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2008.09.30

「柳生一族の陰謀」(TVSP) 集団から個人、ドライからウェットへ

 「柳生一族の陰謀」のリメイク版スペシャルドラマが、28日に放映されました。
 原版である劇場用映画「柳生一族の陰謀」については数日前の記事に書きましたが、言うまでもなくかつて東映が総力を挙げて製作した伝説的大作。その作品が、映画版で徳川家光を演じた松方弘樹が柳生但馬守を、上川隆也が柳生十兵衛を、内山理名が出雲の阿国を演じるという布陣で、リメイクされたのです。

 さて、結論から先に言ってしまえば――「柳生一族の陰謀」でなければなかなか面白かった、の一言でしょう。

 ストーリー的には映画版をかなり忠実になぞっており、既視感を覚えるシーンも多くあったこのドラマ版。さすがに二時間強の映画に比べると若干スケールダウンしている点はあり――特に勅使襲撃シーンがどうにもこじんまりとしていて、三条大納言の殺されっぷりもおとなしかったのは残念――また、小笠原玄信斎や左助が登場しないなど、登場人物の整理が行われていますが、これはまあ、仕方のない部分ではありましょう(映画版ではあっさりと倒された烏丸少将が、こちらでは大フィーチャーされていますし)。

 しかしながら、本作が映画版と決定的に異なっているのは、ほぼ完全に、柳生十兵衛を主人公として描いており、また、劇場版では忠長の恋人であった出雲の阿国を、十兵衛に対するヒロインとして設定している点であります。
 家光と忠長の権力闘争に心を痛めつつも、この争いが天下を安定させ万民を平和に暮らさせるためと信じて刀を振るう十兵衛と、権力を巡る暗闘の中で運命を狂わされ、自らもその駒の一つとして生きる阿国。この二人が時に憎みあい、愛し合う様が、物語のもう一つの背骨として描かれているのですが――

 やはりというか何というか、これが映画版にあった「柳生一族の陰謀」という作品の魅力を減じさせた、というほかありません。

 映画版の物語は、役柄の軽重こそあれ、誰が主人公と明言しにくい人物配置で描かれた、いわば群像劇でありました。もちろん、物語の中心には柳生但馬守がいることは間違いありませんが、しかし(先の記事でも書きましたが)但馬守自身はラスト以外はさして動きを見せず、いわば「台風の目」的な存在として位置しています。

 いま台風という表現を使いましたが、まさに劇場版は、権力を巡る嵐の中で、善悪もなく主義主張もなく平等に翻弄される人々の姿を描いた作品であり、そしてそのドライな平等さこそが、人一人の存在など一顧だにしない歴史のうねりの巨大さを浮かび上がらせていたのですが…本作では、十兵衛が主人公となることで、物語の焦点がぼやけ、映画版にあったドライな味わいが薄れてしまった感が強くあります。
 まあ、集団から個人、ドライからウェットというのも、時代の変遷ではありますが――

 大作アクション時代劇としてみれば、見せ場も多く、ネタ的な部分も色々とあって、ずいぶんと楽しませていただいたので、しょーもないワイヤーワークを除けば、作品そのものとしては悪い印象はないのですが、やはり看板が大きすぎた、というところでしょうか。「柳生一族の陰謀」でなければ、素直に楽しめたのだと思いますが…


 ちなみに、本作での心配要因の一つであった松方弘樹の柳生但馬守は、実に重厚な演技で良かったと思います。ラストの「夢じゃ夢じゃ」のエフェクトにはひっくり返りましたが…


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2008.09.29

「奇談異聞辞典」 奇談怪談ファン必見の随筆辞典

 個人的なお話で恐縮ですが、私が小さい頃になりたかったものの一つに「物知り」があります。博覧強記で何でも(特に人の知らないような分野)を知っている人に大いに憧れていた――というより今も憧れているのですが、その憧れの対象の一人が、本書の編者である柴田宵曲であります。

 宵曲氏は、明治から昭和前期にかけて、俳句の世界で活躍された方ですが、その一方で折りに触れて発表した随筆は、まさに博覧強記としか言いようのない氏の一面が現れていて、読むたびに新鮮な味わいがあります。
 特に、日中の古典で語られた事物「そういえば○○にはこういう話もある」とばかりにを融通無碍に引き出して話題を転がしていく様には、ただただ感心するばかり。ああ、こんな「物知り」になりたい…などと考えるのは僭上の限りかもしれませんが、私の素直な気持ちです。

 さて前置きが長くなりましたが、本書は「随筆辞典」の一冊「随筆辞典 奇談異聞編」として、五十年近く前に編纂されたもの。その内容については、旧題及び現題をご覧いただければ瞭然かと思いますが、近世の随筆集の中から、奇談異聞――すなわち、妖怪変化や幽霊、怪奇事件の類を選り抜いて五十音順に配列してみせた、この手のお話が大好きな人間にとっては、まさしく夢のような書物であります。

 随筆の抜粋ですので、残念ながら宵曲氏の文章そのものはほとんど味わえないのですが、しかし、さすがに宵曲氏が纂修しただけあって、その内容は、実にバラエティと魅力に富んだものであることは間違いありません。
 元となった随筆集も、「甲子夜話」「耳嚢」といったメジャーどころはもちろんのこと、名前もほとんど聞いたことがないようなものまで含まれていて、そのカバー範囲の広さには、さすがは…と感心するばかりであります。

 宵曲ファンはもちろんのこと、奇談怪談ファン――ことに、「その談柄の豊富なもの、狐狸の如き、天狗の如き、河童の如き、亡霊幽魂の如きは、類聚排列することによって、いさゝか研究の領域に近づくことが出来るであろう。」という氏の言葉に共感できる方であれば――であれば、必見というほかない名著であります。
 ちくま学芸文庫だけあって、文庫でも少々お高いですが、それだけの価値は間違いなくある! と断言させていただきます。


