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2007.09.30

「武死道」第四巻 最後の咆哮

 朝松健の「旋風伝 レラ=シウ」をベースに、ヒロモト森一独自の世界を展開してきた「武死道」も、遂にこの第四巻で完結。新之介の旅路も、ここに終わりを告げることとなります。

 アイヌを強制連行して工場で働かせ、米国と密かに結んで北海道に独立国を樹立しようという黒田の野望に、最後の戦いを挑まんとする新之介と、それを見守る仲間たちの姿が、単行本一冊全てを費やして描かれるこの第四巻。
 思えば新之介の旅は、人生は、状況に流されていたと言うべきか、行き当たりばったりと言うべきか、とにかく彼の心中そのままに、あてどもなくさ迷うばかりでした。しかしその彼が、遂に自分自身が成すべきことを見出して立ち上がる様は、それまでの彼の苦しい旅を見続けてきただけに、胸に迫るものがありました。

 ことに、そるじゃあとして目覚めた新之介に、原田左之助が土方の剣――誠の剣を託すシーンは、無闇なテンションの高さもあって、実に男泣き度の高い名シーン。
 一方、それに続く新之介が誠の剣を真に我がものにするための特訓シーンは、ヒロモト漫画にしては珍しい趣向のようにも思えますが、しかし彼の心の中の迷いが消える様を明示的に描いたものとして、欠くことはできないシーンであります。

 そしてラスト――様々な人々の支えられて、遂に自らの旅を終えた新之介。その後に語られるのは、武士なき後の蝦夷地、いや日本国が、近代国家として変貌を遂げていく姿でした。
 原作である「旋風伝 レラ=シウ」と本作は、基本設定のいくつかを除いて、ほとんど別物となってはいるのですが、しかし、ラストに描き出されるのは、ともに――視点は少々異なるものの――古き世の代表たる武士と、その世を否定する者の最後の戦いの果てに訪れる、新しい日本の姿でありました。

 いわばこの両作は、失われ行く古き時代への鎮魂歌、死せる武士の最後の咆哮とも言うべき作品であり――一見全くその内容は異なるようでいて、その根本の精神においては、やがり同一のものがあったのだなと感じ入った次第です。


「武死道」第四巻(ヒロモト森一&朝松健 バーズコミックス) Amazon

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2007.09.29

「モノノ怪」 第十二話「化猫 大詰め」

 楽しかった三ヶ月間もあっという間に過ぎ去り、遂に「モノノ怪」も最終回。「化猫」の大詰めは、かつての「化猫」と全く異なる物語の全貌を明らかにしますが…

 全ての乗客が消えたかに見えた中、ただ一人帰ってきた新聞記者・森谷。彼の記憶を辿り、明かされた市川節子の死の真実――それは、男性社会の中で這い上がろうとしていた節子が掴んできた、地下鉄建設を巡る市長の汚職事件にやはり端を発していました。
 汚職の証拠を掴んだ節子に一人記事を書かせておいて、森谷は密かに市長と結び、節子の記事を闇に葬ろうと画策。そして完成した節子の記事を巡ってあの鉄橋でもみ合ううち、節子は線路に転落、という結果となります。

 そして節子が列車に轢かれるその直前まで感じていた、怒り・恨み・恐怖――その思いが、その場を通りかかった猫と結びついてモノノケと化した…というのが化猫の真でありました(この節子の死の直前のシーンがまた実に迫真の描写で…)。
 その後、二ノ幕で描かれたように節子の死は、偶然事件に関わり合った人々の様々な思惑が結びついた果てに自殺として処理され、単なる不幸な事件として忘れ去ろうとしていた中、因縁の地下鉄が開通して、そこに化猫の復讐の顎が開かれた――それが化猫の理、ということになるのでしょうか。

 さてこの真と理、旧「化猫」やこれまでの「モノノ怪」のエピソードに比べると、正直なところ、良く言えばストレート、悪く言えば意外性に乏しい内容であったかと思います。事件の真相については、二ノ幕までの情報でほぼ予想できる内容でしたし…
 また、今回のエピソードの被害者たる市川節子嬢のキャラクターも、上昇志向が強く、いささか生臭い面もあって(旅館の仲居さんを見下したり)、こうした点なども含めて、ネットで見る感想は、否定的なものが多いかな、という印象があります。

 僕個人としても、良くも悪くもあまりに綺麗に収まってしまった感があって、あれっというのが第一印象だったのですが、見返すうちに、これはこれで良いのかな…という気持ちもしてきました。

 ある人間の明確に邪悪な意志に端を発した行為が、モノノケを生み、惨劇を招いた旧「化猫」に対し、個個人のちょっとした、小さなボタンの掛け違いが、積もり積もって惨劇を招いたこちらの「化猫」。
 こちらのエピソードのスタイルからすれば、被害者だけが純粋無垢というのは、かえって不自然というべきかもしれません(少なくとも、あれだけ上昇志向がなければ、これほど強力なモノノケにはならなかったのでは…)し、この二つの「化猫」の物語の構造の違いは、なにやら近世と近代の、人間精神のありかたに起因するようにも思えてきます。

 また――ラストに現れた無数の猫たちの姿は、いつまた、人の心のありようによって、新たなる思いを背負った「化猫」が、すなわちモノノケが生まれてもおかしくない、ということなのでしょう。そういった意味では、旧「化猫」とこちらの「化猫」は、一種の環を描いているようにも思えます。
 そしてそれこそが、あえてこの番組のラストに「化猫」というエピソードを、背景となる時代を変えながら、登場人物のビジュアルを前作からほとんど変えずに描いた理由ではないかと、これはいささか牽強付会かも知れませんが、感じた次第です


 何はともあれ、今期おそらく最高のクオリティで描かれた薬売りの変身シーン(良く見ると後ろにモノノケと化した節子さんの恐ろしい姿が映っていますが…)にはため息が出ましたし、空間全てがモノノ怪、という化猫の壮絶なビジュアルにも感心いたしました。
 途中、森谷への審判(だったのでしょう、あれは)が挟まったためにアクションのテンポが崩れたと感じている方も多いかと思いますが、個人的にはその前の一連のシーケンスが神懸っていただけに、十分満足してしまいました。
(…あ、思わぬところに小田島様が。これじゃあモボ島様というよりモブ島様だなあ)

 そしてラスト、EDに被せて描かれる後日談は甘甘ではありますが、しかし残された人々――それも一度は彼女の死を黙殺するのに手を貸した人々――の心に節子の存在が残ったということは、何よりの鎮魂となるのでしょう。
 また、結局、後日談で不正が暴かれたことを考えると、モノノケの意志は、市長と森谷に復讐するだけでなく――復讐だけであれば、関係者を集めて証言させるまでもなく、あの二人を殺害すればよいだけの話ですから――、不正を明るみに出すこともあったのかなと感じたことです。


 さて、最後に一つ、蛇足を承知で言えば、人が人である限り、モノノケが不滅であるのであれば、それを斬る剣も、またその剣を操る者もまた、薬売りの言葉にあるように、同様に存在し続けるのでしょう。
 つまりここで「モノノ怪」という物語が一旦終わったとしても、退魔の剣を手にした薬売りの物語は、まだまだ続くということ。

 薬売りとの二度目の再会を祈りつつ――「モノノ怪」の感想をここに終えさせていただきます。
 いや、本当に楽しい三カ月間でした。

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2007.09.28

「暗闇坂 五城組裏三家秘帖」 人の心の奥底に下る坂

 元禄九年師走の大晦日、仙台藩の御穀方二人が一人は切腹、一人は斬死体で発見された。藩奉行直属の監察機関・五城組の「裏三家」の一つを継ぐ望月彦四郎は、同じく裏三家の片倉辰吾と共に調査に当たる。二人が残した三つの芭蕉の俳句を手がかりに謎を追う二人だが、事件の背後には伊達家を揺るがす暗闘が繰り広げられていたのだった…

 最近の文庫書き下ろし時代小説のラッシュには、正直なところついていくだけで息も絶え絶えではあるのですが、しかし、時に思わぬ名品・佳品に出会えるのが、こうしたブームの楽しいところ。本作「暗闇坂」はそうした掘り出し物の一つであります。

 かの「伽羅先代萩」で知られるいわゆる伊達騒動が収まり、静けさを取り戻したかに見える伊達家で起きた事件の謎を描いた本作は、ミステリタッチ、サスペンスタッチの展開も楽しい時代活劇。
 実は本作は、この作者の実質デビュー作のようですが、到底そうとは思えぬほど、キャラクター・ストーリー・アクションいずれもきちんと構成された作品となっています。

 特に出色なのは、彦四郎の相棒かつ兄貴分とも言うべき辰吾のキャラクターでしょう。
 伊達家で片倉を名乗るからわかるように、決して軽い家柄の出身ではないにもかかわらず、本人はいたって人当たりのよい若旦那風の人物。種種の道楽にも長けていて、特に食については一家言持つ(しかし自分の料理の腕はイマイチなのがまた愉快)、一種のエピキュリアンであります。
 一方の彦四郎は、まだまだこの仕事では駆け出しの上、性格も堅物と、辰吾とは好対照で、この二人のやりとり――というより辰吾にペースを乱される彦四郎の姿――が、本作の魅力の一つかと思います。

 しかし、二人の挑んだ事件の背後に広がっていたのは、藩政を巡って争う者たちの潜む闇。その闇の中で、彦四郎は辰吾すら疑いの目を向けることを余儀なくさせられます。
 そんな苦闘の果てに、彦四郎がたどり着いた真実はまた苦いもの…彼が覗き込んだもの、それは平和に見えた藩政の中の闇以上に深い、人の心の中の奥底に蟠る暗闇へと下っていく坂道と言えるでしょう。

 まあ個人的には、「政治の世界は複雑怪奇」の一言でまとめてしまったかのようなラストの展開はちょっとずるいかな、という印象はあるのですが、しかしそれを差し引いても、時代小説として十分以上に楽しめる作品であったかと思います。
 大藩だけにその落とす影も大きく、また数多いであろう伊達藩において、裏三家が挑まねばならぬ事件はまだまだあるはず。彦四郎と辰吾コンビの活躍を、これで終わらせてしまうのは実に勿体ないお話であり、続編を期待する次第です。


「暗闇坂 五城組裏三家秘帖」(武田櫂太郎 二見時代小説文庫) Amazon

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2007.09.27

「若さま同心徳川竜之助 消えた十手」 若さま、ヒーローになれるか?

 ここ最近の活躍で、文庫書き下ろし時代小説の世界で一定の地位を築きあげた感のある風野真知雄先生。
 その作品は、老境に差し掛かった、半ば人生をリタイアした人物や、浪人や冷や飯食いなど、出世街道をちょっと外れた人物といった、誠に失礼ながら世間的な基準ではあまりパッとしない人物が主役に据えられていることが非常に多いのですが、その貴重な例外と言うべき主人公の活躍を描いたのが、この「若さま同心徳川竜之助 消えた十手」であります。

 何せ主人公・徳川竜之助(どこかで聞いたような名前…)は、十一男坊とはいえ歴とした御三卿・田安徳川家の出身であり、若くて男ぶりも上々。しかも剣の腕は達人級という、見事なまでの時代劇ヒーローっぷりであります。
 しかしもちろん、そんなどこにでもいそうな(?)主人公を風野先生が用意するわけはない。こともあろうにこの竜之助、わざわざ町方の同心に身をやつして、世の悪に立ち向かってやろうというのですから奮っています。
 つまりは一種の貴種流離譚なのですが、そこにユーモアとペーソスが漂うのがやはり風野流。竜之助が出会う事件、出会う人々は、みな一風変わっていて、正統派ヒーローを目指す彼を面食らわせることもしばしばで、そこが何とも言えぬ本作の楽しさとなっています。

 そしてまた、伝奇ファンとして見逃せないのは、本書の最終話で描かれる竜之助の剣技に秘められたある秘密。
 本の帯にデカデカと書かれているのでここでも書いてしまいますが、竜之助が操る剣流こそは、その名も葵新陰流…葵の字からもわかるように、徳川ゆかりのものでありますが、その剣が、今後彼を更なる戦いに導くことになりそうです。

 それにしても――田安家の若さまが同心になるという、まるで時代劇みたいな無茶すぎる願いを叶えたのが、勘定奉行になる以前の、南町奉行時代の小栗忠順(上野介)というのがまた、実にツボを心得た配役と言いましょうか。
 なるほど、幕末の傑物・小栗上野介であればこれくらいのことはやりかねぬわい…と、思わせる配置であり、こちらの今後の動向も気になるところです。

 そして、この人物が登場することからもわかるように、舞台となるのは幕末。
 この激動の時代に、果たして竜之助は己の正義を貫くことができるか。そして曲がりなりにも徳川ご一門の若さまにとって、幕末とはいかなる時代となるのか。さらにまた、葵新陰流を遣う者に待つ運命とは…
 風野作品に、また一つ、先が楽しみなシリーズが生まれたようです。


「若さま同心徳川竜之助 消えた十手」(風野真知雄 双葉文庫) Amazon

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2007.09.26

「大江戸ロケット」 廿五発目「匠の仕事が月に哭いて……」

 おりくの手により下田に建造された発射台。その試射を止めようとする銀次郎は、追ってきた鳥居と死闘を繰り広げるが、その煽りを食って打上げは失敗、多数の犠牲者が出てしまう。が、今度は遠山が清吉に大陸間弾道弾を開発するよう命令。ソラは月に帰ることを断念しようとするが、しかし職人たちの心意気を知った清吉は、皆のためにもロケット打上げを決意する。その頃、水野に取り入っていた黒衣衆・眼、実は青い獣の前に、赤井が単身立ちふさがって――

