「密封 <奥右筆秘帳>」 二人の主人公が挑む闇
田沼意次の孫・意明の死による家督相続願いをきっかけに、十二年前の田沼意知刃傷事件に関心を抱いた奥右筆組頭・立花併右衛門は、帰路に何者かの襲撃を受ける。併右衛門の隣家の次男で涼天覚清流の遣い手・柊衛悟は、護衛を引き受けることとなるが、彼らの前に、御前なる謎の存在が出現。その誘いの手を跳ねつけた併右衛門と衛悟だが、それは幕政を巡る暗闘の渦に巻き込まれることを意味していた…
決して多作ではありませんが、著作にほとんど外れなしという驚異の高打率ぶりに、個人的に大いに注目しているのが上田秀人先生。その上田先生が、講談社文庫に初お目見えということで、大いに期待していた本作「密封 奥右筆秘帳」ですが、これがまた期待通りの作品。歴史の陰に隠された権力闘争の闇に、若き剣士と老練の奥右筆が挑みます。
上田作品と言えば、一見些細なしかし奇妙な史実をきっかけに、その背後に隠された伝奇的大事件の謎に挑むこととなった剣士が、幕政の闇に潜む権力の魔と対決するというのが定番パターンですが、それは本作でも健在。
もちろん、パターンとは言っても、そこに秘められた伝奇的アイディア、そして物語を彩る迫真の剣戟描写は作品ごとにオリジナリティ溢れるものであって、それが上田作品の魅力でもありますが、本作においては、それに加えてキャラクター配置に更なる工夫が見られます。
それが、第二の主人公と言うべき併右衛門の存在。
正義感の強い若き剣士という衛悟の人物造形自体は、上田作品の主人公にほぼ共通したものでありますが、本作ではそれに加えて、併右衛門という、人間としても幕府の役人としても成熟した人物を配置することで、物語に深みを増すことに成功しています。
これまでの上田作品においても、まだ成長途上の主人公を見守り、導くという立ち位置の人物はほとんど毎回存在してはいたのですが、それがいわば後見という立場であったのに対し、本作の併右衛門は、より事件の中心に近いところにいる――というより物語の発端を作った――人物。
年齢も立場も、性格も思想も異なるこの二人の人物を一つの事件に立ち向かわせることにより二つの軸が生まれ、物語のよい刺激になっていると言えるでしょう。
さらに感心させられるのは、併右衛門が奥右筆組頭という地位に設定されている点です。
奥右筆というのは、幕府のあらゆる公文書の管理・作成、さらには内容の確認・審査を行う役職ですが、一種の官僚制であった徳川幕府において、その重要性というのは想像に難くない話。実際、老中の御用部屋に直接出入りして、所見を述べることもできる立場であって、その組頭ともなれば、現代で例えれば中央官庁のノンキャリ組のトップクラスといったところでしょうか。
つまり、その気になれば幕府の秘事にアクセスし得る立場にある一方で、身分としてはさほど高くない(=権力者の思惑に容易に振り回されてしまう)わけで、これは時代伝奇もの――特に上田作品のようなスタイルの――としては実においしい存在であります。
主人公の一人に、この奥右筆を持ってきた時点で、本作の成功はほぼ決まっていた…というのは言い過ぎでしょうが、その着眼点の見事さには舌を巻きました。
もっとも、この二人の立場の違いが、読んでいて何ともすっきりしないものを残す部分もあるのもまた事実。あらかじめシリーズ化を前提としているらしく、本作だけでスパッと話が完結しているわけではない点が、またそのモヤモヤに拍車を掛けています。
しかしこの辺りはもちろん作者の計算の上のことなのでしょう。挑む相手は同じでも必ずしも同心しているとは言い難い二人が、互いの立場を乗り越えて手を取り合う、バディものとしての要素も期待できるのではないかと、感じている次第です。
しかし二人の立ち向かう権力の闇は想像以上に巨大(何せ、自分の上司や庇護者も信頼できないのが上田作品だからして…)。更にラストでは、全く予想もしていなかった方角からの勢力が出現、まだまだ二人の前途は多難のようです。
この先二人が如何なる秘事、難局に挑むことになるのか――一刻も早く次の巻を手にして確認したいものです。
「密封 <奥右筆秘帳>」(上田秀人 講談社文庫) Amazon
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