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2008.01.31

「乱世疾走 禁中御庭者綺譚」 戦場を駆け抜ける青春群像

 戦国乱世を憂える正親町天皇の意を叶えるため、立入宗継と山科言継は、世の動きを探る「禁中御庭者」創設を決意する。丸目蔵人、柳生凛、大角、香阿弥、西門…五人の若者は、帝の目となり耳となって、頭角を現し始めた織田信長を動向を追って乱世を駆ける。

 織田信長と言えば、今なお歴史小説・時代小説界の人気者。彼が登場する作品は、それこそ無数に存在しますが、本作が、その中でもユニークなスタイルを取った作品であることは間違いないでしょう。
 本作で描かれる信長の姿は、直接に、あるいは周囲の武将の視点から描かれるのではなく、それまで信長とは全く接点のなかった五人の若者たちの目を通じて描かれるのですから…

 そしてこの五人の顔ぶれがまた面白い。
 剣聖・上泉伊勢守の秘蔵っ子であり一本気な九州男児・丸目蔵人。
 柳生宗厳の妹であり、忍術の達人でもある柳生凛。
 宝蔵院胤栄の弟子の豪快な荒法師・大角。
 土御門家出身の陰陽師兼香道師の美青年・香阿弥。
 お調子者の女好きで堺商人の跡取りの西門。

 この五人の若者に共通するのは、それぞれ豊かな才能と個性を持ちながらも、いまだ世に出る機会を得ず、一種のモラトリアムともいうべき境遇にあったこと。
 それが一つの使命で結ばれ、そして彼らとは対照的に、乱世のトップランナーとして活躍する信長をターゲットとすることによりいかに変わっていくか――それが本作の大きな柱であり、得難い魅力となっています。

 言ってみれば、本作は信長という存在の本質を見極めるという困難な目的に一丸となって挑む特殊チームものであると同時に、それまで互いの接点すらなかった五人の若者が、時にぶつかりあい、時に助け合いながら成長していく様が瑞々しく描かれた青春もの。(ちなみに、特殊チームもの+青春ものという視点からすると、本書の解説で末國善巳氏がスーパー戦隊シリーズを引き合いに出しているのも故なしとは言えません)
 信長という巨大な存在を描くと同時に、それを遠景にして、等身大の青春群像を――それもエンターテイメント味濃厚に――描いて見せた作者の手腕には脱帽するとともに、今まで本作を見逃していた自分の不明を恥じた次第です。

 そんな快作である本作の数少ない欠点の中で最大のものは、物語が途上で終了となっていることでしょう。
 時期的には、信長が朝倉義景と浅井長政の挟撃をされて逃れるまでが本作の舞台となっており、正直なところ、中途半端なところで終わったという印象(という言い方が悪ければ「第一巻完」という印象)があります。

 まだまだ信長の躍進も五人の青春も道半ば――乱世を駆ける彼らのその後の姿は、必ず描かれるべきものと強く感じているところです。


「乱世疾走 禁中御庭者綺譚」(海道龍一朗 新潮文庫) Amazon

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2008.01.30

今週の「Y十M 柳生忍法帖」 仇討ち戦急展開?

 なんだか随分間が空いた気がする「Y十M 柳生忍法帖」、前回のラストでは、空気読めないバカ殿に、遂に十兵衛の一刀が! というところまで。
 十兵衛が斬ったのは、もちろんバカ殿本体ではなかったものの、何というか、その男性として大事な部分…会津四十万石を棒に振るよりいいだろう、と相変わらず怒りマーク付きの十兵衛は吐き捨てますが、その、棒が…いや何でもありません。

 しかし、般若侠でも十兵衛先生でもなく、天下の素浪人、一個の剣士となっての十兵衛はやはり実に格好良いですし力強い。表情も実に活き活きとしているように感じられます。
 こんな十兵衛を相手にした報いがこんな形で回ってきて、いかに悪逆非道のバカ殿とはいえ、さすがにちょっと同情しないでもありません。

 さて、手当もしないまま、明成を人質にして雪地獄から脱出した十兵衛。
 色々あったけども敵地での戦いは十兵衛の逆転勝ちと思いきや、ここでまたアクシデント――十兵衛先生から三日間連絡がなかったことを心配した五人のほりにょが、なんと自分たちの身と引き替えに十兵衛の解放を訴え出たのでありました。

 この三日間、どれだけ彼女らが煩悶したかは、誠に失礼ながら微妙にスマートになったようにも見えるお鳥さんの姿を見るに想像できるところ。愚かと言えば愚かな行動かもしれませんが、大事な人を失うことの恐ろしさを知っている彼女たちにとってみれば、これもまた無理もない行動ではあります。
 …まあ、その間十兵衛先生は膝枕とかマッサージとかあともっと大変なこととか、色々してもらっていたんだけどな!

 まあ、十兵衛が捕まっていたときならば知らず、丁度脱出してきたところに行き当たったのは天の配剤。ここで一気に残る二本槍に仇討ち戦という急展開で、なんだか打ち切り直前みたいな空気になってきましたが(失礼な)…そこで銅伯が、それまで押さえていたおゆら様をなぜか解放。
 獣心香の効力下にあって何だかもう筆舌に尽くしがたい表情のおゆら様が、この状況に変化を起こすのか。なんかもう久々に登場したのにおゆら様一人に全部持って行かれそうなほりにょたちの運命ともども、次回に期待です。

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2008.01.29

「鞍馬天狗」 第二回「宿命の敵」

 第一回についてはかなり厳しい感想を書いてしまったNHK木曜時代劇「鞍馬天狗」ですが、慣れてきたのか私の目の曇りが晴れてきたのか、第二回はなかなか面白く見ることができました。

 第二回の原作は「銀煙管」。主人公・倉田典膳こと小野宗房の叔父であり、佐幕方の公卿であった小野宗行が何者かに殺害され、宗行の娘・白菊姫は鞍馬天狗を疑います。
 が、天膳の子分格となった掏摸・黒姫の吉兵衛が、犯行現場に落ちていた銀の煙管を見つけたことで真犯人は桂の同志・中原富三郎と判明。天膳は白菊姫の仇討ちの介添えとして中原との立ち会いの場に向かいますがそこで待っていたのは意外…というストーリーであります。

 今回ユニークだったのは、天膳も加わった桂の同志の中に、中原富三郎のようなテロルの凶刃を振るう血に飢えた男が設定されていたこと(まあ、キンノーなんて実状はこういう奴の方が多かったんではないかと思いますが<偏見)。
 私が第一回を見て違和感を感じたのは、あたかも新選組(佐幕)の側だけが悪とも取れる描写がされていたのが主たる理由なのですが、今回、中原のような人間が登場することで、そんな単純な物語ではないことがはっきりと示されたようで、ちょっと安心しました。

 さらに面白かったのは、この中原を討ったのが、天狗でも白菊姫でもなく、近藤勇であったことで――いかにも強そうな山口馬木也演じる中原を貫目で圧倒する姿が、緒形勇のキャラクターをくっきり立ていた点もさることながら、共に天狗の敵である者同士が相争うという構図が、なかなかに象徴的で良かったと思うのです。

 第一回を見たときには、天狗と新選組の正義の相対性を描いて欲しいと思ったのですが、むしろこの場面では、悪…というか暴力の相対性を描いているのが、実に興味深く感じられた次第です。
(さらに言えば、宗行を斬った中原と、天狗が同じ覆面の剣士であるというのも、何やら象徴的な気がいたします)

 もっとも、感心させられた一方で天狗の登場シーンは相変わらず微妙なエフェクトなのが残念。
 どうせやるのであればタイトルバックの影絵(五重の塔の屋根の上で鞍馬天狗が馬にまたがっているという仰天のビジュアル)を実写でやるくらいの破天荒さが欲しい…というのも大概タチの悪いファンぶりで恐縮ですが、そういった方面も期待しているところです。


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 「鞍馬天狗」 第一回「天狗参上」


関連サイト
 公式サイト

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2008.01.28

魔人ハンターミツルギ 第02話「獄門台の生首が笑う!」

 処刑された極悪人・蝮の権太をサソリ忍者として復活させた魔人サソリは、仲間を増やすため、罪人の死体を集めさせる。父を権太に殺された少年と知り合った銀河・彗星・月光のミツルギ三兄弟は、彗星を死体に化けさせて敵の本拠を探るも正体が露見、さらに怪獣ゴールドサタンの出現に危機に陥る。辛うじてミツルギに変身した三兄弟は敵を粉砕、少年も権太を討つのだった。

 突然再開、「魔人ハンターミツルギ」レビュー(第01話はこちら)。第02話は世にも恐ろしいタイトルですが…以下、詳細を箇条書きに。

○磔にされながらもサソリ魔人の手でサソリ忍者(つまり戦闘員)として復活した権太はサソリ忍者たちを引き連れ町で大暴れ、権太を捕らえた役人も逆恨みの刃に倒れ…

○父の仇を追う役人の子・小太郎とその姉がサソリ忍者に襲われていたのを助けるミツルギ三兄弟。銀河は首のスカーフを飛ばして相手の顔を塞ぐ忍法「くるみあらし」(? 正確な名称は良く聞こえず)を披露。

○死体に化けて潜入する彗星を追う銀河はサソリ忍者の待ち伏せを受けますが、便利すぎる変わり身と、両手の短刀での連続斬り・忍法「飛燕返し」で返り討ち。がそこに現れたゴールドサタンに追われて小太郎の姉が谷底に…

○小太郎の姉に迫る毒サソリ。助けに行くには間に合わない…と思ったら月光は忍法「霊こうの術」(? 正確な名称以下同)で、谷底に落としたわら人形を操り、人形の火矢でサソリを退治。…忍法?

○一方潜入した彗星は正体がばれてグッサリやられたかと思ったら忍法「はごろもの術」(? 以下同)で変わり身。が、多勢に無勢、遂に崖から落とされて…

○「徹底的に踏みつぶせ」と微妙に具体的な魔人サソリの指令で再登場したゴールドサタン。ピンチに陥った銀河と月光の元に、自力で崖から這い上がった彗星が駆けつけミツルギに合体!