「奇談異聞辞典」(柴田宵曲 ちくま学芸文庫) Amazon
奇談異聞辞典 (ちくま学芸文庫 シ 22-3)


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2008.09.28

「太王四神記」 第24話「二千年の時を越えて」

 泣いても笑ってもこれで最終回の「太王四神記」。今回はいつもよりも長い80分ノーカット放送ということで、それでも最初から最後まで中身は詰まりっぱなしの展開でありました。

 遂にスジニとの再会を果たしたタムドクは、彼女を自分のもとに連れ帰りますが、喜びもつかの間――火天会の手により高麗にあった二つの神器は奪い取られ、更にタムドクとキハの間の子・アジクもまでもが火天会の手に落ちることに。
 かくてタムドク率いる高麗軍は、火天会の本拠地である阿弗蘭寺で、ヨン・ホゲ率いる後燕・火天会連合軍との大決戦に挑むことに。そしてそれと時を同じくして、大長老は四つの神器とアジクの心臓を用いて天の封印を解かんとしますが…

 と、こうして見ると、まことにラストにふさわしい内容ですが、実は韓国の視聴者や、BShiで放送を見た方の感想では、かなり酷評されたこの最終回。
 いざ自分の目で見てみれば、なるほど、ここが不満点や突っ込みどころかとよくわかりましたが、先に十分覚悟しておいたためか、ほとんど失望せずに見ることができました。

 おそらくは不満の最たるものは、タムドクが阿弗蘭寺に突入して後の展開、キハが黒朱雀と化した後、タムドクが天弓ともども四神の神器を破壊してからの展開があっさりしすぎて、その後の物語が切り落とされてしまったように感じられる点でしょう。
 確かに、大見栄切って飛び出してきた大長老が一撃で文字通り粉砕されたのにはガッカリしましたし(これは本当に不満…その前のキハとの入れ代わり格闘シーンが妙に長かっただけに)、神器が破壊された後にヒョンゴ・チュムチ・チョロの三人がどうなったのかが描かれなかったのもスッキリしません。
 それよりも何よりも、チュシン王の、己の役目を悟ったタムドクが、その後にどうなってしまったのか――それが語られることなく、ここで物語がスッパリと途切れてしまい、次のシーンで描かれるのは広開土王碑の文面…なるほど、確かにこれは面食らいます。

 しかし、私はこのラスト、それほど嫌いではありません。
 二千年前とはほぼ同じ――黒朱雀となった側は入れ代わったものの――シチュエーションの下で、神話の時代とは異なる道を選んでみせたタムドクの行動。それはタムドクの言葉に明確に示されていたように、天の力との訣別、人が自分たちの力のみで生きていくことの選択であると同時に、キハが抱きつづけた天道への疑問への解答でもあります。

 そして、タムドクが天と訣別したことにより、人が天の力に依ってきた神話の時代は終わり、それに続くのは人が紡ぐ歴史――ラストで描かれた広開土王碑の文面は、神話から歴史へ、物語から史実へと、人が生きる世界がシフトしたことの象徴なのでしょう。
(そう考えると、タムドクや四神のその後が不明なのも、「物語」が終わった以上、登場人物のその後も描かれるのは必要はない…ということと解することができるかもしれません。寂しい話ではありますが…)


 何はともあれ、「太王四神記」はこれにて完結。
 前半に比べると、終盤の展開が駆け足気味・迷走気味であったのは否めません(その意味では個人的な頂点は第17話でした)が、それでも最初から最後まで、しっかりと楽しませていただきました。

 個人的には、日本でもこのくらいのスケールの伝奇活劇が作られないものかなあ…と無い物ねだりの一つもしたくもなりますが、まあそれはよいとして。
 10月からは、NHK-BSにてノーカット版の放映が始まる由。結末まで見た今、もう一度始めから見直してみるのも、また新たな発見があってよいかもしれません。


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 「太王四神記」 第22話「最後の守り主」
 「太王四神記」 第23話「面影を追って」

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2008.09.27

「逃亡者おりん 烈火の巻」 道悦様大ハッスル!

 放浪の旅の途上、虚無僧たちに追われる少女・すみれを助けたおりん。すみれは、由比正雪の軍資金の在りかを知る唯一の存在だった。軍資金を狙う駿府城代・土井采女正一派、そして大岡忠光配下の風魔一族からすみれを守り戦うおりんだが、その争いを陰から操る由比正雪の亡霊の正体は…

 二週連続の「逃亡者おりん」スペシャル第二弾は、由比正雪が遺したという莫大な財宝を巡る争奪戦に、おりんが巻き込まれるという趣向。
 正直なところ、続編的な趣向は前回のスペシャルでほぼやってしまったため、そういう意味では今回は続編的な要素は少なめではあるのですが、TVシリーズで大暴走したあおい輝彦演じる大岡忠光が再登場。相変わらずロクでもない陰謀を企んでくれます。

 その他、風魔幻一郎役に遠藤憲一、土井采女正に田村亮、その娘・佐奈子に木下あゆ美と微妙に豪華キャストで、アクションあり人間ドラマありサービスシーン(ゴールデンタイムだというのに女郎屋の折檻蔵に吊されるヒロイン…)ありと、盛り沢山であります。

 が…番組終盤で全てを掻っ攫って行くのはやっぱりあの人。
 生き残ったおりんと弥十郎の前に現れた由比正雪の亡霊。果たしてその正体は――ってやっぱり道悦!(正体を現すときは意味なくモーフィング)
 しかも道悦、先週のスペシャルのラストで底無し沼に呑まれて死んだはずなのに、生きていた理由をあっさりスルーする豪快さが実に素晴らしい。

