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2008.05.31

「歴史群像presents ものしり幕末王」 日本の夜明けはクイズが招く?

 時代ものゲームを数多く手がけているグローバル・A・エンタテインメントと学研が組んでのニンテンドーDSソフトはこれで三作目。一作目の「ものしり戦国王」はなかなか面白い作品で本ブログでも紹介しましたが、二作目の「ものしり江戸名人」は、何とも「…」な出来映えで、さて本作は? といえば、これは一作目の流れを汲む、なかなかゲーム的アレンジの面白いソフトとなっておりました。

 本作は、二十四の藩・組織に分かれた幕末の日本を、プレイヤーが選んだ「徹底佐幕」「武力討幕」「平和改革」の三つの思想のうち一つで統一するのが目的。まあ、思想という形ではありますが、国取り合戦であることは間違いありません。
 そしてその思想統一の手段はといえば、各地に何人かずついる人物を説得して、自分の思想に共鳴させるというもの。その説得がクイズ形式というのは、まあクイズゲームなので当たり前(?)であります。

 しかし本作最大の特長は、各地に定住している人物以外に、日本全国を飛び回っている志士の存在でしょう。プレイヤーが自分の思想を広めるのと同様に、彼ら志士も日本全国を飛び回って自分の思想を広げんとするのです。
 この志士たちは、説得すれば仲間として同行してくれる(クイズの時に特殊能力で助けてくれる)のですが、しかし彼らを捕まえるのが容易ではない。偶然、自分の赴いた先にいればともかく、そうでなければ、まず彼らの知人を説得して、さらにそこでつながったつてから相手がどこにいるかを突き止めて、説得に向かわなければいけないのです(ちなみに、志士の知人が誰か、そして志士がどこにいるかを知ることができるのが「遊郭」というのがなんかスゴイ)。

 と、ここまで書くと、オールドゲーマーの方であれば、アレに似ているな、と思われるかもしれません。そう、本作の雰囲気は、往年の名作ゲーム「維新の嵐」によく似たものがあります。
 あの作品をもっとシンプルにして、クイズを盛り込んだもの、と思っていただければいいのではないでしょうか。

 ちなみに肝心のクイズの方は、難易度が低いものは小学生レベルの問題ですが、高くなると、一般常識の範囲内では到底太刀打ちできないものばかり(○○事件で切腹した人間の姓と名を結べとか、天誅された人物四人を殺された順に並べよとか…)。
 ちょっと問題数が少な目なのか、ダブり出題も結構あったような気がしますが、しかしクイズとしても、相当しっかりした内容であることは間違いはありません。
 一風変わった幕末ゲームとして、幕末ファンの方は楽しめるのではないでしょうか。


「歴史群像presents ものしり幕末王」(グローバル・A・エンタテインメント ニンテンドーDS用ソフト) Amazon


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2008.05.30

「江戸のナポレオン伝説」 ナポレオン、日本に来たる?

 江戸時代にナポレオンが、と言うと、「びいどろで候」とか「仕事人アヘン戦争へ行く」とか、いかものめいたものを連想してしまいますが、もちろん本書で扱う内容はそれとは異なります。
 閉鎖的な外交環境にあった江戸時代に、ナポレオンという存在が、いかに受容され、いかに影響を与えていったかを述べた研究書であります。

 そもそも、ナポレオンが生きた時代が日本ではいつ頃にあたるか見てみれば、ナポレオンが誕生した1769年は日本では明和六年、御用人田沼意次が老中格になった年であり、フランス皇帝になった1804年は文化元年、高野長英が生まれて間宮林蔵が宗谷海峡を探検した年。そしてセントヘレナ島で没した1821年は文政四年、「大日本沿海輿地全図」が完成した年――要するに江戸時代後期、しばらくすると幕末の足音が聞こえてくる時期であります。

 そう考えてみると、江戸時代にナポレオンの情報が入ってきても何ら不思議ではないように思えますが、もちろん状況は単純ではない。鎖国状態にあったことはともかくとして、欧州での唯一の貿易相手であったオランダが、実はそのナポレオンのフランスに破れ、その支配下に置かれていた状況(そしてこれが、かのフェートン号事件の背景なのですが)で、オランダがその事実をひた隠しにしてきたことが話をややこしくしたと言えます。

 本書でまず語られるのは、そのような状況下において、当時の日本の学者・研究家たちが、如何にして当時の欧州の大変動を察知し、その中心たるナポレオンの存在を知ったか、知らざるを得なかったが語られます。
 それは裏返せば、遠く欧州でのナポレオンの動向の影響が、結果的に日本においても無視できないものであったということであり、さらに言えば、いかに鎖国下であったとしても、日本が諸外国の動向と無縁ではなかったということの現れ。冷静に考えれば全く当たり前のことではありますが、一見全く関係のないような一個人の動向が、津波のごとく日本にまで押し寄せてくるという歴史の、国際政治のダイナミズムには感心いたします。

 しかし個人的に実に興味深く感じられたのは、その次に語られる、個人レベルにおいても、ナポレオンがやがて日本に受け入れられていく様であります。
 「日本外史」を著した儒学者・頼山陽が、ナポレオンを顕彰する詩を詠んでいたというのは(知識としては知っていましたが)ちょっとしたトリビアというべき事実。その内容自体は、確かにナポレオンを中国の英雄豪傑のように描いており(それはそれで実に楽しいのですが)、あまりにも無邪気な英雄礼賛ではありますが、しかし日本においては極めて安定した政治・社会状態にあった――そしてそれは身分の固定化と同義であった――時代において、元は平民に過ぎなかった一個人が天下を揺るがしたという事実は、上記のマクロなレベルとは別の意味で、十分に衝撃的であったろうと納得できます。

 そしてその衝撃が、後の佐久間象山、吉田松陰にも――つまりはその門下にあった、思想の影響下にあった数多くの人々にまで――影響を与えたというのは、伝奇小説顔負けの展開ではありませんか。

 もちろん、マクロレベルにおいても、ミクロレベルにおいても、ナポレオンが日本に与えた影響を過大評価することは、現実認識を誤ることになるかとは思います(あくまでも、影響の一要因として考慮すべきでしょう)。
 しかし、日本においてナポレオンの存在が認識され、受容されていたということは紛れもない事実であり、その点に私はたまらない興味を覚えるものであります。


「江戸のナポレオン伝説 西洋英雄伝はどう読まれたか」(岩下哲典 中公新書) Amazon

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2008.05.29

「戦国ゾンビ 百鬼の乱」第1巻 壮絶ゾンビ時代劇堂々の開幕

 徳川家康らの連合軍の前に風前の灯となった武田家。武田家直衛の赤葬兵副隊長・土屋昌恒らは、武田勝頼の一子・信勝を守って天目山に向かう。が、敵に追われ洞窟に逃げ込んだ一行を待っていたのは、人のようで人であらぬ死身の怪物たちの襲撃だった。武田・徳川を問わず襲いかかる怪物たちの正体は…

 タイトルを目にしたときから、これはっと思っていた作品の単行本第一巻が発売されました。「戦国ゾンビ」…一歩間違えれば冗談のような内容ですが、本気も本気、武田家が滅亡した天目山の戦いを舞台に、ロメロ調のゾンビ――すなわち、単なる歩く死体ではなく、積極的に人を喰らい、吸血鬼的に仲間を増殖させていくあれ――が大暴れする怪作…いや快作であります。

 この第一巻は、まだまだ物語の導入部といったところ。一口に言えば、天目山に逃れた武田信勝一行(と武田本隊、さらには徳川らの連合軍)が、生ける死者の群れに襲撃される、というそれだけの内容なのですが、荒削りながらなかなかに迫力がある絵柄の前に、細かいこと(?)は気になりません。
 生ける死者が何者なのか、どこから来て、何のために戦うのか、それはまだ全くわからないのですが――とにかくそんなことを考えている暇があったら、戦え! 逃げろ! と言わんばかりの地獄絵図であります。
(どのくらい地獄かといえば、丸太が欲しくなるくらい)

 この生ける死者の群れに、信勝を守って戦いを挑むのは、武田家精鋭の赤葬兵七人衆。
天目山の戦では片手で千人を斬ったという逸話が残る土屋昌恒を筆頭に、いずれも一芸に秀でたプロの戦士たちが、死なずの怪物たちを向こうに回して如何に合戦するのか、これは大いに興味をそそられます。
 実は姫だった信勝、実は生きて天目山の地下で一行を待つ山本勘助(…たぶん犯人はこの人でしょうな)といい、伝奇的なガジェットも面白い本作、これは今後も要チェックです。


 ちなみに…時代劇にゾンビ、というのは、もちろん珍しくはありますが、絶無ではありません。
 平賀源内がゾンビ軍団を率いて江戸を騒がす都筑道夫の「神州魔法陣」をはじめとして、ゾンビ大好きの菊地秀行の時代ものには、しばしばゾンビテーマがありますし、火坂雅志にも、関ヶ原を舞台としたゾンビ大戦「関ヶ原幻魔帖」があります。そして最近では、おそらく色々な意味で最低最悪のゾンビ軍団が登場した荒山徹の「魔風海峡」がありました。

 本作もこの豊穣な(?)ゾンビ時代劇に連なるものとして、期待したいと思います。


「戦国ゾンビ 百鬼の乱」第1巻(横山仁&柴田一成 幻冬舎バーズコミックス) Amazon

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2008.05.28

「若さま同心徳川竜之助 空飛ぶ岩」 柳生新陰流、意外なる刺客

 相変わらず快調な風野真知雄先生の「若さま同心 徳川竜之助」に、早くも第三弾が登場しました。
 幕末を舞台に、田安家に生まれながらも家を飛び出し、町方同心として暮らす徳川竜之助の活躍を描く本シリーズも、すっかり風野作品のシリーズ作として、定着した印象があります。

 本書はシリーズの他の作品、いや、他の風野作品同様、ライトミステリタッチの短編と、それと平行して展開する大きなエピソードの組み合わせという構成。
 その意味では(風野ファンにとっては)定番スタイルで特に新味はありませんし、ミステリ的にみてもそれほど凄いことをやっているわけではないのですが、しかし、堅調と言いましょうか安定していると言いましょうか、安心して楽しめることは間違いありません。

 そんな本作の楽しさを支える魅力の一つが、キャラクター造形の楽しさ。レギュラーキャラは言うまでもなく、この巻の脇役で言えば、「仏」と呼ばれたがっているのについつい怒ってしまうお人好し同心とか、何かと点数をつけないと気がすまない与力とか、しょーもないのにどこかユーモラスなキャラを、わずか数行の描写で(これ重要)浮き彫りにしてみせるのは、これはやはり作者の腕と言うものでしょう。

 さて――捕物帖としての楽しさだけでなく、伝奇チックな側面もあるのが本シリーズ。それが上記の「大きなエピソード」である、竜之助が会得した葵新陰流を巡る物語です。
 他流に存在しない秘剣を伝えるもう一つの新陰流・葵新陰流を会得した竜之助を狙い、他の新陰流が送り込む刺客との戦いが、本作のもう一つの魅力。この第三作目では、ついに柳生新陰流の刺客が出現しますが、しかしそのキャラクターの意外性たるや…

 とはいえ、(少々ネタバレ気味になりますが)この刺客、意外ではあるのですが、正直に言って、キャラクター設定といい決闘のステージといい、あまりにも竜之助の秘剣・風鳴の剣ありきに見えます(というか、もの凄くあっさりと正体をバラしてしまうのはやはり不思議)。
 しかし、外界との接触を拒否し、ただ柳生新陰流の勝利のみを望む刺客と、徳川の時代が、家が終わることを知りつつ、外の世界に出て己の道を探そうという竜之助とは、ある意味好一対。やはりこの辺りはうまいものだ…と感心いたします。

 この両者の決闘が、実にいい所で終わってヒキとなった今回。もう一つの大きなエピソードである、行方不明となっていた竜之助の母の存在もクローズアップされてきて、次の巻が早くも楽しみであります。