○崖の上のゴールドサタンの足を剣で払うも、逆にジャンプからの強襲を受けて盾と剣を失うミツルギ。ガスの猛攻にダウンしたところにゴールドサタンののしかかりが!
○が、そこで落ちていた剣を掴んだミツルギは、相手の口に剣を刺すえぐい反撃。さらに胸からの火炎弾連発! ゴールドサタンは炎に包まれるのでした


 倒されても倒されても現れるサソリ忍者の秘密(?)を描いた今回。戦闘員増強作戦というネタ自体はよくあるお話ですが、それが罪人の死体から、というのがちょっと面白い。
もっとも、タイトルはちと誇大広告で、「磔台の死体が笑う」程度ですが…

 しかし、前回ラストで家康に無茶苦茶冷淡な態度を見せた銀河が、小太郎には普通に接していてちょっと安心…とか言われるヒーローも凄いなあ。だって近寄りがたいんだもん、銀河兄さん。


<今回の怪獣>
ゴールドサタン
 サソリ忍者たちの本拠を追う銀河と月光らの前に現れた昆虫の怪獣。武器は口からのガス(可燃性)と巨体を活かした踏み潰し。
 直立四足歩行という珍しいデザインで、頭が丸かったり手に指があったりと中途半端に人間的なデザインなのが実に気持ち悪い。


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 「魔人ハンターミツルギ」 放映リストほか


「魔人ハンターミツルギ」(コロムビアミュージックエンタテインメント DVDソフト) Amazon

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2008.01.27

「妖異の棲む城 大和筒井党異聞」 真の妖異は何処に

 英邁と讃えられながらも、気鬱に犯され、出家遁世を望むようになった筒井順昭。彼の身を案じる正室・大方殿は、ある幻術師の手を借りて影武者を立てんとし、一見この奇策は成功したかに見えたが…大方殿がある変貌を遂げたことから、事態は思わぬ展開を見せることとなる。

 筒井氏といえば、やはり一番に採り上げられるのは順慶で、順昭が小説の題材とされるのはかなり珍しいようにも思いますが、この順昭は、その死にあたって木阿弥なる盲僧を影武者に立て、これが「元の木阿弥」の由来となったという、面白い逸話もある人物。
 本作においてもこのエピソードは実に面白い形で換骨奪胎されておりますが、まずは題材選びの時点で、なかなかにユニークな視点があると言えるでしょう。

 さて、その順昭が気鬱から叡山に上ることを望み(これもまた、史実上のエピソードを元にしている模様)、それに正室の大方殿が健気にも応えようとしたことが招いた思わぬ惨劇を描く本作。
 大方殿の善意が、いや彼女自身が変貌していくその原因・要因は、なるほど本作の極めて特異な舞台設定ゆえとも言えますが、しかし、その妙に生々しい描写も相まって、現代の我々にも大方殿の心情は――あまりしたくありませんが――理解できるやに思えます。
 そしてまた、変転する事態の中で己の役どころを見失い、懊悩の果てに消えていく幻術師の姿からは、奇怪な術が呼び起こすものも及びもつかぬような、真に「妖異」と呼べるもの――言うなれば人間の業――の存在が、くっきりと浮かび上がります。

 しかし…本作においては、その題材を十全に活かし切れていないうらみがあるというのが正直なところ。
 地の文があまりにも饒舌過ぎることが読者の感情移入を拒み、そして構成の拙さが物語から意外性を奪い――非常に厳しい表現で申し訳ありませんが、この題材であれば、もっとうまい活かしようがあったのではないかと感じさせられます。

 真の妖異がどこにあるのか、それが理に落ちる形で示された後に…というラストが実に面白いだけに、なおさら勿体無く感じられたことです。


「妖異の棲む城 大和筒井党異聞」(深水聡之 学研歴史群像新書) Amazon

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2008.01.26

「新宮本武蔵」 武蔵、怪人を斬る

 日本SF界の長老であった光瀬龍先生は、その一方で少なからぬ数の時代小説を発表されていますが、その中でしばしば主役を務めているのがあの宮本武蔵。
 光瀬先生の描くところの武蔵は、しかし、些か剣聖と呼ぶには違和感のあるキャラクター(というか扱い)なのですが、そんな光瀬先生の武蔵ものの中で、もっとも異彩を放っているのが、この「新宮本武蔵」です。

 大坂の陣の後から、島原の乱辺りまでの、「その後の武蔵」の姿を描いた連作短編スタイルの本作。武蔵の前に、様々な技を操る敵が出現し、武蔵が苦闘の末にこれを打ち破るというのは定番展開でありますが、しかしその敵というのが、並みの相手ではありません。

 絡繰というにはあまりに精巧な自動人形を操る男、土中から掘り出された梵鐘の中から現れ、奇怪な光線を放つ幽鬼、動物はおろか人間に至るまで精巧な複製を造り出す妖僧…
 本作で武蔵の前に立ち塞がるのは、こうした通常の時代小説離れした――ストレートに言ってしまえば、SFチックな怪人たちであります。
 普通の武芸者が相手であればともかく、えそもそも人間かどうかすら怪しい連中を敵に回してはさしもの武蔵も分が悪い。
 かくて武蔵は毎回苦戦を強いられ――というより醜態を晒しながら、紙一重の勝利を掴むというのが毎回のパターンとなっています。

 もちろん、武蔵を料理するのにこういった題材を用いるというのは、作者のバックグラウンドを考えるにある意味当然のものとしてうなづけるものがありますし、それが時代小説と組合わさった時の意外性の妙味は、なるほど実に得難いものがあります。
 しかし、こうした本書の試みの上げる効果は、意外性や面白味といった点にとどまりません。人外の存在との対峙という異常な状況に放り込まれることにより否応なしに浮かび上がるのは、武蔵の人間味・人間性というべきものであります。

 本書のあとがきで、作者は、吉川英治の「宮本武蔵」によって剣聖としてのイメージが固定化された武蔵を、それ以前の、野放図で人間的な武蔵に戻したかった、という趣旨のことを語っています。
 その目的を果たすための手段として、SF的な人外の存在との対決を選んだのは、なるほど光瀬先生ならでは、と言うほかありません。

 …もっとも、どうしたわけか短編集の後半では、こうしたSF味はほとんど影を潜めて、普通の(?)時代ものの枠内に収まる内容ばかりになってしまって、武蔵のダメ人間っぷりばかりが目立つようになってしまうのが残念なのですが――


 ちなみに、番外編的な作品「松風に消ゆ」は、佐々木小次郎を中心に据えた内容。
 小次郎が鐘巻自斎の弟子にしては若すぎるというのは有名な突っ込みですが、それに対して、SF的にあまりに正面突破なアイディアで解釈してみせた作品で、これはこれで一見の価値ありかと。


「新宮本武蔵」(光瀬龍 徳間文庫 全二巻) 上巻 Amazon/ 下巻 Amazon

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2008.01.25

「雨柳堂夢咄」其ノ十二 また会う日まで…

 実に約二年ぶり、「雨柳堂夢咄」の最新第十二巻が発売されました。不思議な骨董ばかりが集まる雨柳堂と蓮くんとの再会を、待ちこがれていたのは私だけではないと思います。

 今回はいつもよりも多い全九話が収録されている本書ですが、内容の方も実にバラエティ豊かで興趣に富んだものばかり。その中でも特に私の印象に残ったエピソードは、怪奇色の濃厚な「百物語の夜」と「禍禍しいもの」の二篇でした。

 前者は、怪談マニアの担当作家に引きずられて怪談会に参加した編集者が語った物語が、思わぬ騒動を引き起こす顛末を描いた作品。
 怪談会という実に魅惑的な場を舞台にした物語が、果たしてどのような形で雨柳堂に絡んでくるのか、という興味もさることながら、物語に登場する「骨董品」には唸らされました。
 いかにもいわくありげなその品の、ロマンチックで同時に恐ろしいという、相反する要素を抱えた正体を知った時には、語り手同様、思わずはっとさせられた一方で――直に自分の目で見てみたいと思ってしまったのは、既に魅入られてしまったのかもしれません。

 魅入られるといえば、持ち主が次々と不幸に見舞われるという掛物に魅入られた青年の姿を描いた作品が「禍禍しいもの」。
 持ち主を不幸にする、呪われた骨董品というモチーフ自体は、言うまでもなくありふれたものではあります。しかし、実家が没落してジゴロまがいの生活を送る青年が、その画と再び出会って以来、静かに、しかし着実に追い詰められていく様は、その呪いの姿が直接的に描かれないだけに、一層重苦しく生々しい感触で迫ってきます。


 さて、この二篇に限らず名品佳品揃いの本書を楽しんだ後で、その気持ちが、大げさに言えば一転させられるのは、巻末の作者の言葉を見たときでしょう。遠回しな言い方ではあるにせよ、本作の実質的な終了宣言とも取れるその言葉には――現在掲載誌に別の作品が連載されていることを知っていても――さすがに驚かされました。

 もちろん、これで終了と明言されたわけではなく、同時に再開への含みも持たせられているのわけであって、ここは慌てず、ゆったりと再開を待つべきなのでしょう。
 波津先生の言葉にもあるように、雨柳堂は「どこかにあって日々営業しているような、そんな感じがする」存在。気紛れに足を運んだ先で店が開いているのを見つけるように、気がつけばまた描かれていた物語に出会うというのも、本作にふさわしい触れ合い方かもしれません。

 もちろん、その日が少しでも近いことを祈っているところではありますが…


「雨柳堂夢咄」其ノ十二(波津彬子 朝日新聞社眠れぬ夜の奇妙な話コミックス) Amazon

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2008.01.24

「あやかし同心 死霊狩り」 帰ってきた大江戸怪奇大作戦

 ある雨の晩に起きた怪事件――大工が何者かに襲われた現場に落ちていたのは、大工が木槌を振り回した時に落ちたと思しい腕、それも死後久しい死人の腕だった。それを皮切りにしたように、江戸の町に歩く死人たちが現れ、さらに奇怪な殺人事件が続発する。事件の謎を追う南町隠密廻り同心・香月源四郎とその義兄・志垣隆之介が見たものとは…

 発売するや一部のホラーファン・時代小説ファンに絶賛された加納一朗先生の隠れた名作「あやかし同心事件帖」が帰ってきました!
 その名も「あやかし同心 死霊狩り」。江戸の町に吸血鬼を跳梁させてみせた前作に続き、本作で暴れ回るのは…オールドSFファンであれば副題から一目瞭然ですが、とにかく今回も期待通りの怪奇時代小説の名品であります。

 死人が歩き回り、生者を殺す怪事件の背後に隠された真実とは何か…怪奇小説としては正直なところ珍しい題材ではなく、またラストを除けば比較的地味な展開ではあるのですが、しかし、作者の円熟した文章は、超自然の怪の跳梁を生々しく描き出し、陳腐さなどは微塵も感じさせぬ恐ろしくも興趣に富んだ作品として本作を成立させています。

 そして、そんな作者の筆は、一方で怪異に挑む主人公たちの捜査活動を、じっくりと、地に足の着いた形で淡々と描きます。
 その描写は前作同様、通常の時代小説、いわゆる同心もののそれと些かも変わることはなく――それが本作を地味に感じさせる一因かとも感じますが――彼らが対決する時代小説離れした怪魔とは著しいコントラストをなすもの。しかしその両極端な要素がお互いを高めあって、非現実的な事件の中にあっても、その背後にある人間の心というものの姿を浮き彫りにしています。

 そう、どれほど常識では測り知れぬ怪奇な事件が起きようとも…その事件を引き起こすのは、決して我々とは相容れぬ異世界の怪魔ではなく、我々と同じ人間であり、彼らが持つ心、あるいは業と言うべきものであります。
 先に述べたとおり、本作の題材は、時代小説の分野においてもさほど珍しいものでもないのですが、しかしそれでも本作が面白いのは、表面に現れた超自然的な怪異だけでなく、その裏側に隠された普遍的な人間の心をもきちんと描い出しているからなのでしょう。

 怪奇に立ち向かう人々の姿を通して、人間の心を、業を描き出す――本シリーズを時代劇版「怪奇大作戦」と呼ぶのは、牽強付会が過ぎるでしょうか。

 いずれにせよ、あやかし同心の三度の登場を、今から心より願っている次第です。


 …しかし「志垣」青年がフェンシング剣法を操るのに大喜びした読者は、さすがにほとんどいないだろうなあ。


「あやかし同心 死霊狩り」(加納一朗 ワンツーマガジン社ワンツー時代小説文庫) Amazon

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2008.01.23

「外道笠」 いい時代劇画を見た!

