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2007.12.31

2007年極私的時代伝奇ベストアワード

 さて今年の更新も今日で最後。昨日、一昨日と今年の十作品を(ちょっとだけ)真面目に選びましたが、今日は最後なので何も考えず、私が勝手に選ぶ2007年の時代伝奇ベスト○○賞をパーッといかせていただきましょう。

ベスト企画賞:「無明逆流れ」朗読CD(「チャンピオンRED」10月号付録)
 「シグルイ」(原作の「無明逆流れ」)+若本規夫という、ネタ的な意味ではベタな組み合わせを本当に実現させてさせてしまった異次元企画に。ある意味空気を読みまくった企画ぶりは、さすが「チャンピオンRED」ならではと言うべきでしょう。しかもドラマCDではなく朗読なので全て若本。三重もいくも若本。しかし若本しすぎずにきちんと原作の雰囲気を再現していたのは大いに評価できます。

ベスト名台詞賞:「武者震いがするのぉ!!!!」(「風林火山」庵原之政)
 ベスト名台詞は、局所的に大ブームとなったこれで決まり。(以前から顔芸で一部に知られた)瀬川亮の無闇に暑苦しい演技(と周囲の冷めた空気)と合わせてこその名台詞ではありますが、色々な場面で使用できる汎用性の高さも高ポイントでした。終盤で脚本家空気読み過ぎの再登場に全武者ブラーが湧いた。

ベスト地の文賞:「これはもう意味不明だが、おそらく、おれは伊藤一刀斎だ! ということなのだろう」(「柳生百合剣」より)
 …あなたは何を言ってるんですか、と突っ込みを入れるのも無駄としか言いようのない怪文。本当に意味不明ですが、言い切られては仕方ない。

ベストラストバトル賞:名無しvs羅狼(「ストレンヂア 無皇刃譚」)
 これはもう文句なしでしょう。最高に盛り上がるシチュエーションでの対決は、刀と剣の激突に加え、中国拳法チックな体術まで加わってのアクションで、大いに興奮いたしました。
 次点は「天保異聞 妖奇士」のヤマタノオロチvsスサノオ。動きは最高だったのですが、どちらも心神喪失状態の上に水入りで終わってしまったのが残念。

ベストキャラクターデザイン賞:菖源(「モノノ怪 海坊主」)
 青々とした髭と頭の剃り跡に赤い頬、片乳首を出した袈裟に尻のところには菊柄と、これはねえよ…としか言いようのない禁断のビジュアルには震えました。次点は同じく「モノノ怪」の「鵺」から、素肌に裃という、これまたデンジャラスなビジュアルの実尊寺はん。「モノノ怪」の坊主は危険すぎる。

ベストCV賞:山寺宏一(「ストレンヂア」羅狼役・「大江戸ロケット」銀次郎役)
 当たり前過ぎるチョイスではありますが、やはりこの方は外せません。特に「ストレンヂア」で明国の剣士・羅狼を演じた際の、周囲は中国語吹き替えなのに、何故か一人だけ自分で声当ててた時の衝撃が忘れられません。
 次点は「モノノ怪」での中尾隆聖。落ち着いた高僧ぶりと、「出世してぇんだよぉ」と若い頃の下品な声の落差が素晴らしかった…

ベスト助演俳優賞:和泉元彌(「柳生十兵衛七番勝負 最後の戦い」由比正雪役)
 主演賞はないのに助演賞。…それはともかく、バリバリの伝奇チャンバラ時代劇だった「柳生十兵衛七番勝負 最後の戦い」の中で、最も輝いていたのは、氏演じるところの正雪であったのは、多くの人が認めて下さるのではないかと。特に第三回と最終回での渾身の演技には涙腺をだいぶ刺激されたことです。奥さんともども新感線に出ればいいのにな…
 次点は実写版「しゃばけ」の仁吉を演じた谷原章介。「風林火山」の今川義元も好演でしたね。

ベスト悪役賞:クーマン神父(「次郎長放浪記」)
 本当はベスト狂人賞なんですが…そんなのを選んでどうするんだ、と寸前に我に返りました。それはさておき、キャラ立ち・描写的にこの受賞には文句はないでしょう。サマが意外とショボかったとか言わない。
 次点は「泣く侍」の伊藤様ですが、最近バイオハンターシルバみたいな立ち位置になっちゃったので。

ベストキャラクター賞:荒山徹
 …実在の人物ですが、あのトークショーを経験した者としてはこの人の名を挙げざるを得ない。あの時は事前にキャラ作りをして臨んだのではないかという疑いが頭から離れないくらい、期待通りのキャラでした。
 ちなみにベスト表情賞、「トークショーで作中のネタについて聞かれたときの困惑の表情」で。

ベスト作品賞:「柳生百合剣」(荒山徹 朝日新聞社)
 最後に、2007年のベスト作品賞を。昨日、一昨日と十作品取り上げた中でのベストは、ネタ的な意味でも、伝奇的な意味でも群を抜いていた本作を挙げさせていただきます。個人的に、最近の荒山作品は点を辛くしているのですが、本作は文句なしの快作でした。
 僅差で次点は「天保異聞 妖奇士」。今更言っても詮無いことではありますが、完全な形で発表されていれば――と口惜しくてなりません。


 と、何か「柳生百合剣」ファンブログみたいになってしまったのは内心忸怩たるものがありますが、2007年の時代伝奇ベストアワード、いかがでしたでしょうか。(他にも色々賞は考えていたんですが、ナニなネタばかりだったので没にしました)

 しかしこうして見ると、時代伝奇ものには、ネタっぽさという要素も重要なのですなあ…私だけですかそんなこと思っているのは。

 と、最後の最後までグダグダになってしまいましたが、本年の更新はこれで終わりです。来年もどうぞよろしくお願いいたします!


関連記事
 「無明逆流れ」朗読CD 味わいは原作通りに
 「柳生百合剣」第三回 柳生十兵衛 復活ッッ
 「ストレンヂア 無皇刃譚」 まさに大作時代劇!
 「柳生十兵衛七番勝負 最後の戦い」 第三回「孝養の剣」
 「しゃばけ」(TVドラマ版) 映像作品ならではの「しゃばけ」
 「次郎長放浪記」第三巻 神の王国で最後の勝負!?
 荒山徹トークセッション 「朝鮮、柳生、そして…」 (その一)

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2007.12.30

今年の十作品(後編)

 さて、昨日の続き、今年の十作品の漫画部門・アニメ部門です。
漫画
 小説に比べるとグン、と発行点数が増える漫画。このブログでも、一年の半分くらいは漫画を紹介していたような気がしますが、さてその中から何点か選べと言うと大弱り。
 結果として選んだのは「次郎長放浪記」「Y十M 柳生忍法帖」という、鉄板のようなそうでないような、な二作品ですが、その気になれば十作品全てを漫画で埋めることも可能だったかもしれません。

 「次郎長放浪記」は、本年痛恨の「第一部完」となってしまいましたが、ラストまで次郎長と死闘を展開したクーマン神父のキャラ立ちぶり…というか基地外っぷりは、むしろ本年と言うよりオールタイムベストにもふさわしい素晴らしさでした。
 また、本年はまだまだ連載途上の「Y十M 柳生忍法帖」は、本来であれば完結する(であろう)来年選ぶべきかもしれませんが、原作ファン、十兵衛ファン誰もが待ち望んだあの啖呵が素晴らしいクオリティでビジュアライズされたのだから文句は言わせません。

 なお、次点としては、ダークホース的作品ながら、妖怪ファン必読のコメディである「怪異いかさま博覧亭」と、あの名作「明楽と孫蔵」のビフォアストーリーであり、連載が進むにつれ加速度的に面白くなってきた「御庭番 明楽伊織」を。


アニメ
 ここまで小説と漫画についてあれこれ書いておいて何ですが、2007年の時代伝奇シーンを振り返ってみて最大の特徴は、アニメ作品の豊作ぶりであることは間違いないでしょう。
 おそらくはほぼ偶然とはいえ、ただでさえ作品数の多くない時代(伝奇)アニメが、しかも水準以上のクオリティのものばかりが今年(正確には昨年スタートの作品もありますが)発表されたのには、ちょっとだけ困惑しつつも、大いに嬉しい悲鳴を上げさせられました。

 その中でも今回選んだ三作品は、今年のみならず、この先も同好の士の間で語り継がれるであろう名作。
 惜しくも半年限りの放映となったものの、DVDに収録された追加エピソードにて怒濤の完結となった「天保異聞 妖奇士」は、わかっている人間がとことんまで突き詰めた結果、アニメはおろか、TV時代劇、いや時代もの全般でも滅多にない高水準の作品となりました。

 一方、わかっている人間たちがとことんまで突き抜けた結果生まれたのが、「大江戸ロケット」。パロディとギャグをふんだんに盛り込んだ本作は、往年のTV時代劇チックな、ナンセンスでバイタリティに富んだ、そしてそんな中にも確かな時代ものとしての息吹を感じさせる快作でした。

 そして、この二作品とは全く別のベクトルから時代ものに切り込んだのが「モノノ怪」。昨年絶賛された「化猫」同様、カラフルでポップなタッチで、残酷で哀しく切ない人間模様を描き出し、時代ホラーに新たな可能性を示したと言えます。

 なお、アニメの分野での次点は「ストレンヂア 無皇刃譚」であります。例年であれば間違いなくベストに選ばれていた時代アクションの快作を次点にせざるを得なかったほど、本年は異常なまでの時代アニメ豊作であった――こう結論づけてこの稿を終えます。


関連記事
 「次郎長放浪記」第三巻 神の王国で最後の勝負!?
 今週の「Y十M 柳生忍法帖」 柳生十兵衛牙を剥く
 「怪異いかさま博覧亭」 面白さは本物の妖怪コメディ
 「御庭番 明楽伊織」 帰ってきた明楽!
 今週の天保異聞 妖奇士
 今週の大江戸ロケット
 今週のモノノ怪
 「ストレンヂア 無皇刃譚」 まさに大作時代劇!

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2007.12.29

2007年の十作品(前編)

 今年も残すところあとわずかとなりました。伝奇ものに限った場合でも様々な作品が発表・発売されました2007年(もっとも喜んでばかりはいられない状況なのですがそれは後述)が、試みに、その中から、私の心に特に残った十の作品を挙げたいと思います。
 2007年の時代伝奇ベスト10などという大げさなものではなく、まあ三田主水の野郎はこういう作品が好きなのね、程度に思っていただければ。

というわけで私の十作品は次の通り。
 「柳生百合剣」(荒山徹 朝日新聞社)
 「五瓶劇場 からくり灯篭」(芦辺拓 原書房)
 「旧怪談」(京極夏彦 メディアファクトリー)
 「絵巻水滸伝」(正子公也&森下翠 魁星出版)
 「次郎長放浪記」(原恵一郎&阿佐田哲也 リイド社SPコミックス)
 「Y十M 柳生忍法帖」(せがわまさき&山田風太郎 講談社ヤングマガジンKC)
 「天保異聞 妖奇士」(アニプレックス)
 「大江戸ロケット」(ジェネオンエンタテインメント)
 「モノノ怪」(角川エンタテインメント)

 どれも一度ならずこのブログで取り上げた作品ですが、そのメディアごとに簡単に紹介いたしましょう。

小説
 時代小説の刊行点数はおそらく前年同様かそれ以上と思われる2007年ですが、しかし、こと時代伝奇小説に限って言えば、その数は減少の一途にあるようにすら思えます。
 正直なところ、時代伝奇小説ファンには寒い時代となった、という感がひしひしとしますが、そんな中でどこまでもマイペースで躍進(暴走)したのは荒山徹先生でした。
 その荒山先生の「柳生百合剣」は、昨年の連載開始時から、色々な意味でハラハラさせられましたが、完結してみれば、時代伝奇ものとしても十兵衛ものとしても、群を抜いてユニーク…は当たり前として、実に中身の濃い作品になっていたという印象があります。
(ちなみに本作とほぼ平行して連載・単行本化された「柳生大戦争」は、個別のエピソードの爆発力で勝るものの全体の完成度としては大分譲るものがあったかと)

 一方、時代ものとミステリを融合させた作品が少なからず刊行された中で異彩を放っていたのが「五瓶劇場 からくり灯篭」でした。大坂と江戸を股にかけて活躍した実在の歌舞伎作者・並木五瓶を主役に据えた四つの短編を収録した本書は、ミステリあり伝奇ありホラーありと実にバラエティに富んだ佳品であり、題材選びの妙、ストーリーテリングの妙で、伝奇ファンとして印象深い作品集でした。

 また、時代伝奇小説というものからは外れますが、非常にユニークな試みとして印象に残ったのは「旧怪談」。根岸鎮衛の「耳袋」を現代的文体でリライトするという、一発ネタ的な試みではあるものの、その中から「実話怪談とは何か」という問いかけが浮かび上がる様は、さすがは京極先生、と言ったところでしょうか。
(「耳袋」と言えば、風野真知雄先生が「耳袋秘帖」でブレイクしたのは嬉しい驚き)