「若さま同心徳川竜之助 空飛ぶ岩」(風野真知雄 双葉文庫) Amazon


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2008.05.27

今週の「Y十M 柳生忍法帖」 剣鬼遂に散る

 ラストまで本当にあとわずか! というところで一週おあずけとなってしまった「Y十M 柳生忍法帖」、前回ラストは、知っている人はよく知っているけど、知らない人は全く知らない木村助九郎をはじめとする剣士たちが登場したところまででした。今回の冒頭で明かされるその正体は――

 彼らの正体こそは柳生新陰流の長老・高弟十人、その名も柳生十人衆柳門十哲。松尾芭蕉の高弟たち「蕉門十哲」のもじりだと思うのですが、実に素晴らしいネーミングです。漫画の中では明かされませんでしたが、その他のメンバーも出淵平兵衛、庄田喜左衛門、村田与三、狭川新左衛門と、柳生ものの小説などではお馴染みの面子。ほとんど柳生新陰流オールスターと言うべき顔ぶれで、実に頼もしい援軍ではあるのですが、まだ大物が――柳生但馬守宗矩、言わずとしれた柳生十兵衛の父であります。

 が、父親の顔を見た十兵衛、先週までの格好良さはどこへやらのガクガクとした、緊張したとも凍り付いたとも見える表情に…オーラスに主人公がこんな顔をしているのは大問題ですが、幸い事態は凄まじい勢いで展開中。宗矩に続いて現れたのは、江戸にいたお千絵とお笛が、クライマックスにギリギリ間に合って只今到着です。
 しかし再会を喜ぶ間もなく、磔台から解き放たれた五人とともに向かう先は、蛇の目は一つ、漆戸虹七郎。十兵衛のないものを――既に潰れていた側の眼を――奪ったのと引き替えに、あるものを――残された隻腕を――失った彼に既に戦闘能力はなく、七つの刃に貫かれ、さしもの剣鬼もついに地に伏します。
 と、ここで注目すべきは、虹七郎が七つの刃に貫かれるまで、その口から桜の枝を離さなかったこと。前回の感想で触れたように、原作では敗北を悟った後自ら枝を落として、卑怯にも鉄砲隊で十兵衛たちを撃ち殺そうとしたのですが、こちらではそのような挙に出ることなく――最後の最後に惨痛に耐えかねてか食いしばった歯が枝を噛み折るまで、自らの剣士たる証としての枝を離すことはありませんでした。
 前回の感想のコメントに、この「Y十M」では、虹七郎は卑怯な手は使わない、ある意味あくまでも純粋な剣士として描かれているのではないか、というご指摘をいただきましたが、これはまさに慧眼であったと申せましょう。どうにもやられ役としての存在感が先に立った感のある会津七本槍でしたが、最後の最後で男を見せてくれました。

 さて、残るは諸悪の根元、バカ殿加藤明成の仕置きのみ。ここまで来ても見苦しく明成は己の堀一族への仕置きが、幕法に則ったものであると強弁しますが、しかしここに満を持して登場した天樹院千姫様が切ったカードは、意外、そちらではなく、物語の冒頭に描かれた、会津七本槍による鎌倉東慶寺蹂躙の罪でありました。
 これは確かに意表を突いた切り札――というのもこの罪、咎めようと思えばいつでも咎めることができたはずであって、要するに最初にこれをやっておけば、ほりにょの艱難辛苦の日々もなかったはずなのですが…もちろんそれを言うのは野暮というもの(というより、物語の冒頭で千姫自らがこの手段の存在を匂わせているのですが)。
 自らが想像だにしなかった――それこそが、この男の外道たる所以の一つでありますが――罪で裁かれるというのは、まさに溜飲が下がるというかなんというか。しかも、己の息子からも絶縁同様に扱われ、領国を失って一人、石見国(今の島根)に流されると…明成の息子は、原作では登場しませんでしたが、史実に対しては真面目なせがわ先生、ここで明成への追い打ちとして(名前のみとはいえ)再登場させるというのが面白い(しかし、千姫の言う「地獄」の意味が原作とちょっと変わっているのも興味深いですな)。
 何はともあれ千姫のドSっぷりに惚れ惚れしました(しかし「ごみょうだい」だよねえ…?)。

 さて、今回のサブタイトルは、「尼寺五十万石」――尼寺と争った挙げ句に敗れて四十万石をふいにした明成にとってはまことに皮肉なタイトルですが、実はこれ、原作「柳生忍法帖」の旧題。ここでこれを持ってくるとは、何とも心憎い仕掛けではありませんか。

 さて、次回でついに最終回ですが、そのサブタイトルは、やはりあれ以外ないでしょう――感動の大団円まで、一週間をずいぶん長く感じることになりそうです。

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2008.05.26

六月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 あああああ、いつもより短かったけど楽しかったゴールデンウィークが終わっちゃった…とのたうち回っていたのもつかの間、もう六月も目前。
 こりゃいつまでも過ぎたことを振り返っていないで、次の楽しみを目指して生きろということでしょうか。何しろ、今月は私の一番好きな時代漫画が…というわけで、六月の時代伝奇アイテム発売スケジュールです。

 というわけでまずは小説ですが、何たる偶然か、同日に「サラン・故郷忘じたく候」「処刑御使」と荒山作品が二点発売されます(前者はより真っ当らしく見える形に改題されてますな…)
 それはさておき、目を引くのは旧作の復刊。この春から柴錬作品を復刊させているランダムハウス講談社からは、「決闘者宮本武蔵」が刊行開始です。さらに角川文庫からは、突然旧作の刊行ラッシュ。「安吾捕物帖」「血みどろ砂絵」など懐かしい作品に混じって、ほんとに不死身だなの「髑髏検校」がまたも登場。ここしばらくの角川文庫の装丁ははっきりいっていまいちですが、今回くらい昔のままで出してくれないかしら…
 その他小説では、「玄庵検死帖」の第二巻が登場。また、「マーベラス・ツインズ」待望の第四巻も発売されます。

 そして今月も快調なのは漫画。初登場は、「赤鴉」も快調なかわのいちろう先生の「土竜の剣」くらいですが、続刊の方では「悪忍」「無限の住人」「×天」「乱飛乱外」そして「殿といっしょ」と、かなりの充実ぶりです。
 しかし個人的に最も注目の作品は――遂に復刊される「矢車剣之助」! 堀江卓先生によるスーパー時代アクション大活劇が! 長いこと単行本が復刊されていなかったあの快作が! とうとう復活です。
 何をこんなに興奮しているのか、と思う方も多いと思いますが、とにかくその突き抜けぶりが尋常ではないこの作品、かの菊地秀行先生も激賞しておられた…といえば、なんとなくわかっていただけるでしょうか。
 私自身は以前全十巻で刊行された版を持ってはいるのですが、これを期に大々的に取り上げたいなあ…

 最後にゲームでは(これは和物と言ってよいかわかりませんが)長いこと延期となっていた「風来のシレン3 からくり屋敷の眠り姫」が発売。また、3Dアクションから2D格闘にお色直しの「戦国BASARA X」も気になります。
 しかし最も注目すべきは、「読書シテンドーDS 半七&右門&安吾&顎十郎&旗本退屈男」でしょう。スタイル的には、最近DSで多い著作権切れ作品(要するに青空文庫的)を収録した名作全集ソフトですが、タイトルでわかるとおり、収録作がもろにこちらのツボにヒット。まあ、全部今でも苦労なく手に入るものばかりではありますが、ざっと百編以上収録というのは、またえらくコストパフォーマンスが良く感じます。
 また、同じDSでは「国盗り頭脳バトル 信長の野望」もちょっと気になるところ。最近任天堂ハードではロクなオリジナル作品を出さないコーエーですが、今回はちょっと期待できそう…かな?

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2008.05.25

「無宿若様 剣風街道」 破調としての怪四郎


 祥伝社文庫の怒怪四郎もの第二弾として刊行された本作は、しかし、怪四郎はむしろゲスト的立ち位置の、いわゆる「若様もの」の作品。亀山藩主のご落胤・鮎太郎を巡っての大活劇であります。

 「若様もの」は、田舎で育てられた大名のご落胤が、父と対面するために旅に出て、首尾良く対面を果たすまでを描く一種の貴種流離譚。当然、主人公の旅路も平坦なものではなく、大抵父の家では跡目相続を巡っての陰謀やらお家騒動が繰り広げられているのが、まずは定番。一方、主人公の方も、市井に紛れて暮らすうち、人々の人情に触れたり、様々な女性に惚れられたりというのもまたパターンであります。

 弱ったことに、本作は上記のパターンにことごとく当てはまってしまうのですが、しかしここでパターンを破ってくれるのが怪四郎の存在。本作での怪四郎は、鮎太郎に惚れた女掏摸・お艶たちとつるむ無宿浪人として登場、設定は微妙に他の作品と違いますが(これはご愛敬)、酒と人斬りをこよなく愛する物騒な怪剣客設定はそのままであります。

 基本的に明朗な作風の若様ものに、ふつうであればこの怪四郎のようなアンチヒーローは一見不釣り合い、登場したとしても敵方がせいぜいにも思えます。しかし、善玉か悪玉か、きれいに二つに分かれる登場人物の中で、ただ一人、そのどちらでもなく、どちらでもある怪四郎を投入しただけで、一気に物語に動きが出てきます。
 怪四郎の存在が、パターン通りの物語に、いい具合の破調をもたらしていると言えるでしょうか。

 そしてそれだけでなく――これは勝手な思い入れかもしれませんが――本作においては、鮎太郎と触れ合うことで、怪四郎自身のキャラにも、どこか人間味のようなものが見えてくるのも嬉しいところ。
 実は怪四郎も元は折り目正しい生まれの人物。それが身を持ち崩して今の無宿浪人であるのと対照的に、鮎太郎は今は無宿若様ながら、これからの未来がある青年であります。その意味でもネガとポジの二人の交流が、互いのキャラを深める効果を上げていると、私には思えます。

 ちなみに本作の表紙イラストは、この二人の関係を示すようななかなか洒落たもの。そもそも本作を文庫化してくれただけでも有り難いのですが、祥伝社の努力には頭が下がります。


「無宿若様 剣風街道」(太田蘭三 祥伝社文庫) Amazon

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2008.05.24

「鬼魔 さよりの章」 鬼とは何か、人とは――

 村の若者・冶八は、倒れた祖母を治してもらうため、村で崇められている女神様にすがろうとお館様の屋敷に忍び込む。しかし彼が見たのは、女神とは裏腹な扱いの少女の姿だった。なりゆきから女神――さよりの世話役となった冶八は、いつしか彼女と深く心を通わせるようになるが…

 鬼と女性をモチーフにした連作短編ホラーシリーズ「鬼魔」の一編である本作は、おそらくは平安以前の時代を舞台としつつ、鬼とは何か、そしてそれと表裏一体の、人間とは何かという点まで踏み込んだ佳品であります。

 冶八が忍び込んだ先で目撃した女神の真の姿――それは、片目を潰され、足を折られ、言葉も知らず自分の名――さより――しか知らない、喰うことしかしらない少女。
 赤子の頃に拾われた彼女は、簡単に言えば村の災厄をその身に引き受け、神に捧げられる生け贄となるためにのみ育てられていた存在なのでありました。

 もうこの時点で勘弁してくださいと言いたくなりますが、神に捧げるための生け贄を共同体が用意するというのは、洋の東西を問わず聞く話でありますし、また、これほど極端かどうかは別として、ある時代まで、日本の村落で特殊な役割を背負わされた人・家が存在したのは事実でありましょう。

 しかし、そうした冷厳な歴史上の事実以上に重く胸に迫るのが、彼女の存在が――そして本作の中で繰り広げられる人々の行動全てが――己のみのためではなく、愛する者たちを生きながらえさせるためであることでしょう。
 人が人として生きるため、人が人を傷つけ、人が人を差別し、人が人を犠牲とするのであれば…人とは一体何なのか。
 そして、人が人であることを止めたとき――止めさせられたとき、人は何になるのか。
 本作に込められた問いかけは、どこまでも重く、苦いものがあります。
(これはネタバレになりますが、「鬼魔」に収録された作品の多くで、女性の業が極まるところ鬼に変じている一方で、本作で鬼に変じる者の純粋さが強調されていることを考えると、さらに暗澹たる気持ちにならざるを得ません)