 今回を入れて残り二話という段階で、相当に原作とは物語を紡ぎ始めた「大江戸ロケット」。ご隠居ではありませんが、さすがにこの展開は予想できませんでした。
 考えてみれば、前回と今回で大きな役割を果たしたおりく・遠山・青い獣(分裂体)は、いずれもアニメオリジナルのキャラクター。それが物語の中心になれば、オリジナル展開になるのは当たり前といえば当たり前ですが、しかしそれだけでなく、アニメでは、舞台では届かなかった域まで、物語を掘り下げようとしているように感じられます。

 それは、技術者・科学者における公と私の問題とでもいいましょうか――望むと望まざるとに関わらず、個人が扱うには大きすぎる力を手にした時に、技術者は、科学者はどのように行動するべきか。
 もちろん、世のため人のためになるように使うのがベターではありましょうが、しかし例えばそれが――抑止力という名目こそあれ――兵器として多くの人を傷つけかねないものに使われるとしたら(今回、下田で打上げ事故で多くの犠牲者が出たのは、もちろん銀次郎の行動が原因ではありますが、しかしこれは科学技術というものが本質的に孕む危険性の、一つの顕れということと見ることもできるでしょう)
 いや、そこまで大げさに考えないまでも、その力をお国のためといったマクロなレベルでなく、自分自身と周囲の人々のためというミクロなレベルで使うことは、非難されるべきことなのかどうか。
 今回、清吉が直面したジレンマは、おそらくは古今東西の様々な技術者たちが直面したものでしょう。

 本作では、どう見ても悪役の水野や鳥居が清吉たちに対置されていたために黒白が付き易くなっていましたが、しかし今回、遠山も同様にロケットの兵器利用を考えていたことが明らかになったことで、その境界も大きくゆらぎました(もちろん遠山の場合、これまで清吉たちを騙していたわけで負のイメージが強いわけですが、その目指すところ自体は、我が国を含めた現代の国家が当然のように行っているところであります)。

 それでは清吉は何を指標として行動すればよいのか――その答えを、本作においては三太と源蔵に見られるように、職人の、一種の心意気に求めています。
 自分が楽しければよいというそれは、「私」を完全に前面に出したものであって、それが本当に正しい答えかどうか、おそらく完全な答えを出すことはできないでしょう(個人的には共感できるのでしょうが、仮にいまこの日本でこれと同じことを言ったら、袋叩きに遭うことでしょう)。

 しかし最初から大きな「公」のためになるものではないとしても、小さな「私」を束ね積み上げるることによって、その「公」と同じくらいの規模の「私」を満足させられるかもしれない、というのは、理想的に過ぎるかも知れませんが、魅力的な考え方ではあります。


 と、個人的には色々と考えさせられてしまったのですが、まあそういう難しい話は抜きにしても、物語が大いに盛り上がっていることは間違いありません。
 特に今回のラスト、眼に取り憑いていた青い獣に対して、八丁堀の同心時代にもなかったような凛とした姿で赤井が立ち向かおうとする姿には震えました。果たして赤井の真意が那辺にあるのか、それはまだわかりませんが、理屈抜きに格好良かったことは間違いありません。

 赤井はこれまでに罪を重ねすぎたためにわかりませんが、次回最終回で、一人でも多くの登場人物が笑顔になれることを祈ります。
 特に、レギュラー陣の中で唯一今回出番がなかった鉄十とか(いつでも幸せそうな奴ではありますが)。


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 今週の大江戸ロケット


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2007.09.25

「戦国無双KATANA」 リモコンでプレイする無双の味

 今月20日にWii用ゲームソフト「戦国無双KATANA」が発売されました。
 「戦国無双」といえばコーエーのドル箱シリーズの一つですが、そのタイトルがWiiリモコン用に大きくアレンジされて登場ということで大いに気になっていたので早速購入、しばしプレイしてみたのでその紹介を。

 この「戦国無双KATANA」ですが、一言でいえば、メインはガンシューティング。要するに、敵キャラに表示されたターゲットマーカーにリモコンのポインタを合わせて攻撃、というシステムです。通常攻撃はこのポインティングによる攻撃となりますが、近距離武器のチャージ攻撃と無双奥義については、リモコンを振っての操作となります。
 リモコンでとなると、面倒臭いイメージがありますが、これが意外と好感触。確かに通常攻撃までこれだったら腕が死にますが、使う機会は限られているわけで、それほど負担になりませんし、何よりもプレイ中の良いアクセントになっているように感じられました。
 刀の無双奥義の場合は縦横に、槍の無双奥義の場合は前後にリモコンを振ることになりますが、これもごっこ遊び的な楽しさもあったりして…(何、恥ずかしい? TVゲームなんて基本的に恥ずかしいものです)。リモコンの感度も悪くないのではないかと思います。
 ちなみに武装は近距離用と遠距離用の二つを装備しているので、まず遠くの敵に鉄砲を食らわせてから、生き残って近寄ってきたのを刀で斬る、あるいは刀で斬ってのけぞったところに鉛玉を叩き込む、という戦いもできるのは楽しいですね(これが戦国の戦い方に相応しいかは別として…)

 この辺りは無双のシステムをWiiにそのまま落とし込んだという感がありますが、ガンシューとなってこれまでとシステム的に大きく異なったのは、移動形式でしょう。従来の無双は、基本的に広いステージの中を自由に走り回って戦うスタイルでしたが、ガンシューである本作では、原則として移動は自動、つまり強制スクロールということになります。
 ゲームの性質上、これはこれで仕方ない面もあるのですが、やはり何だか違和感――というより「遊ばされている」感が強いのは事実。無双の豪快なゲーム感覚の中には、広い広いステージを縦横に走り回る、というのも重要な構成要素として含まれていたのだな…と今さらながらに気づかされました。
(ちなみに城内面など、ステージによっては強制移動ではなく、ヌンチャクのスティックを使っての、従来の無双スタイルで移動する場合もあります)
 しかしもちろん、それの辺りを補うように、ステージ構成についてはかなりバラエティに富んでいます。通常のステージの他、物陰から狙ってくる弓兵を狙撃するステージ、殿軍となって先に行った本隊を走って追いかけるステージ、お馴染みの城内ステージなど、ステージによってはかなり異なるプレイスタイルでチャレンジすることになるため、単調さという点からは、かなり脱却できているのではないかと思います。

 もう一点、大きく従来と異なるのは、プレイヤーキャラクターが実在の武将等ではなく、名もなき――これから功成り名遂げんとする――武士・剣士である点でしょうか。
 この辺りは、やはりゲームの基本システムに合わせてのことで、これもプレイしてみればそれなりに納得できる面はあるのですが、やはり従来のプレイヤーからするとだいぶ寂しい部分ではないかと思います。少なくとも、個々のキャラクターを成長させたり、固有武器を集めるという楽しみはないわけで(その代わり、近距離・遠距離でそれぞれ四種類の武器が用意されているので、それを集めていくことになりますが)、そこはやりこみ要素という点では少し残念ではあります。

 と、色々書いてきましたが、一言で評すれば、決してクソゲーの類ではないですが、ゲーム機本体をわざわざ買ってまでは…というところでしょうか。
 従来の無双に拘りすぎるとやはり違和感は大きいと思いますが、無双のシステムを、チャンバラアクションとしての元々の味わいは残しつつ、きちんとWiiの特性に合わせたガンシューティングの世界に落とし込んでいる点は評価できますし、時代ものアクションとしても、なかなか雰囲気を出している仕上がりかと思います。
 しかしその一方で演出などがかなり単調であったり、ステージ中のデモを飛ばせなかったりと、基本的な部分で?マークが付く部分もあり、もう少しその辺りは配慮して欲しかったな…というところもあります。

 とはいえ、個人的には買って損をしたとは全く思いませんし、最後までプレイするつもりですけれどもね(自慢じゃないがダメだと思ったゲームは速攻で積んでしまうので…)。ただこれが時代ものでなかったら手を出したかというと…ですが。


 にしてもやっぱりWiiとチャンバラの親和性は非常に高いわけで、時代ものゲームファンとしては、Wiiにはかなり期待をしているところです(何故か任天堂のゲーム機はここしばらく時代ものソフトが非常に少ないんですが…)


「戦国無双KATANA」(コーエー Wii用ソフト) Amazon

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2007.09.24

今週の「Y十M 柳生忍法帖」 クライマックス目前

 物語は十兵衛サイドに移っていよいよクライマックスも目前の「Y十M 柳生忍法帖」ですが、今週は地味に(?)十兵衛先生が格好良い回でした。

 般若侠出現にわたわたと駆け寄ってきた芦名衆が、城で何が起こったか、さすがに口を割らない(たぶん知らない)どころか襲いかかってきたところをバッサバッサとぶった斬った十兵衛先生。
 かえす刀で将来立派な芦名衆になりそうなお子たちを――斬ったりしない人格者十兵衛先生ですが、わざわざ(ありゃ絶対わざとだよな…)手首付き刀というZ指定映像をお子たちの目の前に用意しておくのはお人が悪い。

 と、その剣戟の前に、般若面のおとねさんを逃がしておくことも忘れません。ほりにょたちの待つ小田山へ…ではなく、東山は天寧寺に行くよう指示しますが――結局、終始おとねさんは般若面を外さないので、前回生じた疑念は晴れません。
 ほりにょに合流させないのも、双方の安全のためと思われますが、疑おうと思えば色々と疑えて…まあ、それはさておき。

 さてこの後に登場するのは、ずいぶんとお見限りのほりにょ-2。羽黒山中に居を移して作戦会議中――というよりプチ十兵衛先生吊し上げ中。
 そりゃ確かに、急に沢庵和尚が、城に来いと言ってくるのはずいぶんとおかしな話ではあります。しかもわざわざ十兵衛一人で。
 もちろん十兵衛一人で、と言っているのは十兵衛先生のみで、証拠となる手紙は「んんんんんー、許るさーん!!」とばかりに引き裂いてしまったので真相は彼女らにはわからないわけですが、まあ訝しく思うのも無理はありません。一番うるさいのが遠くにいて助かったな…

 遂には「ここに至ってなおおれのことが信じられぬのか?」とある意味殺し文句を繰り出す十兵衛先生に、「信じております!!」と久しぶりの全員コーラスを返すほりにょが実に微笑ましいのですが、しかしそれだけに十兵衛先生も説得は大変です。
 私だったらお品さんに問いつめられたら早速吐きますがなあ<お前はヒーローにはなれん

 さすがに埒があかぬと立ち上がった十兵衛先生、「おれは決してそなたたちを裏切らぬ」と、またえらく格好いいビジュアルと共に更なる殺し文句を繰り出したものでその場は収まりますが――この時のコマ配置、上に大コマで十兵衛先生、下に小さいコマで五人のほりにょが並ぶという構成で、これまた格好いいのですが、なんだか決まりすぎて最終回目前みたいで、ここで打ち切りになるんじゃねえかとちょっと心配になりました。
 まあ、ここで切ったら全国の原作ファンが暴動起こすけどな!

 と、バカの繰り言はさておき、その言葉を受けて差し出されたのは、鶯の七郎君。伝書鳩ならぬ伝書鶯ということでしょうか、これから死地に赴こうというのにずいぶんと風流な…という気もしますが、お供に鶯一羽連れて、鬼ヶ島に殴り込みというのも、これはこれで十兵衛先生らしいかもしれません。

 そして物語はいよいよ最大のクライマックスへ――というところで以下次号。ここから先は、本当に一回一回が見逃せない展開になってくるので、楽しみで仕方ありません。あー、来週の月曜日も祝日だったらよかったのに…

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2007.09.23

「鬼忍降魔録ONI」 名作シリーズの原動力

 ニンテンドーDSで「ONI零」(これもそのうち紹介します…)が復活したから、というわけではないですが、ここしばらく、ふと思い出してゲームボーイの初代「ONI」をプレイしていました。
 発売は1990年ですから実に十五年以上前、ゲームボーイ自体発売が1989年なので、結構初期のソフトであり、今見るとさすがに…というか相当古く感じる部分がほとんどではありますが、レゲーファン、そして何より時代劇ゲームファン的にはそれなりに楽しむことができました。

 物語自体は、謎の敵の手により里を壊滅させられたおちこぼれ忍者・天地丸の復讐譚で、今にしてみれば新味はありませんが、当時としてみれば和風ゲームというのはまだまだ珍しく(ゲームショップに時代劇ゲームのコーナーがある現状は、当時からすればちょっと考えられない状況であります)、それだけで一つのウリとなったものでした。

 そしてもう一つ、本作の最大の特徴が、主人公の転身システムであることは言うまでもありません。要するに、TVの変身もの特撮の如く、主人公が異形のヒーローに変身して活躍できるというシステムなのですが、これが想像以上に印象的なものでした。
 冷静に考えると、システムとしてさほど凄いことをやっているわけではないのですが、転身前と転身後で大きく変わるキャラの特性を使い分けるというのは今考えても斬新であります(ただ、本作では転身後の方が攻撃力が低くなるため、クリティカルヒット勝負が基本の後半ではほとんど生身で戦ってしまうのですが…)。
 しかしそれ以上に、異形のヒーロー対妖怪軍団という、実に絵になるシチュエーションが描き出される中に、鬼神の血を引くが故に時に人々から阻害されるという主人公像が浮かび上がるという、キャラ立ての効果も上げていることが印象に残ります。システムと設定・ストーリーが密接に結びついた見事なアイディアと言えるでしょう。

 …もっとも、その設定やストーリーが本作で充分に描かれているとは到底言えないのが正直なところで、主人公のほか、数名のサブキャラクターたちも、設定的には色々と深いものがあるのだろうなあ…と思わせつつも、わずか数行の台詞でそれが処理されてしまうのが何とも残念ではあります(特に主人公の兄貴分・飛龍の彩蔵の便利屋っぷりには目を見張るものが)。
 この辺り、容量の都合だったそうですが、エンディングにスタッフロールすらないのは、隔世の感があります。


