« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »

2007.11.30

「歴史群像presents ものしり戦国王」 ニッチながらも濃い一本

 29日は様々なゲームが発売されましたが、その中で、ニンテンドーDSの「歴史群像presents ものしり戦国王」を買ってきました。
 今や国民的ゲーム機となった一方で、ニッチなソフトが山のように発売されているDSですが、本作もそんな中の一本。
 とにかく出題されるのは戦国時代絡みのみ! という非常に潔いクイズソフトですが、なかなか面白いシステムが用意されています。

 本作は、群雄割拠の戦国大名を一人選び、クイズで他の大名を倒して天下統一を目指すソフトで、それ自体はよくあるパターンですが、そこにちょっとシミュレーションゲームチックなシステムが絡めてあるのが最大の特徴。

 各大名にはHP(何度お手つきできるか)に当たる「兵力」、制限時間に当たる「兵糧」のパラメータがあり、「合戦」と呼ばれる戦国大名同士のクイズ勝負では、これらが先にゼロになった方が負けとなる、というのが基本ルールです。
 これらは自分のターンの時に「内政」というコマンドを選ぶと、値を増やすことができるのですが、そのターンの行動はそれで終わってしまうので、内政だけにかまけていると他国に攻められる一方で領土を増やせないため、バランスを取った行動が必要となります。
 また、倒した大名家の武将等は、「副将」として登用可能で、合戦ではそれぞれが持つ特殊効果を使用できるので、この辺りにも気を配る必要があります。

 このようにクイズゲームらしからざるシステムの本作ですが、肝心のクイズの方も、四択のほか、並び替え・書き取り・連結(口述)の種類があってなかなかのバラエティです。
 その内容は、冒頭にも述べたとおり本当に戦国一色で、簡単なものもありますが、基本的に教科書レベルの知識では到底太刀打ちできないようなものばかり。特に、左右四つずつの選択肢の関係のあるもの同士を線でつなぐ「連結」クイズなど、「大名と、その正室の生家をつなげ」というような問題の連続で、戦国専門ではないものの、こういうサイトを作っている私も涙目になるほどの難易度です。

 もっとも、そうした場合でも、副将のチョイスや侵攻順を考えることでかなり負担は減るので、この辺りの駆け引きがなかなか楽しい…というより本作のキモかもしれません。

 とにかくニッチもニッチ、本当にプレイする人間を選ぶソフトですが、それだけに中身は実に濃い。我こそは! という方には是非チャレンジしていただきたいですね(裏を返せば、興味のない方は手を出さないのが無難ですが…)


※本日の内容は某スレに書き込んだものをベースとしました


「歴史群像presents ものしり戦国王」(グローバル・A・エンタテインメント ニンテンドーDS用ソフト) Amazon

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.29

「生死卍巴」 良くも悪くも国枝作品

 ある晩、不思議な女から「山岳に行け」という託宣を受けた若侍・宮川茅野雄。折しも飛騨に暮らす従姉妹からの便りを受け取った茅野雄は、飛騨の山中に旅立つが、そこで彼を待ち受けていたのは、激しく憎しみあう二つの宗教境と、謎の宝を巡る争いだった…

 主に「神州纐纈城」をもって、現代の読書人にも知られるところとなった国枝史郎ですが、もちろんその作品は――特に時代伝奇ものは――「纐纈城」のみならず、多数遺されています。
 長編たる本作「生死卍巴」もその一つですが、いやこれが実に色々な意味で国枝らしい作品であります。

 物語のスタイル自体は、不思議の秘宝を巡って、主人公をはじめとして様々な勢力が相争うという、時代伝奇ものの一典型でありますが、しかしその中心にあるアイディアがもの凄い。
 それは何と、江戸時代の日本に既に「回教」――すなわちイスラム教が伝来し、密かに将軍のお膝元、江戸にて布教が行われていたというもの。しかもその教徒たちで崇められている「極東のカリフ」なる何とも胸躍るネーミングで呼ばれる人物が、御三卿の一つ、一橋家の人間なのですから素晴らしいお話です。

 …が、設定の面白さ・奇抜さがなかなか本編の面白さにダイレクトに繋がっていかないのが国枝作品の恐ろしさであります。これだけ面白そうな設定を用意し、如何にも曰くありげな登場人物が次々と現れながら、作中で繰り広げられるのは追いかけっこと、その唐突な解決。
 熱心な国枝ファンの方には怒られそうですが、腰砕けな結末もあって、決してつまらない作品ではないものの、何とも評価に困ってしまう作品ではあります。


 もちろん、これこそが国枝作品の味(の一つ)と言えば全くその通りですし、上に述べたアイディアの強烈さなど大いに賞すべき作品であります(江戸時代にイスラム教を登場させた作品は、もちろん皆無と言うつもりはありませんが、相当少ないはず)。
 山中異界、曰くありげな貴人、理想郷的宗教団体と、道具立てもいかにも国枝らしい(これで怪建築と人体解剖趣味が加わったら、ほとんど完璧)作品で、国枝作品の何たるかを知るには、良い作品かもしれません。


「生死卍巴」(国枝史郎 未知谷「国枝史郎伝奇全集」第四巻ほか所収) Amazon 青空文庫

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.28

「真田十勇士」(ファミコン) 今なお色褪せぬユニークなシステム

 私、実はレトロゲームというやつが大好きで――というか、中学生くらいの頃やっていたゲームが今ではレトロゲームと呼ばれてしまっているわけですが――暇を見つけてはちょこちょことプレイしています。
 レトロゲームも、最近は携帯電話のアプリに移植されたり、任天堂のWiiのバーチャルコンソールで販売されたりと昔に比べてだいぶプレイしやすくなっていますが、その中にも当然(?)時代劇ゲームが含まれています。
 今回紹介する「真田十勇士」もその一つ。ファミコンで発売された時代劇RPGが、今では携帯電話でプレイできるのですが、これが実はかなりユニークなシステムで、今なお色褪せぬ楽しさがあります。

 ゲームのストーリーは単純、徳川家康を倒すために、真田幸村が諸国を巡り十人の勇士を集めるというもの。内容的にも、まあよくあるお使いメインのRPGなのですが、システムが実に面白い。
 このゲームにおいては、幸村と十勇士のHP=配下の兵の数。兵隊が多いほどHPが大きく、ゼロになると戦闘不能になってしまうのは当たり前ですが、実はこのゲームには経験値やレベルというものがないので、戦闘を繰り返していれば自動的に兵隊が増えていくというわけではありません。ではどうするかと言えば、フィールドに出現する敵を説得して、自分の配下に加えていくのですね。だからうまく立ち回れば、敵を倒さないでも自分たちの力をどんどん高めていくことができる――つまり、戦闘を繰り返さなくてもクリアできるというのは、当時の作品としてはずいぶん斬新だと思います。

 そしてこのシステムをさらに面白くしているのが、プレイヤーキャラと敵の種別による相性の設定。プレイヤーキャラには、それぞれ種別――たとえば佐助は甲賀忍者、才蔵は伊賀忍者、伊左入道は僧兵――が設定されていて、そのそれぞれについて、敵との戦闘・会話の相性が設定されています。
 この相性が良い相手であれば、説得して仲間にしやすい、もしくは戦闘してもたやすく倒せるのですが、相性が悪い相手に対しては、説得しても攻撃され、攻撃してもダメージはさっぱり…ということになります。

 このゲームではプレイヤーが最終的には幸村+十勇士の十一人パーティーという、これまたこの時期のゲームには非常に珍しいくらいの大所帯になるのですが、それだけ人数がいると、それぞれの個性が発揮しづらくなるところを、この相性の設定により、うまくそれぞれの出番を用意することに成功しているのには感心します。
(出番と言えば、十勇士は非戦闘時にそれぞれ一つずつ固有の特殊コマンドを持っていて、それを発揮してプレイを有利に進めたり、謎を解いたりするのがまた実に面白い)

 もっとも、逆に言えばこの相性を知らなければ手も足も出ないのが欠点と言えば欠点、経験値稼ぎしてキャラを強くすることもできないので、一度ハマるとジリ貧になったままゲームオーバー、というのも特に序盤にもよくある話。
 まあこの辺りは、キャラよりもプレイヤー自身の経験が必要と解すればよいのでしょう。いずれにせよこのHP=配下と、相性の二つのシステムの採用により、凡百のRPGでは及びもつかない面白味が生まれていることは、大いに評価すべきでしょう。

 もちろんファミコン時代のゲームではあり、今の目で見ると山のように厳しい部分はありますがそれはご愛敬。レトロゲームファン、時代劇ゲームマニアであれば、十分楽しめるのではないかと思います。
 発売元のケムコは、バーチャルコンソールにも参入しているので、いつかこちらでもプレイできるようになるのでは…と密かに期待している次第。


「真田十勇士」(ケムコ ファミリーコンピューター用ソフト) Amazon

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.27

今週の「Y十M 柳生忍法帖」 挑発も兵法なり

 格好良く見得を切ったと思えば妖怪じじいの忍法に敗れてしまった十兵衛。ツンぶり(というよりドSぶり)を発揮したおゆら様のおかげで(?)、一命は取り留めたものの、連れて行かれた先は…というところから始まる今週の「Y十M 柳生忍法帖」。徒手空拳よりなお悪い、ダルマ状態で牢屋チックな雪地獄に放り込まれてしまった十兵衛ですが――手も足も出せなければ口を、とばかりに銀四郎と虹七郎を口撃しまくりであります。

 刀を取って戦う代わりに口で攻撃というのは卑怯に思えるかもしれませんが、真剣勝負の場に於いては、相手を挑発して怒らせ、隙を作ったり自分に有利なシチュエーションにもっていくのも立派な兵法。
(思えば本作、沢庵和尚といい七人の坊さんといい、この「兵法」に長けた人ばかりだな…)

 しかもこの場合、キレやすい若者には普通の挑発、外道とはいえ剣客の端くれに対しては相手の自尊心をくすぐるという――もっとも、こちらは多分に本心だと思いますが――使い分けも巧みで、いやはや十兵衛先生は兵法巧者です。

 もっとも、江戸の花地獄からも生還したんだからここからも脱出してみせるぜ(意訳)、というのは、けっこう仮面に助けてもらった人が言うことではないと思いますが…


 何はともあれ、さんざんに挑発されながらも、ほりにょの居所は聞き出さねばならず、おゆら様の言いつけもあって、かろうじてその場は抑えた二本槍。とりあえずその場はひきさがりますが、残されたのは十兵衛と無数の女性たちばかり。

 地獄とは言い条、花地獄と比べてもパッと見普通の牢獄で、特段恐ろしいことはなさそうにも見えますが…さてその真の姿は以下次号ということで。
(しかしこのペースだと、大変な場面で年越しになりそうな…)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.26