 恥ずかしながら、時代劇画というジャンルについてはまだまだ未熟な私ですが、それゆえ、今まで知らなかった名品に出会うと、普段以上の喜びがあります。
 本作もその一つ。手段を選ばぬその所業から「外道笠」と呼ばれる賞金稼ぎの渡世を描く連作シリーズであります。

 主人公は、まだ青年ながらその名を知られた凄腕の賞金稼ぎ。しかしその名はむしろ悪名、目標を仕留めるためにはどんな卑怯な手段であっても躊躇わず使うそのスタイルに、三度笠の渡世人姿が相まって、ついた渾名が「外道笠」であります。
 何しろ、後ろからの不意打ちは当たり前、罠を仕掛ける、寝込みを襲う…あまりに凄まじいやり口ゆえに、逆に悪党どもから賞金をかけられる始末。追うも追われるも――いずれにせよ、孤独の中で外道笠は旅を続けます。
(ちなみに、私が本作を読んだとき真っ先に私の頭に浮かんだのは、横山光輝先生の名作「血笑鴉」。ビジュアル的には大きく異なりますが、ともに綺麗事抜きのアンチヒーローということで)

 しかし、外道笠が単なる外道ではないのが本作の魅力であります。
 孤児で途方もなく貧しい少年時代を送った彼は、自分では何もしようとせず、人に頼るばかりの者には冷たく当たりますが、貧しい中、苦しい中で必死に生きようとする弱者にはとことん弱い。
 普段はどこまでもダーティーな暴れっぷりを見せても、健気な弱者の涙を止めるため――俺は何をやっているんだと自問自答しつつ――刃を振るう外道笠の姿は、間違いなくもの凄いツンデレヒーロー。野良犬の仔のためにやくざの一家を壊滅させるなんたこの人ぐらいのものでしょう。
(もっとも、第二巻に入った辺りから、やたら女を助けるので、単に色香に迷っているように見えるのですが…)

 もちろん、キャラクター、物語としての面白さのみならず、画の美しさ、漫画としての動きの描写の確かさも見事の一言。どこまでも殺伐とした世界観ながら、どこか叙情性すら感じさせるのは、間違いなく、この画によるところが大でしょう。
 題材やストーリー的には、決して今風の作品というわけではありませんが、それがむしろ新鮮さすら感じさせてくれる本作、「いい時代劇画を見た!」と腹の底から思える作品であります。


「外道笠」(草野雄 双葉社アクションコミックス 第一~二巻(続刊)) 第一巻 Amazon/ 第二巻 Amazon

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2008.01.22

「暁光の断 勘定吟味役異聞」 相変わらずの四面楚歌

 権力を巡る暗闘が続く中に起きた絵島生島の醜聞。その陰に陰謀の匂いを嗅ぎ取った新井白石は、水城聡四郎に調査を命じる。やむなくこれに応じた聡四郎だが、それは次期将軍を巡る暗闘の渦中に踏み込むことを意味していた…

 時代小説界広しといえども、立場の危うさでは一、二を争う(?)水城聡四郎を主人公とした勘定吟味役異聞シリーズの第六巻が発売となりました。今回の題材は絵島生島事件――この事件については、作品によって様々な切り口があるかと思いますが、本作においては――一貫して権力を巡る暗闘を描くシリーズらしく――大奥、そして江戸城内の権力闘争に端を発した政治的陰謀事件として描かれています。

 主人公たる聡四郎は、今では関係最悪となった新井白石の命で嫌々これの調査に当たりますが、もうこれはそういう体質なのでは、と言いたくなるほど相変わらずの四面楚歌。
 紀伊国屋文左衛門に柳沢吉保。間部詮房と結ぶ月光院配下の御広敷番伊賀者。聡四郎に興味を見せながらもどこまで信頼できるかわからぬ紀州吉宗に、聡四郎に敵愾心を燃やす吉宗配下の玉込め役――どれ一つとして敵に回したくない相手を向こうに回して、聡四郎がいかに生き延びるか、というのが本作の眼目でしょうか。

 しかし…今回はつなぎの一作かな、というのが正直な印象。絵島生島事件は実は物語上はさほどウェイトはなく、後は権力者たちのパワーゲームが繰り広げられるのですが、(山場は幾つかあるものの)背骨となるイベントがないため、全体のストーリーの印象が薄くなってしまった感があります。

 さらに個人的に残念なのは、経済を巡るエピソードが、今回は少なかったことでしょうか。物語の重点が次期将軍を巡る争いに移ってきたため、仕方ない面はありますが、本シリーズの最大の特徴であるだけに、些か物足りなく感じてしまいました。

 そんな中で、一人、経済的側面から物語を見ているのが紀伊国屋。他の権力者たちとは、身分も依って立つものも異なる人物ですが、それだけに、彼の目から描かれる、口から語られる権力観・権力者像は、一際異彩を放ち、強く印象に残ります。
 シリーズ当初から登場しているキャラクターですが、あるいは、影の主人公と呼んでも良いのかもしれません。

 さて、色々と厳しいことも書いてしまいましたが、本作で、遂に大きな決断を下した聡四郎。その決断が物語にどのような影響を及ぼすのか。そして剣の師が語る、聡四郎の剣のゆがみとは?
 すぐには楽にはなれそうもない聡四郎の運命から、まだまだ目が離せません。


「暁光の断 勘定吟味役異聞」(上田秀人 光文社文庫) Amazon

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 「地の業火 勘定吟味役異聞」 陰謀の中に浮かび上がる大秘事

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2008.01.21

「掘割で笑う女 浪人左門あやかし指南」 怪談と現実と、虚構と真実と

 若い女の幽霊を目撃した者は必ず死ぬという噂が流れる某藩で発生した藩士の連続怪死事件。自身も女の幽霊を目撃した無類の臆病者の青年藩士・苅谷甚十郎は、剣の士で酒と怪談をこよなく愛する浪人・平松左門とともに、うち続く事件に巻き込まれていく。

 古今の推理小説作家の多くが、同時に優れた怪奇小説を残していることは、推理小説ファンであればよくご存じかと思います。
 完全に怪奇小説でなくとも、怪奇色の強い推理小説まで含めれば、その点数は相当な数に上るのではないかと思いますが、これは、大雑把に言ってしまえば、合理的な解答を用意するか、非合理なままで終わらせるかの違いこそあれ、共に常識では考えられないような事件・現象を相手にするため、かと思います。
 言い換えれば、推理小説と怪奇小説は親和性が相当高いということになりますが、もちろんこの状況は――時代ミステリの祖たる岡本綺堂先生に端的に示されているように――時代ものにおいても同様であります。

 前説が長くなりましたが、本作はその時代怪奇推理の最新作にして快作であります。堀割をはじめとして、様々な場所で女の、しかも目撃したものは命を落とすという幽霊が現れるという、さる城下で始まる物語は、怪談と現実、虚構と真実が幾重にも入り交じり、まさしく複雑怪奇、の一言。
 全編これギミックと言うべきスタイルゆえ、詳しい内容については触れにくいのですが、提示された怪異が次の瞬間には虚構と化し、それがまた次の瞬間には現実と転じる展開には、愛すべきワトスン役である甚十郎青年と同様に、読んでいるこちらも、右へ左へ振り回されてしまいました(もっとも、甚十郎と違い、こちらはその振り回されることを大いに楽しませていただきましたが…)。

 さて、本作のユニークな部分、そして何より讃えるべき部分は、怪談が本質的に持つ情報伝達機能を、物語の中心として使用している点でしょう。
 怪談が怪談として成立するためには、単に怪奇現象が描かれるだけではなく、その現象を取り巻く現実というものが、同時に描かれる必要があります。つまり怪談には、怪奇と同時に何らかの現実の描写が含まれる、つまりその中で現実に関する情報が伝達されるわけであります。
 しかし、その情報を――あくまでも怪談においては脇であって目立たず、そして中核となる怪異の非現実性に比して一定のもっともらしさを感じさせる「現実」の情報を――細工し、利用しようとする者がいたとしたら…?

 もちろん、怪奇ミステリは大なり小なりこういった点を利用しているものではあるのですが、本作ではそれを物語のほぼ全般に渡って自覚的に使用し、さらに主人公・左門のキャラクターを怪談マニアと設定することで、それを無理なく物語の中で成立させているのが見事と言えるでしょう。

 単に怪談と時代ミステリを組み合わせるだけでなく、怪談というものの持つ性質・機能に着目して物語を成立してみせた本作。本当にこれがデビュー作なのか、と思ってしまうほどの新人離れした手腕に感心すると共に、早くも次の作品に期待している今の私です。


 ちなみに左門の「正体」が、物語の結構早い段階で、それもベタな形で割れてしまうのでその点だけが残念と思っていたら…ラストのもの凄いすっとぼけぶりにひっくり返りました。いやはや…


「掘割で笑う女 浪人左門あやかし指南」(輪渡颯介 講談社ノベルス) Amazon

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2008.01.20

二月の伝奇時代アイテム発売スケジュール

 つい先日初日の出を拝んだばかりだというのに、もう翌月の話が出てきて途方に暮れる思いですが、それでも時間はどんどん流れて、二月の時代伝奇アイテム発売スケジュールです。

 相変わらず文庫書き下ろし小説の方は伝奇ものが少なくて悲しいのですが、出版社の方はなんと言おうと私は伝奇ものと信じている風野真知雄の「若様同心 徳川竜之助」シリーズ第二巻が発売となります。
 また、書き下ろしではないものの、最近復活した(?)ワンツー時代小説文庫から郡順史の「風流天狗剣」とえとう乱星「総司還らず」が復活(中旬発売、としかわからないのでスケジュール表には載せていませんが…)。素晴らしい!
 書き下ろしじゃなくても素晴らしい作品はたくさんあるんですから、もっと色々出してくれればいいのに、ねえ。

 さて漫画の方では、大暴れを続ける師範代にいい加減うんざり対峙する伊良子の運命やいかに!? の「シグルイ」第十巻、海道龍一朗の原作を今泉伸二が、という意外すぎる組み合わせに驚かされる「悪忍」の第一巻などが発売されます。
 が、何と言っても個人的に大本命なのは、名作「明楽と孫蔵」のビフォアストーリー「御庭番 明楽伊織」第一巻であります。連載当初は(むしろ掲載誌の方が)どうなることかとやきもきさせられた本作ですが、無事単行本発売まで漕ぎ着けてまずは一安心。
 この勢いで「明楽と孫蔵」も復刊していただきたいものです。キンノーをぶっ潰せ!

