が現れるという、文章で書いてみると何とも奇っ怪なキャラクターであります。
 が、これが一度物語の中で動き出すと実に良いキャラ…というかおいしいキャラでありまして、同じく類い希なる力を持ちながらも何かと悩み多き若き安倍晴明に、陰に日向に、進むべき道を指し示すという大人の人物として描かれています。冷静に考えると、出番はかなり後半だったのに、何だかずっと出ずっぱりでいたような印象のあるキャラクターで、角大師の伝承を巧みにアレンジしたキャラ設定ともども、作者の岩崎陽子先生の筆の冴えというものを感じさせられました。

良源と聞くと本作を思い出す人も少なくないのでは…という気がします。というか私はそう。願わくば、もっと色々な(作者の)伝奇ものに登場してもよい人物だと思うのですが――と、冷静に考えるとはなはだ罰当たりなことを書いて、今日はおしまい。

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2007.01.02

「阿修羅城の瞳」2003年版 胸に染みるはかなき夢桜…

 「朧の森に棲む鬼」での染五郎の悪役ぶりがあまりにも凄くて不安になって(?)しまったので、DVDを買うだけ買ってまだ見ていなかった「阿修羅城の瞳」2003年版を見ました。いやはや本当に心から後悔しましたよ…今まで観ていなかったのをな! いやはや、これはすごい。
(以下、ネタバレにつきご注意下さい)

 時は文政、江戸の闇で魔と対決する特務機関“鬼御門”でも腕利きとして知られた病葉出門(わくらば・いずも)は、五年前のある事件がきっかけで隊を離れ、今は四世鶴屋南北(!)のもとで役者稼業。が、そんな彼の元に、鬼御門から追われる、闇のつばきと名乗る美女が現れます。彼女に惹かれるものを感じた出門は、かつては捨ててきた世界と関わることになります。
 が、鬼御門の側でも、出門の兄弟弟子である安倍邪空が、長である十三代目安倍晴明を謀殺。鬼のリーダー・美惨たちと手を組み、“阿修羅”を復活させようとしていたのでした。傷だらけになりながらも邪空と美惨に一度は奪われたつばきを奪還する出門ですが、しかし、彼の血を受けたつばきは、阿修羅へと転生。彼女こそは鬼たちの救い主、恋することにより阿修羅と変じる宿命の女性だったのでありました。
 阿修羅の誕生を祝うが如く業火に包まれた江戸の町、そしてその上空に浮かぶ逆しまの城・阿修羅城。全ての悪因縁を断つため、出門は阿修羅城に向かうのですが…
 以下、あまりにも感じたことが多すぎて文章にするのが難しいので、以下、キャラクターを中心に箇条書きで感想を書かせていただきます。

○ヒーローたる病葉出門を颯爽と演じたのはもちろん市川染五郎。あまりに格好良すぎた感もありますが、終盤、ズタボロになりながらもつばきを、阿修羅を求めて立ち上がる姿は実に素晴らしい。初登場時の、花道のスッポンから田村正和チックなスタイルで現れる姿も印象的でしたが、神曲「夢桜」をバックに出撃するシーンの、右手に赤い革手袋をはめるシーンが異常に格好良すぎる。

○しかし、本作のMVPは、何と言っても闇のつばきを演じた天海祐希。歌や踊りはもちろんのこと、クライマックスでの染五郎との激突でも全く見劣りしないその身体的パワーはさすがの一言。が、何よりも素晴らしいのは、阿修羅に変じてからの一つ一つの表情。愛情と憎しみ、哀しみと怨み、悦びと怒り…その全てがないまぜとなったかのような表情の全てが、阿修羅という存在に込められた女性としての業を浮かび上がらせているようでただただ圧倒されました。こればかりはDVDでなければわからなかったことでしょう。

○安倍邪空役の伊原剛志は、ただでさえ高い身長が、逆立った髪やら角やらで更に際立っていて、主人公のライバルたる存在としてきちんとキャラが立っておりました。迫力だけでなく、自分が自分であることに固執するあまり、自分を見失っていく哀しみも感じ取れました。

○十三代目安倍晴明は、飄々とした、というより、どこか自分自身の立場に戸惑っているかのような不思議なキャラクターが印象的。その一方で、晴明の娘の桜姫は、リアルあんみつ姫ともいうべきテンションの高さで、一歩間違えるとどこまでも重くなりそうな話を引っかき回してくれました。こういう時の高田聖子さんの可愛らしさは異常。

○も一人引っかき回してくれたのは、私の大好きな橋本じゅんさん演じる祓刀斎。主人公たちに降魔の太刀を与える、本来であれば重々しいキャラのはずなんですが…さすがは「髑髏城の七人」の贋鉄斎の子孫だけあってエキセントリック。というよりじゅんさんのおかげで変態度アップ。おまけに轟天のBGMに乗っての大立ち回り(相変わらず後ろ回し蹴りが素晴らしい)もあって、出番はさほどでもないのに満腹です。

○出門の第二の師として、そして鬼に魅入られた物書きとして物語を引っかき回してくれる四世鶴屋南北。この人だったら鬼に魂売っても違和感ないよなあ…と思ってしまった時点で設定の勝利だと思います。実は鬼に憑かれていただけでした、というのはなくても良かったかもしれませんが。にしてもロバート・ガルシアも老けたな…(そういうメイクです)

