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2007.10.31

今週の「Y十M 柳生忍法帖」 ついに面割れて…!?

 前回のテンションそのままで展開した今週の「Y十M 柳生忍法帖」。ストーリー展開はもちろんのこと、絵の方も力の入った、クオリティの高い内容で、ファン冥利につきます。

 前回、あまりに無茶苦茶な(格好いい)ことを言い出す般若侠に、問答無用とばかりに鉄砲を向けた芦名衆ですが、これに抗するに般若侠がとったのは、沢庵和尚人質作戦。
 なるほど、あの銅伯ですら沢庵を精神的にいたぶるばかりで、直接的に手を下さなかったのは、それをもって将軍家に睨まれるのを避けるためでありました。
 前回、徳川家など潰れて結構と言っておきながら(いや言ったからこそ?)徳川家の権威を利用する十兵衛、さすが実戦派の剣士です。

 さらに続く十兵衛の精神攻撃。今度は虹七郎&銀四郎に対して、「銅伯はお前たちと立ち会えっていうけど、お前たちを斬るのは簡単なんだがそんなことしたらほりにょに怒られちゃうし困ったなあ。まあ勝ったら和尚と一緒に帰るからな(意訳)」と、お前らではまったく俺の相手になりませんよアピールです。
 この手の挑発は、腕に覚えがある奴には効果覿面ではありますが…
 が、ここでキレやすい若者を抑えて先に出たのは虹七郎。今日も花をくわえながらもしかし、「立ち合いたければおれの後でやれ」と、自分でも般若侠に勝てるかどうかわからないと分析している辺り、顔の割りにはずいぶんと冷静であります。

 それでも余裕の態度を崩さない般若侠は、ようやく編笠を取ったと思えば、今度はのんびり般若面を装着(これ、前回啖呵を切った時に顔の表情を見せるためという演出上の都合で面を付けていなかったと思いますが、それが今回うまく二本槍を煽るための行動としてつながってますね)。さらに編笠の中の七郎を解き放とうとしますが――いや、これはさすがに不自然なムーブでした。
 ほとんど縮地の法並みの勢いで超ダッシュしてきた虹七郎には面を割られ、七郎は銀四郎の小束で落とされ…そして面の下の素顔を見た虹七郎たちの反応は――というところで来週に続く。


 あと二ページ、いや一ページあれば! という気持ちになってしまうラストでしたが、しかしこの辺りの一瞬の攻防を描いたせがわ先生の筆は冴えに冴えて迫力満点。静と動を使い分けた画のタッチはやはり実にいい。

 しかし文字通り面が割れたのもさることながら、七郎が落とされたのは地味にダメージ。自分たちの状況を外に知らせる手段が絶たれたことが、さてこの後どう響くことでしょうか。「やられたなあ・・七郎」という台詞が、さりげにダブルミーニング的に使われているのも面白いところです。


 それにしても次回、面の下から現れた十兵衛の貌はどんな表情を浮かべていることでしょうか。来週も読むことができるのは誠に嬉しい限りです。

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2007.10.30

今日の小ネタ 正月時代劇とかいろいろ

 しばらくやっていなかったここのところの小ネタですよ。
松本潤と長澤まさみで黒澤映画「隠し砦の三悪人」リメイク!
 黒沢リメイク? 今頃どうでも…よくない! 脚色は中島かずきさんではないですか!(監督が樋口真嗣というのはちょっと不安ですが)
 何といっても主役コンビが農民から山の民に変更になったのが気になります。まつろわぬ民キタコレ! これだけに俄然見る気になってきました。
(そういえば新感線で「隠し砦」ネタだと「レッツゴー!忍法帖」だけどあれはかずきさん脚本ではないのよね)


<あんみつ姫>井上真央主演の新春ドラマで復活 “しょこたん”ら豪華キャストで
 お正月といえば何と言っても私的な楽しみは時代劇なわけですが、なんと「あんみつ姫」が復活。正月から観る分には賑やかでいいではないですか。しょこたんも出るしな(「ギザ」とか言ったら殺意を抱くと思いますが)。
 ちなみに以前飲み会で、いま「あんみつ姫」をリメイクするとしたらって話題になった時、候補に挙がったのはベッキーでした…いや、開き直って似合うと思いますよ。


タッキー TV初“女形”魅せる!
 そしてこちらもお正月時代劇。滝沢秀明演じるところの「雪之丞変化」です。ジャニーズなんで記事に写真載ってないけどな…まあ、無難にこなしてくれるのではないかなあと思います。原作も、今読むとさすがに大時代な感じではありますが、その辺りうまいことアレンジして、若いおなごを引っかけて欲しいと思います。
 しかし個人的に「雪之丞変化」というと、どうしても闇太郎の異常なまでの雪之丞への執心が思い出されて…


たっぷり楽しむ お正月時代劇 新キャストで蘇る名作
 も一つお正月時代劇といえば、忘れちゃいけないテレビ東京の新春ワイド時代劇。来年は柴錬原作の「徳川風雲録」ですよ! 原作は現在集英社文庫から出ている「徳川太平記」で、以前も「徳川風雲録 御三家の野望」ってタイトルで同じ枠でドラマ化…されたと言っていいのかしら?(南原幹雄の「御三家の犬たち」とたしか合体ドラマ化だったような。すごい話だなあ)
 柴錬作品はこういう大舞台に映えるのでもっと映像化してほしいですね(そうでもないと忘れられちゃう…)


映像作品はここまで。以降いろいろ。
サムライスピリッツ閃 ロケテこちらこちら
 前作で完結…しなくてよかった剣劇格闘ゲーム「サムライスピリッツ」の最新作は、なんと実に久しぶりの3D化。以前の3D化はいろいろとナニでしたが(「アスラ斬魔伝」はストーリーは好きだったんだけどな。あとタイトル)、今回はどうやらかなり頑張っている様子。キャラクターも半分近くが新キャラ、ストーリーもちゃんとあるようで、サムスピの作品世界が好きな人間的にはかなり期待してもよさそうです。ゲーム的には…サムスピで浮かせコンボは勘弁だなあ。
 まあ、毎度のことながらキャラクターにはいろいろとツッコミ入れたくなりますけどね…何だかサムスピっていうよりワールドヒーローズみたいとか、サムスピで女剣士で鈴っていったら鈴音だろ! とか、3Dで十文字槍だったら花ちゃんだろ! とか。ちなみにキム・カッファンさんのご先祖らしき人もいますが、この時代はまだテコンドーなかったんですが、どうするんでしょう。…妖術?


そして朝鮮妖術といえばこのネタ(無理矢理)
「柳生大戦争」の装幀を担当された方のブログ
 すでにあちらこちらで紹介されてしまったので今更ではありますが、一般人の方が荒山作品(それもよりによって「柳生大戦争」)に触れた際の印象がビビッドに伝わってきます。俺たちはこういう感覚を忘れてはいけないのではないか…


 そんなところで今日の小ねたおしまい。

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2007.10.29

「公家侍秘録」第六巻 冴える題材チョイスの妙

 公家侍の活躍を通して江戸時代の京を活写する高瀬理恵先生の「公家侍秘録」の最新第六巻が発売されました。不定期連載ということもあって、前の巻からほぼ二年ぶりの登場ではありますが、その味わいに富んだ内容は相変わらずで、読者としても違和感を感じることなく、作品世界を楽しむことができました。

 本作の最大の魅力は、何と言っても確かな考証に基づいた、そして普段ではなかなか触れることのできない江戸時代の、京の文化の姿でありますが、言うまでもなくこの巻においてもそれは健在であります。巻末の描きおろし掌編を含めて全七編それぞれに、以下のように実に興味深い題材が選ばれております。

「贅沢の味」…京野菜と下肥集め
「ふつつか者の功名」…公家の茶会
「糺の森の…」…商家の受領名
「虫籠と虫めづる姫君」…虫籠作り
「秋の金魚」…金魚作り
「百間屋敷の決闘」…本願寺の寺侍の存在
「薫子、ツキに恵まれるの巻」…公家の正月行事

 この中でも特にユニークなのは、巻頭に収められた「贅沢の味」でしょうか。あくどいやり方で儲ける料亭を舞台にした物語ですが、ここに登場する下肥集めは、モノがモノだけに、小説はともかく時代劇などではなかなか扱われない題材(あまり詳しくないので偉そうなことは言えませんが、「大江戸ロケット」の第十一話などかなり珍しい部類なのではないでしょうか)。それを一見雅やかな京の公家の世界と絡めてくるとは、あまりにも意外ですが、この辺りの題材チョイスの妙はさすがだと思います。
 ちなみに、この作品では、農家と、役人を抱き込んだ料亭との間で、下肥集めの代金や権限を巡って争いが起こるのですが、江戸時代では実際にしばしば起こった争いのようですね。

 さて、その一方で、これは個人的な印象ですが、この巻のエピソードはどれもちょっと――本当にちょっとだけ――質量ともに軽いところがあったかな、という気がいたします。「守役」に関するエピソードがほとんどないこともありますが、少しドラマ的にあっさりめの味わいのような気がして、それだけが少々気になったところではあります。
 もちろん、これはあくまでも個人の嗜好の範囲内、作品の全体的な面白さは、これまでと変わることはありませんのでご安心を。次の巻ももちろんのこと、スピンオフの表具師シリーズの単行本化も楽しみにしたいと思います。


「公家侍秘録」第六巻(高瀬理恵 ビッグコミックス) Amazon

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2007.10.28

「BRAVE10」第二巻 信頼という名の原動力

 来月ドラマCDの発売も予定されている新感覚十勇士伝「BRAVE10」の第二巻が発売されています。第一巻では服部半蔵の圧倒的な力の前に才蔵が屈したところまででしたが、この第二巻では、才蔵の再起と、伊佐那海の秘めたる力の謎を追う新たな冒険が描かれます。

 一度は心が折れながらも、佐助の厳しくも暖かい叱咤と信頼の念によって立ち上がった才蔵に、幸村が与えた新たな指令は、伊佐那海共に出雲に向い、彼女が徳川に狙われる、その理由を探ること。
 かくて主人公カップル&堅物の銃使い・筧十蔵という変則チームは、一路出雲を目指しますが、もちろん(?)平穏無事な旅ができるはずもなく、三人に迫る黒い影。
 「風」を自在に操る美貌の野盗にして、性格は血に飢えたドSの殺人鬼――その名も由利鎌之介が、三人の前に立ちふさがります。

 かくて伊佐那海を人質に取られた才蔵が如何に戦うか、それがこの巻のメインエピソードとなるわけですが、ここで才蔵が戦うことになるのは、鎌之介よりも、むしろ自分自身というのが面白い。
 ここで才蔵の過去に目を向ければ、伊佐那海に出会い、真田の食客となる前の彼は、非情に徹した暗殺者。誰をも信じず、誰にも信じられず、ただひたすら、暗殺の刃を振るうかつての彼の姿は、なるほど忍びとしては正しいものかもしれません。
 そんな彼にとって、伊佐那海や真田の勇士たちの存在は、重荷でしかないはず。しかし、一度は半蔵に完敗した彼を立ち上がらせ、そして伊佐那海を救うための原動力になったのは、その重荷――いや、「仲間」から寄せられる信頼の想いであったというのは、ベタではありますが、しかしやはり良いものは良い。

 絵柄といい、キャラクター造形といい、作品全体のトーンはあくまでもクールでカッコ良さ第一といった感のある本作ですが、そこにフッと、こういう骨っぽいところが出てくるところが、私が本作を気に入っている所以であります。

 もっとも、一つだけ文句をつければ、鎌之介のキャラクターが、いかにもよくあるキレてる奴の類型を出ていない上に、非常に不快な点(女の子の顔や腹を平気で殴るのはさすがに引く)ですが…仲間になるのは間違いないはずですが、さてその時こいつがどのように描かれることか。そこでこのキャラを掘り下げてきたら凄いんですが…


 さて、気づけば(まだ仲間になっていませんが)鎌之介の登場で十勇士もはや七人目。家康と並んで真田の強敵となるであろう大物(眼帯マニア…は別の漫画だ)も登場し、いよいよ物語は佳境に入った感があります。
 残りの勇士に、そしてこれからの冒険に期待しつつ――


「BRAVE10」第二巻(霜月かいり メディアファクトリーMFコミックス) Amazon

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2007.10.27

「密封 <奥右筆秘帳>」 二人の主人公が挑む闇

 田沼意次の孫・意明の死による家督相続願いをきっかけに、十二年前の田沼意知刃傷事件に関心を抱いた奥右筆組頭・立花併右衛門は、帰路に何者かの襲撃を受ける。併右衛門の隣家の次男で涼天覚清流の遣い手・柊衛悟は、護衛を引き受けることとなるが、彼らの前に、御前なる謎の存在が出現。その誘いの手を跳ねつけた併右衛門と衛悟だが、それは幕政を巡る暗闘の渦に巻き込まれることを意味していた…

 決して多作ではありませんが、著作にほとんど外れなしという驚異の高打率ぶりに、個人的に大いに注目しているのが上田秀人先生。その上田先生が、講談社文庫に初お目見えということで、大いに期待していた本作「密封 奥右筆秘帳」ですが、これがまた期待通りの作品。歴史の陰に隠された権力闘争の闇に、若き剣士と老練の奥右筆が挑みます。

 上田作品と言えば、一見些細なしかし奇妙な史実をきっかけに、その背後に隠された伝奇的大事件の謎に挑むこととなった剣士が、幕政の闇に潜む権力の魔と対決するというのが定番パターンですが、それは本作でも健在。
 もちろん、パターンとは言っても、そこに秘められた伝奇的アイディア、そして物語を彩る迫真の剣戟描写は作品ごとにオリジナリティ溢れるものであって、それが上田作品の魅力でもありますが、本作においては、それに加えてキャラクター配置に更なる工夫が見られます。

 それが、第二の主人公と言うべき併右衛門の存在。
 正義感の強い若き剣士という衛悟の人物造形自体は、上田作品の主人公にほぼ共通したものでありますが、本作ではそれに加えて、併右衛門という、人間としても幕府の役人としても成熟した人物を配置することで、物語に深みを増すことに成功しています。