 そして映像ソフトの方では、劇場版「必殺」シリーズ全作(あ、田原俊彦のは入ってないかな)がDVD化。これはこれでもちろんありがたいのですが、しかし個人的には岡本喜八の「EAST MEETS WEST」「ジャズ大名」が嬉しすぎます。特に「EAST MEETS WEST」は初DVD化じゃないかしら…
 また、アニメの方では「モノノ怪」の最終巻「化猫」が遂に発売されます。

 最後に、ゲームの方ではやっぱり気になるのは(和風ファンタジーですが)「不思議のダンジョン からくり屋敷の眠り姫~風来のシレン3 ~」。ローグライクは鬼のように時間を食うので困るのですが、それでもプレイしてしまう罠。

 というわけで、日数が少ない分ちょっとアイテムも控えめな気がしないでもない、二月のスケジュールでした。


 ちなみに、これは時代ものは全く関係ないですが、「トライガンマキシマム」の最終巻が遂に発売になるとのことで、ファンとしてはちょっと感慨深いものがあります。
 …内藤版サムスピは復刊しないのかなあ。

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2008.01.19

「鞍馬天狗」 第一回「天狗参上」

 ドラマ化を知って以来、鞍馬天狗は野村萬斎↑↑↑、杉作は最後のエピソードで登場↓↓、鞍馬天狗と小野宗房が同一人物↓、近藤勇が緒形直人↓、チャンバラシーンでエフェクト効かせまくりらしい↓↓↓と、私の中で目まぐるしく期待が↑↓したNHK時代劇「鞍馬天狗」が放送開始されました。

 TV版第一話は原作と同様、「鬼面の老女」のエピソード。山から下りてきた青年公卿・小野宗房が、古屋敷で鬼面の老女の怪と対決し、そこに意外な女性と出会うという基本ストーリーは同じですが、上記の通り宗房が鞍馬天狗となるため、その前後の展開は色々と異なっており、鞍馬天狗誕生篇とも言うべき内容となっています。

 個人的には、鞍馬天狗においてはその立ち位置のニュートラルさ加減が最大の魅力と考えているので、血縁のドラマが絡んでくる宗房を天狗にするのはいかがなものか…と思っていましたが、これはこれで物語としての収まりがさして悪くなかったのは発見でした。
 何よりも、予想通り野村萬斎の天狗は、
立ち姿と発声がさすがに見事で、普通のドラマであれば些か芝居がかりすぎているように感じられる部分も、天狗自体が芝居がかった存在であるためか、なかなかのハマり具合でありました。

 しかし一点どうしても気になるのが、宗房の天狗への変身の動機が「正義」のためということ。それ自体はヒーローとしてもちろん結構なことなのですが、さてそれが京を騒がせる悪い新選組(これだけ悪人面揃いの新選組は久しぶりですな)を斬っておしまい、ということにならないか。佐幕よりも勤王が正義というオチになりはしないか――
 第一話を見た限りではなんだか無邪気なオチになりそうでちと不安になりました。
(尤も、原作でも初期の鞍馬天狗は一種のキンノーテロリストではありますが…)

 何はともあれ、微妙に色褪せたキャスティング(正直全く期待していなかった石原良純の桂小五郎が結構いい感じだったのは嬉しい驚きでしたが)と、中途半端な特撮チャンバラ(やるならもっとハジけないと!)が何とも言えぬハーモニーを奏でている本作が、木曜時代劇ラストの作品としてどのように展開していくのか…
 今後に色々な意味で期待していきたいと思います。


 …そういえば、衣装デザインが竹田団吾さんだったはちょっと嬉しかったですね。


関連サイト
 公式サイト

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2008.01.18

「信貴山妖変 嶋左近戦記」 伝記と伝奇の難しさ

 筒井城に忍び込んできた女忍・志乃を捕らえた島左近。彼女が松永久秀に捕らえられた妹と引き替えに茶器を盗み出そうとしていたと知った左近は、これを機に筒井家の宿敵たる久秀の懐に飛び込み、討とうとする。だが、これが長きに渡る久秀との暗闘の始まりだったとは、この時の左近には知る由もなかった…

 第二回ムー伝奇ノベル大賞優秀賞に輝いた本作は、副題にある通り島左近清興が、題名の信貴山城の主・松永久秀と死闘を繰り広げる様を描いた作品です。

 左近といえば、どうしても「治部少に過ぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山の城」から、石田三成の臣というイメージが強くありますが、元々は筒井順慶の臣。そして筒井順慶といえば、大和国を巡り、松永久秀の宿敵とも言うべき存在であります。

 左近と久秀は、その絶頂期が大きくずれているというイメージから、それぞれ全く別々の時代の人間という印象が強く、フィクションの世界でもこの両者を絡めた作品はかなり少ないように思います(つい最近同じ版元から発表されましたようですね)。
 しかしこの両者に上記の接点があることに着目し、その戦いを善魔入り乱れる伝奇小説に仕立てあげたのは、まずコロンブスの卵的着眼点として評価できます。

 しかし…確かにアイディアとしては実に面白いものの、内容的、構成的に見ると、ちょっと残念な部分があるのもまた事実。簡単に言えば、作中の史実を描いた部分と、伝奇的部分のバランスがあまり良くないと申しましょうか――失礼を承知で言えば、伝奇の部分が、史実の合間に挟まれた、付けたりのような印象があります。
 確かに、左近対久秀という物語の背骨はあるのですが、厳しく言えば、それに見合った伝奇的肉付けが今一つまとまっていないと言ったところでしょうか。

 戦記――伝記と伝奇と言っては駄洒落のようですが、題材が良いだけに、この両者のバランス取りの難しさを、今更ながらに感じさせられたことです。


「信貴山妖変 嶋左近戦記」(志木沢郁 学研) Amazon

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2008.01.17

「死ぬことと見つけたり」 鍋島三銃士の真なる武士道

 佐賀鍋島藩を天領にせんと暗躍する老中・松平信綱。その前に立ちふさがったのは、鍋島藩の「いくさ人」斎藤杢之助だった。行住坐臥全てで「死人」として生きる杢之助は、同じ葉隠武士でいくさ人の中野求馬、牛島萬右衛門らと共に、破天荒なやり方で数々の奸計・難題に挑む。

 私が生まれて初めて「痛快」という気持ちを知ったのは、大デュマの「三銃士」を読んだときでした。快男児ダルタニャンが、いずれ劣らぬ豪傑の三銃士と知己を結び、権威権力なんのその、の冒険を繰り広げる様に、幼い私は大いに心躍らされたものでした。
 そしてこの時の痛快さを、読むたびに心に蘇らせてくれるのが、この「死ぬことと見つけたり」であります。
 鉄砲の達人で死生を超越した心を持つ狩人・いくさ人である斎藤杢之助、主君に諫言して死を賜った父を目標に家老の座を目指す中野求馬、杢之助に心酔する豪傑で大猿を小友にした牛島萬右衛門と、一癖も二癖もある鍋島武士トリオが、家老だろうと老中だろうと、義に外れたことをしでかし、お家を危うくする者に戦いを挑む様を描いた本作には、大いに興奮させられました。

 何せこの三人(をはじめとする鍋島武士連)、命知らず…どころか、端から「死人」として生きているのだから凄まじい。朝起きた時にまず死んでみる――己の様々な死に方をイメージトレーニングする――ような覚悟完了した連中に、世俗の権力も暴力も及ぶものかは、時代小説界広しといえども、絶対喧嘩を売ってはいけない奴ら、と言えるでしょう(基本的に「そうか、よし殺す!」な方々ですので…)。

 さて、この彼らの行動のモデルであり、ある意味本作の原作となっているのが、かの「葉隠」であります。武士道の典型とも言える精神を示したこの書は、しかし、特に本作の題名の由来ともなっている「武士道と云は死ぬ事と見付たり」のフレーズなど、剣呑で、些か非人間的な世界観の書物として受け取られることが多いのではないかと思います(ちなみにこのネガティブイメージには、「シグルイ」も一役買っていると思うのは言い過ぎでしょうか)。
 本作の主人公である鍋島三銃士のキャラも、一見こうしたネガティブイメージの体現のようにも思えるかもしれません。

 しかし、本作における「葉隠」解釈は、むしろそれとは正反対の、人間性を強く肯定するものと感じられます。
 杢之助らの行動は、確かに破天荒で剣呑極まりないものに見えますが、しかしその根底にあるのは、人としてあるべき姿を守り、己を厳しく律しようという姿であり――そのためには己の命を捨てることも厭わない、強烈に自立した意志であります。
 封建的秩序の下で個を失うマゾヒズム武士道でも、ましてや単なる規律に身を委ねて悦に入るファッション武士道でもなく――自立し、自律する個人の道とも言うべき武士道の姿が、そこにはあるのです。
 鍋島三銃士が剣呑極まりない――一歩間違えれば完全にギャグになってしまいそうなほどの――極端な行動をとるにも関わらず、しかしそこに痛快さが感じられるのは、まさにこの点に由来するのでしょう。
(そして、この見事な読み換えをやってのけた隆慶先生の精神たるや、賞賛すべしでしょう)

 さて、実のところ隆慶作品には随分と点が辛い私が、ほとんど絶賛するしかない本作に無理に欠点を見つけるとすれば、それは作者の死により、物語が未完のままに終わったことでしょうか。
 構想されていた結末では、杢之助たちが真実の死を迎える様が描かれる予定だったようですが、しかしこれは(真面目なファンの方には怒られるかもしれませんが)描かれずにいて良かったのかもしれません。
 大デュマの「三銃士」が、作中で老い、そして死んでいった時の何とも言えぬ寂寥感を思うにつけ…その最期が描かれなかった鍋島三銃士は、今も痛快に暴れ回っていると、そう思いたい気持ちが――それこそ「葉隠」の精神には反するでしょうが――私にはあります。


「死ぬことと見つけたり」(隆慶一郎 新潮文庫 全二巻) 上巻 Amazon/下巻 Amazon

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2008.01.16

「なでし いだてん百里」 まさに山風チックな

 地を撫でるが如き足の早さから「撫衆」と呼ばれる山の民。武田の家臣であった関半兵衛は、過去を捨て、天城の撫衆・半ベエとして暮らしていた。が、徳川と豊臣の決戦の機運が高まる中、各勢力は撫衆の力を利用すべく画策、半ベエもやむを得ぬ仕儀から、その一つ・真田の策に力を貸すこととなる。地雷火百里…遠く江戸まで地雷火を運搬することとなった半ベエを待つものとは…

 山の民を主人公とした作品といえば、近年で言えば長谷川卓氏の諸作が浮かびますが、本作はそれよりも遙か以前に書かれた山田風太郎先生の初期作品「いだてん百里」を原作としたコミックです。