 もちろんこの辺りは、ソフト的にもハード的にも時代の限界というものですし、本作で十全に描ききれなかったものの中にもプレイヤーが魅力を感じとったことが、ゲームボーイでシリーズ全五作という、空前のシリーズを生み出す原動力となったことは想像に難くありません。
 というわけで次は当然、ONIⅡにチャレンジするわけでした<全作やりなおす気


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2007.09.22

「モノノ怪」 第十一話「化猫 二ノ幕」

 「モノノ怪」版「化猫」全三話の真ん中、二ノ幕の今回は、序破急でいえば破に当たりますが、破は破でも破滅の破じゃないかと言いたくなるほどのデス展開。あの人物が、この人物が、こちらの想像を上回るスピードで姿を消し、消されていくという、些か意表をついた展開となりました。

 鉄橋から飛び降り、列車に轢かれて死んだという新聞記者・市川節子。自殺として処理された彼女の死の背後に何があったのか。何故彼女は死ななければならなかったのか。そもそも彼女の死は自殺だったのか。
 地下鉄に集った、いや集められた人々の口から、その真が浮き彫りにされていくこととなるのですが――

 少年は語る。事件現場から立ち去る何者かの姿を目撃していたが無関係と思い黙っていたと。
 記者は語る。節子は地下鉄を巡る汚職で市長を追っていたために殺されたのではないかと。
 車掌は語る。何かを轢いたことには気付いたものの、猫だと思いそのまま列車を走らせたと。
 女給は語る。有名になりたい一心で刑事に対して適当に話を合わせて自殺だと証言したと。
 主婦は語る。情人のもとで節子が何者かと言い争う様を聞いていたが黙っていたと。

 一人一人が、それぞれに事件について知っていることがあったにも関わらず、それを黙っていたことにより、それぞれが結びついた果てに一人の女性の死の真相を隠蔽することとなった――現時点でわかるのはこんなところでしょうか。

 しかし、モノノケが求めるその代償は厳しすぎると思えるほどのもの。
 まるで初めから結論ありきで捜査していたかのような刑事が、ようやくたどり着いたかに見えた駅の幻影に誑かされてドアを開けたところを化猫の爪に捕らわれ虚空に消えたのを皮切りに、証言者一人一人が消されていくこととなります。
 そしておぞましいのは、それぞれが消される直前、それぞれの証言に関わる体の部位――少年は目、女給は口、主婦は耳、車掌は足、記者は全身――に耐えがたい痒みを覚えた果てに、それを狂ったように掻き毟る様。
 これは化猫の、節子の罰ということなのか――ついには薬売りを除く全員の無惨な躯と化した様が描かれますが…
(しかし少年のみ画面に映っていない女性の姿に怯える描写があったを不思議に思っていましたが、これは彼が見たものを見たと言っていなかったためだったのですね。同様に、主婦の耳にのみ「許さない…」と聞こえたのも、彼女が聞いたものを聞いたと言っていなかったからというわけで、これにはちょっと感心しました)

 しかしそれ以上におぞましいのは、パニックに陥った乗客(特に女性二人)がエゴ剥き出しで罵り合う様でしょうか。
 他人事だと思っていた事件に、それぞれの事情があって行った証言が、このような形で自分に祟ってきたら、それは確かに恐慌をきたすのも無理もない話ですが、やはり見ていてキツいことは間違いありません。
 特に旧「化猫」、「海坊主」と可愛いところを見せていた加代と同じ顔・同じ声のチヨがこうした姿を見せるのには、ちょっとショックを受けた方も多いのではないかと思います。

 さらにその上に、マネキン(=群衆)の顔のみが猫に変わったり、ピカソの絵を更にグロテスクに歪めたような壁画がでてきたり、「ヤメテ」の書き文字が画面を埋め尽くしたり――観念的な映像のラッシュが被さってくるのですから、凄まじい混沌ぶり。
 この辺りの演出には、わかりにくいという批判は当然あるかも知れませんが、しかし悪夢の奔流ともいうべきイメージの連続は、これはこれで実にこの作品らしい描写だと思いますし、ただただ圧倒されるその感覚は、個人的には決して嫌いではありません。

 しかしその狂騒が去ってみれば、残ったのは薬売りただ一人。
 本当に皆死んでしまったのか…と思ったとき、ただ一人還ってきたのは、節子の上司である新聞記者――証言をした者から消えていったことを考えれば、還ってきた記者は、未だ証言を終えていなかったということでしょうか。
 冷静に考えてみると、実は節子が殺されたと言っているのは彼一人。あるいはそこに、今回の事件の真の真があるのかもしれません。
 今回示された全員の表現を組み合わせた末に浮かび上がった節子の死の真相ですが、その組み合わせを変えれば、あるいは全く異なる真が生まれるのかも知れません。

 と、こう考えてみると、節子が、化猫が関係者全員を集めて証言を行わせているのは、真実を誰かに明らかにしたい、知ってもらいたいというよりは、むしろ自分自身が真実を知りたい――つまりは自分自身が何故死んだのかわかっていない――ように感じられます。
 今回の冒頭で、薬売りが化猫のことを「真を求めるモノノ怪」と評したのは、これを指してのことなのでしょう。これまではモノノケの内にあった真を、モノノケ自身が知らないというのであれば、これは厄介であります。

 さて、この複雑な真と理が次回大詰めでどのように語られることになるのか。
 節子の死の真相、化猫の真と理はもちろんとして、その他の様々な疑問――何故薬売りは今回のエピソードではあれほどまでに冷静なのか。本当に乗客は皆死んでしまったのか。そしてヤングガンガンの特集記事でも指摘されてしまった小田島様は今回登場しないのか。
 快刀乱麻を断つが如きスッパリとした謎解きを――そして同時に本作らしい切ない余韻を、大詰めには期待したいところです。
 とりあえず列車事故で放送中止というオチはご勘弁いただきたく。


 …しかし、今回一瞬映った節子の素顔はやはりたまきさん。ほぼ確実とは思っていましたがこれは哀しい――まあ、小田島様じゃなくてよかったけれど。


「モノノ怪 化猫」(角川エンタテインメント DVDソフト) Amazon

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 今週のモノノ怪

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2007.09.21

10月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 まだまだ暑い日が続きますが、気がつけばもう九月も残りわずかでそろそろ季節は秋。秋と言えば読書の秋、芸術の秋というわけで、十月の時代伝奇アイテム発売スケジュールです。

 十月の新刊文庫で目に付くのは、ようやく文庫化! の鈴木英治先生「血の城」でしょうか(ご祝儀かしら<何の?)。その他に気になるのは上下巻に分かれて新装版で登場の司馬遼「妖怪」あたりかと思います。十月もちょっと寂しいですね。
 漫画の方では、九月に元祖(?)が出たのでたぶん…と思っていた「新 変身忍者嵐」が登場。狙い所はわからんでもないが理不尽過ぎるオチはある意味必見です。また、「乱飛乱外」の最新第四巻漫画版「天保異聞 妖奇士」最終第二巻が発売されるほか、漫画版の「大江戸ロケット」第一巻が発売。大江戸からギャグを抜くとこうなるのか…と感心してしまったり。
 しかし個人的に一番の注目は、あの島崎譲先生が山風原作で贈る「花かんざし捕物帖」第一巻です。タイトルで何となく想像がつくかと思いますが、原作は「おんな牢秘抄」。山風と島崎先生というのは合うようで合わない気もしてきましたが、この作品だったらイメージに合いそうですね。

 …と、書籍はこんな感じですが、十月でもの凄いのは映像ソフトの充実ぶり。何せ、この夏に放映されていた時代劇アニメ三作――すなわち、「大江戸ロケット」「シグルイ」「モノノ怪」――がリリーススタートされるほか、「天保異聞 妖奇士」の真の最終話が収録された最終第八巻も登場という、嬉しいような困ったようなの発売ラッシュです。
(ちなみに「モノノ怪」の初回限定特典はブックレットとのことで要チェック。また、「妖奇士」にもブックレットが付くはずですが、以前付いたものが、思わずブログで記事にしてしまったほど出来が良かったので今回も期待です)
 また、旧作のDVD化では、「大魔神」三部作が一気に登場…するのも嬉しいですが、何と言っても絶対見逃せないのはあの「日本怪談劇場」のBOX化。以前バラでDVD化されていましたが、既にプレミアが付いていたものが一気に手に入れられるというのは、本当にお買い得だと思います。
 その他、中国ネタでは、私がこよなく愛する古龍原作の「大旗英雄伝」がソフト化。これに合わせて邦訳してくれないかしら…そしても一つ、何故か「片腕ドラゴン」が(しかも二バージョン)発売されるのも気になります(十月は「直撃地獄拳 大逆転」も発売されるので日中バカカラテ映画揃い踏みですな…)

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2007.09.20

「遊部」 変わらぬ秘宝と移ろう人と

 戦国の梟雄・松永久秀の大悪行といえば、その一つに東大寺大仏殿を焼いたことが挙げられますが、その場面から始められるのが、この「遊部」という物語。
 この事件を皮切りに戦国の荒波に晒されることとなった東大寺から、その久秀を破った信長の手で奪われた正倉院の秘宝・蘭奢待の香を奪還するため立ち上がった、謎の遊部の民の活躍が描かれます。

 遊部とは、太古より東大寺を陰から守ってきた民。普段は寺男などに身をやつしつつ、密かに東大寺とその寺宝を守ってきた者たち。その彼らが、本作では、己の権威を誇示するためだけに蘭奢待を切り取った信長の増上慢に怒った東大寺薬師院の院主の命により、暗闘を開始することとなります。
 しかし――彼らにとっての戦いは、決して武器を取っての、相手の命を奪う戦いではありません。代々伝えられてきた歌舞音曲と呪術を用いての彼らの活躍は、人の心に陰に日向に働きかけての、むしろ心理戦・情報戦的オペレーション。当時の芸能者たちと、いわゆる道々の者たちの結びつきというのは、しばしば時代小説、なかんづく時代伝奇小説ではしばしば登場するところですが、本作での遊部たちの活躍もその系譜に属するものと言えましょう。

 また――そうした伝奇的興趣に負けず劣らず魅力的に感じられるのは、遊部の、そして彼らを巡る人々の生き様と、その中で描かれる彼らの心の微妙な響き合いです。
 遊部の者たちをはじめとして、激動の時代にあって、己の愛に、欲に、使命に信念に生きた人々が――それも、完全な勝利者ではなくナンバー2、あるいは歴史の落伍者とも言える人々が――見せる生きざま、人としての営みは、それが長い時を経て変わることない秘宝を巡る物語の中で描かれるだけに、その移ろい流れていくさまが、鮮烈な印象を与えてくれます。

 その一方で、特に後半の構成に粗い部分が感じられるのが残念なところ。最大の敵である信長が最期を迎える本能寺の変が中盤に描かれることにより、蘭奢待争奪もその辺りが最大の盛り上がりになってしまうのはまあ良いとして、それに変わって前面に出てくる遊部誕生の秘密にまつわる物語の結末が…
 上記の通り、題材とキャラクター描写に特に光るものがあっただけに、ストーリー構成の点で失速したのが残念でなりません。


「遊部」(梓沢要 講談社文庫全二巻) 上巻 Amazon/下巻 Amazon

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2007.09.19

「かく戦い、かく死す 新編武将小説集」 敗者の中の心意気

 柴田錬三郎といえば、やはり無頼のヒーローが活躍する伝奇活劇が真っ先に思い浮かびますが、その一方で、「心意気」をもって己の生を全うした人々の姿を描いた作品も少なからずものしています。
 本作はその後者の作品群のうち、戦国大名・戦国武士を主人公とした短編を集めた作品集。彼らが戦国の世をいかに戦い、いかに死したか、いずれも短編ながら読み応え十分の作品ばかりです。

 収録作は「斎藤道三」「北畠具教」「武田信豊」「明智光秀」「豊臣秀次」「直江兼続」「戦国武士」「明智光秀について」の全八編。
 題名を見てまず気付くのは、各短編で扱われているのが、天下を目指す途上で斃れた者がほとんどであること。信長や秀吉、家康といった、天下を取った(取る寸前までいった)者たちではなく、彼らの陰で非命に倒れた者たちこそが、本書の主役と言えます。

 が、それが実に柴錬らしい。天を目指すも届かず、地に這わざるを得なかった男たちが、それでも貫いた己の生きざまの中に浮かび上がるものこそ、柴錬がこよなく愛した「心意気」。
 天下にただ一人、己のみを頼りに道を往こうとする(すなわち「無頼」!)魂の輝きは、向かうところ敵なしの勝者よりも、逆境に喘ぎ苦しんだ敗者の方が、より強く激しい――表に現れた歴史、すなわち勝者の歴史だけを見ているだけでは気付かない、そんな人間の、歴史のある一面を、本書は教えてくれます。

 その本書の中で、私の心に最も強く残った作品は「豊臣秀次」です。秀次の悲運の生涯を、秀次自身と、彼を滅ぼすため暗躍した石田三成との両サイドから描いた本作は、風変わりなことに、秀次が死した後も続きます。
 そして結末、関ヶ原の戦に敗れ、三成が首の座についた時に訪れた結末において彼が見たものとは――その正体については伏せますが、かつての勝者が敗者となったとき、初めて交錯する二人の敗者の生き様に、胸が熱くなる思いがしたことでした(ちなみにこのラストだけを取り出すと、柴錬立川文庫と言っても通じてしまいそうなのが何やら可笑しいのですが)。