 これまでの上田作品においても、まだ成長途上の主人公を見守り、導くという立ち位置の人物はほとんど毎回存在してはいたのですが、それがいわば後見という立場であったのに対し、本作の併右衛門は、より事件の中心に近いところにいる――というより物語の発端を作った――人物。
 年齢も立場も、性格も思想も異なるこの二人の人物を一つの事件に立ち向かわせることにより二つの軸が生まれ、物語のよい刺激になっていると言えるでしょう。

 さらに感心させられるのは、併右衛門が奥右筆組頭という地位に設定されている点です。
 奥右筆というのは、幕府のあらゆる公文書の管理・作成、さらには内容の確認・審査を行う役職ですが、一種の官僚制であった徳川幕府において、その重要性というのは想像に難くない話。実際、老中の御用部屋に直接出入りして、所見を述べることもできる立場であって、その組頭ともなれば、現代で例えれば中央官庁のノンキャリ組のトップクラスといったところでしょうか。

 つまり、その気になれば幕府の秘事にアクセスし得る立場にある一方で、身分としてはさほど高くない(=権力者の思惑に容易に振り回されてしまう)わけで、これは時代伝奇もの――特に上田作品のようなスタイルの――としては実においしい存在であります。
 主人公の一人に、この奥右筆を持ってきた時点で、本作の成功はほぼ決まっていた…というのは言い過ぎでしょうが、その着眼点の見事さには舌を巻きました。

 もっとも、この二人の立場の違いが、読んでいて何ともすっきりしないものを残す部分もあるのもまた事実。あらかじめシリーズ化を前提としているらしく、本作だけでスパッと話が完結しているわけではない点が、またそのモヤモヤに拍車を掛けています。
 しかしこの辺りはもちろん作者の計算の上のことなのでしょう。挑む相手は同じでも必ずしも同心しているとは言い難い二人が、互いの立場を乗り越えて手を取り合う、バディものとしての要素も期待できるのではないかと、感じている次第です。

 しかし二人の立ち向かう権力の闇は想像以上に巨大(何せ、自分の上司や庇護者も信頼できないのが上田作品だからして…)。更にラストでは、全く予想もしていなかった方角からの勢力が出現、まだまだ二人の前途は多難のようです。
 この先二人が如何なる秘事、難局に挑むことになるのか――一刻も早く次の巻を手にして確認したいものです。


「密封 <奥右筆秘帳>」(上田秀人 講談社文庫) Amazon

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2007.10.26

「刺客、江戸城に消ゆ」新装版で登場

 先日、書店で新刊文庫を見ていてちょっと驚いたことがありました。何を驚いたかと言えば、風野真知雄先生の「刺客、江戸城に消ゆ」が新装版で再販されていたのです。
 もう六年も前に文庫書き下ろしで発売された本作は、一風変わった忍者もの。御庭番の登場によりリストラされた伊賀者が、復権のため吉宗暗殺を自作自演、これを未然に防いでみせて自分たちの価値を認めさせようとするも、そのための犯人役に選んだ忍者が意外な能力を発揮して――という、忍者もの数ある中でもかなりユニークな作品です。
 アクション、サスペンスはもちろんのこと、ラストにはあっと驚くどんでん返しもあり、私の大好きな作品ではあったのですが、まさかカバー絵も新しくなった(ちなみに新しいカバーの方が断然良いと思います)新装版として再版されるとは思いませんでした。

 風野先生については、最近かなりの頻度で書店でも作品を見かけるようになっていましたし、何よりもだいわ文庫の「耳袋秘帖」シリーズがかなり好調なようですが、正直なところ、カバーまで変えての新装版は時代小説家でも大御所クラス、文庫書き下ろし時代小説ではそれこそ佐伯泰英クラスと思っていました。
 個人的には昔から好きな作家の一人であった風野先生の、それも伝奇ものが再版されるのは本当に嬉しいのですが、まあ伝奇ものというのはあくまでもたまたま、その出版社の弾として昔書いた伝奇ものがあったということなのだろうな…と、これは素人の勝手な想像ではありますが、思っているところです(実際問題として、時代伝奇小説の、それも文庫での発行点数は以前に比べて相当下がっているように感じられます)。

 もちろん、どんな形であれ、過去の名作がこうして復活することとなったのは嬉しいお話であります。しかも、来月は本作の続編の「影忍・御三家斬り」、再来月は初文庫化の「刺客が来る道」が出るとのことで、これは出版社側も相当力を入れているのだな、と思わされます。
 最近のペーソス溢れる人情ものももちろん良いのですが、風野先生の伝奇ものの魅力も、これを機会にもっと多くの方に知っていただきたいものです。

 …mixi記事のリライトでごめんなさいね、今回。


「刺客、江戸城に消ゆ」(風野真知雄 廣済堂文庫) Amazon

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 「影忍・徳川御三家斬り」(再録)

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2007.10.25

「絵巻水滸伝」第十巻 百八星、ここに集う!

 長きに渡って展開されてきた「絵巻水滸伝」もひとまずの完結を見ることとなりました。一度は天地に散った一百零八の魔星が、因縁因果の果てに梁山泊に再び集い、ここに大団円を迎えることとなります。

 第八巻から梁山泊を襲う危機の数々はこの最終巻に入ってもうち続き、晁蓋が討たれ、宋江が倒れた梁山泊は強敵たちを相手に多面作戦を強いられるというピンチの連続。
 盧俊義を捕らえ鉄桶の守備を固める北京大名府。今なおその牙を研ぎ澄ます曽頭市の曽家五虎。二人の若き猛将、風流双鎗将董平と没羽箭張清。そして最強の敵、大刀関勝率いる官軍の包囲網…いやはや、こうして名を挙げるだけでも大変な強敵ばかりです。
 本作は、Web上にて連載されていたものの単行本化であり、私も一度Webの方で読んではいたのですが、いやはや、何度読んでもこの辺りの物語の緊迫感は大したもの。特にラスト二章の辺りは「本当に完結できるのかな?」と半分本気で心配してしまったほどでありました。

 そしてまた――これまでほとんど毎回述べてきましたが――物語の本筋だけでなく、個々のキャラクターの描写においても、抜きんでたものがある本作。この巻において特にそれが印象的だったのは、風流双鎗将董平に関する一連のエピソードでしょうか。
 この董平というキャラクター、その渾名の通りに二本の鋼槍を自在に使いこなす武芸の達人というだけでなく、学問・管弦の道にも秀でた文字通りの風流子。…が、上司が娘との結婚を認めようとしなかったがためにこれを殺して娘を奪い、梁山泊に走るという行動故に、ファンの間ではDQN呼ばわりされている問題児であります。
 その彼を描くにあたって、本作においては原作のキャラクター、イベントをかなりの割合まで活かしつつ、しかし、結末にある一ひねりを加えることにより、グッと切なく、重みのあるエピソードに仕上げているのには感心いたしました(この董平に、あまりの醜さに新婚の妻が自殺したという壮絶な過去を持つ醜軍馬宣賛を絡ませるのが秀逸!)。


 そして、そんな一人一人の哀しみも喜びも飲み込んだ果てに待つのは、一百零八人の豪傑勢揃いの大団円。
 長い長い旅路を経てきた豪傑たちの揃い踏みは、壮観というほかなく、彼らの胸中もまさに感無量といったところかと思いますが、しかし、感無量なのは、ここまで彼らを見守ってきた読者も同じでしょう。

 この、正子公也&森下翠両氏による「絵巻水滸伝」の連載がWeb上で開始されたのは、九十八年のこと。いや、この両氏が参加した、本作の原点とも言える「水滸伝・天導一〇八星 好漢FILE」が発売されたのがその前年ですから、実に十年の歳月をかけての完結ということになります。
 実は私が正子公也という希有の才能を知ったのはまさにこの「好漢FILE」においてだったのですが、その時から今に至るまで十年間、決して短い時間ではありませんでしたが、氏を信じてきて良かった…と心から思います。

 そして――少しでも多くの方が、この「絵巻水滸伝」という素晴らしい作品の、豊潤な魅力に触れてくれることを心から祈っている次第です。


 さて、本作はここでひとまずの区切りを迎えますが、水滸伝という物語にはまだその先があります。
 正直なところ、果たして何時いかなる形で続編――第二部を読むことができるのか、それは全くわかりませんが、これまでの物語の中においてもいくつもの伏線を張り巡らせてきていることもあり、是非とも第二部を実現させていただきたいものです。
 もちろん、それにどれだけ時間がかかったとしても、私はいつまでも胸躍らせて待ち続ける所存です。


「絵巻水滸伝」第十巻(正子公也&森下翠 魁星出版) Amazon

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 「絵巻水滸伝」第1巻 日本水滸伝一方の極、刊行開始
 「絵巻水滸伝」第2巻 正しきオレ水滸伝ここにあり
 「絵巻水滸伝」第3巻 彷徨える求道者・武松が往く
 「絵巻水滸伝」第四巻 宋江、群星を呼ぶ
 「絵巻水滸伝」第五巻 三覇大いに江州を騒がす
 「絵巻水滸伝」第六巻 海棠の華、翔る
 「絵巻水滸伝」第七巻 軍神独り行く
 「絵巻水滸伝」第八巻 巨星遂に墜つ
 「絵巻水滸伝」第九巻 武神、出陣す

関連サイト
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2007.10.24

今週の「Y十M 柳生忍法帖」 柳生十兵衛牙を剥く

 さあ今週の「Y十M 柳生忍法帖」は、いよいよ私が…いやおそらく全原作ファンが待ちに待ったであろう「あの」シーンが登場です。堀の女たちを後に残し、孤剣を抱いて(うぐいすをお供に)鶴ヶ城に乗り込んだ般若侠――柳生十兵衛。
 城兵こぞって待ち受ける中にただ一人立つ十兵衛先生、敵の首魁を向こうに回して、さあどうでるか!?

 敵の本拠地に乗り込んだにしてはあまりに悠然とした態度の編笠十兵衛ですが、それとは裏腹に、周章狼狽といって様子で飛び出してきたのは沢庵和尚。和尚は、必死に堀の女たちを懇願しますが、十兵衛はこれを
「いやでござる」
の一言でばっさり。

 これはどう考えても十兵衛に理がありますが、沢庵的には、これはもはや私闘の域を超え、天下国家の行方がかかった一大事。その旨かき口説く和尚ですが、そこで十兵衛が言った!

「あの女たちを見殺しにして・・なんの士道? なんの仏法? 仏法なくしてなんのための天海僧正!! 士道なくしてなんのための徳川家でござるか!?」
そしてさらに!
「・・もし、あの可憐な女たちを殺さずんば、僧正も死なれる、徳川家も滅びると仰せあるなら・・よろしい、僧正も死なれて結構!」
「徳川家も滅んで結構!!」

 …これだ。これですよ。時代もの史上に残る、痛快極まりない十兵衛のこの啖呵!
 大袈裟でなく、連載が始まった時から待っていたこのシーンを目にした時には、これまで幾度となく原作でも読んでいたにもかかわらず、胸にググッと迫るものがありました。

 これはもちろん、元の科白の痛快さもありますが、しかしその魅力を幾層倍にもしてくれたのは、紛れもなくせがわ先生の画があってこそ。
 この啖呵を描いたシーンでは、画のタッチは、普段のすぎるほどに精緻なものと異なり、筆の勢いというものを感じさせる荒々しいものに変化しており、それが十兵衛の心中に熱く滾るものを感じさせます。

 しかし何よりも目を奪われたのは――この啖呵を言い切った時の十兵衛の表情!
 編笠の下の十兵衛の顔に浮かんでいたのは、野太い、いやむしろ「獰猛」とも言うべき猛々しい笑み。それはまさしく、牙を剥いた、という表現がぴったりの表情でありました。
 私は原作でこのシーンを読んだときには、実はもっと別な表情を想像していました。地の文でも「男性的な快笑」という表現をしていたこともあり、むしろ莞爾ととした笑みを浮かべていたものと。
 しかしこの「Y十M」におけるこの表情を見せられて、大いに唸らされました。奔放、不敵、反骨…強敵ごさんなれと言わんばかりのこの笑みこそは、まさしく宣戦布告。そしてこの笑みの中にあるのは、単に目の前の敵ばかりではなく、可憐な女たちの決意の仇討ちを阻もうとする天下国家の仕組みに対して向けられた牙であります。

 考えてみれば、最初からこの復讐行は、幕府の裁定に逆らった形と言うべきものでした。
 「君君たらざるとも、臣臣たらざるべからず」というのが徳川幕府を成り立たせる常法であるとすれば、例えそれに対する仕置きが限度を超えた過酷なものであったといえど、主君に逆らった堀主水一族こそが「悪」。一種の上意討ちというべきものであれば、堀の女たちに、仇討ちは認められない。いや、そもそもそんな法は存在しないのです。
 しかし、それが本当に人道に叶ったものなのか。何の罪もない女たちを涙に暮れさせ、無道の大悪党を笑わせておく、そんな世の中に仏道が、士道があるのか!?
 十兵衛の啖呵に込められた想いは、もちろんこの時代に、この物語に特有のものではありますが、しかし、巨大な公の前に軽視される私というのは、現実においても、いついかなる時にも存在するもの。それだからこそ、十兵衛の啖呵はこれだけこちらの胸を打つのでしょう。


 …もちろん十兵衛のこの言葉は、この時代の常識から考えれば、到底ありうべからざるもの。あの破倫無道の明成らをして唖然とさせるほどの破壊力でありますが、しかし沢庵和尚にとっては、むしろ警策の一撃に等しいものであったらしく、憑き物が落ちたような清々しい表情を見せます。

 そしてもう一人――十兵衛のこの言葉に「ぶるっ」ときてしまったのがおゆら様。
 十兵衛が城に乗り込んできた時こそ、十兵衛に感心したような態度を見せていたおゆら様でしたが、途中、十兵衛と沢庵との問答の頃には、もうすっかりお馴染み退屈したあくび顔を見せていましたが…