○劇中歌のほとんどはTaki氏が歌っているのですが、これがみな素晴らしい。静かな歌い出しとタイトルバックの阿修羅の瞳との相乗効果が印象的な「ASHURA」、次々と江戸の町の闇の中で人々が犠牲となっていくシーンを飾る「殺戮の街角」、死闘が終わった果ての解放感と哀しみの色濃い「激しい雨」、いずれも良いのですが、クライマックスの出撃シーンとラストで流れる「夢桜」が神曲すぎる。本作=「夢桜」という印象の方も多い、というかほとんどなのではないかという気がします。特にラスト、咲きほこる桜の下で流れるこの曲は、胸に染みました。

○あまり役に立たなかった脇役の鬼御門三界衆、どこかで聞いた名前だと思ったら、空の雷王・海の鳴王・陸の震王って、宇宙大帝か! さすがスパロボマガジンの人は違うぜ


 と、まとまりがなくなってしまいましたが、2003年版の感想でした。2000年版も見なくては!
 …あ、まだ映画版も見てなかった。これは見る順番間違えたか、なあ。


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2007.01.01

「剣聖一心斎」 剣の聖人に見る大人の姿

 若き日の勝小吉と男谷精一郎が出会ったおかしな侍・中村一心斎。異国に漂流してアメリカに渡ったという触れ込みの一心斎、今は定職にも就かず、武田信玄の埋蔵金を探しているという。一心斎に翻弄される小吉たちだが、しかしそんな一心斎の言動は、悩める人々を救い、導いていく。

 新年一本目は楽しい、元気が出るような作品を、というわけで、紹介いたしますは「剣聖一心斎」。不二浅間流の達人・中村一心斎先生の不思議で痛快な生きざまを描いた快作です。

 中村一心斎は江戸時代後期の実在の剣豪。時代小説で言えば、かの「大菩薩峠」冒頭の奉納試合で審判を務め、机龍之助と一触即発の状態になった方ですが、本作での一心斎は、剣聖という呼び名が到底馴染まないような、何というか、困ったオヤジ。
 定職も就かず、武田信玄の埋蔵金を探すと称して諸国を放浪しては、出会った人間から金をせびる、女の子のおシリを触る。舟で昼寝しているときに漂流して異国船に拾われ、アメリカに渡って「みすたあまっちい」なるあだ名をもらってきたという触れ込みの、何とも胡散臭い人物で…そのダメ人間っぷりたるや、あの、勝小吉が逆立ちしても及ばぬほどであります。

 が――この世間的に見るとダメ人間の一心斎が、とてつもなく魅力的なのです。一見支離滅裂で滅茶苦茶やっているように見えて、一心斎の言動は、振り返ってみれば皆悉く正鵠を射たもの。麻糸の如くもつれにもつれた状況を、一刀両断するが如く、解決してしまう――それも最も痛快なやり方で――一心斎の姿は、まさにヒーローであります。

 そして、そんな彼の姿に(いろんな意味で)胸躍らせるのは、読者ばかりではありません。一心斎に関わった者はほとんど皆、それぞれの形で何らかの救いを受けることとなります。
 説明するのが遅れましたが、本作のスタイルは連作短編集。それも一心斎の視点からではなく、千葉周作、勝小吉と男谷精一郎、高柳又四郎、遠山金四郎、斎藤弥九郎などなど、いずれも後世に名を残す人物たちの視点から、物語が描かれていくこととなります。
 生まれも境遇も全く異なる彼らですが、物語中で共通しているのは、皆将来進むべき道に迷い、屈託を抱えて生きていること。その彼らが、一心斎と出会い、一心斎に振り回されているうちに、いつの間にか己の行くべき道に気付き、新たな一歩を踏み出していくことになります。

 もちろん、それはあくまでも結果論で、一心斎は結局自分の好きなように振る舞っていて、全ては結果オーライの偶然かのようにも見えます。
 しかし、時折一心斎がフッと漏らす述懐や、時折見せる激しい行動から、彼が、実は人が人として大事にするべきもの――それは時と場合により様々あるわけですが、一言で言えば人の尊厳というべきものかもしれません――を、心中にしっかりとわきまえていることがわかります。
 人を正しき道に進むべく教え、導く者を聖人と呼ぶのであれば、その意味でまさしく一心斎は剣の聖人、剣聖と呼ぶに足る人物と言えるのでしょう。

 これを書くのはちょっと気恥ずかしいのですが、一心斎の姿を見ていると、「大人」というものについて考えさせられます。
 大人というのは、単に生まれてからの時間を重ねた者のことではなく、また、現実を所与のものとして諾諾と受け入れるだけの者でもなく――現実を現実として受け入れつつ、しかし己の理想をあきらめずに、自分自身の力を尽くして働きかけていく、そんな者のことなのでしょう。

 日々のあれこれでちょっと疲れたとき、元気をなくしたとき…僕はこの本を手に取ります。一心斎先生の破天荒な活躍を肩の力を抜いて楽しみつつ、一個の大人として、自分なりのやり方で現実に立ち向かう力が湧いてくる――これは、そんな作品です。


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あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。

本年もこれまで以上に楽しい記事を、毎日書いていきたいと思います。

今年は伝奇者として飛躍の一年にするべく、頑張っていく所存です。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。


三田主水 拝

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