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2008.06.30

「無限の住人」第23巻 これまさに逸刀流無双

 いよいよ七月より放送開始のアニメにタイミングを合わせるように「無限の住人」最新巻が発売されました。最終章に突入してから、剣戟アクションシーンがぐっと増えた感のある本作ですが、この第23巻では、今までにましてのアクションシーン満載であります。

 前巻で江戸を離れることとなった逸刀流ですが、もちろん彼らが今更おとなしく幕府の言うことを聞くわけもない。加賀編のように、陽動作戦に出た天津たちの向かう先は…というわけで、この巻の主役は、完全に彼ら逸刀流であります。
 久々に登場した(といっても、まだ早過ぎるんじゃない? という感も正直ありますが…)ある人物と万次との対話から、本作のテーマらしきものがぼんやりと見えたり、凛と凸凹くノ一コンビの漫才があったり、何だか作者の分身のように思えてきた尸良の鬼畜ショーありと、その他のキャラクターたちの動きも色々あるのですが、その後、単行本の八割方を費やして描かれる逸刀流の大暴れぶりの前には霞みます。

 逸刀流――天津影久、凶戴斗、馬絽祐実、怖畔と、残った中ではほぼ主力というべき四人の剣士が向かう先は、何と江戸城。それもその大手門を堂々と突破して、群がる城侍を斬って斬って斬りまくる様は、まさしく逸刀流無双とも言うべきもの(しかしどうやったら怖畔は殺せるんだろうね)。

 特に印象に残ったのは、馬絽祐実の大暴れ。
万次に似ているくらいしか印象のある馬絽ですが、刀身に穴を空けて軽量化した野太刀という本作ならではの得物を振るい、鬼神の如き大活躍であります(さすがに爆裂弾はずるいと思いますが)。

 そして血戦に次ぐ血戦の果てに、天津らが取った行動、彼らの江戸城乱入の目的とは――おそらく時代もの史上でも屈指の馬鹿馬鹿しくもとんでもない、そして痛快極まりないもの。
 普通で考えれば、全くもって正気の沙汰とは思えない行動ですが、しかし彼らの存在意義を考えれば十分に頷けるものがあります。そしてそれと同時に、そうせざるを得なかった彼らの姿に、何とも言えぬもの悲しさを覚えるのですが――

 しかし、行きはよいよい帰りは――というわけで、さすがに帰りは行きのようにはいかず、満身創痍となった逸刀流の中で、ただ独り残って追っ手に立ち向かうのは馬絽祐実…
 さてはあの大暴れは死亡フラグであったか!? とまでは申しませんが、さてこの先彼を待ち受けるドラマは、というところで次巻に続くきます。


 しかしさすがにネタキャラとはいえ大番組頭の名前に雲霧仁左衛門はないよな。


「無限の住人」第23巻(沙村広明 講談社アフタヌーンKC) Amazon
無限の住人 23 (23) (アフタヌーンKC)


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2008.06.29

コクーン歌舞伎「夏祭浪花鑑」に行ってきました

 ご趣味はと聞かれれば、時代劇…ではなく古典芸能観賞と答えてしまう私ですが、恥ずかしながら、渋谷はシアターコクーンのコクーン歌舞伎を観たのは昨日が初めて。
 演目は「夏祭浪花鑑」、題名通り夏の祭に湧く大坂を舞台とした作品で、大坂の町人の心意気と、それが招いた思わぬ悲劇の姿が描かれる名作なのですが…なかなかユニークなアレンジがなされ、面白い舞台となっていました。

 男伊達で鳴らす団七が、主筋の放蕩息子・磯之丞とその恋人・琴浦を匿ったことから様々な事件に巻き込まれ、遂には弾みから小悪党の舅・義平次を夏祭りの喧騒の中で殺害してしまうというのがあらすじ。

 私は以前、文楽でこの演目を観ているのですが、一番の見せ場、名場面として知られる義平次殺しの段は、効果音以外は無音の中で二人がつかみ合い、団七が舅を殺した瞬間、バックに夏祭りの喧騒とともに神輿が飛び出してくるという演出。
 しかしこちらでは、暗闇の中、照明は蝋燭とスポットライトのみでひたすら生々しく二人が取っ組み合い――義平次の方は舞台上に実際に(!)作られた泥沼の中に落ちて泥田坊のようにまでなって――文字通りの泥臭いまでのぶつかり合いが殺人で終わった次の瞬間! 舞台上が一瞬に明るくなり、奥から一斉に祭の衆がどっと駆けてくるという演出。文楽での静と動のコントラストも見事でしたが、こちらでの、喧騒のなかに登場人物の感情がふっと溶けていくような感触も、なかなか味わい深いものがあります。

 話が前後しますが、今回の演目は夏祭りが背景ということで、舞台上だけでなく、通路やロビーを含めた会場全体がお祭りムードで統一され、時にはそれらの空間まで使用しての演出が実にダイナミックな面白さでした。
 特にラストの、殺人が露見して逃れる団七と捕り手(一斉に舞台上に出現するシーンに吃驚)の派手な大立ち回りは、舞台本来の楽しさに溢れていたと思います。その後に待ち受ける、ある意味メタなオチは、賛否あるかとは思いますが…

 もちろん派手なばかりではなく、登場人物の濃やかな心の動きの描写・演技にも見るべき点は多く、個人的に強く印象に残ったのは、団七の親友の妻・お辰を演じた中村七之助の演技。
 磯之丞を匿おうと申し出るも、お前は色気がありすぎるので間違いがあってはいけないと断られ、それでも女の一分を通すため、己の顔の半面を焼いてみせる場面は、女としての意地・覚悟・悲しみ・ためらいと、様々な感情の渦が、表情と所作から伝わってきて感心させられました。個人的には、歌舞伎によくある女性が割を食うこの手の展開は嫌いなのですが、そういった好き嫌いを超えて感心させられたのですから大したものです。


 色々と大胆な演出もあり、真面目な歌舞伎ファンの方はどう思うかはわかりませんが、私個人としては大満足の舞台でした。また追いかけなくてはいけない対象が増えたかな。

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2008.06.28

「愛しの焔 ゆめまぼろしのごとく」第1巻 戦国メロドラマ開幕

 Webコミック連載第一回に一部で話題になった、明智光秀を主人公とした戦国メロドラマ(?)「愛しの焔」の単行本第一巻であります。以下、本編のネタバレがございますので要注意。

 時は天文十七年――己が身を寄せる斎藤道三が、娘の帰蝶を尾張のうつけ・織田信長に嫁がせることを知った光秀。幼い頃から共に育ち、また自分を慕ってきた帰蝶との別れを前にして、光秀が取った策は、帰蝶の侍女・蜜(ミツ)として輿入れに付いていくというもの(第一の「えーっ」)。
 しかしその女とは思えぬ度胸を見せられた信長は蜜に惚れ込み、こともあろうに新床の晩にミツの唇を奪ってしまうのでありました(第二の「えーっ」)! …と、この辺りでこれは私の読んではいけない漫画なのではないかと思いつつ、とりあえず第一回ラストまでは…と思って先を読んでみれば、二人が揉み合う中、はだけた光秀の着物から見えた膨らみは…明智光秀! 君は女!(第三の「えーっ」)

 いやはや、第一回から「えーっ」三連発、BLかと思いきや真っ当な(?)お話で、私としては安心しつつも、こういうやり方か! と膝を打った次第。
 萌えとかそういうもの抜きで、戦国武将が実は女だった、という話は、矢切止夫先生の「上杉謙信は女だった」に代表されるような上杉謙信ネタから、最近では織田信長や伊達政宗を女性にした作品も発表されていますが、明智光秀を女性にした作品は、ちょっとすぐには思いつかないような気がいたします。

 そして本作は光秀を女性にしただけではなく、その光秀に信長が惚れ、しかし光秀自身は道三のことを…(一見、百合ん百合んに見えた帰蝶との間柄が、道三を通して見るとまた違って見えてくるのがうまい)というドロドロ展開。物語の冒頭では、本能寺で信長と光秀が対峙するシーンが先取りして描かれますが、果たしてここに至るまでになにがあったのか…色々と気になります。


 しかし、現時点でどうにも気になってしまうのは、この光秀女性化に、物語の上での必然性が感じられないことであります。極端なことを言ってしまえば、別に光秀が男のままでも話は成立するのではないか、ということで、光秀を女とすることが、、史実に意外な(説得力のある)解釈を生んだり、歴史を動かす原動力になるとは、現時点ではさほど感じられないのです(上記の道三への想い、というのはありますが、これだけではちょっと弱い)。

 もちろん、これはやはりまだ第一巻の段階で言うのは時期尚早かもしれません。少なくとも絵柄、描写力の点では、これが初単行本化作品とは思えないほどに安定しておりますし、一風変わった戦国メロドラマとして読む分には全く問題はありませんので――
 この先、本作ならではの説得力ある、新たな光秀像が描かれることを期待いたします。


「愛しの焔 ゆめまぼろしのごとく」第1巻(もとむらえり ソフトバンククリエイティブFlex Comix) Amazon
愛しの焔~ゆめまぼろしのごとく~1 (Flex Comix―フレア)

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2008.06.27

「亡霊怪猫屋敷」 柔と剛の妖魔

 九州の片田舎に暮らす医師のもとに現れた奇怪な老婆。以来、続発する怪事に不審を抱いた医師が土地の老僧から聞かされたのは、彼の屋敷にまつわる過去の陰惨な事件だった。屋敷の主である城代家老に殺害された名家の青年の怨念を背負った飼い猫が、家老をはじめとして多くの人間を惨殺したというのだ。現代に復活したその怨念の行方は果たして…

 本作「亡霊怪猫屋敷」は、後に中川信夫によって映画化された作品。同じく「怪猫 お玉が池」のタイトルで映画化された「私は呪われている」と並んで、橘怪猫文学(という言葉があるかは知りませんが…)の双璧(というか双生児)であります。
 怪猫ものは基本的に時代もの、江戸時代を舞台とした物語がほとんどでありますが、本作は、江戸時代に起きた化猫騒動をサンドイッチする形で、前後に現代を舞台とした物語が展開され、一作に二つの面白さというだけでなく、現代まで連綿と続く怨念の凄まじさを印象づける効果を上げています。

 が――本作を読んでいた時の私の印象は、半ば近くまで、あまり芳しいものではありませんでした。なるほど、夜更けに奇怪な老婆が何処かより現れ、医師の家を大いに脅かす冒頭部分はなかなかにムードがあって面白いのですが、過去パートにおいては、怪猫の正体・行動を一つ一つ丁寧に地の文が解説していて、恐怖感が大いに薄れてしまうのです。
 本作は、「少女の友」に連載された作品とのことですが、やはり(こういう表現は嫌いなのですが)女子供の読むものだからナァ…などと一瞬でも思った私が、すみません、馬鹿でした。

 過去パートのクライマックス、恨み重なる城代家老に、さらにその周囲の人間に、怪猫の復讐の爪の襲いかかるシーンの凄まじさときたら! それまでの怪異は単なる下準備に過ぎなかったと言わんばかりに一気に展開するゴアまたゴアの残虐シーンの連続は、おとなしめの展開に油断していただけに、大いに震え上がらされた次第です。

 さて、そんな本作を読んで改めて思い知らされたのは、化猫というキャラクターの持つ、柔と剛の二面性とでも言うべきものであります。
 化猫が、人に化けるというのはしばしば聞くところで、知らぬ間に人を喰い殺してその相手にすり替わるというのは(本作にも登場しますが)定番のシチュエーションであります。そうして犠牲者に忍び寄る怪猫の有様を柔とすれば、一度本性を現して暴れ回る様は、剛の一言。日本の妖怪変化の中でも、この化猫はかなりの武闘派と呼んで良いのではないかと思います。

 この二面性は、現実の猫の行動を観察してのキャラクター化であるかと思いますが、これは他の妖怪変化にはない特徴・特長というべきものであり、さらにも一つ――これは現実の猫とはある意味正反対のような気がしますが――その行動原理が基本的に主人の仇討ちというのも含めて、この辺りをうまく活かせばまだまだ怪猫ものには可能性があるのでは…と感じました。


 ちなみに本作は、微妙にレア化の進んでいる橘外男作品の中では珍しく、新刊で入手することができるのですが(さらに「逗子物語」「蒲団」等の橘怪談の名品も収録されていて実にお得!)、もう一方の「私は呪われている」の方は古本で入手するしかないのが残念なところ。しかしここまで来たら「私は~」の方も何とかして読まねばならぬかと、手に入れる算段で頭を悩ましている次第です。