 そしてクライマックス、おりんと道悦の死闘の最中に、正雪の軍資金を収めた堂宇の仕掛けが発動。これは来るぞ、来るぞ…と思っていたらやっぱり来た! スイッチが入ると周囲で爆発、爆発の連続!
 折角だから余った火薬を全て使いました、と言わんばかりの爆発の連続に、こちらの腹筋も爆発しそうになりました。

 結局、軍資金は道悦もろとも爆破の中に消え、おりんはまたただ一人さすらいの旅に――と、意味ありげに映し出される堂宇…と思ったらそこからガバッと突き出される腕!
 まったく、最後の最後まで期待を裏切りません。


 というわけで、二週間にわたって放映された久々の「逃亡者おりん」。振り返ってみれば道悦様の大ハッスルぶりが強く印象に残りました。冷静に考えてみると、果たして私らのような特殊ファン以外の視聴者にどれだけ受け入れられるか、ちょっと不安ですが、これも立派に一つの時代劇の姿。
 どう考えても続編を作る気満々のラストだったので、おりんさんには申し訳ないですが、またの再会を楽しみにしている次第です。


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2008.09.26

「柳生一族の陰謀」 究極にして異端の但馬守像

 元和九年、突如二代将軍秀忠が病死したことにより、三代将軍を巡る家光と忠長の争いが激化する。秀忠が実は家光派の松平伊豆守らに毒殺されたことを知った柳生但馬守宗矩は、同じ家光派に付き、子供達を使って忠長追い落としの策謀を巡らす。禁裏をも巻き込み、日本を二分した暗闘の行方は…

 この28日にTVドラマとしてリメイク版が放映される「柳生一族の陰謀」。よく考えてみればオリジナルについても当サイトではまだ紹介しておらず、これはこのタイミングでやらねば! と久々に見直してみましたが…やはり何度見ても凄まじい作品、と言うほかありません。

 本作の魅力については、まさに予告編の
「骨太い人間たちによる骨太いドラマ」
「映画・演劇・TV界の豪華スター群を集めて放つ愛と斗争の大ロマン」
「時代劇の魅力を徹底的に描ききった愛と斗争のドラマ」
といった言葉で言い尽くされていると言うほかなく、今振り返ってみれば、存在すること自身が奇跡的と申しましょうか、時代劇映画、そして柳生もの時代作品の一つの頂点、と言っても過言ではないでしょう。

 ことに、これほどまでの豪華キャストを投入しながら、そのほとんどに過不足なく見せ場を与え――作中のそれに劣らず凄まじく複雑な勢力バランスを調整した結果だとは思いますが――人間群像ドラマとしてまとめてみせたスタッフの手腕には、驚嘆するほかありません。

 しかし、今回比較的冷静に見ることができたため、今更ながら感心させられたのは、柳生但馬守役の萬屋錦之介の、極めて抑制された演技であります。
 あまりに印象が強すぎるためか、萬屋錦之介の柳生但馬守というと、あのラストの狂乱ぶりが真っ先に浮かぶ方も多いかと思いますが、それ以前の劇中での但馬守=錦之介の姿は、静謐と言ってよいほどの落ち着きぶり。

 権力闘争の中心にある陰謀家というイメージとはまた異なる、むしろ超然とした姿からは、彼自身が何かの化身であるかのような印象――ラスト直前の名古屋山三郎との会話から浮き彫りになるように、彼が人間の情愛を無視している、というよりその存在を理解できない、という点が、その印象に拍車をかけます――すら受けるのです。権力を巡る暴力の嵐の中心にあって揺るがぬその姿は、彼がその嵐を巻き起こしたというよりは、嵐が彼の姿を取った、というような。

 陰謀家としての但馬守は、「柳生武芸帳」と本作が一つの極であり、後世に与えた影響は絶大なものがあるかと思いますが、しかし、本作の但馬守像が、後続の作品に登場するそれとまた異なるものであることは、実に興味深いことです。


 まあ、ここで錦ちゃんが「破れ」ちゃったら、ただでさえカオスな世界が完全に崩壊してしっちゃかめっちゃかになることは目に見えてはいますので、これは単なる結果論かもしれません。

 しかし本作の但馬守像は、一つの究極であると同時に他では見られぬ異端のものであり…そしてそれが、本作を単なるアクション活劇時代劇に終わらせず、時代の巨大なうねりというものを描いた一種歴史ドラマ的味わいを――開始早々に豪快に史実を無視しているにもかかわらず――与えているのではないかと、私は感じた次第です。


 リメイク版は、その辺りがどう描かれているかが気になりますが…どうでしょうねえ。


「柳生一族の陰謀」(東映ビデオ DVDソフト) Amazon
柳生一族の陰謀

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2008.09.25

「消えた山高帽子 チャールズ・ワーグマンの事件簿」 時代と世界の境界線上で

 「誘拐児」で2008年の江戸川乱歩賞を受賞した翔田寛が、実在の人物であるチャールズ・ワーグマンを探偵役に、明治初期の横浜で起きた怪事件の数々を描いた連作短編推理小説であります。

 本書で探偵役を務めるワーグマンは、イラステレイテッド・ロンドン・ニュースの特派員として幕末の日本を訪れ、以降、維新前後の日本の姿を描き、発信し続けた人物。日本人女性と結婚し、終生横浜に在住したこの人物を、本書では、豊かな知性と観察眼、そして異邦の文化への理解溢れた魅力的な人物として描き出しています。