 そして最後には中国ネタ、本年をもってめでたく第一部全十巻が完結した「絵巻水滸伝」を。ここに至るまで、決して平坦な道のりでなかったことは、ファンであればよく知るところですが、それを乗り越えて遂にここまで…と、感無量でありました。
 水滸伝と言えば、北方水滸伝の文庫化及びその続編「楊令伝」の刊行も快調でしたが、面白い水滸伝はこっちにもあるって! と叫ばせていただきます。

 ちなみに小説部門の次点としては、何故このシリーズがもっと話題にならないのか理解に苦しむ「世話焼き家老星合笑兵衛 義侠の賊心」、伝奇ではないですが新シリーズ第一弾としては破格の完成度の「雷迅剣の旋風」を挙げておきます。


(予想通り明日に続く)


関連記事
 「柳生百合剣」第三回 柳生十兵衛 復活ッッ
 「五瓶劇場 からくり灯篭」 物語作者としての自負と覚悟
 「旧怪談」 怪談の足し算引き算
 「絵巻水滸伝」第十巻 百八星、ここに集う!
 「世話焼き家老星合笑兵衛 義侠の賊心」 奇想天外、痛快無比!
 「雷迅剣の旋風」 新たなる旋風、無頼の牙

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2007.12.28

「怪」 日常と地続きの怪異

 綱淵謙錠氏と言えば、タイトルが漢字一文字で統一された歴史小説群で知られる小説家ですが、その中には、怪談奇談に属する作品が幾つも含まれています。
 本書「怪」に収められた作品の幾つかは、まさにそのような作品。江戸時代の怪奇譚集「老媼茶話」に記された物語が、氏一流の冷静な筆致で新たな生命を与えられています。

 標題作「怪」は、怪談テーマのアンソロジー等にも収められている名品。豪傑(というには些か血腥すぎますが)の妖怪退治という内容自体は珍しいものではありませんが、怪異を、決して煽ることなく淡々と、しかし迫力ある文章で描き出した様はなかなかに魅力的です。

 しかしその怪異の描写以上に私が注目したいのは、その怪異と、それに対比されるべき日常のそれぞれの描写に、さして温度差が感じられないことです。
 妖怪変化が跋扈する怪異においても、人間が暮らす日常においても――標題作をはじめとする怪異譚では、二つの世界があたかも地続きのものとして描かれていると感じられます。

 こうした姿勢は、現代の我々からすれば、なるほど奇異に映るかもしれませんが、しかし、この物語の舞台となった時代の人々にとっては、むしろこちらの方が当たり前の話。彼らにとっては、怪異と日常は、決して交わらないものではなく、共に同じ「現実」の中に存在するものなのですから――
 そして、そのような作者の視点が、単なる怪異譚を超えた、優れた時代歴史小説としての味わいを、本作に与えているのでしょう。

 また、本書には、怪談奇談ばかりでなく、分類するとすれば一般の時代歴史小説に属する作品も多く収められています。しかし、怪異譚ばかりでなく、通常の作品も併録されている本書の姿は、そのまま、上記の地続きの怪異と日常のあり方に通じるものが感じられる、というのは牽強付会でしょうか。


 なお、本書に収録されている「冥――眠狂四郎冥府へ行く」は、副題にある通り、眠狂四郎の最期の戦いと、その後の冥府での姿を描いた、柴田錬三郎追悼記念のパロディ。
 水野忠邦が送り込んだ刺客団を単身殲滅させながらも、己も遂に斃れることとなった狂四郎が、冥府で出会った者たちとは――と、パロディと言いながらも、ファンであれば色々と唸らされる点も多い作品なのですが、狂四郎の盟友・梶山季之進や、師の佐藤春太郎なる人物が登場し、さらに閻魔の浄玻璃の鏡に映った者の名が柴田錬之丞というに至っては、作者の茶目っ気にただ苦笑させられるばかり。

 この怪作もまた、「怪」を冠した作品集に収められるにふさわしい…のかなあ。


「怪」(綱淵謙錠 中公文庫) Amazon

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2007.12.27

「無限の住人」第二十二巻 圧巻の群像劇!

 前の巻から最終章に突入した「無限の住人」の最新巻が発売されました。「不死力解明編」終盤から凄まじい盛り上がりを見せてきた本作ですが、ここに来てもその勢いは変わらず、クライマックスにふさわしい見せ場に富んだ展開となっています。

 遂に江戸を捨てることとなった逸刀流。しかし彼らと、彼らを巡る様々な勢力の思惑は様々に絡み合い、いよいよもって三つ巴卍巴では足りない、複雑怪奇な様相を呈する状況となってきました。
 剣士としての誇りを胸に幕府に反逆の牙を剥こうとする逸刀流。
 己の誇りと命を賭けて逸刀流を追う吐鉤群と六鬼団。
 吐をその座から追い、なお止めを刺さんとする新番頭・英と配下の女忍衆。
 かつての上役である吐の窮地に立ちあがる偽一と百琳。
 そして逸刀流最後の戦いを見届けるべく再び旅に出る凛と万次――
 この巻では出番のなかった尸良を含めて、出しも出したり、個性が服を着て歩いているようなキャラクターたちの群像劇は圧巻の一言です。

 振り返ってみれば実に長きに渡って描き続かれている本作ですが、初期のド派手なトンデモ時代劇バトル路線から、加賀編などの面白いんだけどちょっと地味目の人間ドラマ路線を経て、この最終章では、その両者が高いレベルで融合した感があります。

 一頃減っていた変態(性的な意味でなく)剣士分を補うかのように奇ッ怪なビジュアルを誇る六鬼団と逸刀流とのバトルあり、吐を巡る悲痛極まりない肉親の情を描いた人間ドラマあり…緩急自在に多数のキャラを配置して描く本作は、やはり現在描かれている時代コミックの中でも一際抜きん出ていると言うほかありません。
(と、上で挙げた勢力分布を書いていて、逸刀流と同じくらい、吐の存在が人々の中心にあることに気づきました。この巻の中で登場人物の一人の言葉を借りて指摘されている通り、彼はもう一つの逸刀流というべき存在なのかもしれませんし、そこに本作のテーマが見えてくるようにも感じられます)

 この巻のラストでは逸刀流最強メンバーが行動を開始し、いよいよ盛り上がる一方の本作。最終章とは言い条、まだまだ最終回までは遠い印象ですが、むしろ完結が一日でも遠いことを祈りたい気分であります。


 しかし怖畔の顔って今までずっとメイクだと思ってたよ…(お面だったのね)


「無限の住人」第二十二巻(沙村広明 講談社アフタヌーンKC) Amazon

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2007.12.26

今週の「Y十M 柳生忍法帖」 なるか地獄脱出?

 さあ年越しを前にして大変な展開の「Y十M 柳生忍法帖」。獣心香により、まさしく獣心に囚われた女たちに襲いかかられて、肉布団の布団蒸し状態となってしまった十兵衛の運命や如何に――

 無駄にエフェクトの効いた画で襲いかかる女たちに取って食われそうな(性的な意味で)十兵衛先生。媚薬で狂わされた女が相手ではさしもの十兵衛も分が悪い。たちまちのうちに女たちの山に押し潰されて…
(しかしこの辺り、量が多すぎてエロというよりほとんどゾンビ映画の世界であります。屍美女軍団?)

 ついには十兵衛を巡って女たち同士の醜い争いまで始まって、何ともこう、色々な意味で目のやり場に困る中、ただ一人、十兵衛の躰に張り付いた女の姿が。
 十兵衛から離れようとしないその姿に悪趣味な好き心を刺激されたか、もっと近くで見ようとわざわざ牢を開けて中に入っていくバカ殿明成とお供の一行ですが――と、十兵衛に近づいた明成の喉元に擬せられたのはまごうことなき十兵衛の一刀! そこにはいつの間にか手足の縄を断ち切った十兵衛の姿が…

 まさに花地獄の大逆転の再現ですが、明らかにその時よりも(ビジュアル的にずいぶんわかりやすく)十兵衛が怒っている理由はさておくとして、気になるのは、寸鉄一つ帯びていなかった十兵衛の手に、いま刀がある不思議。
 その不思議のタネが、あの、十兵衛にしがみついて離れなかった女にあると睨んだのはさすがに芦名銅伯でしたが、さてその女の顔は――と思えば、それは使者として城を出たはずのおとねさん!?

 と、何度も驚かされたところで次回――来年に続きます。


 さて今回のどんでん返し、私は原作読者として当然先の展開を知っていたのですが、やっぱりいいものはいい。見ようによっては相当陰惨な展開だっただけに、実に痛快な大逆転劇であります。
 十兵衛女責めのシーンをもう少し長く描かないと、十兵衛に長々としがみついている女がいることに牢の外の連中が不審を抱かないんではないか、という気もしましたが、まあそれは置いておくとして――

 そして、この逆転劇を抜きとすれば個人的に一番感心させられたのは、おゆら様の描写であります。
 自らも獣心香の虜となって、牢の外で明成に抱かれるおゆら様。何かに耐えるようなその表情は、快楽を長く味わう為なのか、それとも別の想いを堪えているのか。
 そしてその姿に被さるように響く女たちの「離れや!」「離れやァ!!」の言葉を、本当に発したいのは誰か。
 サービスシーンの中に、おゆら様の心情を交えてみせるせがわ先生の筆の冴えには、大いに唸らされた次第であります。


 残る物語もあとわずかですが、来年も痛快な展開を期待しつつ、まずは今年の「Y十M」感想はおしまい。

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2007.12.25

「危機之介御免」第三巻 繋がった二つの時代

 時代劇なのに時事ネタ連打でパワフルに楽しませてくれた「危機之介御免」も残念ながら最終巻。
 この第三巻では、田沼意次を付け狙う二人の若者・サダとテツに、喜亀之介たちが立ち向かうことになります。

 如何なる恨みがあってか執拗に田沼を狙うサダらの陰謀は、八報を悪用しての捏造ネガキャン騒動、そして有明美具祭島での田沼暗殺計画とエスカレート。好むと好まざるとに関わらずこの騒動に巻き込まれた喜亀之介は、その危機を買って出ることになりますが…

 これまでも様々な危機を買ってでた喜亀之介たちですが、この巻で彼らが立ち向かうことになるのは、自分たちと同年代の若者。同年代といっても、生まれも育ちも異なる敵味方の若者たちですが、しかし物語の中で浮かび上がるのは、彼らが、自分の進むべき道に迷い悩んでいるという点において、等しい存在であるということであります。

 江戸時代と現代は、当然のことながら社会制度も文化も全く異なるものではありますが、しかし人間の頭の中身というのはそうそう変わらないもの。ましてや、若者が自分の将来に対して不安を抱くこと――もちろんその「将来」や「不安」そのものは時代によって差異はあるにせよ――自体は、いつの時代も不変でありましょう。

 現代の時事ネタを満載することで無理矢理に現代と江戸時代を繋げてきたように見えた本作ですが、しかしそうして繋がった二つの時代の共通点というものが、この巻では特にはっきりと現れてきた感があります。

 時代劇というのは、単に過去のある時代のことを描くのみならず、その時代を鏡として、現代という時代を、あるいは時代を超えて共通するものを描き出す力もあるもの…そんな当たり前の、しかし意外と忘れられがちなことを、本作は思い出させてくれます。


 それにしても――サダの正体は、時代設定と「サダ」の名が出た時点ですぐにわかりましたが、テツの方は本名(幼名)を名乗るまでわかりませんでした。まさか○○だったとは、いやはや伝奇ものとしても実に面白いアイディアです。


「危機之介御免」第三巻(海童博行&富沢義彦 講談社マガジンZKC) Amazon

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2007.12.24

「BRAVE10 ドラマCD」 見事なまでに鉄板な

 どうしようかと悩みつつも、いざ実物を目の当たりにするとついつい手に入れてしまうのがマニアのサガ。というわけで買ってしまいました「BRAVE10」ドラマCD。いやはや、この手のアイテムは久しぶりな気がします。
 基本的には原作漫画の忠実なドラマ化であるこのCD。収録されているのは原作第二巻の最初のエピソードまでで、つまりは才蔵が半蔵にボロ負けして、佐助の叱咤激励で再起するまでとなっています。些かスッキリしない切り方ですが、まあ分量的に丁度なので仕方ないのでしょう。

キャスティングの方は、
霧隠才蔵:森川智之
伊佐那海:植田佳奈
海野六郎:木内秀信
猿飛佐助:福山潤
アナスタシア:近野真昼
筧十蔵:藤原啓治
真田幸村:平田広明

という布陣で――最近の声優のことはあまり知らない私が言うのもなんですが――まずは大過ないキャスティングでありました。
 個人的には、福山潤氏がお得意の「良くも悪くも青い少年」演技で、本作の佐助のちょっとだけ特異なキャラを好演していたと思います(ちなみに福山氏は、おまけのキャストコメントで「好きな歴史上の人物は」と訊かれて、「好きかどうかっていうのではちょっと違うかも知れないけども一体どういうことだったのかなとか(中略)興味があるなって人がいるとすれば津田三蔵」と答えた強者です。一体何者なんでしょう。というよりお友達になりたい)