「亡霊怪猫屋敷」(橘外男 中央書院「橘外男ワンダーランド〈怪談・怪奇篇〉」所収) Amazon

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2008.06.26

「飛騨の怪談」 綺堂幻の怪談は…

 東京で医術を学んで故郷の飛騨に帰った市郎は、謎の怪物・山ワロの存在が、今なお恐怖をもって語られていることを知る。その存在を一笑に付す市郎だが、しかし彼の祖父には、山ワロとの奇怪な因縁があった。そしてその因縁が甦ったかのように、彼の周囲で奇怪な事件が続発する。姿を消した父を求めて、山ワロの巣窟である洞窟に向かった彼が見たものは…

 綺堂作品の中で、今に至るまで一度も復刊されてこなかったという幻の作品が、この「飛騨の怪談」であります。
 これは多くの綺堂ファンが思ったことではないかと思いますが、タイトル的に綺堂怪談の名作「木曾の旅人」の長編バージョン的内容かと思いこんでいたところ、これがむしろ怪談というよりもむしろ冒険奇談というべき、全くもって意外な作品でした。

 舞台となるのは周囲を山に囲まれた明治の飛騨。そこに跳梁する怪物・山ワロと人々との対決を描いた本作は、活劇あり、秘境探検あり、悲恋あり、伝奇ありと実に盛りだくさんで、新聞連載という媒体によるためでしょうか、エンターテイメントとしてなかなか面白い作品となっています。

 とはいえ、何よりも注目すべきは、怪奇小説としての本作の顔でしょう。
 怪奇小説の中には、人類誕生の以前から、あるいは人類の発展と平行して潜み棲む先住民族を題材としたものや、人間と極めて近しい存在ながらもどこか異なる亜人間を描いたものが時折登場します。私は勝手にそれらを先住民族ホラー、亜人ホラーなどと呼んでいますが、本作はその中に分類される作品かと思います。
 しかし本作のユニークな点は、山ワロという土俗的な怪異を描きながら、同時に西洋の怪奇小説に通じる味わいを濃厚に湛えている点でしょう。山ワロを単なる人外の妖怪変化として描くのではなく、一種ドキュメンタリー的な手法をも用いて(終盤に山ワロの正体を探る中で、海外の事例を引いてくる件には感心しました)、実体を持った存在として描く手法には、いかにも綺堂らしいモダンな味わいが感じられます。また、山ワロにまつわる諸処の描写には、解説で編者の東雅夫氏がその名を挙げているように、邪悪な矮人の跳梁を描いたアーサー・マッケンの諸作を思わせるものがあり、この辺りの呼吸は、さすがは「世界怪談名作集」の編者たる綺堂ならでは…と感じます。
(なお、同種の存在を描きながらも、どこまでも日本古来の空気感で描いた「くろん坊」と本作を読み比べてみるのもまた一興でしょう)


 と、優れた点も多い本作ではありますが、しかし全体を通して得られる印象は、正直に言って一種の怪作…と言って悪ければ異色作といったところでしょうか。
 良く言えば波瀾万丈、悪く言えば粗いストーリー展開、綺堂にしてはちょっと珍しい冒険小説的・活劇的ムード、そして何よりもラストで明かされる伝奇的過ぎる山ワロの正体…ことに最後の点は、私個人としては大好きなのですが、エッこういう展開? 的なものがあり、終盤の怒濤の展開と相まって、例えば「青蛙堂鬼談」の味わいを期待して読むと、ちょっと驚かされることになるのではないかと思います。

 上記の、土俗的でありながらモダンな味わいのある怪異描写や、劇中で描かれる野生児と莫連女の悲恋物語の件など、なるほど綺堂の作品と言われれば、そうかとも思いますが、言われずに読めば、戦前に書かれた怪奇冒険小説の一つ、で終わってしまいそうな気がいたします。

 私のような好事家は格別、一般の綺堂ファンにとって、珍しい以上の価値があるかは、さてどうでしょう。このような点、さらに言えば山ワロの正体の微妙な危険球ぶりなどもあいまって、これまで幻の作品であったのも頷けない話ではありません。
 もっとも、繰り返しになりますが私個人は楽しく読むことができましたし、綺堂ファンとして怪物ホラーファンとして、本作を復活させてくれた東氏に、大いに敬意を表したいと思っているところです。


「飛騨の怪談」(岡本綺堂 メディアファクトリー幽BOOKS) Amazon
飛騨の怪談 新編 綺堂怪奇名作選 (幽BOOKS 幽ClassicS)

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2008.06.25

「忍法十番勝負」(その三) 作品内外の真剣勝負

 三日連続の「忍法十番勝負」紹介もいよいよラスト、今日は残る八番勝負から十番勝負までであります。

八番勝負 小沢さとる
 いよいよ十番勝負も終盤戦。遂に徳川方に渡った絵図面が、意外極まりない戦いを引き起こす本作を描くのは小沢さとる先生。小沢先生といえばやはり潜水艦ものの印象が強く、事実、この前年に「サブマリン707」を開始し、数年後に「青の6号」を連載することとなるのですが、時代ものを描いてもやはりうまい、の一言です。
 何よりも凄まじいのは本作の趣向…絵図面に記された抜け穴が実はフェイクであったことを知った徳川家康は、しかし、徳川方・大坂方双方の注意を引きつけることを目的として、絵図面の価値をもっともらしく思わせるそのためだけに、配下の少年忍者・伊賀丸と、服部半蔵を決闘させようというのですから…! 裏切りなどではなく、主君の命により、無駄とわかっている争いを繰り広げさせられる忍者の存在こそ哀れですが、そこに大坂方の忍者も絡み、さらに終盤にはどんでん返しも用意されていて、見事なストーリーテリングに脱帽です(だから伊賀丸がどう見ても影丸のコピーとか言わない)。


九番勝負 石ノ森章太郎
 そして九番勝負は、前作からワンクッション置くかのような痛快無比な一大活劇。描くのは石ノ森章太郎先生ですが、これがもう完全に忍者ものの枠をブチ抜いたかのようなド派手なアクションを見せてくれます。
 再び繰り返される忍者たちの争奪戦の中、偶然絵図面を手に入れたのは、風来坊忍者三人組。そこに襲いかかるのは、絵図面を追う伊賀忍者と行者体の白忍者、二つの忍者集団で、たちまち三つ巴の壮絶な忍法合戦、いや忍法戦争と言うべきものが始まるのですが――大鉞がブーメランの如く舞い、手刀が骨をも断ち、大地が真っ二つに裂け、山犬の群れが地を埋め尽くす…と、石森先生お得意の超人ヒーローや超能力者同士の激突を、そのまま忍者ものの世界に投入したかのようなアクションにはただただ圧倒されます。
 内容的には、本当に最初から最後までバトルの連続で終わるのですが、その中で、十番中ほとんど唯一と言ってよいほど、絵図面に執着を見せない主人公トリオの存在感が際立って見えるのも面白いところです。


十番勝負 横山光輝
 さてラストの十番勝負は、やはりこのお方――白土三平と並んで忍者漫画の大御所たる横山光輝先生で締めであります。最終戦の舞台となるのは、豊臣方が立て籠もる大坂城。この十番勝負が、大坂城抜け穴の秘密を巡って繰り広げられたことを考えれば、ラストにまことにふさわしい舞台であります。
 家康の唯一の心残りである千姫救出のため、抜け穴の在処を探して次々と襲い来る幕府の忍者を迎え撃つのは猿飛佐助に霧隠才蔵のビッグネーム。彼らの他にも、南光坊天海に木村重成、豊臣秀頼と、お馴染みの大物が次々と登場して、最後の戦いを華々しく飾ってくれます。
 そして展開される物語はと言えば、もはやここまでくると横綱相撲と言いたくなるような、全く危なげないストーリー運びで、まさに大家の風格充分と言ったところ。繰り広げられる忍法合戦には、横山ファンであればお馴染みのシチュエーションも色々と登場するのですが、これはむしろ横山忍者アクションの集大成と見るべきでありましょう。
 ラストの一コマで坂崎出羽守の名が語られ、一番勝負と繋がるという構成もまた、見事と言うほかありません。


 と、長々と紹介してきた「忍法十番勝負」ですが、今回読み直してみて、改めてその完成度の高さに驚かされました。今までの印象では、諸先生方が好きなように物語を展開させていた印象があったのですが、八番勝負と十番勝負で家康の心情がちょっと矛盾するのを除けば、きちんと物語が繋がるようになっていたのには大いに感心いたしました(何を今更、といったところですが…)。
 内容的にも、これまで縷々書き述べて参りましたように、諸先生方がそれぞれの魅力を存分に発揮して、一つとして同じ印象のない、十の物語を展開しており、その豪華な顔ぶれを考えるまでもなく、実に贅沢な作品であったと思います。
 月並みな表現でありますが、物語中の忍者のみならず、その物語を描き出した各先生方もまた、真剣勝負に臨んでいた――そんな印象が残る、名著でありました。


「忍法十番勝負」(石ノ森章太郎ほか 秋田文庫) Amazon
忍法十番勝負 (秋田文庫)


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 「忍法十番勝負」(その二) いよいよ大御所出陣

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2008.06.24

「忍法十番勝負」(その二) いよいよ大御所出陣

 昨日からの「忍法十番勝負」紹介、今日は四番勝負から七番勝負までであります。

四番勝負 古城武司
 本書に収められた十編中、恥ずかしながら唯一作品を読んだ記憶がないのが、この古城武司先生でした。唯一、私がはっきりとわかるのは、特撮時代劇「白獅子仮面」のエンディングイラストを描いていることですが、初めて読んだ古城作品は、柔らかめの絵のタッチながら、非情かつひねりの効いた忍法合戦を描き出していて、印象に残るものでした。
 今回絵図面を巡って死闘を繰り広げるのは、二つの忍者集団。その一方、かげろう組から飛騨忍党側についた裏切り者に奪われた絵図面を追うのが本編の主人公・風丸ですが、面白いのは、風丸が敵はおろか、味方の素顔すら知らされていないこと。かくて、如法暗夜を行くが如く、風丸の探索行が始まるのですが――これが実に面白い。
 誰が敵で誰が味方かわからない状況下で繰り広げられる争奪戦は実にサスペンスフルで、終盤のどんでん返しまで、一気に読み通すことができました。壮絶な決戦の後に描かれる一コマが、わずかな救いとなって心に残ります。


五番勝負 桑田次郎
 さて折り返し地点の五番勝負を担当するのは、平井和正と組んでの数々の作品を残した桑田次郎先生です。桑田作品と言えば、独特のちょっとバタくさい描線がまず浮かびますが、それは本作でも健在。その絵で展開される物語は、しかしこれまでの絵図面争奪戦とは一風変わった趣向となっています。
 冒頭から描かれるのは、深山から流れ落ちる川に次々と忍者の死体が流れていくというショッキングなシーン。今回絵図面を手にしたのは、黒雲が峰に潜む「魔王」と名乗る忍者、この魔王に挑んだ忍者たちが、次々と返り討ちにされた結果が冒頭の場面であります。その魔王に挑むは真田幸村の配下かすみ丸ですが…
 正直なところ、魔王とかすみ丸の決闘は存外あっさりとしているのですが、しかしネーミングといい、いかにも桑田キャラな悪役的たたずまいといい、魔王のキャラクターが印象に残る一編でありました。


六番勝負 一峰大二
 五番勝負を受けて、再び真田忍者かすみ丸が活躍する(使う術は違うものの、同一人物と思ってよいのでしょう)本作を担当するのは、一峰大二先生。太い描線の迫力あるアクションが印象的な方ですが、本作もまた集中の異色作の一つであります。内容こそ絵図面争奪戦ではありますが、今回かすみ丸の前に立ちふさがるのは忍者にあらず剣法者――徳川の忍者の元締めの一人であり、最強の剣法者たる柳生宗矩であります。
 かくて本作で描かれるのは、忍法対剣法の異種格闘技戦。いかにもトリッキーなかすみ丸の忍法に対し、宗矩の剣法は、超人的ではあるものの、あくまでも正当派の豪剣で、水と油の両者の戦いがクライマックスの決闘に雪崩れ込んでいく様は、大いに興味をそそります。その内容も、巻物に導火線をつけての決闘といい、宗矩の剣に立ち向かうかすみ丸最後の忍法といい、ギミック満載で漫画的楽しさに溢れている好篇でありました。


七番勝負 白土三平
 さて七番勝負にして大御所出陣。忍者漫画の一方の雄というべき白土先生の作品がここで登場です。不純物は一切抜きで、二手に分かれた忍者がひたすら死闘を繰り広げるという内容は、短編なだけに、白土忍者バトルの魅力がより一層凝縮されて感じられます。
 本作で命がけの術比べを演じるのは、一方は真田方の鳥使い・宿鳥と、己の皮膚を硬質化させた無敵の肉体を持つガンダメ。そしてもう一方は、無数の犬を操る(おそらくは)伊賀の術者・犬万――無数の数でもって襲いかかる動物たちが勝つか、不死身の肉体が勝つか? 最後の勝者の姿はあまりに意外ながら、しかしいかにも白土作品らしいものとなっております(というかこのキャラクターも白土スターシステムの一員ですね)。
 ちなみに本作は、「忍法秘話」に「犬万」の題で収録されており、こちらを先にご覧になった方もいるかもしれません。


 もう一回続きます。


「忍法十番勝負」(石ノ森章太郎ほか 秋田文庫) Amazon
忍法十番勝負 (秋田文庫)


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 「忍法十番勝負」(その一) 十番勝負の幕上がる

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2008.06.23

「忍法十番勝負」(その一) 十番勝負の幕上がる

 堀江卓先生の「矢車剣之助」刊行記念、というのは強引に過ぎますが、よく考えてみればきちんと紹介していなかったのが、選ばれた十人の漫画家による伝説の連作企画「忍法十番勝負」。
 大坂の陣直前、大阪城の抜け穴を記した絵図面を巡って、徳川方と大坂方それぞれの忍びが死闘を繰り広げる本作をいま改めて読み返してみれば、これがまた――当たり前のことながら――実に面白い。そこで本作を今日から三回に分けて紹介したいと思います。

一番勝負 堀江卓
 事の発端となる一番勝負は、大坂城建築を担った大工たちが集められた夕月村から、彼らの命とも言うべき大坂城抜け穴の絵図面が奪われる場面から始まります。奪ったのは、ペスト菌を持つネズミを操る怪忍者(日本にペストが伝来したのは明治時代とか言わない)、追うのは一匹狼のはぐれ忍者――大坂城一番乗りを目指し、徳川方の各大名が血眼で絵図面を求める中、十番勝負の幕が上がる、というわけです。
 と、その争奪戦だけでも一番勝負としては十分なのに、贅沢なことにそれだけでは終わらないのが本作。物語は、絵図面を求める大名の一人、かの坂崎出羽守を巻き込んでの、伝奇的な一大陰謀にまで展開するのですから面白い。単なる幕開けの一編では終わらない、という堀江先生の意気込みが感じられるようではありませんか。
 絵柄的にも「矢車剣之助」の後期に見られるような、シャープな中に暖かみが感じられる本作。アクション・アイディア・ビジュアルと、堀江先生の魅力がよく表れた佳品かと思います。


二番勝負 藤子不二雄A
 お次は、もしかするともっとも有名な忍者漫画かもしれない「忍者ハットリくん」の生みの親、藤子不二雄A先生。一番勝負で世に出た絵図面を巡り、甲賀ねむり組と真田忍党六法師、そしてその絵図面を足がかりに侍として世に出ようとする風来忍者の兄弟が死闘を繰り広げます。
 藤子不二雄としても、より陰影の強いビジュアルを得意とするA先生ですが、本作でもそれは遺憾なく発揮され、それぞれ「風」「雨」「雪」と題された各章において、その名の通りの自然現象が印象的な画で描き出されてています。特に雪の場面などは、白抜きのコマ全てに、霏霏として雪が降っているかのように見えるほどの素晴らしい画面作りに唸らされます。
 「風」「雨」「雪」――それぞれの場面に共通する寂寥感・孤独感が、明日なき忍者たちの死闘と相まって、強く印象に残ります。ねむり組の怪忍者の素顔なども、怪奇ものを得意としたA先生のカラーがよく出ているかと思います。


三番勝負 松本あきら(松本零士)
 良くも悪くも今ではすっかり宇宙戦艦と銀河鉄道の先生になった感のある松本零士先生ですが、こちらでは今となっては非常に珍しい忍者アクションを見ることができます。
 主人公は、偶然絵図面を手に入れてしまった大平忍者の若き頭首。乱世の中で独立独歩を守っていた彼らが、絵図面のために伊賀と甲賀の争奪戦に巻き込まれることになります。
 その名の通り平和を愛し、自由と独立を尊ぶ大平忍者の姿は、松本キャラの多くに見られる心意気というものが感じられますが、その彼らが伊賀・甲賀の忍者たちと演じる忍法合戦は壮絶の一言。最後の最後に驚くべき秘密を明らかにする大平忍者の爺の覚悟にも驚かされますが、その他キャラクターとしても、甲賀の頭領・陽炎魔のミュータントめいた奇怪な相貌と、伊賀の頭領・服部半蔵の颯爽たる男ぶりの良さが印象に残ります。彼らもまた、松本キャラの一員と言うべきでしょうか。


 次回に続きます。


「忍法十番勝負」(石ノ森章太郎ほか 秋田文庫) Amazon

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2008.06.22

「吉宗の推理 兵庫と伊織の捕物帖」 構造的な面白さの快作

 姿なき暗殺組織を追う伊織の元に、剣の後輩で東北の大名・大門家に仕える轟小六から、江戸出府の便りが届く。が、そのまま小六は何処かへ姿を消してしまう。一方、吉宗は思い出の女性が大門家の正室ではと睨み、兵庫を送り込もうとする。が、そこに吉宗に恨みを抱く怪忍者・奇妙丸が現れたことから、事態はいよいよ混沌とすることに…

 目付の兵庫と町方同心の本山伊織の、身分の異なる親友同士の活躍を描く伊藤致雄先生の「兵庫と伊織の捕物帖」シリーズ第三弾であります。
 今回は、暗殺組織を追っての捜査と、友人の失踪事件、そして兵庫と伊織、さらに吉宗を付け狙う忍者・奇妙丸の挑戦と、三つの事件が絡み合う盛りだくさんの構成。もちろんこの三つの事件、それぞれがバラバラのようでいて、やがて三つが複雑に絡み合い、登場人物にとっては厄介ながら、読者にとっては実に楽しい展開となっております。

 そして何といっても感心させられるのは、この三つの事件が、それぞれ兵庫と伊織の主人公二人、さらに裏の主人公とも言うべき吉宗に関連付けることにより、複層的な物語を無理なく併走させ、合流させていることでしょう。
 本シリーズの最大の特長は、「捕物帖」を謳いつつも、登場人物や事件の舞台が、江戸市井に留まらず、幕府の上層部に及ぶ点。これが本シリーズに良い意味の破調を生じさせており、また、私好みの伝奇性を与えています。まさに構造的な面白さといったところでしょうか。

 この構造は、しかし、構造がうまく組合わさらなければとっちらかってしまう危険性があります。実際、前巻はそのような印象もあったのですが、今回はそのようなこともなく、破天荒かつユニークな、本シリーズながらの世界を作り出しています。

 このように作品世界が重層となっていれば、自然に登場人物も多くなりますが、本シリーズにおいては、そのそれぞれの個性が明確に描かれてキャラがしっかりと立っているのもまた楽しいところ。
 特に、本作の中心人物である、新キャラクター・奇妙丸はその中でも特にユニークな一人でしょう。美女にしか見えぬ外見ながら、恐るべき忍術・体術の使い手であり、気まぐれとしかいいようのない行動で周囲を混乱させる、まさしく奇妙奇天烈な彼(?)は、まさに本作の台風の目。彼に一方的に気に入られてしまった同じく新キャラの快男児・轟小六同様、この先のシリーズでの活躍が楽しみなキャラクターであります。


 実のところ、本作で描かれた事件の中には、本作中では解決しなかったものもあるのですが、しかしそれはシリーズもので言えば定番のヒキというべきもの。むしろ次の楽しみが増えたと思うべきでしょう。
 新キャラクターを迎えて、この捕物帖らしからぬ捕物帖シリーズがいよいよ発展することを願ってやみません。


 それにしても…吉宗と御側御取次の有馬氏倫との火鉢を巡る問答が面白すぎます。いい年して何やってるんですがあなた方は。


「吉宗の推理 兵庫と伊織の捕物帖」(伊藤致雄 ハルキ文庫) Amazon


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2008.06.21

「常世桜 地神盲僧、妖ヲ謡フ」 桜はいつもそこにある

 東京の片隅、桜の木の傍らの堂宇に住まう盲僧・清玄。伴侶たる琵琶・十六夜とともに三宝荒神を祀り、地を鎮め邪霊を祓う地神盲僧たる彼のもとには、常に不思議な依頼が舞い込む。移ろう時代の中、清玄が十六夜をかき鳴らす時、人間・妖・自然・神々の間に奇跡が起こる。

 フィクションを通して、現実の歴史的事実を知るというのはしばしばあることですが、地神盲僧、地神経読みという存在のことは、恥ずかしながら本作を読むまで全く知りませんでした。
 琵琶を掻き鳴らし、地神を祀る経文を唱える盲僧という存在は、それ自体が伝奇的で魅力的に映りますが、その一人を主人公に据えた本作は、地神盲僧という現実の存在を活かしつつも、そこに作者一流のアレンジを加えることにより、一読忘れがたい印象を残す佳品として成立しています。

 本作は、七つの短編から成る連作短編集。現代・昭和初期・明治・江戸・南北朝・平安・そして再び現代――移ろう時代の中で、まるで彼だけは時が止まったままのように存在し続ける地神盲僧・清玄と、彼の琵琶・十六夜が出会う不可思議な事件が、味わい豊かに描かれています。
 清玄に助けを求めるのは、いずれも尋常ならざる者/モノばかり。当然、持ち込まれるのも、常ならざる難題ばかりですが、それを時に鮮やかに、時に呻吟しつつ清玄が解決していく――というのが本作の基本スタイルであります。

 こう書くと、よくあるゴーストハンターもののように思えますが(その要素もなくはないですが)、しかし彼は人も妖も神々も、須く天然自然のものとして愛し、受け止める地神盲僧。単に邪を祓い、魔を鎮めるのではなく、琵琶の調べに乗せて、全てのものをあるべき姿に、あるべき所に帰していく、ある意味何者よりも優しいその姿が、何とも魅力的に感じられます(それでいて超然としているわけではなく、ひどく人間くさい部分があるのも楽しい)。

 そんな清玄の見えない瞳に映る自然の姿は、ひどく儚く、常に変転していく一方で、その変化をも受け入れ、どこまでも逞しく、変わらず在り続けるものとして描かれます。
 それは一見矛盾しているようですが、咲いた桜が幾ばくもなく散る一方で、翌年には同じ木に桜が咲くように――決して不変ではない、しかし失われていくばかりではない存在、巡り巡っていつか帰りくる存在、それが自然なのです。
 そして本作のユニークな構成、上記の通り現代に始まり、時代を遡っていった果てに再び現代に戻るという構成もまた、それ自体が、この自然の有り様を表しているのだと、理解できます。


 常世という言葉とは、異界の楽園――常世の国を指す一方で、常に変わらないこと、という意味を本来持ちます。
 今までもこれからも、桜はいつもそこにある――そして清玄もまた。万物が変わりゆく中で、それは何と心慰められることではありませんか。


「常世桜 地神盲僧、妖ヲ謡フ」(加門七海 マガジンハウス) Amazon

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2008.06.20

「みんなで読書DS 捕物帳 半七&右門&安吾&顎十郎&旗本退屈男」 163作品収録のお得版?

 専らゲーム専門に使っていたのであまりチェックしていなかったのですが、改めて調べてみると、ニンテンドーDSには、現在結構な数の電子ブック的ソフトが発売されていて驚かされます。
 昨日発売された「みんなで読書DS 捕物帳 半七&右門&安吾&顎十郎&旗本退屈男」もその一つ。随分と長いタイトルですが、内容はタイトルそのまま。「半七捕物帳」「右門捕物帖」「明治開化 安吾捕物」「顎十郎捕物帳」「旗本退屈男」が全話(!)収録されたソフトであります。

 冷静に考えれば私、ここに収録された作品全部持ってるor読んだことあるので、わざわざ手に入れる必要はなかったのですが、やはりこの手の商品は実際に自分の目と手で確かめてみなくては! と間違った使命感に燃えて買ってきました。

 このソフトでは、DSを縦に使用、十字キーの方を下にして持つことになります。基本操作は、縦に持った状態で下のキーが「決定」「しおりを挟む」、上が「戻る」、左右で「カーソル移動」「ページめくり」と極めてシンプルで、その気になれば片手持ちで操作できるのは、なかなか好感が持てます。
 肝心の読書画面ですが、文字サイズが固定なのはちと残念ですが、書体・背景・BGMを設定してカスタマイズできるのは、定番とはいえちょっと楽しい。まあ、DSの画面サイズを考えれば、あまり文字サイズを大小してもしかたないのかもしれません。
 ちなみに私はLiteではなく昔のDSを使っているのですが、書体は「明朝」や「ゴシック」ではちょっと滲んで見えてしまい、意外にも「丸文字」が一番見やすかったりします…これは人それぞれかな。
 いずれにせよ、操作感としては水準、画面に表示される文字数も、さほど多くはないものの、二画面ということもあり、十分実用に耐えます。

 さて、ぶっちゃけた話をしてしまえば、本ソフトに収録されているのは、いずれも青空文庫にも収録されているものばかり。その意味では、PCや携帯電話でネットに接続できる環境がある方にとっては、あまり意味のないソフトであると言えます。確かに、収録されている作品数――「半七」が69、「右門」が38、「安吾」が21、「顎十郎」が24、「退屈男」が11の、合計163作品(!)――からすると、非常にお得なのですが、ネットで見れば無料だし…という考え方もできます。

 とはいえそれはやはり一面的な見方、本ソフトがおそらく対象としている年齢層を考えれば、ネット使用率は存外に低いのだろうと思いますし、そういった層にとっては、十分どころでなくお得で意義のあるソフトではないかな…と思った次第です。


「みんなで読書DS 捕物帳 半七&右門&安吾&顎十郎&旗本退屈男」(ドラス ニンテンドーDS用ソフト) Amazon

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2008.06.19

「魔人ハンターミツルギ」 第10話「悪魔の使者 サソリ怪獣!」

 サソリ軍団らの手により、老人と数人の子供たちを残して壊滅した宿場。復讐に燃える子供たちは、里に伝わる強力な毒の材料を手に入れるため山に向かうが、サソリ軍団に捕まってしまう。さらに子供たちを人質に取られ、捕らえられる三兄弟。処刑台にかけられ、「智」の剣を折られてしまう三兄弟だが、銀河の術で剣は復活。巨大神ミツルギと怪獣カブトンが戦いを繰り広げる中、恨みの込められた毒がカブトンの頭を直撃、ミツルギにより止めをさされるのだった。

○いきなり子供たちをさらっていくサソリ忍者たち。今回の隊長は…地獄の道化師チックというかなんというか。そして子供を求めて山狩りする大人たちをカブトンが襲撃。口からの炎で村人全滅…人死にすぎです。隊長、自分のこと「バチバチ」って名乗った?

○惨劇の噂を聞きつけて廃墟と化した宿場を訪れた三兄弟。そこで彼らを待ち受ける怪しい影…は、子供たち? しかしいきなり手榴弾を叩き込もうとする三兄弟コワス

○生き残りの口から語られる惨劇の真相。宿場を滅ぼしたのは、サソリ軍団に娘を殺されたのを、宿場の者の仕業と思いこんだ領主の手の者だった! …ある意味、今回最大の衝撃です。

○三兄弟の登場に、分別らしく復讐をあきらめようとする爺さんですが、子供たちはそれを拒否。岩をも溶かす強力な毒の力で復讐を…って、爺さんが状況説明しているうちに子供二人は毒草を求めて山へ。

○月光を残し、子供たちを助けに行く銀河と彗星。その頃速攻で見つかった子供たちはサソリ忍者に捕らえられて…って、何も考えずに毒の壷を配下の方に投げて全滅させちゃう隊長アホス

○江戸に進路を取るカブトン。それにしても毎回毎回江戸を狙って、魔人様のお上りさん根性にも困ったものよ…そして将軍様から理不尽に怒られる半蔵が本当に哀れ(ちなみに今回の出番はこれだけ)

○罠だらけの窪地に捕らえられた子供たちを颯爽と助けに現れる銀河たち。しかし罠に気をつけろ、って言った次の瞬間に足を罠に挟まれるのはいかがなものか。

○とりあえず子供たちを、本当に人を石に化してしまう化石の術で逃がす銀河たち。身動き取れないところを火矢で撃たれるも、忍法抜け殻の術で逃げる二人。完全に喰らってから術を使っているんですが…ちなみにこの後の乱戦で、サソリ隊長も同じ術を披露。なかなかやります。

○助けられた子供たちは偶然毒草を発見。宿場に戻って毒を作り始めますが、宿場に残っていた子供たち二人が、意味ありげな表情を…

○相変わらず乱闘を続ける銀河たちとサソリ忍者。銀河兄さん、念力か何かでサソリ数人を集めて紐で縛り、木に変えて火を付けるというわけのわからない術をさりげなく使います(本当に意味不明)。そこに響き渡る魔人様の声。「徹底的な馬鹿者めが!」徹底的キタコレ!

○やっぱり子供に化けていたサソリ忍者(いつの間に!) さらに無数に忍者が現れ、一人戦う月光は金属の輪で戸板に張り付けにされてしまいます。隙を見計らって隊長に毒をかけようとした爺さんは、見破られて自分で毒を被ってしまい、いやな感じにドロドロに溶けてしまうのでした。

○江戸の井戸という井戸に毒を投げ込もうとする隊長。戻ってきた銀河たちを欺こうと忍者たちは月光らに変装、お茶と見せかけて毒を飲まそうとするも…天井に思いっきり本物の子供がぶらさがってたもんだから一発で見破られ、毒をニセ月光の顔面に(って本物が操られていたらどうする気だったのだ兄さん)

○月光を人質に取られて捕らえられる一同。それどころか、隊長によって銀河の「智」の剣が折られてしまった! これではミツルギに変身できない! そしてカブトンが迫る…

○と、ここで銀河の念力が…って、ちょっと目を疑う衝撃映像が。折られた刀身と柄、それぞれにかぎ爪付きの足が二本生えて歩き出して…いや、その剣生きてたのか!? もうおっかなくて剣を直視できないよ! とか言っているうちに剣は繋ぎ合わさって復活。

○念力で剣を操って脱出した三兄弟、今こそ(キモイ剣を使って)変身だ! が、低い姿勢からのカブトンのタックルをもろにくらって無様に転倒。ミツルギのピンチに、年長の少年が毒の壷をミツルギにパス! 何か壷が巨大化した気がするけど気にしない!(しかし少年はサソリ忍者に殺されてしまうのでした…)

○執念の毒をカブトンの顔面に叩きつけるミツルギ。跡形もなく顔は溶け去りますが…カブトン、いきなり仕込み杖を取り出して座頭市の真似。しかも岩を斬ったらその中から徳利が出てきて、それをミツルギに投げ上げて斬ると大爆発…もうわけがわかりません。

○そんな理不尽コントにつき合わないミツルギは、火炎弾でカブトンをガチに瞬殺。逃げる隊長にも火炎弾です。よほど怒っていたんだろうなあ…

○そして生き残りは子供二人…仇は取ったものの寂しさが残ります。


 冷静に考えるとこれまでのエピソードの中でも一、二を争うくらい陰惨なストーリー(まさか宿場を滅ぼしたのが人間自身だったとは…)の一方で、目を疑う(というかスタッフの頭を疑う)ようなナンセンスシーンが随所に挟まれるという、不可思議極まりないお話。普通、クライマックスで子供が命がけで渡した――そして今回の物語のキーアイテムである――毒薬が炸裂してフィニッシュと思いきや、その後に頭を無くした怪獣が座頭市ごっこって…
 それにしても恐ろしかった足の生えたミツルギの剣。あれ、剣に見せかけた寄生生物かなんかじゃないだろうか。巨大神ミツルギの合体変身も、何だかおぞましく見えてくるから困る。


<今回の怪獣>
カブトン
 四本足の甲虫に三日月の兜飾りとカツラをつけたような姿の怪獣。口からの炎を武器とし、固い体で鉄砲もはじき返す。顔が無くなっても行動可能で、どこからか取り出した仕込み杖で座頭市ごっこを披露した。人間(特に子供)の血が好物。


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 「魔人ハンターミツルギ」 放映リストほか


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2008.06.18

「バーニングヘル 大焦熱地獄」第1回 地獄の釜の蓋、開く

 表紙のカットを見て、「これは時代伝奇の匂い…」と手に取ってみたのは今週のビッグコミックスピリッツ。その予感はどうやら当たったらしく、梁慶一&尹仁完の「新暗行御史」コンビによる新連載「バーニングヘル 大焦熱地獄」は、一読、先の展開が気になる壮絶な作品でありました。

 舞台となるのは日本で言えば江戸時代、日本と朝鮮の真ん中に位置する絶海の孤島・極島。朝鮮では乱倫の罪人を、日本では凶悪な罪人を――共に流刑地として利用していたその島に、日本から新たな罪人が送り込まれる場面から物語は始まります。
 その罪人の名はジュウ(妙な名前…)、千人以上の武士を殺し、その肉を喰らったという文字通りの食人鬼ですが、厳重に封印されていた箱の中から彼は脱出、火縄銃もものとはせず、殺して殺して殺しまくる…といういきなりの惨劇。何せ、本土から彼を連れてきた役人たちが、とにかく船で逃げるしかないくらいですからほとんど怪獣並みの暴れっぷりです。

 が、島に一人残され、食物を求めて彷徨う内に何者かの罠に嵌った彼が、意識を取り戻してみたものは、無残に生皮を剥がれた無数の人体。これを成したのは、朝鮮の医師ながら連続殺人と死体解剖の罪で流刑となったキン・ハンなる美青年。人を生きながらに解剖することに悦びを覚えるキムに片目を潰された上、今にも解体されそうになるジュウは、怒りに燃えて反撃を開始し、二人の刃が交わって――

 と次の場面は一年後、極島に現れたのは、紅骸骨団なる海賊の船。ある「お宝」を奪い取ってこの島に逃れてきた海賊たちの前に現れ、凶刃を振るうのは、一年前の決闘で生き残ったのか、ジュウその人――というところで第一回はおしまいであります。

 とにかく、登場人物のほとんど全てがキチガイ(殺人鬼)かその犠牲者、という実に恐ろしい本作、先の展開が本当に全く読めないのですが、さすがに梁慶一の筆の描写力は凄まじく、ただただその勢いだけでこの連載第一回は疑問を差し挟む間もなく一気に読み切ってしまいました。
 なるほど物語が始まった次の瞬間から、無造作に死がばらまかれていく本作を「地獄」とはよく言ったもの。誰一人とて感情移入できそうにない怪人たちが集まっての物語は、これからどういった展開を見せるにせよ、血で血を洗う阿鼻叫喚の巷とならざるを得ないでしょう。

 個人的に気になったのは、紅骸骨団の船長・マクマホン(この船長も、一睨みで人間を破裂させるなど、どう見ても常人ではありませんが)の口から出た「偉大なる“ロア”」という言葉。
 ロアと聞いて真っ先に思い出すのはブードゥー教の精霊の名ですが…仮にこのロアがブードゥーのロアであれば、死人で溢れる極島には、あまりに似合いすぎることになりますが、さて…

 なお、本作は四号連続合計112ページのシリーズ連載とのこと。四号連載して一休みとなるのか、四話で完結ということになるのかはわかりませんが、まずはこの一ヶ月間、蓋が開いた地獄の釜の中身を、見せていただくこととしましょう。


 しかし片目でジュウ…まさかね

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2008.06.17

「悪忍 加藤段蔵無頼伝」第2巻 痛いほどの画の力

 海道龍一朗の同名小説の漫画化「悪忍」の単行本もこれで二冊目。雑誌掲載が不定期なために、なかなか会えないこともあるのが何ともやきもきさせてくれますが、しかし第一巻と変わらぬド迫力で安心いたしました。

 神出鬼没の果てに、一向一揆で揺れる加賀に現れた加藤段蔵。朝倉家に狙いを定めた段蔵は、富田治部左衛門に近づき、その懐に潜り込んで…という展開がこの巻のメイン。
 何の後ろ盾も持たぬ男が、桁外れの情報収集能力と底知れぬ武術、そして命知らずのクソ度胸でのし上がっていく、というのはこの種の物語のパターンではありますが、朝倉家に一向宗の本家・分家、さらには長尾景虎と武田晴信まで絡む混沌とした状況の中で、水を得た魚のように活動する段蔵がパワフルでなかなか面白い。何よりも、登場する作品が違うんじゃないかというくらい、他のキャラと違いすぎる(いや、絵柄を意図的に変えているわけですが)段蔵の凄まじい眼光はインパクト十分で、漫画の画の持つ力というものを感じさせます。

 しかし何よりも画の力というものが痛いほど伝わってくるのは、今回初めて描かれる段蔵の過去エピソードでしょう。何故段蔵が義というものを憎むのか、伊賀の服部一族から追われるのか…段蔵の運命を決定的に変えることとなった少年時代の事件が、第二巻の終盤で描かれるのです。
 自分以外の存在全てに牙を剥いていた段蔵少年が、命を救われ、そして心を開くこととなった伊賀の少女・桔梗。段蔵が慕情を寄せた彼女が、しかしその後にどのような運命を辿ることとなったか――それは、実は第一巻に一シーンのみ描かれており、おそらくは私を含めた多くの読者にとっては「これは一体どういうことなのだ?」と強く印象に残っていたと思うのですが――そのあまりの痛ましさと、その反動として噴出した段蔵の激しい怒りと憎悪の有り様は、これはまさしく画あっての説得力ではないかと、強く感じた次第です。

 さて、段蔵の過去の一端が描かれた一方で、現在の方でも段蔵の暗躍は続きます。独り忍びであるはずの段蔵が頼みとする深編笠の男は何者か、朝倉家の正室を襲った段蔵と瓜二つの男は何者か…さりげなく謎と伏線が描かれるなかで、Ninja Del Picaro――すなわち「悪忍」のこれからの活躍や如何に。第三巻は、もう少し早い登場を期待したいところです。


「悪忍 加藤段蔵無頼伝」第2巻(今泉伸二&海道龍一朗 新潮社バンチコミックス) Amazon


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2008.06.16

「さらば、一刀流」 還ってきた幽剣抄

 「幽剣抄」久々の新作「さらば、一刀流」をようやく読むことができました。
 本作は昨年十月に発売された「さいはての家 その他の物語」に書き下ろしで収録されたものですが、シリーズの連載が終了したのが2003年ですから、約四年ぶりの復活ということとなります。

 さる藩で水明一刀流を営む黄楊草之介の前にある日現れたのは、水明流とは源流を同じくする鏡源一刀流の面々。土地に根付き、静かに一流を広める水明流と対照的に、貪欲に他流を併呑し、己の勢力を伸長せんとする鏡源流が、草之介に「助力」を求めてきたのでありました。
 もちろんこれを断った草之介ですが、次に彼の前に現れたのは鏡源流師範・境源木斎の娘。実はかつて彼女と将来を誓いあった仲であった草之介は、彼女の誘いをも断るのですが…
 そしてそして鏡源流と町道場の対抗戦が開かれることとなった時、源木斎の提案と、それに対する草之介の答えは――

 という内容の本作ですが、一読してまず抱いた感情は、驚きでした。まさか、このような結末となるとは…という。
 およそこのような物語であればこうなるであろうというこちらの予想を覆し、そして、まさしく一刀を以てすっぱりと断ち切ったような結末は、初め大いに意外に感じましたが…しかし、次に、これで良いのかもしれないと感じるようになりました。

 その結末について詳細に述べることはマナー違反に当たりますし、それ故感想も詳細に述べることができないのがもどかしいのですが、これも剣の道――己の道に生きた、生きてきた人間の有り様、一つの結末と、哀しみとある種の共感をもって受け止めた次第です。。


 「幽剣抄」は、人の世の有り様を、剣と怪異で以て描いてきた連作シリーズですが、本作で描かれる怪異は、他の作品に比べれば、まことに細やかなものであるかもしれません(シリーズ読者であれば、すぐに予想がつくでしょう)。
 しかし本作で描かれた人の世の有り様は、その怪異すら瞠目するしかないほどの壮絶なもの。本作もまた、見事に「幽剣抄」の一編であります。


 「さらば、一刀流」とは、誰が、誰に対して投げかけた言葉なのか――重く胸に残ります。


「さらば、一刀流」(菊地秀行 光文社「さいはての家 その他の物語」所収) Amazon

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2008.06.15

七月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 まったく私事で恐縮なのですが、今年の七月早々に一つ年をとります。年男ですよ三度目の! 「不思議だな…人は年を取り続けても、夏は変わらずにやって来る…」とか往壓さんのマネをしている場合ではありません。まあそれでも何でも生きていると良いことの一つや二つはあるわけで、そんなことの一つが新しい時代伝奇作品との出会い――というのはそれはそれで問題ですが、とにかく七月の時代伝奇アイテム発売スケジュールです。

 文庫小説では、何よりも気になるのが4日発売の「世話焼き家老星合笑兵衛」シリーズの最新作「花見の宴」。私の大好きなシリーズであり、個人的にもっともっとメジャーになってよいタイトルと思っているだけに、新刊発売がそのきっかけになればと期待します。また、近刊の刊行ペースも快調な上田秀人先生の作品は、10日の「勘定吟味役異聞」シリーズ第七弾「遺恨の譜」が登場です。
 一方、異形コレクションの最新刊は、ちょっとびっくりの「未来妖怪」。異形コレクションといえば、うちのサイト的には朝松健先生の室町伝奇ホラーですが、これがまた凄い趣向らしいので楽しみです。
 その他、文庫化・復刊としては、柳蒼二郎先生の「元禄魔伝」の文庫化第二弾「秘伝 元禄骨影の陣」や、微妙に快進撃のランダムハウス講談社時代小説文庫から、シバレンの「決闘者 宮本武蔵」の続刊、そして何故か(?)多田容子先生の「双眼」が登場です。
 また、武侠小説としては4日に金庸先生の「雪山飛孤」が文庫化。あのラストには色々とご意見がある方も多いと思いますが、あれはあれで私は結構好きです(一巻本で収まりもいいしね)。

 さて漫画では、何と言っても、先日完結したばかりの「Y十M 柳生忍法帖」最終巻第11巻が4日に発売されるのに注目。まあ、作者的に書き足し等はなさそうですが…その他シリーズものの続刊としては、同日に「諸刃の博徒 麒麟」の第4・5巻が一気に登場のほか、23日に「戦国戦術戦記 LOBOS」第3巻と漫画版「大江戸ロケット」第2巻、25日に漫画版「大帝の剣」第2巻、そしてこれまた第2巻の「赤鴉」が28日に登場と、かなりの充実ぶりです。
 また、嬉しい驚きは、商業出版化されながらも出版社の倒産で立ち消えとなっていた「ネリヤカナヤ」の復活。人間待っていると良いこともあるものです。
 そして、個人的に最愛の時代漫画の一つ、「矢車剣之助」は六月の「疾風編」に続いて18日に「迅雷編」全三巻が刊行。これは後半部分の単行本化かな?(ストーリーはさておき、絵的には後期の絵が気に入っているのです)

 ゲームでは、何だかずいぶん待たされた感のある「サムライスピリッツ 六番勝負」が24日にWiiPS2で発売。しかしPS2版は通信対戦があるのに(有料ですが)、Wii版はその代わりにミニゲーム付きとは…こういうことをやってるからWiiのサードソフトは売れないとまだわからんのでしょうか。
 それはさておき、その他微妙に時代ものから外れますが、一部の表現の問題で1日「ソウルキャリバー4」がXBox360PS3で発売。また、PSPではPCエンジンで発売されたシリーズ全作を収録した「天外魔境コレクション」が31日に発売されます。同時に「第四の黙示録」のベスト版も発売されるのですが、一体ハドソンに何が起きたのか。


 さて最後に時代伝奇以外の個人的に注目アイテムですが、やはり夏は怪談の季節、ということで、7日の「「超」怖い話M」、15日の「怖い本」と平山夢明先生の新刊二冊が登場…って大丈夫かしら。そしてその他にも福澤徹三、平谷美樹の両先生の怪談本も今年も登場ということです。

 そして最後の最後。24日発売の熊谷カズヒロ先生の単行本「モノクロームボックス」が個人的に非常に気になっています。単行本の内容はまだわかりませんが(というより集英社から発売予定だった「モノクロームジェット」の単行本かしら)、「コミックバーズ」誌で新連載が始まることもあり、大いに楽しみにしているところであります。

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2008.06.14

「絵巻水滸伝」 第七十一回「浪子」前編 痛快豪傑絵巻いよいよ再開!

 怒濤の第一部完結から早八ヶ月…「絵巻水滸伝」の第二部が、昨日からWebサイト上での連載が開始されました。
 期待と不安と共に第二部の連載開始を待ち続けていた身としては、実に、実に嬉しい知らせであります。

 「絵巻水滸伝」についてはこのブログでもこれまで第一部全十巻を紹介してきましたが、もう一度ここで紹介すれば…
 「絵巻水滸伝」とは、文:森下翠、絵:正子公也のコンビによるリライト版「水滸伝」。「文」においては、原典にあった矛盾点や理不尽な部分を解消しつつ、人物やストーリーの魅力を最大限に引き出した追加・再構成を行い、そして「絵」においては、英雄画を描かせれば当代随一の筆でもって、原典の数多い登場人物たちの個性を極限まで引き出し――私も大の水滸伝ファン、これまでも様々な水滸伝を読んできましたが、その中でもおよそ最上級の作品と断言できます。

 さて、第一部は梁山泊に豪傑一百零八人が集結したところまでが描かれましたが、第二部の舞台はその数年後から。いよいよ荒廃の進む大宋国を、梁山泊目指して旅する三人の少年が出会うという、本作オリジナルの場面から、物語が始まります。
 ちょっと気が早いですが次世代の物語を予感させる三人の前に現れたのは、この第七十一回のタイトルの由来(の一人)であろう浪子燕青。第一部のラストでもほとんど主役級のフィーチャーだった燕青ですが、今回も実においしい登場シーンであります。

 そして舞台は移り梁山泊。燕青と三人の少年たちが、東京に献上される灯籠を奪ってきたことから、ほとんどその場の勢いで、宋江らは東京の元宵節の灯籠祭見物に出かけることになって…と、ここからは原典にあった宋江の東京行となります。
 この東京でのエピソードは、原典をお読みの方であればよくご存じの通り、後半の物語で大きな意味を持ってくるもの。わずか数行の出番に過ぎないながら、実に「らしい」言動を見せてくれる好漢たちの姿にニンマリとしていたところで、燕青の前に、もう一人の「浪子」の寵愛甚だしい傾城の美姫・李師師が登場したところで、後編に続く、ということと相成ります。


 さて、いよいよ始まった第二部ですが、原典通りの展開であれば、この後梁山泊は、大遼国と対決し、そして王慶・田虎・方臘と死闘を繰り広げることになります。
 この、いわゆる「征四寇」の物語は、正直なところ一百零八人が集結するまでに比べると、いささか精彩に欠けるというのが正直なところで――そして何よりもファンにとってはあまりに悲しい展開もあって――、きちんと描かれることの少ない部分ではあります。
 しかしながらこれまでも我々ファンの期待に応えつつ、それ以上のものを見せてきてくれた本作。第一部でも今後の展開に関する伏線が散見されておりましたし、何よりも、この先の物語を面白くしたいという気持ちは、森下&正子両氏こそが、最も強く持っているであろうことを考えるに、私は全く心配していません。

 ほとんど不意打ちのような連載開始(公式ブログの方では香港旅行記が掲載されていますしな)には大いに驚かされましたが、これからこの先、もっともっと我々を嬉しく驚かせてくれることでしょう。あとは、この痛快豪傑絵巻の次回の更新が少しでも早いことを祈るのみ、です。


公式サイト
 キノトロープ/絵巻水滸伝


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 「絵巻水滸伝」第3巻 彷徨える求道者・武松が往く
 「絵巻水滸伝」第四巻 宋江、群星を呼ぶ
 「絵巻水滸伝」第五巻 三覇大いに江州を騒がす
 「絵巻水滸伝」第六巻 海棠の華、翔る
 「絵巻水滸伝」第七巻 軍神独り行く
 「絵巻水滸伝」第八巻 巨星遂に墜つ
 「絵巻水滸伝」第九巻 武神、出陣す
 「絵巻水滸伝」第十巻 百八星、ここに集う!

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2008.06.13

「大奥開城 女たちの幕末」 大奥上臈、京へ

 帝を奉じた薩長の進撃の前に幕府も風前の灯となる中、京から敗走してきた徳川慶喜は、これ以上の内戦を避けるため、江戸城大奥の和宮に、朝廷との調停を依頼する。その使者を命じられた和宮付きの上臈・土御門藤子は、一路京へ向かうが、幕府・薩長・朝廷の複雑な思惑が、藤子の一行に危機を招くのだった。

 明治維新によって江戸城の住人は総入れ替えとなったわけですが、当然、大奥に暮らしていた数多くの女性たちも江戸城を退去したことになります。冷静に考えれば、大事であったはずのこの史実は、しかし――同時期によりドラマチックな事件が様々にあったこともあって――ほとんど顧みられていないのが現状です。
 本作は、その大奥開城にスポットを当てるとともに、江戸城無血開城という大事の陰で、人知れぬ苦闘を繰り広げた人々の姿を描くドラマであります。

 作者の植松三十里氏は、歴史小説家ということもあって、お堅いイメージがあったのですが、本作は、「ハリウッド映画が好きだ。(中略)そんな感じの歴史時代小説が書けないものかと、ずっと考えていた」とあとがきで作者自身が語るとおりのエンターテイメントの快作。
 主人公の土御門藤子をはじめとして、登場人物のほとんどは実在の人物なのですが、そこに巧みな想像のエッセンスを加えて、徳川家の、いや、大奥で暮らす女人たち、さらには江戸の人々を救うための江戸から京への決死行が、手に汗握るタッチで描かれます。
 その内容は、むしろ特務部隊ものの冒険小説的――すなわち、共通の目的のために集まった個性的なメンバーが、時に反目しつつ、時に協力しつつ、絶望的な状況下で戦いを繰り広げるという、そんなテイストが感じられます(主人公と相手役のロマンスは、まあ、予想通りというかなんというかですが…)

 しかしもちろん、エンターテイメント一辺倒でないのももちろんの話。個人的に感心させられたのは、主人公の藤子をはじめとする女性たちの描写、藤子と、彼女と共に京に向かう大奥の女性の描写であります。
 大奥に入った女性たちは、基本的には外の世界にほとんど触れることなく、大奥の中のみで暮らす定め。そんな彼女たちが、突然大奥の外に出されることとなったとき――それも日本の命運を握る任務を背負わされて――果たして彼女たちがそれをどう受け止め、何を感じることとなるのか。一種、成長小説的側面を持つ本作ですが、その中で描かれる彼女たちの姿は(こういう表現はあまり好きではないのですが)女性作家ならではのもの、と強く感じます。

 特にそれが強く感じられたのは、登場人物の一人、お比呂を巡るドラマであります。和宮と事あるごとに対立する天璋院(徳川家定夫人のあの篤姫であります)方の中年寄である彼女は、立場といい、性格といいビジュアルといい、藤子とある意味対極に位置する女性ですが、その彼女が旅の途中で出会ったある事件により、どのように変わっていくか――そのドラマには、胸に迫るものがありました。


 「大奥」といい「篤姫」といい、今現在でキャッチーなキーワードが並ぶものの(それが今回の文庫化につながっているのだろうなあとは思いますが)、しかし内容はエンターテイメント性と歴史ドラマ性を両立させた本作。大奥――いや、女性というキーワードから幕末を、江戸開城を描いてみせた佳品であります。


「大奥開城 女たちの幕末」(植松三十里 双葉文庫) Amazon

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2008.06.12

「天誅4」制作発表会に想う

 第一報から少しく時間が経ってしまいましたが、忍者ゲームの雄「天誅」シリーズの最新作にしてナンバリングタイトル「天誅4」製作発表会のニュースは、私にとってちょっとした驚きでした。今日はシリーズの歩みを振り返りつつ、思うところを少し。

 そもそも「天誅」とは何かと言えば、プレイヤーが忍者となって敵地に潜入し、様々な任務を果たしていくという、スタイルのアクションゲーム。忍者と言っても超人的な忍法が使えるわけではなく(つまりバッサバッサと敵を倒すわけにはいかず)、任務達成のためには物陰に隠れ、人目を盗み…文字通り忍ぶことが必要となるのが、本シリーズのユニークな点であります。
 このタイプのゲームはいわゆるステルスアクションと分類されますが、私の知る限りステルスアクションを「和」の世界で成立させてみせたのは本シリーズが初めて。第一作が出たときには、その手があったか! というコロンブスの卵的な驚きとともに、「忍者ごっこ」をリアルな形で成立させてみせたゲームデザインのセンスに感心したものです。

 さて、今年ではや十周年ということで、シリーズの作品数もかなりのものとなっています。移植版やアッパーバージョンを除いたとしても、
・立体忍者活劇 天誅(1998 プレイステーション)
・天誅 弐(2000 プレイステーション)
・天誅 参(2003 プレイステーション2)
・天誅 紅(2004 プレイステーション2)
・天誅 忍大全(2005 PSP)
・天誅 DARK SHADOW(2006 ニンテンドーDS)
・天誅 千乱(2006 XBox360)

ということになりますが、実は作中の設定年代がバラバラなことで、ストーリー順に並べると、弐-DS-天誅-紅-参(千乱は番外編、忍大全は天誅~4までの間に使用キャラクター毎にエピソードが入ります)になるのが何ともややこしく、しかし(設定ファン的には)面白いことになっているものです。


 さて、前置きが長くなりましたが、今回の「天誅4」発売の報で私の目を引いたのは二点。
 まず一点目は、開発スタッフが初代「天誅」のアクワイアに戻ったこと。これは、シリーズの成り立ちをご存じない方には「?」かと思いますが、簡単に言ってしまえば、「天誅 弐」までとそれ以降では、シリーズタイトルは同じながら、開発スタッフが異なっているのであります(詳しくはこちらをご覧下さい)。

 シリーズタイトルが同じで、スタッフが(時にキャストも)異なるというのは、映画などではよくあることですが、ゲームでもしばしばあるというのは、ゲーム好きの方であればよくご存じかと思います(大抵その場合、昔からのファンは涙を呑むことが多いのですが…本シリーズの場合どうだったかはこの際置いておきます)。
 その後アクワイアは、別メーカで「忍道」という、「天誅」を発展させた忍者ステルスアクションゲームを開発することとなったため、アクワイアが「天誅」シリーズにタッチすることはもうないのか、と思っていたのですが――この「天誅4」で復帰するとは、嬉しい驚きであります(同時に、「忍道」の立場は…という気もしますが)。
 実に五年ぶりのナンバリングタイトル(=シリーズ本編)といういわばリスタートの作品を、オリジナルスタッフが手がける、というのは、これはある意味実に相応しい組み合わせであり、そして何よりも、シリーズファンにとっては実に嬉しいニュースでしょう。

 もう一点私が驚いたのは、本作のプラットホームがWiiとなったことです。
 興味のある方はよくご存じかと思いますが、現在の据え置きゲーム機においては、Wiiが爆発的な売れ行きを見せている一方で、PSシリーズの継承機たるPS3の方は勢いが今ひとつ(というより既に…)。
 さて本シリーズは上記の通り元々プレイステーションで始まり、展開してきたもの。それがここでリスタートというべき作品をWiiで発売するということは、上記の現在のゲーム業界、ソフトメーカーの動向を考えると、実に興味深いものがあります。

 もっとも、ソフトの売上げという点で見ると、Wiiで売れているのは任天堂のものがほとんど…というのが現在の状況。そんな中で、シリーズのナンバリングタイトルを投入してくるということは、冒険のようでいて、逆にメーカー側の覚悟、気合いの入れようが感じられます。大げさに言えば、本作が、今後のWiiでのソフト動向を占うカギとなるかも…という気持ちすらあるのですが、さて。

 何はともあれ、Wiiユーザーとして、「天誅」ファンとして、発売を楽しみに待っている次第です。ちょっと気が早いですが、発売日に買って紹介するつもりです。


「天誅4」(フロム・ソフトウェア Wii用ソフト) Amazon


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2008.06.11

「ひきずり香之介 狐落し 序之章」 秘剣、業を斬る

 京の町を、鞘をひきずりつつ往く浪人・愛州香之介。かつては陰流の達人として知られた彼は、狐憑きとなった妻を斬ったことを悔い、妻に憑いた狐を探しさすらい続けていたのだった。己の中の秘めた欲望から野狐に取り憑かれた女性たちに、香之介の秘剣が閃く。

 「○○△△之介 ××斬り」などといえば、最近の文庫書き下ろし時代小説のタイトルのパターンの一つ。本作もタイトルだけ見ればその一つかと思いそうですが、しかし本作は時代漫画であって、そして主人公が相手にするのは人間の悪党ではなく、人に憑いて害をなす狐、であります。
 まさしく本作は「現にあったものかなかったものか定かではない話」、まことに私好みの作品でありました。

 恥ずかしながら、作者の正木秀尚氏の作品を読むのはこれが初めてなのですが、その絵柄は一見時代劇離れしているようでいて、それでいて京の街並みと、そこに生きる人々の姿を、時にクールに、時に情感豊かに描き出していて、大いに好感が持てます。

 そしてその画と密接に結びついて、本作の最大の魅力となっているのは、作中で描かれる女性たちの「業」の姿ではないでしょうか。
 本作で描かれるのは、人間、それも女性にに憑いて害を為す野狐の跳梁と、それに対する香之介の活躍(といっても香之介氏、どこか一本抜けているのですが…それはさておき)ではありますが、その中で圧倒的なインパクトをもって迫ってくるのが、内に秘められた業の存在なのです。

 本作に登場する怪異は、もちろん女性たちに憑いた野狐が引き起こすものではありますが、しかしその野狐が引き出すのは、いずれもその宿主の中に元々在った、秘めたる昏い欲望。
 その女性が元々持つもの、さらに言ってしまえばその女性の女性たる所以が、野狐の力を借りて迸る様は、圧倒的に生臭く――しかし同時に美しく、感じられます(特に、剣道場を一人守る女性を描いた「お多江の段」は圧巻!)。
 そしてそれは、上に述べた作者の筆の冴えに依るところ大でありましょう。個人的には、妖怪退治ものとしてみれば、狐を封じる和歌にもう少しケレン味を持たせて欲しかった、というのはありますが、それを補って余りあるものが、本作にはあります。


 なお、本作は掲載誌「刃」が休刊となったために、ひとまずの完結。香之介の因縁にも一応の終止符が打たれたのですが、題名に「序之章」とあるとおり、まだまだ物語は続けられるでしょう。新たに背負った因縁とともに、香之介が野狐と、女性の業と対決する姿を、いつかまた見ることができることを祈ります。


「ひきずり香之介 狐落し 序之章」(正木秀尚 小池書院キングシリーズ刃コミックス) Amazon

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2008.06.10

「栞と紙魚子の百物語」 胃之頭町化物コンクール

 たくさん出ているようで思ったより出ていないような――そんな印象もこのシリーズらしい「栞と紙魚子」シリーズの六冊目であります(実は前の巻が刊行されたのが三年前と知って少々驚きました)。
 つい先だってまで「ネムキ」誌に掲載されていた分まで、相変わらずのゆるゆるで、それでいて非常に魅力的な物語が全七話収録されています。

 連作ホラーシリーズらしく、次から次へと新しい住人が登場する胃之頭町ですが、今回も妙な面子がぞろぞろ登場。奇怪な妖怪本を封じる本の狩人から、サービスシーンも悩ましい麗しの美女神、まるで伝奇ものに登場しそうな美形転校生…まあ色々と誇張も混じっていますが、とにかく賑やかで大変よろしい。
 これまでのシリーズファンにとっても、おさげをほどいた紙魚子が活躍(?)したり、段先生ご夫妻のなれそめが語られるなど、興味深いエピソードが多く収録されています。

 ラストのエピソードなど、ちょっとゆるすぎないかな…ちょっとパワーが衰えてきたかな、という印象もなきにしもあらずですが、冷静に考えれば、パワーに満ちあふれた本シリーズというのも逆に想像不能。このくらいのペースで丁度いいのかもしれません。

 さて、そろそろうちのサイトに関係のある話題に持っていけば、本書に収録されたエピソードの中でも、私が最も楽しく読んだのは「栞と紙魚子物怪録」。鋭い方であればすぐに気付かれるかと思いますが、あの「稲生物怪録」のパロディというか何というか…であります。

 「稲生物怪録」とは、今の広島県三次市で江戸時代の寛延年間に実際に起こったと言われる怪奇事件の記録。
 少年武士・稲生平太郎が、好奇心で魔所と呼ばれる山に出かけたのをきっかけに、稲生家において実に一月の間連続した怪異を克明に綴ったこの物語は、稲垣足穂先生をはじめとして様々な作家の手により取り上げられてきましたが、さて諸星先生の手にかかると…

 平太郎の剛胆ぶりに業を煮やしたもののけの総大将・山ン本五郎左衛門が、時空を超えて各地に助っ人を求めたのに巻き込まれた栞と紙魚子。こともあろうに胃之頭地区のもののけ代表ということにされてしまった二人は、江戸時代の平太郎の前に送り込まれる羽目に。
しかも、すったもんだの挙げ句、何故か栞は平太郎に化けて物怪たちの出現を待つことになって…

 剛胆というより天然というべき平太郎や、総大将の割りに微妙にセコい五郎左衛門など、原典の登場人物たちに、如何にも本作らしいアレンジがなされているのも楽しいのですが、何よりも、困った困ったといいつつも、普段が普段なだけに結構状況に適応してしまっている栞と紙魚子の姿が実に愉快であります。
 そしてクライマックス、ほとんど反則に近いシチュエーションで第三の助っ人が登場するシーンには、爆笑させていただきました。

 考えてみれば、彼女たちの日常こそが「物怪録」そのもの。なるほど相性が良いのも道理…というのはこじつけですが、どちらも、怪奇なるものに対するある種の親しみに溢れているのは間違いない話。
 「稲生物怪録」は、残念ながら三十日で幕となってしまいましたが、「栞と紙魚子」の物語は、まだまだこの先も、ゆるく何となく続いていくことでしょう。胃之頭町のもののけたちとの再会を楽しみにしつつ、こちらものんびりと待つことにしましょう。


「栞と紙魚子の百物語」(諸星大二郎 朝日新聞出版眠れぬ夜の奇妙な話コミックス) Amazon


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2008.06.09

「無宿千両男」 いま楽しければOK!?

 江戸を騒がす怪盗むささび小僧に、阿部家の御金蔵が破られた。その責めで理不尽にも留守居役・海保左内から切腹を命じられた青年武士・多門一平は、汚名を晴らすため、主家を飛び出す。その一平の前に現れたのは、人斬り浪人・怒怪四郎。一平の腕が立つと見て、執拗に立ち会いを望む怪四郎だが…

 祥伝社文庫で刊行が続いている太田蘭三先生の貸本時代の時代小説「怒怪四郎」シリーズの第三弾が、この「無宿千両男」であります。
 今回怪四郎が挑むのは、江戸の闇に跳梁するむささび小僧の謎。千両箱を次々と盗み出す怪盗に、千両役者・怪四郎が挑むという趣向ですが、もちろん一筋縄でいくはずがありません。

 なにせ怪四郎といえば、酒と人斬り、それも強い奴を叩っ斬るのが何よりも好きという剣呑にもほどがある男。いかにも正統派の(?)時代劇ヒーロー然とした本作のもう一人の主人公・一平が腕が立つと見るや、とにかく斬らせろ斬り合わせろと、物語の進行そっちのけで騒ぎだすのが困りもの…というか本作の楽しいところであります。
 もちろん、正しい時代活劇エンターテイメントたる本作ですから、最後には手を取り合って悪に立ち向かうことになるのですが…
(怪四郎のちょっとイイところも見れますしね)

 何はともあれ、ストーリーはお約束的ながら、アンチヒーローとしての怪四郎の存在感がいいアクセントとなって実に楽しい作品となっている本作。怪四郎の生き方同様、とにかくいま楽しければOKという作品ではありますが、その姿勢はエンターテイメントとしてはもちろん正しいもの、帯の謳い文句にあるとおり、「これぞ正統派」であります。

 本作は、作者にとってもシリーズの中で格別の愛着を持っている作品とのことですが、それもわかるような気がする、楽しい作品です。


 ちなみに、今回の表紙も、イラスト・タイトルの配置ともども実にスマートで洒落たもの。こういうのをいい仕事というのでしょう。


「無宿千両男」(太田蘭三 祥伝社文庫) Amazon


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2008.06.08

「麝香姫の恋文」 原動力はロマンチシズム

 舞台が戦前というだけで、時代ものでもなんでもありませんが、私の隠れた好物である探偵小説でもあり、たまにはこういうのもいいでしょう。
 昭和初期の帝都東京を舞台に、怪盗淑女・麝香姫と、飄々とした一高教師・間宮諷四郎の対決を描いた本作、先頃文庫化もされた作品であります。

 辣腕でもって知られる実業家・神宮寺啓介の元に届けられた大胆不敵な予告状――それは、近頃帝都を騒がす怪盗麝香姫からの「恋文」でありました。とある縁からこの事件に挑むことになった諷四郎は、その背後に潜む意外なカラクリを暴いてみせるのですが、しかしそれは本当の事件のプロローグ。
 啓介の元からある秘密を奪った麝香姫は、引き替えに驚くべき要求を突きつけるのですが、さて、麝香姫の真意はいずこに…

 と、気持ちのいいくらいに時代がかった本作、レトロな冒険活劇といえば、作者の独壇場ですが、本作ではそれに加えてちょっと耽美なムードと、溢れんばかりのロマンチシズムがたっぷりふりかけられています。本作の挿画を担当したのは波津彬子先生ですが、実にピッタリとはまっております。

 探偵小説において、最も注目すべきは――そして作者が力を入れるべきは――探偵とそのライバルの造形ではないかと個人的に思いますが、特に怪盗の造形からみれば、本作はまさに理想の作品。
 真に美しいもののみを狙うという麝香姫は、その艶やかな異名にふさわしい、美しくも大胆不敵な怪盗淑女。華やかな社交界の花形を表の顔としながらも、裏の顔を見せるときには一人称が「ぼく」の男装の麗人となるのもまた面白い。

 その麝香姫が狙ったもの、それが何かは、物語の中盤で明らかになりますが、ではなぜそれを狙うのか――つまり、彼女が真に狙ったものは何だったのか、それが本作最大の謎であり、魅力であります。
 それは、冷静に考えればあまりにも浮き世離れしたものではありますが、しかし、本作の舞台装置は、まさにそれを可能とするためのお膳立てのにために構築されたものと考えるべきでしょう。
 こんな、ロマンチシズムが物語の原動力である、大人のためのおとぎ話もあっていいじゃないか…と、私は思います。


 もっとも、本作に対して、決して小さくはない不満があることもまた事実。主人公二人以外の脇役の造形があまりにも紋切り型なのは、なまじ主人公のキャラがよくできているだけに違和感が際だちますし、何よりも地の文の時代がかった言い回しが目について、物語に没入できない部分がありました(これは趣味の問題かとは思いますが…)
 作品として面白いだけに、この辺りがまことに残念なのですが、そこをクリアした続編の登場を、期待しているところではあります。


「麝香姫の恋文」(赤城毅 講談社文庫) Amazon

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2008.06.07

「諸怪志異 鬼市」「燕見鬼」 唐と宋、怪奇と伝奇

 だいぶ以前に紹介した諸星大二郎先生の「諸怪志異」シリーズの第三、四巻が、この「鬼市」と「燕見鬼」であります。
 では何故、全巻合わせて紹介しなかったかと言えば、本シリーズが、前半二冊と後半二冊で、その性格を大いに異にしているから、なのです。

 もともとこのシリーズは、中国を舞台とした怪奇譚・幻想譚による短編オムニバススタイル。狂言回し的存在は幾つかのエピソードに登場するものの、基本的に個々の関連はなく、独立した物語として構成されていました。
 が、今回紹介する二冊は、それと少しく異なり、主人公が設定された、そしてストーリーの大半が連続した一つの物語として、成立しているのです。

 主人公となるのは、四巻のタイトルともなっている青年剣士・燕見鬼。その名の通り、「見鬼」(幽霊や妖怪など、この世ならぬものを見る才を持つ者)であり、前二巻に登場した狂言回し的存在の子供・阿鬼の成長した姿であります。
 前二巻では、見鬼の力こそあるものの、まだまだ未熟で道師・五行先生の後ろについて回るばかりだった阿鬼が、空飛ぶ剣を自在に操る凛々しい美青年として大活躍。
 物語は、第三巻の前半では、見鬼が様々な怪異に立ち向かう、一種のゴーストハントもの的内容ですが、第三巻の後半以降では、怪奇というよりもむしろ明確に伝奇もののスタイルを取ることになります。

 時は北宋末期…皇帝が中央で享楽に耽る一方、地方では民の不満が高まり、それに乗じて不穏な動きが見え隠れする時代。そんな中、見鬼は師たる五行先生の命により、ある書物を胸に、江南地方に向かうこととなります。
 その書物の名は「推背図」、見鬼が江南で出会う人物の名は呂師嚢――とくれば、お好きな方はアッ、と驚いてくれるのではないでしょうか。
 「推背図」とは唐代に記されたと言われる今なお謎多き予言書。そして呂師嚢は、「水滸伝」最後の戦いである方臘の乱において方臘軍の一員として登場する人物。つまり本作は、ここに来て唐代の予言書と宋代の一大伝奇絵巻を結びつけた、壮大な伝奇物語としての片鱗を示すことになるのです。
(ちなみに「水滸伝」関連では、梁山泊の豪傑・武松の有名な虎退治のエピソードが、実に本作らしいアレンジで描かれています)

 が…まことに残念なのは、物語がいよいよ盛り上がろうというところで途絶してしまっているところ。方臘の乱に推背図がいかなる意味を持つのか、その中で燕見鬼の、五行先生の果たす役割は…と盛り上げておいて、ポイと放り出されたのには、なまじ伝奇ファン、水滸伝ファンには興味深い内容だっただけに、呆然といたしました。

 もちろん、それ以前に、これまでの短編オムニバススタイルが良かった、という方はいるかと思いますし、私としてもそうした思いがないとは言いません。
 しかし――狡いことを言うようですが――前二巻もこの二巻も、どちらのスタイルもそれぞれ面白く、また魅力的であることだけは間違いありません。
 そしてまた、短編怪異譚が、やがて長編伝奇物語に変化していくというのは、そのまま中国における物語スタイルの変化につながるものがあるように感じられるのも、興味深いことです。


「諸怪志異 鬼市」(諸星大二郎 双葉社アクションコミックス) Amazon
「諸怪志異 燕見鬼」(諸星大二郎 双葉社アクションコミックス) Amazon


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 「諸怪志異 異界録」「壺中天」 諸星版志怪譚の味わい

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2008.06.06

「蜘蛛巣姫」 “人間以外”への眼差し

 主家を失い、自らも無惨に討たれた青年武士・八郎太。が、敵陣から彼の死体を奪い、奇怪な糸の力で蘇らせた女がいた。彼女こそは、蜘蛛の変化ながら、密かに八郎太を慕っていた妖怪・ヤツメ。八郎太は、彼女のものとなることと引き替えに、捕らわれの身となった姫を助けに向かうが。

 何度も何度も同じ失敗をして後悔するのですが、好きな作家の作品が雑誌に掲載されたのに、しかし「いずれ単行本に入るよ」と思ってスルーすると、それがなかなか単行本に収録されないことがあります。
 私にとって、椎名高志先生の時代ラブコメ「蜘蛛巣姫」もその一つでしたが、このたび、めでたく先生の単行本「(有)椎名大百貨店」に収録されました。

 椎名先生の時代漫画と言えば、現在文庫版で刊行中の快作「MISTERジパング」がありますが、今は亡き「ヤングマガジンアッパーズ」誌の休刊一つ前の号に掲載された本作も、同じ戦国時代を舞台とした――しかし、誰も知らない、ささやかな悲喜劇であります。

 シチュエーションはシリアスなのですが、そこにコミカルなドタバタアクションが入り込んで、なんだかえらく楽しい世界になってしまうというのが、椎名節の一つかと思いますが、それは本作でも健在。
 ページ数の関係か、お話としてはちょっとまとまりがよすぎるというか、良くも悪くもよくできたお話という感はあるのですが、しかし、おっかない妖怪ながら、報われぬ恋心に身を焦がすというヤツメさんのキャラクターも、きっちり面白悲しく描かれていて、まずは安心して楽しめる作品でした。
(文字通りすっぽ抜けたようなオチも愉快)

 何よりも、私が椎名先生の作品において最も魅力的と感じるところの、人間以外の、あるいは人間以上の力を持つ…しかし、時として人間以上に人間らしい心を見せる、そんな存在への暖かい眼差し――それはもちろん、人間自体へ向けられた眼差しでもあるのですが――が本作でも健在だったのが、嬉しいところであります。


 ちなみに本書には、隠れたホームズパロディの名作「GSホームズ極楽大作戦!!」の第二作目も収録されており、ホームズファンでもある私にとっては、二度おいしい一冊でした。


「蜘蛛巣姫」(椎名高志 「(有)椎名大百貨店」所収) Amazon

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2008.06.05

「徳川外法忍風録」 人物チョイスの妙光る

 伊賀者・滝野右近は、久能山に葬られた徳川家康の柩に収められた天下無双の茶器の奪略を依頼される。持ち前の叛骨精神から久能山に忍び込んだ右近だが、そこで家康の遺体から首が失われている様を目撃する。首の謎を追う右近だが、その先には、幕府大目付、さらに怪僧・南光坊天海の姿が…

 火坂雅志先生の過去作を発掘してみようシリーズ。今回は江戸時代初期を舞台に、叛骨の忍びが徳川幕府の闇に挑戦する伝奇活劇です。
 ちなみに、現在のタイトルは、復刊された際に改題されたものですが、旧題については後述します。

 一口に言ってしまえば本作は、この時期の他の火坂作品同様、素晴らしく斬新な傑作! というのではないけれども、エンターテイメントとして普通に面白い作品。活劇シーンの描写や伝奇ものとしてのガジェット、歴史ものとしての目配りなど、飛び抜けて面白いわけではないですが、まずは安心して最初から最後まで楽しむことができる、そんな作品です。

 しかし、そんな中でも作者のセンスを感じるのは、物語の中に、神竜院梵舜や織田長政といった、一般人がほとんど知らないような、しかし時代もの、伝奇ものとしてはなかなか面白い人物を配置している点であります。
 特に、本作の陰の主人公とも言うべき織田長政は、織田信長の弟・有楽斎の子で、自身もかぶき者として大いに鳴らした変わり者の大名という、実においしい設定で、この辺りのチョイスはさすがは…と思わされました。
 特に終盤、彼の血が物語の中で意外な意味を持って現れる件は――題材自体は非常によくあるアレなのですが、しかしそれだからこそ――唸らされました。

 なお、本作の旧題は、「家康外法首」という、伝奇ファンであれば一発で、物語の中心となる謎の正体がわかってしまうという、あまりに神経の行き届いていないもの。
 バックグラウンド的にそもそもなぜ天海がこれを使うのか、と突っ込みたくなる部分もあり(一応説明らしきものはあるのですが)、そこはすっきりしないのですが、まあこれはマニアの見方かもしれません。


 ちなみに、京で商人として暮らしながらも持ち前の叛骨精神と好奇心から厄介ごとに巻き込まれるという主人公のキャラクターは、後年の「骨董屋征次郎」シリーズに通じるものがあり、ファンとしてはなかなか興味深いものを感じた次第です。


「徳川外法忍風録」(火坂雅志 ケイブンシャ文庫) Amazon

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2008.06.04

「国禁 奥右筆秘帳」 鎖国と開国の合間に

 困窮に喘ぐ津軽藩から、石高上げ願いが提出された。奥右筆組頭・立花併右衛門は、その背後に国禁の密貿易の影を感じ取る。その併右衛門を狙う数々の凶刃を向こうに回し奮闘する柊衛悟だが、魔手は遂に併右衛門の娘・瑞紀にまで伸びる。将軍家斉の父・一橋治済の暗躍も続く中、衛悟らの運命は…

 近頃出版ペースも好調な上田秀人先生の最新シリーズ「奥右筆秘帳」の第二弾は、津軽藩の抜け荷事件の背後に潜む巨大な歴史の闇が描かれる一編。
 前作で権力者たちの暗闘に巻き込まれ、松平定信の庇護下に入った併右衛門ですが、しかし陰謀と暗闘の渦から逃れられたわけではなく、むしろいよいよ蟻地獄の如き世界に踏み込んでしまった感があります。
 上田作品においては、権力者に刺客を放たれて当たり前、二つ三つの勢力を敵に回してからが本番(?)という印象がありますが、本作での併右衛門と衛悟の立場はまさにそれ。非情の刺客・冥府防人だけでも手に余るところに、今回は人の心理の裏を突く伊賀忍者の卑劣な罠が二人を襲い、さしもの老練な併右衛門も追いつめられていくこととなります。

 さて、毎回毎回、よくもこれだけ思いつくものだ…と感心してしまうほど、歴史の闇に隠れた権力の大秘事を伝奇的味付けで見せてくれる上田作品ですが、本作で描かれるのは、津軽藩が握る、幕府成立当初のある秘密。
 その秘密の正体についてはもちろんここでは述べませんが、一見あっさりとしたものであるようでいて、その実、現実の政治情勢などをみれば、なるほどこれは爆弾となりうるわい…と唸らされるようなもの。そして何よりも、その大秘事が、回り回って抜け荷という「国禁」に結びつくという歴史的皮肉の面白さに、ニヤリとさせられました。

 個人的な趣味からすると、ちょっとマクロな政治の世界(=権力者たちの暗躍)の方に描写のウェイトが置かれ気味の印象があって、もう少し衛悟と併右衛門の側のドラマを深めて欲しいな、という気持ちもあるのですが(あと、もうちょっと併右衛門は衛悟のことを認めてやってもいいのに…)、これからまだまだ長丁場、お楽しみはこれからじっくりということなのでしょう。
 老練な併右衛門に比べると、まだまだ未熟さが目立つ衛悟ですが、その真っ直ぐな若さが、やがて苦境を切り開く力になると信じて、次の巻を楽しみに待つこととします。


「国禁 奥右筆秘帳」(上田秀人 講談社文庫) Amazon


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 「密封 <奥右筆秘帳>」 二人の主人公が挑む闇

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2008.06.03

今週の「Y十M 柳生忍法帖」最終回 雲とへだつ

 記念すべき第百回をもって、「Y十M 柳生忍法帖」もめでたく大団円。そのサブタイトルはやはり「雲とへだつ」。別れの時にふさわしい、切なくも爽やかなものを感じさせるタイトルです。

 「雲とへだつ」とは、松尾芭蕉の「雲とへだつ友かや雁の生き別れ」の句から取られたもの。芭蕉が故郷の伊賀上野を捨て、江戸に出る際に詠んだ句であり、友との別れの想いが込められた句であります。
 その句を冠した最終回は、十兵衛の新たな旅立ちと、堀の女たちとの別れが描かれることとなります。
 堀の女たちの復讐物語は前回で完結し、今回はエピローグといった内容。相変わらず親父殿の前では青菜に塩といった体の十兵衛ですが、それを知ってか知らずしてか、沢庵和尚は、十兵衛を庇っているのか煽っているのかわからない調子で宗矩とあれやこれやと語り出します。
 これはこの場面に限らないのですが、このラストエピソードは、原作ではいかにも大団円といった、ちょっとしみじみした調子だったのですが、この「Y十M」では、どこかユーモラスな印象を湛えたものとなっていますが、これはこれでホッとできるものがあって良いかもしれません。
 …にしても和尚をただただ心配して会津に駆けつけた宗矩さんマジいいひと。

 と、そんなやりとりから逃げ出して(芦名衆から追い剥ぎまで働いて!)一人馬上の人となった十兵衛をですが、その彼を追う者たちが、八騎――言うまでもなく、お千絵・さくら・お鳥・お品・お圭・お沙和・お笛、そしておとねであります。
 それぞれ万感の想いを込めて視線を交わす十兵衛と女たち、十兵衛は北へ、北へ――そして女たちは鎌倉東慶寺へ。おそらくは二度と会うことのない両者ではありますが、そこには涙はなく、むしろお互いを思いやり、誇らしく思う気持ちが見て取れるのが、何とも清々しいことです。

 そしてそんな印象をさらに強めるのが、ここでまさかのオリジナル展開、意外なキャラクターの登場であります。あの、十兵衛の鶴ヶ城突入時にお供して、そこで斬られたと思われた鶯の七郎が…! 隻眼になっちゃいましたが元気な姿を見ることができてこれは嬉しいサプライズでした。

 そして雲とへだつ十兵衛と女たち。しかし十兵衛のにはもう一人、どうしても胸の中から去らない女人の姿がありました。言うまでもなくそれは――
 この場面、定番中の定番パターンである、青空に笑顔が浮かぶというオチではなかろうな、と少し身構えていたのですが、ごめんなさい、私があさはかでした。
 青空に浮かんだのは確かですが、その姿は…これは是非実際にご覧いただきたいのですが、この手があったか! と大いに唸らされた素晴らしい画。気高さすら感じさせられるその姿は、本作のラストを飾るにふさわしいものであったかと思います。


 さて、長きに渡りました「Y十M 柳生忍法帖」の感想も今回でおしまい。
 以前から何度も書いていましたが、原作の「柳生忍法帖」は、私の最も好きな時代小説の一つ。それがせがわ先生の手で漫画化されると知ったときの嬉しさを、昨日のことのように思い出します。

 冷静に振り返ってみると、正直なところ「あれ?」と思う場面も時々ありましたが(まあその大半は原作由来なのですが)、しかしそれを補って余りある、せがわ先生の見事なビジュアルとアクションをたっぷりと堪能することができて、本当に原作ファン、せがわファン冥利に尽きる作品でありました。
 あの、十兵衛の素晴らしい啖呵を見ることができただけでも、私は本当に、本当に満足です。


 さて、どうやら十兵衛のこの後の物語もせがわ先生により漫画化されるようですが――今度は十兵衛に狗神が取り憑くんですね!?
 …ってそっちかい! と一人ツッコミして、この感想を終えさせていただきます。

 せがわ先生、本当にお疲れさまでした。

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2008.06.02

「戦国ストレイズ」第1巻 少女戦国を駆ける

 実家が居合道場を営む女子高生・草薙かさねは、ある日交通事故に巻き込まれた次の瞬間、戦国時代に飛ばされてしまう。そこで若き日の信長と配下たちと出会ったかさねは、元の時代に帰るまで、信長の下で生き抜くことを誓う。

 時代小説はもちろんのこと、時代漫画においても――いや、ビジュアル映えの点から漫画の方がより一層――戦国時代は人気の舞台であり、今でも数多くの作品が現在進行形で展開されていますが、本作もその一つ。
 戦国時代にタイムスリップした女子高生の冒険を描く(であろう)「戦国ストレイズ」の第一巻です。

 おかしな話かもしれませんが、戦国時代に現代人がタイムスリップする物語はそんなに珍しいわけではありません。が、本作のように、女子高生がただ一人で、というのはなかなか珍しいようにも思います(…そうでもないか?)。
 まあ、女子高生が一人だけ戦国時代に放り出されても、生き残るのは難しいだろうし…と読む側が思ってしまうからではないかと思いますが、本作ではその点、主人公自身が剣道の達人という設定のため、戦国時代でもちょっとやそっとでは負けないという設定がなかなか愉快です(栄養状態のいい現代っ子の方が強い「夕ばえ作戦」みたいで)。

 もちろん、どれだけ彼女が強くても、ただ一人だけで、異世界に等しい戦国時代で生き延びることはできません。それができるのは、仲間が、知己が、友がいるからに他なりませんが、その最初のメンバーが、若き日の丹羽長秀・前田利家・佐々成政というのが面白い。
 いずれも後世にまで知られる戦国武将ですが、この物語の時点では、まだまだ少年とよってもよい年頃で、かさねと親交を結んでもさほど違和感はありませんし、また、今のところとっつきにくいキャラクターとして描かれている信長と、かさねを(つまりは読者を)つなぐ存在として、大事な位置を占めていると思えます。
(しかし登場人物の中に織田信行がいるのを見ると、ちょっと複雑な気持ちになりますが…当然この辺りはドラマとして狙ってくるでしょう)

 物語的にはまだまだ始まったばかりで、この先、かさねがどのような冒険を繰り広げることになるのかはまだまだ見えませんが、彼女の真っ直ぐな性格には好感が持てますし、絵柄的にも清潔感があって、正直なところぬるい面も色々とありますが、まあこういうものと思って読めば十分楽しめます(戦国武将のディフォルメの仕方とか)。
 もちろん、弱肉強食の戦国時代に、真っ直ぐさや明るさだけで生きていけるわけはなく、やがては辛い選択を強いられることも容易に想像できますが、しかし、彼女ならそれを乗り越えて生き抜いてくれると思いたいところです。


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2008.06.01

「太王四神記」 第10話「玄武の目覚め」

 火天会とヨン・ガリョの奸計により周囲と分断された宮殿を襲撃する火天会。キハと共に霊廟に逃れたヤン王は、タムドクがチュシンの王となることを妨げる二つの存在、自分とキハを除くため自害する。王の死を目撃したカクタンは、瀕死の状態でタムドクの元に向かうが、タムドクもまた奸計により追い詰められ、死の間際にいた。が、そこに駆けつけたヒョンゴの玄武の神器が覚醒する…

 第二話まで感想を書いてしばらく間が空いてしまいましたが、面白く観てます「太王四神記」。ここ数回、王位を巡る暗闘が表面化し、主人公タムドクは遂に宮中を追われてしまいましたが、今回、前半のレギュラー二人が退場することに…

 その一人がタムドクの父・ヤン王。自身、望まぬ形で王位に就き、タムドクに譲るまでの立場と自覚していたためか、いつも困った顔をしていたような印象がありますが、最後まで悲しい運命の方でした。
 しかしキハが自分を刺したと誤解させてキハを巻き添えにし、ドラマをややこしくしてくれたのはさすがというか何というか…

 が、個人的に大変悲しかったのは、近衛兵の女隊長カクタンの死であります。
 このカクタンというキャラクター、正直なところ結構な脇キャラではありますが、男勝りの武人でありながら、タムドクに武術であっさりと捻られて以来縁を持つようになり、やがては…というマイナーキャラ好きには実においしいキャラ。
 そんなわけで密かに注目していたのですが、今回遂に、キハの理不尽な朱雀パワーに叩きのめされて瀕死の身となりながらもタムドクの元に向かい、王の遺言と神剣を託して逝くという、(注目している人間にとっては)なかなかドラマチックな最期を遂げることとなってしまいました。
 いや、これが荒山徹の小説だったら、あっさり赤忍者に惨殺されそうだから、まあこうして花道を飾れただけ良かったのかなあ…と変な納得の仕方をしてしまったり。

 と、キャラの最期に紛れてしまいましたが、今回遂に玄武の神器がそのパワーを発揮。汚名を着せられて追い詰められたタムドク絶体絶命のピンチに、白銀に輝くドームが彼を守ります。
 この場面を目にしたときには「やっぱり玄武はバリヤーか!」と変な感心の仕方をしてしまいましたが、バリヤーどころか時間まで止めてしまったのにはチト吃驚。

 しかしそれ以上に感心したのは、この神器発動が、主人公の危機を救う単なる便利パワーとしてだけでなく、神王の証として物語中に意味を持ってくる点。普通王権の証は、剣やら冠やらのモノでありますが、こうした力の発動であれば、譲渡(強奪)も偽造もできないわけで、なるほどこれは疑いない証であります。
 まあ、ファンタジーではお馴染みのパターンではありますが、本作では朱雀の力が敵方に落ちているのが、またややこしくも面白いところで――

 さて、ヒョンゴさんの村に王として迎えられたタムドクですが、どうも頼りない印象。悲劇の連続に無理もないところではありますが、次回あたり「私に王の資格はない」「もう誰も傷つけたくないんだ」とかのダメワードを吐かないか、心配であります。


関連記事
「太王四神記」 第01話「神の子 ファヌン」
「太王四神記」 第02話「チュシンの星」

関連サイト
 NHK 総合テレビ公式
 NHK BShi公式

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