 下世話な言い方をすれば「フラグが立った」やに見えるおゆら様ですが、さてそれが吉とでるか凶とでるか。
 そんなことは露知らず、何と沢庵和尚を人質に取って芦名衆に抗しようとする十兵衛の運命は果たしていかが相成りますか、ありがたいことに続きは来週に読むことができそうです。

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2007.10.23

「戦国戦術戦記LOBOS」第一巻 戦国プロフェッショナル駆ける

 「少年シリウス」誌に連載されている時代コミックというと「乱飛乱外」が浮かびますが、もう一つ、いま密かに注目を集めているのが本作「LOBOS」。
 同じ戦国時代を舞台としながらも、こちらはグググッとシリアスなお話、どの勢力にも属さず、ただ己の腕のみを頼りに戦国乱世を駆け抜ける傭兵集団の活躍が描かれます。

 主人公として描かれるのは、傭兵集団「狼(ろう)」の一人・市蔵。まだ年は若いながらも、卓越した体術と、そして何よりも超ロングバレルの火縄銃を用いた射撃術の達人であります。
 この市蔵が、様々な不可能ミッションに挑んでいくのが本作の基本パターン。この第一巻においては、
・大名の跡目を決める試合に介添えとして出場し、わざと負ける
・敵の大群に囲まれた砦から兵たちを逃がす
・略奪を避けるため軍勢の通り道にある村から住人を逃がす
という、三つのエピソードが収録されています。

 こうしたいわゆるプロフェッショナルものの作品においては、どれだけ困難なミッションを主人公に用意するか、その中でどのような窮地に主人公を追い込むか、そして何より、そしてそれをどのように主人公がプロたる所以を見せつけて切り抜けるかが、物語の面白さの鍵となるのは言うまでもない話。
 この条件を、本作はきっちりと満たしており、刻一刻と変わっていく状況の中でも常に己のベストを尽くし、ミッションをきっちりとこなしてみせる市蔵の活躍ぶりが魅力的に描かれています。

 そしてさらに本作の見事なところは、さらにそこに人情話を絡めて、ちょっとイイ話に仕上げていることでしょう。
 ともすれば殺伐としたものになりがちな戦国時代という背景、さらに主人公の稼業が傭兵という設定を、その基本設定の持ち味を殺すことなくきっちりと生かしつつ、うまくその尖った部分を緩和して――いやむしろ利用して――極限状況下での熱い人間ドラマを成立させているのには感心いたしました。

 驚くべきは、このような作品を描いた作者が、ほぼ新人であるということでしょう。上に上げた物語構成に加え、アクション描写の点においても高いクオリティを維持しているのには、ちょっと驚かされた次第です。

 個人的な趣味を言わせていただけば、ちょっと主人公が強すぎるように感じられる部分があり、もっと主人公の能力をフルに発揮しなければ達成できないようなミッションを見せて欲しいという気持ちもあるのですが、まだまだ第一巻、それはこれからのお楽しみということでしょう。

 まずは、時代コミックの世界に新たな才能が登場したことを喜びたいと思います。


「戦国戦術戦記LOBOS」第一巻(秋山明子 講談社シリウスKC) Amazon

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2007.10.22

「黒博物館 スプリンガルド」 これぞ大人の熱血漫画

 人間離れした跳躍力でロンドンの夜に文字通り跳梁し、人々の心胆を寒からしめた怪人・バネ足ジャックが姿を消してから三年…怪人が再び、より凶悪な存在と化して帰ってきた。バネ足ジャックが起こした殺人事件を追うジェイムズ・ロッケンフィールド警部は、三年前の事件の真犯人と目される放蕩貴族ウォルター・デ・ラ・ボア・ストレイド侯爵をマークするが、彼らを嘲笑するかのように怪人の跳梁は繰り返される。だが怪人の魔手が、ウォルターの家に仕える召使いのマーガレットの周辺に迫った時――もう一人の、真実のバネ足ジャックが立ち上がる…

 熱血と怪奇という、一見相反するかに思える二つの要素を巧みに縒り合わせ、一つの感動的なドラマを生み出すことでは右にでる者のいない藤田和日郎の最新作は、何と十九世紀のロンドンを舞台とした活劇ロマン。そしてその題材が、あの「バネ足ジャック」と聞いたときには、ずいぶん驚かされたものでした。
 バネ足ジャックの何たるかについては、本編及びそれに付された解説(著すは仁賀克雄先生!)で言い尽くされておりますが、しかし我が国においてこの怪人は、これまで一部の怪奇事件・怪奇現象マニアの間でしか知られていなかったような存在。題材とした作品も、松尾未来氏の「ばね足ジャックが夜来る」くらいではないかと思います。
 そんなマイナーな存在、しかも奇っ怪極まりない怪人を、あの藤田和日郎がどう描くかと、興味半分心配半分でいたところでありますが、蓋を開けてみればこれがどこを切っても藤田作品ならではの味わいに満ちた佳品でありました。

 本作で描かれるのは、真実のバネ足ジャックの跳梁のその三年後に出現した、もう一人のバネ足ジャックが巻き起こす惨劇と、その背後に秘められた一つの愛の物語。
 まず第一に、バネ足ジャックの「活躍」については、これまで作中で幾多の妖鬼・魔人を描いてきた作者らしく、達者というしかありません。禍禍しさと道化じみたおかしさを同居させたジャックの姿は、見事にこちらの頭の中にあったジャックのイメージを形にしたものとして大いに唸らされましたし、そのバネ足という特殊すぎる能力(?)を生かしたアクション設計も見事の一言。
 これに、屈折した放蕩貴族に直情径行の熱血刑事といった、実に個性的で魅力的なキャラクターが絡むのですから、つまらなくなるわけはないのですが、しかし本作が、これまでの藤田作品から(特に青年漫画として)一歩踏み出したと思わされたのは、作中で描かれる愛の形を見せられた時です。

 もちろん、恋愛という代物については、少年漫画を含めたこれまでの藤田作品でも様々な形で描かれてきた――「からくりサーカス」など突き詰めれば一大恋愛ドラマであります――要素ではありますが、本作でのそれは、些かそれとは趣が異なるもの。
 なんとなればそれは、決して成就しない、してはならない愛。相手のことを愛し憧れ、尊重すればするほど、秘め隠さなければいけないものなのですから…
 しかし、それだけ取り出せば、ある意味普遍的なそれを、物語の中で描き、命を吹き込むセンスはどこまでも藤田和日郎流。怪人バネ足ジャックが、愛する娘の門出の日を守るため、人知れず命を賭けて死闘を繰り広げることになるとは、一体誰が想像できましょうか?

 そもそも、「他の男と結婚する愛する女を(その女は知らぬまま)守って死ぬ」というのは、頭ン中に男の子の部分を残した大人の男であれば、誰もが憧れるであろうシチュエーション(断言)。
 しかし一歩間違えればどうしようもなく馬鹿馬鹿しく、あるいは陳腐なものとなりかねないそれを、手加減抜きで真っ正面から描き、読者の心をがっちりと掴んで見せたのは、作者の見事なドラマ構成力と、そして尋常でない熱量あってのことでしょう(そしてまた、この純愛で動くジャックに、邪恋というべきもので動くもう一人のジャックを対置してみせるのがまた見事)。

 物語の熱さはそのままに、しかしある程度人生のあれこれを味わった読者をも――いやそんな読者こそを感動させる物語。
 これはまさに、大人の熱血漫画、と呼ぶべきものではないかと感じた次第であります。


 ちなみに――本書には、そんな大人の熱血を受け継ぐ少年少女たちの物語も収録されているのですが、少々長くなりすぎたので、そちらについては別の機会に紹介させていただきたいと思います。


「黒博物館 スプリンガルド」(藤田和日郎 講談社モーニングKC) Amazon

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2007.10.21

「白狐魔記 戦国の雲」 方便という合理精神

 楠木正成の死から二百三十数年、白駒山で静かに暮らす白狐魔丸のもとに、妖力を持つ旧知の狐・雅姫が現れる。雅姫の誘いで織田信長の元を訪れた白狐魔丸は、そこでかつて白駒山で出会った若者・不動丸と出会うのだった。信長師の仇と付け狙う不動丸の存在が気になった白狐魔丸は、彼を追って信長と一向衆が対峙する伊勢長島の戦場に向かうが。

 神通力を持った狐・白狐魔丸による人間観察記とも呼ぶべき「白狐魔記」も、少し刊行に間が空きましたが、本作「戦国の雲」で四巻目。
 同族同士はおろか兄弟同士ですら相争う人間、特に武士という存在に、批判的な眼を向けてきた白狐魔丸にとって、他の作品では時に戦国の魔王とすら呼ばれる信長は、果たしてどのように映るか。その点がやはり気になるところですが、これまでも決して一方に偏ったものではなく、淡々とした視線で歴史を、人間の生き様を見守ってきた本シリーズらしく、なかなかユニークな形で信長という存在が描かれています。

 特に、本作が多面的な信長像を描くことに成功しているのは、信長を語る者、信長を見つめる者が、様々に存在していることでしょう。
 信長の部下である秀吉・光秀。信長を師の仇として付け狙う不動丸(ちなみにその師とはあの杉谷善住坊!)。あるいは信長配下の名もない足軽や、敵である一向衆徒。そして何より、人ならぬ存在である白狐魔丸と雅姫――
 そのそれぞれの目に映る信長は、あるいは開明な英雄であり、あるいは酷薄な独裁者であり、あるいは既成の価値観の破壊者であり…いずれにせよ、信長という人物の、単一な価値観では捉え切れぬ様々な側面を浮かび上がらせることに、本書では成功していると思います。

 その一方で本作では、その信長の他面性の由来について、ある回答――もしくはヒント――を与えているのが印象的です。
 それは終盤に信長が白狐魔丸に対して語った「方便」という概念。
 ここで言う「方便」とは、もちろん仏教用語ではなく、一般に転化した言葉、すなわち「目的のために利用する便宜の手段。てだて」であります。

 極端な言い方をしてしまえば、信長にとって全ては自分の天下統一のための「方便」。それは時には将軍という権威であり、時には神仏の威徳であり、時には敵味方の命であり…大小様々でありますが、およそ他の人物にとっては目的となるものが、信長にとっては手段でしかない、ということになります。
 手段なればこそ、容易に取捨選択することができる。一つのものに縛られることなく、新たなものを生みだし、捨て去ることができる。
 この、極めて近代的な合理精神、拘りのなさこそが、信長の多面性の淵源であり、そしてそこに信長について考える際に我々が感じる違和感と崇敬の念が生まれるのでしょう。

 その信長が、自らの壮図達成の目前で命果てることとなったとき、どのような選択を行うことになるのか――それはもちろん、ここで詳しくは述べませんが、彼が一種超時代的な巨人であったとしても、彼の愛した「敦盛」の一節にあるように全ては「夢幻のごとく」消えていく様には、時の流れの前における人間の存在というものを感じさせられます。

 ちなみに本シリーズのこれまでの作品においては、有名無名の人物を通じてある時代というものが描き出されていたのに対し、本作においては、時代というよりも信長という人物そのものが明確に中心として描かれている感があります。
 信長という人間が示した近代的精神――そしてそれと周囲に与えた正負様々な影響――こそが、日本史上の巨大なパラダイム・シフトが発生した戦国という時代を表している、と取ればよいでしょうか。


 分類としては児童文学に区分される作品ではありますが、いつものことながら、その描くところには端倪すべからざるものがあるシリーズです。


「白狐魔記 戦国の雲」(斉藤洋 偕成社) Amazon

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2007.10.20

「殿といっしょ」第一巻 キャラクター化と歴史引用センスの妙

 伝奇ものに限らず、現在進行中の時代もの漫画は、それこそ山のようにあるのですが、その中で最も僕が楽しみにしているかもしれない作品が、この「殿といっしょ」。「コミック戦国マガジン」誌に初登場した時から、楽しみに待っていたこの作品の単行本第一巻が、先日ついに発売されました。

 本作はジャンルでいえば四コマギャグ。殿…戦国武将たちがカリカチュアされて繰り広げる、実にしょうもない(もちろん褒め言葉)あれやこれやを描いた作品であります。
 登場する戦国武将は、もちろんいずれも有名どころばかり。戦国時代に少しでも興味のある方であれば皆知っているような人物がほとんどですが、その崩し方が実に愉快なのです。

 信長は事ある毎に松明を持ち出す焼き討ち好きで、秀吉は名パートナーの三成と共にお笑いで天下を取ろうとするお笑いマニア。謙信はおかん気質だし、信玄はその謙信を(色々な意味で)意識しまくり。再来年の大河ドラマの主人公・直江兼続は、主君の景勝が超無口で鉄面皮なのをいいことに、余計なことまで喋りまくる超インテリだし、智将であるはずの幸村は、父と一緒に兄・信幸のジャマをすることが生き甲斐みたいな怪人であったりします。
 そして表紙から巻末まで出ずっぱり、ほとんど主役級に目立っている政宗は、大の眼帯マニア。身の回りの全てのことを眼帯に結びつけずにおれぬその情熱を見ていると、もしかしてこの人本当は大物なのでは!? と思わされたり…

 こう書くと、とにかく面白ければOKの漫画のようですが(いや実際その通りなのですが)、しかし、時代ものファンとして感心してしまうのは、登場人物たちの――つまり歴史上の人物たちの――キャラクター化の見事さであります。

 本作に登場する武将たちは、どれもギャグ漫画のキャラクターとして面白いのは当然として、それと同時に、史実にとっかかりがあろうとなかろうと、「ああ、この人物だったらこういうことするかも…」あるいは「こういうことする人物だったのね…」と、妙に納得してしまう違和感のなさ。
 これはもちろん、作者のギャグセンスによるところも大ですが、それと同時に、たとえば信幸の妻・の昌幸追い返しみたいなネタをさらりと逆の中に仕込んでくる、歴史引用のセンス――そしてもちろんこれは歴史パロディのセンスにそのまま繋がってくるわけですが――の巧みさも、大きく働いていると感じます。

 もちろん、そんなことをブチブチ言っているのは愚の骨頂、本作については、とにかく何も考えずに楽しむべきなのでしょう。第二巻はまだまだ先のこととは思いますが、今から楽しみして待つこととします。