 このワーグマンが挑むのは、以下の五つの事件――
 相次いで目撃された逆しまの姿の日本の幽霊と、奇怪な容貌の西洋の幽霊と、仇討ち禁止令直前に仇を討ったという青年を巡る事件が交錯する「坂の上のゴースト」
 吝嗇で知られる日本通の英国人商人が、自宅で、畳の上で左前の着物を着て腹に刀を突き立てた姿で発見される事件の謎を解く「ジェントルマン・ハラキリ事件」
 ロミオとジュリエットめいた恋の行方を背景に、外国人芝居の席で起きた山高帽子盗難事件をワーグマンと日本の歌舞伎俳優が裁く「消えた山高帽子」
 精神を病んだ姉が、かつて横浜で起きた殺人事件の犯人ではないかという青年の疑いから、哀しい人間心理が浮かび上がる「神無月のララバイ」
 そして聖誕祭直前に、密室となった教会の中で発見された二人の青年の死体と、その捜査を強硬に拒否する司祭の姿から、奇怪な人間関係が描き出される「ウェンズデーの悪魔」

 いずれも、推理小説としてのロジカルかつトリッキーな魅力は言うまでもなく、描き出される人間ドラマの巧さと、それを見つめるワーグマンの眼差しの温かさがあいまって、実に楽しい作品となっています。
 が、私が本書において真に感心したのは、これらの作品のほとんど全てが、この時代、この場所でなければ起こり得ない事件を描き出している点であります。

 舞台となる明治六年は、言うまでもなく、明治維新の激動冷めやらぬ時期。そしてまた横浜は、そんな日本の中心のすぐ近くにあって、それでいて異国に最も近かった場所であります。
 本書はそんな、近世と近代、そして日本と異国の境界線上でなければ有り得ないシチュエーションを前提とした上で事件を構築しており、その意味では優れた時代小説である、と言えるでしょう(そしてまた、そのような作品において、自らが日本と異国の境界線上にあるワーグマンが探偵役を務めるのは、ある意味必然的といえるかもしれません)。

 しかし、一見それとは矛盾しているようですが、本書は同時に、現代にも通じるような普遍性をも兼ね備えています。
 それは――人が人を想う心。本書で描かれる事件を事件たらしめているもの、事件を一層複雑としているものは、いずれも、誰かが誰かを愛し、慈しむ心なのであります。
 たとえ時代が、場所が変わろうとも、人が人を想う心ばかりは変わらない。そんなことを、本書は無言のうちに訴えかけてくるように思います。

 その意味で、本書において個人的に最も印象に残った作品は、「消えた山高帽子」。この作品のゲストキャラクターであり、重要な位置を占める歌舞伎役者・市川升蔵が、事件の中で見たもの、感じたもの…それこそまさしく、この時代と世界を越えて通底する、人が人を想う心であったことが、作中ではっきりと述べられているのですから――
 本書において、この作品が表題作とされているのも、あるいはこのためではないかと感じた次第です。


「消えた山高帽子 チャールズ・ワーグマンの事件簿」(翔田寛 創元推理文庫) Amazon
消えた山高帽子―チャールズ・ワーグマンの事件簿 (創元推理文庫 M し 3-1)

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2008.09.24

「絵巻水滸伝」 第七十三回「天意」 納得の行方は――

 月に一度のお楽しみ、「絵巻水滸伝」が更新されました。最新回では、朝廷が、梁山泊を招安、すなわち朝廷せんと働きかけて来ることになります。朝廷とは因縁浅からぬ者も多い梁山泊にとっては、晴天の霹靂ともいうべき出来事ですが…

 招安とは、大まかに言ってしまえば、朝廷が賊徒に対して身の安全と身分の保証と引き換えに投降し、国軍となるように求めること。朝廷にも賊にとっても、ずいぶんと虫のいい話に聞こえますが、それはすなわち、双方にとってメリットがあるということであります。
 歴史上も、このシステム(?)が適用されたケースは多いようですし、「絵巻水滸伝」でも、前回顔を見せた節度使は、これによって罪を許された者です。

 しかしながら、梁山泊の好漢たちが、今更こんなエサで動かされるわけがない。ましてや、元官軍組にとっては、成り行きもあったとはいえ、自ら失望して飛び出してきた古巣に、何故戻らねばならないのか、ということになります。

 さて、現代の読者の目から見て、水滸伝の原典には、ちょっと素直には納得出来ないような展開が何箇所もあります。この招安のくだりはその最たるもの、黙って梁山泊で楽しく暮らしていれば良かったものを、何ゆえわざわざ朝廷にこき使われ、揚げ句斃れていかねばならないのか…と思わなかった読者はいないのではないでしょうか。
 この「絵巻水滸伝」は、これまで原典の納得がいかない部分に、本作ならではの解答・改変を行うことで、水滸伝ファンの溜飲を下げてきましたが、さて、この招安をどう扱うのか…

 幸い(?)今回の招安は不発に終わりましたが、今後の展開の中で、どのように我々を納得させてくれるのか――それは、梁山泊の面々を納得させるのよりもある意味難しいかもしれません――大いに気になります。

 さて次回は、招安が決裂して高キュウ軍と梁山泊軍が正面衝突、梁山泊の二大軍師、呉用と朱武をも苦しめる官軍側の軍師が登場とのことですが――やはり、よそ様の水滸伝でも大活躍したあの人物が登場でしょうか。楽しみです。

 しかし、よそ様の水滸伝と言えば、「梁山泊は山賊だけど、“反乱軍”じゃないんだな」という台詞が、何とも痛烈な皮肉に見えてしまった…のは穿った見方かしら。


公式サイト
 キノトロープ/絵巻水滸伝


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2008.09.23

10月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 昼間は暑くても、夜になると虫の音が辺りに響いてすっかり秋めいてきましたが、秋といえば読書の秋、芸術の秋。つまりこのサイト的に言えば伝奇の秋です(全然違う)。
 というわけで、十月の時代伝奇アイテム発売スケジュールです。