 撫衆という、その脚力を武器とした非常に特異な存在を主人公とするだけに、その能力の発露を如何にビジュアライズするかというのは重要な点ですが、本作においては、些か粗くはあるものの、躍動感とスピード感溢れる絵で半ベエの活躍を描き出しており、まずはラストまで、一気に読むことができました。

 ここで恥を忍んで白状すれば、私は原作は未読なので、そちらと比べてどう、というのは言えないのですが、起伏と意外性に富んだストーリー展開には、大いに驚きかつ楽しませていただきました。
 特に、終盤で明かされる地雷火百里の正体にまつわる、皮肉かつミステリ的興趣に富んだどんでん返しは、まさに山風チックな味わいがあったかと思います。
 そして――その衝撃の中から立ち上がった半ベエの一大反撃は、痛快であるとともに見事に撫衆の設定を生かしたものとなっていたのには感心いたしました。

 一般のファンにとっては、忍法帖、あるいは明治ものの印象が強すぎる山風先生ですが、しかしその初期作品には、ミステリ味の強い、あるいは本作のようにミステリ的アイディアを巧みに生かした作品も多く存在しています。
 本作のような形で再生されることにより、初期作品がより多くの方の目に触れてくれれば…と願う次第です。


「なでし いだてん百里」(岩田やすてる&山田風太郎 リイド社SPコミックス) Amazon

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2008.01.15

「九十九眠るしずめ 明治十七年編」第二巻 凄惨な過去の中の行動原理

 明治伝奇アクション「九十九眠るしずめ」の新章第二弾、通算第五巻目が発売となりました。鬼の金輪の力を手にしたしずめ、そして九十九神・朱雀の力を宿したトラゲンの前に、強敵白虎、そして青龍が現れます。

 鹿鳴館を襲撃した怪人物から伊藤博文を警護することとなったしずめとトラゲン。強大な九十九神・白虎を宿したその男と対峙したしずめとトラゲンですが、白虎の男はトラゲンと旧知の間柄――その名は日向内記。白虎隊の中二番隊頭でありながら食料調達中に行方不明となり、その間に飯盛山で少年兵士たちが切腹することになった人物であります。
 白虎で白虎隊、というのは、考えてみれば当然の連想ではありますが、しかしここで日向内記を持ってくるとは、ちょっと驚かされました。
 そして、子供の頃内記に可愛がられていたトラゲンにとって、内記の存在は、己の運命を一変させた、戊辰戦争での凄惨な記憶を思い出させるものとして描かれるのですが…

 ここで話がちょっとわき道に逸れますが――実はこれまで本作を読んでいて、一つだけ不満な点がありました。それは、登場人物の行動原理の中に、今一つ、明治ならではのものが見えなかったことであります。
 漫画であろうと小説であろうと、ある過去の時代を舞台にするのであれば、単にその時代の人物を登場させる、その時代ならではのネタを使うだけではなく、登場人物の大きな行動原理に、その時代ならでは、その作品ならではのものを求めたい――さらに言えば、優れた時代ものは、この行動原理がしっかりと示されたものだと、私は思っています。

 本作においては、主人公たるしずめが現代っ子的キャラクター…というより、「戦後世代」ということもあってか、明治ならではの行動原理、言い換えれば明治ならではのドラマというものがあまり感じられなかったのですが、ここでトラゲンの強烈な過去が描かれたことで、一気に時代ものとしての存在感が増したように思えます。

 そして展開されるクライマックスの朱雀対白虎の死闘は、ともに会津での凄惨な過去を背負いながらも死に場所を失った者同士の激突で、迫力十分。トラゲンの情念迸る叫びが――あまり高田裕三らしくない台詞回しでもあって――胸に迫りました。
(ちなみに…史実では日向内記は鶴ヶ城籠城戦にも参加して天寿を全うしているので、大胆といえば大胆な脚色(というより本当は反則)なのですが――しかし卑怯者の汚名を着せられたままであった後半生を思えば、本作での最期は、これはこれで救い…かなあ?)

 さて、続く青龍編では、トラゲンの上司たる斎藤一とは因縁の人物が、死から甦って登場。超メジャーなこの人物に、どのような行動原理を用意してくれるのか、期待しています。


「九十九眠るしずめ 明治十七年編」第二巻(高田裕三 講談社ヤングマガジンKCDX) Amazon

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 「九十九眠るしずめ 明治十七年編」第一巻 九十九の名に籠められしもの

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2008.01.14

「らんまん剣士」(「鷹天皇飄々剣」) 剣豪天皇幕末をゆく

 奥吉野で長閑に暮らす南朝第十九代・鷹天皇。その前に現れたのは、劣勢に立たされた幕府の切り札として、彼を奉戴しようとする山岡鉄舟だった。剣の道を志す鷹は、剣法修行のため江戸行きを承知するが、江戸での窮屈な暮らしに飽きた彼は天位を放棄し、幼なじみの霞、忠僕・豹八と共に出奔してしまう。市井で剣の修行に励もうとする鷹だが、彼の周囲に、幕府からの追っ手と、京の帝を奉じる西国雄藩の刺客が迫るのだった。

 南朝といえば、室町を舞台とした作品にはしばしば登場するものの、それ以外の時代に登場するのは珍しい存在。その例外の一つが、本作(別題「鷹天皇飄々剣」)です。
 物語のスタイル的には、隔絶した環境で育った無垢な貴人が外の世界に出て、周囲とのギャップの中で騒動を巻き起こし、また還っていくというパターンであり、それ自体は珍しいものではありませんが、本作の工夫は幕末を舞台に、南朝の末裔を持ち出してきた点でしょう。
 鳥羽・伏見の戦いの錦の御旗の例にもあるように、歴史上、幕末ほど天皇の存在が「利用」された時代はないのではないかと思うのですが、さてもし幕府側にも天皇が、それも正統とされる南朝直系の天皇がいたらどうなるか、というのは実に興味深いIFの世界であります。

 しかし真に本作が描こうとしているのは、それよりもさらに踏み込んだ世界。
 鷹天皇を、天位を望まない者として描くことにより、本作は、近代の天皇制と、それを「利用」しようとする者たちにシニカルな視線を向けており――そしてそれは、近代という時代のあり方を問いかける試みに繋がっていきます。

 もっとも、その天皇を剣法マニアに設定することで、物語に無理なくチャンバラシーンを交えることを可能としているのはさすがの一言。なるほど、天皇とチャンバラという、この二つの要素を両立させるに幕末という舞台はうってつけという他なく、陣出先生の慧眼には感心いたします。

 そして、この剣のサイドの物語が、一人の青年の成長譚としてもきちんと成立しているのにも感心させられます。
 ある意味個人主義の極とも言える剣の道を、天皇制や国家といったマクロな存在と対置することにより、その双方が際だつのであり――そしてその二つの道が交わり、一つの答えが出される結末には、静かな感動があります。


 …と、褒めすぎの感もありますが、もちろん大衆文学の路頭を爆走する陣出作品だけあって、バカネタも多数であります。
 特に物語の中心となる鷹・霞・豹八のトリオは、全員ボケのみでツッコミがいないという有様で、普通に動き回るだけでギャグにしかならないという恐ろしい状態。
 その他にもおいらん剣法(実は凄くシリアスなエピソードなんですが…)や女新選組など、字面だけで脱力できる有様で、ああ、やっぱり陣出先生は陣出先生なんだなあと、ちょっと安心した次第です。


「らんまん剣士」(陣出達朗 春陽文庫) Amazon

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2008.01.13

「ジライ」 もう一化け欲しい人斬り退治

 時は幕末、諸国を巡り、狂気に陥った人斬りを斬る者がいた。隠密御庭番人斬り見廻り、通称「斬り捨て屋」の青年、名はジライ。人の心を失った人斬りの刃を、腕の黒手刀で打ち砕くジライの旅が続く。

 「鬼道天外かなめ」「新選組黙示録」といった、時代劇、時代ファンタジーを発表してきた乾良彦氏の新作が、この、幕末を舞台とした人情始末人もの(?)「ジライ」。
 普段は飄々とした者が、いざ外道に相対すれば凛然としてこれを討つ、というのは、確かにこの手の作品の定番パターンではあります。が、各話に登場する敵キャラクターの造形やストーリー構成など、なかなか捻った内容も多く、また、(無駄にグロい描写も多いのですが)アクション描写も達者で、何も考えずに読む分には、十分楽しむことができます。

 が――評価した後で恐縮ですが、時代ものなら何でも読んでやろう、という(私のような)マニア以外の方が、単行本を買ってまで読むべきか…と言えば、それは正直に言ってしまえば微妙であります。
 上記の通り、決してつまらないわけではない、いや水準の作品ではあるのですが、では飛び抜けて面白い、優れていると言われれば、首を傾げざるを得ないと言いましょうか…一言で言えば、エッジが立っていないように感じられます。

 そのせいか、普段であればスルーしてしまうような、作中の細かい(?)部分――「隠密御庭番人斬り見廻り」という役職名ってどうなんでしょうとか、そもそもこれ御庭番の仕事なのかしらとか、何よりもあんまり幕末らしい場面が出てこないなあとか――が気になって、作品を存分に楽しめないのはもったいないとしか言いようがありません。

 主人公の腕と一体となった「斬れ味は大業物のごとく その怪しさ妖刀のたぐい 一度打ち磨かれれば捨てることできぬ凶物」たる黒手刀、斬られた者は夢に抱かれて逝けるというその存在など、十分に面白いアイディアではあるのですが…

 もう一化けすれば、自信を持ってお勧めできる作品になるだけに、私にしては些か厳しい表現で取り上げさせていただいた次第。
(もちろん私は、この先の展開を見届けさせていただくつもりです。)


「ジライ」(乾良彦 少年画報社ヤングキングコミックス 第一~二巻(続刊)) 第一巻 Amazon/ 第二巻 Amazon

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2008.01.12

「風魔」 小太郎が往く自由の中道

 風魔忍びの中でもその常人離れした巨躯と体術で、風の神の子と呼ばれる小太郎。時あたかも戦国末期、主家である北条家のために力を尽くす小太郎らだが、衆寡敵せず小田原城は落城、小太郎は野に下ることとなる。豊臣と徳川の間で緊張が高まる裏で繰り広げられる陰険な謀略戦の中、小太郎は自由のための戦いを繰り広げる。

 風魔小太郎と言えば、人口に膾炙した忍者の一人。怪物のような風貌で剽悍な風魔一族を率いて北条氏に仕え、開府したばかりの江戸を荒らし回った末に捕らえられ、磔となったという、ある意味戦国の忍びの末路を体現したような人物です。
 このような来歴ゆえか、フィクションの世界では主役というよりはむしろ脇役・悪役としての登場が多い小太郎。しかしそれが宮本昌孝先生の筆にかかれば一変、爽やかな男たちの生きざまを描かせれば当代随一の作者らしく、忍者離れした一世の好漢として、鮮やかに小太郎というキャラクターを再生させています。