 ちなみに…この第一巻のゲストページには、「BRAVE10」の霜月かいり先生による政宗が描かれているのですが――眼帯マニアはそのままに、霜月先生のちょっと耽美な筆が入ってもう大変なことに。これは必見です。


「殿といっしょ」第一巻(大羽快 メディアファクトリーMFコミックス) Amazon

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2007.10.19

荒山先生、吼える

 諸般の事情で現在いっぱいいっぱいなので、今日は荒山徹先生ネタで<因果関係がよくわかりません。
 今月二十二日に先生の新刊「柳生大戦争」が発売となりますが、この作品について、講談社BOOK倶楽部のメールマガジンにて先生からのメッセージが掲載されています(真ん中より少し下の辺り)。

 このメッセージはいわゆる新刊紹介というやつではありますが、実は荒山先生が自作について語られるのは、かなり珍しいように思えます。
 ファンの方ならばご存じかと思いますが、荒山作品においてはあとがきというものがほとんどなく、従って作者自身の言葉に触れる機会はほとんどない状態(あとがきではありませんが、「伝奇城」での前説は数少ない例外でしょうか)。またエッセイ等に登場する機会も少な目なため、ファンにとって先生の言葉というのはかなりのレアものではあります。
(…そう考えると、自作よりも五味作品について語る機会の方が多いというのはいかがなものかという気もしますが、あれはもう好きで――いや、使命感でやっているやに思えますので良いのでしょう)

 さてその内容は、まあ当たり前の新刊紹介となっていますが、それでも作中でも展開していた現在の時代小説シーン批判がいきなり飛び出す辺り、こう言ってはなんですが、ファンにとってはまず期待通りというところでしょうか。「ルネサンスに非ず、寧ろ宗教改革」というその心意気や良し、と言いたいところですが、むしろこの場合「宗教戦争」になりそうなところがおっかないですが…

 それはさておき、ここで目を引くのは、末尾の「私の大戦争の始まり」という言葉。個人的に、最近の荒山先生は、作風において――それがご自身の欲求によるものか、周囲の要求によるものかはわかりませんが――些かの変化が生じていると感じられていたのですが、この言葉は、その印象に沿ったもののように思えます。
 正直なところ、本作においては「檀君神話の秘密」「十兵衛、友矩、宗冬の柳生三兄弟」「清軍の脅威」の三題噺が、一つの物語として見ると些か噛み合わせが悪いように感じられ、この試みが十全に成功したとは言い難いように思えるのですが、それはある意味、生みの苦しみといったものなのかもしれません。


 …と、ブログの更新一回分をでっち上げてしまうほどファンは作者ご自身の言葉に餓えているんですが、そろそろ生の声を聞かせていただく機会などあっても良いのではないでしょうか、ね。


「柳生大戦争」(荒山徹 講談社) Amazon

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2007.10.18

十一月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 さあ今年も残すところあとわずか。泣いても泣いてももう残り二ヶ月ですよ!
 そんなわけでもう相当に寒くなってきましたが、せめて面白い作品に出会って心は暖かくしたいものです。というわけで十一月の時代伝奇アイテム発売スケジュールです。

 十一月の文庫で注目は、何と言ってもえとう乱星先生久々の新シリーズ「服部半蔵 日と影と」の登場。これは大いに期待です。
 その他は、単行本の文庫化がかなりの割合を占める状況。十月に発売される「妖怪」に続き、新装版で登場の司馬遼太郎「風の武士」、ドラマ化が楽しみな畠中恵「おまけのこ」、実業之日本社からひっそりと発売されていた作品の文庫化である海道龍一朗「乱世疾走禁中御庭者綺譚」と、新旧織り交ぜてなかなかの充実ぶりです。
 しかし旧と言えば何と言っても極めつけは「神州纐纈城」の復活。なぜこの時期に、という気もしますが、講談社大衆文学館以来久々の登場であり、未読の方はこの機会に是非。
 ちなみに好調の風野真知雄先生の「耳袋秘帖」の最新巻は、「両国大相撲殺人事件」という近年稀に見るしょっぺえタイトルで登場。それでもシリーズの内容は折り紙付きですし、このネーミングセンスは、もはやシリーズの味のような気さえしてきました。

 漫画の方では、先日連載が始まったかと思えば早くも単行本第一巻が登場の環望「箱館妖人無頼帖 ヒメガミ」が注目株。さらにかわのいちろうの「赤鴉~セキア」、皇なつき&小池一夫の「夢源氏剣祭文」もそれぞれ第一巻が登場し、相変わらず漫画は豊作です。
 特に「夢源氏剣祭文」は、到底あの小池せンせいの作品とは思えぬほどはかなく美しい時代ファンタジーで、各方面におすすめです。
 なお、漫画のドラマCDとして、「BRAVE10」が早くも登場するのが要チェック。

 そしてゲームの方は、年末商戦に向けた作品がそろそろ登場する時期。こちらとしてももはやカレーを薄めすぎて水になるくらいの覚悟でおりますが、時代ものとしてはカプコンから登場の「戦国BASARA2 ヒーローズ」がやはり要チェック。Wii版PS2版が発売されますが、私ゃやっぱり「戦国BASARA2」も同梱のWii版を選びます。
 携帯機の方では、一部に根強い人気を誇るサクセス「降魔霊符伝イヅナ」の続編がニンテンドーDSで登場、ローグライクファンとしてはこれまた楽しみなのですが、同じDSで発売のグローバル・A・エンタテインメント「歴史群像presents ものしり戦国王」が非常に気になります。昨今のDSの実用ソフトラッシュは、出版界で言えば新書ブームに通じるものを感じますが、こういうのもアリか…と感心いたしました。ていうか「クイズ殿様の野望」じゃないのこれ


 最後に、これは時代伝奇とは無関係ですが、自分的に絶対見逃せないのは、朝松健先生の「マジカルシティナイト」シリーズの最終巻「暗黒は我を蔽う 夜の騎士」。長い長い時を経て、まさかの(とあえて言わせていただきます)完結には、感無量であります。
 どんな状況で中断しても、きっちりとシリーズを完結させてくれる朝松先生ですが、これで残る未完シリーズは、うちのサイトの受け持ち範囲である時代伝奇アクション大作「大菩薩峠の要塞」のみ――なんですが、こればかりはさすがに続編はなしとのことなのが何とも残念であります。最高に面白いんだけどなあ…

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2007.10.17

「討たせ屋喜兵衛 秘剣陽炎」 流れる時の重みの前に

 全五巻の「討たせ屋喜兵衛」シリーズもこの「秘剣陽炎」で丁度折り返し地点。今回は、実に五十年以上も仇を追い続けた老女に応えて喜兵衛が仇討ち差配に乗り出します。
 浅野側の密偵を斬ったのをきっかけに、ある老婦人・ひなと知り合った清水一学。一学と同じ微塵流の遣い手で、五十七年前に父を殺害した田鎖甚三を探しているという彼女を、一学は討たせ屋の客として喜兵衛に紹介します。
 一方、江戸では若い女性の拐かし事件が頻発。喜兵衛を仇と狙う久宝伊織・彦一郎の姉弟は、ふとしたことからこの事件に絡むこととなります。

 時代劇の仇討ちといえば派手で華やかなイメージがありますが、それはあくまでもフィクションの世界でのお話であり、本作自体、そうしたイメージの背後にある、仇討ちのリアルを基盤に置いた作品であります。
 その仇討ちのリアルの中でも最も哀れを誘うものの一つが、目指す仇と巡り会えぬまま、時が過ぎ、一生涯を棒に振ることではないかと思いますが、本作では重い時の流れに挫折することなく仇を追い求めた者と、そしてその境遇に膝を屈した者の両方が登場し(しかもその両者が○○というのがまたうまい)、ドラマを盛り上げてくれます。

 その五十七年前の仇討ちと、現在の女性拐かしという、一見関わりのない事件が実は裏で密接に関わりあっているというのは、まあバレバレではあるのですが、それはお約束と言うべきでしょう。何よりも、その背後に潜む今回の敵・田鎖甚三の化け物っぷりが凄まじく、その大暴れを見ているだけでも十分以上に楽しい作品でありました。

 一方、一つの大きな長編物語でもある本シリーズですが、今回は、家老と自分たちの父を斬ったものと信じ込んで喜兵衛を追ってきた伊織・彦一郎姉弟が、遂に自分たちの仇討ちの背後に潜む闇に気付くという大きな展開があるのがまた楽しいところ。
 二人が事件の真相にいつ気付くのか、そして何より、伊織が想いを寄せる鬼面の剣士が、実は彼女にとって色々な意味で憎き仇である喜兵衛ということにいつ気付くのか…定番と言えば定番なのですが、この辺りはむしろ美しきお約束、いや王道と言うべき展開でありましょう。

 そしてラストでは、このシリーズの背後に見え隠れしてきた浅野遺臣の主魁たる人物が喜兵衛の前に登場。次巻ではいよいよ江戸史上最大の仇討ちに討たせ屋が絡むことになりそうですが、さて、喜兵衛はこの仇討ちにいかなる判断を下すのか、楽しみです。


「討たせ屋喜兵衛 秘剣陽炎」(中里融司 ハルキ文庫) Amazon

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2007.10.16

「天保異聞 妖奇士 奇士神曲」 獄三「煉獄山」

 宰蔵を取り込み、さらに力を増した赤猫。遂に牢屋敷の囚人が解き放ちとなる中に駆けつけた往壓らはこれを打ち砕くも、宰蔵は長英に連れられて姿を消す。長英の行方を追う小笠原たちは、長英が間宮林蔵の遺書を探していたことを知るが、その遺書は鳥居の渡っていた。鳥居の元に向かった奇士が見たのは、しかし、長英と宰蔵に操られて力を増し、凶暴化した江戸の稲荷たちだった。

 比較的静かな(地味な)展開だった獄二に比べ、グググッと盛り上がってきた感のある獄三。妖夷も冒頭の赤猫とラストの稲荷と、巨大なタイプが二体登場(よく考えたら獄一のテグスといい、なにげに巨大妖夷が多いですね今回)、幕間以来久々の、全員(ただし宰蔵除く)の漢神武器を用いたアクションシーンもしっかりあって、個人的には満足度の高いエピソードでした。

 そして今回も物語の中心となるのは宰蔵と高野長英。小笠原様を想う余りとはいえ、赤猫と一体化して牢屋敷に火を放ったのはやはり重罪と思い悩む宰蔵は、その心の隙を、長英の言葉によって揺さぶられ、そして宥め賺されて長英と行動を共にすることとなってしまいますが…境遇的に仕方ない部分もあるとはいえ、以前の稲荷とペルソナ妖夷のエピソード同様、他人の言葉を鵜呑みにして暴走する宰蔵がどうにも痛ましくてなりません。
(同じように長英に誘われたアトルが踏みとどまったのは、往壓の存在もさることながら、実際に異界を見た者ゆえのことでしょうか――)

 しかしやはり強烈なのは、その宰蔵はおろか、妖夷たちをも自在に縛り、操る力を得た高野長英。獄二で受けた、知性と剛毅さという印象はそのまま、その自らの長所をネガティブな方向に利用して、上記の如く宰蔵や、アトルにまで触手を伸ばす様は、その行動が一定の説得力を備えているだけに、よりおぞましく、恐ろしく映ります。
 それにしても驚かされるのは、長英の妖夷に関する造詣の深さ。かつて西の者が語った、妖夷と一体化して操れる者は神の血を引く者のみ、という言葉を一笑に付し、独自の視点でもって妖夷を分析、使役する様には(TVシリーズ本編終盤の展開がひっくり返されたように見えることも相まって)唖然とさせられました。長英先生、師匠のシーボルトに「日本妖怪誌」でも見せてもらったのかしらん。
 さらに長英の力となっているのは、同志であった小関三英(はっきりと名前は出ませんでしたが、獄二の回想シーンに登場した小関さんはこの人物のことでしょう)の怨念が取り憑いたという聖書であります。聖書を読んで妖夷を操ろうとしたシーンには、おいおいと突っ込みたくなりましたが、この聖書、小関氏の怨念が籠もり、それ自体が妖夷と化したという代物。神の言葉を記した書物が妖夷と化したとき、その言葉は妖夷を縛る鎖と化すというのは、異界のロジックとして何だか納得できるように思える――のは既に自分が長英の術中にはまっているのかもしれませんが――ものでありますし、ある意味、漢神に対置される存在として実に面白いと思います。

 そしてこの長英が求めるものは、何と間宮林蔵の遺書。色々と黒い部分も噂されるこの人物と、長英は因縁浅からぬものはあるわけですが、その林蔵が長英に宛てた遺書に記された秘密とは――ここに来て、ある意味実にストレートな伝奇展開ですが、さてその遺書に記された内容が、長英にとって、この物語にとってどのような意味を持つのか。長英の言動を考えると、異界に関するものと想像できますが、それもちと単純な考えにも思えますし…
 さらに気になるのは、長英の術を撥ね除けるためにケツアルコアトルと化した雲七を見た際の、長英の言葉。竜という存在が江戸に居ることに、鳥居の思惑が秘められているようなのですが――TVシリーズ終盤からの怒濤の展開の中で何となく流していましたが、考えてみれば、鳥居が往壓に拘る理由は未だにはっきりしないまま。特にこの「奇士神曲」では、相当危ない橋を渡ってまで奇士たちを庇っているわけで、さてそれが本筋にどう絡むことになるのか、これはある意味、長英の動向以上に私には気になります。

 さて「奇士神曲」も残すところわずか二話。思わぬ豊川狐の参戦で、すっかりオールスターキャストの展開となりましたが、次回はさらに新キャラも登場する様子で、本当に二話でちゃんと完結するのかしら? と不安にならないでもないですが、TVシリーズのことを考えればそれは杞憂でしょう。きっちりと盛り上げて、どのような形であれ、最後は奇士が皆が幸せになる結末を望みますが…さて。