 さて、全体的な印象としては、かなりきっちりとした――言い換えれば無難な――ドラマCD化だと言えるのですが、その一方で否応なしに気付かされてしまったのは、本作の魅力のかなり大きな部分を、原作者の霜月かいり氏の絵が担っていたのだな、ということで…漫画だからある意味当たり前なのですが、ちょっと寂しかったかなあ。

 ちなみにこのCD、本編に、ボーナストラックのミニドラマ「幸村の百物語」、それにキャストコメントと、見事なまでに鉄板なドラマCDのコンテンツで、冒頭に書いたようにこの手のアイテムを久々に買った私ですが、今でもこうなんだ…とちょっと感動しましたよ。


「BRAVE10 ドラマCD」(マリン・エンタテインメント CDソフト) Amazon


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2007.12.23

「山彦乙女」 脱現実から脱伝奇へ

 もう幾度目かになりますが、山本周五郎先生の「山彦乙女」を読み返しました。
 禁断の地に踏み入って発狂した末に行方を絶った叔父の遺品を主人公が発見する導入部は、むしろクトゥルー神話の定番的で(ちなみにこのパターンは時代伝奇の世界ではさほど使われていない一種のコロンブスの卵であります)、伝奇小説としての興趣満点なのですが、冷静に読み返してみると、本作の目指したところが、むしろ伝奇ものを遙かに離れたところにあることに気づかされます。

 本作の主人公・半之助は、一言で表せば浮世離れした人物。(状況的な事情はあるとはいえ)世間的な評判や地位というものを嫌い閑職を望む、ある意味若者らしからざるキャラクターです。
 この彼の浮世離れは、しかし、浮世を知らぬからではなく、浮世を見過ぎた――もっともそれは青年らしい感慨が多分に含まれていますが――が故のもの。人間が人間らしく生きることのできぬ現実世界へのいらだちと反発が、彼の中にあります。

 そしてこの彼のキャラクターこそが、大袈裟に言えば、本作を伝奇ものとする必然性を与えていると言えます。
 つまり、日常の現実を基盤にしつつ、異常の事件を設定することにより、それを踏み越えた境地に入り、そしてその立場から現実を俯瞰する。浮世を離れたがっていた彼にとって、この伝奇的な物語に巻き込まれることは、ある意味望むところだった、と取ることもできるかもしれません。

 しかし本作が、この半之助という主人公が求めたものは、伝奇物語の中にはありません。(本作の)伝奇構造の中に含まれる世俗的な善と悪の対立、あるいは過去から現在に影響を及ぼす因縁といったものは、畢竟、現実の延長線上にあるものであり、彼の忌避する、人間を人間らしく生きさせない世界は、伝奇物語を抜けた先にもあるのですから――

 こう考えてみると、本作の向かう先は、脱現実の先にある伝奇世界ではなく、そのまた向こう、脱伝奇の世界にあるように感じられます。


 もちろんこの見方は、伝奇もの、という概念を基盤においてのものであり、また、人間らしく生きることを現実逃避と直結して読むことは、見当違いな解釈かもしれません。
 さらに身も蓋もないことを言ってしまえば、本作を楽しむ上で特に必要はないものではあるのですが、一見、典型的な時代伝奇小説である本作の中に、そのフレームワークを否定するような構造が存在することは、ちょっと面白く感じられたことです。


「山彦乙女」(山本周五郎 新潮文庫) Amazon

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2007.12.22

「鬼神降臨伝ONI」(小説版) もう一つの鬼神降臨伝

 鎌倉伝奇ネタを補充したくなり、以前紹介したゲーム「鬼神降臨伝ONI」の小説版を読みました。

 主人公の少年・北斗丸と、源頼朝の庶子・頼遠が、「鬼追う者」として妖怪退治の旅に出るという基本設定や、彼らを含めた五人の主要キャラの存在自体は変わるものではありませんが、物語展開やキャラクターの立ち位置は大きく改変されており、それなりに楽しむことができました。

 正直なところ、クオリティ的には、「ゲームのノベライゼーション」以上でも以下でもないのですが、元ゲームのシナリオを担当した早川奈津子氏によるものだけに、作品(というよりONIシリーズ)独特の雰囲気はよく出ていたように思います。
 内容的にも、物語のスケール自体はゲームよりもむしろ小さくなったにもかかわらず――いや、それがむしろプラスに転じて、人間と妖怪、そしてその間に立つ妖魔ONIという構造はより明確になった感がありますし、この戦いの起きた理由も、描写的にはもっと突っ込んで書いて欲しい気もしましたが、しかしゲームではまず扱いにくい、小説ならではのものとして評価できます(法輪の扱いは微妙ですが…)


 元ゲームに触れたことのない方には全くお勧めしませんが、元ゲームのファンの方が、もう一つの「鬼神降臨伝ONI」として楽しむ分には、十分にその用に足りるものと言えます。
(個人的には物語の設定年が明確になったので満足なんですが、さすがにそういう人間は滅多にいなかろう…)


「鬼神降臨伝ONI」(小説版)(早川奈津子 小学館スーパークエスト文庫) Amazon

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 「鬼神降臨伝ONI」 鬼追う者、鎌倉に見参

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2007.12.21

「七人の十兵衛」(その三) 十兵衛の様々な貌

 長くなって相済みません。今日で「七人の十兵衛」紹介もラストです。
「百万両呪縛」(高木彬光)
 もう一つ、ミステリ作家の描く十兵衛が登場します。戦後ミステリ界の代表選手の一人である高木先生が、しかし、実は少なからざる数の時代小説を残しているのはファンならば周知の事実。
 その作品は――真面目なファンの方には怒られそうですが――角田喜久雄先生の作品にジャンクな味付けをほどこしたようなもので、ある意味実に大衆小説的な味わいなのですが、本作にもその味わいが濃厚に感じられます。

 京を騒がす大盗を退治ることとなった十兵衛。かの関白秀次が遺したという百万両の財宝を巡り暗躍を始める大盗ですが、その財宝探しのライバルとして現れるのが何と風魔小太郎という豪華キャストであります。
 しかしこれでは十兵衛の影が薄くなるばかりでは…と思ったところで飛び出してくるどんでん返しがなんともユニークで、格調やテーマ性という点では一歩譲るものの、エンターテイメント性という点では、他の作品に全く劣るものではありません。

 ちなみに――もし高木先生が時代小説に専念していたら、角田喜久雄の正統後継者足り得たのではないか…という思いを私は昔から抱いているのですが、これは余談。


「十兵衛の最期」(大隈敏)
 さて、最後に用意されているのは、十兵衛の死を描いた作品。十兵衛の死は、その状況に些か不明瞭な点があることから、しばしば時代小説の題材とされていますが、十兵衛を主人公に据えた短編集に収録されていた本作では、また独自の解釈がなされています。

 何よりも、本作に登場する十兵衛自体が非常にユニークです。一部ネタバレになってしまいますが、ここで登場する十兵衛は、なんと女とも見まごう美形。
 十兵衛というとほとんどの作品で、性格はともかく、外見は共通して男臭い風貌として描かれており、弟の友矩さんと役割分担しているようにすら思えます(美形十兵衛って、ざっと思い出せる中でも、コミック「THE無頼」の十兵衛くらいではないかしらん)。

 しかるに本作で描かれるのは、そのイメージを覆すような十兵衛像。まさにそのイメージのギャップを利用して十兵衛が隠密活動を続けてきたという設定がまたユニークですが、その果てに十兵衛が迎えた死の一因に、そんな中で十兵衛が抱いてきた鬱屈があったというのがまた巧みな構成だと思います。
 ある意味、十兵衛というキャラクターにふさわしい最期と言えるかもしれません。


 さて――ここまで長々と全七作品を紹介してきましたが、あらためて感心させられるのは、十兵衛像というものの多様性です。

 たとえば同じ大剣豪たる宮本武蔵については、吉川英治の「宮本武蔵」という巨大すぎる山脈が存在しているため、様々な作家が武蔵を描いたとしても、その人物像は、ここでのイメージを踏襲するか、はたまた正反対とするかに大体収斂していきます。
 その一方で十兵衛は、幾つもの強烈なキャラクター性を持ちつつも、本書に見られるようにその人物像は実に様々であり、武蔵よりも遙かに折り目正しく公的な記録にも登場する人物でありながらこの現状は、吉川武蔵のような決定版が存在しないというのを抜きにしても、なかなかに興味深い現象であります。

 剣豪か隠密か。快男児か梟雄か。隻眼か双眼か…柳生十兵衛という剣豪が、実は様々な貌を持つ不思議な存在であることを――ちなみに私はその一因に、「剣」と「権」の両道を往った柳生家の特異性があると考えていますが――本書は教えてくれます。


「七人の十兵衛」(縄田一男編 PHP文庫) Amazon

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2007.12.20

「七人の十兵衛」(その二) 「弱い」十兵衛

 昨日の続き、「七人の十兵衛」の紹介であります。
「柳生の鬼」(隆慶一郎)
 五味先生以上に柳生新陰流の陰をドラスティックに描いたのが隆慶先生。ある意味、隆慶作品の常連悪役とも言える柳生一門を、逆に主人公に据えた名短編集「柳生非情剣」からの一編です。

 およそ十兵衛と言えば、山風作品のように自由闊達な快男児か、あるいは冷血・傲岸な梟雄として描かれることが多い人物。隆慶十兵衛は基本的に後者ですが、本作の十兵衛はまたひと味違う存在として描かれています。
 放逐に等しい形で将軍家指南役から離れた十兵衛が、故郷であるはずの柳生の里で向けられたのは周囲からの冷たい視線。それでもなお絶対的に抱いていた彼の自負心を根底から覆された彼は、己を今一度鍛え直すこととなります。

 つまり、ここで描かれるのは発展途上の、「弱い」十兵衛の青春の姿。
 隆慶先生は、時に後に続く世代に憎悪に近いほど冷たい顔を見せる一方で、青春の蹉跌というものにひどく優しい眼差しを向けることがあるのですが、本作はその後者に当たります。

 強いけれど弱かった十兵衛が、必死に立ち上がろうとする姿を描いた本作は、そんな作者なりの優しさが伝わってくる作品であり、それだからこそ、快男児の時も梟雄の時も滅多に見ることのできない十兵衛の涙というものを、違和感なく受け止めることができます。


「柳生十兵衛の眼」(新宮正春)
 武芸者や戦士・強者たちが死闘の中で繰り出す秘技というものを(特に短編において)描くことに描くことに定評のある作者には、柳生新陰流を題材とした短編集「柳生殺法帳」がありますが、本作はそのうちの一編です。

 隻眼十兵衛の、その残された目を潰すという、ある意味とんでもない任務を課せられた甲賀忍者たちの戦いを描いた本作ですが、その中で描かれるのは、忍者の秘技をも上回る十兵衛の深謀。
 十兵衛の隻眼は、彼のトレードマークであることは間違いありませんが、しかしそれが史実であったかはまたよくわからないところ。フィクションの世界に於いても、五味十兵衛のように隻眼か否か不明であったり、またちゃんと両目のある十兵衛も登場していますが、その「わからなさ」に翻弄されるのは、甲賀忍者たちだけではありません。

 その一方で、その謎を打ち砕くのが、またある意味実に現代的な――しかし新宮先生の経歴を見ると納得できる――「秘技」である辺り、実に新宮作品らしい一編であります。


「鬼神の弱点は何処に」(笹沢左保)
 笹沢左保先生の時代小説は、ミステリ色が強いのが特徴の一つですが、本作はそれが非常にユニークな形で現れている作品です。

 鬼神の如き強さを誇る我流の剣士を倒すため、十兵衛を含めた三人の男女が、タイトル通りにその弱点を探して心理戦を繰り広げる本作。
 十兵衛たちが、剣士が時折見せる奇矯な、しかしさりげない行動をヒントに、その弱点を推理していく様は、まさにミステリのトリック探しの呼吸で、剣豪小説にこのようなアプローチがあったかと感心させられました。

 正直に言って、十兵衛度(?)は薄めな作品なのですが、ラストのどんでん返しの、そのまた先のどんでん返しで彼がとった行動は、剣の道、柳生の道の非情さを強く印象づけます。


 あともう一回、おつきあい下さい。


「七人の十兵衛」(縄田一男編 PHP文庫) Amazon

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2007.12.19

「七人の十兵衛」(その一) 政治的なる剣

 PHP文庫から先日発売された本書「七人の十兵衛」。その名の通り、柳生十兵衛を題材とした、七人の作家による七つの物語が収められたアンソロジーであります。
 時代小説の世界では相当にメジャーなキャラクターたる柳生十兵衛を扱っているためか、収録作品的にはかなり鉄板――正直なところ私にとってはほとんど既読の作品ばかりでした――ではありますが、それだけに内容には折り紙付き。どれも安心して読むことができる作品ばかりですが、通読するとなかなかに興味深い十兵衛像が浮かび上がってきます。
 以下、一編ごとに紹介していきましょう。