「江戸八百八町物語」 江戸を生きる

 柴錬先生というと、やはりニヒルなヒーローが活躍する伝奇絵巻という、その派手な作品内容がまず浮かびますが、しかし静かな中に凛としたものを感じさせる語り口の妙も、決して忘れてはいけない魅力です。
 この「江戸八百八町物語」は、その柴錬先生一流の語り口の冴えを存分に味わうことができる一冊。エッセイ風の小説と言うべきか、小説仕立ての巷説と言うべきか――全十四編、江戸時代という時代の持つ様々な貌を、興趣に富んだ物語として味合わせてくれます。

 題材については実に様々――以下にタイトルを引用すれば、
江戸っ子由来/赤穂浪士異聞/御落胤/ゆすり旗本/仇、討たれず記/異変護持院原/有馬猫騒動/女中・妾・女郎/大奥女中/五代将軍/武士というもの/賄賂/江戸っ子/紀伊国屋文左衛門
と、そのバラエティに富んだ内容は一目瞭然でしょう。
 主人公となる人々も、身分は上から下まで、職業も千差万別ですし、題材となる事件や風物も、ごく地味なものからそのまま伝奇ものになりそうなものまで様々ですが、しかしそこには、いかにも柴錬先生好みの、一本筋が通ったものが感じられます。


 例えば冒頭に収められた「江戸っ子由来」という作品。タイトルからして本書にピッタリですが、そこで語られるのはあの天下のご意見番・大久保彦左衛門の一代記であります。
 徳川家に天下を取らせたという、その誇りを胸にして生きる彦左衛門ですが、時流の移り変わりは誰の目にも明らか。

 それでも昂然と胸を張って生きる頑固一徹・ひねくれ放題の彦左衛門の姿は、周囲の人間から見れば、迷惑と言えば迷惑なのですが、しかし己の筋というものを、己の人生を賭けて貫いたその姿からは、意気地、心意気といったものが、強く伝わってくるのです。
(ちなみに柴錬先生、こういう微笑ましい困り者を描かせると抜群に巧いですね。ご本人もこういう方だったのではないかしらん)

 そしてその彦左衛門の生き様が、晩年になって意外な実を――それが「江戸っ子」という概念なのですが――結ぶ結末には、静かな感動があります。


 もちろん、本書で描かれるのはこうした最後まで心意気を貫いた者だけではなく、貫こうとしてできなかった者、かえって悲惨な目にあった者など様々ですが、それはそれで人間の諸相というものでしょう。
 江戸を生きる人々を描いた歴史読み物として面白いのはもちろんのこと、柴錬作品の裏側にある精神性を考える上でも、実に興味深い一冊であります。


「江戸八百八町物語」(柴田錬三郎 講談社文庫) Amazon

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.25

「しゃばけ」(TVドラマ版) 映像作品ならではの「しゃばけ」

 昨晩放映されたTVドラマ「しゃばけ」。原作ファンの端くれとして期待と、それ以上に不安一杯で観たのですが…ごめんなさい、大変面白うございました。

 正直なところ、観る前に一番不安だったのは、特撮に関してでありました。
 およそこの手の特撮を使用した時代劇というものは、それなりのお金をかけ、それに加えて相応のセンスがなければ、惨憺たる結果となるもの。そんなわけで過去のアレやコレを想像して勝手に暗い気分になっていたのですが――これが嬉しい形で裏切られました。
 つくも神と化した器物がひょいと動く様のようにちょっとしたものから、鳴家がちょこちょこと動き回る姿、さらにクライマックスの大火災に至るまで、まずは違和感なく「しゃばけ」の、ちょっと現実から外れた、しかしリアルな手触りの世界を巧く描き出していたと思います。

 しかし特撮はあくまでも本編を扶けるもの。ドラマを支えるのは役者さんの演技ですが、これもまた良し。若だんなを演じた手越祐也さんは、元々の顔の造作がしっかり目のせいか、最初は違和感がありましたが、その言動やちょっとした仕草などは、確かに若だんな。弱くて強い、そんな若だんなのキャラクターをきちんと演じていたかと思います。
 しかし何と言っても今回のMVPは、仁吉と佐助を演じたお二人。特に仁吉役の谷原章介さんなど、ビジュアルの時点で既にはまり役だったのですが、いざ動いてみればこれがもう本当にそのまんま。原作の時点からすでにそうでしたが、二人ともつくづくおいしいキャラクターでした。

 さて、そんなキャラクターが活躍する物語の方は、原作から色々とアレンジが加えられており、特にラストの火炎の中での対決シーンなどは大きく原作から改変されていて、この辺り、原作ファンの方にとっては、面白からざる点だったかもしれません。
 しかし個人的には、この改変も十分許容範囲でした。本作のテーマである親と子の情、人と人との間の――もちろんそれは人と妖との間も同じなのですが――心の絆、さらには生きること、命の重み…そうしたものに対する若だんなの想いがクライマックスに向けて収束していく様は(泣かせに走りすぎかもしれませんが)、ドラマとして良くできていたと感じます。
(ナレーションが実は…という点や、佐助の過去話など、小技も色々と巧い)

 ファンタジックな、しかし生きた人の心が存在するドラマとして、原作に負けない映像作品ならではの「しゃばけ」を見せてくれたこのTVドラマ版。これは是非とも、続編を製作していただきたいものだと素直に思います。


 ちなみに、個人的には、柴田ゆう先生のイラストから大きく異なった鳴家のデザインが大いに不満だったのですが、動いている姿を見るとこれはこれでなかなか…


関連記事
 しゃばけ
 「ぬしさまへ」 妖の在りようと人の在りようの狭間で
 「みぃつけた」 愉しく、心和む一冊
 「ねこのばば」 間口が広くて奥も深い、理想的世界
 「おまけのこ」 しゃばけというジャンル
 「うそうそ」 いつまでも訪ね求める道程
 「しゃばけ読本」 シリーズそのまま、楽しい一冊

 ドラマ公式サイト
 小説公式サイト

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.24

「黒猫侍」(その2) “猫”である理由

 昨日から続きます。
 例えば――吉良上野介が高家筆頭であり、朝廷との関係から、浅野内匠頭の刃傷は、そして赤穂浪士の討ち入りは、帝への不敬とみなされたという観点には、コロンブスの卵的驚きがありますし、そこに公家と武士の境界人たる上総介が、一連の事件に関わる一種の必然性が浮かび上がります。

 が…どこまでも一筋縄ではいかなり本作、赤穂浪士に関わる事件はいつしかフェードアウトして、上総介は大岡忠相が持ち込む種々雑多な事件に挑むことになります。
 これは、週刊連載ゆえの構成の崩壊にも見えるのですが、しかし、よくよく見てみれば、物語の中心にあるもの自体は、変わっていないことに気づきます。
 すなわち、本作の真のテーマは、赤穂浪士にとどまらず、その彼らの行動の根幹としてあった「武士」という存在、その生き様にあるのではないか…そう思えるのです。

 こうして考えてみると、本作の題名が、そして主人公の異名が、何故黒“猫”侍なのか、その意味もわかろうというものです。
 そう、己の主に忠実な“犬”=武士に対比した存在としての、飼い主の恩など知らぬげに自由に振る舞う“猫”=公家と――


 大衆エンターテイメントとして読者を楽しませながらも、その背後で武士という存在に対して、思いも寄らぬ深い論考を展開してみせる…五味大人らしい、ユニークな作品であります。


 さあここで台無しなお話。本作のヒロインの一人である尚姫のキャラクターが、これが今の目で見ると何だか凄い。
・主人公の血の繋がらない妹
・男装の美少女で剣の達人
・周囲に対してはツン(公家だし)だが、主人公には途方もなくデレる

 …到底数十年前に書かれた作品のヒロインとは思えぬナニっぷりで、五味先生の凄みというものを味わいました。
 ライトノベル読者は五味作品を読め、というのはこのことか!<違います


「黒猫侍」(五味康祐 徳間文庫) Amazon

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.23

「黒猫侍」(その1) 赤穂浪士への視線

 時は享保、江戸に奇怪な妖術を操る黒猫道人なる怪人が現れた。吉良方の残党を指嗾し、幕府を翻弄する道人を打ち倒したのは、公家の身分を捨てて武士となった先の清閑寺中納言、中興上総介。その業を讃え、「黒猫侍」と人に呼ばれるようになった上総介だが、彼の前にはなおも幾多の怪事件が待ち受けるのだった。

 近頃、新潮文庫の「薄桜記」解説にて、かの荒山徹先生が激賞したのが本作「黒猫侍」であります。なるほど、曲者荒山先生お薦めだけあって、面白いのはもちろんのこと、なかなか一筋縄ではいかない、なかなかに味わい深い作品でありました。

 やんごとなき生まれながら市井に暮らす知勇に優れたヒーローが、次々と起きる怪事件を、快刀乱麻を断つが如く解決していく本作は、これだけ見れば典型的な時代エンターテイメントと申せましょう。
 もちろん、五味康祐先生だけあって、剣戟描写の味わいは言うまでもなく、もう一つ、五味先生お得意の艶っぽいところも色々と織り込まれていて、(一部、五味長編らしい難渋な部分はあるものの)まず見事な大衆文学ぶりです。

 が、注目すべきはその題材でしょう。物語のプロローグである黒猫道人のエピソードをはじめとして、本作の中盤過ぎまで描かれるのは、あの赤穂浪士の仇討ちをきっかけとした、悲喜こもごもの人間群像というべきものであります。
 あの仇討ちから二十年近くがたち、事件のディテールが忘れ去られて浪士たちの偶像化――そしてそれと背中合わせの吉良方への白眼視――が強まる中、現実と義挙(と伝えられるもの)の間の一種の歪みが吹き出したものこそが、上総介が立ち向かう事件の核であります。

 四十七人の英雄の影で、一体どれほどの人間が涙を呑んだか。討たれた吉良方はもちろんのこと、仇討ちの脱盟者や、事件に関わった大名家、さらには公家に至るまで、多くの人々の運命を狂わせた仇討ちの姿を、本作は上総介の活躍を通じて問い直す形となっています。

 その視線は、自然、仇討ち――というよりもそれを義挙ともてはやす社会と人間の在りよう――に批判的なものとなりがちではありますが、しかしそれは、単純に善悪をひっくり返してみせたようなものではなく、より複層的で、様々な角度から切り込んだものとなっているのには唸らされます。
(いささか長くなりましたので明日に続きます)


「黒猫侍」(五味康祐 徳間文庫) Amazon

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.22

「乱飛乱外」第四巻 二つの視線の違いは

 オビの久米田先生のガチ発言に戦慄しつつ手に取った「乱飛乱外」の新刊ですが、気づいてみればもうこれで四巻目。
 表紙に描かれた、微妙にけしからん格好をした巫女さんのとんでもない正体について語られる第一話を除けば連続ものとなっておりますが、これまでの雷蔵の婿入り騒動ストーリーとは異なり、雷蔵とかがりの絆に一大危機が訪れることとなります。

