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2008.03.07

「神変卍飛脚」 クロスオーバーな超忍者伝

 残念ながら今ではほとんど一般の方からは忘れ去られているけれども、個人的には非常に気になるという作家が何人かいるのですが、宮崎惇もその一人です。
 日本SF黎明期から活動してきた氏には、SF+時代劇、ファンタジー+時代劇という、今ではさほど珍しくないクロスオーバー的な作品の先駆とも言うべき作品が多いのですが、この短編「神変卍飛脚」もその一つであります。

 武田勝頼が、その死の直前に真田昌幸に遺したという甲州金の謎を巡り、猿飛佐助・風魔小太郎・服部半蔵の三人の忍者が鎬を削る本作は、ごく普通に忍者ものの時代伝奇小説として読んでも水準に楽しい作品。時代もの・忍者もののノンフィクションもものした作者らしく、忍者の操る術や、使う忍具の数々の解説も描き込まれています。

 しかしそうした「普通の忍者もの」的ディテールは、むしろ本作の特異性を浮かび上がらせるための前フリとでも言うべきもの。本作の眼目は、そんな真っ当な忍者たちの及びもつかぬ超絶の能力を発揮する、三人の超忍者の姿にあります。
 瞬く間に己をそして他者を遠隔地に移動させる佐助、手を触れずして周囲のものを自在に動かし破壊する小太郎、相手の心に浮かんだことを己の掌中にあるが如く読みとる半蔵…
 これらの能力は、言うまでもなく様々な小説や漫画でお馴染みのものですが、それがいざ時代小説の中で、それもお馴染みの忍者たちの能力として描かれると――上記の通り普通の忍者ものの枠がきっちりと描かれているだけに――なかなかにインパクトがあります。

 冒頭に述べたように、こうしたクロスオーバー自体は今ではさして珍しくありませんが、一種のコロンブスの卵と呼ぶべき作品であります。

 惜しむらくは、短編であるためか――個人的には本作、長編化の構想もあったのではないかと想像するのですが――終盤が些か慌ただしく、これで終わり? という印象もあるのですが、そういった点を含めてもなお、愛すべき作品と思っている次第です。
(ラストに記された、三人の能力の源についての文章が、またプリミティブな楽しさがあってよいのです)


「神変卍飛脚」(宮崎惇 大陸文庫「日本妖忍列伝」所収) Amazon

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コメント

宮崎惇というと、どうしても聖マッスルを一番に思い浮かべてしまいます。
聖マッスルの正体は実は超古代の天皇だったという凄すぎるネタもあったみたいですが、未完なのが悔やまれます。

投稿: 木村 | 2008.03.07 06:03

確かに一番メジャーな作品かもしれないですね>聖マッスル

上の記事で触れようかどうかと思いつつ結局書かなかったのですが、宮崎先生はSF以上にヒロイックファンタジーの世界の先駆者として、評価されるべき方ではないかと思っているところです。

投稿: 三田主水 | 2008.03.08 01:27

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