 正直なところ、「鬼魔」に収められた作品は、作者の若い頃の作品ということもあってか出来にいささかムラを感じるのですが、本作は間違いなく集中トップクラスの完成度。本作のためだけでも、「鬼魔」を手にしていただきたいところです。


「鬼魔 さよりの章」(楠桂 新書館ウィングス文庫「鬼魔」所収) Amazon

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2008.05.23

「ふたり道三」 凄まじくも美しい戦国の「絆」

 刀鍛冶・おどろ丸は、赤松家の依頼で刀を打った際に、松波庄五郎という男と交誼を結ぶ。庄五郎の導きで美濃に身を寄せたおどろ丸は、そこで武将として頭角を現していくが、勢力抗争の中で肉親を失ってしまう。以来、梟雄への道をひた走るおどろ丸改め長井新左衛門尉だが、その前に好男子・松波庄九郎が現れる。その庄九郎こそは、彼と強い縁で結ばれた男だった…

 斎藤道三という人物から我々が受ける印象というのは、やはりあまりポジティブなものがありません。一介の油売りから身を起こしたというのは立志伝的ですが、しかし道三の場合は、その後の行動の印象から、戦国時代の下克上――この場合は没義道とほぼ同義で使われますが――の象徴のように思われているのが現実です。
 多くのフィクションでも、このイメージに基づいて道三像は描かれていますが、しかし、爽快かつ雄大な時代伝奇小説を描かせたら当節右に出るものがいない作者が道三を書かいたらどうなるか? その答えは、既存の道三像を踏まえつつも、希望に満ちた爽快極まりないドラマでありました。

 そんな離れ業を可能としたのが、近年の主流的学説という、道三二人説。すなわち、道三の業績として伝えられるのは、彼一人ではなく、父の代からのものと合わさってのものという説ですが、本作はそれを単純に採用するだけでなく、それを踏まえて更なる伝奇的ストーリーを生み出しています。

 その中心となるのが、新左衛門尉の前身が、後鳥羽上皇の怨念を継ぐ櫂扇派の刀鍛冶だったという設定。歴史が動く時、常にその刀があったと言われる櫂扇の刀を巡る因縁と宿業の物語は、冒頭から結末に至るまで、本作を貫く縦糸の一つとして描かれていくこととなります。
 しかし、この櫂扇が象徴するものは、歴史を動かす怨念が籠められた血、つまり死だけではありません。それと似ているようで全く異なるもの…歴史を紡いでいく人々の血、すなわち絆をも、同時に象徴しているのです。

 道三を評する時、決まって用いられる「梟雄」という言葉を、本作においては、覇業のためであれば父を、子を斬ることのできる性根を持つものとして描いています。
 この無情極まりない概念を、本作が「斎藤道三」の中にどのように具現化させるか――それはここでは述べませんが、そこで描かれる凄まじくも美しい「絆」の形と宿業からの解放の姿には、必ずや胸打たれることと思います。

 もちろんこの道三の血の因縁については、本作の長大な内容の一部であり、その他にも本作を構成する要素は様々に――そして実にドラマチックに、エキサイティングに――存在しています。実に個性的な数多くの人物が活躍する群像劇(特に、女として、妻として、母として強烈な業を持った新左衛門尉の妻・関の方の人物像は強く印象に残ります)としても、豪傑や忍者たちが活躍する時代活劇としても、そしてもちろんこれまで通りの道三の国盗り物語としても、本作を読むことは可能ですし、事実そのように企図されていることは間違いありません。

 しかし私は、あえて「ふたり道三」という題材を選んだところに、そしてその道三を櫂扇の太刀を受け継ぐ者と設定したところに、作者の、人間という存在に、そしてその人間の絆が生み出す歴史に対する希望というものを感じるのです。
 そしてその希望こそが、宮本作品を貫く爽快感の源ではないかと――今更ながらに感じる次第です。


「ふたり道三」(宮本昌孝 新潮文庫全三巻) 上巻 Amazon/中巻 Amazon/下巻 Amazon

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2008.05.22

「豪談武蔵坊弁慶」 「ダイナミック」な豪傑伝

 荒れ果てた京の都で、孤児たちを組織して、横暴を極める平氏に立ち向かう人間離れした巨体の荒法師・弁慶。諸悪の根元である平清盛を倒すべく、千里眼を持つ兄弟子・源空と共に戦いを挑む弁慶だが、清盛の背後には、強大な魔人・闇の帝がいた――

 あまりにブッ飛び過ぎている作品もあって普通の読者はどう思うかわからないけれども、私にとっては実に面白い永井豪版講談、豪談サムライワールドの中で唯一平安時代を舞台としているのがこの「豪談 武蔵坊弁慶」であります。

 言うまでもなくあの源義経の一の家来である弁慶のお話なのですが、もちろん豪談で描かれる以上、ただの弁慶譚ですむわけがない。平氏の背後には、奇怪な妖術を操る闇の帝(闇の帝王みたいですな)が存在し、そこに一種の超能力者である源空(あの有名人の前身であります)、そして義経が絡んで一大伝奇バトルが繰り広げられることになります。

 本作では、石川賢先生が構成/演出/下描きを、豪先生と共に担当しているだけあって、随所に「らしい」シーンが炸裂。お二人の分担割合は、作品から想像するしかありませんが、特に妖術・怪物シーン絡みはかなりの部分、賢先生ではないかしらん(比叡山で弁慶を襲うやたらフリーキーな僧兵どもはどうみても賢先生のセンスだろうなあ)。

 まあ、そんな中途半端なマニアックな見方はさておき、本作の最大の魅力は、やはり弁慶の豪快過ぎる大暴れでしょう。その巨体にものをいわせ、侍だろうが僧兵だろうがあたるを幸いなぎ倒す弁慶の姿は、紛れもなく「ダイナミック」な豪傑そのもの。
 特に後半のクライマックス、囚われの源空とヒロインを救うために、単身清盛邸に弁慶が殴り込みをかけるシーン(釣り鐘をかぶって突撃!)など、気持ちのいいほどの暴れっぷりでありました。

 闇の帝の正体が○○○○というのは、同じ平安時代から安直に引っ張ってきた感がなきにしもあらずですが、まあ、あの人物をここまで化け物に仕立てあげたのもまたダイナミックイズム、と言うべきでしょうか。
 ラストの義経・弁慶主従の、これまた「らしい」台詞もきっちり決まって、理屈抜きに楽しめる一編でありました。


「豪談武蔵坊弁慶」(永井豪とダイナミックプロ リイド文庫) Amazon

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2008.05.21

「魔人ハンターミツルギ」 第09話「決死の空中戦 怪鳥ベラドン!」

 怪鳥ベラドンの空からの攻撃により次々と破壊される城。しかしベラドンの声を聞いた大人たちは気絶してしまい、その姿を目撃していなかった。さらに、声に惑わされることがなかった子供たちもサソリ軍団に次々と殺されてしまう。唯一難を逃れた少年と出会った三兄弟は、その案内でベラドンの住処に向かうが、空を飛べない巨大神は敗北してしまう。一族の長老・道半に空飛ぶ秘術を授けられた三兄弟は再び巨大神に変身、江戸城を襲うベラドンをかろうじて倒すのだった。

○突然城を持ち上げて飛び去るベラドン。何て大きさだ! しかも空から落とした城に、駄目押しで爆弾を投下する残虐ファイト。

○当然この有様は周囲に目撃…されているはずが、町の大人たちはベラドンの声に悶え苦しんでいて目に入らず。

○一方子供たちは苦しむこともなくベラドンを目撃したのですが…いきなり死ぬ! サソリ忍者の魔の手でした。

○事件の謎を追って町を訪れた三兄弟ですが、大人は当てにならず、ただ一人残った子供についていってみれば…それは罠!

○サソリ忍者(今回の隊長のマスクは…頭から血を出したハゲみたいなの」で見たことあるような)の待ち伏せにあった三兄弟。誘き出された先に子供の死体(実はサソリ忍者の変身)がゴロゴロしている様は今じゃちょっと放送できません。

○木の枝と枝の間にパッと棒を出現させて鉄棒の大回転よろしくぶら下がり、足からの手裏剣で敵を攻撃する銀河。ずいぶん回りくどいなあ。

○すっかり子供不信になってしまった三兄弟、新たに現れた少年も「また化けやがったなサソリめ」「とぼけやがってサソリめ」と決めつけ、全く信用しません。怖がってすがりついてきた子供をビシッと振り払う銀河兄さんマジ鬼畜。

○嫌がる子供を無理矢理先に歩かせて(ひどすぎる。「あの小僧、なかなか尻尾を出しませんね」とか言っちゃって)山を行く途中でまたも待ち伏せ。子供が人質になってようやく疑いを解いた銀河は、空中に投げたミツルギの剣から弾丸を放つ剣法の術でサソリ忍者を退治です。

○崖の上から転がってくる卵…もしやベラドンは繁殖するのか!? と思いきや、転がってきた卵から出てきたのはサソリ隊長でした(なんでよ)。割れた卵の殻を手榴弾で破壊すれば、その破片はサソリ忍者に。もう何が何だか…

○そして遂にベラドン出現! ベラドンの変な声に三兄弟は苦しみ気絶…そこで三兄弟を救ったのは件の子供、銀河の手榴弾をサソリ軍団にシュート、見事大爆発! …銀河兄さんより役に立ちます。

○窮地を脱して何とか変身する三兄弟。しかし空を飛べないミツルギでは全く歯が立たず…空から投げ落とされて初敗北!

○それでも変身が解けただけで済むのは凄いですが、このままではいかんと三兄弟は道半長老を呼び出します。画面の描写だけ見ているとミツルギの剣の中に棲んでそうです、道半。

○道半の秘術で飛行能力を与えられる三兄弟。三人に、鷹のシルエットが重なる演出がわかったようなわからないような。

○さらに新しい剣まで授けてくれる道半。「いよいよ危ないとなったらこの剣を使え」「この剣にはどのような力があるのですか?」「わしも知らん」ちょっ、それはないだろう…

○ちなみに銀河兄さんによればベラドンの声に子供は平気だったのは、心が綺麗だったからだと…三兄弟は思いっきり苦しんでましたが、子供を信用しない姿を見ると納得です。

○その間にも江戸城に迫るベラドン。相変わらず対応を一任されている服部半蔵が可哀想ですが、そこにミツルギ参上!

○一応空は飛べるようになったものの、何か不安定なミツルギ。それでもベラドンに問題の剣を刺した! が、ミツルギはそこで力尽きて落下!