 お家再興のため、姫君への婿入りを目指して放浪する雷蔵一行の前に現れたのは、雷蔵の家と縁があるという眼鏡っ子・薊。家事全般の達人でよく気がつき、もちろん美少女という薊の存在が気が気でないかがりですが、ついに彼女が宿敵・冠木星眼の配下であると見破ります。
 が、それこそは薊の罠。巧みにかがりを嘘つきに仕立て上げた薊のため、かがりは雷蔵の信頼を失ってしまいます。
 そんな彼女たちの隙を突いた薊の更なる奸計により、無実の罪で捕らわれる雷蔵。そしてかがりの前には、彼女を付け狙う(性的な意味で)星眼その人が現れ――

 言ってみれば時代アクションラブコメたる本作ですが、ラブコメということは、当然(?)主人公カップル破局の危機というのは避けられないネタであります。
 が、本作においては、それは単なる失恋以上の危機。雷蔵との心の絆が途切れたということは、彼女の「神体合」――恋する相手の視線を感じることにより無双の身体能力を発揮する秘術もまた破れたということを意味するのですから…
 その本作ならではの設定を活かしたストーリーは、達者な絵柄・アクション描写もあって実に楽しいのですが、それをさらに盛り上げるのは、いよいよ物語の全面に現れた冠木星眼の存在でしょう。

 周囲に凄腕の美女をはべらせ、「天下布女」なるとんでもない旗印をかかげる、戦国のパプテマス・シロッコとでも呼ぶべき星眼は、しかし、己の配下を弊履を棄てるがことく見捨てて恥じない男であり、その点において、雷蔵と全き対照を成す存在であります。

 そんな雷蔵と星眼の二人をそれぞれ慕うかがりと薊が激突するラストバトルは、同時に、二人の信条・心根が間接的にぶつかりあう戦い。部下を信じると言い条、冷然とこれを見下す星眼と、術の発動条件であるか否かを問わず、心からの熱い瞳を向ける雷蔵――
 二つの視線の違いはそのまま二人の生きざまの違いであり、そしてかがりの神体合は、その違いこそを原動力とする、ある意味本作の象徴と言える術と言って良いかと思います。

 ギャグやアクション、お色気描写など魅力は多い作品ではありますがしかし、この物語構成の巧みさも、紛れもなく本作の大きな魅力と感じた次第です。


「乱飛乱外」第四巻(田中ほさな 講談社シリウスKC) Amazon

関連記事
 「乱飛乱外」第1巻 くノ一大乱戦
 「乱飛乱外」第2巻 婿入り作戦大乱闘
 「乱飛乱外」第三巻 今度は柳生の剣豪姫?

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007.11.21

「天保異聞 妖奇士」(漫画版)第二巻 もう一つの妖奇士完結

 先日DVD第八巻をもって完結した「天保異聞 妖奇士」ですが、それとほぼ時を同じくして最終巻が刊行されたもう一つの「妖奇士」――それが本作、漫画版の「天保異聞 妖奇士」であります。

 この最終第二巻は、丸々長編エピソードを収録。
 小笠原の友人である北町与力・日鷹から探索を依頼されたのは、江戸の街角に、六角形を成すように並べられた六つの饅頭の謎。どう見てもたんなるいたずらにしか見えぬこの饅頭には、しかし途方もない企みと、意外な強敵の存在が隠れていた…というのがあらすじであります。

 設定的には妖怪退治の伝奇アクションものというスタイルを取りながら(もちろんそういう作品であるのは間違いないのですが)、良くも悪くも強烈なテーマ性を持った、一筋縄ではいかぬアニメ版に対して、こちらの漫画版の方は――特にこの第二巻は――かなりストレートな時代伝奇アクションという印象。

 ここから先はネタバレになってしまいますが、六つの饅頭に込められた真の意味、奇怪な術法に込められたのは、妖夷をもって江戸城を討ち滅ぼそうという一見突拍子もない陰謀。そしてその主魁は、かつて異界に渡り、漢神を操る男――すなわち、もう一人の往壓というべき存在であります。
 アニメ版においても西の者が漢神を用いていましたが、今回登場する敵は、往壓とはネガとポジというべき、表裏一体の存在であり、これはこれで実にオイシイキャラクターと言えます。

 上記の通り、物語の方も大仕掛けな時代伝奇ものとなっており、また往壓以外の奇士の活躍も散りばめてあって、まず時代伝奇アクションとしてはなかなか楽しい作品となっており――これはあまり言いたくないのですが――アニメ版よりもこちらが性にあう、という方もいるのではないかと思います。

 少なくとも、「妖奇士」の設定を使ったメディアミックス作品、もう一つの「妖奇士」としては十分以上に楽しめた本作。
 アニメ同様、こちらの方もこれにて見納めというのは大変残念なことではあります。
(ちなみに、アニメのラストを観た後にこちらのラストを読むと、ちょっと複雑な気分になったり…)


「天保異聞 妖奇士」(漫画版)第二巻(蜷川ヤエコ&會川昇・BONES スクウェア・エニックスヤングガンガンコミックス) Amazon

関連記事
 「天保異聞 妖奇士」(漫画版)第一巻 もう一つの妖奇士見参

 今週の天保異聞 妖奇士

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.20

今週の「Y十M 柳生忍法帖」 魔女ヒロインの面目躍如?

 一週空いただけなのにずいぶん待たされた感のある「Y十M 柳生忍法帖」ですが、前回は、十兵衛と銅伯のファーストコンタクトで十兵衛が敗れるという衝撃的なラストだったのだからムリもない話。さしもの十兵衛とて両刀を奪われてはいかんともし難いはずですが、さてどうなるかと思えば…

 意外とあっさり降伏してしまいました。思い切りがいいというか、それだけ銅伯の実力が身にしみてわかったということでしょうか…あるいは、痛みでふるふるしながら解説する銅伯(剣撃に対してはおよそ無敵と思われる「忍法なまり胴」(not銅)ですが、やっぱり痛いものは痛いというこの描写がなんだか微妙におかしい)を目の当たりにして、ようやく銅伯と天海の関係を納得できたということでしょうか。

 とにかく、十兵衛のギブアップに喜んだのは二本槍、お前ら素手の相手に喜んで打ち込むなよ! と言いたくなるような勢いで十兵衛に襲いかかりますが、それを止めたのは意外な人物――おゆら様。
 しかし彼女が突然仏性に目覚めたわけでは当然ありません。このまま殺したり拷問にかけたりするのはたやすいが、十兵衛のようなタイプにそれは面白くない、その前にたっぷりいたぶって人間性を貶しめ尽くして、それを観て高笑いしてやろうという、まあ要約すればそんな感じです。

 ここしばらく、登場しても何だかのほほんとした表情が多く、すっかり可愛いキャラとなっていたおゆら様ですが(もちろんそれも彼女の一面なのでしょうが)、しかしこれまでの所業は、加藤明成にも匹敵するほどのおぞましいもの。ここに来て、素晴らしいドSっぷりが発揮されそうで、いかにも山風魔女ヒロインの面目躍如といったところでしょうか。ええい、ドSだったら千姫様だって負けてはいないぞ!<比べてどうする
(と、話には関係ないのですが、せがわ先生の画で山風聖女ヒロインも見てみたいと思ってしまいました。朧はちょっと違うしね…)。

 …が、一瞬ポロッと本音っぽいものをもらしてしまうのが何だかちょっと可愛いところ。むしろツン発揮?

 そしておゆら様の妖しい笑みが男性読者サービス(ってほどでもないですが)とすれば、女性読者サービスは緊縛された十兵衛が虹七郎の手で着衣を引き裂かれるシーンでありましょう。いや、要するに身体検査されるんですが。

 それはともかく、十兵衛が連行されていったのは城内某所、雪地獄。御簾の向こうには女性のシルエットが見えて、何やら妖しげな雰囲気ですが、江戸の花地獄が「地獄」の名に相応しい酸鼻極まりない場所であったことを考えれば、この会津の雪地獄も、おおよそ真っ当なものではないことが想像できます。

 さて剣難の次に十兵衛を待つものは…というところで以下次回。
 今まで十兵衛のターンであったのが、今回からは芦名衆のターン、というかおゆら様のターンという状況ですが、さてこの状況から一体どうすれば十兵衛のターンに戻るのやら…ずっとおゆら様のターン! でも青年誌的には良いのかもしれませんが、お話的にはちと困りますしな。


 ちなみに今回、連行されていく十兵衛が「しまった」と漏らすシーンが、(今週の)絵だけ見ていると、一体何に対して後悔しているのかわかりにくいのですが、これはどうなんでしょうね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.19

「血の城」 血の因縁が築く城

 遠州の高天神城に籠もった武田軍と、城を包囲した徳川軍の戦いが続く中、その周囲では二つの事件が起きていた。徳川の部隊を次々と襲い殲滅させる、家康の嫡子・信康に似た頭に率いられた野伏り。周辺の村々で続発する、子供たちの神隠し…城に近い沢木村で、過去を隠して百姓として暮らす瀬兵衛は、二つの事件を通じ、過去からの因縁に直面させられることとなる。

 佐伯・鳥羽に続く文庫書き下ろし時代小説界の俊英として脂の乗り切っている鈴木英治氏のデビュー第二作が本作、長いこと単行本しか刊行されていませんでしたが、大河ドラマ「風林火山」に絡めてか(?)、この度めでたく文庫化されました。

 既に衰退期にあった武田家の没落を決定づけたとも言える高天神城の戦いを背景に描かれた本作は、題材こそ現在の作品とは大きく異なるものの、作風自体は今のそれにも通じる、ミステリ色の濃厚な作品。
 凄絶な籠城戦や、忍び同士の死闘の中で、今なお謎多き(本作の他、たびたび伝奇ものの題材となっている)徳川信康の死の真相と、その信康に似た頭を戴く野伏りたちの謎、さらに遠州一帯を覆う子供を狙った神隠し禍の謎が、緊迫感に満ちた筆致で描かれていきます。

 初期の作品ゆえ(というのは偏見かもしれませんが)、構成等に粗い部分もありますが、錯綜した状況の中、次々と視点を変えつつ、少しずつ謎のベールをはがしながら物語を展開させていく様は、堂に入ったもの。
 ことに、神隠しの悍しい秘密が明かされて以降は、サスペンスフルな展開で、ラストまで一気に引っ張られました。


 しかし本作の面白さは、そうした目の前に示された題材のみならず、物語の遠景となっている戦国大名の血のドラマと、そこに込められた親と子の関係の在り方にもあります。

 高天神城を挟んで対峙する徳川家と武田家は、それぞれに父と子の複雑な――いやむしろ凄惨な、というべき関係を持ちます。
 己の嫡子を、他者の命で切腹させた家康。父が嫡子を切腹させたことにより、家を相続することとなった勝頼。その対照的な帰結が、本作の中で示されるわけですが、しかし共に親が子を殺す、ある意味自然の摂理に反した行為であることでは共通であります。
 その一方で、我が子を救うために己の命を賭ける親――それが本来非情であるべき忍びであるのが面白い――の姿を強烈に対比することで、この親と子の関係というものの複雑さはより一層際だっています。