「柳生一族」(松本清張)
 トップバッターは、柳生十兵衛のみならず題名通り柳生一族の来歴を描いた作品。
 淡々とした筆致で描かれた柳生石舟斎以降の柳生一族の姿は、柳生ファン(?)にとってはお馴染みのエピソードが多いかと思いますが――しかし、片腕に止まらせた鷹を微動だにさせず襲撃者を撃退したという石舟斎のエピソードのアレンジの仕方は美事――ここで語られる石舟斎の姿には、その後の柳生家のあり方の淵源とも言えるものが見て取れます。

 戦国乱世に翻弄され、流浪を余儀なくされた石舟斎とその息子たち。彼らが求めた「安定」は、どれほどの剣の力があろうとも、得ることのできないものであります。そしてここから柳生家の特色である「政治的なる剣」が生まれたという本作の内容は、十分納得がいくものでしょう。

 そして本作で描かれる十兵衛の悩みは、そんな武術家と政治家というアンヴィバレントな存在の間に立たされた者ならではの悩みであり、彼の一生と最期は、柳生一族を象徴するものとすら感じられます。
 このアンソロジーの巻頭を飾るに相応しい作品でありましょう。


「秘し刀霞落し」(五味康祐)
 「政治的な剣」といえば、やはりこの方の作品が挙がるのは当然と言えるでしょう。柳生一族陰謀家論(?)の嚆矢ともいえる大作「柳生武芸帳」の外伝的空気の漂う本作で描かれるのは、やはり黒い宗矩と、その走狗として活動する十兵衛の姿であります。

 柳生流と同じ八間四面の道場を建てた同門の剣士を咎め立て、その秘太刀を見届けた上で――すなわちその技を盗んだ上で――殲滅しようという宗矩と十兵衛父子の姿は、殊に、ターゲットとなった道場に集うのが素朴な土地の土豪であり、その描写がまた微笑ましいだけに、より一層戦慄すべきものとして感じられます。

 もちろん、そのような異常にドライなドラマを展開する一方で、剣豪ものとしての本作が一級品であることは言うまでもない話であります。物語の序盤、旅の途上の茶屋で十兵衛が見せる一瞬の殺人剣の冴えもさることながら、ラストに展開される決闘シーンのスピード感は――剣戟のスピード感という点では、本作は剣豪小説中でも屈指の一編かと――さすがに余人の追随を許さないものがあります。

 短編ながらも、五味十兵衛、五味柳生一族の姿を切れ味鋭く描いた作品であります。


 明日に続きます(全三回予定)


「七人の十兵衛」(縄田一男編 PHP文庫) Amazon

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2007.12.18

今週の「Y十M 柳生忍法帖」 今度こそ貞操の危機?

 前回、十兵衛先生あわや貞操の危機!? というところで終わったのを受けての今週の「Y十M 柳生忍法帖」、酒の酔いとおゆら様の指嗾で集団貞子状態と化した雪地獄の女たちに迫られた十兵衛ですが…

 と、そこで皆の前に立ちはだかったのは、その女たちの中の一人。
 自分自身が助かるために、明成を倒し会津を救いに現れた十兵衛を犠牲にしてよいものか、という彼女の叫びは、無惨にも銀四郎の槍に断たれましたが、しかしすでに地獄にいる女たちにとっては、死こそが救いということでしょうか。むしろ殺してくれと銀四郎の方に向かいます。

 もちろんこれを見過ごしにできぬ十兵衛はこれを庇おうとし、嗚呼十兵衛の命もここに消えるかと思われたとき、ストップをかけたのはまたしてもおゆら様。
 死にたいという者を殺すのはつまらないというのは、これはドSなりの理屈ではありますが、本当にそれだけかな?
 何だか微妙にツンデレ感漂う最近のおゆら様ですが、しかしその後に淫蕩な表情で名を挙げたのは、「獣心香」なるもの。その名を聞いた女たちが青ざめ、バカ殿が握り拳作るほどのその香の効果とは…

 まあ名前を見ればだいたい予想がつきますが、これは一種の媚薬。それも只の代物ではなく、一度この煙を吸えば、もうここでは説明できないほどの大変なこととなってしまうという…
 そんなあさましい状態になるくらいなら、と、牢の女たちが舌を噛み切ろうとするその効果たるや推して測るべしですが、そんな女たちに対して十兵衛は、せいぜい派手なところを見せてくれ、と意外なセクハラ発言。

 何たる破廉恥! と思ったのは一瞬、その後に続いたのは、女たちがどんな状態になろうと決して笑わない――つまりは、己の意志でない姿を見せる彼女たちの姿を決して嘲らず、受け止めるという――言葉でした。
 さすがは十兵衛先生、剽げた、しかし真摯な言葉で女たちが自殺するのを防ぐその姿は、やはりヒーローとしか言いようがありません。この件、原作ではさらっと描かれているのですが、漫画ではこの二つの言葉を口にする時の表情の違いがしっかりと描かれていて、十兵衛の強さ、優しさがよりはっきりと描かれていると言えます。

 しかしそれでも十兵衛は自由を奪われて牢の中という状況は変わらず。三日かかるという獣心香練成も終わり、遂に魔の香が炊かれて十兵衛の貞操も今度こそ危機? というところで以下次号。
 …これはどう考えても大変な場面で越年しそうな状況ですなあ。

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2007.12.17

大河ドラマ「風林火山」 完結によせて

 平成十九年の大河ドラマ「風林火山」が、昨日めでたく最終回を迎えました。
 個人的には、こんなサイトをやっているくせにどうも大河ドラマというのが基本的に好きになれないのですが、今回は「新選組!」以来久しぶりに、最後まで引き込まれるように見てしまいました。

 私が大河ドラマを好きになれないのは、「一将功成りて万骨枯る」世界に感情移入できないからなのですが、本作はまさにその一将・山本勘助を描いた作品。
 にもかかわらずそれを面白く見ることができたのは、彼の行動原理が、大義名分のためというわけでなく、かといって我欲のためのみでもない、色々と複雑な内面を抱えていたからではないかと今更ながらに感じます。

 振り返ってみれば、大河ドラマで、勘助ほど人間のできてない主人公は珍しいのではないかと思いますが、この「人間のできてなさ」は、勘助のみならず登場人物のほぼ全員に共通する要素。
 完璧超人が存在しない(それこそ一番超人じみた存在である上杉謙信も、その超人性自体が「人間のできてなさ」に直結していたのが面白い)世界、人間臭い連中ばかりの世界であったからこそ、物語にある意味爽快なまでのバイタリティと、そして同時に深みが生まれたのではないかと感じます。

 もちろんそれも、大河ドラマならではの豪華すぎるキャスティングと、それに加えて「武者震いがするのう!」に代表される、出演陣の気合いの入りまくった演技に支えられてこそ、ですが…

 と、無理矢理このサイトの方向に話を持っていくと、伝奇的に見ると、存在自体が伝奇的な主人公だけあって、これも相当の充実ぶり。何だか武田・今川・北条・上杉で起きた事件・合戦の八割方に勘助さんが絡んでいたような勢いで、冷静に考えると結構無茶な気もしますが、それがお茶の間に流されていたのだから痛快です。
 特に桶狭間の合戦のエピソードなど、決して本作独自のアイディアというわけではないのですが、出演陣の演技も相まって大いに楽しませいただきました。


 …あれは昨冬のこと、番組が始まったか始まらないかという時期だったかと思いますが、私がとあるファーストフード店に入ったとき、近くに座っていた五、六十代と思しき男性客数人が、交わしていた会話の中で、こんな言葉が耳に入ってきました。
「山本勘助って、黒田官兵衛とは違うの?」

 なるほど、普通の人にとって山本勘助というのは、この程度の知名度なのかと妙に感心した記憶があるのですが、さて、この時のオジサンたちは、勘助のことを覚えてくれたでしょうか?
 覚えるどころか、忘れられないくらいのインパクトを受けたのでは、と今は思っているところです。

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2007.12.16

一月の伝奇時代アイテム発売スケジュール

 もう来年の話をしても鬼が笑わない時期になってしまいました。平成も早20年、平成生まれの子供が成人式…と自分で書いていて暗い気持ちになってきましたが、それはそれとして新年早々発売されるのは様々な時代伝奇アイテム。というわけで一月の時代伝奇アイテム発売スケジュールです。

 ここしばらく、小説の方は低調な印象でしたが、一月は相当の豊作。上田秀人の勘定吟味役シリーズの新刊や柳蒼二郎の「元禄忍法帖」(…は、版元からして「元禄魔伝」の文庫化かしら)をはじめ、文庫化でも先日うちのサイトで年表に掲載したばかりの菊地秀行「逢魔が源内」や中島かずきの小説版「髑髏城の七人」など注目の作品が発売されます。また、武侠小説では射雕三部作最後の作品「倚天屠龍記」が文庫化されます。

 しかし、何よりも注目すべきは加納一朗の「あやかし同心事件帖」の続編の登場!
 文庫書き下ろし時代小説の皮を被った本格時代ホラーという意表を突いたスタイルで(ごくごく)一部のファンを熱狂させたあの伝説の作品、あまりにカルトすぎてもはや続編は望めないかとなかば諦めていたあの作品の続編が読めるとは、新年早々、実に喜ばしいことです。
 …もしかしてこれで喜んでいるのは、私の他は芦川先生に細谷先生・笹川先生くらいではないかという気もヒシヒシとしますが、出てしまえばこっちのもの。全力で応援させていただきたいと思います。


 さて、ちょっと落ち着いて漫画の方ですがこちらも豊作で「Y十M 柳生忍法帖」に「九十九眠る しずめ」、先日終わっちゃった「極東綺譚」に、第一巻が各所で絶賛された「戦国戦術戦記LOBOS」まで――気づけば全部講談社で、もう音羽には足を向けて眠れません――楽しみな続巻ばかりです。
 続巻と言えば、色々と心配だったソノラマコミックスからは「雨柳堂夢話」が登場。雑誌掲載は現在お休み中ですが、こうしてまた会えるだけでも嬉しいお話です。

 映像作品では25日が大変なことに。「大江戸ロケット」「モノノ怪」「シグルイ」の時代アニメ三本の他、「東海道四谷怪談」などを収録した中川信夫の傑作選は出るわ市川雷蔵の「忍びの者」シリーズ全八作が出るわともの凄い物量です。
 ちなみにこの25日はいわば「モノノ怪」Dayとも言うべき日で、現在連載中の「化猫」の漫画版と、小説版「海坊主」も発売される予定なので、ファンは散財を覚悟のこと。私はもちろん覚悟済み。
 も一つ、これは純粋に時代ものではありませんが、「劇場版 仮面ライダー電王 俺、誕生!」もソフト化されます。さすがに劇場には度胸がなくて行けなかったので、この機会に見たいと思っています。


 …ちなみに非時代ものとしては、「魔界都市<新宿>」(not 魔界都市ブルース)の新作が発売されるとのこと。この調子で漫画版もまたやってくれませんかねえ(「魔界都市ハンター」がバイブルの一つであるところのワシ的に)

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2007.12.15

「おんみつ蜜姫」 親子の絆と自己の確立と

 国元で育った豊後温水藩の蜜姫は、ある日、嫁入り先に決められた讃岐風見藩と温水藩の合併が密かに進められ、それを妨害するために公儀隠密が暗躍を始めたことを知ってしまう。これ幸いと出奔し、忍びネコのタマをお供に隠密として旅に出た彼女を待っていたのは、海賊に忍びたち、尾張柳生に、将軍吉宗の御落胤を名乗る天一坊…幕府を揺るがす大陰謀を前に、蜜姫の活躍や如何に。

 以前このブログで「入門者向け時代伝奇小説五十選」という企画を行いましたが、その後失敗した、と思ったこと(の一つ)は、米村圭伍先生の作品を入れ忘れたことでした。
 伝奇色の強いユーモア時代小説という希有な作品を次々と送り出している米村先生の動向は、時代小説ファン、伝奇ファンならば見逃すわけには行きません。

 そこで本作ですが、これもユーモアと伝奇の二本柱が楽しく嬉しい快作。「風流冷飯伝」「退屈姫君伝」などよりは前の時代、享保を舞台とした作品ですが、あの風見藩の奇習の創始者が登場したり、やっぱり冷飯と御庭番が活躍したりと、サービスと遊び心満点の内容となっています。

 しかし、ユーモアだ伝奇だと言いつつも、その実、シビアで現実的な問題を描いていくのもまた米村流。エキセントリックなキャラクターだらけの賑やかな物語の中で展開されるのは、己の地位にしがみつこうとする権力者の姿であり、そしてその陰で薄れ、途切れていく親子の絆であります。

 本作で蜜姫が対峙することとなるのは、かの天一坊。大山師の悪党とされることが少なくない天一坊ですが、本作において描かれるのは、偉大な父の存在に振り回され、しかしその愛を求める孤独な青年の姿です。
 そして対する蜜姫は、一見これとは正反対のキャラではありますが、しかしやはり親に振り回され、自己をなかなか確立できないという点において、近しい存在と言えるでしょう。
(さらに言えば、自己の確立ができないという点において、蜜姫は冷飯連中と同質の存在と言えるわけですが…)