 文庫小説の方では、まず楽しみなのが朝松健先生の「真田昌幸 家康狩り」第二巻。伝奇的真田昌幸一代記、待望の続刊です。
 また、文庫化では、久々登場の「御隠居忍法」シリーズから「亡者の鐘」、そして好調復刊中の柴錬作品からは「剣は知っていた」が登場します。

 そして思わぬ伏兵が、末國善己氏編集の「奇譚 銭形平次」。銭形平次といえばもちろん野村胡堂先生のあの平次ですが、その中から伝奇的作品を集めた作品集ということで、これは非常に気になるところです。

 その他、武侠小説では、金庸先生の「飛狐外伝」文庫版が第三巻で完結、そして古龍先生の「マーベラス・ツインズ契」も最新刊が発売されます。
 そして、長らく絶版となっていた杉田幸三先生の「日本剣客事典」が復活。文庫サイズのこの手の本の中では、最も大量のデータを収録しているのではないかと思われますので、未読の方はぜひ。


 一方、漫画の方はかなり少なめの印象…個人的に気になるのは、「カミヨミ」の第9巻と、堀江卓先生の「忍者シデン」の復刊くらいでしょうか。
 別の意味で気になるのは「幕末異聞録 コードギアス 反逆のルルーシュ」ですが、これはむしろSD戦国伝に近そうだしなあ…

 そしてゲームについては、何と言っても「天誅4」。本作について思うことは以前書きましたが、公式サイトで公開されているPVを見るに、想像以上にWiiにフィットした仕上がりのようで、大いに楽しみになってきました。これは必ず買います。

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2008.09.22

「太王四神記」 第23話「面影を追って」

 残すところいよいよあと二回、わずか二回となってしまった「太王四神記」。本当に終わるのか? とハラハラいたしますが、クライマックスに向けて、静かに事態は動いていきます。

 後燕からの書状の中に、姿を消したスジニの言葉を見つけたタムドクは、いてもたってもいられず自ら後燕へ。相変わらず自分が真っ先に動きすぎる王様ですが、今回ばかりは自分の恋路のことだからなあ…
 が、スジニはそれを悟り、遠くからタムドクを見つめるのみで再び何処かへ――スジニいじらしいよスジニ。

 王様の目的は不発でしたが、後燕で手に入れた巻物に記されていたのは、高句麗王の持つ天弓に秘められた恐るべき秘密。かつて天孫ファヌンが黒朱雀を討ち、そしてタムドクが暴走する青龍の力を封じたこの天弓は、しかし、四神のみならず、高句麗王自身の命をも握っていたのでありました。
 すなわち、天弓が破壊されれば四つの神器も破壊され、それどころか王も命を落とすと…ラスト目前にして突然の設定ですが、何だか話の落としどころが見えてきたような気がします。

 と、ここから急展開。ほとんど1、2分で一年の割合でたちまち時は流れ、高句麗と百済の間の戦争が繰り返されたことが語られます。この終盤に来て、いきなりこの急展開は、正直色々と不安になりますが…あ、タムドクが髭に。
 そして百済との戦争に一段落が着いたかに見えた時、高句麗を襲う後燕。その背後には、キハとホゲのやさぐれ地獄カップルが――
 素性を隠し、ひそかに最強の軍隊を作り上げてきたホゲ(新コスチュームが妙に恰好良し。というより本作のコスチュームはみな実に素敵です)と、大長老を顎で使うキハ。最期の敵として文句なしの貫禄ですが…

 その頃、再びスジニの行方を知ったタムドクは、彼女と再会を遂げて…主題歌が流れる中、万感の想いを込めて見つめ合う二人、という韓流ドラマみたいな(韓流だよ!)ラストで幕。


 さて、これで残るはあと一回。タムドクは名実ともに高句麗の王となり、その点では一つの物語は終わったといえますが、しかしまだまだ決着していないドラマが幾つもあります。
 彼とキハとスジニ、神話の時代からの三角関係の行方。復讐鬼と化したホゲとの決着。これらに大長老の思惑が絡み、更に、この数回特にクローズアップされてきた、天と人間との関係に、一つの解答が示されるのだと思いますが――やはり鍵になるのは天弓の存在でしょうか。
 次回は放送時間を延長しての最終回。既に評判は色々と聞いていますが、静かに待つとしましょう。


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2008.09.21

「逃亡者おりん 紅蓮の章」 正しい続編スペシャル!

 諸国を巡礼としていたおりんは、清国使節団の中に、根来で暮らしているはずの娘・お咲の姿を目撃する。使節団に潜入したおりんが見たものは、かつて討ったはずの宿敵・植村道悦だった。手鎖人を率いて幕府転覆を企む道悦に囚われ、再び手鎖をはめられたおりんの運命は…

 21世紀なのにむせ返るほどの70年代テイストが魅力だった「逃亡者おりん」…約二年前にテレ東系列で放映された連続TV時代劇が、二時間スペシャルとして帰ってきました。それも二週連続! …一体何があったのでしょう。

 今回のスペシャルは、TVシリーズのその後の物語、完全な続編。刺客人集団・手鎖人として育てられたおりんは、TVシリーズラストにおいて手鎖人頭領にして宿敵・植村道悦を倒し、自らを縛る手鎖を断ち切ったはずなのですが…
 スペシャル第一回目であるこの「紅蓮」の章は、手鎖人の残党を狩る老中直属の戦闘集団「紅蓮」が跳梁する一方で、手鎖人の虎の穴ともいうべき地・夜叉が峰では新たなる手鎖人軍団が暗躍を開始。そしてその双方の背後で糸を引くのは、やっぱり生きていた道悦様――というわけで、ある意味、実に正しい続編スペシャルものストーリーであります。