 本作の題名である「血の城」は、血塗られた激戦が繰り広げられた高天神城を指すのはもちろんのこと、父と子の血縁、まさしく血の因縁によって築かれた二つの家(さらに、登場人物の多くの過去に関わる今川家を加えれば三つの家)の姿――ひいては、戦国大名、いや戦国時代そのものの姿を指すのでしょう。


 ちなみにこれは興味深い偶然ですが、本作の「原典」の一つであろうと思われる国枝史郎の「神州纐纈城」もほぼ同時期に文庫化されています。
 二つの作品で、親と子の関係を、血の因縁をどのように描き出しているのか、読み比べてみるのもまた一興かと思います。


「血の城」(鈴木英治 徳間文庫) Amazon

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.18

「天保異聞 妖奇士 奇士神曲」 獄五「神話」(その二)

 さて昨日の続き。
 この獄五で描かれた物語の結末には――予感めいたものはあったにせよ――驚かされましたし、特にTVの最終回を考えると複雑なものも感じましたが、しかし、不思議に暖かいものを感じたのもまた事実。

 思えば、「物語」という異界――それは実は「現実」のぴったり裏側に存在しているものであり、それだけに逃れ難いものであるのですが――に、ある時は対峙し、ある時は飲み込まれる人々の姿を一貫して描き続けてきた本作。
 それがこのような形で終わることは、一見は「物語」への敗北にも見えますが、しかし、往壓を救わんとする仲間たち…誰よりも何よりも、最も異界を望んできたはずのアトルがラストに見せた姿、取った行動は、人が己の「物語」を超克することへの希望を見せてくれたと言っては甘すぎるでしょうか。
(さらに言わせていただければ、その意味ではこの「奇士神曲」の結末は、TV版の最終回で描かれたものと、実はさして変わらぬものであるようにも感じられます)


 …ダンテの「神曲」で、旅の果てに最後に辿り着いた先は至高天であったのに対し、この「奇士神曲」で最後に待っていた先はあくまでも現世。
 これを長英が言うような絶望と見るか、はたまた人の世に対する希望と見るか…その解釈をこれ以上書くのは野暮というものでしょう。


 さて、昨日の冒頭にも書きましたとおり、これにて「天保異聞 妖奇士」も完結。
 私は、はじめは天保時代を舞台とした時代伝奇ものという、題材に注目して見始めたのですが、こうして最後まで見届けてみれば、題材のみならず、虚構(=物語)でもって現実を切り取ってみせるという、その手法において、まさに伝奇的な作品であったと感心いたします。
 そしてこうした作品であったからこそ、変わらぬ現実の中で変わった物語を展開しなければならないという、一種矛盾した構造を持つ時代伝奇ものである必然性があったかと、今では感じています。

 何はともあれ、會川昇氏をはじめとするスタッフの方々には、素晴らしい物語をありがとうございます、と心からの感謝の気持ちで一杯です。
 また新しい物語で出会えることを祈りつつ…


「天保異聞 妖奇士」第八巻(アニプレックス DVDソフト) Amazon

関連記事
 今週の天保異聞 妖奇士

 公式サイト

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.17

「天保異聞 妖奇士 奇士神曲」 獄五「神話」(その一)

 媛の死と呼応して現れた巨大な影・スサノオ――その姿を目にした往壓の体は奇怪な竜人に変化する。これまでの戦いの中で幾多の竜を倒してきた往壓は、かつてスサノオに倒されたヤマタノオロチの化身と化していたのだ。宰蔵を取り込んだスサノオに対し、人の心を失ったまま襲いかかる竜人往壓。しかしこの戦いこそは、長英が、そして鳥居が望んだ神話の再現に他ならなかった。天津神と国津神の最後の戦いの果ての、往壓の、仲間たちの選択は――

 遂にこの時が来てしまいました。「奇士神曲」の、いや「天保異聞 妖奇士」の最終回。これにて一巻の終わりであります。
 しかし内容の方は、こちらがそんな感傷めいた想いに浸る暇もないほどに突っ走る、まさに怒濤の展開。何しろ、「奇士神曲」という物語のみならず、「天保異聞 妖奇士」という物語でこれまで積み残されてきた謎のほとんどが、ここで明かされるのだから凄まじい話です。

 長英は何のために北の果てに向かっていたのか。その長英に斬られた媛の正体は。そして、往壓を後見してきた鳥居の真の狙いは。さらには、このままスルーかと思われた、かつて西の者が口にした「八本の首」の正体までも盛り込んで描き出された物語のスケールは、こちらの想像を超えた雄大なもので、まさに物語というものの原点であり極限である「神話」と呼ぶに相応しいものであったかと思います。

 冷静に考えると、アレ? と思う点――もちろんちょっと考えれば補完できるのですが――もなきにしもあらずですが、そんなことを考える間も与えない構成の巧さと、それを物語として形作る各要素のクオリティの高さには感心しました。
 特に、物語の謎が明かされ、最後の死闘が繰り広げられる場面での長英と鳥居の対峙は、名優二人の演技合戦的味わいすらあって、もうこちらは見ていてただ唸るばかり(あの二人に叫ばれたら、どんな理屈だって納得します)。


 …そして、そんな物語の果てに往壓が選んだ道は、正直に言えば、あまりに意外なもの。この選択と、それが生み出した結末は、ネット上を見ても賛否両論――しかし思ったほど後者が多くなかったのは、さすがにここまでこの物語を追ってきたファンだと感心――ですし、それも無理もない話かと思います。
(これは全くの想像ですが、予定通り四クールやった上の最終回であれば、もう少しだけ違った形になったように思えるのですが)

<長くなりますので明日に続きます>


「天保異聞 妖奇士」第八巻(アニプレックス DVDソフト) Amazon

関連記事
 今週の天保異聞 妖奇士

 公式サイト

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.16

「打てや叩けや 源平物怪合戦」 二つの物怪の間で

 源平の合戦も末期の頃、青年・阿古丸は、何者かに幻術をかけられ、生死を彷徨う。堀川印地の大将・湛海の紹介で訪れた熊野で術を解いてもらった阿古丸だが、喜びも束の間、今度は恋人が何者かに殺害されてしまう。そのどちらも、梓なる幻術師の仕業と知らされた阿古丸は、梓を討つため修行に励むが、再会した湛海に鎌倉への使いを依頼されたことにより、頼朝・義経・平家残党の複雑怪奇な暗闘を目の当たりにするのだった。

 源平の合戦といえば、貴族の時代と武士の時代の過渡期ということで、何かと華々しい時代というイメージがあります。が、どんな時代にも華々しく輝かしい部分があれば、混沌とした薄暗い部分が存在します。

 そんな、時代の陰の部分に光を当てて見せたのが本作であります。武士同士の戦が繰り広げられる背後に蠢く、奇怪な術を操る幻術師たち…いや、それにとどまらず、印地打ちや熊野巫女、脚力といった、通常の歴史では語られることのほとんどない階層の人々が、本作の一方の主役であり、副題において「物怪」として示されている存在であります。

 しかし、「物怪」はまた、歴史の陰の部分にのみ存在するものではありません。歴史の表舞台で活躍した人々も、一皮剥いてみれば複雑怪奇で後ろ暗い部分を持つもの。
 戦功ある自分の弟も誅しようとする頼朝、兄の気も知らず女漁りに夢中の義経、そんな兄弟を利用して暗躍する後白河院――彼らもまた「物怪」であり、本作のいま一方の主役であります。

 そしてその二つの物怪の間に挟まれるのが、主人公である阿古丸。幻術師に術をかけられ、源氏同士の争いに巻き込まれ――ひたすら振り回される彼の姿は、もちろん本作独自の、フィクションならではの存在ではありますが、しかし当時の――いや、いついかなる時代も存在する――ごく普通の、大衆の姿を戯画化したものでもあるのでしょう。

 ガチガチの(?)伝奇活劇を期待するとどうかわかりませんが、物怪という刃でもって、歴史のうねりの中での人間の諸相を切り取って見せたその内容は、決して悪いものではありません。


 ちなみに――本作を読んでいて、すぐに司馬遼太郎の「妖怪」を思い出しました。平安末期と室町後期という時代の違いこそあれ、激動する時代の中で翻弄される人間の姿を、人外の存在に仮託して――そして結局それらの存在以上に人間離れした人々の存在を示して――描き出してみせるスタイルは、かなりの部分、重なり合っているように感じます。

 もっとも、「妖怪」が、既存の秩序が破壊されていく時代の物語とすれば、本作は既存の秩序が変容していく時代の物語。本作の、あっけらかんとしつつもどこか微笑ましい結末の味わいは、このような時代相から来るものかもしれません。


「打てや叩けや 源平物怪合戦」(東郷隆 光文社文庫) Amazon

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.15

「スプリンガルド異聞 マザア・グウス」 天使に変わったバネ足男

 弁護士の息子アーサーの前に突然現れた少女ジュリエット。ジュリエットの目的は、アーサーの屋敷に眠るという彼女の叔父のカバンだった。その叔父の名はウォルター・デ・ラ・ボア・ストレイド。そしてそのカバンの中身こそは、あのバネ足ジャックのコスチュームだった。その力で、自分をモデルに怪しからぬ写真を撮ったホルム教授を懲らしめようとするジュリエットだが…

 さて以前紹介いたしました「黒博物館 スプリンガルド」の、番外編と申しますか後日譚と申しますかがこちら「スプリンガルド異聞 マザア・グウス」。「スプリンガルド」本編の次の世代の物語と言うべきか、奇しき因縁で出会った少年少女の繰り広げる、ちょっぴりダークな冒険活劇であります。

 お話的にも人物配置的にも色々と入り組んだ本編に対し、こちらはかなりストレートに「悪いやつをやっつける」冒険活劇。
 もっとも、その悪いやつが、メスメリズムを悪用して少女の破廉恥な写真を撮る変質者という、本編とは全く別のベクトルで、少年誌ではできない設定ではあるのですが――
 しかし、そんな弱き者の尊厳を踏みにじるような輩に対し、少年少女の刃として登場するのが、あのバネ足ジャック(のコスチューム)というのが実にユニークなところです。
 元々が悪趣味な悪ふざけの道具として生まれたものが、時に狂気を具現化する牙として、あるいは愛する者を護る楯として使われ、そしてそれが今度は…というのは、何とも見事なトリックスターぶりではあります。

 そして、そんな少年少女たちが、奮闘――特にひ弱な少年の見せる骨っぽさは、お約束とはいえ、やはりグッとくるものがあります。立派すぎてどこぞのスーパー小学生を思い出しましたが――虚しく倒れかかったときに、颯爽と救いに現れるのが、真のバネ足ジャックというのも、これまたお約束ではありますが、実によろしい。
 しかしまあ、個人的には一番喜んだのは、ウォルターがポロッと口にした「警視庁の友人」という言葉ではありますが…いや何でしょう、この我がことのように嬉しい気持ち。

 と、勝手な思い入れはさておき、男として最高に格好良くも切ない姿で(一旦)退場した人物が、また別の形で最高に格好良く帰ってくるのは、なかなか感慨深いものがあります。
 彼が見つけた「次の悪戯」がこれ、と思いこむは些か短絡的に過ぎるかもしれませんが、しかし人間は「変わっていく」もの。バネ足男が少年少女の守護天使に――いや愛の天使に変わるというのは、いかにも人を食った話で、ひねくれ者の彼が大いに喜びそうではありませんか。

 何はともあれ、ある意味二世代かかって愛を成就させたとも言えるバネ足ジャック。本編の切ない幕切れももちろん良いのですが、こちらの微笑ましい結末には、ホッとさせられます。


 さて、そのおどろおどろしい標題とは裏腹に、まずは気持ちよく完結した黒博物館シリーズの第一弾。
 第二弾はまだ少し先のようですが、不思議な遺物が紡ぐ熱く切ないドラマに――そしてあのミステリアスなくせに可愛らしいキュレーターさんにも――早く逢いたいものです。


「スプリンガルド異聞 マザア・グウス」(藤田和日郎 講談社モーニングKC「黒博物館 スプリンガルド」所収) Amazon

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.14

「大江戸ロケット」(漫画版)第一巻 「リアル」な大江戸?