「天保異聞 妖奇士」第七巻(アニプレックス DVDソフト) Amazon

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 公式サイト

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2007.10.15

「獣拳戦隊ゲキレンジャー」 修行その三十三「フレフレガッチリ!カンフー忠臣蔵」

 …大丈夫です。URLを間違ったわけでも、ここが特撮ものブログになったわけでもありません。
 今週の「獣拳戦隊ゲキレンジャー」は、何故か突然時代劇編。詳しい粗筋はこちらをご覧いただくとして、簡単に言えばエロクラゲ敵の力でレギュラー陣が飛ばされてしまった先は、なんと元禄十五年十二月十四日の江戸だった…ということで、忠臣蔵の世界にゲキレンジャーが乱入することになります。

 いきなり、アバンでタイムスリップ→時代説明→納得という超星神シリーズでもようやらんような超展開に驚かされますが、まだまだこれは序の口。あてどもなく江戸の町を彷徨うゲキレンジャー五人が争闘の気配に駆けつけた彼らがそこに見たのは、毛利小平太に刀を突きつけてる吉良上野介!
 何故吉良上野介が直接、それも屋敷の外で刀を!? と突っ込む以前に、ここで毛利小平太とは…

 毛利小平太とは、浅野内匠頭の遺臣で、討ち入りの盟約に加わりながら、討ち入りの直前になって最後に脱盟したことで知られる人物。大胆にも吉良家へ潜り込んで情報収集を行うなど、事前の探索に大活躍しながら脱盟した彼の存在は忠臣蔵にまつわる謎の一つであり、忠臣蔵ものの小説・ドラマでもかなりの割合で登場する人物ではありますが、まさかこのようなところで毛利小平太の名を聞くとは…
 結局、ここで吉良――に取り憑いていた臨獣アングラーフィッシュ拳ムコウアに負わされた傷が元で小平太は討ち入りを断念した、ということになり、意外なところで意外な(意外すぎる)新解釈に出会って大いに嬉しくなってしまいました。

 さて、実は吉良には、ゲキレンジャーたちを追ってきた怪人が取り憑いており、それがための上記の吉良の妙な活躍だったわけですが、魔人と化した吉良に対して、如何に四十七人でかかろうが、到底勝てるわけがない(おお、伝奇だ伝奇!)。そこでゲキレンジャーの出番…となるわけですが、ここで黄色の小娘による忠臣蔵解説が、吉良極悪人説に立つ非常に偏向したものが大いに不満――いや、さすがにここでアレコレ言うのも野暮ってものですけどね。
 ちなみにここで内匠頭の未亡人である瑤泉院様(演じるはいとうかずえ)も登場、赤穂浪士に仇討ちさせるためとはいえ、吉良を化け物から救って欲しいと願う瑤泉院にちょっと感心しました。

 さて、そこで赤穂浪士たちより一足先に、親切に表札のかかった吉良邸に乗り込むゲキレンジャーでありますが、ここで何故黄色い小娘はノリノリで陣太鼓など叩いているのか…。おかげで何故か清水一学をはじめとする吉良家の侍がワラワラと湧いてきて、大変なことに。
 ここで、さすがに無関係の侍たちを、それも赤穂浪士討ち入りより先に斬るわけにはいかない、そしてまた自分たちにとっては刀は馴れない武器――というわけで、刀を捨てたゲキレンジャーたちは素手のアクションでバッタバッタと侍たちを薙ぎ倒すという寸法で、これぞタイトル通りのカンフー忠臣蔵。この辺りのアクション設計は実に面白くて、まずはこのシーンが今回の最大の見せ場といったところ。さすがに東映ならでは…と感心しました。
 福本清三先生も、清水一学役で登場。二刀流(…って、なんでこんなところでも妙に史実通りなのだ)で大暴れして、最後はきっちり斬られ…いや殴られてくれました。

 さらにここに、同じく江戸時代に飛ばされてきていたゲキレンジャーの不倶戴天のライバル・理央とメレも登場。元の時代に帰るには、ムコウアの持つ操獣刀なるアイテムが必要――というわけで、渋々ながらも手を組んで共に戦うというナイスな展開。巨大化したムコウアには、限定スペシャルメカの呉越同舟獣拳合体・ゲキリントージャで激突(この時、ムコウアに吉良のパーソナリティーが逆に移ったかのようにフナ侍うりうり攻撃など始めるのが愉快)。これを倒して元の時代に戻って、とりあえず一件落着…というお話。


 いやはや、最初に話を聞いたときには一体どうなることかと思いましたが、キャラ配置などに凝ったところも見られ、なかなか楽しめた今回の時代劇編。赤穂浪士たちの「本懐」という言葉に、自分たちと同じ戦士の結びつき――それがサブタイトルの「フレフレガッチリ」――を見る主人公たちという構図も、もう少し深く描いて欲しかったようにも思いますが、面白かったと思います。

 ちなみにこの手のエピソードの見所の一つであるコスプレは、まあ、こんなもんかな…というところでしたが、ただ一人、ダメな亭主をかいがいしく世話する莫連女という、櫛巻きお藤さんみたいなキャラをノリノリで演じきったメレ様が異常なハマりっぷりで感動しました。理央と二人っきりで暮らせたのであれば、タイムスリップもむしろ渡りに船だったのじゃないかと思うと、ちょっと切ないですね。ゾンビだけど。

 正直なところ、お話的にはあまりにも突然で、忠臣蔵というネタ的にも呉越同舟合体というアイテム的にも、十二月にやった方がいいんじゃ? という気も大いにしますが、これはまあ、色々と事情があるのでしょう。映画村のスケジュールとか。
 今回の出演者の何人かは、東映の時代劇や、もしあれば「超忍者隊イナズマ」の続編に出演することになるのではと思いますが、その時が来るのが楽しみですね。

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2007.10.14

「天保異聞 妖奇士 奇士神曲」 獄二「ディーテの市」

 佃衆殺害の廉で獄に繋がれた小笠原は、鳥居の手により死を偽装され、小伝馬町の牢に入れられる。そこで彼が出会った牢名主こそは、かつて蛮社の獄で捕らえられた高野長英だった。一方、往壓たちも鳥居の手により匿われていたが、宰蔵は小笠原に逢いたい一心で浮民に身をやつし、牢に近づく。が、牢屋敷では、外に出たいと願う囚人たちの想いが火の妖夷・赤猫が出没。長英に唆された宰蔵は、自らの舞で赤猫に力を与え、牢は火に包まれるのだった。

 もうすぐ最終巻が発売されるにもかかわらず、別れがつらくてなかなか紹介できなかった「奇士神曲」ですが、ようやく思い切って紹介。まずは獄二「ディーテの市」であります。

 前回、ハメられたとはいえ人を斬ってしまった小笠原様。なぜか町人の牢に入れられているところから始まって、おいおい、考証どうなってるのよ(江戸時代は身分によって入れられる牢が異なります)と思ったのはマニアの浅知恵。ちゃんと、水野派の口封じから守るための鳥居様の手が回っていたのでありました。
 が、そこに待っていたのが、鳥居様も恐れる男、あの高野長英であったとは…

 「妖奇士」に高野長英が登場する、させたいということは、以前から聞いていたように思いますが、しかし鳥居様以上に有名な歴史上の人物ゆえ、どのようなキャラクターとして、そしてどのような扱いで描くのか、気になっていたところですが、これがさすがに見事なキャラの立たせ方。
 史実として伝えられる高野長英の行跡を見るに(いや私の場合、山風の「伝馬町から今晩は」の凄まじい地獄の使者っぷりが印象に残っているせいかもしれませんが)、単なる不運な学究の徒とは思えない、誠に失礼ながら一種山師的なバイタリティすら感じてしまうのですが、本作での描写はまさにそれだったと思います。

 知性と同時に豪毅さを感じさせるデザインに、声はあの男の中の男を演じさせたら斯界屈指の名優・大塚明夫という男臭さながら、しかし、いかにもこの作品らしい陰と屈折を感じさせるキャラクターとして設定されており、その存在感・人間としての貫目は、鳥居様に匹敵するものがあると言えます。
 才能と野心に溢れ気骨ある人物が、社会や政治の動きによって存在を抹消されたとき、果たしてどうなるか、何を望むのか…浮民として牢に近づいた宰蔵に、言葉を巧みに選びつつ、赤猫に力を与えるよう唆すシーンの厭らしさは、実に見事としかいいようがありません。
(ちなみに、長英と小笠原様との出会いを描いたシーンに、説十二で死んだ加納さんがちゃんといたのにちょっとしんみり…)

 そして宰蔵と言えば、彼女の心の行方もまた見所の一つ。髷を切り(ここでオトナアニメのインタビューで、髷の有無に言及していた會川氏の強い言葉を思い出しました)、入れ墨を入れて浮民に身をやつし、牢の世話役となった彼女の決意は、現実の歴史でこの役割をどんな層が担っていたかを考えれば、どれほど凄まじいまでの想いに満ちたものかと、粛然とした思いにすらさせられるものがあります。
 もちろん、いかに長英に唆されたとはいえ、いかに赤猫による間接的なものとはいえ、牢屋敷を火に包んでしまったのは、とんだ八百屋お七と言うべきかもしれません。しかし宰蔵自身の言葉で語られている通り、男としても女としても生きられない宰蔵が、ただ一つ、奇士として己自身でいられる場所が小笠原の下であることを考えれば、責める気にもなれないのが正直なところ。
 そしてもちろん、宰蔵だけは普通の女でいさせたかった、という往壓の想いにも心からうなずけるものがありますが――いやはや、この辺りのドラマ設計は実にうまい(ただ一つ、これは今に始まったわけではないのですが、「一度妖夷の肉を食べたものは、これを食べ続けずにはいられない」という要素に今ひとつ重みが感じられないのが残念。この辺りがもっとはっきりと見えていれば、宰蔵のノーフューチャーぶりにさらに重みが加わったかと思います)。

 そんな人々の想いを込めて牢屋敷は燃え、高野長英は史実通り脱獄。さてこの先の物語に何が待ち受けるか…考えれば考えるほど想い気持ちになってきますが、ファンとしてはただ先の光明を信じてついていくのみ。往壓にすがりついた玉兵親分のような気持ちで(本当にこのシーンでの親分の言葉は、我々ファンの気持ちをそのまま代弁する思いですわ…)続くエピソードを待ちたいと思います。
 …というわけで、DVD七巻に同時収録の獄三に続く。


「天保異聞 妖奇士」第七巻(アニプレックス DVDソフト) Amazon

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2007.10.13

「陰陽ふしぎ伝☆妖怪ぞろり」 ヤング道長の冒険

 ここしばらく、児童文学の方では翻訳ファンタジーものが人気ですが、和ものファンタジーも――ブームとかそういったものは関係なしに――頑張っています。今回紹介する「陰陽ふしぎ伝☆妖怪ぞろり」もその一つ。タイトルこそ何ですが、内容の方はなかなかしっかりした平安ファンタジーとなっています。

 康保三年(966)、藤原兼家の元に強運を背負った若君――後の藤原道長――が生まれたことを知った安倍晴明は、同時に黒い影が忍び寄っていることを察知し、襲い来るであろう災いから若君を守るため、これを引き取って育てることとします。藤三郎と名付けられた若君は、京から離れた山里で伸びやかに成長しますが、しかしその行く先々には様々な妖怪の影が――

 というわけで、ヤング道長の冒険といった趣の本作は、タイトル通りに妖怪ぞろぞろ。登場する妖怪は、百鬼夜行に琵琶の怪、妖術使いの鬼女などなど、お馴染みの(?)ものも登場しますが、しかしそのキャラクター造形は一ひねり二ひねり効いていて、なかなか面白く読むことができました。もしかすると元となる逸話・伝承があるのかもしれませんが、例えば物語後半、鷹司の大殿の宴に出現した大首の怪の、その暴れる理由など、実によくできていて感心した次第です。

 そして登場人物では、何と言っても藤三郎のお伴の真白という青年(?)のキャラクターが実に面白い。幼い頃から藤三郎に仕えるこの真白、何をやらせてもうまくできるものがないぶきっちょで、ピンチにはいつも気絶してしまうという人物なのですが、これがまたキャラ立ちの塩梅が実によく、思わぬ拾いもの…といった感じでしょうか。
 一方、主人公の藤三郎は、いかに強運の持ち主で晴明に守られているとはいえ、さすがに十一、二の少年だけあって自分の力だけではどうにもならず、天佑神助(にしか見えないもの)に助けられることもしばしばなのですが、それに甘えることなく、真っ直ぐに怪異に対峙する姿に好感が持てます。また、藤三郎には何故晴明の守りがあるのに、これだけ妖怪に出会うのだろう…と思わないでもなかったのですが(特にある人物の正体を考えれば)、最後まで読んでみると、それにも晴明のある意図が感じられるのがまた面白いと思います。

 調べてみると小学三・四年生が対象の本作、あまり真顔で語るのもさすがに少し気恥ずかしいものがありますが(何を今さら)、しかし、決して子供だましのいい加減な作品ではないことは、私が保証いたします。ファンタジー好き、妖怪好きのお子さんにどうぞ。


「陰陽ふしぎ伝☆妖怪ぞろり」(沢田徳子 旺文社) Amazon

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2007.10.12

「隻影」 もう一つの我が身の影

 横山光輝先生の時代漫画というのは、それこそ大変な数描かれているわけですが、長編はさておき、短編で一番好きな作品は? と聞かれた場合、私が挙げるのはこの「隻影」という作品であります。

 物語は、かつて「大垣の竜」と呼ばた男・板倉が、江戸から帰ってくる場面から始まります。その剣の腕と、激しい気性で恐れられてきた板倉は、江戸勤めを命じられてから五年ぶりに帰ってきたのですが、彼のいない間に大垣で名を挙げていたのが、「大垣の虎」こと新富という青年。
 前髪立ちながら、既に大垣で並ぶ者なき腕前の新富は、俄然に敵意を燃やし、周囲も興味本位に竜虎の対決を煽り立てるのですが…

 しかし板倉は、一度は新富の挑発の前に道場で彼と向いあったものの、如何なる理由かその場で勝負を捨て、以降も彼を避けるようになります。
 口さがない人々の声も意に介さず、沈黙を守る板倉。その彼が、新富から遂に送られてきた決闘状を受けて、やむなく臨んだ果たし合いの末に、語った真意とは――