 娘を人質に取られたおりんは道悦に囚われ、再び手鎖をはめられてしまった上に、清国人コスをさせられてエロ奉行の人身御供にされかかったり、洗脳された我が子に刃を向けられたりと、相変わらずの受難旅。
 もちろん、おりんが泣き寝入りするわけもなく、そこから怒涛の大反撃、相変わらずの別人みたいな運動能力・戦闘能力で大暴れ。そしてドラマ後半、溜めに溜めたところで、あのレオタード戦闘服で登場した時には、拍手喝采したくなりました。

 しかし…本作の最大の見所は、無茶過ぎる道悦様の大活躍。そもそもTVシリーズ最終回でもんの凄い崖から落ちてキラッとお星様になったはずが、何事もなかったように今回復活(復活の理屈はスルーしたのに、顔の火傷の消えた理由は説明するのが理不尽)。
 何と清国の使節団に化けた上に、老中までも配下に置いて(「手鎖人が老中になっただけだ!」という狂ったロジックが素晴らし過ぎる)、狙うは将軍暗殺という壮大な悪党ぶりが実に楽しいのです。
 そしてラストには、自分が与えた手鎖で「手鎖、御免!」と喉元を刺された揚げ句、突然現れた(本当、突然過ぎる)底無し沼に飲まれて消えるという壮絶な最期を遂げるのですが…しっかり次回予告に出ているから恐ろしい。薬師寺天膳より不死身だよ!


 と、万事この調子で、ツッコミ所満載ながら、しかしそれだけに、時代劇…というかエンターテイメントとしてプリミティブな魅力に溢れる本作。
 復活すると聞いた時には、パワーダウンするんではと心配がないわけではありませんでしたが、いざ蓋を開けてみればその味わいは健在で、安心するとともに、大いに楽しませていただきました。
 スペシャル第二回は、由比正雪の亡霊に風魔一族、あとあおい輝彦と、これまた楽しみな要素が満載。こちらも大いに楽しみです。


 ちなみに次回は、青山倫子とは何となく顔立ちが似ているなあと前から思っていた木下あゆ美がゲスト出演という点にも個人的に注目しております。


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2008.09.20

「禁裏御みあし帖」 普通のおっさん、天下を揺るがす

 三十も年の離れた押し掛け女房を得た冴えない八卦見・十六斎は、井伊直弼の死を予言したことで、開国派と攘夷派の争いに巻き込まれてしまう。さらに、替え玉と噂される皇女和宮の真贋を見極める「禁裏御みあし帖」争奪戦に巻き込まれた十六斎夫婦。中山道を行く和宮の行列を巡る攻防戦の行方は…

 青春時代伝奇の佳品「総司還らず」の姉妹編が本作「禁裏御みあし帖」です。幕末、皇女和宮降嫁を巡り、幕府・禁裏・薩長の複雑な思惑のぶつかり合いに巻き込まれてしまった足裏占いの夫婦の冒険を描くユニークな伝奇譚であります。

 和宮は、つい最近も大河ドラマ「篤姫」に登場しましたが、幕末に翻弄された悲劇の女性として描かれることがほとんどです。
 もちろん本作でもそれは異なることはないのですが、しかしここで描かれるのは和宮替え玉説という伝奇的変化球。
 しかも面白いのは、輿入れする和宮が果たして真の和宮であるかを判別する証拠となるのが、皇族の足袋を作るための寸法帖である「禁裏御みあし帖」であり、そしてそれを唯一判読することかできるのが、足裏占い師である主人公・十六斎であるという設定でしょう。

 ここに、御みあし帖、そして主人公の身柄を巡る争奪戦が展開することとなるわけですが、災難なのはもちろん十六斎。足裏占いというほとんど予言めいた能力を除けば、助平でがめつくてお人よしの単なる中年のおっさんが、事と次第によっては、日本を真っ二つに割りかねぬ爆弾を抱えることとなってしまうのですから…

 しかし、このごく普通のおっさんが天下の趨勢を決する存在となるのが、本作の醍醐味であります。
 どうもご立派英傑ばかりが天下国家を巡って活躍していたように錯覚してしまいそうになる幕末という時代。その裏側の非情に翻弄されながらも、必死の思いで生き抜いていこうとする十六斎夫婦の姿は、ほほえましくも、人間の自然な情を否定して成り立つ歴史というものに対する痛快な異議申し立てとして感じられます

 創意溢れる時代伝奇であると同時に、歴史のダイナミズムに真っ向から立ち向かう――あくまでも等身大の――人間の姿の素晴らしさを活写してみせた快作です。


 しかし、どうしても十六斎夫婦の姿が、作者ご夫妻に被って見えるのだよなあ…というのは失礼かしら。


「禁裏御みあし帖」(えとう乱星 中央公論社C・NOVELS 全2巻) 上 風雲京洛篇 Amazon/ 下 和宮道中篇 Amazon

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2008.09.19

「舫鬼九郎」第1回 帰ってきたオールスター時代劇!