 先日めでたく大団円を迎えたアニメ「大江戸ロケット」ですが、このアニメ、そして原作舞台に続く三つ目の「大江戸ロケット」でる漫画版の単行本第一巻が発売されました。

 もちろん「大江戸ロケット」を名乗る上は、基本的な設定は同一――すなわち、花火師の少年・清吉が、宇宙からやって来た少女・ソラを天に帰すため、月まで届くロケットを開発しようと悪戦苦闘するお話でありますが、作品から受ける印象は、他のメディアのそれとは大きく異なります。

 一言で言ってしまえば、この漫画版は、舞台・アニメにあったナンセンスギャグ・パロディの要素をばっさりと切り捨てた――誤解を恐れずに言うならば――「リアル」な作風。
 作者の浜名海氏は、これが初単行本とのことですが、いかにも「アフタヌーン」誌の四季賞出身らしい細やかな描写力で、荒唐無稽な絵空事を、うまく地に足の着いた世界に引き寄せることに成功しているかと思います。

 キャラクター設定についても、基本ラインは押さえつつも、作風に合わせたアレンジが行われています。特にその度合いが大きいのは、他ならぬヒロインのソラであり、原作での天真爛漫なキャラクターとは異なる、清吉たちとも容易に慣れ親しもうとしない、一種クールな性格付けがなされています。

 また、清吉についても、一介の花火職人ではなく、天保の改革で職を失った花火師の村から、自分たちの腕を見せつけるために江戸に送り込まれた一種の工作員というバックグラウンドが与えられており、なるほど、これはこれで説得力のある設定ではあります。

 しかし――色々な制約(という表現は適切ではないかもしれませんが)があった作品をベースにして、それをより「リアル」に改めた作品が、オリジナルより必ずしも面白くなるとは限りません。
 本作がそうだ、と現時点で言うつもりはありませんが、やはり雰囲気をリアルにすればするほど、かえって虚実の境目がくっきりと見えてくるのもまた事実。

 例えばこの第一巻の後半、村の人々による月への花火のための協力を賭けての清吉と鉄十(こちらでは村長の息子の、普通にナイス兄貴)龍勢勝負ではそれが顕著なように思えます。肝心の、清吉工夫の二段ロケットのビジュアルが、どうにも作品から唐突に浮いてしまっていて…

 もちろん原作は同じと言い条、本作は全く別の作品であり、楽しみ方もそれと異なってももちろん問題ありません(まあ、それと作中の違和感ないリアリティというのは別物なのですが…)。
 果たしてこの「リアル」な世界観をどこまで貫くことができるか。この巻では顔見せ程度の登場だったもう一人の来訪者、そしてそれを追う黒衣衆など、かなり重い描写になりそうなだけに、興味深いものがあります。


「大江戸ロケット」(漫画版)第一巻(浜名海&中島かずきほか 講談社アフタヌーンKC) Amazon

関連記事
 今週の大江戸ロケット

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007.11.13

「服部半蔵 日と影と」 重なり合う日と影

 服部一族の頭である父・半三に連れられ諸国見聞の旅に出た小次郎は、今川義元の下で人質として暮らす竹千代と出会う。かねてより松平氏に仕えていた父ともども、竹千代を主君と仰ぐこととした小次郎は、旅を続ける中、風変わりな若者・藤吉郎や軍学に秀でた光秀、伊賀の抜け忍・五右衛門らと出会う。やがて成長した小次郎は、半蔵の名を名乗り、父に代わって竹千代=松平元信を世に出すべく、活動を開始する。その最初のターゲット、今川家に対して半蔵が取った策は…

 えとう乱星先生の最新作は、「服部半蔵 日と影と」。最近は伝奇もの以外の時代小説や、現代を舞台にした伝奇ジュヴナイルを発表されていた氏ですが、本作は徳川家康に仕えた服部半蔵正成を主人公に据えた忍者ものであります。
 最近の文庫書き下ろし時代小説といえば、市井ものや剣豪もの・奉行所ものが主流(…というより九割方それ)、戦国時代を舞台にした作品も、戦国大名を主人公にしたものがほとんどで、このような忍者ものは、実は最近はかなり珍しくなっております。
 そんな、二重の意味で久しぶりの作品ですが、出し惜しみのない贅沢なネタの投入ぶりで、久しぶりの忍者を中心に据えたドラマを堪能させていただきました。

 タイトルとなっている「日と影と」とは、そのまま半蔵の生き様を指します。主君たる松平元信=元康=家康に天下(=日)を目指させるため、己は影の存在に徹しようとする半蔵は、まさに忍者の鑑でありますが、しかしそこにはもう一つの日と影が存在します。
 決まった主を定めず、そして群れることなく働く、それまでの伊賀の忍びたちを影とすれば、武士として、侍として主君に仕え、世に出んとする半蔵は日。そのような日と影との二重構造は、なかなかにユニークな視点と感心いたしました。

 また、少年時代の秀吉、青年時代の光秀を登場させた作品は無数にありますが、そこに半蔵を絡めてきたのは本作ならではの工夫と言えましょう。
 その他、車輪眼の持ち主が久々登場するなど、古くからのえとうファンにはニヤリとできる部分もあり、その点でも楽しむことができました。

 もっとも――アイディアの豊富さと、それゆえの展開の早さが仇となって、一つ一つのエピソードの描写が浅めになっているのが、非常に残念なところ。長いタイムスパンの物語であるだけに、展開を急ぐ必要はありますし、分量の制限ももちろんあるのだとは思いますが、実にもったいないことではあります。


 さてこの第一巻では元康の独立の契機となった桶狭間の合戦までが描かれますが、まだまだ家康の天下取りまでは前途多難です。
 特に終盤、元康と半蔵、その両方が長子を授かった旨描かれますが、この子らがいかなる運命を辿ったかは、日本史好きの方ならば良くご存じの通り。
 この辺りに見られるように、決して明るいばかりではない主従の生き様の日と影とを如何に描いてくれるのか、期待して次巻を待ちます。


「服部半蔵 日と影と」第一巻(えとう乱星 ぶんか社文庫) Amazon

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007.11.12

十二月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 つい先日まで秋っぽい日差しだと思っていたのに、気が付いてみればもうすっかり寒くなって参りました。今年最後のスケジュール、十二月の時代伝奇アイテム発売スケジュールです。

 小説(文庫)の方は…いきなりなんですがかなり不安な状況。今月に限らず、最近もの凄い勢いで伝奇ものが減っている感があります。やっぱり伝奇は売れないのか、このまま「信長だの深川だの」ばかりになってしまうのか…
 と、落ち込んでいても仕方ないので個人的に興味のあるタイトルを挙げれば、何と言っても気になるのは最近プチブレイク中の風野真知雄先生の「耳袋秘帖 新宿魔族殺人事件」。前回、「近年稀に見るしょっぺえタイトル」などと暴言を吐いたのがいけなかったのか(?)ガラリと趣を変えての新刊登場です。いや驚きました(ちなみに風野先生は「刺客が来る道」の初文庫化も嬉しいニュースです)。
 また、牧秀彦先生は「影侍」の続編と、今度は双葉文庫からの新刊が登場。うーん双葉文庫か…。そして、毎回さりげに面白い細谷正充氏による時代小説アンソロジーシリーズ「江戸の○○力」は、「江戸の鈍感力」が登場。微妙に旬を外した感もありますが、いつも以上に収録作品が予想できないタイトルに、何が飛び出してくるか楽しみです。
 その他、お馴染み異形コレクションは趣を変えて「ひとにぎりの異形」と題してごく短い作品を集めたものとなるとのこと。朝松健先生の室町ものが収録されるかと思います。そして文庫で刊行されていた「秘曲笑傲江湖」も第七巻で大団円。ラストの容赦のなさに引くがいい

 漫画の方では、むげにん「危機之介御免」「オヅヌ」といった長編の最新巻が登場。危機之介はこれでおしまいなのがなんとも残念…
 一方、新登場では「大帝の剣」のコミカライズが注目。しかし小説の連載といい映画のプッシュといいこれといい、一体エンブレはこの作品にいかなる思い入れがあるのか…

 そしてDVDの方では、「モノノ怪」の第三巻「のっぺらぼう」が発売。本放送時に感想・解釈が大いに分かれたエピソードだけに、DVDでじっくり観てみるのも良いでしょう。
 しかし十二月の注目DVDは、なんと言っても十二日に発売される東映の時代劇群。結構な本数ですが、しかしうちのサイト的には「十三人の刺客」「赤穂城断絶」、そして「柳生一族の陰謀」の三本でおなかいっぱいですよ! これで一人のクリスマスも寂しくないネ!(やだよそんなの…)
 あと、もう一体何回DVDが出ているかわからない「さくや妖怪伝」がまた発売されるのにワラタ(今回で五回目でした)。

 ゲームの方は、年末のリリースラッシュにもかかわらず、うちに関係がありそうなのはwiiの「ソウルキャリバーレジェンズ」のみというちょっと寂しい状況。しかしこの作品自体は大いに期待しているところです。今回は設定のみ膨大に用意されていたタキまわりのエピソードも色々出てきそうで楽しみです。御剣さんは相変わらずだな…

 というわけで、一足先に年末気分を味わいつつ、十二月の時代伝奇アイテム発売スケジュールでした。


 にしても最近一年中実話怪談本を出している竹書房ですが、クリスマス当日にも出すのは凄いなあ。しかもにしうらわさんのやつ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.11

「しゃばけ読本」 シリーズそのまま、楽しい一冊

 今月末からNEWSの手越祐也さん主演でTVドラマも放送開始と、いよいよ絶好調の「しゃばけ」シリーズですが、その公式ナビゲートブックが発売となりました。
 内容的には、巻頭にドラマのロケ現場レポートと、作者たる畠中先生と若だんな役の手越さんの対談に始まり、先生へのロングインタビュー、エピソードガイドにキャラクターガイド、時代用語解説に雑誌掲載時のイラスト再録など、まずはこういった類の本には定番のものとなっています。