 もっとも、作中でそれがうまく描き出されているかといえば、それがちょっと微妙なのが残念なところ。
 例えば蜜姫とタマの関係性と、天一坊と赤川大膳らとのそれの対比など、もう少し突っ込んで描けば、さらに面白く、深い描写ができたのではと思うのですが…
 どうも面白い題材・キャラクターを詰め込みすぎて、ちょっと霞んだものがあったように思えるのですが、それはちょっと贅沢の言い過ぎでしょうか。

 さて、一つの冒険は終わったものの、まだまだ自己を――凛とした生き方を――確立できない蜜姫の旅はまだまだ続きます。
 本当につい先日登場したシリーズ第二弾「おたから蜜姫」では、蜜姫が「竹取物語」の謎に挑む様が描かれているとのこと(何故表紙が柴田ゆう先生でない点については強く抗議したいところですが)。もちろんこちらも読まずばなりますまい。


「おんみつ蜜姫」(米村圭伍 新潮文庫) Amazon

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2007.12.14

「討たせ屋喜兵衛 浪士討ち入り」 伝奇度MAXの裏忠臣蔵

 仇討ちの理非を調べ、時にその手助けをし、時にそれを防ぐ討たせ屋を吉原で営む喜兵衛と千歳のもとに、吉良方と浪士方、双方から依頼が持ち込まれた。そもそもの刃傷事件の陰に不審なものを感じ取った喜兵衛は、上野介の近くに入り込むが、そこで彼が知ったのは、上野介の意外な素顔と、想像を絶する事件の裏側だった。

 中里融司先生の代表作の一つ「討たせ屋喜兵衛」シリーズ全五巻の第四巻目は、いよいよ赤穂浪士の討ち入りに喜兵衛が挑むことになります。
 これまでも清水一学や高田郡兵衛等、「忠臣蔵」の登場人物が登場し、浪士方と吉良方の争いが物語の遠景として描かれていましたが、ここで一気にそれが前面に出ることとなっています。

 このシリーズ、これまでは史実に絡むことがほとんどなく、必然的に(?)伝奇度は低かったのですが、今回はいきなり伝奇度MAX。諸説ある松の廊下での刃傷沙汰について、非常にユニークな――それでいて、吉良上野介の立場・職責というものを考えればなかなかに説得力のある原因を設定しており、さらにそれが喜兵衛たち自身の戦いに直結していく辺り、うまいものだと感心します。

 と、吉良方を悪役にしない場合、必然的にその敵役として赤穂浪士たちの立場が悪くなってしまうのですが、本作においてはそこにも目配りがされており、特に大石内蔵助が討ち入りを行う理由は――それ自体は先行の忠臣蔵ものでも幾つか見られるものではあるのですが――本作のテーマの一つである、武士としての生き様、武士としての道に結びついているのが、またドラマを盛り上げる工夫として見事です。

 しかし、吉良方も浪士方も、どちらも非がないとすれば、喜兵衛が直面するのは、討たせ屋としてどのような決断を下すべきか、という非常に難しい問題。理に叶わぬ仇討ちであれば、実力を行使してでも止める討たせ屋にとって、最大の難題でありますが、ここで喜兵衛が、そして上野介が取った解決策というのが、また実に人を食ったものであって、伝奇者としては大喜び。いや、さすがにこの展開は予想できなかった! と小躍りした後で、武士としての生き様を貫こうとする登場人物たちの心構えに、粛然とした気持ちにさせられました。

 さて、討ち入りと並行して展開するのは、喜兵衛たちの物語。前の巻で、喜兵衛を親の仇と狙う伊織・彦一郎姉弟の弟の方に、討たせ屋としての喜兵衛の存在がバレてしまいましたが、この巻ではいよいよ最強最悪の暴力女武芸者・伊織にまで討たせ屋喜兵衛の存在を知られてしまって大騒動。その騒動を如何に解決させるか、シリーズものとしても一つのクライマックスで、こちらも十分に楽しませていただきました。

 そして遂に次の巻が最終巻。あまりにスケールアップした敵の所業に、如何に討たせ屋チームが立ち向かうか、大団円を期待したいと思います。


 ちなみに…このシリーズでは毎回、喜兵衛が仇討ちに巻き込まれて無念の涙を呑んだ人物から剣技を受け継ぎ、その技で悪を斬るという趣向があるのですが、今回喜兵衛にその技を伝授するのはなんと――いや、このアイディアを考えついた中里先生には、本当に感心いたします。いやはや、こんな○○○見たことありません。


「討たせ屋喜兵衛 浪士討ち入り」(中里融司 ハルキ文庫) Amazon

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2007.12.13

「砂絵呪縛」 というよりも森尾重四郎という男について

 時は元禄、第六代の将軍擁立を巡り、激しくぶつかり合う二つの勢力があった。紀州綱教を擁立する柳沢吉保の配下・柳影組。片や、甲府綱豊を奉じる水戸光圀をバックとした間部詮房の組織する天目党。誘拐・潜入と敵味方入り組んだ暗闘が繰り広げられる中を、無頼の浪人・森尾重四郎は彷徨する。

 時代小説という今ではもう変えることのできない過去の世界を舞台としたジャンルであっても、それが生み出された時代によって、新しい古いがあるのは当たり前の話。
 そう考えると、本作は明らかに「古い」時代小説。発表された年代は昭和二年と相当昔でありますし、設定や人物配置的など内容的にも(後述する一部を除いて)クラシックな作品であります。
 そのような作品が(たとい一部の読者の間とはいえ)現代にまでその名を残し、そして私がここで取り上げるのは、作品の中に、時代を超えて通用する、強烈な輝きを放つモノがあるからにほかなりません。
 ――それが、本作に登場する森尾重四郎というキャラクターであります。

 この人物を、無理にエンターテイメントのパターンに当てはめて説明するとすれば、ニヒルなライバルということになるでしょうか。物語中の立ち位置でいえば、主人公格である勝浦孫之丞というキャラが所属する天目党と対立する柳影組の食客という立場であり、孫之丞が折り目正しい若侍であるのに対し、重四郎はいわゆる無頼の徒。
 パターンで言えば、どう考えても主人公と対立し、敗れる(場合によっては仲間になる)ライバル以外の何者でもないのですが――しかし重四郎は、それとは大きく異なるパーソナリティーを持ったキャラです。

 何しろ、彼はおそろしく気ままな人物。その気になれば、たとい偶然行きあった町方の役人であろうともバッサリ叩き斬る無茶な男でありながら、気が向かなければゴロゴロと転がっているだけ。柳影組に誘拐された孫之丞の恋人・露路に興味をそそられながらも、すぐにどうでもよくなってうっちゃってしまう――
 もちろん、行動だけ見れば、こうしたキャラクターが他にいないわけではありませんが、重四郎の場合、行動原理が、そしてそのさらに根幹にあるべき主義主張というものが全く見えないのが恐ろしい。…そしてそれが実に魅力的。

 彼のようなキャラクターは、いわゆるニヒリスト型の剣客に分類されることになるかと思いますが、ますが、彼以外のニヒリスト剣客には、彼らなりの主義主張が、あるいはそうなるだけの過去といったものが描かれているのに対し、彼にはそれがありません。
 つまり彼は思想も理由もないニヒリスト。天目党も柳影組も、その立場こそ違えともに「思想」のために戦っているのに対し、そんな上に掲げるべきものを持たない重四郎の姿は、作品の成立背景を考えれば、昭和初期の不安定な時代に「思想」に背を向けて生きた人々の姿を映し出しているということになるのでしょうが、しかし彼の存在感は、そうした時代性を既に超越しているように思えます。

 作者の力量と時代の空気とが奇跡的なバランスでブレンドされた結果生まれた、時代小説界の鬼子――重四郎にはそんな言葉が相応しいようにも思えます。


「砂絵呪縛」(土師清二 講談社大衆文学館全二巻) Amazon

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2007.12.12

「室町お伽草紙」 あまりにも山風すぎて

 若き信長・謙信・信玄に、妖女・玉藻が南蛮銃三百挺と引き替えに求めたもの――それは足利将軍家の美姫・香具耶の身だった。しかし姫を護るのは塚原卜伝に上泉伊勢守。さらに争奪戦に松永弾正まで加わって大混戦。この戦の行方で仕官先を決めようという少年・日吉丸が見たこの争いの行方は…

 山風の室町もの数ある中で、最もエンターテイメント度の高いのは、おそらく本作ではないでしょうか。文庫版の「青春!信長・謙信・信玄卍ともえ」という副題に示されているように、後に戦国乱世に覇を競った英雄たちが、若き日に出会い、一人の美姫を巡って激しい、しかしどこか間の抜けた戦いを繰り広げていたという室町-戦国意外史であります。

 時代伝奇、言い換えれば歴史パロディの名手である山風先生が得意とする中に、後に宿敵となる人物が、それよりもはるか以前に、意外な形で出会っていた、というパターンがありますが、本作はまさにそれ。
 一見、荒唐無稽も甚だしいようでいて、よくよく史実に照らしてみると決してあり得ない取り合わせではない、という山風伝奇一流の離れ業は、本作でも健在であります。

 それにしても本作の登場人物たちは、一人一人が長編の主役を張ることができるほど
の大物だらけ。上のあらすじに挙げた他にも、山本勘助に明智光秀、千利休に武田信虎と、よくもまあここまで…と感心するばかりです作者の作品の中では最晩年に属するものの一つでありながら、この旺盛なパロディセンスには驚かされるばかりです。

 このように実にエンターテイメントとして楽しい本作ですが、しかし、ひねくれた山風ファン的には、アレ? と思うところが。本作、あまりにも「山風すぎる」のです。
 キャラクター設定からその配置、ストーリー展開に至るまで、ああ、山風先生ならばこう書くだろうなと――いや、当たり前と言えば当たり前なのですが――こちらが思った通りのものといいますか…別に過去の作品の焼き直し、というつもりはありませんが、作品について、あれはこうなる、こうすればああなる、という一種のメソッド通りに作っているような、そんな印象を受けます。


 もちろん、それはあくまでもマニアの勝手な思いこみかもしれませんし、それと本作の完成度とは全く別の問題ではありますが、以前の作品と似通うのを嫌い、常に新鮮な驚きを提供することを心がけていた山風先生の作品としては、ちょっと喉ごしが良すぎるかなと、正直なところ感じた次第です。


「室町お伽草紙 青春!信長・謙信・信玄卍ともえ」(山田風太郎 新潮文庫) Amazon

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2007.12.11

「夢源氏剣祭文」第一巻 些かも違和感なき漫画化

 連載開始時から何度か本ブログでも言及してきた「夢源氏剣祭文」の漫画版第一巻が発売されました。
 原作はもちろん小池一夫せンせいの同名小説ですが、その絢爛でいて切なく美しい世界を、皇なつき氏は見事にビジュアライズしています。

 鬼に噛まれ、さらに妖星の力を宿したことにより、いずれは魔鬼と化す宿命を背負わされた少女・茨木を主人公にした本作。作中時間では実に長きに渡ってストーリーが展開しますが、この第一巻はその導入部といったところでしょうか。
 茨木と鬼の出会いに始まり、足柄山の山姥とその息子・金太郎、そして大盗・袴垂保輔との出会いと別れまでが、本書で描かれています。

 正直なところ、このペースで行くと完結は何時になることか…という大きな不安はあるのですが、しかしそれを除けばこの漫画化は文句なしの大成功と言えるでしょう。
 人間と鬼という二つの存在が、時に対立し、時に交わるときに生まれる厳しくも暖かい物語。その物語を彩る様々な登場人物たちが、あたかも初めからこの漫画のために用意されていたかのように些かも違和感なく登場し、活躍する様には、原作ファンとして大いに感心しました。
 特に、盗賊に身を堕としながらも熱い心を持ち続ける快男児・袴垂保輔のビジュアルのはまりっぷりには驚かされました。


 時間と空間を超えて、平安時代のオールスターキャストが活躍するこの物語には、これからまだまだ多くのキャラクターが登場することになりますが、このクオリティであれば全く問題ない、というより少しでも早く、皇氏によるあのキャラこのキャラが――そしてそんな中で成長を遂げていく茨木の姿を――見たいと強く思わされる、そんな一冊です。


「夢源氏剣祭文」第一巻(皇なつき&小池一夫 小池書院 キングシリーズ/刃コミックス) Amazon

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2007.12.10

「赤鴉~セキア」第一巻 赤鴉、江戸の外交問題を斬る

 「コミック乱」誌での連載開始時から注目してきた、かわのいちろう先生の「赤鴉」の単行本第一巻が遂に発売されました。
 江戸時代後期の長崎を舞台に、出島の異人と日本の女性との間に生まれた混血児たちで構成された隠密・赤鴉衆の活躍を描く伝奇アクションコミックであります。

 この第一巻で赤鴉衆の初陣として描かれるのは、江戸外交史上の一大事件であったフェートン号事件。オランダ船拿捕を目的として長崎に侵入したイギリス軍艦フェートン号が、狼藉の果てに水や食料を強請していったこの事件、当時の長崎奉行が切腹するほどの大事となりましたが――ちなみに作中で描かれているこの事件の模様(の一部)が、史実に忠実にもかかわらずあまりにも漫画的で驚きました。本当になんという事件だ――その陰で事件解決に活躍したのが赤鴉衆だった、という趣向。