 一時期は一体どうしたんだろうと思っていた「コミック乱ツインズ」誌ですが、ここに来て新連載攻勢がスタート。その第二弾はなんと高橋克彦先生の「舫鬼九郎」の漫画化、絵師を担当するのはベテラン岡村賢二先生であります。

 舞台は江戸時代前期、吉原近くで、背の皮を剥がされた若い娘の惨殺死体が発見されるところから始まります。その場で曰くありげな男たちを目撃したのは、かの侠客・幡随院長兵衛。男たちを追った長兵衛の前に現れたのは、短筒を操るカブキ者・天竺徳兵衛、隻眼の剣鬼・柳生十兵衛、そして異装の美剣士・舫鬼九郎だった――

 というわけで第一回はメインキャラクターの顔見せ興行といったところか、タイトルページに登場している五人のレギュラーのうち、高尾を除く面子が全員登場し、なかなか賑やかな内容となっています。
 もともと原作は、当時の有名人がほとんどオールスターキャストで登場する豪華なエンターテイメント時代劇、理屈抜きで楽しめる伝奇活劇だったのですが、そのノリは、この漫画版第一回からも感じることができます。

 さてそんなキャストの中で、ほとんど唯一架空の人物である鬼九郎ですが、しかし、周囲に負けない存在感のキャラクターであることは一目瞭然。美しい相貌に似合わぬ――あるいは似合いの――人を食ったような不敵さに、「緋い炎の動きに因んで緋炎」なる剣技の冴え、そして何よりも、印象的なのはその服装であります。
 その服装というのが、着流しの下に、西洋のワイシャツを着た、ニューウェーブにもほどがあるファッション…原作の時点でもインパクトがありましたが、漫画で見てみるとやはりインパクトがある――だけでなく、結構格好良く見えるのは岡村先生の筆のマジックでしょうか(しかし、このファッションにも理由があることが今後明かされることになるのですが…)

 原作は1991年から翌年にかけて連載された作品であり、約十五年ばかりも昔の作品ではありますが、しかし、内容の方は全く古びたところはなく、今読んでも楽しめる作品であるのは間違いない話。それを、同誌で笹沢左保の「真田十勇士」を見事完全漫画化して見せた岡村賢二先生が描くのですから、これは期待してよいのではないでしょうか。


 …これを期に、六年くらい連載が続いている原作最終章「鬼哭鬼九郎」も完結すればよいのですが。

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2008.09.18

「大英雄」 金庸ファン必見の快作…?

 西毒の謀反で国を追われた金輪国の第三王女は、伝説の九陰真経を求め、東邪と共に旅に出る。嫉妬から二人を追う妹弟子をさらに追う北丐は、途中で西毒と出会い、強引に旅の道連れにする。一方、仙人になるために運命の恋人を探す南帝も、旅に出た先で東邪たちと出会う。伝説の達人たちの、若き日の大騒動の行方は…

 本当に申し訳ないのですが(って、誰に謝っているのかわかりませんが)私の金庸ファーストコンタクトはこの作品なのです。ウォン・カーウァイの「楽園の瑕」の製作が遅れに遅れたため、「仕方ないからこのキャストでもう一本撮るか!」ということで製作されたという伝説めいたエピソードを持つ本作ですが、内容を一言で表せば…素晴らしいバカ映画以外の何ものでもありません。

 「楽園の瑕」がそうであったように、本作は金庸先生の名作「射雕英雄伝」のビフォアストーリー。東邪・西毒・南帝・北丐に中神通と老頑童といった、本編では既に伝説の達人たちとして知られていたキャラクターたちの若き日を描いた、最近の言葉で言えばエピソード0と言えないこともないのですが、むしろ本編の題材を使って好き勝手作ったパロディというべき作品ですが――
 基本的に登場人物は全てバカか変態! 展開するギャグはベタでコッテコテ! と、たぶん真面目な人が多いであろう金庸ファンが見れば卒倒しそうな内容(特にホモカップルにされた王重陽と周伯通…そりゃー王重陽も林朝英から逃げるわけだわ)なのですが…しかしこれが実に楽しいんですね、本当に。

 その最大の理由は、今見てもため息の出るほどの錚々たるキャストが、本気で楽しそうにバカ演技をやらかしていることでしょう。香港映画の明星たちのサービス精神は、もともと実に旺盛なのですが、それにしても揃いも揃って何かタガが外れたかのような爆発っぷり。背景事情は色々あるのでしょうが、素晴らしいプロ意識には本当に頭が下がります。

 …まあ、予備知識なしに独立した武侠コメディーとしてみても、それなりに――どころかかなり面白く(特に自殺願望がある北丐を殺そうとして逆にひどい目に遭いまくる西毒のシーンは何度見ても笑えます)、冷静に考えれば別に「射雕英雄伝」でなくてもいいような気もするのですが、やはり「あのキャラクターがこんなことを!」的な部分は当然あり、原作を知らなくてももちろん、原作を知っていればより以上に楽しめる作品であることは間違いありません。

 私がこの作品を初めて見たのはだいぶ前、まさか金庸作品が日本で全訳されようとは想像もできなかった頃のことで、その当時のことを考えると隔世の感がありますが、しかし作品そのものは、今見てもやはり最高に面白く安心しました。
 もっとも、もう二度とこのメンバーが集まることはないかと思うと切ない気持ちになりますが――


 作品の紹介をするつもりが爺いの繰り言になってしまいましたが、まあたまにはご勘弁を。なにはともあれ、金庸ファンであれば、一度は見ておくべき作品…かなあ?


「大英雄」(ファインフィルムズ DVDソフト) Amazon
大英雄


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2008.09.17

「若さま同心徳川竜之助 陽炎の刃」 時代ミステリと変格チャンバラの快作

 相変わらず快調なペースで新作が刊行される風野真知雄先生ですが、私が個人的に最も楽しみにしているのは、幕末を舞台に田安家の十一男坊が町方同心となって活躍する「若さま同心徳川竜之助」シリーズ。奉行所ものと剣豪もののブレンド加減が実に楽しいシリーズですが、嬉しいことに順調に巻を重ねて、この「陽炎の刃」で四巻目であります。

 これまでのシリーズと同様、全四話の連作短編集スタイルとなっている本書。四つの事件に主人公・福川竜之助こと徳川竜之助が挑むのですが、その事件がまた奇怪な、あるいは間の抜けたものばかりであります。
 大店の娘の飼い犬が辻斬りに遭った、火の見櫓に立て篭もって動かない男がいる、座敷牢の男が一夜にして生首となった、死んだはずの男が寒夜に川で泳いでいた――いずれも、一歩間違えれば耳嚢にでも乗りそうな事件ですが(ってそれは別のシリーズ)、竜之助が暴く、その背後に潜んだ真相はどれもユニークなものばかり。