 正直なところ、上記のドラマ関連の記事と、畠中・柴田両先生のトークセッションレポート以外は、雑誌と公式HPである「しゃばけ倶楽部 バーチャル長崎屋」からの再録(特に後者が大半)で構成されており、そちらを既にチェックしている方にとっては、さほど新味はないかもしれません。
 そういう意味では、万人におすすめと言えるかは微妙ではありますが、しかし、やっぱり一冊の本として構成されたのを見ると、また別の味わいがあります。そして何よりも、おそらく本書の想定読者層の一つである、ドラマ放映を機に新しくこのシリーズに触れる方にとっては、やはりこうして気軽に手に取れる書籍というスタイルを取ることは必要かと思います。
 特に用語解説が、わずか六ページではあるのですが、実にわかりやすく、楽しくできていて感心します。これだけで一冊作ってもよいくらいに。
(もっとも…正直なところ、「バーチャル長崎屋」のスタッフが目立ちすぎなのはいかがなものかと)


 千二百円という価格自体は安いものではないように感じられるかもしれませんが、百五十ページ強のうち約半分がカラーページということを考えれば、納得できるものがあります。
 何よりも、作品自体の楽しいムードが、本書にも横溢していて、シリーズのファンであれば、是非一度手にとって見ていただきたいと思います。

 個人的には柴田ゆう先生のファンになりました。


「しゃばけ読本」(畠中恵&柴田ゆう バーチャル長崎屋奉公人編 新潮社) Amazon

関連記事
 しゃばけ
 「ぬしさまへ」 妖の在りようと人の在りようの狭間で
 「みぃつけた」 愉しく、心和む一冊
 「ねこのばば」 間口が広くて奥も深い、理想的世界
 「おまけのこ」 しゃばけというジャンル
 「うそうそ」 いつまでも訪ね求める道程

 公式サイト

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007.11.10

荒山徹先生トークセッション 「朝鮮、柳生、そして…」開催

 さて、昨晩速報いたしました荒山徹先生トークセッションですが、もう一度きちんと書いておきますよ。

場所:ジュンク堂書店池袋本店 4階カフェ
日時:12月6日(木) 19時~
出演:荒山徹(作家)、細谷正充(文芸評論家)

 事前予約に関しては本店1階サービスカウンター(03-5956-6111)にご連絡を。ちなみに定員は60名とのことでした。

 ネット上ではこのトークセッションのタイトル「朝鮮、柳生、そして…」が話題になっていたりしますが、なるほど、単純なように見えて、考えてみればなかなか意味深なタイトルであります。最近、ちょっと普通め(失礼な)の短編も増えてきた――しかし「KENZAN!」での新連載のタイトルの話は本当かしら?)荒山先生が、今後どちらに向かおうとしているのか、「朝鮮」「柳生」に次ぐ第三の道に関するお話があったり…するかどうかは知りませんが、そもそも、これまで数回雑誌・新聞のインタビューに登場している以外、ほとんど実情(作家間の交友関係とか)が謎に包まれている方だけに、どんな話題でもファンにとっては新鮮な驚きに満ちていることは間違いないでしょう。

 ちなみに司会の細谷正充氏は、私がキバヤシとしたらノストラダムスに当たるような人ですし(わからない、わからないよその喩え!)、「薄桜記」の荒山先生の並み…かどうかはともかく、高いテンションの解説なども得意とされる方なので、お二人がスイングすればかなり面白いイベントになるのではないかと思います。


 正直なところ、荒山先生の普段の作品が作品だけに、どのような方がこのトークセッションに参加(傍聴)されるかはわかりませんが、ファンとしては、荒山紳士(って何)の名に恥じない、良識と節度ある態度で臨みたいものですね。
 おそらくは質問コーナーもあるのではないかと思いますが、その際にも限られた時間を有効に使うためにも、良い意味で空気を読んだ質問等行いたいものです。杞憂だとは思いますけどね。

 私? もちろん参加しますよ。年末で一番お仕事が忙しい時期ですが…可能であれば当日の様子もこのブログで紹介したいと思っております。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007.11.09

大変なことが…

http://www.junkudo.co.jp/newevent/talk-ikebukuro.html
12月6日のところ参照

| | コメント (2) | トラックバック (0)

「風流冷飯伝」 一筋縄ではいかぬ風流

 四国の小藩を舞台に、ちょっとおかしな「冷飯食い」たちが繰り広げる騒動を描いた、ユーモア時代艶笑将棋小説(?)とでも言うべき快作です。
 讃岐の小藩・風見藩にやって来た江戸の幇間・一八。一見何の変哲もない田舎の藩に見えた風見藩は、しかし、城の周りを歩くときに、男と女で回る方向が異なったりと、変なしきたりだらけなのでした。戸惑う一八にしきたりを教えてくれた冷飯食い(侍の次男坊)・飛旗数馬と行動を共にすることになった一八ですが、数馬の友人の冷飯食いたちも変わり者ばかり…
 この一八、実は御庭番の遠国御用の供なのですが、風見藩で見るもの聞くものは、上に書いたとおり、全てが珍しい――しかし、隠密御用の役には到底立ちそうもないものばかり。おまけに冷飯食いどもは時間だけはたっぷりある連中で、百戦錬磨の江戸の幇間も、さんざん振り回される始末…

 本作の前半は、この一八のカルチャーギャップと奇人変人の生態が描かれ、これだけでも十分に楽しいのですが、後半ではそれらの要素が、将軍家治の御前での将棋勝負を巡る、熱い(?)将棋バトルと陰謀の世界に繋がっていくのには驚かされます。
 将軍の御前での将棋は、もちろんこの上ない名誉。冷や飯食いたちが出場するその代表選手選びも、当然のことながら熱を帯びることとなりますが、しかしその代表選手を待っているのは、文字通り藩の存亡を賭けた大勝負…
 ユーモア時代小説かと思っていれば、実は将棋小説であったか! と気づいたときにはもう遅い。かの田沼意次も絡んできて、勝っても負けても藩を待ち受けるのは窮地のみという大勝負の行方には、すっかり引き込まれてしまいました。
 これはもちろん、勝手にジャンルを決めつけてかかっていたこちらの不覚ですが、いやはやこれは嬉しい不意打ち、という気分であります。
 そしてまた、意外性だけでなく、ユーモア小説としても将棋小説としても、そのどちらとしても実に面白い、完成度が高いというのが、本書の魅力の所以であるのは言うまでもないことですが――

 風流と言えば、一般には凡俗を離れた美しさや雅やかさを指しますが、しかしまたそれから転じて、華麗できらびやかなもの、あるいは意表をついたものという意味も持っています。更に言えば、歌ったり踊ったり、賑やかに囃したてることもまた風流(「銭まくさかい風流せえ」の風流ですな)と呼ばれます。
 本作の風流がそのどの意味であるか――と考えること自体、風流ではないのかもしれませんが、なかなか冷や飯連中や風見藩そのもの同様、なかなかどうして一筋縄ではいかない本書を飾るのに、風流というのは実に良い言葉であるな、と感心した次第です。


「風流冷飯伝」(米村圭伍 新潮文庫) Amazon

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.08

「花かんざし捕物帖」第一巻 意外な取り合わせの妙

 ひと頃から見ればまるで夢のようなほどメジャーになった山田風太郎作品ですが、メディアミックスにより他メディアに進出したものも決して少なくはありません。本作「花かんざし捕物帖」もその一つでありますが、原作・絵師ともに、山風ファンにとってもなかなかに意外な、異色のチョイスとなっております。
 その原作とは「おんな牢秘抄」。そして絵師は島崎譲――正直なところ、かなりの山風ファンでもこのチョイスは予想できなかったのではないかと思います。

 舞台となるのは享保十四年の江戸、小伝馬町の女牢。そこに入ってきた一人の美少女・姫君お竜――罪状はなんと将軍暗殺未遂――が、同じ牢に繋がれた哀しい運命に翻弄される女たちの身の上を聞き出し、彼女らを罪に陥れた真犯人を暴き出す、というのが原作の、そして本作の基本スタイルであります。

 と、こう書いただけでおわかりかと思いますが、本作は山風作品の中では、かなり「普通の」時代ものに近い、裏を返せば異色作。何せ姫君お竜の正体というのが実は○○○○の○、徳川将軍が江戸城を抜け出して市井で事件を解決するのよりかはましかもしれませんが、とにかくとンでもないお話であります。
 が、これがつまらないかというと、全くそんなことはないのが、さすがと言うべきでしょうか。優れた時代小説家である以前に、優れた推理小説家である山風らしく、作中で描かれる事件はどれも怪奇色濃厚ながら、極めてロジカルに解決されるものばかり(そしてその事件が最後に…という念の入りよう)。
 また、このとンでもない主人公の設定も、その突拍子もなさが、風変わりな探偵役として素晴らしいキャラ立ちの効果を上げていると同時に、数ある捕物帳の中でもほとんど例のない、女性の事件専門の女性探偵という存在を実現させる力となっていると感じさせます。

 そしてこの一筋縄ではいかぬ作品を漫画化するのが、島崎譲氏というのが嬉しい。
 島崎氏といえば、やはり一般には「THE STAR」「覇王伝説 驍」」辺りが代表作として挙がるかと思いますが、時代伝奇ファンとしては何といっても「青竜の神話」などの、絢爛かつ瑞々しい、独自の味わいを持つ作品群の作者。そこから考えれば、この、ある意味漫画以上に漫画チックな美少女探偵をビジュアライズするには、うってつけの才能と言えましょう。

 確かに意外なチョイス、意外な取り合わせではありますが、その味は悪くありません。

 さて、この第一巻に収録されているのはその第一の事件、夫とその愛人を奇怪な紅蜘蛛の毒で殺したという曲芸師のお玉の物語。
 Web連載時はフルカラーだった原稿が単行本では二色刷りなのが残念ではありますが、その――いささかオールドファッションではありますが――絢爛かつ怪奇な物語世界は、巧みに漫画として描き出されているかと思います。
(ちょっとお話をじっくりと描きすぎではないか、物語の展開が遅いのではないかという印象はあるのですが…)

 現在、連載の方では第二の事件までが完結し、順調に物語は展開している様子。内容が内容だけに、是非ラストまできちんと描き切っていただきたいものであります。


「花かんざし捕物帖」第一巻(島崎譲&山田風太郎 講談社DXKC) Amazon

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007.11.07

「天保異聞 妖奇士 奇士神曲」 獄四「地上楽園」

 巨大化した豊川狐を一度は粉砕した往壓たち。しかし宰蔵は奇士に戻ることを拒み、復活した狐たちを連れ、長英と共に姿を消す。長英の狙いが、間宮林蔵の遺書に記された蝦夷地の果ての何ものかにあることを知った往壓たちは、アトルを江戸に残し旅立つ。そしてその地で彼らが出会ったのは、社に一人暮らす不思議な空気をまとった少女・媛だった。が、その姫を襲う長英の凶刃。媛の死と反応したかのように社の裏山が崩れ、氷の中に眠る巨大な姿が現れる――