 生涯「地べたからもの申す」を貫いた柴錬らしい、好短編集と申せましょう。


「かく戦い、かく死す 新編武将小説集」(柴田錬三郎 集英社文庫) Amazon

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2007.09.18

「九十九眠るしずめ 明治十七年編」第一巻 九十九の名に籠められしもの

 高田裕三の明治妖怪アクション「九十九眠るしずめ」、しばらく取り上げておりませんでしたが、楽しみに待っていた新刊が久々のお目見えで喜んでおります。この新しい巻からは、「明治十七年編」と銘打ち、刊数もリセットしての新章突入。物語は九十九神誕生の秘密を巡って二転三転、いよいよ核心に迫り始めた感があります。

 九十九神を操る東方支天衆護神民としずめ&トラゲンの戦いが終わらぬうちに年は明けて明治十七年、奇怪な死を遂げた護神民と思しき男が持っていた写真に映っていたのは、被害者としずめの父の姿…。さらにそのしずめの父から遣わされたという気障な陰陽師兄妹が現れ、色々な意味でしずめとトラゲンの間に波風が立つことになります。
 果たしてしずめの父と支天衆護神民の関係は、そして殺された男が守り、陰陽師兄妹が求める外道の金輪とは――苦しい戦いの中、遂に外道の金輪を手にしたしずめですが、しかしそれは九十九神という存在、そして支天衆護神民の正体に関わる新たなる謎を二人の前に示すことになるのでした。

 と、物語のキーアイテムとなるであろう外道の金輪なるアイテムが出現、それが思わぬ形で九十九神の正体を巡るエピソードと関わって、一気に物語がヒートアップした感があります。
 ことに、九十九神が何故九十九なのか? という、九十九の名に籠められた意味にスポットを当てた展開は、そのネーミングに全く疑問を抱いていなかっただけに、一種のミスリーディングに引っかかった格好になって、思わぬ驚きを味わわされました。

 キャラクター描写の方も相変わらず達者で、おっさん読者的にはちょっと狙いすぎなんじゃという印象のあったしずめのキャラクターが、事態が徐々に混迷を深める中、単に可愛いだけでなく、実に健気で応援したくなるキャラになってきたのには少々感心いたしました(トラゲンの方は非情なんだか純情なんだかまだちょっと中途半端な印象がありますが…)
 アクション演出の方も水準以上で、十分以上に安心して読める作品となっているのは、さすがは…と言ったところでしょうか。物語の謎解き要素が強まってきたことが、全体に緊張感を与えているのが良い方向に作用していると言えます。

 ただ一点残念だったのは、おそらくはこの巻の、いやこの物語の根幹を成すであろうエピソードである平安パート(あの、安倍晴明やらがいた平安時代であります)が、非常に唐突かつ駆け足に処理された感があったことでしょうか。この辺り、もう少し丁寧に描けば単行本一、二冊分は…あ、いや、あんまり長くなっても困るからこれでいいのかな(脳裏をよぎる「3×3 EYES」の悲劇)。
 おそらくはまだまだ平安時代にまつわる謎・秘密はあることでしょうから、そこはまた、おいおい描かれていくのかもしれません。

 それも含めて、まだまだ全く先が読めない本作。この巻のラストエピソードや次巻予告を見るに、しずめを巡る運命はいよいよ過酷になっていくようですが、そこは彼女の持ち前の明るさで乗り切ってくれることと期待して、次の巻を待つことといたします。


「九十九眠るしずめ 明治十七年編」第一巻(高田裕三 講談社ヤングマガジンKCDX) Amazon

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2007.09.17

「大江戸ロケット」 廿四発目「○○をのっとれ!」

 遂に完成し打上げを翌日に控えたロケットだが、密かに忍び込んだ青い獣により地上で爆発してしまう。しかし将軍の肝煎りでロケット計画は続行、時は流れて天保十四年閏九月…再び打上げが近づいた頃、清吉はお伊勢の勧めで下田に出かける。だが、そこで彼が見たものは、巨大な打上げ台だった。鳥居の命により、おりくらの手で外国船を狙う砲台として作られた打上げ台に怒りを隠せない清吉だが…

 泣いても笑ってもあと残すは三話のみ。その最終三話の幕開けは、しかし、嵐の前の静けさ、ラストスパートに向けての地均しという印象でしょうか。
 巨大宇宙船を巡る戦い以来鳴りを潜めていた赤井が、そしておそらくは眼に取り憑いた青い獣が再登場、銀次郎も帰還し、レギュラー勢が再び全員集合したことになります。

 そして、本作の中核を成す二つの要素が、(これまで以上に)クローズアップされました。
 その一つはボーイミーツガール。清吉とソラが出逢ったことから始まったこの物語、ソラが空に帰って本当に二人は別れてしまうのか、二人の気持ちの行方がどうなるか。ソラの望みを叶えることがソラとの別れに繋がるというジレンマは、最初からわかっていたものの、打上げ直前になってみるとやはりそのシチュエーションの文芸的うまさというものが感じられます。
 …ただ、江戸っ子のくせに(偏見)ほんとに直前になってもウダウダ言ってる清吉はどうなのよ、という気持ちは正直しますが(いや、上記のジレンマのためではあるのですが)。

 そしてもう一つは、江戸時代におけるテクノロジー。以前に描かれた、鳥居からおりくへのロケット開発の依頼、すでにうやむやのうちに消えてしまったかに思っていたこの依頼がここに来て思わぬ形で前面に出てきましたが、これが実に興味深い。
 なるほど、現実世界のロケット開発史は軍事と切り離せないものでありましたが、その構図を江戸時代に、この天保期に当てはめるとどうなるか。一種の国粋主義者である鳥居がこの技術を手にした場合、今回のような形で実を結ぶことは十分に考えられます。

 江戸時代に月ロケットを作る、それ自体は身も蓋もない言い方をすれば絵空事ではあるのですが、しかし、仮にそれだけの技術が江戸時代に存在した場合、それが社会に及ぼす影響は如何なるものになるのか。それを無視せず描いていることに、何と言いましょうか、SF的リアリズムというべきものを感じますし、その絵空事の中のリアリズムが、本作が単なるドタバコメディではなく、いい意味で油断のできない本作の魅力となっているのだと思います。

 …と、今更なことを書いてしまいましたが、さてそれではこの先の展開がどうなるか、全く読めないのも事実。
 ソラを月に帰すだけでも大変なところに、ここに来てロケット技術を「悪用」したもう一つのプロジェクトが出現したため、この始末をどうつけるのか、正直予想できません。

 予想できないと言えば、どう動くか読めないのが赤井の行動。どうやら銀次郎への対抗意識があるようですが、それで一体何をしようというのか。清吉サイドのプラスになることをするとは思えませんが、青い獣との因縁を含めて気になるところです。
(さらに言うと、なんだか意味ありげな表情を見せる野次馬だか知らない人だかが気になります)


 …最後に、これは全く個人の趣味趣向の問題ですが、ちょっと残念だったのは、今回作中の時間が急に流れて閏九月になってしまったこと。
 時代ネタ的にこの時期にしなければいけないのはよくわかりますが、無理矢理「年表に合わせた」感が漂うのが、どうにも気になります(これまで寄り道・脱線が多かっただけになおさら…)。
 はじめに史実ありきで物語を構成するのは、時代ものとして当たり前ではありますが、もうちょっとスムーズに見せてくれても良かったのではないかな…と感じた次第です。


関連記事
 今週の大江戸ロケット


関連サイト
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2007.09.16

作品集成を更新しました

 このブログ及び元サイトで取り扱った作品のデータを集めた作品集成を更新しました。今回は五月から九月までの約四ヶ月強のデータを追加しています。
 今回から、作品のあらすじについて、「BOOK」データベース(ネット書店などで使用されているデータ)から(も)引用することとしました。さすがに全部自力は無理なので…
 また、これとも関連しますが、今回からデータの管理とhtml化をEKAKIN'S SCRIBBLE PAGE様の私本管理Plusというソフトで行うことにしました。このソフト、ISBNコードを元にAmazonなどから本のデータを拾ってくることができるので、かなり重宝します(html変換はちょっと分量があったので大変でしたけどね…)。なかなかおすすめです。

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2007.09.15

「モノノ怪」 第十話「化猫 序ノ幕」

 いよいよ「モノノ怪」も最終エピソードに突入。そのタイトルは何と「化猫」――薬売りの男のデビュー作である「怪 ayakashi」の中のエピソードと同じタイトルであります。
 しかしさすがはクセ球揃いの本作、今度の「化猫」の舞台は、おそらくは大正期の、それも走る地下鉄の車内。意外な舞台で、薬売りの最後のモノノ怪退治が始まることと相成ります。

 地下鉄の新路線開通を記念し、招待客を乗せて走る第一号列車。が、その列車が何かを轢いた時、一両目を残して後続車両は消滅。運転手と六人の乗客――市長・刑事・新聞記者・主婦・女給・少年――を残して、乗客たちも何処かへ姿を消してしまいます。
 運転手のコントロールを離れて列車が疾走する中、市長は開いたドアの向こうの闇に姿を消し、残された人々が途方に暮れたとき、消えたはずの向こうの車両から現れたのはあの薬売り。薬売りの言葉がきっかけとなって、この場に残された人々に、いずれもある共通点があったことが判明したものの、その間もモノノケの影は徐々に近づき――

 三話構成で余裕があってか、今回は舞台設定と登場人物を丁寧に描写することに主眼が置かれているかに思えた今回、さすがにラストエピソードだけあって画的クオリティも高く、これまでの江戸時代から一変したモダーンな世界を――もちろん「モノノ怪」チックなアレンジを交えつつも――巧みに描き出していたかと思います。
 そんな舞台に、一体何歳なのか、平然と顔を出した我らが薬売りですが、さすがに(?)マイナーチェンジ、衣装全体を黒っぽいトーンに変え、さらには指輪にピアスでモダーンさをアッピールです(でもチンドン屋とか旅芸人とか言われちゃうの)。
 そして薬売りと絡む人々は、何と元祖「化猫」で見たような人々ばかり。市長はあの諸悪の権現の旗本爺の若い頃に、女給のチヨさんは「海坊主」にも登場した加代に、その他の人物も皆、あの呪われた事件の関係者にそっくりで驚かされます。これは単なる視聴者サービスか、はたまた時を越えて怨念と因縁が作用したものかわかりませんが、同じ「化猫」を冠する物語として、心憎い仕掛けかと思います。

 …しかし仕掛けと言えば、思わぬところに思わぬものが仕掛けられていて一瞬も油断できない本作ですが、今回はそれが実に恐ろしい方面に作用していて、ホラーとしてもかなりレベルの高い作品となっております。
 特に驚かされたのは、ほとんどサブリミナル映像並みのさりげなさで挿入されている恐怖映像です。Bパート開始早々、突然の怪事に呆然とするチヨの背後、窓の外の闇に一瞬映るのは、無惨に叩き潰されたかのような市長の姿(よく見ると、血の跡がひっかき傷のようにも…)。
Bake01_3
 さらに、列車が往く先に続くトンネルの闇を写した画面で、上から落ちてくる姿が一瞬差し挟まれたのは、これもおそらくは市長…(このシーン、赤く変わった天井のランプが、猫の目のようにも見えるのがまた恐ろしい)。
Bake02_2

 どちらも本当に一瞬のことで、ほとんど自分の見間違いかと思ってしまうさりげなさで挿入された映像ですが、それがまた心霊写真的というか呪いのビデオ的と言いますか、「なんか見ちゃいけないものが映ってた!」的恐ろしさがあってたまりません。
 いつもであれば目を皿のようにして、ちりばめられた謎と伏線の数々をチェックするのですが、今回ばかりはそういう見方をしてちょっと後悔…というか、既にアバンタイトルで
「許さない…許さ…許さない…」
という、怨念にまみれたかのような女性のうめき声が流れる時点で既に俺涙目www

 と、少なくともホラー演出では、すでに現時点でシリーズ最強という印象のある今回のエピソードですが、物語自体は、序ノ幕だけあって、まだまだ全く先は見えない状況。
 しかし終盤ではこの怪事の背後に、列車事故で亡くなった女性記者の存在があること、一両目に集められた人々は、皆、陸橋から飛び降りたところを列車に轢かれて亡くなったという彼女と何らかの関わりがあったことが語られており、元祖「化猫」に比べると、怪異の根元が早くも見えてきたようにも思えます。

 しかし三分、いや一分あればそれまでの物語を根底からひっくり返ることも珍しくない(というかいつも)のが本作。残り二回…それだけの間にどこまで物語が転がっていくか。
 その物語の結末は、同時に薬売りとのお別れかと思うと複雑なものがありますが、最後まできっちりと見届けなくてはと思います。
 だから放送時間の変更とか津波情報とかはもうご勘弁…


「モノノ怪 化猫」(角川エンタテインメント DVDソフト) Amazon

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 今週のモノノ怪

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2007.09.14

「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」第四巻 肯定という救いの姿

 若き日の空海の唐での活躍を描く長い長い物語も遂に完結。この最終第四巻では、長きに渡る哀しみと恨みの歴史の真実と、空海の開いた宴の始末が描かれ、いよいよ物語は大団円を迎えることとなります。

 玄宗皇帝の腹心の宦官・高力士が死の直前に遺した手紙により語られた、玄宗と楊貴妃を巡る真実。それは、長きに渡る哀しみと恨みの物語であり、そして連綿と続く呪いの存在を示すものでした。
 その呪いはいまや当代の皇帝・順宗の命を旦夕までに迫らしめ、もはや猶予がないという時期に、空海は驪山の華清宮にて宴を開こうとします。かつて玄宗皇帝と楊貴妃が歓楽の限りを尽くした華清宮――そこに集った空海と逸勢、そして白楽天らの前に現れた者たち、それこそは呪いに囚われ、呪法の鬼と化した者たちでありました。