 このあらすじからもわかるように、本作は基本的には非常に淡々とした作品。忍者が登場するわけでも、異能異形の存在が登場するわけでもなく、派手な戦闘シーンがあるわけでもない。
 ただ、二人の侍の姿が静かに描かれていく作品なのですが、これが実に味わい深く、美しい世界を生み出すことに成功しています。

 ことに印象に残るのは、横山先生の円熟した筆で描かれる、「大垣の竜」こと板倉の姿。かつての暴れ者の印象はどこへやら、度重なる挑発やうわさ話も意に介さず、殊更に構えるでもなく淡々と侍として日々を暮らす姿は、一種の品格すら感じられるものであり、それがラストの彼の言葉に何とも言えぬ重みを与え、感動を生み出しているのであります。
(彼と、彼をおそらく慕っているであろう女中・妙との描写がまた何ともしっとりとおちついた味わいで…ラストの決闘に出かける前に「拙者の釣って来た魚を焼いて待っておれ 今夜は妙の酌でのもう」と言い残していく姿など実にいい)

 と、実はこの作品は、横山先生の商業デビュー翌年に描かれた「白竜剣士」という作品のリメイク。
 「隻影」に比べ、「白竜剣士」の方は少年誌向けの作品であり、またページ数も多いことから、竜虎の対決に至るまでのエピソードも色々と膨らまされているのですが、基本的なストーリーは同一です。

 このストーリーを少年向けに書けるのかな、と思いきや、これがまた、クライマックスについては、子供にもわかりやすく、噛んで含めるように丁寧に描かれていて感心してしまうのですが、今読んでより胸に迫るのはやはり「隻影」の方。

 もちろん、二十年近く間をおいて描かれた作品――しかも一方はほぼデビュー直後――を比べる自体ナンセンスではあるのですが、やはり、漫画家として、人間として経験を積み重ねた横山先生自身の姿が透けて見える「隻影」の方がより味わい深く、また大いに共感する部分があります。

 これは全くもって勝手な想像であり、失礼なお話ではあるのですが――「白竜剣士」を「隻影」にリメイクする時の先生、新富青年を前にした時の板倉氏と同じような気分だったのではないかしらん。


「隻影」(横山光輝 講談社漫画文庫「鉄甲軍団ほか八編」所収) Amazon

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2007.10.11

「雪太郎乳房」 ライトでもやっぱり角田作品

 娘ばかりを狙う全身真っ赤な幽霊の出没に震撼する江戸の町。御用聞き・仙蔵は、愛娘のお喜美を囮として幽霊の正体を探るも、共に行方知れずとなってしまう。仙蔵と共に事件を追っていた浪人・佐川重四郎は、事件に大身旗本・笠松家が関わっていることを知り、その入り婿に化けて笠松家に潜入するが、そこでは思わぬ陰謀が進められていたのだった。

 三田の田は角田の田、でもあるのに、うちのサイトには明らかに角田分が足りない! ということで、角田喜久雄先生の作品を読み返してみることにしました。その第一弾が本作「雪太郎乳房」。ちょっとエロチックなタイトルですが、内容はいかにも角田作品らしい、怪奇色とミステリ色の強い時代活劇となっています。

 物語の中心で活躍するのが颯爽たる青年浪人とお侠なヒロインというのは、これは角田伝奇…というより時代伝奇全般の一つの典型ではありますが、この二人が巻き込まれる事件は、余所ではお目にかかれないようなものです。

 かつて江戸に出没し、若い娘ばかりをさらっては責め苛み、その乳首から生き血を啜ったと言われる赤屋敷の幽鬼――その再来かのように、頭の上から足の先まで真っ赤な女が出没し、次々と若い娘を拐かすというのだから穏やかでない。
 しかも、さらわれた娘たちは幾ばくかして発見されるものの、その時には既に気が触れ、その乳首は真っ赤に腫れ上がっているというのだから、これは恐怖とエロが揃った見事に(?)奇っ怪な事件としか言いようがありません。

 が、それが単なる鬼面人を驚かす体のネタで終わらないのが、角田先生の巧みなところ。何故このような奇怪な事件が引き起こされねばならなかったか、真相を知ればなるほど、と思わされます。
 また、事件を追う重四郎が、笠松家に入り婿する大名家の次男坊と瓜二つというのも、単なるご都合主義ではない仕掛けがあり、それに美女二人の恋の鞘当てまで絡んできて、まずもってエンターテイメントとして面白い作品となっています。

 正直なところ、本作は質・量ともに角田作品の中ではかなりライトな部類に入るのですが、それでもきっちりと楽しませてくれるのはさすがと言うしかありません。
 角田作品は、特に代表作・名作と呼ばれるものはかなりの大部で、作品に対峙するのにかなりのエネルギーを必要とすることが多いのですが、こういうサラッと読める、しかしきっちり角田節の聞いた作品も悪くないな、と感じた次第です。


「雪太郎乳房」(角田喜久雄 春陽文庫) Amazon

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2007.10.10

「大江戸妖怪かわら版 異界から落ち来る者あり」 異界から見た人の情

 このブログでは基本的にパラレルワールドを舞台にしたファンタジーは扱わないのですが、面白い作品に出会えば例外はあります。
 今回紹介する「大江戸妖怪かわら版 異界から落ち来る者あり」もその一つ。人間の代わりに妖怪たちが住む大江戸を舞台に、その中で唯一の人間である少年の視点で、もう一つの江戸の姿が瑞々しく描かれます。

 本作で描かれる江戸は「昼空を龍が飛び、夜空を大蝙蝠が飛び、隅田川には大蛟、飛鳥山には化け狐。大江戸城には巨大な骸骨“がしゃどくろ”が棲む妖怪都市」。人間の傍らに妖怪が隠れているのでも、人間と妖怪が共存しているのでもなく、妖怪のみが平和に暮らすのが、この大江戸であります。
 そんな大江戸で暮らす唯一の人間が、おそらくは現代からこの世界に「落ちて」きた少年・雀。駆け出しのかわら版記者として活躍する雀が出会った事件を描く本作は、上巻では雀と同じく異界=人界から落ちてきた幼い少女・お小枝を巡る顛末を描く上巻、そしてかつて雀がこの大江戸に落ちてきてから、その住人として生きることを決意する様を中心に描かれる下巻と、大きく分けて二部構成となっています。

 しかしその両方で共通するのは、大げさに言えば、異界の大江戸に触れることにより、孤独な魂が癒され、人間性を回復するという物語構成です。
 両親に嫌われていると思いこんでいたお小枝も、そして両親に疎まれ荒みきった生活を送っていたかつての雀も――共通していたのは自分自身の殻に閉じこもり、自分を孤独と思いこんで自分の世界を狭くしていたということ。そんな彼らを、その殻から救い出すのが、人間が一人たりとて存在しない大江戸世界と、そこで暮らす妖怪たちというのはちょっと不思議にも思えますが、それは妖怪たちの持つ「人情」あってのことと言えます。
 姿は異形でも、江戸っ子らしい人情を持つ妖怪たち。その姿が人間とかけ離れていればいるほど、その人情はより一層胸に迫るものでありますし、そしてそれは裏返せば、雀たちが思っていた以上に、人間の世界に人情が存在している――妖怪ですら持っている人情を、人間が持たないわけがありましょうか――ことの証でもあります。

 現実と、それとは少しだけ(?)異なる世界とを照らし合わせることにより、普段は気付かないような現実のなんたるかを描き出す――この点においては、本作は伝奇的な手法を用いているやに思われます。


 と、わかったようなわからないようなことを書いてしまいましたが、本作はキャラクターものとしても、もちろん実に楽しい作品であることは間違いありません。
 大江戸に溢れる妖怪たち――特に、雀を取り巻くレギュラー陣は、誰も彼も個性豊かで、実に楽しい奴ばかり。天を往く赤毛の魔人・桜丸、気障な文芸担当の銀色猫・ポー、強面だが甘いものに目がない狼男の同心・百雷、雀の親代わりである黒眼鏡の魔人・鬼火の旦那…なかなかよそではお目にかかれないような、人間以上に人間臭い魅力的な連中であり、彼らと雀のやりとりが、本作の大きな魅力であると言えます。
(個人的には、口から出てくる紙テープで会話するのっぺらぼうの絵師・キュー太がお気に入り)

 細かいことを言えば、全体の構成にちょっと首をかしげる点がないでもないですが、それでも十分以上に楽しいこの「大江戸妖怪かわら版」。つい先頃、シリーズ第三巻(本作上下巻を一・二巻とカウント)となる「封印の娘」も刊行されたことですし、例外としてこのブログでも追っていこうかな、と今は考えている次第です。


「大江戸妖怪かわら版 異界から落ち来る者あり」(香月日輪 理論社全二巻) 上巻 Amazon/ 下巻 Amazon

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2007.10.09

「絵巻水滸伝」第九巻 武神、出陣す

 Web掲載を含めれば実に長きに渡って展開されてきた「絵巻水滸伝」も、今月末発売の単行本第十巻でもって、ひとまずの区切りとなります。
 と、その最終巻発売前に第九巻の紹介を。「大戦梁山泊」のサブタイトルに相応しく、次から次へと巨大な戦いに梁山泊は巻き込まれることとなります。

 曾頭市との戦いの中、命を落とした晁蓋。しかし彼に代わって梁山泊を背負うべき宋江も、暗殺者の毒に倒れて明日をも知れぬ状態となり、梁山泊は頭を失った状態となってしまいます。
 それに加えて曾頭市との混戦の中に消え、いまだ帰らぬ好漢も多い中、梁山泊を襲う様々な敵、そしてトラブル――

 前の巻での顔見せに続き、いよいよ梁山泊に正面から挑む混世魔王樊瑞の奇怪な妖術。一方、北京大名府では、梁山泊との関わりを疑われて牢に繋がれた玉麒麟盧俊義の命が風前の灯火に。そして…梁山泊を平らげるべく現れた最強の敵――武神、関菩薩こと大刀関勝。
 万全の状態でも苦戦必至の相手に対し、満身創痍の梁山泊が如何に挑むかが、この巻の見所と言えましょう。

 そして、これは毎回書いていますが、ストーリー構成の妙のみならず、キャラクター描写の見事さにおいても端倪すべからざるものがある本作。そしてこの巻において、このキャラクター面において最も注目すべきは、上に挙げた大刀関勝でしょう。
 原典読者の方であればよくご存じかとは思いますが、この関勝、梁山泊での席次の高さと裏腹に、原典でのキャラ立ちという点でははなはだ不十分な人物。あの三国志の英雄・関羽の子孫で、先祖と同じく青竜偃月刀を操るというのはよいのですが、まあ目立ちのはそのくらい。
 豪傑綺羅星の如く集う梁山泊の中では、正直なところあまり面白味のない人物なのですが、さすがはこれまでも幾多のキャラクターに新たな命を吹き込んできた「絵巻水滸伝」、これまでに登場したどの武人キャラとも異なる、まさに一種神懸かり的なスケールを持つ人物として描かれており――ネタバレになるため詳しくは書きませんが、この第九巻ラストでの「活躍」ぶりには驚かされました――なるほどこういう線から描く手があったかと唸らされた次第です。梁山泊最後の敵に相応しい貫目と言うべきでしょうか。
(また、この関勝の回りに、生真面目な赫思文、様々な陰を抱えた宣賛といった人物が配置されているのが、関勝のキャラを深めていていいのですね)

 物語的には、実は第八巻で発生した事件の大半が解決しておらず、そういう意味では第八巻同様、ずいぶん混沌とした印象ではありますし、本当にあと一巻で終わるのかしらんと不安になる部分がないでもないのですが、しかしここは素直に物語の巨大なうねりというものを楽しむのが良いでしょう。
 顔見せ組も含めて、百八星全員がこの巻で出揃ったことでもありますし、後はこれまで素晴らしい作品を作り上げてきた、森下先生と正子先生を信じて――最終巻、最終話を今は心から楽しみにしているところです。


「絵巻水滸伝」第九巻(正子公也&森下翠 魁星出版) Amazon

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 「絵巻水滸伝」第2巻 正しきオレ水滸伝ここにあり
 「絵巻水滸伝」第3巻 彷徨える求道者・武松が往く
 「絵巻水滸伝」第四巻 宋江、群星を呼ぶ
 「絵巻水滸伝」第五巻 三覇大いに江州を騒がす
 「絵巻水滸伝」第六巻 海棠の華、翔る
 「絵巻水滸伝」第七巻 軍神独り行く
 「絵巻水滸伝」第八巻 巨星遂に墜つ

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2007.10.08

「妖桜記」 裏返しの人間賛歌

 赤松満祐が足利義教を謀殺し、自らも幕府軍に敗死した嘉吉の乱は、まさに室町という時代の混沌を象徴した事件の一つですが、その混沌から始まる物語がこの「妖桜記」です。
山東京伝の「桜姫全伝曙草紙」を下敷きにしつつ、動乱の時代の背後で自由に筆を遊ばせた本作は、優れた時代伝奇小説であると同時に、皆川博子の伝奇小説の代表作の一つであります。

 嘉吉の乱を影武者により生き延びた満祐。満祐の寵を競うライバル・玉琴を惨殺した満祐の側室・野分御前とその娘・桜姫。殺されながらも呪力で蘇った玉琴とその息子・清玄。南朝再興をもくろむ周囲の思惑に翻弄される南朝の皇統の少年・阿麻丸…
 この物語においては、嘉吉の乱に始まり、後南朝による三種の神器強奪事件である禁闕の変、さらにはそのカウンターと言うべき赤松氏遺臣による神爾奪還の長禄の変と、ある意味この国の根幹を揺るがせた(…象徴的な意味として、ですが)事件の背後で、数多くの登場人物が正邪、いや邪邪? 入り乱れて展開することになります。

 このように歴史上の事件を背景にしつつ、また「桜姫全伝曙草紙」から登場人物名などを引いている本作ではありますが、しかしそうした縛りの類も全く気にしないかのように展開する本作を一言で表せば融通無碍、でしょうか。登場人物のほとんどは己の目的・欲望のためであれば、世俗の則などは全く気にしないようなゴーイングマイウェイな人物ばかり。物語の原動力とも言える彼らのその強烈な想いの前には、社会情勢だの歴史の流れだのと言ったものすら小さなものに思えてきます。

