「押川春浪回想譚」 地に足の着いたすこしふしぎの世界
いきなり私事で恐縮ですが、たとえバンカラとは無縁であっても、十代から二十代にかけての十年間を早稲田で過ごした私にとって、大いなる憧れと親しみを感じるのが押川春浪。会ったこともない(当たり前)春浪に、そんな念を抱かせるきっかけとなったのは、もちろん(?)横田順彌先生の研究と著作あってのことなのですが、そのヨコジュン久々の押川春浪ものが、本書「押川春浪回想譚」であります。今まで、「異形コレクション」初期より掲載されていた押川春浪ものがなかなか単行本化されないことに、やきもきしたり心配したりしていましたが、よくやく(私にとっては)お馴染みの面子に再会することができて、なんだかすっかり嬉しくなってしまいました。
本書に収められた十二編の短編「遊神女」「幽霊船」「恐怖病」「木偶人」「来訪者」「星月夜」「曲馬団」「大喝采」「飛胡蝶」「蝉時雨」「落葉舞」「花菖蒲 」は、いずれも押川春浪と、彼の弟子筋にあたる若き小説家・鵜沢龍岳、それにその婚約者・時子の会話で進行するスタイル。基本的に明治時代の新聞の切り抜きを冒頭に掲げ、語り手である龍岳が、春浪自身が経験した、あるいは耳にした、この記事にまつわるエピソードを聞くというスタイルとなっています。
もちろん、日本SFの父たる春浪が語るものだけに(?)個々のエピソードは、いずれも現実と地続きの世界で起きながら、この世の者ならぬ存在がひょいと顔を出す、すこしふしぎな(まさにSF)物語ばかり。ミルクホールでお茶している神を自称する美女、出会った船に料理を振る舞っては消えていく幽霊船、宇宙文明の調査員を名乗る老人、子犬ほどもある蚤を育てる科学者などなど…元々がテーマアンソロジーに発表されたとはいえ、そのバラエティの豊かさには感心しますし、その一方で、変わらぬたたずまいを見せる主人公三人が、またよいコントラストとなっているかと思います。
また、どの物語にも明治後半から大正にかけての文化風俗がふんだんに盛り込まれているのが見逃せないところ。基本的に、現代の我々には馴染みのない事物についても、用語解説は付かないのですが、あまりにも自然な形で物語中で描かれているため、その存在に違和感がなく、まるで自分の目の前に受け入れることができるのも、なかなか素敵なことではないかと思います。
その一方で、本シリーズを初めて手にする方にとっては、ちょっと面食らう部分もあるのではないかと感じてしまうのも正直なところ。何と申しましょうか、本書に収められたエピソードの大半が、実にあっさりした味付けというか、むしろ素材そのままというか…「だからどうしたの?」「これでおしまい?」と言いたくなってしまうオチも多く、私も久しぶりなためか、うち何編かには(悪い意味で)ひっくり返りました。
もっともこれは本書に始まったことでなく、ヨコジュンの明治もの小説の(特に短編の)、一つの味わいとでも言うべきものであり、むしろSFの原初的なアイディアを、明治時代の人間の目を通して描くというのが基本的なスタンスと思えばよいのかな、と思います。
…考えてみれば私の場合、どうも読む本が偏っているためか、明治時代と聞くと、山風や司馬遼の作品に描かれるような、ポジでもネガでも、とかくドラマチックな時代を連想してしまうのですがが、しかし本書で描かれるのは、いささか特殊な職種に属するとはいえ、ごく普通の人々の暮らしに始まり、その中で終わる物語。確かに物語の筋立て自体は、SFやファンタジィの色濃いものですが、それがかえって、春浪たちの暮らす世界の現実感を高めているように思えます。
さて本書で特に私の印象に残った作品を挙げれば、「星月夜」と「花菖蒲」でしょうか。
前者は、火星との交信に成功したという学生の恩師が行方不明となった顛末を語る物語。火星からの謎めいたメッセージと、科学者の失踪というのは、実に「らしくて」良いのですが、その果てに待ち受けていたのは、およそ読者の九割九分までが想像していなかったに違いない、とてつもない展開で、いやいやひっくり返りました。
そして後者は、春浪の未完の大作である「海底宝窟」執筆秘話と言うべき、静謐さに満ちた佳品。本作で試みられているギミックは、ある意味ベタなものではあるのですが、しかしそれが春浪の最晩年の姿と重なった時、不思議な喪失感と哀愁を生み出しています(これは、作中年代で収録作を並び変えた本書の企画の勝利かもしれません。実は本書の収録作中もっとも古い時期に書かれているのですが)。
何はともあれ、ひさびさのヨコジュン明治ワールドを色々な意味で堪能させていただきました。本書のラストでもって、春浪の物語は一つの結末を迎えますが、なに、まだ語られざる物語はいくらでもあるはず。まだまだ春浪先生にもヨコジュン先生にも頑張っていただきたいものです。
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