 上にも書いたとおり風魔と言えば北条の忍者。そのため、本作でも北条と豊臣の戦が中心となって描かれるのかと読む前は思っていましたが、それは作中ではあくまでもプロローグ。メインはその後の、戦国時代が終焉を迎えようとする中、肉体のみならず精神においても当時の規格外の存在である小太郎が、いかに己を貫き通すか、という物語でありました。

 作中での小太郎の立ち位置は――北条家、あるいは幼なじみであり最後の古河公方である氏姫という一応の忠誠の対象はあるにせよ――己自身の道を貫く自由人。それは忍びという存在とは一見相容れないもののようにも見えますが、戦国時代の忍びが、特定の主を持たず己の技を売っていた傭兵的存在であることを考えれば、小太郎は最後の戦国人と呼べるかもしれません。

 一方、小太郎と対する存在は、家康のためであればどれほど汚い手でも使う柳生又右衛門に代表されるように、権力に身を委ねるところに己の居場所を求める者か、あるいは己の業前に淫した唐沢玄蕃や欲望のままに悪行を重ねる神坂甚内のように我欲に動かされる者たち。
 前者は「私」を無くし、後者は「私」を暴走させ――そしてその中道を往くのが小太郎、と言えるでしょう。

 そして、この「私」の扱い様こそが、各人の「自由」観とイコールであることは言うまでもありません。
 言い換えれば、本作で繰り広げられる戦いは、「自由」を巡る戦い。
 考えてみれば戦国という時代は、既存の秩序が崩壊した時代ではあるもの、ある意味極めて自由な生き方が許される時代でありました。
 その自由が、徳川幕府の樹立により統一的な社会体制の中に組み込まれていくという、歴史上の大きなうねりの、本作はある意味象徴と言えるかもしれません。

 もっとも、この「私」「自由」といったものの扱いにまつわる問題は、この時代特有のものではなく、いつの時代にも普遍的なもの。
 ことに、表向きは平和でも、内実では不安定な現代という時代においては、小太郎の生きざま――自己を律し、他者を傷つけない自由の中道は、実に魅力的に映ることです。


 痛快な伝奇時代ものとしての楽しさは言うまでもなく――その中で人としての理想的な生き方を示してみせた本作。いささか大部ではありますが、自信を持っておすすめできる作品です。


「風魔」(宮本昌孝 祥伝社全二巻) 上巻 Amazon/ 下巻 Amazon

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2008.01.11

「大帝の剣」第一巻(漫画版) 描写は一流だけど…

 一体何がそこまで駆り立てているのかさっぱりわからないのですが――いや、ファンとしては非常にありがたい話ではありますが――この何年か「大帝の剣」を猛プッシュしているエンターブレイン社。その一環とも言うべきコミック版「大帝の剣」の単行本第一巻が発売されました。

 作画を担当しているのは、お隣韓国の漫画家・渡海氏。恥ずかしながら氏の作品を読むのはこれが初めてでしたが、相当精密な、むしろイラストレーション的な作風の方で、まず絵柄としては一流の部類に入るかと思います。

 内容的には、原作第一巻の冒頭、野伏せりにさらわれた娘の救出を請け負った主人公・万源九郎が、その爆発的なパワーでもって相手を一掃する一方、そこからほど近くでは、訳ありの若い女性を巡り、追う者と追われる者が熾烈な死闘を展開。そしてそこに天空から落ちてきた巨大な流れ星が――という辺りまで。
 …これ、原作をご覧になっている方であればよくおわかりかと思いますが、原作で言えば本当に冒頭も冒頭、プロローグに当たる部分で、この部分だけを一冊かけて描くのはいかがなものかしら、と心配になってしまうのですが、原作も超スローペースなのでそこはまあ良いのでしょう(…良いのかなあ)。

 それよりも何よりも気になるのは、主人公の源九郎が、ビジュアル的にどうにも格好良くないというか、どうも原作のイメージと異なるのです。源九郎というキャラクターの何よりも強烈な個性であり魅力である、その圧倒的な肉体のパワー、質量というものが感じられないのが誠に惜しい。といいますか――色々な意味で失礼な表現で恐縮なのですが――土工のおじさんっぽく見えてしまうのですよね。

 穿った見方をすれば、渡海氏の画の写実的な作風と、源九郎の超現実的な肉体がうまく噛み合っていないのかもしれませんが――
 上記の通り、画的には高水準なだけに、この点が実にもったいない、というほかありません(そういう意味では、板垣恵介先生は本当に素晴らしい)。

 物語はこの先、源九郎も霞むほど個性豊かなキャラクターが次々と登場することになりますが、さてそれがどのように描かれることとなるのか。色々な意味で期待しつつ、注視したいと思います。


「大帝の剣」第一巻(渡海&夢枕獏 エンターブレインビームコミックス) Amazon

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2008.01.10

「立華 白椿」 主客逆転の中の宇宙的恐怖

 おそらくは本邦最大のテーマ・アンソロジーシリーズとして、既に現在のホラー・幻想文学を語る上で欠かすことのできない存在となった「異形コレクション」ですが、その密かな(?)名物といえば、朝松健先生による室町伝奇ものでしょう。
 「遊園地」「闇電話」「夏のグランドホテル」等々、およそ室町に絡めるのは不可能だろうというテーマに対しても、きっちりと中身の詰まった室町伝奇を打ち返してくるその技には驚嘆するばかりですが、第三十九冊目にしてショートショート特集たる最新巻「ひとにぎりの異形」でも、限られた紙幅の中で、ユニークな伝奇世界を描き出しています。

 半ば気触れた老武将のもとを訪れた数奇坊主が見た一輪の花。白椿にも山茶花にも茶の花にも似ていながら、その全てと違う花の来歴を、老武将が坊主に語るのですが…
 その内容をここに記すことは、ショートショートという性質上問題がありますのでここでは伏せますが、人と花という主客が一瞬にして逆転する終盤の展開には、些か大げさかもしれませんが、確固たるものと信じていた足下の大地が崩れ落ちたような恐ろしさがありました。
 視点の転換により、既存の価値観を一瞬にして覆すその様は、コズミックホラーのそれに通じるものも感じられ、なるほどさすがはラヴクラフト/クトゥルー神話を自家薬籠中のものとした作者らしい業だわいと感心した次第です。


 と、これは全く私個人のお話なのですが、昨年の春から生け花を――といっても本当に真似事程度で、生け花というのもおこがましいものではあるのですが――始めた私にとって、本作はより一層恐ろしいものと感じられました。
 我が花を見ているのか、花が我を見ているのか…下手の横好きにとっては考えるだに恐ろしいお話でありますが、しかし一方でこの視点に、華道の真理の一端があるようにも感じられると書いたら、これは蛇足でありましょうか。


「立華 白椿」(朝松健 光文社文庫「異形コレクション ひとにぎりの異形」所収) Amazon


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2008.01.09

今週の「Y十M 柳生忍法帖」 戻った櫛の意味

 さあ新年一回目の「Y十M 柳生忍法帖」は、雪地獄での絶対の窮地から、十兵衛まさかの大逆転の種明かしからであります。

 厳重に警戒されていた雪地獄の中に、どうやって刀が持ち込まれていたか、いやそもそもどうして外に使いに出されたはずのおとねがいたのか?
 その答えは、外に使いに出たのはおとねではなく、そして本物のおとねは刀とともに雪地獄に単身潜入していたから、でありました。

 この使いのシーンは、先日発売されたばかりの単行本第九巻に収録されていますが、わざわざ般若面をつけての使者がいかにも怪しいとは、大抵の読者が感じていたのではないかと思います。しかしそれに加えて、その直前に描かれた、沢庵の懊悩の末の狂乱までもが、この入れ替わり&潜入劇の呼び水であったとは、これはさすが山風先生ならではのミステリタッチの仕掛けだったと思います。

 さてそれでは外に出た般若面の正体は、と言えば、それはかつて十兵衛たちが助けた少女から託された櫛の持ち主、お菊さんでありました。
 実は彼女の設定――というかこの櫛のエピソード――は漫画版オリジナルであり、劇中で初登場した時から、どこかでうまく使われるのだろうな、と思っていましたが、ここで使われるとはナイス脚色。
 ここでごく平凡な、しかし彼女なりの人生を背負った血の通った女性が救われることは、この戦いが単なる復讐のための私闘ではなく、もはや会津の民を救うための大義ある戦いとなったことを示している、と言えるでしょう。
 そして彼女を救ったのが、同じく突然の暴力に襲われるまではごく平凡な女性だったおとねさんというのがまたうまい、と言うほかありません。
 この戦いが繰り広げられる背後で、表には出ないものの、無念の涙を呑んだ者が無数にいる一方で、決して十兵衛たちの死闘が無駄ではないことを、お菊さんの髪に戻った櫛は示しています。

 さて今回のMVPのおとねさんですが、獣心香の効き目で大変な状態に(素で焦る十兵衛がかわいいと思います)。そんな状態でよくぞここまで…と感心しつつも、さすがにそのまま放ってはおけず、ここで香が切れる三日三晩の後まで水入りという展開に。
 しかしここで空気の読めないバカ殿が抵抗を試みて、怒った十兵衛の一刀がスパッと――さてなにを斬ったか、というところで次回は再来週。

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2008.01.08

「あんみつ姫」 全力投球の快作時代劇コメディ

 楽しかった正月休みも終わりの六日晩に放送されたのは井上真央主演の「あんみつ姫」。さすがに原作にも過去の映像化にもほとんど触れたことが無く、放送もフジテレビということで(偏見)さしたる期待もなく観たのですが…これが想像したよりもずっとよくできた楽しい作品で、嬉しい誤算でした。

 お話は単純明快、真実のラヴを求めて城を抜け出したじゃじゃ馬姫が、町で掏摸で弟分たちを養う青年・煎兵衛と出会い、彼らともどもお家転覆を謀る悪党ばらの企みに巻き込まれて騒動を繰り広げる中で、人間にとって本当に大切なものとは何かを学んでいく、というもの。
 そこにしょこたんやら○○王子やらのベタなデコレーションがごっちゃり乗っかって、賑やかに物語が展開していくのですが、それはそれとして(いやそれももちろん含めて)、とにかくキャストとスタッフとの、面白いものを作ろうという意気込みがダイレクトに伝わってきて――そしてそれが意気込みだけに終わらず、理屈抜きに楽しい時代劇コメディとなっていたのには感心しました。

 何よりも、えらく豪華なキャストたちが、楽しそうに馬鹿馬鹿しいことをやってくれるのが嬉しい。冷静に考えると随分勿体ないことをやっているような気もしますが、この無駄遣いがまたお正月らしくて良いではないですか。よく見ると色々なところに小ネタがちりばめられているのも(京本政樹の演じる役が「リュウ」だったり)また良し。クライマックスにはちゃんと大活劇が用意されていて、ストレートな娯楽時代劇ぶりがかえって新鮮に映るほどでした。

 また、単に楽しいだけでなく、泣かせの部分も頑張っていた印象があります。メインになるのは姫と煎兵衛の交流、そして初恋で、これはこれで若い二人が嫌味なく爽やかに演じていて良かったのですが、それに勝るとも劣らなかったのが、もう一組、姫の小姓の甘栗の助と、煎兵衛の妹分で、心の傷から口のきけない少女・おはぎという幼い二人の姿。この二人の姿からは、誰でも一度は経験があるであろう初恋の甘酸っぱさと切なさが――書いている本人もだいぶこそばゆいですが――ヒシヒシと伝わってきて、だいぶ涙腺を刺激されました。
 冷静に見てみればこの辺りのドラマはベタもベタなのですが、これはそれを乗り越えてしまった二人の子役の名演技を讃えるべきでしょう(全く恥ずかしながら存じ上げなかったのですが、この二人、やっぱり有名な子役さんなのですね)。

 そしてラスト、これまで姫を優しく見守ってきた父である殿様の口から語られるのは、人が人を思いやり、慈しみ、愛すること――まさに「ラヴ」の尊さ(さすがにここで拍手はいかがなものかしら、とは思いましたけどね)。
 これが素のギバちゃんが言うともう寒すぎるのですが、時代劇コメディとして散々お祭り騒ぎしてみせた後で、フッとこういうことを言われると、またグッとくるというか…なるほど、普通ではちょっと気後れしてしまうようなストレートな内容でも、こういう作品だからこそ語れることもあるのかと、感心してしまいました。もちろんそれも、キャストとスタッフが全力投球しているからこそですが――

 さらにずるいくらいハマっていたのは、ラストに流れる主題歌――異常に豪華な顔ぶれの「ダイヤモンド」のカバー。原曲は九十年代に青春時代を送った人間の多くにとって何らかの思い入れがあるんじゃないかという名曲ですが、これがまた青春真っただ中のあんみつ姫の姿に見事なまでに重なって…
 どうも今回こっ恥ずかしいことばかり書いてしまいますが、それだけ良くできた作品だったということで一つ。正月休みの終わりに見るには、ぴったりの爽快な作品でありました。


 しかし時代劇に出ると夏木マリはもの凄い破壊力だなあ…


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2008.01.07

「立体忍者活劇 天誅 忍凱旋」 忍者RPGの一つの到達点

 この年末年始はまとまった時間があったのでゲームも色々とできたのですが、その中で思わずはまってしまったのが、この「立体忍者活劇 天誅 忍凱旋」。今なお続く忍者ステルスアクションシリーズの第一作(の完全版)ですが、発売から約十年も経っているにも関わらず、今やっても面白いのには驚きました。

 今頃になってシリーズ第一作に手を出したのは、今まできちんと扱っていなかったのを思い出したからなのですが、グラフィックのクオリティやシステムの洗練度合いで見れば、到底最近の作品には及ばないものが、これほど面白いというのは、やはりゲームの根本の部分がよくできていたのだな、と感心させられます。

 冒頭にも書いたとおり、本作はジャンルで言えばいわゆるステルスアクション。敵と真っ正面からバリバリ戦うのではなく、むしろ正面からの戦いは避けて、隠密活動を旨として任務を達成する類のゲームであります。
 しかし「メタルギアソリッド」シリーズのように、このジャンルの作品のほとんどが現代~近未来を舞台とした軍事アクションなところに、時代もの、それも忍者の世界をもってきたのは、まさにコロンブスの卵。考えてみれば至極当たり前の組み合わせではあるのですが、やはりこれはスタッフの着眼の妙を讃えるべきでしょう。

 時代ものファンとしても、誰でも子供のころ興じた(…もしかして最近はやらない?)忍者ごっこを何百倍もリアルに、スリリングに実現してくれた本作の登場は、ちょっとした驚きでした。
 役柄を演じるという意味において、忍者RPGの一つの到達点とすら言えるのではないでしょうか。
 ちなみに私の場合、精密動作性:E(超ニガテ)なので、隠密どころか、すぐに敵に見つかって、真っ正面から斬り結ぶバイオレンス忍者になってしまうのですが、これはこれで一種の忍者のあり方だ(?)。
 あと、モテモテ王国のファーザーの如く犬の群れに追いかけ回されて瀕死になったり。

 もちろん、リアルという点では、ポリポリした粗い画面はさすがに今となっては見劣りがしますが、闇夜が背景のほとんどを占める本作においては、不思議な味わいを醸し出している…というのはひいきの引き倒しが過ぎるでしょうか。しかし、闇夜に雪が降る中の任務など、これはもう時代劇の美学が横溢、と言ってもいいように思います。

 いずれにせよ、十年間にわたり、三世代のゲーム機で脈々と続いているシリーズの人気の理由を、今更ながらに感じた次第です。


「立体忍者活劇 天誅 忍凱旋」(SME プレイステーション用ソフト) Amazon

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2008.01.06

「討たせ屋喜兵衛 黎明の剣」 武士の道から人の道へ

 遂に判明した真の敵・戸川陣内。かつて喜兵衛の、伊織の運命を狂わせた奸商・伊勢屋と結び、幕府をも揺るがす大陰謀を進める陣内は、同時に喜兵衛の相棒である千歳太夫の父の仇でもあった。奥州三善藩を足がかりに天下を狙う悪人たちとの全ての因縁に決着を着けるため、喜兵衛らは三善藩へと向かう。

 全五巻の「討たせ屋喜兵衛」シリーズも遂にラスト。これまで幾多の仇討ちに関わってきた喜兵衛たちが、遂に自分たち自身の仇討ちに挑むことになります。

 喜兵衛と共に討たせ屋を務める花魁・千歳の仇が、喜兵衛らにとっても不倶戴天の敵であった、というのは些か出来過ぎの感もありますが、しかしクライマックスの怒濤の活劇の連続の前には、そんなことは些末なことに思えます。
(これまでシリーズで登場した四つの秘剣――仇討ちの中で無念の涙を呑んだ人々の想いの結晶――が全て登場というするという展開は、ベタながらやはり燃えます)

 しかし本作の素晴らしい点は、単に燃える大活劇であるのに留まらず、これまでシリーズの中で積み上げられてきた、武士の道と人の道、二つの道を如何に歩んでいくか、というテーマが、見事に収束していくことにあります。
 陰謀に巻き込まれて武士の世界からドロップアウトした喜兵衛が営むこととなった討たせ屋は、仇討ちという、武士としての義務あるいは誉れと呼ばれつつも、人の生きざまとしてはある意味極限状態にある人々を救う稼業。言い換えれば、武士の道と人の道の交差点に立って、そこに迷う人に、往くべき道を照らし出す役割であります。
 もちろん、そんな喜兵衛自身もまた、迷い人の一人であるのですが、しかし本作において、遂に彼は自分自身の道を選び、掴むことになります。そして、それまで歩まされた道が過酷であっただけに――その新しい道は、何よりも尊く素晴らしいものと見えます。

 そしてその様が喜兵衛以上に明確に示されていたのは、彼を仇と付け狙っていた伊織でしょう。常識知らずの女武芸者であった彼女が本作で見せた変化は、一見唐突に見えますが、しかしその芽は彼女自身がこれまでの戦いと、周囲の人々との関わりの中で育ててきたものであることが、シリーズ全てを読み終わってみれば理解できます。
 ヒロインとしてはあまりにエキセントリックなキャラクター造型は、このためだったのか! と、冷静に考えてみれば当たり前の話ではありますが、大いに感心いたしました(作者が作者だけに、好きでやっているのかと思いましたよ…)

 独立した作品としてみると、意味ありげに登場した新キャラがあっという間にフェードアウトしたりと残念な点もあるのですが、まずは全五巻の大団円、大いに楽しませていただきました。


「討たせ屋喜兵衛 黎明の剣」(中里融司 ハルキ文庫) Amazon

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2008.01.05

「オヅヌ」第三巻 藤原氏衝撃の正体

 今日から通常営業です。新年最初に紹介するのは朝松健原作の古代伝奇アクション「オヅヌ」の最新第三巻。
 オヅヌら「キ」の民の生き残りが一族の秘宝を求めて疾走する一方、藤原不比等の出生の秘密を知った妖術師・韓国広足はこれを利用すべく暗躍、そして宮中では肉親・男女の愛憎がもつれて…と、いよいよ伝奇ものらしく物語が転がってきました。

 この巻のハイライトは、やはりオヅヌらの宿敵ともいえる藤原氏回りのドラマでしょう。
 藤原氏としての自分に誇りを持つ不比等。しかしその自分の出自があろうことか――と知った時の不比等の姿は主人公のライバルというよりも、どう見てもヒロインです。ありがとうございました(真面目な話、コウやウノササラよりも美人さん)。

 が、本当のクライマックスは実はその後。衝撃の事実をタテに不比等の父・鎌足を強請ろうとする広足が見たものは――
 不比等の出自に驚かされつつも一息ついたまさにそのタイミングに、ドカンともっともっと衝撃の――いや、さすがにこの展開ばかりは予想できなかった――事実をぶつけてくる、その呼吸があまりに絶妙すぎて、ひっくり返りそうになりました。

 これからいよいよ「キ」の民の秘宝争奪戦と、宮中での勢力争いが激化することが予想されますが、双方に大きく関わる藤原氏がこういう存在であれば、その中で担う役割というものもまたそれにふさわしいものになることでしょう。

 ストーリー展開が些か緩やかなのが毎度のことながら気にかかりますが、いよいよ佳境に入る物語に期待させていただきます。


 しかし怪忍・小子部の栖軽の正体は、やっぱり…


「オヅヌ」第三巻(梶原にき&朝松健 幻冬社バーズコミックス) Amazon

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2008.01.04

NHK新春時代劇「雪之丞変化」 表裏一体の雪と闇

 今年のNHKの新春時代劇は、滝沢秀明主演の「雪之丞変化」。原作小説は約70年前(!)に発表され、これまで幾度となく映像化されている作品ですが、これを果たしてどのように料理してくれるか…期待半分恐れ半分で見ましたが、これが、二時間弱という限られた時間の中で思っていた以上に原作に沿った作品となっていました。

 作品自体は、三人の悪人に嵌められて財産も妻も全てを失って狂死した大商人の遺児が、長じて花形歌舞伎役者となって、悪人たちに復讐を図るというお話。原作では悪人は五人でしたが、その辺りはドラマを時間内に収めるために仕方のない改変ですし、不自然さはなかったかと思います(もっとも、こちらはオミットされなかったお初(高岡早紀)と門倉平馬(嶋田久作)が、原作では色々と活躍したにもかかわらず出番が非常に少なくなってしまったのは残念)。

 さてこの雪之丞、実は剣の達人でもあるのですが、しかし直接悪人に手を下すということは基本的にしない。ではどうやって復讐を…と言えば、その主たるものは、悪人の首魁・土部三斎の娘で将軍の側室である浪路を、平たく言えばたらしこんで操ってしまおうというもの。
 冷静に考えると、いかに強大な相手にほとんど徒手空拳で挑むとはいえ、随分とヒーローらしからぬ手段ではありますが、もちろんそこで雪之丞が自分の良心との葛藤に悩まされる様が、ドラマのキモと言えます。
 元々この原作は華やかな印象とは裏腹に、かなり色と欲が入り乱れる内容で(考えてみれば浪路だって世間知らずのお嬢様っぽい造形ではありますが、客観的に見れば役者遊びで身を持ち崩した大変な娘さんであります)、その辺りうまく料理しないと相当生臭くなってしまうのですが、そこをこのドラマでは滝沢秀明と戸田恵梨香という、あまり生臭さを感じさせない美男美女を配することで、うまく回避してみせたな、という感がありました。
 もっとも、浪路の悲劇は戸田恵梨香嬢の熱演もあって、原作以上に悽愴苛烈なものとなりましたが――