 果たして空海は綿々として尽きる時無き恨みを解放することができるのか、それについてはここでは詳しくは述べませんが、物語の主要人物が一堂に会して始まる、時に静かで美しい、そして時に激しく悍しい宴の様はまさに圧巻。ことに、あまりに意外な最後の一人の出現には度肝を抜かれましたし、大いに手に汗握らせていただきました(にしてもこの人、アイツがあそこでコケなかったらどうなっていたことか…)。

 その宴を――いやこの物語を通して描かれるのは、誰に罪があるわけでもなく、そして同時に誰もが罪を背負った、どうしようもなく哀しい人の世の有様。ほんの少しのかけ違いが人の運命を狂わせ、それが更なる巨大な悲劇を招いていく様は、まるで小さな雪玉が転がるうちに巨大になっていき、ついには雪崩を引き起こす様を思わせます。
 そんなどうにもならない哀しみと恨みの塊から人々を解き放つのに必要なのは、力をもって打ち砕くのではなく、それを丸ごと受け止め、そして肯定することなのでしょう。そして、本作で折に触れて描かれてきた密という思想、そしてそれを語る空海という存在が、それを可能とすることは言うまでもありません。

 人として生きるうちに大なり小なり、その身のうちに抱え込む、どうにもならぬ想い。その想いを、想いが存在することをを肯定し、あるがままを認めてくれたら、人はどれだけ救われることでしょう。それがあるからこそ、作中で少なくない血が流れ多くの命が失われても、本作は、素晴らしく優しく、暖かく感じられるのでしょう。
 このような救いの姿は、もちろん、「陰陽師」や「神獣変化」といった、他の夢枕作品でも描かれているものではありますが、本作においては、哀しみと恨みというものが史実と強く結びつき、そしてそれを担う空海という強烈な個性が描かれていただけに、より一層、印象深く感じられたことです。


 ――かくて一つの物語は幕を閉じますが、空海を巡る物語は、もちろんこれで終わりではありません。
 本作の終盤では、わずか数行ながら、信じられないほど伝奇的なインパクトを持つ空海の過去への言及があり、そしてそれはどうやらあの「新・魔獣狩り」にまで続いていく様子。本作が完結するまでの長い長い時間を思えば、新たなる物語がいつ語り始められ、そして終わるのか、想像するだけで気が遠くなりますが、ここまで魅力的な前フリをされては、もう知らんぷりはできません。
 本作を反芻しつつ、新たなる物語を待つこととしましょうか。


「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」第四巻 (夢枕獏 TOKUMA NOVELS) Amazon

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2007.09.13

「箱館妖人無頼帖 ヒメガミ」 無法の町に秘女神見参!

 環望先生といえば、お色気&アクション主体のコミックを得意とする漫画家という印象がありますが、同時に、名著「蔵出し絶品TV時代劇」の執筆者の一人であることからもわかるように、時代劇に対して深い愛情と理解を持ったクリエイターでもあります。その環先生が伝奇時代コミックを描くとどうなるか? その答えが「マガジンZ」誌10月号より連載が始まった本作「箱館妖人無頼帖 ヒメガミ」であります。

 舞台となるのは、戊辰戦争から十年後の箱館。いまだ発展途上にある日本の利権を貪るため、欧米列強、さらにはメキシコといった諸外国が乗り込んできた末に無国籍都市と化した箱館で、人ならざる者――妖人と、これを狩るために戦う二人の少女の激闘が繰り広げられるのですが…これが実に面白い。
 何しろ、あの箱館を、マカロニウェスタンに登場する無法の町を思わせる暴力と欲望の世界として描いてしまうのだから凄い話。もちろん日本の警察が治安維持に当たっているものの(ここで登場する警部長がまた曰くありげで…やっぱり永○○○辺り?)、実体は各国領事館の治外法権が複雑に絡み合い、裏ではどんな腐敗と陰謀が隠れているかわからない――もう何があっても、何が出てきてもおかしくない、そんな世界で始まる物語が詰まらないわけがありません(また、各国のコスチュームがいい意味で胡散臭くて最高)

 そんな世界で暗躍する、各国領事館が送り込んだエージェント=人ならざる能力と姿を持つ妖人ばらに立ち向かうのが、本作の主人公・彪とヒメカ。
 父の遺命を胸に、一人妖人を狩り続けていた彪と、「ヒメガミ」を名乗り、彪に勝るとも劣らぬ戦闘力を見せるヒメカ――どちらも氏素性には不明な部分が多い…というよりほとんど不明なのですが(唯一、クライマックスで明かされる彪の父の名がまたとんでもない人物で最高!)、ボーイッシュな彪とコケティッシュなヒメカというコンビはなかなかに魅力的です。
 どちらも、いざバトルとなれば、肌も露わな戦闘スーツを纏う(というか脱ぐ?)のは、個人的にはちょっと気恥ずかしいですが、なあにこれもサービスサービス、エンターテイメントとしては大事な要素であります。

 ただ、少し残念だったのは、二人の敵となる妖人たちが、数はたくさん出てきたものの、どうも個性に欠ける者がほとんどだった点ですが、これはまだまだ敵の攻撃も序の口と取るべきでしょう。
 またさらに言えば、舞台がパラレルワールドの箱館らしいのが、大変に残念でならないのですが(基本的に架空戦記とパラレルワールドはこのサイトの対象範囲外なので…)、本作が、そんなことにこだわっていたら勿体ないほどの快作であることは間違いのない話。
 何があってもおかしくない舞台設定に奇怪な敵、そして美しくも訳ありの主人公二人。それに加えて世界の命運を握るという「○○○の封印」なんてものが出てきたら、無視できるわけがありません。伝奇ファンであればチェック必須の作品であります。


「箱館妖人無頼帖 ヒメガミ」(環望 「マガジンZ」連載) Amazon

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2007.09.12

「戦国の兵法者 剣豪たちの源流とその系譜」 剣豪と庇護者と

 自身も剣を学ぶ牧秀彦先生は、これまで剣豪・兵法者をテーマにした著作を発表してきましたが、本書「戦国の兵法者」は、「剣豪 その流派と名刀」「剣豪全史」に続く、いわば剣豪テーマの新書第三弾。それぞれ剣豪と流派、剣豪と時代といったテーマの二作に続いた本書では、兵法者(剣豪)と大名の繋がりが描かれます。

 兵法者と言えば、やはり一流の主、独立独歩の求道者というイメージがありますが、しかしその実、庇護者の存在を必要としていたのは事実。足利義輝のような例外を除き、自らの技を認め、パトロンとして陰に陽に援助を行ってくれる権力者――つまり大名――の存在があって初めて、兵法者は己の道に専念することが出来るのです。
 本書では、名だたる兵法者と、その庇護者であった大名との関わり合いを一ケース一ケース挙げて語っていくスタイル。その中で取り上げられた個々の兵法者と大名のエピソードはどれも実にユニークで、それこそ一つ一つがそのまま短編小説になりそうなほどの内容です。
 特に細川家と兵法者の長く深い関わり合いについては、まさしく事実は小説より奇なりというべきもので、長いタイムスパンに沿って兵法者と大名の関わり合いを探っていこうという視点に感心いたしました。

 もっとも、本書のアプローチは実にユニークで興味深いものではあるのですが、そこに何とか意義を見出そうとするあまり、牽強付会のきらいがある部分(伊藤一刀斎と大谷刑部の項など)があるのは事実。また、内容を生真面目に語ろうとするあまり、少々堅い印象があることも否めません。

 しかし、本書のユニークなアプローチの果て、終章にて示される兵法者と大名の繋がりの意義・意味解釈は、それを補って余りあるもの。特に太平の時代において、人材育成の教官としてや一種の宣伝効果の期待など理由は様々にあれど、大名が兵法者に与えた庇護が、人殺しの術であった剣術を、一種の文化の域に高めて現代に伝える原動力となったという結論は、なるほど当たり前に感じられますが、一種コロンブスの卵的な驚きがあります。

 後書きで自身が書かれているように、江戸時代を舞台にした作品が大部分を占める牧先生ですが、今回の成果を踏まえて、牧流戦国兵法者列伝のようなものも見てみたいな…と、ファンとしては思った次第です。


「戦国の兵法者 剣豪たちの源流とその系譜」(牧秀彦 学研新書) Amazon

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2007.09.11

今週の「Y十M 柳生忍法帖」 沢庵和尚打つ手なし?

 天海を、ひいては徳川幕府をも人質に取るという芦名銅伯の想定外の切り札の前に、もうすっかりヨレヨレになってしまった沢庵和尚。
 ついにアレしてしまったか、小姓の刀を奪って…というところで前回は幕でしたが、きっとこれも何かの考えがあってのこと…と思いきや、いきなりにせきちがいであることを見破られる沢庵様。銅伯を妖怪呼ばわりするのは、あまりにもそのまんまで噴き出しそうになりましたが、これじゃあまりにも考えなしでは…

 結局、銅伯の命じるまま、十兵衛と堀の女たち誘き出しの手紙を書かされるという、何とも締まらない結末になりましたが、その使者に立つことになったのは般若面を被ったおとねさん。これが一同への合図と沢庵は言いますが、確かに、お城からこんな人が出てくればそりゃ目立つでしょう。
 かくて、成長したらさぞかし憎々しい芦名衆になりそうだから今のうちにアレしておいた方がよさそうなお子たちをお供に、城の外に出た般若面のおとねさんは、あちこち歩いた末に般若侠に手紙を手渡しますが――その全面降伏とも言うべき内容に黙っていられるわけがない。思わず手紙を真っ二つに引き裂いてしまった般若侠、さて次の一手は? というところで以下次号いや次々号ですが…

 正直、あまり動きがなかった今回、沢庵様のあまりに焼け石に水な偽狂乱ぶりにはがっかりでしたが、しかしこのお方が、いかに絶望したとてここまで無駄なことをするものでしょうか。
 そしても一つ、般若面を被ったままのおとねさんの存在が気になります。かつて江戸花やしき…じゃなかった花地獄で絶体絶命の死地に追い込まれた十兵衛を救ったのは、般若面によって潜入に成功したお千絵たちでありましたが――
 とかいって、また考えすぎてるような気がしてきました。おとなしく再来週を待つとしましょう。


 そうそう、つい先日、単行本最新第八巻が発売されました。カバーガールは予想通りおとねさんでしたが、バックの十兵衛先生は何と包帯ぐるぐる巻きの野呂万八バージョン。何だか、食玩のレアアソートみたいなノリですが、冷静に考えたらこの巻の主役はほとんど五人のお坊様で、十兵衛の出番はこれくらいしかなかったしね…
 そして、二巻連続でラストに夢山彦で引いた銅伯はある意味凄いと思います。

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2007.09.10

「大江戸ロケット」 廿三発目「剣舞に花火をどうぞ」

 いよいよ今回を含めて残り四話となった「大江戸ロケット」ですが、今回はいよいよ銀次郎主役話。以前、一話くらい銀次郎復活に向けて、大坂での過去絡みのエピソードがあるのではないかと予想していたのですが、何とそれを描くのは原作舞台の脚本家でもある中島かずき氏という嬉しいサプライズであります(ちなみにタイトルの元ネタは「必殺からくり人」…本作と同じく、天保を舞台としたアウトローたちの物語であります)

 あてどなく旅を続けるうちに世直し義賊の銀狐仮面と夜桜頭巾の噂を聞く銀次郎。心中穏やかでない中、彼が出会ったのは、かつて大塩の配下であった美作天兵衛でした。乱の中で大筒の暴発に巻き込まれたために失明して、今は平穏に暮らしているはずの天兵衛の周囲に、銀次郎は何やら不穏な空気を感じて彼から離れますが…
 一方、江戸ではお伊勢さんが今は大目付の金さんに呼び出され命ぜられたのは、最近京大坂を中心に火薬を狙って活動する盗賊団・夜狐党の探索。仕方なしに探索を引き受けたお伊勢さんは、天鳳と、何故か鉄十と共に大坂に向かうことになります。
 そして一味を誘き出すため、囮の火薬を運ぶお伊勢一行の前に現れた夜狐党、鉄十が色々やらかしてややこしいことにもなりかねましたが、何とかその懐に飛び込んでみれば、その頭目はあの天兵衛――

 琵琶湖のほとりに大船団をしつらえた天兵衛の狙いは、大塩の乱の再来、今度は大坂でなく、ロケット打上げの騒ぎに乗じて江戸を焼き払おうという野望に天兵衛は燃えていたのでありました。既にお伊勢たちの狙いを見抜いていた天兵衛により窮地に追い込まれる三人を救ったのは、「あっしには関わりがねぇこって」と去ったはずの銀次郎!
 お伊勢と天鳳に船団を任せ、自分は爆発した火薬の黒煙の中、天兵衛と対峙する銀次郎ですが、馴れぬ闇の中で苦戦。そんな彼の窮地を救ったのは、火薬と見ると黙っちゃいられない鉄十が作って打ち上げた花火の輝きでありました。
 大義に賭けた己の夢を見失い復讐という我欲に凝り固まってしまった天兵衛を倒し、間接的に清吉たちの夢を守った銀次郎ですが、さて彼の夢は――