 いよいよ残すところはラスト二話となってしまった「奇士神曲」、いや「天保異聞 妖奇士」。果たして如何なる物語が待ち受けるかと思いきや、これが怒濤の展開の連続。起承転結でいえば転がりまくったと言うべきか、本で言えば一読巻を置くあたわざると言うべき内容でありました。

 直接言葉を交わす機会がありながらも完全にすれ違ってしまった宰蔵と仲間たち。いかに火付けの罪があったとしても、本来の目的であった小笠原を目の前にしても、宰蔵の頑なな心は溶けないのが痛々しい。

 その一方で(?)大きく成長を遂げたと見えるのはアトルの態度。鳥居たちに、いわば人質同然の形で江戸に残ることとなったアトルですが、しかし、彼女自身は奇士たちが――いや往壓が戻ってくる場所となることと決め、笑顔で往壓たちを送り出します。
 ヒロインが、主人公の戻ってくる場所となるというのは、さほど珍しいシチュエーションではなく、むしろそれ自体は古臭さすら感じさせるものでもあるのですが、しかしそれまでアトルの魂の辿ってきた道程を考えれば、これは実に素晴らしいことだと素直に思えます。

 そんなこんなで奇士一行が長英を追って旅立つ先は、遙か蝦夷地も北の果て。間宮林蔵の蝦夷地探検は有名な話ではありますが、本作で語られるところによれば、それから帰って以来、林蔵は人が変わったように暗くなり、また周囲の人間を平然と売るようになった(かのシーボルト事件が、林蔵の密告により発覚したというのは有名なお話)という曰く付きの場所のようですが…

 と、その場所にものすごい勢いで到着してしまったのは、仕方ないとはいえ些か拍子抜けですが(もし一年間放映されていれば、この辺りはもっとじっくりと描かれていたのだと思いますが)、そこでアビとえどげんが出会ったのは、どうにも古風な美少女・媛。
 自分の記憶を持たず、そして村人たちからは敬して遠ざけられている様子の彼女の正体に対し、さりげなく厭過ぎる推理(「神の名は」を思い出した…のは儂くらいですか)を巡らせるえどげんに対し、アビは妙なデレっぷり。

 これは本作第三の年の差カップル誕生か、お姉さん許しませんよ! とアホなことを思っていたら、そこに突然飛び出したのは長英。その刃の前に、登場わずか十分程度で斃れた新キャラに、「貴重な坂本真綾が…」とこちらが呆然とするまもなく(元閥が感情を荒げた声を出すのが珍しい)、社の裏山から現れた氷の中に眠る影は…
 神曲だけにルシフェル、などということはありますまいが、いずれにせよ善きものとは考えにくいモノであります。

 全く、あの第一話からわずか四話のうちにここまで物語が膨らんでいくとは全くもって想定の範囲外でありますが、さて残り一話、わずか一話でどのようにこの物語を結ぶというのか…期待と畏れ半ばする思いの中、最終第五話については稿を改めます。


「天保異聞 妖奇士」第八巻(アニプレックス DVDソフト) Amazon

関連記事
 今週の天保異聞 妖奇士

 公式サイト

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.06

今週の「Y十M 柳生忍法帖」 炸裂なまり胴

 前回、前々回と一つのクライマックスを迎えた「Y十M 柳生忍法帖」。前回ラストで虹七郎の一刀に面を割られた般若侠、その仮面の下の素顔は――サブタイトルに曰く「十兵衛見参」。

 そしてこれまで五人の仲間を斃した相手が何者か知った虹七郎と銀四郎は、もう驚いてるんだか怒ってるんだか喜んでいるんだかわからないようなもの凄い顔でその名を叫びます。
 折角十兵衛先生がえらく男前な表情で素顔を見せたんだから、お前らは自重しる、と言いたいところですが、それだけ衝撃だったのでしょう。

 もちろん般若侠が柳生十兵衛その人であることは、読者にとっては周知の事実ですが、会津側にとっては素顔は初お目見え。それでも一発で正体がバレてしまったのは、もちろんあのトレードマークと言うべき隻眼と、その恐るべき剣の腕前あってのこと。
 当時の日本でたぶん一番有名で、もしかしたら一番強い剣士と出会った二本槍は、なるほど五本槍を倒したのがこの相手ならばと納得しつつ、しかし自分たちは喜び勇んで立ち合おうとするあたり――武術と忍法の違いこそあれ――やはりこの二人も、己の技に絶対的な誇りと自信を持つ、風太郎忍法帖の登場人物です。

 しかし、そんな配下二人の出番を平然とかっさらったのは銅伯老。事前に今の十兵衛の身分を確認し、殺しても後腐れなしとわかった上で戦おうというのがイヤらしい。しかもわざわざ虹七郎の脇差を抜いて。
 その銅伯に、沢庵和尚の忠告もあらばこそ斬りかかる十兵衛ですが――銅伯の体は、十兵衛の太刀に斬られながらもそれをがっちりとガード…いやキャッチ。
 そこで太刀に拘泥せず、さっと手を離して脇差を抜いたのは十兵衛の大剣人たる所以でしょうが、しかし脇差も太刀と同じ運命に…

 沢庵に続いて十兵衛をも破った銅伯、ここで勝利の雄叫び代わりに叫ぶは「芦名銅伯流…忍法なまり胴」の術名。
 うむ、やはり忍者は術名を叫ばにゃいかんと変なところでこちらが感心してしまったところで、以下再来週であります。


 と、大いに盛り上がったこの三週連続掲載のラストであるところの今回、十兵衛の素面登場はちょっとあっさり目でしたが、その後の銅伯との対決シーンは迫力十分であったかと思います。

 にしても、銅伯の肉体の不死身性は、これまで何度も描かれてきましたが、そこに加えてこの秘術。斬っても死なない…どころか斬っても斬れない、しかも刀は奪われるでは、十兵衛にとって相性は最悪としか言いようがありません。

 さて、敵地のどど真ん中で牙を抜かれたに等しい柳生十兵衛の運命や如何に――

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.05

「神変稲妻車」 超展開の中の愛情

 時は天明三年、若年寄・田沼意知に家宝「みすずの笛」を献上するためその江戸屋敷を訪れた新宮家の使者・白鷺弦之丞は、その笛が何者かにすり替えられていたことから、思わぬところで剣を振るうこととなる。それを皮切りに、次から次へと現れる妖人・怪人たちがめまぐるしく相争いながら繰り広げるのは、三本の笛を巡る争奪戦。果たして三本の笛に隠された秘密とは何か、そして新宮家の、弦之丞の運命や如何?

 横溝正史先生の名作「髑髏検校」については、これまでこのサイト/ブログでも何度か取り上げてきましたが、その相方ともいうべきが、この「神変稲妻車」であります。
 何せ、文庫版で「髑髏検校」が再版されるたびに、なぜか必ず併録されているのが本作。以前も書いたようにまさしく不死身の生命力で「髑髏検校」が甦るたびに、一緒に甦るのですから、随分と恵まれた作品ではあります。

 それはさておき、題名から受ける何やら激しそうな印象そのままに、相当に展開の早い、起伏に富んでいる本作。何せ、二、三ページに一度は新しい登場人物が登場するか、新しい事件が起きるのですから、退屈する間もありません。全編これラストスパートと言わんばかりの書き急ぎっぷりであります。

 しかし、その超展開を除けば、本作は過ぎるほどオーソドックスな伝奇活劇であります。
 秘宝の在処へ導く三本の宝笛を巡る争奪戦を基軸に、陰謀あり、復讐あり、恋の鞘当てありと、時代伝奇小説のエッセンスを取り出して全て放り込んできたようなストーリーにとどまらず、登場人物も、美青年美少女・剣鬼・妖婦・賢人・盗賊・妖術師などなど、オールスターキャストと言いたくなるような盛り込みようです。

 このように良く言えば王道、悪く言えばありがちな作品となっている本作ですが、しかし、これはむしろ作者の狙い通り、作者もわかってやっている一種のパロディといったものではないかと思われます。
 その証拠の一つが登場人物で――美青年剣士の弦之丞、野生児の伊那丸、フリーキーな剣鬼たる丹左など、キャラのネーミング・設定からして、過去の名作を下敷きにしていることが窺われるのです(もっとも伊那丸は元ネタでは野生児の主人筋ですが…)。

 こうして考えてみると本作は作者の時代伝奇小説への愛情、リスペクトの念が籠められた――ある意味暴走した作品ではなかったかな、という印象を受けます。
 決して人死にも少なくない物語でありながら、読後感が悪くない、いやむしろ爽快というかあっけらかんとした味わいがあるのは、この作者のスタンスがあってのことではないか…そんな風に感じられることです。


「神変稲妻車」(横溝正史 徳間文庫「髑髏検校」ほか所収) Amazon

関連記事
 「髑髏検校」 不死身の不知火、ここに復活

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.04

「ストレンヂア 無皇刃譚」 まさに大作時代劇!

 何者かに追われる少年・仔太郎を救った浪人・名無し。仔太郎に雇われて彼を赤池国に送り届けることとなった名無しだが、仔太郎を追っていたのは、明国からの武装集団と結んだ、赤池国の領主の配下だった。そうとは知らぬ仔太郎は、辿り着いた先の寺院で明国側に引き渡されてしまう。仔太郎の血を不老不死の妙薬の原料と信じ求めていた明国側の意図を知った赤池国の領主は、仔太郎を横取りしようとするが明国側もこれを察知。さらに国盗りの野心に燃える領主の腹心・虎杖将監は、これを好機と行動を開始し、山中の砦を舞台として、赤池側と明国側の死闘が始まる。そして名無しもまた、仔太郎を救うべく己の刀の封印を解き、決戦の場に身を投じる――

 あのBONESが製作する時代劇アクションとして相当に前評判の高かった本作「ストレンヂア 無皇刃譚」。このようなサイトを運営する身として、私もしても絶対見逃すわけにはいかんと思ってきたのですが、なかなか観に行く機会がなく、ようやく最終日ギリギリに観ることができましたが――いやはや、今まで観ていなくて大失敗。私がこれまで観た長編時代劇アニメーションの中で、一、二を争う完成度の良作でした。

 ストーリー的には時代劇の王道、素性不明ながら滅法腕の立つ風来坊が弱き者を助けて大活躍を繰り広げ、去っていくというやつですが、そこに大明国からの使者を絡めたことにより、物語のスケール感が一気にアップ。絵や動きのクオリティも相当高く、まずは映画館で観るに相応しい大作と呼べる作品であったかと思います。

 特に、ある意味作品のキモであるアクションシーンは、集団対集団から個人対個人に至るまで、素晴らしいクオリティ。冒頭の、主人公の宿敵となる青い目の剣士・羅狼が野伏りを殲滅するシーンからして、その立体的なアクション設計に驚かされました(この、明らかに日本のチャンバラとは異なるアクションを取り入れることができたのも、明国を物語に絡めたことによる効果の一つでしょう)。