○そういえばいつ倒したっけ? と思っていた今回のサソリ隊長は、ベラドンの爆弾の爆風に巻き込まれるという投げやりすぎる最後。

○空を飛ぶ代償に、力尽きて倒れる三兄弟。しかしまだベラドンは健在――あ、なんか剣が爆発した! どうも時限爆弾だったみたいです(爆発するまでのカットが無駄に長くてかったるい)

○倒れ伏した三兄弟を手当てした半蔵たち。いつもは半蔵のことをシカトしまくりの銀河兄さんもさすがに感謝して爽やかに握手して〆。


 まつしまとしあき脚本回の二回目ですが、うーん、どうにもまとまりが悪いエピソード。
・空からの強敵
・姿無き怪鳥のミステリー
・ミツルギのパワーアップ
・少年や半蔵との友情
と、題材としては面白いものばかりなのですが、ユルい演出のせいもあって、詰め込みすぎの感がありました(モデルアニメにベラドンみたいなキャラは結構似合っているんですが…)
 一番印象に残ったのが、心の綺麗な者は平気なベラドンの声に苦しみまくったのも納得の三兄弟の疑り深さなのは…


<今回の怪獣>
ベラドン
 プテラノドンをディフォルメしたような姿の巨大な怪鳥。城を持ち上げるほどの力を持ち、自在に空を飛ぶ。羽根から落とす爆弾と、口からの火炎が武器。その声の持つ魔力は、人間を悶え苦しませるが、心の綺麗な子供には効かないらしい。


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「魔人ハンターミツルギ」(コロムビアミュージックエンタテインメント DVDソフト) Amazon

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2008.05.20

「蜻蛉切り 兵庫と伊織の捕物帖」 シリーズものゆえの功罪

 山中から発見された三人の男女の遺体。その死に、家康配下の猛将・本多忠勝の末裔である本多家が絡んでいると睨んだ南町定町廻同心・本山伊織は捜査を開始する。将軍吉宗の命により、その本多家に伝わる名槍・蜻蛉切りの入手を命じられた目付・天童兵庫も、本多家に迫る。さらに江戸に出没する謎の詐欺師・卍組の謎も絡み、事件は意外な形に展開する。

 「兵庫と伊織の捕物帖」第二弾は、乱行を繰り返す旗本周辺で起きた殺人事件の謎解き話。残されたわずかな手がかりから、事件の真相に一歩一歩迫っていく伊織たちの活躍は、まさしく捕物帖・奉行所ものの醍醐味といったところで、陰惨な事件を扱いつつも、どこかコミカルな地の文もあいまって、まずは水準の仕上がりかと思います。

 もちろん、単なる奉行所もので終わっては、主人公の一人に幕府目付の兵庫を設定し、タイトルも「兵庫と伊織の捕物帖」としている意味はありません。吉宗の幼馴染にして恋敵(!)、そして伊織の親友である兵庫もこの事件に、目付としての立場から絡んでいくのですが…その絡み方が、また色々な意味で面白いのです。
 その特異な立場から(とばっちり的に)名槍の入手を吉宗から命じられる兵庫ですが、吉宗の一見気まぐれな命令は、実はそれ以上にややこしい裏があって、しかもそれは本作の伝奇的ガジェットに密接な繋がりが…という、幾つも組み合わされた要素が、本作ならではの伝奇性と独自性を支えていると言えます。
(まあ、吉宗の行動は冷静に考えると実にしょーもない動機なのですが、しかし「この吉宗なら仕方ない」と思えてしまうのは筆のマジック)

 とはいえ、前作に比べると、ちょっとこの伝奇性の絡め方は苦しいところがあるかな、というのが正直なところ。結局、シリーズものとして謎を謎として引っ張っているため、あるキャラクターの活躍がご都合主義的に映りますが、これはシリーズものゆえの功罪といったところでしょうかまた、本作のもう一つの謎である義賊チックな詐欺師「卍組」の絡め方も、ちょっと予定調和的な印象があったかなと思います。
 というより、ぶっちゃけたことを言えば、忍者を便利に使いすぎていると思います(これは前作からですが…)

 奉行所ものとしてきちんと成立しているため、一個の作品として楽しむには問題ないのですが、伝奇性という点に期待すると若干肩透かしを食うのが残念なところであります。

 とはいえ、またもや謎の、そして何だか大いに気になるキャラクターが登場したため、ついつい次の巻にも期待してしまうわけですが…


「蜻蛉切り 兵庫と伊織の捕物帖」(伊藤致雄 ハルキ文庫) Amazon

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2008.05.19

「からくりの君」(アニメ) 原作とアニメの幸福な出会い

 藤田和日郎の怪奇熱血伝奇時代劇「からくりの君」についてはだいぶ以前に紹介しましたが、評判は良いものの半ば幻の作品となっていたアニメ版をようやく観ることができました。日本ではビデオ化のみでDVD化されていなかったため、海外版のDVDを入手しての観賞であります。(以下、原作未読の方にはネタバレの内容を含みます)

 原作は五十ページの短編であり分量的に丁度良かったためか、このアニメ版は、原作をほとんど全くなぞった内容。わずかに追加されたシーンや、ラストバトルの場所の変更などはありましたが、物語の印象を大きく変えるものではありません。
 それでもなお、あえて原作既読者も観るべき、と私は強く思いますが、それは本作の演出・構成の巧みさによります。

 何よりも特筆すべきは監督・絵コンテ・作画監督・キャラクターデザインと八面六臂の活躍を見せた高谷浩利氏による気合いの入ったビジュアル。なるほど元スタジオG-1の氏らしく、なかなかバリっとしたメリハリの効いた(効きすぎた)アクション演出には、原作の雰囲気をよく活かしつつも、単なる「動く漫画」ではなく、アニメーションとしての楽しさが満ちています。
 特に敵方の「死なずの忍」のアクションは、「異形」「人形」というこのキャラクターの属性を見事に動きで表現したものとなっていて、思わずうならされました。なるほど、このキャラクターであればこのように動くだろうな、というアクションは、一見の価値ありかと思います。

 しかしそれ以上に印象的だったのは、原作の意図を踏まえつつも、それをさらに踏み込んで、物語のシチュエーションをより鮮明なものとしている点でしょうか。
 例えば、クライマックスの狩又城突撃の中での、第二のからくり人形・次郎丸が破壊されるシーン。原作では、第三の人形・弁慶丸出撃のために操り糸を切り離された後、一コマ地に伏した姿が描かれるのみですが、アニメ版では、コントロールを失ったところを、城兵たちの無数の槍に突き刺されて晒し上げられるという無惨な姿までが描かれます。一見過剰な描写にも見えますが、しかしこれは、この人形たちを操っている蘭菊の想いを考えれば、むしろ重要な描写であると言えましょう。

 そして何より、ラストの狩又貞義との決着の一撃。最強の生き人形(原作ではほとんどその力を見せることなく倒された生き人形のパワーが、弥三郎相手の派手なアクションできっちりと強調されているのが嬉しい)と一体化した貞義の懐に、人形に扮した蘭菊が飛び込み、そしてその刃が貞義に突き刺さった時…
生き人形の動力源である己の生皮を断つ蘭菊の刃→飛び散る生皮→貞義「ほ…本物の…人形か…」→蘭菊の顔から面が外れ、生皮と共に落ちていく→蘭菊「人形では、ありませぬ」
という流れが実に美しく――こうして書くと実にベタなのですが、蘭菊の過去との訣別というシーンを、これ以上ない形でドラマチックに描いてみせたのには、ただ感心するのみです。

 なお、本作のキャストは
 蘭菊  :矢島晶子
 弥三郎 :若本規夫
 狩又貞義:中田浩二

と、芸達者揃い。ことに若本規夫は、最近のほとんど出オチ状態ではなく、やさぐれながらも心の中に熱い火種を隠している弥三郎のキャラクターを見事に演じきっており、まさにハマリ役、といった印象でありました。


 スタッフ、キャストともに、原作の魅力を十二分に引き出したと言える本作。いささか大げさではありますが、原作とアニメの幸福な関係の一つが、ここにはあります。

 …が、何よりも残念なのは、冒頭に述べたとおり、本作が日本ではDVD化されていないこと。つい先頃、次世代DVDの規格争いに決着云々と報じられておりましたが、それ以前に、本作のように埋もれた名作のソフト化を進めてもらえないものかと、つくづく感じる次第です。


「からくりの君」(東宝ビデオ) Amazon

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2008.05.18

「長嶋十勇士」 真田一党、現代に出現す

 王貞治が一本足打法を編み出す際に日本刀を用いて特訓を行ったというエピソードにも端的に見られるように、剣術とバッティングの動きに我々はどうも類似性を見出すようです。そのためか、野球と剣術を結びつけたフィクション作品も珍しくないのですが、今日紹介するのはその中でも珍品の部類に入るであろう作品。今をときめく宮本昌孝先生が二十年近く前に発表された作品であります。

 かつての栄光も空しく、今は万年最下位の大洋ホエールズの監督として野球ファンから失笑を罵声を浴びている長嶋茂雄。阪神との試合の後、一人天王寺界隈を彷徨っていた彼が出くわしたのは、何と大坂夏の陣の最中に現代にタイムスリップしてしまった真田幸村と真田十勇士でありました。幸村たちに好感を抱いた長嶋は彼らを匿い、恩義を感じた幸村と十勇士は、長嶋のために野球選手となることを申し出ます。超絶の身体能力を持つ真田九勇士(幸村はコーチ)の活躍で王貞治率いる巨人と激しいペナントレース争いを演じる大洋ですが、しかし巨人の背後には、真田と戦っているうちに共にタイムスリップしてきた柳生宗矩と服部半蔵ら伊賀忍群の姿が――かくて優勝をかけた最終戦、壮絶な秘術争いの結末は!

 …という内容の作品があったんです。本当に。
 私も雑誌掲載時にちらっと目にしたきりで、今回ようやくきちんと読むことができたのですが(コピーを見せて下さったH氏に心から御礼申し上げます)、いやはや、ある意味期待通りの内容です。

 内容的には、80年の長嶋解任劇の後、巨人に戻ることができず大洋ホエールズの監督に就任したというifの世界のお話(本作発表は90年ですので、93年に監督再任される前ですね)ですが、それはまあ小さいこと。五味先生の名作「一刀斎は背番号6」では伊藤一刀斎(しかもこれは子孫)一人の活躍でしたが、本作では真田十勇士(-霧隠才蔵)の九人が大洋ナインとして大暴れ。何せ立川文庫の荒唐無稽なパワーそのままに活躍するのですから、一流アスリートとはいえ普通の野球選手がかなうわけはない。
(十勇士の中でただ一人、霧隠才蔵のみはナインに加わっていないのですが、彼は忍び稼業に嫌気がさして俳優に転向。その名も市雷蔵として「忍びの者」なる映画に主演しております…)
 しかし巨人側には、王監督に家康の姿を見た(名付けて王御所)宗矩と半蔵が味方して、馬鹿馬鹿しくも何となく懐かしい忍術の数々で真田勢を苦しめるのが愉快。特に僕らの知将・柳生宗矩は、最終戦に(この世界では巨人入りした)荒木大輔を投入、時代小説ファンであればアッと驚く作戦で真田勢を窮地に陥れてくれます。

 …何となく、いまだに単行本に収録されていない理由もわかるような気がしますが、本作は宮本先生にとっては、まだ出世作たる「剣豪将軍義輝」を発表する数年前、「もしかして時代劇」「旗本花咲男」など、時代小説作家の方向性を強めつつも、パロディ・コメディ色の強い作品を執筆していた頃の作品。そう考えれば、取り立てておかしな作品というわけではないかと思います(…いややっぱりどうかなあ)。
 正直なところ、ネタもののわりにちょっとページ数が多かったのか、十勇士たちの活躍を描くにいささか冗長に感じる部分がないでもないのですが、それでも良い意味で稚気溢れる内容は理屈抜きで楽しく、パロディ作家としての宮本先生のスキルというものを感じさせてくれます。


 ちなみにそもそも真田一党と宗矩・半蔵らがタイムスリップしてしまった原因は、淀君のあまりに甲高い叫び声が時空を揺るがしたためという設定なのですが、甲高い声といえばやはり…というわけで、ラストでは驚天動地のオチが待ち受けております。
 色々な意味で素晴らしい本作、いつか皆さんの目にも入る日を私は心から楽しみにしているのですが…どうかなあ。


「長嶋十勇士」(宮本昌孝 「小説奇想天外」11号掲載)

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2008.05.17

「袈裟斬り怪四郎」 面白くてナンボの大活劇

 江戸を騒がす辻斬強盗の一団・髑髏党。その首領と目されたのは、袈裟斬りの一刀を得意とする怪浪人・怒怪四郎だった。自分にぞっこん惚れ込んだ博打打ち・お蓮の元に転がり込んだ怪四郎は、怪盗葵小僧の遺した三千両の秘密が隠された二つの印籠を巡り、悪人だらけの岩間道場に大喧嘩を挑む。

 世の中には面白さが最大の価値、面白くてナンボ、という世界があります。本作もその世界の作品、貸本小説の一編であります。

 主人公は酒と人斬りをこよなく愛する物騒極まりない無宿浪人・怒怪四郎(いかりかいしろう)。何となくどこかで聞いたような響きの名前ですが、本名らしいので仕方ない(?)。
 この怪四郎が、とにかく強敵相手に存分に愛刀を振るえる、ということで首を突っ込んだのが、怪人髑髏党との対決と、二つの印籠の争奪戦。そこにいなせな盗賊やおっちょこちょいの岡っ引き、男装の美剣士や鬼面の怪人も絡んでのドタバタ騒動は、まさに大衆時代小説の王道で、深みや趣を求める向きには全くオススメできませんが、チャンバラ活劇大好きな私のような人間には実に楽しい作品でした。

 しかし(個人的に)弱ってしまうのは、とにかく面白さ第一のために、こちらとしても面白い! としか言いようがなくなってしまうことで…
 強いて言うならば、怪四郎のアンチヒーロー(怪四郎のようなキャラクターは、虚無型と呼ばれることが多いのですが、こいつはむしろアンチヒーローと呼ぶべきではないかと思います)ぶりが、今読んでみるとむしろ新鮮に見える、ということでしょうか。
 とにかく俺の楽しいこと第一主義の男が、暴風のように荒れ狂っているうちに事件をいつの間にか解決してしまう…というのも、何が正義かわかりにくい昨今、むしろスッキリして、時には良いように思えます。

 それにしても、本来であれば消え去る運命にあった貸本小説を――たとえ作者が若き日の太田蘭三先生であったとしても――こうして文庫の形で刊行されたというのは、快挙というほかありません。怪四郎シリーズはこの後も着々と文庫化されていますので、これからもとにかく面白がらせていただこうと思います。


「袈裟斬り怪四郎」(太田蘭三 祥伝社文庫) Amazon

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2008.05.16

「マーベラス・ツインズ」ドラマCD 可もなく不可もなく…?