 そんな本作の中では、時として人間のひどく背徳的で猥雑な姿や、数多くの人々の残酷な死が描かれていくことになりますが、しかしそれは裏返しの人間賛歌とも言うべきもの。ありのままの人間の「生」の姿は、一種独特のおかしみと、そして爽快さすら感じさせてくれます。ことに、混沌に次ぐ混沌の果ての結末で阿麻丸たちが辿り着いた境地には、不思議な静謐さと解放感が溢れており「生」への力強い肯定が感じられたことです。

 幻想味や耽美さ(そして時折差し挟まれるユーモア)の中に人間の、そして時代の諸相を的確に浮かび上がらせる様は、まさに皆川博子ならでは、と言うべきでしょうか。現在絶版となっているのが非常に残念でならない、室町伝奇の名品であります。


「妖桜記」(皆川博子 文春文庫全二巻) 上巻 Amazon/ 下巻 Amazon

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2007.10.07

今週の「Y十M 柳生忍法帖」 出陣うぐいす侍

 月曜日が祝日で二日早かった今週の「Y十M 柳生忍法帖」。ただ一人会津の城に行くと言う十兵衛に対し、ほりにょたちが取り出したのは、彼女たちが飼っていた鶯、その名も七郎、というところまでが前回のお話でしたが…

 さて、鶯を連れてどうなるものかというのは十兵衛先生ならずとも当然の疑問。ほりにょのみなさんは、何事もなかったら放して下さいと言いますが――なるほど、放したらみんなの元に帰ってくるように仕込んであるのだな、と感心したのもつかの間、そんな仕込みはしていないと…

 おいおい、それでは何の意味があるんだと思えば、城の回りで見張っていますと、一歩間違えたら十兵衛先生の決意が無駄になりそうなことを言い出すほりにょの皆さん。そんなこと言っても、いつ放たれるかわからないものを…と思えば、念力で見張るから大丈夫と無茶なことを言い出します。

 そりゃあ、切っちゃった○○を念力で生やすよりはラクだとは思いますが(って、同じ山風作品とはいえよりによって何たる喩え)、それにしてもここまでくるとちょっとアレじゃないかと…
 などというこちらの失礼な感想を微塵に打ち砕いたのは、ほりにょの皆さんの目に浮かぶ涙なみだナミダ。
 …わかってるんだろうな、やっぱりみんな。本当は十兵衛先生だけでなく、自分たちの身も要求されたのを、いわば身代わりとなって、黙ってただ一人城に向かおうという十兵衛の心のうちが。

 十兵衛の想いがわかるからこそ、行けばまず間違いなく必殺の死地が待つ会津の城に向かう十兵衛を止めることはできない。ましてや共に行くこともできない。それだからこそ、無茶は承知でせめて鶯だけでも――
 まァこれはこちらの勝手な想像ではありますが、しかし五人の女性の美しい涙と、それに見送られて鶯入りの編笠と共に出陣する十兵衛の姿を見ると、こう思わざるを得ません。
(特にさくらの涙が印象的で…ボーイッシュを通り越してますます夜叉丸みたいになっただけに、一層その「女の涙」が胸に迫ります)

 …まあ、肝心の別れの言葉を「ホケキョ」と邪魔されてはかなわんですが(何だかほりのぶゆき先生の世界ですな「うぐいす侍」)。

 閑話休題、古今に例のない風流な出陣を行った十兵衛ですが、しかし向かう先は、おのれ以外はほとんど全て敵という、これまた古今に例のない地獄の戦場。果たしてこれにどう挑む、般若侠!
 …あ、真っ正面から堂々と入場ですか。これではどちらが城の主かわからない。被りものを取れとでかい声を張り上げた銀四郎の小物っぷりが際だつ、十兵衛先生の貫目にもううっとりです。

 さあ、いよいよ次々回あたりはあれか、あれが来るのか!? と胸ときめかすこちらをじらすように、来週はお休み…ってちょっと!

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2007.10.06

「柳生非情剣 SAMON」中編 純粋すぎる二人の行方は――

 昨日発売の「コミックバンチ」誌に、隆慶一郎先生の短編「柳枝の剣」の漫画化である「柳生非情剣 SAMON」が掲載されています。
 この「柳生非情剣 SAMON」は、半年以上前に、同誌に掲載されたものの続編。以前の掲載が、原作のほぼ半分程度までの漫画化だったのに対し、今回のはラストまで描ききるようです。

 前回の終わり方は、あれはあれで実に美しく、私はかなり気に入っていたのですが、恋愛というものが綺麗事だけで済ませるわけにもいかないのも確かな話。恋愛――それも徳川将軍と将軍家指南役のそれの始まりと終わりを、如何に描くのか。原作読者としても大いに気になるところですが…

 結論から言えば、田畑&余湖コンビの仕事は今回もお見事、の一言。柳生左門と徳川家光の主従にして師弟が、共に剣を交えるうちに惹かれ合い、戸惑い、そして結ばれる様が、田畑&余湖両氏一流のテンションの高い演出と筆致で描き尽くされています。

 ことに目を引くのは、この二人の純粋さを示す描写。
 父であり大御所である秀忠により、左門への愛に釘を刺された家光が見せる表情には、この愛の成就をもって父を超え、将軍としての己を確立させようという――そしてそれは、以前の柔弱だった己との訣別でもあります――強い意志が感じられます。
 一方、兄・十兵衛に、家光への指南を「剣術ごっこ」と揶揄された時に、彼が見せた強すぎる怒りの表情は、普段が冷徹だっただけに、彼が無意識のうちに抱いていた家光への想い――そう、彼はこの時初めて己の中の想いに気づくのでありました!――の強さを浮かび上がらせて、強く印象に残ります。

 考えてみればこの二人、全く形と質は違えども、共に己の心というものを強く圧した、あるいは律した者同士。そのある意味非常に純粋な者同士の愛情というものは、嗜好的には全くもってノーマルな私にとっても、違和感なく理解することができます。
(ぶっちゃければ、原作よりもだいぶ描写がマイルドになっているのがプラスに働いているのかもしれませんが)

 …もちろん、純粋すぎる者同士が結ばれて、それがうまくいくとは限らない。いや、本人同士は良いとしても、周囲との軋轢がそれを許すとは限らない。
 そんな二人を襲う嵐の行方については次回に続く、ということですが、さてあの結末をどのようにビジュアル化するのか、楽しみです。


 …と、ビジュアルと言えば最後に触れておきたいのが、本作における隆慶キャラ(と敢えて言いましょう)のビジュアル化の見事さ。
 主人公カップルは言うに及ばず、老境に近づいた秀忠のひねっぷりや、獰悪を画に描いたような十兵衛の黒さなど、(漫画的に誇張している部分はもちろんありますが)かなり満足いたしました。
 個人的には、わずか数コマの登場ながら、又十郎の飄々とも気弱ともとれるビジュアルが実にイメージどおりで、ぜひ次には同じ原作短編集に収められた「ぼうふらの剣」を! と感じた次第です(いや、大好きなんですあの作品)。


「柳生非情剣 SAMON」(余湖裕輝&田畑由秋&隆慶一郎 「コミックバンチ」2007年第45号掲載)


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 「SAMON 柳生非情剣」 美しき死人の生きざま

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2007.10.05

「狐ヶ原の異邦人」 異邦人の見た人間の真実

 このブログではできるだけ様々なジャンルの作品を紹介したいと考えている私ですが、さすがに少女漫画にはなかなか目が届かないというのが正直なところ。しかしそれだけに、思わぬところで隠れた名品・佳品と出会うこともあって、それはそれで嬉しいことです。
 本作「狐ヶ原の異邦人」もその佳品の一つ――人と人ならざる者が出会い愛し合う様を、優しく、瑞々しく描いた連作短編集です。

 狂言回しとなるのは、特派員として明治の日本を訪れた新聞記者ジャック・リンドバーグ。彼が、行く先々で出会った人々から聞かされた人と人ならざる者――異邦人の物語を書き留めるという趣向で、本書に収録された短編は描かれています。

 人間の医師に恋してしまった狐の娘の心に芽生えた切ない愛憎を描く「狐ヶ原の異邦人」、朱雀門の鬼との博打のカタに鬼の造った絶世の美女を手に入れた男の物語「朱雀門の異邦人」、そして人魚の肉を食べて永遠の若さを手に入れた娘の数奇な半生を語る「人魚岬の異邦人」…
 本書に収録された三つの物語は、題材的にはさほど目新しいものではありませんが(いや、第二話で「長谷雄草紙」を基にしているのはなかなか珍しいかな)、いずれもほどよくアレンジが利いて、人にも異邦人にも、どちらにもしっかりと感情移入できる物語として描かれています。

 それはこれらの作品が、題材自体は古典的であったとしても、その中にいつの世にも通じる、人間の、人間として生きることの弱さ・醜さ・哀しさというものと、それと背中合わせの強さ・美しさ・喜びといったものを巧みに織り込んで、登場人物を血の通った――そう、鬼に造られた美女に暖かい血が通ったように――存在としているからなのでしょう。

 そしてまた注目すべきは、その物語を綴るのが、自身も異邦人であるジャック青年であることでしょう。
 もちろん彼は正真正銘の人間でありますが、この日本という国においてはまさしく異邦人。その彼の目を通しているからこそ、異邦人を人間と同等のメンタリティを持つ存在として、人間と愛を交わすに足る存在として描くことが、一定の説得力を持つのではないかと感じた次第。

 ちなみに本書に併録された短編「新撰組青春録」は、原田左之助の物語を聞くために、老いた永倉新八のもとを一人の青年が訪れるという物語。この物語においては、青年にとっては新八が、新八にとっては青年が異邦人であり――そしてその二人の視点が入り交じるところに、人間・原田左之助の姿が浮かび上がることになります。

 異邦人の眼差しの中にこそ浮かび上がる人間の真実もある――そんなことを教えてくれる本書。
 これが作者の初単行本とのことですが、この先の作品も期待できそうな、そんな嬉しい出会いでありました。


「狐ヶ原の異邦人」(檜垣レイコ 秋田書店プリンセスコミックス) Amazon

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2007.10.04

「超忍者隊イナズマ!! SPARK」 山崎真実ってなかなか…

 スーパー戦隊もののスタッフ・キャストによるSFコメディ時代劇として一部で話題を呼んだ「超忍者隊イナズマ!」の続編が「超忍者隊イナズマ!! SPARK」。スタッフはほぼそのまま、キャストの約半分を入れ替えて臨んだ続編ですが、さて…

 (作中で)大ヒットした前作に気を良くして続編を制作することとなった2077年のTV局・マジカルTV。しかしその主演女優・三島つばめ(山崎真実)はコネで押し込まれた編成局長の娘で演技はダメダメ、しかも困ってる人を見ると「ほっとけなーい」性格で、現場をひっかき回してばかりという状況でありました。
 と、そのつばめがアクシデントからタイムトリップ、前作の舞台となった江戸時代に迷い込んでしまいます。そこでつばめが出会ったのは、今にも死にそうな暗い影を背負った青年忍者・ハヤテ(高橋光臣)。「ほっとけなーい」とハヤテに興味を示すつばめですが、(当然)ハヤテはガン無視…
 一方、続発する大名殺しを追っていた先代イナズマの細松(橋本淳)と寒吉(松本寛也)の前に現れたのは、奇怪な鎧武者。彼らこそは、ハヤテの姉を殺した仇であり、地球侵略をもくろむと宇宙人の尖兵でありました。
 ハヤテの悲しい過去を知ったつばめは、何とか彼の力になろうとしますが、ハヤテはすでに円盤と刺し違える覚悟。頼みの綱のイナズマも敵の前に屈した中、果たしてつばめは――

 複数ヒーロー体制だった前作に比べると、ぐっとつばめとハヤテに焦点を絞った本作、アイドル話の鬼・荒川稔久脚本らしく、ベタではあるものの往年のアイドル映画チックな内容となっていて、それなりによくまとまっていたかと思います。
 特に、山崎真実の嫌みのない程度に明るいキャラクターは、基本鉄面皮の高橋光臣とよいコントラストとなっていて、個人的には正直さほど期待していなかったこともあって嬉しい驚きでした。山崎真実ってなかなかいいじゃないと思えるくらいに…(あのイ゛~声が微妙に地だとわかったのはちょっとフクザツですが)。
 そして相手役の高橋光臣の方は、予想通り異常なまでに時代劇に違和感なし。どう見ても忍者というより侍でしたし、思ったほど活躍しなかったのがちょっと残念でしたが、まず期待通りの存在感で満足しました。
 ついでに残念といえば菊地美香の出番が前回以上に少なかったのですが、山崎真実とのもンの凄い身長差を強調するかのようなシーンがあったので良しとします。塚田Pの鬼!