 かわの先生の描く人物の線は、正直なところ、端正すぎて漫画としての面白味に欠ける部分も一部あるのですが、しかしこれがアクションシーンになると印象が一変! 紙の上の動かぬ絵から、素晴らしくダイナミックな動きが伝わってくるクオリティの高さには感心させられます。
 以前、「隠密同心」を漫画化していた時から注目していたのですが、そのアクション設計のセンスは健在です。
(特に赤鴉衆の一人、そばかすがチャーミングな鋼手の茜さんの無手格闘シーンは必見)

 しかし、本作の魅力は、もちろんそうしたアクションだけに留まりません。現実に確かに存在したであろうにもかかわらず、これまでフィクションの世界においてすら採り上げられることの少なかった長崎の混血児たち…異国人の血を引くという理由だけで差別され続けてきた彼らの存在を、その根本である歪んだ外交関係と絡めて浮かび上がらせてみせた基本設定、ストーリー構成こそが本作の最大の魅力です。

 殊に、本作の主人公である青年・紅郎の設定が見事。
 赤鴉衆最強の実力を持ちながらも、少年期の差別の記憶から、己の職責・使命に、いやこの国の存在にすら虚無的な視線を向けるという彼の描写は、まさに本作ならではのものであります。そしてその彼がクライマックスに立ち上がる理由がまた、単なるヒロイズムを超えた重く熱いもので、この辺りのドラマの盛り上げにはまったく唸らされました。
 ここで彼が対決する悪役がステロタイプの「悪い外国人」なのは残念ですが、それを補って余りあるものがあると言えるでしょう。

 題材の妙に、卓越したアクション描写とストーリーテリングが見事に絡み合った本作。江戸時代の外交問題というコロンブスの卵的題材を如何に料理してくれるのか、今後の展開も楽しみです。


「赤鴉~セキア」第一巻(かわのいちろう リイド社SPコミックス) Amazon

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2007.12.09

作品集成と妖異大年表更新

 このブログ及び親サイトで扱った作品のデータを集めた作品集成を更新しました。昨日まで約三ヶ月間のデータをアップしています。検索CGIも入れ替えています。
 ちなみに画像がない作品については、Amazonのカスタマーイメージに自分で画像をうpして、自分で使ってやろうと画策中。
 また、妖異大年表の方に、明治時代のデータを掲載しました。史実がほとんどで、作品に関するデータは「修羅の刻 陸奥天平の章」しか掲載できませんでしたが、こちらはまたおいおいと。

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2007.12.08

「妖棋伝」 王道の先頭往く名作

 上州の郷士の次男坊にして縄術の達人・武尊守人は、仕官の道を求めて上ってきた江戸で、瀕死の男から将棋の銀将の駒一枚を託される。それこそは徳川家秘蔵の「山彦」の銀将というという曰くつきのもの。その銀将を巡って暗躍する自分と同じ縄術使いの怪人・縄いたち、妖女・仙珠院らを向こうに回し、守人は、南町奉行所与力・赤地源太郎と共に山彦争奪戦に巻き込まれるのだった。

 冷静に考えてみたら、未だこのブログで紹介していなかったこの「妖棋伝」。これこそは角田喜久雄先生の時代小説処女作にして、今なお時代伝奇小説界に冠たるマスターピースであります。

 仮に時代伝奇小説というものに王道があるとすれば、本作こそはその先頭を往く作品と言うべきもの。
 山出しの主人公が偶然謎を秘めたアイテムを託され、秘宝の争奪戦に巻き込まれるというプロットといい、快男児にお侠な美女、奇怪な怪人に毒婦、奸商に隠密といったキャラクター配置といい、全て時代伝奇小説の一つの典型――というより、本作こそが典型になったと評すべきでしょうか。
 はっきり言ってしまえば今では珍しくもない、物語を構成する要素が、しかし本作においては極めて有機的に結びつき、そして今なお色褪せない、まさに一読巻を置くあたわざる作品としているのには、感心を通り越して畏怖の念すら感じさせられます。

 そして、その奇跡的な物語の面白さの隠し味――いや淵源となっているのは、当時既に探偵小説作家としての地歩を占めていた角田先生ならではの、ミステリの要素であることは疑いありません。
 四枚の銀将に隠された謎の行方を求め、幾多のキャラクターが絡み合い物語が進むうちに、巨大な秘密が浮かび上がるという展開の中に見られる、論理性を重んじる端正な物語構成は、まさしくミステリの骨法を会得した作者ならではのもの。

 そしてまた…本作におけるミステリ要素の最たるものは、それは作中のある人物の正体にまつわる一種のトリックであります。その驚きと魅力については、私なぞよりも、あの時代小説、そして推理小説の大家たるあの人物の言葉を引いた方が適切でしょう。

「このときの驚きがあまりに大きくて、後年世界の推理小説でベストテンなどを読んで、さまざまの"意外な犯人"を知っても、それほど驚かなかったくらいである。推理小説の最大の醍醐味、犯人の意外性という面白さは、僕は推理小説よりもこの『妖棋伝』によって満喫させられたといっていい」――山田風太郎

 奇才をして手放しで絶賛させしめた本作とその作者。残念ながら、現在では人口に膾炙しているとはとても言い難い状態ですが、このブログをご覧になった方だけでも手にしてくれたら、これに勝る喜びはありません。

 …というか荒山先生、入口のことももっと宣伝して下さい。


「妖棋伝」(角田喜久雄 春陽文庫) Amazon

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2007.12.07

荒山徹トークセッション 「朝鮮、柳生、そして…」 (おまけ)

トークセッションレポートの続きです。その一から読んで下さいね。

 …というわけで、分割しているとはいえこのブログ始まって以来の長大な記事になってしまいました(…なんか神無月さんの記事の方が面白いし)
 それはさておき――ご覧いただければおわかりかと思いますが、荒山先生は基本的に素です。荒山先生だけはガチ。
 あまりにもネット上で我々ファンが想像していた荒山先生像がそのまま具現化したような方で、逆に何だか不安になってきましたが、しかし噂に聞いていたとおり、非常にフレンドリーで丁寧な方でした。

 そしてお話の内容の方も、単に面白い部分だけでなく、作品の根底にある想いなど、作家性に関する非常に興味深い言及もあり、幅の広い内容を引き出した細谷氏の手腕にも感心いたしました。

 それにしても史実と小説の間にはラブがある、というのは神がかった名フレーズだと思います。伝奇ラブ! 何と素晴らしい言葉でしょう。

 最後に、他の方はたぶん知らない、私だけのおまけ(と思ったら神無月さんに書かれたw)
 終了直後に、細谷氏の紹介で荒山先生にご挨拶したのですが(その際「ああ「伝奇城」でご一緒した」とのお言葉に非常に驚いてしまいました)、思い切って質問しました。

三:ネットでの書評はご覧になっていますか?
荒:いえ、ネットはできないので

 なるほど、と安心したような残念な気持ちでいたら、横にいらした講談社の編集の方が

「三田さんのは時々プリントアウトして先生に渡していますから」


――オチがついたところでさようなら。そして先生ごめんなさい。

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荒山徹トークセッション 「朝鮮、柳生、そして…」 (その三)

トークセッションレポートの続きです。その一から読んで下さいね。

細:基本的にどのような読者層を想定しているのか
荒:想定というのはないが、やはり若い方に読んでいただきたいという願望がある。これからの日本、東アジアを担う若い方々に読んで欲しい

細:史実と小説の間には何があるか
荒:ラブがある と思います。大学の時にアレクサンドル・デュマの「二十年後」を読んだが、高校時代の世界史で習った清教徒革命と、ダルタニャンが結びついたときに、これは凄い! と愛を感じた。愛の虜です

細:ライフスタイルは
荒:朝七時起床、それから近所の神社にお参り。昼を挟んで夜までPCで執筆。夕飯の後は資料などを読んで、十二時くらいに就寝

細:幸徳井友種(=柳生眞純)を主役とした小説を書く気は
荒:あります。まだ先だが書きたい
細:「鳳凰の黙示録」の単行本化は
荒:ちょっと日本編になってからガタガタだったので、書き直さねばと思っている。気力で書いているものだから、気力が満ちるのを待っている
細:短編の「金髪くノ一絶頂作戦」のタイトルは誰が考えたのか
荒:「小説新潮」の担当の綺麗な女性の方が考えた。最初は「金髪くノ一作戦」だったが、私が「絶頂」を付け加えたと思う
細:タイトルに凝る方か
荒:いえ、全く凝りません。直せと言われたら、はいごもっともと
細:「柳生大戦争」というタイトルは誰が
荒:私から。「柳生」に何でも付ければタイトルになるなあと思い、妻とタイトル会議を開いて考えた中の一つ

細:勉強、という言葉が多かったが勉強は苦にならない?
荒:いえ、苦です。本当に韓国・朝鮮が好きで、その歴史をもっと日本の人に知ってもらいたいという気持ちだが、本当に知らないので勉強しなくてはと思っている
細:聞きにくい質問だが、自分の作品で歴史が誤解されるとは思わないか
荒:私の書いたものがとっかかりになってくれれば。私の書いたものが歴史であるとは思っていない

細:一部で有名な黄算哲先生については…
荒:有名ですか?
細:有名です
荒:あれは私の名前と黄算哲の読みが一致するのでやったのですが…すみません
細:まだこれは誰も気付いていないな、というネタは
荒:うーん、ネタというのはないですが…例えばどういう(本当に困惑した感じで)
細:今回、そこまでネタを意識していないのに一番驚いた

細:業界の中で親しい人は
荒:いえ特に…大阪に引き籠もっているので。対談で会った安部龍太郎先生や佐藤賢一先生くらい。あとは、瀬川ことび先生が女房の大学の同級生ということで一度遊びに来た

細:「高麗秘帖」が出版された経緯は
荒:ミステリが好きだったので、共同通信社でミステリ評論を書いていたが、それを見た祥伝社の人が解説を依頼してきた。その後、留学するので仕事を辞めると言ったら、何か書いたら連絡下さいとその人に言われたのがきっかけ

細:韓国のことについては資料を調べるのに時間がかかるのではないか
荒:確かにそうだが、ハングルが少し読めるので。また、意外に戦前の日本で出た本の中に資料が多い
細:韓国には今も行っているのか
荒:年に二、三回は行っている。資料調べというか行くのが好き

細:今後はどのような方向に向かうのか
荒:純粋に韓国・朝鮮の歴史を書きたいというのが最終目標。いつかは半島に限定した小説を書きたい。甲午農民戦争の指導者である全ホウ準のことなど
細:その時は伝奇でなく純粋な歴史小説になるのあk
荒:資料を煮詰めていくとどうしても伝奇にならざるを得ない。伝奇ラブですから

細:「KENZAN!」での次回作「柳生大作戦」は、「大戦争」からつながっているのか
荒:つながっていないがやはり柳生まみれ。調べものが多いので、内容はまだちょっと…

おしまい。

(おまけに続く)

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荒山徹トークセッション 「朝鮮、柳生、そして…」 (その二)

トークセッションレポートの続きです。その一から読んで下さいね。

細:特撮好き・怪獣好きという印象があるが
荒:確かに好きだが、それが当たり前だった。自分で書いて楽しいし、読む人も楽しいのでは
細:「魔風」で石仏が動いたところで、世界観が変わった印象がある。あれは「大魔神」か
荒:「仮面の忍者赤影」の金目像。赤影が大好き。仏像が動いてなぜ悪い
細:八岐大蛇(「柳生雨月抄」のワンゴン様)の元ネタは
荒:「八岐大蛇の逆襲」という作品を観ていたらビデオデッキが壊れた。修理に出して戻ってきたらレンタルの延滞料が八千円くらいかかっていたので、何とか元を取ろうと思った
細:モスラは
荒:私の同郷の大作家が原作者だったので、そのよしみでこっそり使った
※(原作者は三人いますが、同郷ということであれば堀田善衛でしょう)

細:宝塚など好きなのでは…
荒:はい、好きです。四年前に「捨て童子 松平忠輝」が上演されたのを観たのが初めてだが、それ以来魅入られた
女性が男になって、女性とのロマンスを繰り広げるというのがなかなか面白かった
細:作品にも現れている一種の倒錯美に通じると思っていいか
荒:女が男に、男が女に…というのは非常にケレン味があるし、ドキドキするし好き
細:「柳生大戦争」で花郎隊が出てくるが
荒:自分の中で宝塚を作りたいと思った
細:短編のタイトルでそのものズバリのものもあったが(「オール讀物」2007年9月号掲載「我が愛は海の彼方に」)
荒:好きだからそれでも許されるかもしれないと…