 と、期待通り実に渋いストーリーだった今回ですが、やはり目を引くのは今回のゲストキャラ・天兵衛の存在。かつては大塩に心酔し、銀次郎らと同志の絆で結ばれながら、挫折して復讐のために江戸の町を炎で包もうとする彼は、一歩間違えれば銀次郎もそうなっていたかもしれない銀次郎のネガとも言える存在であり、今回は、銀次郎の自分自身との対決という側面があったと言えるのではないでしょうか。
 現実に目を閉ざしたのみならず、己の行くべき道から目を逸らして外道に踏み込み、いわば心の目を閉ざしてしまった天兵衛。銀次郎もまた一度は現実に絶望し、顔を焼く寸前までいったわけですが、しかし彼が正道に踏みとどまることができたのは、清吉の花火の輝きを天に見たからというドラマ設計は実にうまいと思いますし、そして再び花火に銀次郎が救われる(=二人の道が分かたれる)というのも、お見事と言うほかありません。
 ちなみにこの天兵衛を演じたのは小山力也氏。銀次郎役の山寺宏一氏との対決は、共に大人の男を演じさせたら業界屈指の名優同士の実に濃いぶつかり合いだったのですが、マニア的にはこの二人と言えば、本作と同じマッドハウス制作の時代劇アクション「獣兵衛忍風帖」「同 龍宝玉篇」でそれぞれ主人公の牙神獣兵衛を演じたのを思い起こさずにはいられないわけで――新旧牙神獣兵衛対決というシチュエーションには密かに燃えてしまいました。

 そして、シリアスなだけでなく、例によって例の如くのギャグとパロディのつるべ打ちももちろん健在。ミラクルボイスや海老車などという一体どの層を相手にしているのかわからなくなるようなオールドネタから、獣拳合体にカミナのアニキといった最新のネタ(というかセルフパロ)、果てはニコ動実況ネタなど、一瞬たりとも油断のできないテンションの高さは、これは本作独特のノリ…というよりやっぱり中島かずき節じゃないかなあと、新感線ファンとしては思います(個人的には天鳳がTVを飲み込んだ時の「果心居士かい」「手妻手妻」という会話が、ネタの濃さといい会話のテンポといい大好きでした)。
 そしても一つ、個人的にたまらなかったのは鉄十の大暴れで――さすがに中島脚本を演じることにかけては間違いなく本作では一番馴れている人が演じているだけのことはある、まさに水を得た魚のような暴走ぶりにはひっくり返って笑わせていただきました。「タヌキサイコー」な獣の拳もヒドかった(褒め言葉)ですが、個人的にはあの千葉ちゃん写しの息吹きを見ることができただけでもう…


 それはさておき、どうやら己の成すべきことに向き合おうとする姿が見えてきたような気がする銀さん。まだまだ迷いや悩みは多そうですが、人間、自分に夢がなくても人の夢を守ることだって立派なことだと思います。というかあと三話なんだから急いで戻らないと出番がなくなっちゃうって!
 銀さんのみならず、あとわずかな時間のうちに登場人物それぞれに何が待ち受けているか、そして物語そのものの行方は、と気になることばかりですが、おそらく残り三話、一気呵成に物語が展開することでしょう。…え、次回でおしまい!?(んなまさか)


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2007.09.09

「ガゴゼ」第三巻 彼は一体何者なのか

 室町妖怪暗黒伝奇「ガゴゼ」も早いものでもう三巻。力を失い配下を失い、ほとんど完全にただの幼児と化したガゴゼの行く末は相変わらず多難。そして彼を取り巻く者たちも、いずれも一筋縄では行かない連中ばかりで、状況はますます混沌の一途を辿っております。

 かつての配下である妖狼が捕らえた足利義嗣を食らわんとするも、まさにその時を待っていた式神・青龍の一撃に半身引きちぎられるガゴゼ。配下も、ある者は腹黒少年陰陽師・土御門有盛の式神に倒され、またある者はガゴゼを見限り、その場は何とか逃れたものの、まったくもって踏んだり蹴ったり、生きているのが不思議な状況です。

 そんな彼がたどり着いたのは、とある村。その住人たちに何やら不自然なほどの歓待を受けつつも、村の子供との触れ合いにひとときの安らぎを覚えるガゴゼですが、当然歓待にはウラがあって…

 そんなわけでまだまだ続くガゴゼの受難の旅ですが、今回は比較的人間サイドの物語が多かったせいか、地獄風味は薄めで、良くも悪くもマイルドな印象。クライマックスでは、無垢な子供を救うためにガゴゼが立ち上がり、ようやく主人公らしいところを見せてくれます(考えてみれば、登場以来ことあるごとに惨たらしく引き裂かれるばかりだったような…)

 しかし、この巻のハイライトは何と言ってもあの足利義満の過去シーン。今ではデギン・ザビみたいな妖怪入道が、かつてはガルマ・ザビチックな凛々しい若武者だったとは、色々な意味でショッキングでしたが、彼の変貌(外見ではなく内面の)に、魔物として健在であった頃のガゴゼが関わっていたとは…
 義満のガゴゼへの異常なまでの執着から考えれば、なるほど納得できるものではありますが、しかし、前の巻を読んだときにも感じた疑問――ガゴゼとは何者なのか?――が再び浮かんで参りました。

 正直なところ、現在はガゴゼが物理的なパワーという意味でもキャラ立ちという意味でもちょっと弱い上に、土御門有盛の存在感が強すぎて、物語の軸がはっきりしない面はあるのですが、ここは一つじっくりと腰を落ち着けて、ガゴゼの血腥い自分探しの旅を――そしてそれは思わぬ暗黒の歴史を掘り起こしそうな予感がありますが――楽しむとしましょうか。


「ガゴゼ」第三巻(アントンシク 幻冬舎バーズコミックス) Amazon

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2007.09.08

「モノノ怪」 第九話「鵺 後編」

 「モノノ怪」第四エピソード「鵺」前後編の今回は後編すなわち解決編。前回で提示された様々な謎が明かされ、「鵺」の正体が明かされることとなりますが――いやはや物語の全貌は、全くこちらが予想だにしなかった、意外なものでありました。観る者により姿を変えるモノノケ「鵺」のその正体は…(以下、ネタバレにつきご注意を)

 三人組が求める東大寺、それは欄奈待という、それを持つ者は天下人にすらなれるという名香(名前こそ異なりますが、ここで語られている内容はほぼ「蘭奢待」のもの。ここで欄奈待と呼んでいるのは、元々がやんごとなき向きのお宝だけに、実名を使うことを憚ったのではないでしょうか)。本来であれば東大寺正倉院にのみ存在するはずのこの名香が実はもう一つ存在し、笛小路家に伝えられていたというのです。
 かくて、その東大寺を賭けての組香・竹取の香を、今度は薬売りを香元として始めることとなりますが…どうも今回の薬売りはいつも以上に挙動が不審で、香の中に、毒を持つ夾竹桃――実際、キャンプなどで枝を串焼きの串や箸代わりに使って死人が出たケースもあります――を「うっかりうっかり(棒)」混ぜてしまったと言い出す波乱含みのスタートです(開始前に薬売りが背負い箱から何やら探している時の、箱の回りの散らかしっぷりが子供みたいでやたらとカワイイ)。

 それでも度胸を決めて組香に挑む三人組ですが――室町が手にした香は何も香らない。それもそのはず、それは香ではなくて襖の切れ端、血のたっぷり染みこんだ襖の切れ端。…って、一体何を!? と思えば、さらに薬売りは室町が実尊寺を殺したと言い出します。他の皆よりも早く来ていた室町は、イヤな京都人丸出しの実尊寺の度重なる嘲弄に怒って斬殺していたのでありました(にしても、生前の実尊寺は上半身裸に裃という、「海坊主」の乳首坊主に並ぶロックなコスチュームで吃驚)。と、秘密を暴かれた室町の前に現れたのは、彼の目にのみ映る、腐った泥田坊のようになった実尊寺。実尊寺は彼を襖の向こうに引きずり込んで…
 それでも続く組香、次の香(?)は、半井だけにのみわかる香り…髪の毛を焼いたときの匂いでありました。半井もまた秘密を持つ身――そう、瑠璃姫殺しの下手人は彼。源氏香が終わり、皆が中座した後で瑠璃姫に迫った半井は、全く自分を省みようとしない(婉曲的表現)彼女を激情に任せて殺していたのでした。
 そして半井は何故か自らも瑠璃姫と同様、血まみれになって消え、残るは大澤のみ。しかしその大澤も、夾竹桃に当たってしまい、パニックに陥った末に外に転がり落ちて首の骨を折って――そして誰もいなくなった。

 一体、今回の薬売りは何を考えてこんなブラックなことばかりしでかしたのか(夾竹桃のことも、なんちゃって、全部ウソと言い出しますし…)と、この辺りでかなり混乱したのですが、ここから急展開。一人になった薬売りは、瑠璃姫の遺骸に…いや、その傍らにあるモノに向かって語り始めます。これまでの組香は、三人に自分の人生が終わってしまったと、自分たちが既に死んでいたと自覚させるためのものだったと。すなわち、この屋敷には薬売り以外誰もいなくなったのではなく、最初から誰もいなかったと――
 今回のモノノケ「鵺」の正体は、見る場所によって姿の違うモノノケの正体は東大寺そのもの。全ては、自分が自分であるために(何せ興味がない者にとっては香木も単なる腐った木で…)自分の価値を認めてくれる者を必要とした東大寺の仕業。自分の噂を聞きつけてやって来る者を取り殺し、夜な夜な組香を――そしておそらくは今回のようにそれに伴って起きる事件をも――行わせていたと。

 なるほど、とここで思い至って感心したのは、前回の感想に書いた色彩の表現です。画面がほとんどモノトーンで支配される中、ただ薬売りのみが(あと庭の犬も)彩色され、三人組はモノトーンで描かれていたのは、彼らが既に生なき偽りの存在であったことの証。そして三人組が香を聞いた時にのみ、画面が彩色されたのは、単なる香りの強調の表現だけではなく、彼らが香の香りの中で生きている、生かされているということだったのでしょう。いやはや、恐れ入りました。
 また、前回の源氏香で薬売りの回答が「幻」だったのも、今にして思えば実に意味深です(さらに考えれば、場面転換の時に三人組がポン、と消えるのは演出ではなく、本当にああいう出入りをしていたのかも…)。
 何はともあれ、一気呵成に展開する物語に混乱したのも一瞬、見てみれば屋敷の庭は、無数の墓で――犠牲者の墓で――埋め尽くされていた、というシーンには鳥肌が立ちました。うむ、ホラーだ。実にホラーです。

 とはいえ、モノノケの形と真と理がわかってしまえば鵺も薬売りの敵ではありません。亡者と化した四人組が迫る中にも冷然と立ち、久々の「解き放つ」フルバージョンで変身した薬売りの一撃で東大寺は炎に包まれるのでありました。
 そして東大寺が炎に消えた瞬間、モノトーンだった世界が鮮やかに彩られ、魂が解放されたか、美しく変わった屋敷の庭には四人組を始め、香を楽しむ人々の姿が――が、それも一瞬、薬売りの「香、満ちたようでございます」の言葉とともに屋敷は荒れ果てた姿に変わり一件落着。薬売りとともに唯一屋敷の中で生ある存在だった小犬が、残り香を嗅いでイヤな顔でくしゃみをするという皮肉な幕切れで一巻の終わりとなるのでありました(閉まった襖のバックに、物が燃える音が被さる演出も実にうまい)。


 さて、終わってみればこの作品にしては珍しくかなりストレートに謎を解き明かして終わった印象のある今回のエピソード。前回の感想でも少し触れたのですが、個人的には捻くれた作品が(も)好きなせいか、最初は見ていてちょっと物足りなくも思ったのですが、最後まで見てみれば、終盤の一捻り二捻りも実にうまく効いた上にコミカルな要素、ホラーとしての要素もきれいに配分されていて、かなり面白いエピソードになっていたと思います。ある意味毎回毎回変化球で攻めてくる「モノノ怪」ですが、たまにはこういうストレート(に見せてもちろん相当クセはあるのですが)も良いですね。今回は珍しく「泣かせ」の要素がなかったことも、スッキリした後味につながっていると思います。

 しかしうるさいことを言えば、ちょっと画面のクオリティ的には不満もあったのは事実。退魔の剣の発動シーンは短いながらも札のアクションと組み合わせた実にケレンの効いたチャンバラアクションとなっていて実に満足したのですが、その前の変身シーンが「化猫」の時のバンクで…。いや、それは別にいいのですが、アスペクト比考えないで流用しているから画面がおかしなことになってしまったのはいただけない話であります。
 それ以外にも全般的に作画はちょっとマズい状況で、特に薬売りの顔つきがころころと変わってしまったのは、物語が面白かっただけに何とも残念であります(しかしそれでも薬売りは薬売り、としっかりわかるのは、いかにデザインとして薬売りが優れているかの現れ…というのは褒めすぎですかね)。
 もちろん、作品全体の面白さを損なうほどではなく、あくまでも贅沢なワガママ、ではありますが…


 さて、いよいよ来週からはラストエピソード「化猫」に突入。「怪 ayakashi」で放送された名作「化猫」と大胆にも同タイトルですが、何と舞台は地下鉄の中というのですから驚きます。地下鉄というからには時代は20世紀になるのかと思われますが(史実では日本初の旅客用の地下鉄は1927年開通)、さて薬売りはどのような姿で現れるのか。予告の映像を見た限りでは着物の色や小物等が、いままでと異なるようですが…(時代を超越して現れることについては、もう驚きません)
 そしてまた、地下鉄の客らしき人間たちの顔が、かつての「化猫」事件の関係者に瓜二つなのもまた気になるところ。彼らの子孫か転生か、はたまた他人の空似かはわかりませんが、大いに期待を煽ってくれます。
 見事に完結した「化猫」のエピソードを再び持ってくるからには、スタッフにも色々と考えがあるはず。はたして伝説再びとなるか――これは見逃せません。


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2007.09.07

「東京事件」第一巻 闇に浮かぶもう一つの昭和史

 「特撮エース」誌に連続掲載されながらも、同誌の休刊により闇に消えた形となっていた――それはそれで内容的に相応しいのかもしれませんが――「東京事件‐TOKYO CASE -」が、単行本となって帰ってきました。
 昭和四十年代の東京を舞台に、タイムトラベルによる不可能犯罪を企てる者たちに挑む歴史科学研究所の活躍を描く本作は、SFミステリとして楽しめるのはもちろんのこと、いかにも大塚英志原作らしい、昭和史・戦後史に対するある眼差しが感じられるのが面白いところです。