 もう一つ面白いな、と思ったのは、第二の主人公と言える義賊・闇太郎の存在。この闇太郎というキャラクターは、最初の映画化以来、雪之丞役が二役で演じるのがお約束になっていて、今回のドラマ化でもそれは踏襲されております。この二役、確かにお芝居的には華がありますし良いのですが、ドラマ的にはそんなに必然性ないよな…(原作でも別に瓜二つ設定でもなかったですしね)と以前から思っていたのですが、今回のドラマを見ていて何となく理解できました。闇太郎は、文字通り雪之丞のダークサイドの体現という役割を担わされているのですね。
 闇太郎は基本的に貧しい者には優しい義賊で、雪之丞の意気に感じてその復讐を助けるキャラクターではありますが、ドラマでは、浪路への接し方や悪人の一人・長崎屋へのほとんどテロ活動に近い攻撃など、かなり冷徹な側面も持つ人物として描かれていたやに感じられました。もちろん復讐劇である以上、綺麗事ばかりでは済まないのは当たり前、ましてや強大な敵を相手にしているのですから…とは言うものの、雪之丞一人ではこのような手段は使えなかったのは明らかな話。彼と心を一つにしながらも、彼以上に非情かつ直接的手段を行使し得るキャラクターが、ドラマ的に必要になることがわかります。
 また、元々は他人の割りには異常なまでに闇太郎が雪之丞に肩入れするのも、彼が雪之丞とドラマ的には表裏一体のキャラクターであることを考えれば、理解できるような気がします(正直な話、原作だけではどう考えても闇太郎って雪之丞のことを…としか思えないのですよね)。更に言えば、原作とは異なる闇太郎の去就も、復讐を終えて、雪之丞にダークサイドは不要となった、と解釈することができるでしょう。

 と、わかったようなわからないような理屈をこねくり回してしまいましたが、往年の名作が、こうして現代のキャスト・スタッフの手で復活するというのはありがたいお話(もっとも、新年早々観るには少々重たい内容ではありましたが…)。これを機に、絶版になっている原作小説も復刊していただけるとありがたいのですが、さすがにそれは難しいかな。


 …あと、本多博太郎の暴走っぷりが異常でした。声優で言えば規夫みたいな存在感だな、ありゃあ。

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2008.01.03

「徳川風雲録 八代将軍吉宗」 大作ではあったけれども…

 時代劇ファンにとっての新年のお楽しみは、といえば、やはりテレビ東京の新春ワイド時代劇。しかも今年は柴錬先生原作ということで楽しみにしていたのですが…一部分を除いて、ちょっと微妙だったなあ、という印象が強くありました。

 物語は、大きく吉宗パートと天一坊パートと二つに分かれる中で、その前者がどうにも微妙。基本的に五代~八代将軍の幕政史なので、さしてストーリーに新味があるわけでもなく、またキャスティング的に面白いわけでもなく…
 特に、主人公たる吉宗を演じた中村雅俊が――こういうことを書くのは嫌なのですが――華がないことおびただしい。人間吉宗を描くというコンセプトだとは思うのですが、人間味があるのと情けないのは別でしょう。息子が大変になっているのに田中美里とイチャコラしている場合か! などと突っ込みを入れたくなってしまいました。
 さらにファンの方には大層申し訳ないことではありますが、内藤剛志が宿敵役というのもちょっと――柴錬作品で言えばむしろ主人公の忠実なお供の忍者顔だよなあ、という印象なので、最後まで違和感が拭えませんでした。

 が、そんな微妙な印象の本作の中で、一人大いに好印象だったのが、吉宗の青年時代と天一坊を演じた内田朝陽の好演。
 柴錬作品の倨傲な美剣士的ビジュアルもさることながら、天一坊として、己の出生を知らず、それ故に己を小悪党と思いこむことでアイデンティティとしようとしていた暴走ぶり、そして一転、己の父が天下の将軍・吉宗と知った際の周章狼狽ぶりなど、若さ故の未熟さが、うまく演じ出せていたと思います。
 己の若さ故に道に迷い、やがて自滅していく青年というのは、柴錬作品にしばしば登場しますが、それをしっかりと体現していたと感じました。

 また、その彼を初め弟の仇と付け狙い、そしてそれが彼を真人間への道へと導くこととなるヒロイン(と言い切る)春菜役の星野真理さんも、凛として、しかし儚げな姿が柴錬ヒロインチックで大いに良かったと思います。

 もっとも、その若いカップルの姿が瑞々しく描かれていればいるほど、結末は何とも苦く哀しい――というより後味悪いものになるのですが…
(そんなラストでただ一人男を見せたのが、大地康雄演じる大悪党・雲霧仁左衛門だったというのが面白いところ)

 結局のところ、確かに大作ではあったものの、十時間という長さを持て余して、二つのパートがうまく融合できなかった感はあり――その点、同じ原作を、南原幹雄先生の「御三家の犬たち」とミックスさせてしまった86年の「徳川風雲録 御三家の野望」は、無茶苦茶やったようでいて、なかなかうまいアイディアだったと思います――キャスティングの微妙さと相まって、個人的にはすっきりしない作品でした。とはいえ、前述の通り内田朝陽がもっともっと時代劇に出て欲しい役者さんとわかったのは何よりの収穫。これからの活躍に期待したいと思います。


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2008.01.02

ネズミと伝奇時代もののお話

 さて、今年はネズミ年ということで、ネズミにまつわるお話を少々。
 ネズミと言えば、やはり家に住みついて食べ物を齧る厄介者、という印象。特に基本は農耕民族の日本人にとっては、ネズミの害というのは、やはり相当に恐ろしいものだったのだろうと容易に想像できます(というか今家にネズミが出没するので身を持って感じてます)。

 が、その一方で、七福神で田の神様でもある大黒様の遣わしめはネズミですし、多産であるネズミを豊かさのシンボルとするなど、ポジティブな捉え方もあるのが面白いところです。
 この大黒様とネズミの関係はどうも「古事記」で大国主神が野火に囲まれた際に、ネズミが地下の空洞を教えたことにより難を逃れて以来の付き合い(?)のようですが、この辺りからネズミは地中異界の住人というイメージがついて回っている様子。昔話の「おむすびころりん」も、この流れですね。

 と、前置きがずいぶん長くなってしまいましたが、時代伝奇・怪奇方面でネズミといえば、すぐに思いつくのは二人の怪人です。

 まず一人は頼豪阿闍梨。白河天皇の皇子誕生を祈祷し成功したものの、恩賞を延暦寺の横槍でフイにされ、恨みを呑んで死んだ果てに、怪鼠と化して延暦寺の経巻を食い破ったという人物です。
 このお話、「平家物語」をはじめとして様々な書物に記されていますが、高僧とネズミの妖魔という組み合わせが面白いのか、フィクションの世界でも、山東京伝の「昔話稲妻表紙」や馬琴の「頼豪阿闍梨怪鼠伝」に、頼豪本人あるいはモデルとしたキャラクターが登場しています。
 最近の作品にはあまり出番がないのが残念(?)ではありますが、これはやはり山門寺門の対立を知らないとその怨念の背景が今一つわかりにくいためなのかもしれません…(もっとも、その妖怪化した姿は「鉄鼠」として京極夏彦先生の作品で知られることとなりましたが――)

 さて今一人は歌舞伎の「伽羅先代萩」に登場する仁木弾正。お家壟断を目論む奸臣にして、大ネズミに変化する妖術師というユニークなキャラクターであります。
 元々、この物語は伊達騒動の舞台化であり、仁木弾正にも原田甲斐というモデルがいるのですが、もちろん現実の原田甲斐は(たぶん)妖術とは無縁の人物。それが何故、妖術師に、それもネズミの妖術を…というのは、恥ずかしながら不勉強ゆえ謎なのですが、花道のスッポンからドロドロと登場する姿は実に格好良く、強烈に印象に残ります。
 この人物を扱った作品としては、山風の「忍者仁木弾正」がありますが、しかし最もユニークなのは朝松健の「妖術先代萩」でしょう。妖術師・仁木弾正を、モデルである原田甲斐と真っ正面から絡ませた上で、あっと驚く正体まで用意してみせた本作は、古体な怪人を見事に現代に蘇らせてみせた隠れた快作であります。

 と、時代ものでネズミといえばもう一人――そう、鼠小僧次郎吉です。この希代の怪盗を主人公とした作品、あるいは脇役とした作品には枚挙に暇がありませんが、私個人として一つあげるとすれば、山風の「お江戸英雄坂」でしょうか。
 津軽藩主を襲撃とした下斗米秀之進、後の南町奉行・鳥居耀蔵、そしてケチな盗賊・鼠小僧…現代に英雄としてその名を残したのは誰か、という作者の皮肉が強く印象に残ります。


 さて――とりとめもなくネズミをネタに書いて参りましたが、最後に時代ものに登場したネズミで最も私の印象に残ったものを挙げるとすれば、それは「忍者武芸帳」に登場した地走りであります。
 さしもの影一族ですら逃走する、躱すしかなかったあの鼠禍こそ、時代もの最強のネズミじゃないかなあ…

 と、新年の幕開けに全くふさわしくないオチで申し訳ありませんが、ネズミのお話はこれでおしまい。

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2008.01.01

あけましておめでとうございます

 新年あけましておめでとうございます。
 本年も、時代伝奇シーンを盛り上げるべく、微力ながら頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします。
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 漫画・ゲームでは、ファンタジーの一バリエーションとして時代伝奇ものが一定のウェイトを占めている感がありますが、肝心の小説の世界では、正直なところ、時代伝奇ものの新作点数が減少しつつある状況。
 ここ数年見られるように、時代小説プロパー以外の作家から、新たな作品が登場することにも大いに期待しておりますが、やはりプロパーの方々の作品にも期待したいところです。

 と、わかったようなことを書く一方で、当サイトの今後の予定ですが、もちろん毎日の更新でこれからも様々な作品を紹介していく一方で、データ・企画面でも充実させていきたいと思います。
 具体的には、過去に当ブログで取り上げた作品のきちんとした索引の整備と、登場人物から逆引きできる作品リストを作る予定です。
 また、それ以前に本サイトが実は壊滅状態なので、きちんとした形に整備しなくては…と考えています(やっぱり今はxoopsかしら)。
 …と言いつつ、年越しで作業していたのは、何故か「平安風雲伝」の攻略wikiだったのですが――

 何はともあれ、今年は昨年よりもっともっと楽しい一年となりますよう、一層精進する所存です。

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