細:井坂十蔵が登場して噴いたことがある
荒:あれは意識していたというか…手が勝手に。ウケを狙うというのではなく、そっちの世界に入ると、小さい頃慣れ親しんだものとの一体感が出てしまう。後で削った方がいいかとも思うが「まあいいか」と思ってしまう。
細:編集や校閲にネタが気付かれることは
荒:八割方ない感じ。気が付いても、「またやってる」と思われているのでは
細:ネタを作るのに時間がかかっているのでは。柳青隊の歌などは
荒:あれは、柳生青年隊⇒略して柳青隊⇒りゅうせいたい⇒りゅうせい…⇒「流星 流星 流星」 という感じ。二番も作ろうと思ったが、「怪獣 怪獣 怪獣」⇒あ、戒重 という感じで、特に苦労はしていない
ちなみに青年隊は「暴れん坊兄弟」から取っている
細:時代劇にはTVから入ったのか
荒:月代が嫌いで、時代劇はあまり観ていなかった。月代を剃っていない三船敏郎が出ていたものくらい。時代劇を観るようになったのは、小説を書くようになってから

細:「柳生大戦争」の発想の原点は
荒:日本から解放された韓国が、古代史において幾つかのことを否定しているが、そんなに早急に抹殺していいのだろうか、という問題意識がある。「魔岩」では箕子朝鮮否定を、「魔風」は任那否定を暑かった。「大戦争」の檀君神話は、否定されていたものが逆に復活したもので、これに対する問題意識から来た
細:捏造というものに何故こだわるのか
荒:伝統というものが捏造されるというのが、日本を含めた近代国民国家の創生と共にあった流れ。国民国家の創生以来、色々なものがでっちあげられてきたが、二十一世紀にもなって、そんなものを振りかざしていていいのか。近代に捏造されたものが、国家間の友好を阻んでいるのではないか。そんな想いが根っこにある
細:それで何故荒山作品が伝奇なのか理解できる
荒:捏造自体が伝奇小説。明治以降の日本神話のように、一時は国民の発憤材料になるが、続けすぎるとやばいのではないかと思う。その実例が第二次大戦前の日本

細:朝鮮以外に興味のある国・地域は(この辺りから参加者の質問を元に展開)
荒:興味があるのは朝鮮・韓国だけだが、日本と朝鮮のことを理解しようとすると、二カ国共通の母体である中国を知らないわけにはいかない
また、朝鮮の対比としてベトナムも面白そうだと思っている
細:スペインはどうか
荒:スペインは特に…
細:ジンゴイズ(「柳生大戦争」)という発想は一体どこから
荒:いやあ…どこから…うーん…何ででしょう。スペインは逢坂剛が好きだから?
細:しかし何故神後伊豆がジンゴイズなのか(しつこい)
荒:ジンゴイズム(好戦的愛国主義)という言葉がある。これを思い出して、ジンゴイズム…あ、ジンゴイズ! じゃあスペイン人♪ という感じ

(その三に続く)

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荒山徹トークセッション 「朝鮮、柳生、そして…」 (その一)

 全国の荒山徹ファンが待ちに待ったトークセッション。池袋のジュンク堂で昨日開催されたこのイベントに、もちろん私も行って参りました。
 聴衆は三十名前後でしょうか、大きくない会場は満員に近い人の入りで、もの凄い熱気。細谷正充氏の司会も見事で、非常に充実したイベントとなりました。
 というわけで以下、イベントの概要を。できるだけ要約しますが、あまりにも充実しすぎてあまり要約になってないかも…長すぎるので、数回に分けて掲載します。
斜体は、私のコメント・ツッコミ等)

朝鮮との出会いについては有名なので省略
細:なぜ朝鮮の歴史なのか?
荒:勉強するならまず歴史からと思った。一年間語学留学もした
細:その結果がなぜ小説なのか?
荒:勉強した結果を何か形に残そうと思っていた時、李舜臣に関心を持った。題材的に小説向きだと思ったし、ミステリなど、小説を読むのは好きだったので

細:ミステリはどのようなものを
荒:カー、アイリッシュ、クレイグ・ライスなど。ハードボイルドでは、W・P・マッキバーンやハドリー・チェイスなど
細:時代小説では
荒:入り口は二つ。一つは柴田錬三郎で、「少女コミック」で上原きみ子が柴錬の大ファンと書いていたので興味を持った。もう一つは、ミステリの方から入った角田喜久雄。時代物は伝奇中心。伝奇に体質が合った。
その後、就職してから忙しくて離れていたが、たまたま手に取った隆慶一郎先生の「一夢庵風流記」が面白くて、この世界に戻ってきた。

細:作品での隆慶先生の扱いは、あれは親愛の情の表れということか
荒:そう思ってください
細:山田風太郎や五味康祐は
荒:どちらも小説を書くようになってから。山風は「魔風海峡」の勉強の時に(「高麗秘帖」を書いたときは「忍法破倭兵状」の存在は知らなかった)。
以前、「くノ一忍法帖」を読んでいたが、女性の扱いなど肌が合わなかった。新書で復刊されたときに読んだ「魔界転生」は面白かったが、その後に読んだ「甲賀忍法帖」はいまいちだった。
自作で「魔界転生」にこだわって見えるのは、初めて面白いと思った山風作品だからだろう。

細:五味先生が一番なのでは
荒:尊敬してます。好きです。何か現代の日本人とは違う人種を書いているような…
「柳生武芸帳」は、個人の思惑を省みずに集団のために行動する様が、国際謀略小説に似ていると思った
細:荒山先生にとっての柳生はどこから来ているのか
荒:柳生十兵衛は山口崇の演じたものから。だから私の作品の十兵衛は山口崇。千葉真一や近衛十四郎の十兵衛は違う!
直接的には、八年くらい前にハイキングで芳徳寺に行ったときに、柳生家の墓が並んでいて、現実の人々だったのかとショックを受けてから。小説から入ったわけではない
細:キャラクターとしては十兵衛が好きか
荒:好き嫌いで言うと宗矩(場内爆笑)。歴史にちゃんとした足跡を残しているが、残っていないと小説にするときにとっかかりがつけにくい。宗矩あっての十兵衛である。
宗矩は、「柳生一族の陰謀」の萬屋錦之介が好きだった

細:愛情があれば何をやってもいい、というわけではないでしょう。柳生の扱いに非難はなかったのか
荒:最初はビクビクしていたが、もう、相手にされていないのだなと開き直った。宗矩にはこれからもお世話になる
細:宗矩を使いすぎると、作品間の整合性が合わなくなるのでは
荒:全く気にしていない。困ったのは、「柳生百合剣」の編集から、十兵衛の開いている目が「柳生薔薇剣」の時と反対と言われ、どうしよう…と。
細:宗矩の息子たちも追っていくのか
荒:そのつもり。数が少ないときは、女の子がいたとか、双子だったとか、幾らでも手はある

細:作品に自分十兵衛が出てくるが、とにかく創作してしまうのか
荒:十兵衛が好きなのだとは思うが、いつの時代にも十兵衛が欲しいと思ってしまうオールタイム十兵衛と思っている
「魔岩伝説」の時は、「十兵衛の千倍強いので卍兵衛(まんべえ)!」としたかったが、編集者から弱そうと止められたので「ばんべえ」とした。

細:作中にネタの仕込みが多いというか、冗談が山のように仕掛けられているが、基本的に好きなのか
荒:ネタというと…(心底困惑したように)
細:例えば「百合剣」の柳青隊の歌とか
荒:私の子供時代は特撮ヒーローものの洪水の中に育ったので、あれが一般教養。それがつい…ということ。昔の時代小説だって作中に遠藤周作や吉行淳之介が出てきたりして、お遊びが多かったのでは
細:しかしやりすぎ感があるが
荒:どこで止めていいのかちょっとわからない。どうせやるなら徹底的にとこれでもちょっと節制を効かせているつもりですが…

(その二に続く)

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2007.12.06

今日の小ネタ 映画にゲームが中心ですが…

貯め込んでいたら以外と多くなったので小ネタ放出。映画にゲームが中心ですが…
紀里谷和明監督新作は、石川五右衛門が題材の異次元娯楽活劇!
 「CASSHERN」の次は「GOEMON」、というわけで、「がんばれゴエモン!」シリーズの映画化です(ウソ)。
 「戦国時代の人物設定を使い、時代や場所を超越した物語」を作りたいという監督の主張はよくわかるのですが、単純に時代劇が作れない(時代考証ができない)から、というわけではないだろうね? というのは言い過ぎでしょうか。

 しかし江口洋介の石川五右衛門は、悪くないと思いますが…また大沢たかおか!


映画「カムイ外伝」 崔監督が名護市長を表敬訪問
 何故カムイを沖縄で、と思いましたが今までも沖縄で色々と撮っている監督なんですね。しかしやっぱりカムイというか白土作品は内陸部の寒村のイメージだな…海が登場ということは、やっぱり「スガルの島」?

 …と、鄭伊健が出演という情報も出てきて吃驚しました。


セガ、PS3「龍が如く 見参!」完成披露会を開催
 …鬼武者の頃のカプコンみたいなバブリーなナニっぷり。いや、こういうゲームがあってももちろん良いと思いますが(というか「龍が如く」自体こういう作品ですが)、何というか、こう…現状わかってるのかセガ。いやそれだからこそセガなのか。

 しかし2の時みたいに「事件の背後にいたのは全員○○○だった!」というオチにはなりませんように。それじゃあ荒山作品だ。…ごめんやっぱりちょっと見たい。


今度はPSPで「無双OROCHI」
 「激 戦国無双」は、ステージなど携帯ゲーム用にアレンジしてあった一方で、こちらは基本的にオリジナルと同じシステムに見えますが、さて…新型対応だとロードも少しはマシになっているのでしょうか。
 やりこみ要素が強い(≒繰り返しプレイが必要)なタイトルなので、携帯機とは実は相性がいいタイトルだとは思いますが、本当にコーエーはソニー機好きだなあ。


世の若い女性たち、戦国武将ブーム したたか、男気、理想の男性像
 一部で話題になった記事。昨日の記事でも書きましたが、これはこれで今の時代なりの消化の仕方として受け止めるべきだと思います。過去の事象に現代の自分たちの理想像をあてはめてもてはやすってのは、「武士道」ブームとかも一緒だと思いますしね。
 しかし「戦国武将に理想の男性像を追い求めている」って分析はどうなのかしら…これ、あらゆるジャンルに適用できそうなんですが。

 あと、この記事とは無関係ですが、戦国屋がここまで続くと思わなかったよ。


「ぐわんげ/エスプレイド」オリジナルサウンドトラック発売

 以下、ちょっと古いニュース。
 空前絶後の室町伝奇シューティング「ぐわんげ」が「エスプレイド」とカップリングでサントラ化。長らく望まれていた二大井上淳哉シューティング(?)の音源が遂に発売されることになります。
 当然ジャケ絵はジュンヤー描き下ろし。これだけでも欲しい!
 個人的には「ぐわんげ」のボス戦のサビの「ベンベベベン、ベベベベン」という部分が超好きなので、発売されたらこの曲ばかり聴くかもしれんです(えー)


タイトー『影之伝説 -THELEGENDOFKAGE2-』概要
 地味に期待作の「影之伝説 -THE LEGEND OF KAGE2-」。発売はまだ少し先ですが、情報がぼちぼち出てきています。ストーリーを見た限りでは、「影の伝説」続編というよりリメイクのようですね。まさか平成の世になって雪草妖四郎の名を見ることになるとは思いませんでした。
 それにしても尋常でないジャンプ力で知られた「影の伝説」ですが、DSの二画面ブチ抜きはこれにぴったりの画面構成かもしれません。

 …しかし影のコスチュームがただごとではないエロさなのですが、これは一体どのような需要あってのことか。


『アニメーター・逢坂浩司展 ~追悼展示会~』開催
 最後に、現在開催中のイベントの情報を(S様に掲示板で情報をいただきました。どうもありがとうございます)。本年9月24日に多くのファンに惜しまれつつ亡くなられた逢坂浩司氏の追悼展示会が、杉並アニメーションミュージアムで今月9日まで開催されています。

 イベントでは、逢坂氏が手がけた作品が連日上映されていますが、このサイト的にはやはり、8日の「機巧奇傳ヒヲウ戦記」と、9日の「天保異聞 妖奇士」「劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者」が目玉でしょうか…(個人的には逢坂氏の名を憶えたのはGガンだったので、平日でなければぜひ5日も行きたかった…)。8日はちょっと難しいのですが、9日には行きたいと思っています。

 最後のお仕事となったのはこの「天保異聞 妖奇士」の「奇士神曲」最終回作画監督とのことですが、あの凄まじいクオリティの背後にあったものを考えると、粛然とした気持ちにならざるを得ません。間違いなく「妖奇士」の魅力の何割かは、逢坂氏の画に依っていたと思います。
 あらためてご冥福をお祈りいたします。

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2007.12.05

「戦国BASARA2 英雄外伝 ダブルパック」 キャラクター化の面白さに注目

 以前このブログでも書きましたが、この秋に行った太秦の戦国イベントで一番人気だったのは、「戦国BASARA」でした。同じ戦国ゲーのアレを圧倒するファンの多さに驚かされたものですが、そのシリーズ最新作「戦国BASARA2 英雄外伝」がつい先日発売されました。
 実は私は一作目をプレイしたっきりなのですが、今回発売されたうちwii版は、2と、この外伝のセットとなっており、wiiユーザーの私にとってはうってつけ。そこで2と外伝をチャンポンでプレイ中なのですが、いや、やっぱり良い意味で馬鹿馬鹿しいゲームで実に楽しい作品です。