 この歴史科学研究所のメンバーは、過去の念写、未来予知、時間停止と、いずれも時間に関する特殊能力を持つ者ばかり。そして彼らを束ねるリーダー・浦島正木は、意識のみが未来と過去を往復する(≒未来と過去の記憶を持つ)時間失調症という、これまた特異な存在であります。
 こんな規格外れの連中の手にかかれば、事件など即刻解決、と言いたいところですが、彼らが相対するのは、これも規格外れの怪事件。既に死亡した爆弾魔が引き起こす爆弾テロ、二つの「もく星」号墜落事故、そして過去からやってきた男が引き起こした三億円強奪事件…いずれも時間を超えたこれらの怪事件は、同時に昭和の裏面史が生み出した落とし子とでも言うべき存在であり――そしてそこに浮かび上がるのは、あり得たかもしれない可能性の世界、もう一つの昭和の姿です。

 この、決して変えられぬ時間の進行、すなわち歴史を変えてみせる、変えようとすることにより――あたかも歴史改変により生じた歪みの如く――「現実(史実)」の背後に存在した「可能性の世界」を浮かび上がらせ、それによって逆説的に「現実」の姿を描き出すという手法は、(特に戦前を舞台とした一連の)大塚氏の偽史ものとほぼ共通のものであり、そしてこれが極めて伝奇的手法であることは言うまでもありません(更に言えばこの点こそが本作をここで取り上げる所以であります)。

 もっとも、ここで描かれる物語はどれも、冷静にみるとかなり無理がある展開ではあるのですが(第三話で三億円事件・光クラブ・三島切腹の三題噺をまとめてみせた豪腕ぶりにはただ唖然)、しかしそれでもなお、本書のこのスタイルと、何よりここで描き出される昭和の姿は、非常に魅力的に感じられます。

 なお、本作の、警察の手に負えぬ超常的怪事件に挑む民間の調査チームというスタイルは、SF特撮ドラマの名作「怪奇大作戦」を思い起こさせます(事実、掲載誌では、「怪奇」と対比・関連させるような形で掲載されていました)。
 しかしながら、「怪奇大作戦」がクリエーターにとっても視聴者にとってもリアルタイムの物語を描いたのに対し、本作は平成のクリエーターが作った昭和四十年代の物語を平成の読者読むという外部構造がまず存在します。この本作独特の構造が、タイムトラベルという背骨のアイディアとうまく融合して、全く似て非なる味わいを残していると、感じられます(「怪奇」が未来への畏れだったのに対し、こちらは過去への哀惜…というのはいささか感傷的に過ぎるかもしれませんが)。


 さて、冒頭に述べたとおり、掲載誌の休刊により途絶していた本作ですが、ようやく「少年エース」誌に場を移して、続く物語が描かれるとのこと。本作最大の謎であり、正木の時間失調症の原因でもある「東京事件」――ある意味全ての始まりでもある東京への原爆投下阻止が、今後どのように描かれるのか、大いに期待する次第です。


 ちなみに単行本ラストでは思わぬ人物が顔を見せ、「木島日記」とのリンクを示唆してくれるのには大受け(大塚氏お得意のマニア向けの撒き餌ではありますが、ここは素直に反応するのが礼儀でしょう)。そうかあ、こんなロクでもないこと考えるのは、やっぱりあの組織か…


「東京事件」第一巻(菅野博之&大塚英志 角川コミックス・エース) Amazon

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2007.09.06

「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」第三巻 尽きぬ恨みを哀しみを

 長大な物語も後半戦に突入したこの「沙門空海 唐の国にて鬼と宴す」。前の巻にて紐解かれた阿倍仲麻呂の手紙で語られた楊貴妃の「死」の奇怪な真相は、更なる事件と波乱を五十年後の世界に引き起こすこととなります。

 一連の怪事の背後に、玄宗皇帝と楊貴妃の悲劇があったことを知る空海と逸勢ですが、事態はすでに二人の想像を超えるところまで進行し、当代の皇帝が何者かの呪詛に倒れることとなります。その呪詛と対決するために宮中に招かれたのは、青龍寺の高僧・恵果。天竺より伝えられた密教の秘奥を唯一知る人物であり、空海がはるばる海を越えた、その目的と言うべき人物ですが、その恵果もまた、五十年前より、この事件との因縁を持っていたのでありました。
 一方、宮中で複雑な立場にあり身動きのとれぬ柳宗元の依頼で、本格的に事件の謎を追うこととなった空海と逸勢が知ったのは、長安の都の裏側、闇の世界で行われていた奇怪な呪術の存在。おぞましい魘魅、蠱毒の法の類を操る、遠く西域から来たったドゥルジ師なる妖術師こそが一連の怪事の中心であり、そして皇帝を呪詛する犯人であることを知る空海たちですが、そのドゥルジもまた、楊貴妃と因縁を持つ者――
 そしてまた、この事件にまつわるもう一通の手紙、かつて楊貴妃を見出し、そして楊貴妃をその手に掛けた宦官・高力士が阿倍仲麻呂に宛てた手紙を手にした空海、事件のさらなる深奥、楊貴妃の正体にまで関わる奇怪な物語を知ることとなります。

 このように終盤では夢枕長編ではお馴染みの長い長い過去篇も挿入され、いよいよクライマックスに向けた盛り上がりを見せる物語ですが(過去篇は、ある意味作者がノっていることの証でもあります)、起承転結で言えば「転」にあたるこの第三巻にまで来て、物語の主題であろうものが見えてきたかに思えます。
 それは、長きに渡る人の想い――それも、哀しみや恨みといったネガティヴなもの。終わらない哀しみというものが、尽きない恨みというものが存在するのか。それに関わった人々、そしてその想いを抱いた者自身が死に絶えた後も続く想いは存在するのか。
 そして存在するとすれば、それを終わらせることはできるのか。何よりも、空海に、いや仏教にその力はあるのか――

 空海は、仏法について、密について逸勢に対し説明する中でこう語ります。「哀しみすらも、永遠には続かぬ。それを知ることによって、人は、哀しみと共に立つことができるのだ」と。
 そしてまた、彼はこうも言うのです。「時々は、人の一生よりも、哀しみの方が長く続く場合がしばしばあるということだ……」と。

 その空海が、果たしてこの事件を、尽きぬ恨みを哀しみを、如何に解きほぐしてみせるのか。その場であり、手段こそが、タイトルともなっている「宴」なのでしょう。
 この巻では、遂に空海がこの宴を開くべく行動を始めます。果たして彼のいう宴はいかなるものなのか、そしてそこで何が起こるのか――そこで待つのが、哀しくも、全てを包み込むように暖かい結末であることを祈るばかりです。


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2007.09.05

「五瓶劇場 からくり灯篭」 物語作者としての自負と覚悟

 新本格ミステリの旗手・芦辺拓は、ミステリ執筆の一方で、大坂の文化人を主人公とする時代小説をこれまで何作か著しています。本作はその中でも、江戸後期の歌舞伎作者・並木五瓶を主人公として描いた作品を集めた短編集。伝奇的な趣向の中に、歌舞伎と小説との違いはあれ、物語を描くことを生業とする者の想いを描いた、ユニークな、そして読み応えある一冊となっています。

 収録されているのは、駆け出しの五瓶が大坂の街に夜毎現れる奇怪な役者行列と出会ったことから思いも寄らぬ伝奇絵巻の幕が開く「けいせい伝奇城」、若き日の五瓶が出会い舞台化した唐人殺しの事件と、ベテラン作家となった五瓶に自らを主役とした心中ものを書くよう迫る女の謎が絡み合う「五瓶力謎緘」、大坂を出て江戸に乗り込んだ五瓶が東西の文化の違いに呻吟しつつ、かの東洲斎写楽の正体に迫る「花都写楽貌」、そして物語の世界から現実界に侵攻する奇怪な邪神と五瓶をはじめとする江戸文化人の死闘を描く「戯場国邪神封陣」の全四編。
 五瓶が作家生活の中で出会った事件を、駆け出し時代から晩年まで彼の生涯に絡めつつ展開して見せたこれら収録作は、それぞれに伝奇ものとして、ミステリとして趣向を凝らしており、いずれも芦辺拓ならでは、芦辺拓にしか書けない作品として成立しています。

 そんな中で興味深いのは、この四作品に共通した作者の姿勢でしょう。
 物語の中で何度も、そして力強く語られるのは、歌舞伎作者・並木五瓶の「物語ること」「物語の作者であるということ」に対する強い自負と覚悟。彼の人生の様々な局面で現れるこの強烈な想いは、バラエティに富んだ各作品の中にあって変わらず貫かれている、ある意味本書の背骨とも言うべき部分であり――そして五瓶の姿を通して、五瓶の口を借りて、描かれるこの想いは、同時に作者自身のそれであることは言うまでもありません。
 そしてそれは、奇想に満ちた物語を生み出し伝えること、すなわち「伝奇」に対する熱い想いの発露であるとも言えるのではないかと思います。

 そんな本書の中で、伝奇ファン、ホラーファン的に最も印象的なのは、やはりラストに収められた「戯場国邪神封陣」でしょう。我が国で、いや世界でこれまでに描かれたクトゥルー神話作品の中でも、最も個性的かつ独創的な作品の一つである本作は、上に述べた「物語ること」から生まれる宇宙的恐怖を、時代伝奇の枠の中で余すところなく描き出しており、日本でなければ描かれ得なかったクトゥルー神話の名品として、記憶されるべき作品であると断言できます。

 もちろん上記以外の三作も、いずれも劣らぬ読み応えのある作品。そしてまた、歌舞伎ファン以外には正直なところ馴染みの薄い並木五瓶の名が、これを機に少しでも多くの方の心に残るようになれば、これほど素晴らしいことはないかと思います。


「五瓶劇場 からくり灯篭」(芦辺拓 原書房) Amazon

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2007.09.04

今週の「Y十M 柳生忍法帖」 沢庵ご乱心?

 さてさて芦名銅伯の思わぬ飛び道具・幻法夢山彦で天海僧正を人質に取られた格好になった沢庵和尚、遂に苦渋のうちに敗北宣言をしますが、銅伯はなお嵩にかかって沢庵を苦しめます。果たして沢庵に逆転の秘策はありや?

 自分自ら般若侠を連れてこようと言う沢庵の提案を一言で退けた銅伯はおとねさんを使者に立てるよう命令。自分が有利に立ったからといって些かも油断せず、追求の手を緩めない銅伯はえらく憎たらしいですが、確かにこれは正しい判断ではあります。しかしおとねさんがにせきちがいである根拠として、「狂女の気絶なぞ初めて見たわ」などと宣う虹七郎ですが、きちがいは気絶しないのか…正直眉唾ものですが、この人たちが言うとイヤな説得力があります。

 それはさておき、さらに憎々しげに沢庵をいたぶる銅伯は、般若面のみならず堀の女たちまで差し出すよう命じます。会津のほりにょが五人になっていることまで見抜いた銅伯、その慧眼には恐れ入りますが(猪苗代湖での戦いの様子から生き残った人数を割り出した?)、「だまれ! そちらの言い分は聞かぬ。ただ当方の言い分を通すのみ!」という大悪党ぶりにはハラワタ煮えくりかえります。前回もそうでしたが、本当にせがわ先生の手になる銅伯は、実に一つ一つの表情が憎々しげでよろしい。

 そしてなんかもうヨレヨレになって連行される沢庵とおとね。銀四郎に抱きかかえられたおとねさんが、銀四郎に報復のフランケンシュタイナー(未遂)――いやこの場合は逆女人袈裟と評すべき乎――を仕掛けるという一幕はありましたが、なるほど、女人袈裟はやはり鷲ノ巣廉助なみの肉体あってこそなのだな…と変なところで感心してしまいました。いや、バランサーとしてお鳥さんの存在が大事ということか…(色んな意味で失礼です)
 しかし原作のように直接的にセクハラを仕掛けたわけではないのに、漫画では一方的に攻撃された銀四郎ナサケナス

 その後も続くおとねさんの快進撃。「火が燃える」とか「空が落ちる」とか(言ってねえ)わけのわからないことを歌いながら、胸をはだけた上に何だか不思議な角度に腕を曲げた何とも曰く言い難いスタイルで暴れ回ります。日常生活で出会ってしまったら、まず間違いなく目を合わせないようにしてしまいそうなおとねさんの痴…いや狂態、気違い真似して気が触れた(クレクレタコラ)というわけではないでしょうが、何だかもの凄い痛ましさです。

 しかし本当にマズい様子なのは沢庵和尚。何だかもの凄い勢いでヨレヨレになってしまったその姿に、お世話係も心配になるほどで…銅伯はこれもどうせフェイクだろうと、極めてまっとうな判断をしますが――
 が、沢庵和尚、ついに食事を運んできた小姓から刀を奪うという暴挙に出ます。もちろんいくら刀を持ったとて、剣禅一如の極意に達しているとて、所詮は老人、その気になれば取り押さえるのはたやすく思えますが、しかし何かの拍子に「つかう」→「つるぎ」→「セルフ」でもされたら大事ではあります。

 なるほど、人質作戦は、考えてみれば人質に脅される相手がいてこそ成り立つもの。ここで沢庵に万一のことがあれば、人質作戦は水泡に帰すとまではいかないものの、かなり後退することになりますし、以前にも触れられていたかと思いますが、城内で将軍家の師僧が変死(殺すな)などということになれば、これは加藤家にとってはかなり洒落にならない状況になります。