 買ってから何となく怖くて今まで聞いていなかった「マーベラス・ツインズ」のドラマCDをようやく聴いてみました。
 一言でいえば可もなく不可もなくというか――怒り出すほどひどいわけでもなく、かといって原作ファン必聴! というわけでもなく、といったところ…

 内容的には、邦訳第一巻をそのままドラマ化した形ですが、ただし慕容家のエピソードは丸ごとオミットされているので、慕容九妹は未登場ですし、また、碧蛇神君以外の十二星相も登場しない形となっています。
 とはいえ、あれだけ複雑な原作を一時間前後によく収めたな、というのが正直な印象。小魚児と花無缺(原作よりちょっとだけ出番増)、そして鉄心蘭を中心にしたドラマ構成は、限られた時間の中ではベストだったかと思います。

 とはいえ、古龍作品は、あの、個性的キャラ続々登場続々殺害の超展開が大きな魅力であって、それがなくなるとかなり寂しいなあ…という印象は強くあります。また――これはダイジェスト化とは無関係ですし、無茶な言いぐさですが――漢字文化圏の人間にとってはこれも大きな魅力だった、人名や漢字のタイポグラフィカルな格好良さが音だけでは伝わってこないのも残念ではあります。

 さて、キャストの方は、
小魚児:平川大輔
花無缺:鳥海浩輔
鉄心蘭:沢城みゆき
張菁:折笠富美子
碧蛇神君:飛田展男

と言ったところで、これはなかなか鉄板な印象。特に、鳥海浩輔氏の花無缺は、無機質な美形の気持ち悪さ(誉め言葉)が良く出ていました。
 また、平川大輔氏も、小魚児の良くも悪くもガキっぷりを楽しそうに演じていたかと思います。
(とはいえ、この時点では小魚児も花無缺も、まだまだ発展途上のキャラなので、そういう意味ではもったいないキャスティングかな…という気も)


 と、こうして考えてみると、今回のドラマCD化は、やはり原作ファンよりも演じている声優ファンをターゲットにしたものなのかな、という印象が強くあります。
(展開がマイルドなものになっているのも、古龍どころか武侠ものも初めての方には、刺激が強すぎるからかな…と)
 もちろん、こういう商品化には、特に原作ファンから色々と意見があるかと思いますが――私も原作ファンにはこれをあまり進めません――これはこれで一つのマーケティングとしてアリなのかな、とここはポジティブに考えておきたいと思います。
 声優目当てに聴いた方が原作に手を伸ばすというのも(可能性はどれだけかわかりませんが)、なかなか楽しいじゃありませんか。


「CDドラマコレクションズ マーベラス・ツインズ 」(コーエー CDソフト) Amazon

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2008.05.15

「エクスカリバー武芸帖 小次郎破妖録」 時代伝奇の可能性を見よ!

 巌流島の決闘で宮本武蔵に敗死したはずの佐々木小次郎は生きていた。この決闘の背後に不審を抱いた二人は、結果を偽って細川忠興に探りを入れたのだった。果たして忠興の背後には、西洋妖怪たちとそれを操る大魔道士の姿があった。立ち向かう小次郎の手にあるのは伝説の長刀――その名もエクスカリバー!

 ほかにどんな瑕疵があろうとも、その一点だけで許せる! 俺だけは許す! という作品があるものです。私にとって本作はその一つ。
 だって「エクスカリバー武芸帖」ですよ!? 後ろにつけただけでガッと盛り上がるマジカルワード「武芸帖」が、時代劇とは縁遠そうな「エクスカリバー」と合わさったとき発生する無双の破壊力。それだけでうっとりです。
 もちろん、内容だって負けていない。エクスカリバーも単なる喩えなどではなく、本物も本物。何せ、それを狙ってはるばる異国からやってくるのが、あの大魔道士○○○○なのですから…(時代もので○○○○を出したのって、本作と「皇帝戦士斑鳩」くらいじゃないかしらん)

 そして時代ものファンも思わず納得なのは、エクスカリバーを用いた「つばめ返し」のロジック。
 小次郎が、長刀を用いてなお空を飛ぶつばめを斬るほどの、凄まじいスピードの切り返しによる秘剣「つばめ返し」の遣い手であったことは、つとに知られていますが、本作で明かされるその真実――エクスカリバーは両刀だから手を返す必要はないんだよ!
 …参りました。

 と、非常に楽しい作品ではあるのですが、正直に言ってしまえば、時代ものとしては色々と不満点はあります(個人的に一番気になったのは、お姫様のキャラがそこらの女の子みたいだった点でしょうか。その辺り、悪い意味でライトノベル的であります)。
 しかし、冒頭に述べたとおり、ちょっとやそっとの瑕疵があろうとも、本作の持つ魅力が揺らぐものではありません。
 時代伝奇というジャンルの持つ狂気可能性を、本作で存分に味わっていただきたいものです。


 ちなみに――作者のサイトを拝見すると、実に素晴らしい続編のアイディアが…
 確かに○○○○が登場するのであれば大いにアリですが、それだけにお蔵入りとはなんと勿体ない! 出せるものなら血の涙を出したいくらい悔しいです、これは。


「エクスカリバー武芸帖 小次郎破妖録」(葛西伸哉 電撃文庫) Amazon

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2008.05.14

「血曼陀羅紙帳武士」 国枝伝奇が描き出すもの

 父の敵・五味左門を追って旅を続ける伊東頼母。しかし遂に巡り会った左門は、鮮血の染みこんだ紙帳に起き伏しし、近づく者は男であれば斬り、女であれば苛む怪人だった。二人の父の代からの幻の名刀・天国(あまくに)を中心に、様々な人々の運命が絡み合う。

 国枝史郎の時代小説数ある中で、一、二を争うほど好きな作品はと問われれば、おそらく私は本作を挙げるでしょう。タイトルに凄まじいインパクトを持ちながらも、国枝作品の中で、おそらく知名度的にはだいぶ劣る作品かとは思いますが、しかし、本作の中には、国枝作品全般を貫くものがあると感じられるのです。

 正直なところ、本作のキャラクター配置や物語設定は、かなり類型的なものであります。
 仇討ちの美青年剣士に、彼を慕う清純派と悪女型の二人のヒロイン。そして、陰惨な過去を背負い、赦しを求めながらも人を斬り続ける殺人鬼――こうしたキャラクターたちが、仇討ち騒動の最中に、財宝の争奪戦や政治的陰謀、やくざの縄張り争いなどに巻き込まれ…というのが、国枝作品にはしばしば登場するパターンなのですが、本作はまさにその典型に見えます。

 しかし、本作が他の作品と大きく異なるのは、象徴となるアイテム――「紙帳」が存在する点であります。
 本作の主人公の一人・左門は、紙製の蚊帳・紙帳を常に持ち歩き、その中で起き伏ししているという設定ですが、これが只の紙帳ではない。ある恨みからこの中で切腹した彼の父が、己の腸を引きずり出し叩きつけた跡が赤黒く残り、その上に更に左門の斬った者の血が染み込んでいる――そんな凄まじい紙帳であります。
 そしてそれこそは、本作の中心人物である左門が背負った業と積み重ねてきた罪の――言い換えればこの物語の――象徴と言えます。

 しかし、この紙帳に浮かび上がるのは、人の、世界の闇の部分のみではありません。物語終盤、この紙帳に恐れることなく踏み込んできた純粋無垢な魂と触れ合う時――左門の心には大きな変化が生じることとなります。
 左門にとっては、家であり城であり、壁であり鎧であった紙帳。それが、一度機会を得れば懺悔聴聞の場となり、新生する産屋となり、新たに光の中に踏み出させることとなる――死と闇の具現化のごとき紙帳は、同時に生と光につながるものでもあるのです。

 もちろん、この世が闇だけで満ちているのではないと同様、光だけで満ちているわけでもないことは、本作の結末が暗示している通りですが、それら全てを含んだものとして、血曼陀羅は紙帳に描かれているのでしょう。

 そしてこの血曼陀羅の紙帳は、単に本作のみを象徴するものではないと、私には感じられます。
 先に述べたとおり、国枝作品の多くに登場する、彷徨する殺人鬼のイメージ…彼らの背中には、明示的ではないにせよ、この血曼陀羅が背負われています。いや――彼らと、彼らの周囲で生き、あがく人々の姿こそが、血曼陀羅を描いているのかもしれません(その最たるものが「神州纐纈城」の人間絵巻でしょう)。

 赦しを、救いを求めてさまよう者たちが描く血曼陀羅――それこそが国枝伝奇の一つの姿ではないかと、そう気付かせてくれた本作を、私は気に入っています。


 しかし、本作のもう一つの中心となる名刀の名が天国(この刀工自体は実在の人物ですが)というのも、また直球ではありますね。


「血曼陀羅紙帳武士」(国枝史郎 未知谷「国枝史郎伝奇全集」第6巻ほか所収) Amazon

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2008.05.13

今週の「Y十M 柳生忍法帖」 ここでわざわざ助九郎

 隻眼vs隻腕、その決戦の結果は!? というところでGWに入ってしまった「Y十M 柳生忍法帖」。十兵衛の隻眼の上からはツ、ツーと鮮血が垂れてきて、これは一体…

 言うまでもなく顔、というか頭は急所、少しでも深く刃が入れば即死という危険部位ですが、しかし十兵衛は不敵な表情であの名台詞を!
「おれは無いものを失い…おまえは有るものを失ったなあ…」
 いやーこの台詞までオミットされたらどうしようかと思いましたが良かった良かった。
 そして「あるものを失った」虹七郎の方は…なんだか生まれたての子馬のようにプルプルしております(そして今回終わるまでそのままフォローなし。これはひどい)。

 そんな虹七郎は放っておいて、磔にされていたさくら(髪結構伸びた?)を解き放った十兵衛、他の四人も助けてあげればいいのに、ここで群衆に対して、刀のスローを要求です。
 ここでまた微妙に目立ったのは謎の軍学者、真っ先に鞘込めに刀を投げ入れますが、これに続いて他の群衆も刀を何本か…しかし、ここで原作の印象的なシーン――制止しようとした芦名衆に対し、今度は抜き身の刀が何本も降ってくる――がカットされているのは一体どのような理由なのか、合点がいきません(原作の地の文でも言われてるように、普通は無理っぽいから?)。

 合点がいかないといえば、それ以上なのは鉄砲隊に指示を出したのが明成なのがまた残念。原作では虹七郎の決定的な敗北宣言として効果的に使われていた部分なのですが、これがまた妙な感じにアレンジされているのは、うーんどうなのでしょう。
(あと、これに対する十兵衛の「卑怯っ」という台詞も短いながら格好良かったんですがそれもオミット)

 と、単なる原作ファンのいちゃもん付けになってきましたが、ラストではこの窮地に木村助九郎が、なんと見開きで登場。いやー原作でも大好きなシーンでしたが、ここでわざわざ助九郎というのが、山風ファン、せがわファン的には何とも意味深に感じられます。いや、考えすぎでしょうけどね。

