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2008.04.27

「風林火山 晴信燃ゆ」 晴信自身の物語

 日生劇場で舞台版の「風林火山 晴信燃ゆ」を観て参りました。大河ドラマで武田晴信を演じた市川亀治郎がそのまま晴信を、いやそれだけでなく一人二役で山本勘助まで演じるということで気になっていたのですが、千秋楽一日前にようやく観ることができました。

 その印象を一言でいえば、「風林火山」晴信side、というところでしょうか。原典では山本勘助の(視点からの)物語であった「風林火山」を、一度解体した上で、晴信自身の物語として再構成してみせた内容となっておりました。
 さすがに一年間のドラマ全てを三時間半の舞台にまとめるのは困難で、第一幕は三条婦人の輿入れから由布姫と勘助が武田家に入るまで、第二幕は勝頼の誕生から由布姫の死までが描かれていますが、面白いのは敵方はほとんど登場せず、ほぼ全て、武田家内で物語がクローズしている点です。

 その中心となっているのは、晴信と信虎、晴信と息子たちの――つまり、父と子の相克の物語。
 父に疎まれ、そしてその父を追放した晴信が、今度は己の息子の扱いように悩み苦しむ様が、武田の女たち、家臣たちの人間模様を交えて描かれることにより、単純に英雄でも梟雄でもない、人間晴信の姿が、本作では浮かび上がる仕掛けとなっており、なかなか面白い構成であったと思います。

 この晴信を演じた亀治郎は、さすがに勝手知ったる舞台の上というべきか、若き日のうつけぶりから、天下取りを目指して乱世に乗り出すまでの姿一つ一つを好演、ことにラストの白馬にまたがって宙を行く際の、まさに莞爾とした笑みは実に格好良く見えました。カピバラなんて言ってゴメン。
 また、一人二役で演じた勘助の方も――出番は唖然とするほど少ないものの――これはドラマ終盤のイメージを取り入れてか、発声もどこか内野勘助チックな演じぶりで、演じ分けの妙に感心しました。

 ドラマと比べてしまうと、上記の通りあまりにも勘助の存在感が希薄なことや、人物の善悪が明確に描かれすぎていること、女性陣の出番の少なさ(特に由布姫ですが――これは個人的にはOK)など、気になる点も色々ありますが、冒頭に述べたとおり、晴信中心の物語と考えればこれはこれで正解かと思います。
 終盤、どのように物語をまとめるのかというところに、晴信の内面を代弁する存在として由布姫・信廉・駒井の三者を登場させて晴信の周囲で語らせる、演劇的手法もユニークであったかと思います。

 出演者も、歌舞伎から新国劇、蜷川から新感線まで、多岐に及ぶ出自ながら、それをうまくまとめてみせた、なかなか面白い舞台でありました。

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