 絶体絶命の窮地に、こういう切り返しがあったか――と思わず感心しましたが、しかしやはりこれはどう考えても窮余の一策。時間稼ぎにはなっても状況は好転することはないのでは、いやそれ以前に私の買いかぶり過ぎだったらどうしよう、と心配しつつ、次号に続きます。

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2007.09.03

「大江戸ロケット」 廿二発目「たった一夜の夢だった」

 残り五回、奇士神曲の話数と同じだけしかないのに(関係ない)前回に負けず劣らず大脱線だった今回の「大江戸ロケット」。一言で表すと「ショタコン獣欲地獄」といったところでしょうか…(検索で期待してきちゃった方ごめんなさい)。今回は駿平が主役回、やっぱり色々と割り切れないと悩んできた駿平が、思わぬ女難大騒動の中でやっと一つ割り切れるお話です。

 ようつべに盗撮画像が晒される(思わず海賊版撲滅キャンペーン)くらい復活して出番ができた源蔵さんという人の計算で、致命的に人手不足なことが判明したロケット開発。猫の手も借りたい…というわけでもないでしょうが、ご隠居はいつぞやの機械でなんと野良猫を大量に人間化して労働力にするというとんでもない裏技に出ますが、駿平は動物が人間になるなんて割り切れないとばかりにご隠居の元に向かいますが…そこでとある薬瓶を倒してしまったのが災いの始まり。実は惚れ薬だったその液体を目一杯吸い込んでしまったために、レギュラー陣を含めて江戸中の女性が額に「恋」マークを浮かべて、駿平萌えになって大変なことに…
 と、以下のネタは箇条書きで

○惚れ薬にはその人間の深層心理でも刺激する効果があるのか、それぞれにマニアックな方向に萌えまくるレギュラー陣。お伊勢さんは弟萌え…ってあなたの声で弟萌は色々な意味で危険です。腐女子も大喜び

○天鳳は眼鏡萌えに…また江戸時代では希少価値のありそうな趣味ですな。しかしアキラってあんたフィンガー5か! さすが昭和四十七年頃の特撮番組みたいな名前をしている人は違います。

○さらにマニアックな方向で迫るおりく。半ズボン…じゃなくてすっごく短い猿股萌えとは全くもって難儀すぎる。想いを寄せる相手の弟に…というちょっとドキドキもののシチュエーション台無し。

○さて異変の原因に気付いたおぬいは、正体に気付いていたおソラの励ましもあって、本当の姿である犬の姿に戻り、その嗅覚を利用してご隠居を捜すことになりますが――江戸の町中は危険がいっぱい。たとえば…

○いきなり鉄十が「アイシー!」とか言って抱きついてきたりな。にしてもアイシーって…アイシーは…アイシーは回路の代わりになって、もう…くっ、人の子供の頃の悲しい記憶を思い出させやがって。大体アイシーはチャウチャウだ…ってこれは鉄十も言ってました。しかし鉄十は相変わらずの完全に出オチキャラですが、先日観てきた舞台でも中の人は出オチキャラだったのでこれでよしとします。

○一方、惚れ薬の効果は洒落にならない域にまで達し、江戸中の女性がほとんどリビングデッドという何だか「屍美女軍団」みたいな状態に(わからんわからん)。石川島も萌える女性軍団に蹂躙され、もうヨレヨレになった駿平は複葉機で…って劇場版か!

○そしていままで何ごともなかったおソラにもついに薬の効果が…って額に浮かんだのは「濃」の一文字、まるで模型雑誌に連載経験のあるミリタリーモデルマニアの脚本家みたいな勢いで蘊蓄を語りだします。

○ようやく解毒薬を持って駆けつけたおぬいですが、既に射場は崩壊、折悪しく(良く?)一糸まとわぬの人間の姿に戻ってしまったおぬいは、口移しで駿平に解毒薬を飲ませて…おお、何だか深夜アニメみたいな展開。

○そんなこんなで台風一過、おぬいの正体に気付きつつも何だか吹っ切れた様子の駿平。おソラへの想いも割り切ったようで、まずはめでたしめでたしと言ったところでしょうか。やーい獣萌え兄弟。…あ、いや、異類婚姻譚は美しい日本の伝統ですよ?


 というわけで、何だか観ているこっちが悪夢のようだった(褒めてます)今回ですが、無闇に作画レベルも高く、特に女性陣の笑顔がやたらと可愛らしく、理屈抜きで楽しく観ることができました。本筋以外では、夫婦漫才、いや漫才抜きの夫婦のようだとお伊勢さんに言わしめた清吉おソラの掛け合いが楽しく、実に微笑ましい気分になったことです(割り切る前の駿平にとっては針のむしろだろうけどなー)。


 さて次回は中島かずきさん出陣! 残り四話、奇士神曲の残り話数と同じだけしかないのに(しつこい)ゲストエピソードとは大丈夫なのかとちょっとだけ心配になりますが、銀さんが主役ということで色々と期待は高まります。果たして銀さん戦線(何の?)復帰となりますか、男泣きなエピソードになることを楽しみにしたいと思います。


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2007.09.02

「シグルイ」第九巻 区切りの地獄絵図

 アニメの方も大暴走好調らしい「シグルイ」も、遂にあと一冊で二桁を数えるところまで来ました。連載第一話を読んだ時には、まさかここまでこの藤木と伊良子の物語が続くとは思いませんでしたが、さて、ここで迎えるのは、伊良子の失明、虎眼の死に並ぶ大きな物語上の区切り。第一話の時点から、この時が来るのはもちろんわかっていましたが、しかしまさかその後に、あんな地獄絵図が待っていようとは…

 前巻ラストの一瞬の交錯の後、地に伏したのは伊良子の方ながら、止めを刺すべく太刀を振り上げたところに――地に落ちた藤木の腕。という衝撃的なシーンから始まるこの第九巻。もちろん藤木は不屈の人、「残った右がやけに熱いぜ!」とは言いませんが(若先生が激怒しそうなネタ)、闘志は衰えず決闘を続けようとするも、五体の平衡を失ってダウンする姿は、平田弘史先生もかくやの異常なまでに情念の籠もった表情も相まって実に衝撃的です(かつて仕置きを受けた伊良子の如く、精神状態が麻酔の役割を果たして傷の痛みは凌駕しながらも、その極限まで鍛えた体術が逆に仇となって倒れるという皮肉な展開が見事)。

 正直、ここで終わっても十分にインパクトはありましたが、必勝を期した師範代、自らの弟分の敗北に、牛股が牛鬼モードに化しての暴れっぷりに比べればそれも霞みます。
 あの異形の大木刀・かじきを二刀に構え、(木刀で人体を)斬る、(地に伏した屍体を)砕く、(屍体の臓物を)捲き散らす!
 いやはや、本作の残酷ぶりには慣れたつもりでしたが、そんな思いを軽々と粉砕する牛鬼の猛威。藤木の腕が、この作品の正気をぎりぎりのところで繋ぎ止めていたとでも言わんばかりのゴアゴアシーンです。

 まったく、これが白黒二色の漫画であることを感謝したくなるほどですが――しかし、これが単なる血に狂っての行為でないことは、勘の良い方であればわかるはず。牛股の逆流れ対策については、これはもう原作朗読CDなどでも知っている方が多いと思いますが、それをこのような形でアレンジしてしまうとは、これは一本取られました。

 そんな素晴らしい原作粉砕を行う一方で、この巻のラストのエピソードでは、原作「駿河城御前試合」の第三番「峰打ち不殺」の主人公・月岡雪之介を登場させるという嬉しいサプライズもあり、まったく油断できません。役柄は、本作オリジナルですが、しっかり峰打ちの秘剣まで見せてくれるのがたまりません(が、月岡本人のデザインはちょっと適当っぽく…)

 その他にも牛股の戦慄の過去なども語られ、枝葉の部分も多かった――もちろんその繁りようはこの上なく見事ですが――ためか、実は「チャンピオンRED」誌最新号でもまだ決着のついていないこの死闘。果たしてどのように結末を描くのか、そして藤木の再起の日はいつか(それ以前に早く臓物の下から救出してあげて!)。いよいよ大台となる次の巻が今から待ち遠しいことです。


「シグルイ」第九巻(山口貴由&南條範夫 秋田書店チャンピオンREDコミックス) Amazon

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2007.09.01

「モノノ怪」 第八話「鵺 前編」

 気がつけば既に外で咲いている花はナツノハナから秋の花に移りつつありますが、「モノノ怪」の方ももう残すところは二エピソードとなっています。その一つ「鵺」の前編が今回、さる公家の姫君の婿取りを巡り、モノノケによる惨劇が…起こるのですが、メインとなるのは聞香勝負、何故かそこに薬売りも加わって、えらく混沌とした様相を呈するのでした。

 京は聞香の名門・笛小路家の娘である瑠璃姫の婿を決めるために開かれる聞香。婿候補は四人――公家の大澤、商人の半井、侍の室町、あと一人は薬売り…「どうも」っておい(平然とその場に座っている薬売りに爆笑)。
 もちろん四人目は別にいたのですが、集合時間に現れないため失格、そこで勝手についてきてしまった薬売りが参加して、聞香勝負――組香が始まります。
 ここで行われる組香、源氏香は、物語中でも説明されましたが、香を五種×五包=二十五包用意してそのうちの五方を焚き、その内容を当てるというもの。その組み合わせは全部で五十二種類、その内容を、五本の縦線(作中では札)と、同じ香を意味する横線の組み合わせで表した図で示すことになります。何だか説明を聞くだけでも非常にややこしいルールですが、ここで口元にふんにゃかした微笑を浮かべて札をためつすがめつしている薬売りが異常に可愛くて…何だかもうどういうルールでもいいやという気分になります。

 さて一勝負終わって退席した一同。いかにも胡散臭く姿を消した三人組は、それぞれに「東大寺」なるものを探しているようですが――それぞれ収穫なく部屋に戻ってくればそこには薬売りが机の上にという、いきなりの衝撃映像。本当に薬売りは高いところ好きだなあ、と一瞬感心しましたが、ここでは床一面にお馴染みのモノノケレーダーたる天秤を放っていたためのようですが、しかしその肝腎の天秤が迷っているとのこと。そして隣の間への襖を開いてみれば、今度こそ本当の衝撃映像、行方不明となっていた四人目の男・実尊寺が部屋の天井から床までを血に染めた猛烈な惨死体となって転がっていたのでありました(この人、アバンタイトルで殺されていたのですがこれがまた一見の価値ありのもの凄いポップな惨殺されっぷり)。
 さらに瑠璃姫はと見てみれば、これまた首筋を刺されて壮絶死。何だかわからないうちに二人の人間が、しかもその一人は今回の中心人物とも言うべき(微妙に蛇っぽい)姫様が殺されて一同ボーゼン…かと思いきや、「東大寺」を求めて我先にと走り出す三人組に、さすがの薬売りもボーゼン。「待てーっ」と珍しく声を荒げたのがさらに笑いを誘います。

 さてその「東大寺」を何としても手に入れようとする三人組、姫に仕える老婆が目が悪いのをいいことに、姫の死を隠して祝言をあげ、とりあえず「東大寺」を手に入れてしまおうと目論みます。そのためにもう一度行う組香の香元を薬売りが務めることになって――というところで前編おわり。


 前回の捻った演出・構成に比べると極めてストレートな展開だった今回、特に前半は組香で終わってしまって、色々と身構えてみていたこちらとしてはちょっと拍子抜けしてしまったのですが、素直な目で見返して、今回もやっぱりなかなか面白い回でした。
 特に、薬売りの微妙にすっぽ抜けた存在感が実に楽しく、欲の亡者のような――しかしそれでいて演出はコミカルなのですが――三人組の求婚者とよい対比となっていたかと思います。…というか、そんなことを抜きにしても今回の薬売り回りの演出は面白すぎたのですが。

 そしてまた、印象に残ったのは作中のビジュアル構成。モノクロの世界に、薬売りと一部のアイテムのみがカラーで示されるという不思議なスタイルなのですが、これが組香シーンで、香を聞いた瞬間にパッと周囲がカラーとなる演出が実に印象的でした。今回の中心となるのは「香」ではありますが、どうやっても直に伝えようのないその「香り」というものを伝えるに、この手で来たか、と大いに感心した次第です。でも馬糞はないよな。

 さて――しかし今回は事件が起こるばかりでその真相は未だ藪の中であります。。タイトルとなっている「鵺」は、鳴き声しか現れませんでしたが(これはモノノケではなく鳥のトラツグミの鳴き声ですが――鵺の鳴く夜は恐ろしい)この鵺は、頭は猿、胴は狸、手足は虎、尾は蛇という怪物で、源頼政に討たれたという伝説がある代物。転じて、正体不明の人物やあいまいな態度をも指す言葉にもなりましたが、まさに現状は鵺的状況とでも言ったところでしょうか。
 その謎を解く手がかりとなるのが、三人組が探し回り、ラストで薬売りが正体を問い質した「東大寺」なのでしょうが――やはり香絡みで「東大寺」と言えば、やはり真っ先に思いつくのは正倉院の寺宝・蘭奢待。その名の中に「東大寺」の三文字を隠すこの秘木は、実は先に触れた源頼政が鵺を退治た際に褒賞として与えられたという繋がりがあったりして…
 いずれにせよ、石碑(?)に掛けられた上着、庭をうろつく青い犬、室町が目撃した不思議な幼女と意味深なアイテム・キャラクターも様々に存在しており、ここは一つ頭を空っぽにして、次回を楽しむこととしましょう。


 ちなみに、今回よりOPのヴィジュアルが一部新変更。大筋は変わりませんが、タイトル画面でこちらに振り向く薬売り、現代風の服装で猫を追う少女、ラストに影絵のように現れる薬売りなど、随所に新カットが挿入されていて印象に残ります。特にラストの薬売りが格好良くてねえ…


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