 閑話休題、本作は言ってしまえば前作同様相変わらずのプログラムピクチャー、日曜日の朝に放映されている特撮ものを時代劇風味に味付けしたようなものではあり、時代劇を楽しみにすると…ではあります。
 しかし上記の通り主演カップルの魅力はきちんと出ていましたし、ビデオ特撮もの(とでも言えばいいのかしら)の中では、やはりスタッフ・キャストが群を抜いているだけあって映像的に出来のよい部類であって、本作が対象としている視聴者層であれば、まず楽しめる作品だと思います。

 ただ――肝心の敵役である宇宙人のキャラクターがどうにも今一つ二つなのがいただけない。頭の中身はニコチャン大王並みなのに、愛嬌はなくて無駄に戦闘力があるという、魅力のない敵役を絵に描いたような連中で、設定に捻りや必然性のあった前作に比べるとどうにもこうにも…あまりこういったところでマジになるのも野暮というものですが、チープなキャラを演出しようとして本当にチープになっちゃった感がひしひしとします。

 おそらくは来年も続編があるのではないかな、という気もしますので(いやあって欲しい)、つまらないところでポイントを落とさずに、今後とも楽しいプログラムピクチャーを見せていただきたいものです。
 そして高橋光臣はもっと時代劇に出て欲しいと心から思います。


 そしても一つ、ラストの別府あゆみはある意味必見。あまりにもインパクトがあり過ぎて、何だか本編の印象をすっかり持っていかれる危険性すらあります。あのくねくねっぷりはヤバすぎます。


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2007.10.03

「大江戸ロケット」 26発目「なんだかんだのリフトオフ」

 ゆうの仇である青い獣を討つ赤井。しかしご隠居の若返りの薬の効果で青い獣が大量増殖してしまう。一方、打上げ直前になって清吉はロケットの設計を変更するが、それを清吉がソラとともにロケットで脱出するためと見た遠山は打上げを中止させようとする。が、そこに赤井を斃した青い獣の群れが出現、銀次郎、鳥居と黒衣衆らがロケットに迫る青い獣を防ぐ中、遂にロケットはリフトオフするが…

 さあ泣いても笑ってもこれで最終回の「大江戸ロケット」、清吉の、ソラの、銀次郎の、赤井の運命やいかに!? と手に汗握って観てみれば…うははははは、ひでえ最終回<褒め言葉
 なんか前回の感想で、眉間に皺寄せて聞いたふうなこと書いてた俺涙目www

 もちろん、死闘の果てにゆうに看取られて(やはりあのピンクのやつはゆうの魂だったんだ…)逝った赤井の最期&EDカットの演出など、グッと来るシリアスな展開も用意されていますが、基本のノリはやっぱりコメディ。最後の最後の最後まで、どこから何が飛び出してくるかわからない本作のノリは健在で、明るい笑顔で最後まで見届けることができました。

 贅沢を言えば、せっかく鳥居様が「妖奇士」に続き大暴れwith絵に描いたようなツンデレライバル台詞で大活躍して下さった青い獣軍団との決戦があまりアニメ的に動いていなかったのが残念(いや何よりも、あのシーンこそ鉄十を大暴れさせるべきだろ 常考)ではありますが、逆に不満らしい不満はその程度。
 ロケットが打ち上がってから、ラストに至るまでのドンデン返しのつるべ打ちは、原作舞台を観ていても――いやそれだからこそ――非常に楽しむことができました(舞台ではサラッと語られたご隠居の秘密が、こちらではあんな形で爆発するとは…)。
 一番良いシーンで、「ボディを狙ってた」云々のしょーもないパロディネタを入れてくるセンスも相変わらずでしたしね。

 もちろん、単に楽しい、面白いお話というだけでなく、アニメ独自のテーマもきっちりと回収してくれるのが本作の素晴らしいところ。
 物語の冒頭から語られてきた、清吉がロケットを打ち上げるもう一つの理由である「江戸の人々に元気を与えたい」という思いが、前回提示された、科学技術が本質的に内包する危険性に対して、技術者が如何に身を処すべきか、という命題への回答ときっちりと結びついて、巨大なうねりを引き起こすという展開は――単なる「遊び」が社会を動かす力の一つとなるという痛快な皮肉も含めて――本作の一つの結末として、実に美事なものであったと思います。
(正直なところ、水野○○は、舞台で使われていた以前に、時代ものとしては当然使ってくるであろうネタで、扱いにはさほど期待していなかったのですが、まさかこうした形で絡んでくるとは…参りました!)

 原作を――そのメディアなりの特質を生かしつつ――再現するのはもちろんのこと、更に一歩推し進めて原作が秘めていた可能性をも提示してみせるのが、「原作付きもの」の理想と私は考えていましたが、本作はまさにその理想をきっちりと形にしてくれた感があります。

 更にこのサイト的な観点から言わせていただけば、時代ものとして観た場合に、滅茶苦茶をやっているようでいて、押さえるべきもの――単に時代考証や史実といった形式的な部分だけでなく、その作品をこの時代を舞台とした作品として作ることの必然性という、精神性の部分――をきっちりと押さえていた点は大いに評価すべき点と考えます。
 原作に中島かずき、脚本に會川昇、考証に近藤ゆたかという、およそこの業界で考えるに最高のメンバーが集まった以上、ただの作品で終わるわけはないと期待していましたが、その期待を遙かに上回るものを見せていただきました。


 個人的には、本作をアニメ界の「天下御免」と呼びたい…ってのは褒めすぎかもしれませんが、時代アニメ史上に残る作品であることは間違いないでしょう。
 何はともあれ、半年間もあっという間。本当に楽しいものを見せていただきました。

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2007.10.02

京都に行ってきました(もちろん時代もの関連) その二

 京都旅行話の続き。というか本題の「国際クロスメディアシンポジウム 歴史創作の魅力を探る~アジアンエンタテインメントの展望~」のお話であります。
 さて、このシンポジウムの(私ら的)メインは、何と言っても特別招聘講演たる、金庸先生の基調講演だったのですが、ここでアクシデント発生。

 何と、前日(前々日)の深夜になって、金庸先生来日中止のお知らせが――どうも体調を崩されていたようで、直前でドクターストップがかかったとのことですが、いやはやさすがに色々な意味でショックでした(香港から日本まで大した距離ではないですが、それでもいかんとなると、やはり心配にもなります)。
 もちろん、ここで丸々講演に穴が空いてしまうというわけにもいかず、金庸先生の片腕という話の孫立川氏が、金庸先生が事前に書いていたという原稿を朗読することとなり、さらにあの岡崎由美先生が孫立川氏と対談するという、これはこれで結構な内容となりました。

 で、その結果ですが――ううむ、残念ながらちょっと…という印象。「歴史創作、武侠、人のこころ」というタイトルから、大いに楽しみにしていたのですが、ちょっと期待していたものとは違っていたかな、というところでした。
 「中国と同様、日本の時代ものでも公平と正義が重んじられた結果、信長を裏切った光秀は日本ではいつも悪役」とか、「大デュマやウォルタァ・スコットなど西洋の歴史小説は真面目すぎてあまり面白くない」といったあたりは、まあ認識の相違とかサンプリングのナニということでまあ良いのですが、中国での金庸読者層を、他国、特に日本にそのまま当てはめているように話されていたのが非常に気になりました。

 中国での金庸読者層が、老若男女ほぼあらゆる層にわたって非常に広いのはよくわかるのですが、日本における読者層は――あまり言いたくないのですが――正直に言って極めて狭いとしか思えません。
 私の見たところでは、時代小説ファン層とも、ライトノベルファン層ともまた異なる(もちろん重なる部分は色々とありますが)、まさに武侠ファン層としか言えない層が日本における読者なのではないかと、強く感じているところです(さすがに岡崎先生はその点は認識されていると思いますが…対談でもその辺りは特に触れられず)

 金庸の作品と、いや武侠小説に比されるものは、日本においてはやはり時代小説・歴史小説と見えるのでありましょうし、それにはおおむね同意できるのですが、やはりそれぞれの特質を考慮に入れずに同質のものと考えるのは、やはり危険なのではないかな、と愚考した次第です。
(いつか、日本の時代伝奇小説と中国の武侠小説、さらには欧米の伝奇小説を比較して論じてみたいのですが、それにはまだまだ私は勉強不足です)


 さて、そしてイベントの第二部のシンポジウムなのですが、これも何というか微妙な味わい。
 出席者は、司会である細井立命館大学教授のほか、坂上東映常務、若泉NHKチーフ・プロデューサー、松原コーエー代表取締役で、まずこのお三方のプレゼンテーションがあったのですが、これがそれぞれの業務紹介の域を出なかったのが何とも…(それどころか単なる繰り言を延々と言ってる方もいましたが、敢えて名は伏せます)。
 「歴史創作」(というネーミングについても出席者は違和感を持っていたようですが)についてはさておき、「クロスメディア」という魅力的な概念について、ほとんど全くプレゼンの中で考慮されていなかったのが、残念でなりません(が、これはおそらく、主催者側の責任でしょう。というより、敢えて狙ったものかしら?)。

 一方、その後のパネルディスカッションについては、それなりに充実した内容であったかと思います。
 「歴史創作」の魅力、それを現代においても行い続けることの意味…一部、あまりにも司会のまとめ方がうますぎて、かえって議論が深まらないという部分もありましたが(ある意味珍現象ですなこれは)、こちらについては、ほぼこちらの聞きたかったことを聞くことができたかな、という印象であります。

 特に――これは全く私が意識していなかったことなのですが、現在様々なジャンルでクロスメディアが行われている中で、そのほぼ唯一の成功例がこの「歴史創作」という指摘は、大いに蒙を啓かれた思いです。
(ちなみにこのシンポジウム中では、その理由については明確には述べられなかったのですが、これはまず間違いなく、「歴史創作」の根底に、変えることのできない現実、すなわち史実があるという点から来ているのでしょう)。


 …と、全般的に厳し目の感想となってしまいましたが、「クロスメディア」というまだまだ馴染みの薄い概念を中心にしたシンポジウムとしては、うまくまとまった部類ではないかと思います。
 もちろん、上でも少し触れましたが、出席者それぞれに、「クロスメディア」に対する意識――それがいかなるものであれ――は持っていただきたかったところではありますが、それがあまりない、というのも現時点の答えではあるのでしょう。

 普段、小説・漫画・ゲーム・映像等々ごたまぜに扱っているうちのようなサイトとしては、やはり「歴史創作」と「クロスメディア」の関係は非常に気になるところでありまして、今後とも是非この関係を探る試みは続けていただきたいと願っているところです(個人的には、もう一回り二回り若い層のクリエイターの意見をうかがったみたいところなのですが)。


 と、わかったようなわからんようなイベント感想記おしまい。

 最後に、ほとんど初対面だった私に大変良くして下さった武侠ファンの方々に厚く御礼申し上げます。そして、今後ともよろしくお願いいたします――


 …今頃になって気づいた。正子公也先生のブースに行きそびれた――!

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2007.10.01

京都に行ってきました(もちろん時代もの関連) その一

 遅い夏休みをいただいて、九月の二十八日から三十日まで、二泊三日で京都に行ってきました。友達に会ったり、京都市内を観光(という名の迷子)したり、色々とあったのですが、メインは東映太秦映画村で三十日午後に行われた「国際クロスメディアシンポジウム 歴史創作の魅力を探る~アジアンエンタテインメントの展望~」というイベントです。

 このイベントは、九月末から十月上旬にかけて開催される「クリエイティブ・インダストリー・ショーケース in 関西」という、コンテンツ産業のイベントの一貫として、立命館大の映像学部と共催で行われるものですが、このサイト的に見逃せないのは、「歴史創作」(=時代もの、と言って良いかと思います)に関わる様々なメディアの関係者がパネルディスカッションをやるという点。そしても一つ、あの武侠小説の大家・金庸先生が来日・講演する! というのがお目当てで行くことになったのですが…

 ちなみに太秦映画村では、二十九・三十日と太秦戦国祭りというイベントも開催されていました。こちらはぐっと砕けた、時代ものアニメ・ゲームの展示会&コスプレイベントといった内容だったのですが、もちろんこちらもうちのサイト的には見逃せないもの。そこでこちらの模様を先に紹介しましょう。

 展示会としては、映画村内の建屋(もちろん場所が場所だけに長屋だったり番屋だったり)の中で、ある作品のビデオ上映とポスター、チラシ展示が行われているというもの。まあ、お手軽といえばお手軽なのですが、しかしいささか興味深かったのが、とある建屋で行われていたビデオ上映。
 「モノノ怪」「天保異聞 妖奇士」「シグルイ」という、うちのサイト的にはお馴染みの三作品の、それぞれ第一話が上映されていたのですが、観客の反応が実に印象的だったのです。以下、それぞれ挙げれば

・「モノノ怪」…一番反応大。かなりの人数が見入っていましたし、初めて観たらしい方が「この絵面白いねえ」と見入っていたのが印象的でした。
・「シグルイ」…人の入りはそこそこ。まだ刺激は少なめの第一話だったからかしら。
・「天保異聞 妖奇士」…頼むから聞かないで下さい。

 ちなみに今回私は、金庸講演のために日本各地(東京に名古屋、岡山に大分まで)から集結した武侠ファンの方々と一緒に行動していたのですが、その関係でご一緒した、武侠ものドラマを日本で発売しているビデオメーカーのマグザムさんのブースは、お世辞抜きで一番頑張ってらしたと思います。
 パンフはもちろんのこと、販促のDVDを配布、会場には中国のメーカー側で作成した販促資料(非売品)を展示と、ほかがせいぜいチラシ配布程度だったのに比べれば、非常に気合いが入っていたと思います。
 ちなみにビデオは金庸原作「碧血剣」の第一・二話が上映されていましたが、これがまたえらい気合いの入った作品で(ヒロインも綺麗だし)、日本の時代劇と引き比べてため息をついたり…


 さてイベントのもう一つの華…というか一番会場で目立っていたのは、コスプレイヤーの皆様。三十日は朝から結構な雨で、足下も相当ぬかるんでいたにも関わらず、それにも負けずに場内を闊歩していた姿には、感心しました。
 正直、コスプレについては門外漢ですが、根性なくてはとてもできない世界と、認識を新たにいたしました。いやはや、感服です。

 そしてコスプレの対象については、これはダントツに戦国BASARAが多かったですね。無双の方はほとんどなかった一方で、BASARA率が異常に高かったのは、ちょっと…いや、猛烈に興味深い現象でしたね。
(その次に目立ったのはブリーチでしたが…あれは時代ものと言わんのではないですか)
 ちなみに薬売りも二人ばかり見かけましたが、えらく良くできたコスプレで、ちょっと嬉しかったですね(写真撮影禁止だったのが残念)。

 そうそう、BASARAと言えば、ブースで一番人気は、「戦国BASARA2 HEROES」のデモプレイでした。まだ発売前のゲームに直接触れられるのですから、人が集まるのもわかりますが、コスプレの件と合わせると、これまた色々と興味深いことですね。

 ちなみにお昼は戦国村の中の店で食べましたが、隣のテーブルに日本刀とか槍持った人たちが座ってるのでなんだかスゴく戦国って感じでしたよ!<そんな戦国時代はねえ


 …と、戦国祭りのことを書いていたら予想通り結構な分量になってしまったので、クロスメディアシンポジウムについては次回に続きます。

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