「砂絵呪縛」 というよりも森尾重四郎という男について
時は元禄、第六代の将軍擁立を巡り、激しくぶつかり合う二つの勢力があった。紀州綱教を擁立する柳沢吉保の配下・柳影組。片や、甲府綱豊を奉じる水戸光圀をバックとした間部詮房の組織する天目党。誘拐・潜入と敵味方入り組んだ暗闘が繰り広げられる中を、無頼の浪人・森尾重四郎は彷徨する。
時代小説という今ではもう変えることのできない過去の世界を舞台としたジャンルであっても、それが生み出された時代によって、新しい古いがあるのは当たり前の話。
そう考えると、本作は明らかに「古い」時代小説。発表された年代は昭和二年と相当昔でありますし、設定や人物配置的など内容的にも(後述する一部を除いて)クラシックな作品であります。
そのような作品が(たとい一部の読者の間とはいえ)現代にまでその名を残し、そして私がここで取り上げるのは、作品の中に、時代を超えて通用する、強烈な輝きを放つモノがあるからにほかなりません。
――それが、本作に登場する森尾重四郎というキャラクターであります。
この人物を、無理にエンターテイメントのパターンに当てはめて説明するとすれば、ニヒルなライバルということになるでしょうか。物語中の立ち位置でいえば、主人公格である勝浦孫之丞というキャラが所属する天目党と対立する柳影組の食客という立場であり、孫之丞が折り目正しい若侍であるのに対し、重四郎はいわゆる無頼の徒。
パターンで言えば、どう考えても主人公と対立し、敗れる(場合によっては仲間になる)ライバル以外の何者でもないのですが――しかし重四郎は、それとは大きく異なるパーソナリティーを持ったキャラです。
何しろ、彼はおそろしく気ままな人物。その気になれば、たとい偶然行きあった町方の役人であろうともバッサリ叩き斬る無茶な男でありながら、気が向かなければゴロゴロと転がっているだけ。柳影組に誘拐された孫之丞の恋人・露路に興味をそそられながらも、すぐにどうでもよくなってうっちゃってしまう――
もちろん、行動だけ見れば、こうしたキャラクターが他にいないわけではありませんが、重四郎の場合、行動原理が、そしてそのさらに根幹にあるべき主義主張というものが全く見えないのが恐ろしい。…そしてそれが実に魅力的。
彼のようなキャラクターは、いわゆるニヒリスト型の剣客に分類されることになるかと思いますが、ますが、彼以外のニヒリスト剣客には、彼らなりの主義主張が、あるいはそうなるだけの過去といったものが描かれているのに対し、彼にはそれがありません。
つまり彼は思想も理由もないニヒリスト。天目党も柳影組も、その立場こそ違えともに「思想」のために戦っているのに対し、そんな上に掲げるべきものを持たない重四郎の姿は、作品の成立背景を考えれば、昭和初期の不安定な時代に「思想」に背を向けて生きた人々の姿を映し出しているということになるのでしょうが、しかし彼の存在感は、そうした時代性を既に超越しているように思えます。
作者の力量と時代の空気とが奇跡的なバランスでブレンドされた結果生まれた、時代小説界の鬼子――重四郎にはそんな言葉が相応しいようにも思えます。
「砂絵呪縛」(土師清二 講談社大衆文学館全二巻) Amazon
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