 一番心配していた――というか突っ込みどころとなるかと思われた、芸能人三人の声の演技についても、十分問題はなかったと思います。
 特に、主人公を演じた長瀬智也は上上出来の部類。簡単なようで難しい、飄々とした主人公のキャラクターを巧みに演じていたかと思いますし、それが一転――クライマックス、仔太郎を救うために、封印していた刀を抜き放つシーンの咆哮には、演出とのシンクロも相まってもう鳥肌モノ。「待ってました!」と言いたくなる名シーンであります。

 そしてもう一人の主役と言うべき仔太郎役の知念侑季は、まあ普通の子役の演技、といったところでしょうか(もっともアニメの世界では、遙かに達者に子役の声を当てる方がいるわけですが)。
 竹中直人は…よくあの役引き受けたな。

 しかしキャラクター描写的にも、演技的にも抜きんでていたのは、名優・山寺宏一が声を当てた羅狼。
 主命よりも仲間よりも、ただ強敵との対決をこそ望むバトルマニアというキャラクター自体は、決して珍しいものではありませんが、この羅狼においては、その人間として明らかに歪んだ部分を、淡々と描き出していくことにより、不思議なリアリティがにじみ出ています。
 そんな男と、ただ少年の命を救うためだけに刀を振るう名無しが、人間の醜い我欲・妄執が生み出した戦場の中で相まみえるというラストバトルは、戦国乱世という状況の中で、人間の諸相を描いて見せた本作の象徴と言うべきシーンでしょう。
(最初に観たときは、もう少し明国側のキャラは人間離れしていてもいいように思いましたが、これはあくまでも本作が人間同士の闘争を描いた作品だからなのでしょう)

 ちなみに本作では、シーンによっては明国のキャラは中国語で会話するのですが、他のキャラが吹き替えなのに対し、山寺氏のみは吹き替えなし。
 しかしそれでもキャラの感情がしっかりと伝わってくるのは見事の一言ですが――考えてみれば犬役でも犬の鳴き声で喋っていると評される氏のこと、外国語くらいものの数には入らないのかもしれません。


 なにはともあれ、久しぶりに時代劇らしい時代劇を観た! と満足できた本作。おそらくは観る度にまた色々と発見があるのではないかと思われますので、DVD化された時にまた見返すのが楽しみです。


 ちなみにこれは私個人の印象なのですが、どうも本作(シチュエーションは違っていましたがコミカライズ版も)のラストには、濃厚に死の匂いが感じられるのですが…どうなんでしょうね?


関連サイト
 公式サイト
 特設サイト

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.03

異形の伝奇活劇「エンバーミング」連載開始!

 鳴り物入りで発刊した新雑誌「ジャンプスクエア」――その表紙と巻頭カラーを飾ることとなったのが、和月伸宏先生の異形の伝奇活劇「エンバーミング」であります。
 19世紀末のイギリスを舞台に、フランケンシュタイン博士の遺産――人造人間と、それを狩る者たちの死闘を描くこの作品は、これまで二度、短編が掲載されていますが、今回めでたく長編として連載開始。第一話である今回は、過去二回の主人公たちと異なる、第三の戦士たちが登場することとなります。

 五年前、ツギハギだらけの体の殺人者の襲撃を受け、家族を皆殺しにされながらかろうじて生き残った二人の少年と一人の少女。復讐を誓った少年たち――ヒューリーとレイスは、遂に仇と対峙したものの、そのあまりに強大な力の前に斃れるのですが…
 と、長編で仕切直しての新連載ということで、今回は世界観は短編の方と共通であることを匂わせつつも、もう一度作品の世界観を語り直すような構成。
 そのため、新創刊第一話にしては、いささか展開がゆったり目かな…と個人的には思わないでもないですが、しかし、現実と地続きでありながら、その皮膜の下に広がる奇怪な世界観と、その中で生きる、決して善悪単純ではない人々の姿を描くには、これくらいで丁度良いのかもしれません。

 いずれにせよ、ストーリーの方もまだどちらに転がっていくか、しかとは見えないのですが、まず間違いないと思われるのは、掲載誌の対象年齢層が上がったことで、これまで和月作品の節々で描かれていた「黒い」部分が、より前面に出てくるであろうこと。
 これはこれでもちろん、物語として――特に本作のような設定の物語では――不可欠な要素かと思われますし、それも作者の魅力の一つかとは思いますが、やはりそれでも、和月ファンの一人としては、これまで作品を貫いてきた精神性も、忘れず残して欲しいと心から思います。
 それは言ってみれば、人としてあること、心正しくあること…たとえ困難でも、そうあろうと、そうなろうと努めること。そんな人間の姿を描くこと。
 もちろんこれは個人の勝手な思いこみではありますが、キャラクターや物語以上に、私が和月作品に魅力を感じてきた部分であるだけに、そこはこれからもそうであって欲しいな、と。

 もっとも、これはまず間違いなく杞憂であるかと思います。人が造り出した、人にあらざる人――人造人間と、人間の相克を描く(であろう)本作は、必然的に、これまでの作品以上に人間という存在の在り様を、掘り下げて描かれることになるでしょうから…


 何はともあれ、ヒューリーとレイス、二人の青年を襲った運命はあまりに過酷(おそらくはレイスのみならずヒューリー自身も…にしてもレイスとフラットライナーとはまた直球なネーミング)
 彼らの未来はどこにあるのか。そして、彼らの他に人造人間を狩る者たち――既に表紙には登場している短編版の主人公たちとの出会いはどうなるのか。
 肝は冷えるが胸は熱くなる…そんな作品になることを期待します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.02

「骨董屋征次郎京暦」 残されものの叫び

 京は夢見坂に骨董屋を営む男・征次郎が出会う様々な事件を描いたシリーズ第二弾が本作「骨董屋征次郎京暦」。
 幕末を舞台とした前作から幾ばくかの時は流れ、舞台は明治。全てが移ろう新しい時代の中で、変わりゆくものと変わらないもの、それぞれの姿が静かな筆致で描かれてゆく連作短編集です。

 政治・社会体制のみならず、価値観までもが一新されてしまったかに見える明治の世。骨董品の持つ美に変わりはないとはいえ、そんな時代においては、古き良きものは顧みられなくなるのが常であり、征次郎たちの稼業も、苦しい状況に置かれることになります。

 そんな征次郎が相対することになる事件は、古き時代と新しい時代の対立・軋轢ともいうべきものばかり。
 明治維新により運命を狂わされた者、維新の傷を引きずった者――言ってみれば維新の「負け組」、時代に取り残されてしまった人々の(さらに言えば古き時代の、決してネガティブではない価値観の)象徴として、本作における骨董は、描かれているやに感じられます。

 そしてその中で、征次郎が共感し、ある時は手を貸し、ある時は見守るのは、やはりその取り残された側。
 変わっていくのは時代の中でも、真に美しきもの、価値あるものは変わらない。そしてそれに対する純粋な崇敬の念だけは変わるべきではない、変わって欲しくないと叫ぶ征次郎の姿は、非常に青臭くはあるのですが、しかし同時に強くこちらの胸を打つものがあります。

 価値観が大きく変動し、勝ち組・負け組などというあまり美しくない言葉が平然と語られる今この時代にこそ、征次郎の叫びは顧みられなければならないと感じる次第です。


「骨董屋征次郎京暦」(火坂雅志 講談社文庫) Amazon

関連記事
 「骨董屋征次郎手控」 骨董という魔性

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.01

「武蔵と無二斎」 剣豪小説から歴史小説へ

 火坂雅志と言えば、再来年の大河ドラマ原作に選ばれたように、今や骨太の、歴史小説色の強い大家という印象がありますが、しかしデビュー以来しばらくは、派手な伝奇ものや剣豪・武道家を描いた作品が主体となっておりました。
 本書「武蔵と無二斎」もその系譜に属する短編を集めた作品集。表題作をはじめとして、己の磨いた技に命と誇りを賭けた男たちの物語が集められています。

 本書に収録されているのは全七編――
 武蔵と父・無二斎の確執を通じて、兵法者の業というべきものを浮かび上がらせた「武蔵と無二斎」、武蔵が奈良元興寺の鬼の怪に挑む初期火坂伝奇チックな味わいの「鬼の髪」といった宮本武蔵を主人公とした二編のほか、「殺活」「卜伝峰入り」「一の太刀」「あばれ絵師」「柳生殺人刀」と、いずれも一流の祖たる達人たちの、優れた腕を持つ故の苦難の道を描いた作品ばかりです。

 いずれも水準以上の作品ばかりの本書ですが、その中で特に印象に残ったものを個人的に一つ選ぶとすれば、「一の太刀」でしょうか。「一の太刀」と言えば、その一つ前に収められた作品の主人公・塚原卜伝の生み出した秘太刀でありますが、本作はその最後の継承者たる田丸直昌の物語。
 剣士の心映えを無視して一の太刀を将軍の御前で披露させようという命に逆らい、また、関ヶ原の合戦では、その戦いに義なしとして唯一家康の眼前から去った硬骨漢の生き様を、一の太刀の行方と絡めて描いた本作は、剣豪ものとして楽しめるのはもちろんとして、現在の作品群に通じる、戦乱の世に己の道を貫いた男を描いた歴史小説としても楽しめる一編でありました。


 と――この剣豪小説と歴史小説二つの味わいを持つ作品に触れたのをきっかけに考えたのですが、本作をはじめ、本書に収録された作品の執筆時期を考えると、なかなか興味深いものがあります。
 本書の作品の執筆時期は、一番古い作品で一九九三年、一番新しいもので二〇〇二年ですが、その大半が、二〇〇〇年前後に発表された作品となっています。

 ここで火坂氏の出版年譜に眼を向けると、それとほぼ同時期の二〇〇一年に刊行されたある作品が大きな意味を持って感じられます。その作品の名は「神異伝」――火坂版「妖星伝」ともいうべき一大伝奇長編たる本作は、実は単行本が第四巻まで刊行された後、長らく中絶していたのですが、その完結編第五巻が書き下ろし刊行されたのが、この年なのです。

 この「神異伝」完結以降、火坂氏は伝奇作品をほぼ封印して、現在の歴史小説色の強い作品を発表していくことを考えると、この時期が大きな区切りであることが想像されますが、そうであるとすれば、同時期の作品を収めた本書は、そのまさに貴重な過渡期の作品集であると言えます。


 剣豪小説・伝奇小説から歴史小説へ――本書に描かれた剣豪・武道家たちが、死闘の中でやがて己の行くべき道を見出していった姿と、作者自身の作品の変化が重なって見えると言うと、これは牽強付会の謗りを免れないかもしれませんが、しかしファンにとっては、なかなか魅力的な想像ではあります。


「武蔵と無二斎」(火坂雅志 徳間文庫) Amazon

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »