「玄庵検死帖 倒幕連判状」 複雑怪奇な現実の中で
玄庵に一橋慶喜から下された密命。それは清河八郎が集めたという倒幕に賛同する者の連判状の奪回だった。表に出れば巨大な騒乱の火種となりかねぬ倒幕連判状が京の芹沢鴨の元に渡ったと知った玄庵は再び京に向かうが、連判状争は更に複雑怪奇な経路を辿り、混沌の中で玄庵にも危機が迫る。
加野厚志先生の新シリーズ「玄庵検死帖」の第二弾は、前作の台風の目であった清河八郎が遺した連判状を巡る暗闘を描いた作品。初めは攘夷の連判状であったものが、いつの間にか倒幕の血盟状と化して天下を揺るがす…秘書争奪戦は時代伝奇小説のパターンの一つではありますが、ここで描かれるのは、一つの思想が次の瞬間には別の思想と結び付き、それを信奉する者もまたその立ち位置を変えていく、幕末という時代そのものを象徴するような、複雑怪奇な存在であります。
そしてまた、本作に登場する数々の登場人物たちも、この絶えず変容を続ける時代相にふさわしく、様々な顔を持つ者ばかり。山岡鉄舟、桂小五郎、佐々木只三郎、近藤勇、芹沢鴨…本作には、いずれ劣らぬ幕末の英傑たちが次々と登場しますが、そのいずれも、各人に対し我々が抱くイメージに忠実に沿いつつも、しかしそれと異なるもう一つの――そしてそれも決して意外なばかりではなく、もう一つの現実解釈としての説得力があるのですが――顔を持って描かれます。
そんな彼等の間で探偵役を務める玄庵は、当然と言うべきか、時代の、人間たちの絶えず変化していくいくつもの顔に大いに振り回されることになります。
これまでも何度も述べてきたように、加野作品においては二転三転、誰が善で誰が悪かわからないの目まぐるしい展開が非常に多く見られますが、このスタイルは幕末という時代に、非常に良くマッチしていると言えます。加野作品の多くが幕末を舞台としているのも、この点から来るのでしょう。
そんな苦闘の果てに、ほとんど振り出しに戻ったような形で玄庵がたどり着く真実は、何とも苦く、やるせないもの。歴史の巨大な流れの中に、一個人として何が出来るのか…その問い掛けが、重く胸に迫ります。
そしてその果てに玄庵が挑む死闘は、冷静に考えればほとんど八つ当たりに近いのですが、しかしそこに至るまでに描かれてきた、変転の中で個人の想いを容易に無にしてしまう世界の中で、胸のすくような啖呵と共にほとばしる玄庵の個人的な怒りが、むしろ清々しく感じられます。
複雑怪奇な現実の中で、個人がどこまでその意気地を貫くことができるか――ある意味、時代小説として普遍的テーマを、男臭いエンターテイメントとして(玄庵とその相棒の何気ない会話が実にいい)描き出した本作は、数ある加野作品の中でも、屈指の面白さを持っていると感じます。これからのシリーズ展開にも期待する次第です。
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