 まあよそ見はよすとして、おそらく本作もあと二回で完結。ここにきて一週空いてしまうのが本当に残念ですが、一気呵成に見事な結末を迎えることを期待しましょう。

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2008.05.12

「奇想の江戸挿絵」 見事なる想像力と構成力と

 銀地に黒、帯でピンクを用いた、否応なしに書店で目に飛び込んでくる強烈なデザインに吸い寄せられて思わず手に取ってみれば、私のような人間にはまことに楽しい一冊。
 江戸時代の読本に付された挿絵の中から、特に技法・表現等に優れたものを選び出し、現代にまで通じるそのデザイン/ビジュアルセンスを論じた労作であります。

 読本に対する私の興味については以前にも述べましたが、現代の伝奇小説のご先祖様ともいうべき存在だけあって、扱う題材も奇怪なもの、あるいは超自然的なものがしばしば登場します。
 そのような対象を描き出すためには、既存の、通常の技法によるのみでは足りません。雷鳴や爆発といった一瞬の動き、あるいは幽霊や妖怪といったあり得べからざる存在など、現実世界では目にすることのできないものを、如何にダイナミズムをもって平面の世界に固着させるか――
 その精華が、本書には多数収録されています。

 読本の第一人者・曲亭馬琴との作品をはじめとして、数々の読本を彩った葛飾北斎の頭抜けたセンスは言うまでもありませんが、それだけでなく、現代では全く無名の絵師の手になる作品の中にも、ハッとさせられるものが数多く存在しています。
 それこそは、人間の持つ想像力の豊かさと、それを実現するための構成力の見事さの証明であり――現代の漫画やアニメへの影響云々は抜きにしても、大いに感心させられるものがありました。

(ちなみに、本書に収録された作品の中には、本来であればおぞましく、忌まわしいものであるグロ/ゴアシーンをいかにスタイリッシュに描き出すかに腐心したものも多く、そこに扇情性と芸術性の狭間が見て取れるのも、興味深いことであります)


 …などと小理屈をひねくり回すこともなく、難しいこと一切抜きで、収録された図版を眺めているだけでも本当に楽しい本書。
 収録された読本のあらすじの記載も実にありがたく、新書版という形態ゆえに、図版のサイズが少々小さくならざるを得ないという点はあるものの、しかし、これほどの内容のものを、気軽に手にすることができるというのは本当にありがたいお話です。
 まずは一度、書店で手にとっていただければ――まさしく一目で虜になることは請合いです。


「奇想の江戸挿絵」(辻惟雄 集英社新書) Amazon

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2008.05.11

「御庭番 明楽伊織」第2巻 明楽正継、大暴走

 いま最も先が楽しみな時代コミックの一つである「御庭番 明楽伊織」の第二巻であります。
 今にして思えばおとなしめだった第一巻ですが、この第二巻では一気に物語がブースト。全く予想外の、しかし凄まじく面白い方向に物語は展開しています。

 この巻の開幕早々、暴れまくるのは何と伊織の兄・明楽正継。連載開始当初は、立ち位置的に(そして「明楽と孫蔵」との繋がり的に)「ああ敵に惨殺されちゃうのね」と思いこんでいたのですが、あに図らんや、されるどころか惨殺する側に回るとは…
 第一巻ラストで意味ありげに登場、尾張柳生の剣士たちと密談を始めた正継兄は、何と幕府の秘事を記した文書を餌に取引を開始。幕府への忠義はと相手に問われれば――
「忠義など仮名手本(忠臣蔵)舞台の上の絵空事!!! 莫迦貝は儒者どもに喰らわせておけッ 俺は自分の意志へ忠義する!!!」
 …莫迦貝がどこから出てきたかわかりませんが、とにかくすごい勢いです。
 そして首尾よく取引を成立させたと思いきや、渡すはずの文書を巻き上げて逃走、怒り心頭に達した尾張柳生をさらに嘲弄しまくった末に、短銃を持った相手を含めて五名の剣士をたった一人、それも無手の状態から一人残らず惨殺!
「お母ちゃんにいわれただろ? “ゴハン食べてる時はベチャクチャしゃべらずに黙ってハシ動かしなさい”ってな!」
「銃に手をかけたら何より先に引き金引くのが宇宙の常識!!」

 お母ちゃんと宇宙の両極端を同時に持ち出されては、もう逆らえません。脱帽です。

 と、第二巻のほぼ1/3を正継兄が占領した一方で、主人公である伊織の方は、連載当初の迷える状態から脱し、あっさりと孫蔵にもリベンジ。パワーアップの理由が、師匠により封印されていた本来の力を発揮したから、というのはどうかと思いますし(まあ、森田作品の主人公に地道な修行シーンは似合いませんが…)、あまりにも人間ができすぎてしまった感もあるのですが、一瞬の死闘を経た後の、孫蔵との心の交流はなかなか味わい深く、また、ちょっと「明楽と孫蔵」で見せてくれた気楽な二人の距離感的なものも垣間見せてくれたのは嬉しいところです。

 この他にも、この巻ではちょっとした描写に深い味わいを感じさせる場面が――例えば、芸者の付き人の男衆がちょっとした伊織の動きから彼の達した域を悟る場面や、伊織が宿場のやくざ相手に暴風の如く暴れ回る傍らで平然と談笑する老武芸者たちの姿など――あり、単なる勢い任せではない、深みと美学を感じさせるものが本作にはあります。


 さて、いかにパワーアップしたとて伊織の進む道はまだ見えず、いつタイトル通りとなるのかもわからない状況。その一方で、正継の方は婆琉披(バルバ)忍衆なる配下を集め、なにやら更なる陰謀を(まさか蝦夷地で地上に残った最後の神を甦らせるわけではありますまいが)巡らす最中であります。共に「龍と変容て歴史の闇の彼方に去る」ことが運命づけられた男たちの死闘の行方や如何に…
 連載も休載が少なくなく、雑誌自体ナニではありますが、物語のポテンシャルを使い切って、最後の最後まで物語が描かれ尽くされることを祈る次第です。


「御庭番 明楽伊織」(森田信吾 角川書店チャージコミックス) Amazon

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2008.05.10

「玄庵検死帖」 加野節、健在なり

 長崎で蘭学を修めながらも今は捨扶持扱いの検死役を務める蘭医・逆井玄庵。何者かの文に誘い出された先で、女の惨殺死体を発見した玄庵は、残忍な切り裂き魔に激しい怒りを燃やす。折しも清河八郎が浪士組結成を献策、彼の存在を危険視する幕閣は、玄庵の無外流剣術の腕に目をつけ、刺客として浪士組への同行を命ずる。切り裂き魔の犠牲者たちと清河の間につながりがあることを知った玄庵は、下手人探しも兼ねて京に向かうが。

 実に久々に登場した印象のある加野厚志先生の作品。本作も、数ヶ月前に刊行が予告されながらも続報がなかったので気を揉んでいましたが、めでたくここに登場、ファンとしては欣快の至りであります。
 加野作品は、奇怪な事件に巻き込まれた剣豪ヒーローが、迷宮じみた人間関係・社会情勢の中に巻き込まれ、社会や歴史の巨大な力の前に翻弄されるというのが基本パターン。その事件の容疑者とその人物評価が刻一刻と変化し、果たして誰が本当に善で誰が本当に悪なのか、主人公同様読者も最初から最後まで翻弄される加野節――と言っても私が勝手にそう呼んでいるだけなのですが――は本書でも健在で、幕末剣豪ハードボイルドというべき世界を作り上げています。

 そしてそのミステリタッチの展開とともに注目すべきは、幕末の混沌とした状況の中で蠢き、躍動する浪士たちの描写でしょう。特に、本作の影の主人公とも言うべき清河八郎は、様々な作品において毀誉褒貶相半ばする人物でありますが、本書で描かれるその姿は、なかなかに魅力的。類い希なるカリスマと才知、そして剣技の冴えを持ち、それにふさわしい活躍をみせながらも、やがてそれ以上の巨大な力、社会の枠組みの中に押しつぶされていくその姿は、幕末という時代の一つの象徴であると同時に、加野作品の主人公の陰画とも取れるものがあります。

 また、清河の浪士隊といえば、当然登場するのは後の新選組の面々。「沖田総司」シリーズで生き生きと活躍した彼らにここでまた出会えるとは、嬉しい驚きです。
 特に総司は、相変わらずの純粋かつ剣呑な好青年ぶりで、すっかりと嬉しくなってしまいました(玄庵の後輩という位置づけの斎藤一もちょっと面白い役どころで目を引きます)。

 正直なところ、加野節――特に状況が二転三転…十転ぐらいするあたりは、かなり人を選ぶ部分があるのもまた事実。内容的にも、中盤の京を舞台とした部分が、ちょっと目立ちすぎていて、肝心の玄庵の追う事件の影が薄くなってしまったきらいはあります。しかし、それでもなおそれを補ってあまりある強烈な味わいが、他の加野作品同様、本作にはあります。
 一度クセになったらたまらない加野作品、本作はシリーズ化が決まっているとのことで、愛好家としては実にありがたいお話です。


「玄庵検死帖」(加野厚志 中公文庫) Amazon

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2008.05.09

「姫武将政宗伝 ぼんたん!!」第2巻 独眼竜誕生!

 第一巻を読んだときは、飛び道具的な印象もあった「姫武将政宗伝 ぼんたん!!」。しかしこの第二巻、独眼竜政宗誕生編とも言うべき本書において、単なるギャグマンガではない、本作独自の狙いというものが、明確になった感があります。

 時々ピンチを迎えながらもそれなりに楽しく暮らしていた梵天丸。しかし義姫が梵天丸の弟にあたる竺丸を生んだことから、母と子の間、そして家中に亀裂が走ることとなります。そしてそれは、梵天丸と、その無二の忠臣である片倉小十郎の間にまで及び…

 と、まだ幼い政宗にとっては重すぎる試練の連続の第二巻、伊達政宗の生涯を語るにあたり、避けては通れないのが、母そして弟との骨肉の争いですが、本書で描かれるのはそのプレリュードであります。まだ弟が幼いために救われている部分はありますが、しかし幼いのは梵天丸も同じ。望まぬまま、あまりに重いものをその肩に背負わされた梵天丸が、果たして何を捨て、何を選ぶのか――ギャグ漫画と思いこんでいただけに、この巻で展開されるエピソードの一つ一つに、驚かされっぱなしでした。

 そして特筆すべきは、本作に純粋な悪人が現時点では一人も存在していない――すなわち、誰も紋切り型の悪人として描かれていない――ことです。
 政宗にとって敵方、あるいは相反する立場の者はいても、それにはそれだけの理由があり、それなりの想いを背負っている。その最たるものが、後世では鬼母として描かれることの多い(と作中で自分で突っ込んでいるのはズルい)義姫でありますが、決して彼女とて政宗を憎んでいるわけではなく、むしろ「彼女」のためを思ってのことではあるのですが…
 そうした人々の想いが、一度掛け違えることによってこじれていく。その掛け違えの根底にあるのは、戦国という時代の在りようではあるのですが、そこにまで、本作は軽妙な見かけの下で、鋭く切り込んでいると言えます。

 また、この掛け違いは敵同士の間で起きるものではありません。この巻で描かれる政宗と小十郎との関係もまた、その掛け違いに翻弄されるものであります。本書のクライマックスとも言える、伊達家を退身しようとする小十郎と、その前に現れた梵天丸のシーン――そこに描かれているのは、互いに互いを想っているにもかかわわず、ささいな行き違いから互いを傷つけ、傷つく二人の姿(と書くと色恋沙汰のようですが、そういうことはないと思います。今のところ)。
 この二人が障害を乗り越え、君臣として再び立ち上がる姿には、政宗ファンであれば、いや戦国ファンであれば感動間違いなしであります。

 そして何より――その掛け違えの引き金が、「政宗が女性」というのが本作の恐ろしいところ。一見、単なるギャグや、萌えの手法に見えるこの「大秘事」が、ここまで政宗物語に全く新たな、そして説得力ある視点が与えることになるとは…
 政宗を女性としただけ(「だけ」と表現するのは気が引けますが…)で、ここまで政宗と当時の奥州の在りようが、自然な人々の感情の動きとともに見事に浮き上がってくるものかと、大いに感心いたしました。これも見事な伝奇的手法かと思います。

 …という一方で、義姫の「だまらっしゃい!」やら最上の変態忍者群やら、ギャグの部分も異常に面白いから困る。


 もしかしたら、大傑作の誕生を目の当たりにしているかもしれない…と書くと、また大袈裟に書きおってと言われそうですが、しかし実際に手にしていただければ、同意して下さる方もきっといると、私は思います。


「姫武将政宗伝 ぼんたん!!」第2巻(阿部川キネコ 幻冬舎バーズコミックス) Amazon

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2008.05.08

「箱館妖人無頼帖 ヒメガミ」第2巻 艶やかかつパワフルに

 明治の蝦夷地を舞台に、土方歳三の娘・彪と、謎の美女戦士ヒメガミが諸外国の送り込む妖人たちと死闘を繰り広げる「箱館妖人無頼帖 ヒメガミ」待望の第二巻が発売されました。
 今回二人が死闘を繰り広げる相手は、亜米利加からやってきた外道騎兵隊。白い大地を赤く染めての一大銃撃戦に加えてヒメガミ側にも驚きの展開があり、早くも急スピードで物語が走り始めた感があります。

 「みぶろ」を求めて、一人箱館に現れた幼い少女。「新撰組の封印」を狙う者たちに少女の村が襲撃・占領されたことを聞かされた彪とヒメカの凸凹コンビは、その村を目指します。
 が、一軍にも匹敵する多数の敵から、村人たちを守って戦うのは彪たちにとっても荷が重い話。村人の間にも不協和音が生じる中、非道な敵の猛攻に苦しむ彪とヒメガミの前に現れたのはなんと――という展開。

 画のうまさとアクション設計の巧みさはさすがの一言。また、作者入魂の女体のムチムチっぷりも相変わらず見事で、あまりサービスシーンの好きではない私も正直感服いたしました(何言ってるんだろう俺)。特に、数ページを費やして描かれたヒメガミ変身シーンは、艶やかかつパワフルで、強く印象に残ります。

 物語展開の方は、個々の要素が今一つドラマを盛り上げる方向に噛み合っていなかった印象があり――エピソードのウェイトが、彪や新撰組の生き残りから、途中でヒメガミ側に移ってしまったようで――その点は残念だったのですが、予定調和的に見えた物語が、終盤、思わぬキャラクターたちの参戦によりひっくり返されたのにはちょっと驚かされました(特に鉄球さんはすごいな)。

 倒しても倒しても、陸続と現れる妖人たちに劣勢を強いられる彪ですが、彼女の戦いに「新撰組の封印」が何をもたらすのか。今回さりげなく語られた、外国勢力のみならず和人からも虐げられる人々の存在が、如何に彼女の運命に絡むことになるのか…まだまだ謎と、楽しみは尽きません。


「箱館妖人無頼帖 ヒメガミ」第2巻(環望 講談社マガジンZKC) Amazon

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2008.05.07

「新絶代雙驕前傳」パッケージ内容 限定版は国を問わず?

(今回は珍しく画像付きです)
 連休中に都内で行われた武侠ものファンのイベントに参加したのですが、ゲーム大会の賞品の一つとしていただいたのが「新絶代雙驕前傳」というゲーム。「絶代雙驕」…そう、このブログでも新刊が邦訳されるたび紹介している「マーベラス・ツインズ」ですね。
 台湾では人気のある作品ということなのか、はたまたゲーム化しやすい作品なのか、これまで原作のゲーム化のみならず、原作のオリジナル続編もゲーム化されていると聞いていましたが、こちらは「前傳」。つまりエピソード0といったところで、原作の主人公たちの親世代が主人公となっている作品です。
 さすがに原語でプレイはキツいので、とりあえず今回はパッケージの内容を紹介いたします。

 こちらが本体パッケージ。なかなか可愛らしい絵柄で三人の男女が描かれていますが、左下のイケメンが燕南天、中央が花月奴、右が憐星宮主であります。つい最近出版された「マーベラス・ツインズ」第三巻を読んでいると、パッケージの段階でちょっとショッキング。あの凛々しい髭ダンディー、燕大侠がこんな優男に…(失礼な)。
Rimg0151

 さて、今回いただいたパッケージ、実は特典満載の限定版であります。日本でもこういった形態の豪華版はよく見かけますが、台湾でもあるのですね。先方のゲーム事情は不勉強なので想像でしか言えませんが、おそらくは日本を参考にしているのだと思いますが…
 というわけで内容物。左:ミニポスター、中央上:マニュアル、中央下:ポストカードセット、右上:設定資料集、右下:マウスパッドとなっています。うむ、いかにも限定版の中身です。
Rimg0152

 キャラクター紹介代わりにポストカードセットの中身を。でっかく名前も入っているのでわかりやすいですね。一人だけ馴染みのない張青玉というのは、原作の小仙女張菁の縁者でしょうか。なにぶん原作は邦訳されているものしか読んでいないので、そちらに登場していないキャラはこれから原作に登場するのか、はたまたオリジナルキャラかわからないのですが…ちなみに彼女以外の女性陣三人(下段)は超ミニスカ。
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 そしてこちらはソフトの箱。ゲーム本編四枚にサントラ一枚という構成です。うむ、サントラ付きというのもまた(略)。パッケの表(写真右)は彩蝶公主というキャラ(詳細不明)、裏は(写真左)は時之聖女というキャラ(こちらも詳細不明)。ちなみによく見たらゲーム本編はCD-ROMでした。
Rimg0154

 最後に、おまけにいただいた完全攻略本&アペンドディスク。攻略本の方は敵味方キャラのステータス、マップにシナリオ紹介と、本当に攻略本です。何だか親しみが湧いてきました。アペンドディスクの方は、ケースに描かれている凌雲というキャラ(詳細不明)が新たに仲間になったり、ボーナスマップの追加、そのほか設定資料集が収録されている模様。
Rimg0156


 というわけで、商品紹介(と言ってもアフィじゃないですが)のみの記事になってしまいましたが、考えさせられたのは、台湾本国で原作が、特にビジュアル面でこのような受け容れられ方をしている(部分が少なくともある)ということは、日本における「マーベラス・ツインズ」の商品展開も、それほどおかしなことをしているわけではないのでは? ということであります。
 もちろん各国の読者層の違いというのはあるかと思いますので、単純な比較はできませんが、もしかして我々は武侠小説(というか古龍作品)を難しく…と言って悪ければ真面目に考えすぎているのでは、という気がしないでもありません(とか言っていて、本国の方から「いややっぱりアレはねーよ!」と怒られたら謝りますが)。
 もっとも、この辺りは、日本における戦国無双や戦国BASARAに該当するのだとは思いますが…


 にしても、原作であんな修羅場を演じたキャラたちの若き日の可愛らしい姿を見ていると、何だか複雑な気分になりますね…

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2008.05.06

「真田昌幸 家康狩り」第1巻 真田痛快伝序章

 天文十六年、身は純白、眼は赤い啄木鳥の出現とともに、真田幸隆に三男が誕生した。真田家の瑞兆と共に生まれたその運命の子に、幸隆は源五郎と名付ける。それから四年、宿敵・村上義清が守る難攻不落の戸石城を、幸隆は道みちの者たちと共に攻めようとしていた。その中には、数え五歳の源五郎、後の昌幸の姿があった――

 朝松健先生久しぶりの時代もの単行本は、「真田昌幸 家康狩り」。真田昌幸は、言うまでもなく真田幸村の父であり、息子ともどもさんざん徳川家康を苦しめた戦国大名ですが、さて「家康狩り」とは…

 朝松作品で「真田」といえば、すぐに思い出されるのが、時代伝奇の名品、「真田三妖伝」「忍・真田幻妖伝」「闘・真田神妖伝」の三部作ですが、あちらは大坂の陣という江戸時代初頭を舞台としていたのに対し、こちらでは戦国時代真っ盛りの時期が舞台。昨年の大河ドラマでも活躍した真田幸隆の三男として昌幸が生まれた場面から物語は始まります。

 ここで冒頭から目を引くのは、真田家が、「道みちの者」の大檀那、庇護者として活動していたという設定です。
 土地に縛られることなく諸国を自由にさまよう者――巫女・修験者・琵琶法師・遊芸人といった人々の存在は、時代小説の世界では、隆慶先生の「吉原御免状」などで取り上げられましたが、まだまだよく知られているとは言いがたい存在。これに注目して、後世に伝わる真田勢の神出鬼没の活躍の原動力とした点に、作者の着想の妙があります。
(ちなみに、この設定は本作が初めてではなく、上記の真田三部作においても既に描かれているものであります)

 しかし――それ以上に私が唸らされたのは、本作で、この道みちの者にまで、戦国時代の「下克上」の波が押し寄せる様が描かれている点です。
 アウトローである彼らですが、しかし世間の法に護られぬ存在であるからこそ、彼らなりの厳しい掟があるというのは頷ける話。しかし下克上の名の下に、己の欲望を満たすためだけに行動する者がいたとしたら…
 自由の民として描かれることの多い彼らの世界においても下克上が存在したというのは、ドラマとして面白いのはもちろんのこと、戦国時代の――室町時代末期の秩序破壊の風潮の激しさを示すものとして、実に効果的に感じられます。
 室町の混沌を描かせたら当代随一の朝松室町伝奇ですが、本作も――妖術や怪異を用いなくとも――その一つとして見事に成立していると感じた次第です。

 さて、道みちの者のことばかり取り上げてしまいましたが、本作の主題はもちろん真田昌幸――源五郎とその父・幸隆の痛快な活躍ぶり。奇想天外かつ極めて合理的な道みちの者たちとの共同戦線の果てに掴んだ勝利は、まさしくその後の真田家の雄飛の第一歩であります(真田の六連銭の由来も実に楽しい)。

 もちろん、まだまだ真田昌幸にはこれから長い戦いの道のりが待ち受けています。昌幸の宿敵としてタイトルに挙げられている家康もおそらくはこれから登場…ってえええええ! とラストで思い切り驚かされましたが、とにかく、昌幸伝はまだまだ序章。
 とみ新造先生による表紙のインパクトに負けない快作たる本作、続巻も今から楽しみです。


「真田昌幸 家康狩り」第1巻(朝松健 ぶんか社文庫) Amazon

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2008.05.05

「読本事典 江戸の伝奇小説」 文化形成のダイナミズム

 伝奇時代劇の魅力に取り憑かれた人間として、その源流の一つたる読本のことは、いずれきちんと学ばねばと考えてきました。
 読本について簡単に説明すれば、江戸中期~後期に書かれた小説の一種で、稗史・巷説・仇討ち・御家騒動などをその題材としたもの。代表的な作家として山東京伝・滝沢馬琴があり、その一つの頂点として「南総里見八犬伝」があると言えば、その何たるかを察していただけるのではないかと思います。
 そんな私にとって、本書「読本事典 江戸の伝奇小説」の出版はまさに渡りに船。読本の世界に触れようとしてもその内容は多岐に渡り、また何よりもおいそれと現物に当たるわけにもいかないところに、読本の世界を網羅しているのですから――

 本書のベースとなっているのは、南部家の江戸藩邸が購入したという多数の読本を対象とした国文学研究資料館の研究。本書に収録された読本の数八十五というのは、もちろん全ての読本を取り扱うものではありませんが、しかし、豊富な図版付きで集められ、あらすじや成立事情まで付された各作品の姿は、まさに事典の名にふさわしいものと思います。
 現代の我々でも知っているような作品から、マニアや研究者でなければ聞いたこともないような作品まで…まさに「江戸の伝奇小説」の名にふさわしい作品の数々に触れられるのはありがたい限りです。

 また興味深いのは、読本というジャンルが誕生し、洗練され、確たるものとなっていく様が概論的に記されている部分であります。
 読本は文芸上のジャンルであると同時に、書物の流通形態の一つであり、その成立には版元側の事情が大きく関わるというのは、考えてみれば当たり前ですが、しかし作品のみに注目していると忘れがちなお話。
 さらに、そこに江戸と大坂の出版事情の違い、そして当時の政治情勢・社会情勢まで絡んでいくという、文化形成のダイナミズムには、興奮させられました。

 個々の作品の内容と、読本というジャンルの成立史――この両者の関係・相互作用の様を明示できるのは、本書のような事典形式ならでは、と感心した次第です。


 最後に…先に述べたとおり、本書に収められた作品の大半は、南部家の江戸藩邸が収集し、保管していたもの。しかし、何故南部藩が、という事情までは今に至るまで明確になっていないとのことです。
 なんだかそんなところもこちらの伝奇的想像力を刺激するものがあって、楽しい気分になります。
(まあ、要するに藩邸にマニアがいたんでしょうなあ…)


「読本事典 江戸の伝奇小説」(国文学研究資料館・八戸市立図書館編 笠間書院) Amazon

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2008.05.04

武侠カテゴリを作りました

 武侠ファンの集まりに顔を出して色々な方のお話を聞いてテンションが上がったので(?)いままでこのブログでぶちぶち書いていた武侠小説関係を一つのカテゴリにまとめました。まだまだ記事数は少ないのですが――。PCの場合は、右サイドバーの「カテゴリー」の中の「時代もの色々」の一番下にリンクがあります。
 ちなみに本ブログの裏テーマである(?)水滸伝ネタもこのカテゴリにまとめましたので、北方水滸伝は武侠じゃねえ、とか言わずにご勘弁下さい。

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「ザ・古武道 12人の武神たち」 「古武道」の「今」を描く

 時々、自分は菊地秀行先生の小説以上に、エッセイ・ルポルタージュのファンなのではないかと思うことがあります。時に軽妙に、時に麗々しく、現実の対象に鋭く切り込んでみせる氏の文章は、それが特にご自身の愛好するものに向けられたときに最大限の魅力を放つというのは、氏のファンであれば今更言うまでもなくよくご存じかと思いますが、本書「ザ・古武道 12人の武神たち」もその一冊であります。
 タイトルの通り、12人の古武道の達人たちの元を氏が訪れてのルポルタージュですが、これがまた滅法面白いのです。

 本書で題材とされている古武道は以下の通り――
荒木流拳法/関口新心流柔術/西野流呼吸法/鹿島新当流剣術/白井流手裏拳術/林崎夢想流居合術/無比無敵流杖術/揚心流長薙刀術/大東流合気柔術/水鴎流武術/長尾流躰術/本部御殿手古武術
そして番外編として、柳生新陰流。
 時代小説ファン、剣豪小説ファン、そして格闘技ファンであれば、その名を聞いただけで「おおっ!」と目を輝かせたくなる流派がほとんどであります(冷静に考えると古武道でないものも混ざっていますが、まあそれは良いとして)。

 元々が、「別冊歴史読本」誌に連載された記事ということで、内容的には大変ディープ、というわけではありませんし、資料的価値という意味でも他に何歩も譲りますが、しかし本書の魅力はそんなところにはありません。氏が古武道の宗家と――さらに大仰に言えばその古武道の歴史と――対決する様が、実に面白く、そして意義深いものがあります。
 もちろん、対決と言っても武道でもって渡り合うわけではありません(当たり前か)。氏の武器となるのは、冒頭に述べたようなその文章であり、そしてまたその原動力となる、対象への愛と敬意、好奇心であります。

 そしてその文章で描かれるのは、その流派の歴史や技術・技のみならず――それだけであれば、より適した書物はほかにもあるでしょう――その「古武道」が「今」如何に在るのか、なぜ「今」その「古武道」なのか、という問いかけであります。
 本書で取り上げられているほとんどの流派は、開祖以来数百年を閲し、そして端的に言えば人殺し、とまではいかなくても相手を傷つけるための技を伝承しているもの。そんな、様々な意味で現代的ではない古武道が、何故、誰に、如何に現代にまで伝わり、そして現代に息づいているのか…言われてみれば当然の、しかし、なかなか実際にぶつけられたことのない疑問とその答えが、氏一流の文章で描かれるのですから、これがつまらないわけはないのであります。
(もっとも、明らかにこれぁ先生、ノってないなあ…という回もあるのですが、これはむしろ当然の帰結というのは読んだ方であればおわかりのはず)

 氏のその疑問に対する各流派の答えは、というのはこれはもちろん実際に本書を読んでいただくしかありませんが、氏自身のその答えの一つは、あとがきに記されています。
「あらゆる武道からかち得るもの。――本来、学んだ方々にしか理解できない何かでありながら、それは、情報としてのみ知る術のない私たちを、いつの世も激しく魅きつける。恐らくは、人間の善き部分に寄与するがゆえに」
 …これですよ、これ。

 ちなみに、本書で氏とともに珍道中を繰り広げる担当編集者のN氏こそは、いまや大河ドラマ原作者の火坂雅志先生。火坂氏のその後の作家としての活動に、本書がどのように影響を与えたか、考えてみるのもまた一興であります。


「ザ・古武道 12人の武神たち」(菊地秀行 光文社文庫) Amazon

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2008.05.03

「吉宗の偽書 兵庫と伊織の捕物帖」 伝奇と奉行所もののハイブリッド

 目付・天童兵庫は、将軍吉宗より、紀州家の当主の相次ぐ死が吉宗の陰謀である旨記された偽書を書いたという医師を探すよう命じられる。一方、兵庫の剣の同門である南町定町廻同心・本山伊織は、ある両替商にまつわる辻斬事件を追っていた。兵庫と伊織、二人の追う事件は、意外な点で繋がりを見せて…

 あまり表面上のジャンルに拘ってばかりいると、面白い作品を見逃すことがあるなあと反省することがあります。この「吉宗の偽書 兵庫と伊織の捕物帖」も、そう感じた一冊。副題では捕物帖と謳いつつも、その実、伝奇性の強いユニークな作品であります。

 本来であれば将軍はおろか藩主すら遠くにあった吉宗がその地位に就くにあたって、何らかの陰謀があったのではないか、というのは、吉宗ものでは定番のネタではありますが、本作ではそれにまつわる偽書を中心に据え、物語が展開していきます。

 果たしてその偽書を記したという医師はどこへ消えたのか、そして何のために偽書は作られたのか? この謎と、本来であれば全く関係のない旗本のバカ息子の辻斬が思わぬところで絡み合い、事件がどんどんとややこしくなっていくのが、本作の実に面白いところ。
 物語中盤で、意外な偽書の目的と黒幕が明かされるのですが、しかしそれでも二つの事件は終わらず、終盤にはどんでん返しの連続も用意されていて、最後まで興味を失わずに読むことができました。
 伝奇ものと奉行所ものという、相性があまり良くないように見えるジャンルをうまく結びつけて見せたのには感心いたします。

 あえて難点を挙げるとすれば、相当に人物関係と物語設定が入り組んでおり、その辺りの展開がちょっとぎこちない部分が個人的には気になるのですが、デビュー三作目ということで、これは大目に見るべきところでしょうか。

 もう一つ、本作で重要な人物の正体が最後まではっきりとは明かされないのが気になるところですが、これは今後のシリーズ展開によると考えるべきなのでしょう(もしかして「神の血脈」?)。
 うまいこと作者の仕掛けにやられたようですが、シリーズ二作目も読んでみなくてはと思わされまたのは事実であります。


「吉宗の偽書 兵庫と伊織の捕物帖」(伊藤致雄 ハルキ文庫) Amazon

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2008.05.02

「オヅヌ」第4巻 巨大な物語のうねりの中で

 色々と波乱含みだった前の巻を受けての「オヅヌ」第四巻は、その波を受けてメインキャラの一人一人がさらに大きな物語のうねりに飲み込まれ、いよいよ盛り上がってきた感があります。

 キの民の秘宝を求めて琵琶湖に向かったオヅヌとゼン爺は、琵琶湖を支配する湖賊に囚われの身となり、その根城で意外な(いや本当に意外)人物と出会うことに。
 一方、二人のやり方に反発して袂を分かったコウは、偶然出くわした不比等と激しく争ううちに、互いに不思議な感情を覚えて…
 そしてその不比等の父・鎌足の恐るべき正体を知ってしまった韓国広足が妖術で逃れた先で怪人・小子部栖軽と出会い、やむなく行動を共にすることとなります。

 巨大な謎の下、敵味方がそれぞれに出会い、別れ、戦い、愛し合う様が複雑に入り組み、物語を織りなすのは伝奇ものの醍醐味ですが、この巻で味わうことができるのはまさにそれ。
 新たなるまつろわぬ民と出会うこととなったオヅヌ。自らの出自に悩む中、敵であるはずのコウに強く惹かれる不比等。文字通り虎穴から逃れたものの、さらなる暗き淵にはまった広足…
 この巻ではまだそれぞれが勝手に動き回っていますが、それがこの先、どのように交わることになるのか、これは大いに気になります。

 個人的に一番気になるのは、妖術師・韓国広足の行方で――奸佞な心と強大な妖力を持ちながらもどこか抜けていて、そこをさらに邪悪な存在(ここでは栖軽)に漬け込まれて振り回されるというのは、朝松作品における妖術師の定番でありますが、この巻での広足の姿はまさにそれ。
 これまで、設定の割に今一つ迫力というものが感じられないな…と思っていましたが、なるほど、コイツはこういう立ち位置だったのか、と朝松ファン的に大いに納得しました。
(ちなみにこのタイプのキャラは、ヘタレたようでいて最後の最後に攻守所を変えて大暴れするので、大いに期待している次第)

 それにしても、ざっと見てみただけでも、オヅヌたちキの民、湖賊、藤原鎌足、不比等、広足と栖軽と、物語の勢力分布はいよいよ混沌。ここに、皇族の複雑怪奇な人間関係がさらに絡むのですから、行き着く先は全く見えません。
 歴史的事実(伝説も含めて)にその答えの一つが見て取れますが、しかしその隙間を埋めるのが伝奇というもの。本作の一層の伝奇的展開に期待します。


 ――と思ったらしばらく休載!? そ、それはちょっと…


「オヅヌ」第4巻(梶原にき&朝松健 幻冬舎バーズコミックス) Amazon

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2008.05.01

「双霊刀あやかし奇譚」第2巻 異形の青春恋愛譚完結

 兵衛介と吉光、二人の霊が取り憑いた脇差により、幾度となく命を救われた早苗。いつしか早苗は兵衛介を慕うようになり、兵衛介もまた、守り刀として早苗を支えようとする。だが、兵衛介はその力を徐々に失い始め、抑えを失った吉光は血に飢えた暴走を始める…

 「双霊刀あやかし奇譚」の第二巻にして完結編であります。
 二人の霊を宿した刀というユニークなアイテムを中心に据えたこの作品、第一巻を最初に読んだときは、妖怪退治ものになるのかな、と思いましたが、豈図らんや、人間と幽霊のラブロマンスになるとは…いや、面白い。

 人間と幽霊の恋愛というのは、それこそ山のようにありますが、幽霊――兵衛介の側は刀に縛られた身。しかもその身は何故か徐々に力を失い、存在が薄れつつある状況にあります。
 ここで感心したのは、兵衛介の存在が薄れる理由が実によくできていること。この理由、兵衛介の特異なキャラ設定ならではのものであると同時に、早苗とのドラマ展開に密接につながるもので――つまりは本作という物語の根幹に絡むものであります。
 そしてそれが、さらに吉光の暴走の理由ともつながっていく辺り、うまいものだと感心いたしました。

 もっとも――一つだけ難を言えば、こうした設定を生かすには、文庫二冊というのはいかにも短かった、と感じます。せめてもう一冊、物語が描かれていれば、上記の設定とそれが生み出すドラマも、より一層印象的なものになったのではないか(特に吉光周りが)と感じた次第です。

 それは今更言っても詮無いこととして、第二巻できちんと結末を迎えた本作。終盤の展開は、個人的にはかなり厳しいものが――つまらないという意味ではもちろんなく、悲しい/つらいという意味――あったのですが、しかしそれだけに結末は、ああ、本当に良かったな…と寂しくも暖かい気持ちになれました。
 異形の青春恋愛譚として、良い作品だったと思います。


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