 とにかく「俺TSUEEEEE!」となるためのゲーム、という割り切りが見事で、システムの全てがそれに奉仕していると言えるでしょうか。プレイにストレスなく、斬って斬って斬りまくることができるのは好印象です。
 特にwii版は相当ロード&セーブが早く、またリモコンとヌンチャクによる操作性も良好で(この手の3Dフィールドを走り回るゲームとヌンチャクの相性は本当に良いと思います)、ついついもう少し、あと少し…と止まらなくなります。
(というかこのゲーム、アレのエピゴーネンというより、「ライジングザン」の後継という気がしてきました)


 と、これ以上のゲーム性については他の方にお任せするとして、このブログで取り上げるべきは、その登場武将たちのキャラクター化の面白さでしょう。

 設定的には、真田幸村が武田信玄の忠臣(…と言ってよいのかしら、アレは)だったり、秀吉と前田慶次郎が同年代の親友だったりと、相変わらずのスーパー戦国大戦ぶりで、真面目な戦国ファンが見たら怒るのを通り越して卒倒しそうな内容。
 しかし設定上も性格付けの上でも滅茶苦茶をやっているようでいてしかし、各武将の史実をとっかかりに、そのエッジを何倍にも何十倍にも拡大して、実に個性豊かでキャラの立った存在としているのは、大いに賞賛すべきところでしょう。

 確かに歴史をベースとした作品としては噴飯ものではありますが、しかし、教科書に登場するような歴史上の人物を、魅力的なゲームキャラクターとして再生してみせた様は、これはこれで一種の歴史解釈として見るべきものでしょうし、それが冒頭に述べたように、現代の若者に受けているということ自体は、決して無視すべきものではありません。
 これから先の世に歴史もの・時代ものが生き残っていくための、一つのヒントともなるかもしれないのですから――

 もちろん、こんな風に構えてこのゲームに触れること自体、牽強付会で野暮の極みではありますが、ま、こういう穿った見方をする奴も一人くらいいるということで。


 …しかし、今回初登場の松永久秀の、ただごとではない鬼畜エロダンディーぶりは一体どうしたことでしょう。
 冷静に考えると、このシリーズにしては地味なキャラなのにもの凄い存在感。今回は敵キャラとしてのみの登場なのが惜しまれます。


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関連記事
 「戦国BASARA」ファーストインプレッション
 「ライジングザン ザ・サムライガンマン」 バカカッコよさここに極まる

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2007.12.04

今週の「Y十M 柳生忍法帖」 桁外れの女難?

 いつにも増して感想の書きづらい、今週の「Y十M 柳生忍法帖」。一言で言えば、十兵衛先生の貞操の危機。

 さて、啖呵を切ったり挑発しまくったりと口では元気な十兵衛ですが、しかし内心は冷や汗もの。自分一人であればまだしも、いつほりにょたちが先走るかわからないのですから…

 そんな十兵衛の周りには雪地獄に囚われの身となった女たちが山ほど。雪地獄を見張る虹七郎たち芦名衆は、その、何というか、十兵衛をヤッちゃえ(性的な意味で)とけしかけますが、もちろん女たちがそれに乗るはずがありません。
 それどころか何だかほりにょが見たらまた大惨事が勃発しそうなほど甲斐甲斐しく仕える女たち。十兵衛が味方だとなぜわかるとか何とか虹七郎は言ってますが、そりゃ見れば一発でどちらが正義の味方かわかるって! 一目瞭然ということですよ!(そうか?)

 しかしそこに現れたツンデレドSのおゆら様は、十兵衛を肉欲ドロドロ堕地獄に引きずり込むべく、芦名衆にある指示を出します。
 そして運びまれてきたのは樽一杯の強い酒。それを、木馬乗り(…おゆらさんナニヤテンダ!)でダウンした数人を除き、女たちに無理矢理――牢の檻越しにわざわざ口移しという無駄にエロい展開――飲ませます。
 酒精でメロメロにさせられた上に、言うことを聞けば逃がしてやるというエサもちらつかせるという実に卑怯な手段に乗せられて、妖しく女たちが十兵衛に迫ります――


 いやはや、剣難女難に見舞われるのはチャンバラヒーローの務めのようなものですが、今回は女難というには些か度を超したピンチ。
 以前、江戸花地獄でも十兵衛は般若面の女に襲われた(?)ことはありますが、今回は、相手の数も周囲の状況も、十兵衛にとって不利すぎる状況です。そりゃ十兵衛先生ならば、傷をつけずに女たちの意識を奪うことは可能でしょうが、それでも牢から脱出することは到底叶わないわけで…
(まあ、本作の読者であれば、いい加減「ん? 何じゃこれは?」と気づくポイントはあるかと思いますが…)

 さあ、一部読者とおゆら様の期待に応えて十兵衛先生が大変なことになってしまうのか!? ある意味連載始まって以来のピンチで、続きは再来週。


 そして、せがわ先生の、女性の尻に賭ける情熱は端倪すべからざるものがあるわいと今更ながらに感心いたしました。

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2007.12.03

妖異大年表更新

 時代伝奇作品の中の事件等を年表形式でまとめた「妖異大年表」を更新しました。本当に本当に大変久しぶりですが…
 今回データを掲載した作品は「陰陽師 瀧夜叉姫」「玉藻の前」「陰陽師鬼一法眼」(第二巻まで)、「修禅寺物語」「髑髏皇帝」「妖霊星」(瀬川ことび版)、「秀頼、西へ」「邪しき者」「踊れ!いんど屋敷」「逢魔が源内」「阿修羅城の瞳」「書院番殺法帖」「からくりサーカス」(江戸時代篇)。非常にまとまりがありませんがご勘弁を。
 また、自分で使っていてもあまりにも使いにくい年表だったため、徐々に体裁等を修正していこうと思っています。とりあえず、今回更新したページ(年)には、前後の年に移動するリンクをつけました。これからも、少しずつ着実にデータを増やしていきたいと思います。

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2007.12.02

「箱館妖人無頼帖 ヒメガミ」第一巻 少女剣士の成長や如何に

 以前、連載開始時に紹介いたしました環望先生の「箱館妖人無頼帖 ヒメガミ」単行本第一巻が、早くも発売されました。
 本作については連載開始時にも紹介しましたが、改めて単行本としてまとめて読むと、また印象が――もちろん良い方向に――変わってくる部分もあります。

 戊辰戦争から十年後、無国籍・無法の町と化した箱館を舞台に、異国からやって来た妖人たちを斬って斬って斬りまくる二人のバトルヒロインの姿を描いた本作。その刺激的題材と、それ以上に刺激的なヒロインたちの(作者入魂の)ムチムチっぷりに目を奪われがちとなりますが、その根底にあって物語を支えているのは、意外なまでに――と言っては大変失礼なのですが――丹念で誠実な、主人公・彪の人物描写だと感じさせられます。

 正直なところ、この第一巻の後半に収録されているエピソードを雑誌連載時に読んだ際には、物語のスピード感が落ちたようで些か不満であったのですが、こうして一冊にまとまってから読んでみると、まだ登場したばかりの彪の――ある意味何でもアリのもう一人の主人公・ヒメカとは異なる――複雑な内面が、まだその一端ではありますが、描かれていることがわかります。

 箱館戦争で命を落とした父・土方歳三(!)が遺した使命に駆り立てられるまま、孤独に妖人を狩り続けてきた彼女が、ヒメカとの、ヒメガミとの出会いでどのように変わっていくのか(まァ人間そうそう簡単に変わるものではありませんが、しかし人と人との関わりというのは思わぬ化学反応をもたらしますからね)。

 一体全体どのような秘密が込められているのか、伝奇ファン・時代劇ファン的には気になってしかたがないストーリーの本筋はもちろんのこと、人ならざる者との戦いの中で、彪が人としてどのように成長していくかにも期待していきたいと思います。

「箱館妖人無頼帖 ヒメガミ」第一巻(環望 講談社マガジンZKC) Amazon

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2007.12.01

『野獣郎見参』 晴明と室町と石川賢と

 応仁の乱で焼け野原と化し、晴明塚の封印を解かれた魔物が跳梁する京に現れた不死身の男・物怪野獣郎。安倍晴明が残した秘法「晴明蟲」の謎を追う魔事師・芥蛮獄と出会った野獣郎は、己の最愛の女・美泥を妻とした蛮獄に激しい敵愾心を燃やすが、その二人に、陰陽頭・安倍西門は、魔物たちの首領・道満王退治を持ちかける。反目しながらも道満王と対峙した二人だが、彼らが道満王と、そして晴明蟲の正体と知った時、新たな悲劇が幕を開けるのだった。

 劇団☆新感線のいわゆるいのうえ歌舞伎で最も伝奇色が濃厚な作品は? と問われたら、おそらくこの作品の名が挙がるのではないでしょうか。室町の世を舞台に、「男は殺す、女は犯す。金に汚く己に甘い、傍若無人の」不死身の男が、安倍晴明の封印から解かれた妖怪たちと死闘を繰り広げ、永遠の生を得るという秘法「晴明蟲」の謎を追う大活劇であります。

 安倍晴明と言えば、今ではすっかりメジャーな存在となってはいますが、私が今回観た2001年版が上演された時点はともかく、初演の1996年の時点では――既に夢枕獏の「陰陽師」シリーズが80年代後半に、岩崎陽子の「王都妖奇譚」が90年に開始されていたものの――まだまだ一般に知られたとは言い難い存在。
 そのような時期に安倍晴明を物語の中心に据えた物語を、しかも室町時代を舞台に展開してみせるというのは、これはもう演劇界、いやエンターテイメント界指折りの伝奇者(という呼び方は失礼かしらん)の中島かずき氏ならではの趣向だわいと、つくづく感心いたします。
 しかも、現在に至るまでヒーロー役としての登場がほとんどである晴明を、××にしてしまうというのだから凄まじい。晴明蟲のアイディアなど、実に斬新で、よくもまあ考えついたものだと唸らされました。

 と、いきなり物語の方に触れてしまいましたが、その物語の中で縦横無尽に暴れ回る登場人物と、それを演じる役者もまた見事です。
 特に、芥蛮獄を演じた古田新太は、毎度のことではありますが見事な存在感。ちょっと軽めな飄々としたキャラクターで、しかし人間と妖怪の共存を夢見る理想家肌の男という前半から、一転、破壊欲の権化と化したようなドスの利いた魔人と化した後半、そしてラストで明かされるその胸中に至るまで、古田新太の引き出しの多さと役作りの巧みさを堪能させていただきました。メインキャラがほとんど客演陣という中で、一人新感線生え抜きで頑張っていただけはあります。

 一方、ヒロイン・美泥を演じた高橋由美子は、さすがに演技派だけあって、蛮獄と野獣郎の間に、そして人間と妖怪の間に立つ存在という難しい役柄を好演。小柄で可愛らしいルックスながら、いやそれだからこそ、己の宿命に必死に抗おうとする一人の女性としての存在感が際だっていたかと思います。
 そして主人公・野獣郎を演じたのは堤真一。いのうえ歌舞伎の中でも屈指の傍若無人キャラを演じるには、ちょっと人が良さそうかな…と思いましたが(後に同じ新感線の舞台で「吉原御免状」の松永誠一郎を演じるんだから役者って凄いなあ)、単なるバイオレンスな俺様主人公ではなく陽性の部分の強いキャラクターとなっているのは、冷静に考えると相当陰惨なストーリーの中にあってはむしろ正解であったかと思いました。

 このように、いつものことながら満足度の高い作品に、失礼を承知であえて難点を見つけるとすれば、物語の重要なファクターとなっている人間と妖怪――その中でも「鬼」と呼ぶべき存在――の対比が、今ひとつ際だって見えてこなかったことでしょうか。
 単に姿が似ているだけの全く別種の生命体なのか、あるいはたまさかに道を違えただけの隣人なのか。なまじ鬼側のキャラクターが実に「人間的」なだけに、美泥が乗り越えようとし、蛮獄が共存しようとした二つの種の境目が曖昧なのは――それは意図的なものなのかもしれませんが――少々勿体なく感じた次第です(この辺りのテーマは、「阿修羅城の瞳」でより掘り下げられていますが…)
 もっとも、野獣郎に言わせれば、そんなものに大した違いはねえ! と一笑に付されて終わるかもしれませんが。


 ちなみに――初演のポスターを描いたから、ということではないでしょうが、野獣郎のキャラクターから漂うのは何ともいえぬ石川賢感。言動自体もそうですが、二幕中盤の、捕らえられて五体バラバラにされた姿などもう…あ、よく考えてみればラストも既視感が。
 …と、思ったら、パンフレットでも古田新太が石川賢に言及しているらしく(恥ずかしながら未確認)、中島かずきと石川賢の結びつきから考えればそれも不思議ではないのかもしれません。


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