 個人的に特に面白かったのは、第一の事件・犬の辻斬り。
 この事件は、犬が殺害された後に、飼い主の少女の前に、その犬の幽霊が現れるという実に奇っ怪な展開を見せることになります。二重に不思議なこの事件ですが、背後に潜んだ人間関係・人間心理を知ってみれば、その真相は、なるほど妙ではあるがロジカルで、時代ミステリとしてもなかなか面白いと感心した次第です。

 さて、本シリーズのもう一つの魅力は、竜之助が継承する葵新陰流を巡る、他の新陰流との激突。この巻で登場するのは肥前の鍋島新陰流、「柳生武芸帳」にも登場した由緒正しい(?)流派です。
 しかしこの新陰流の刺客、何故かなかなか竜之助の前に現れず、彼をストーキングするばかりなのですが――終盤で明かされるその理由と、そこから展開される新陰流対決の内容が実にすっとぼけているというかブッ飛んでいるというか…笑うべきか感心するべきか、思わず悩んでしまうような変格チャンバラですが、それががまた実にこのシリーズらしい(実のところ、ラストの決闘シーンは相当に独創的なんではないかしらん)。

 しかしラストではまたもや急展開、一気に物語がシリアスになったところでヒキ、というわけで、やっぱり風野先生、この辺りの呼吸はやっぱりうまい。いつものことながら、次が待ち遠しい作品であります。


「若さま同心徳川竜之助 陽炎の刃」(風野真知雄 双葉文庫) Amazon
陽炎の刃 (双葉文庫 か 29-4 若さま同心徳川竜之助)


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2008.09.16

「歓楽英雄」 古龍流武侠青春小説!?

 「富貴山荘」とは名ばかりのボロ屋に集った四人の男たち――豪快というより大雑把な郭大路、度を越した面倒臭がりの王動、今まで七度死にかけたという燕七、世間知らずの美少年・林太平。意気投合して呑気な共同生活を送る四人だが、それを妨げるように、次々と面倒が訪れる。固い友情で難事件に立ち向かう四人の運命や如何に。

 以前にも書きましたが、私にとって、どんなに疲れていてもこれさえ読めば元気が出る、という本の一つが、古龍先生による「歓楽英雄」であります。
 ジャンルでいえば、武侠小説に分類されることは間違いない本作ですが、味わい的にはむしろ青春小説。いずれも一癖ある四人の文無し野郎が、ひたすらのんべんだらりとモラトリアム期間を過ごす中で様々な事件に出くわし、その中で少しずつ成長していく様が描かれます。

 とにかく、個性豊かなキャラクターでは定評のある古龍ですが、その中でも本作の主人公たちは極めつけ。富貴山荘に集った四人の中でも、特に主人公の郭大路と、王動が実に面白い。
 郭大路は、元はいいところの出身ながら、あまりに豪快…というより大雑把な性格が災いしてたちまち身代を傾けた問題児。しかし良く言えば磊落なその性格で、不思議と人を引き付ける快男児であります。
 一方の王動は、一応富貴山荘の主ながら、やることはといえば、ひがな一日汚い布団に包まっているだけの異常なまでの面倒臭がり。しかし時折見せる頭脳の回転や武芸の腕はただものではなく…

 と、こんな連中を中心に、負けぬくらい個性的な快人・怪人が集まって、ミステリタッチで物語が展開していくのだから面白いのは当たり前…ではあるのですが、本作ならではの味付けは、主人公四人組には金も名誉も、人生の目的も何にもない、およそ武侠小説のヒーローらしからぬ連中という点。
 あるのは、自分自身の命と、がっちりとつないだ友情の絆のみ――そんな連中が、知恵と度胸と互いの信頼のみで、次々と怪事件や難敵に挑む様が、何とも痛快であり、そして元気が出るのです。

 世間並みのものは何一つ持っていないような連中だからこそ、逆に人間にとって最も大切なものを知っている、持っている…様々なスタイルで男の生き様を描いてきた古龍ならではの味わいであります。


 とはいえ――人間いつまでも呑気にはしていられないもの。富貴山荘の四人にも、モラトリアムの終りはやって来ます。ある意味、人生最大の敵とも言うべきそれと如何に彼らが立ち向かうか…もちろん、彼らの友情に敵はないのですけどね。


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2008.09.15

「炎神戦隊ゴーオンジャー BUNBUN!BANBAN!劇場BANG!!」 サムライワールドに見た魂の継承

 また突発的にどうした、と思われるかもしれませんが、いわゆるスーパー戦隊シリーズでは、年に一回、太秦映画村を舞台とした番外編的エピソードが作られるのが恒例の様子。今年はそれが劇場版、そして何よりも、脚本があの會川昇氏というので俄然見逃せない作品となりました。

 アニメ・特撮を問わず健筆を振るう會川氏ですが、その時代劇嗜好/志向は一目瞭然。昨年も、「天保異聞 妖奇士」「大江戸ロケット」と二本の時代劇アニメのメインライターを務めていますが、その氏が(おそらくは)初めて特撮のフィールドで時代劇"調"作品を書いたのですから…

 本作は、異世界から現れた三人の男女・炎衆に炎神キャスト(合体ロボのボディ…みたいなものかなあ)を奪われたゴーオンジャーが、追いかけていった先は江戸時代のような街を侍が闊歩する「サムライワールド」だった…というストーリー。
 上で時代劇"調"と書いたのは、あくまでも主人公たちが迷い込んだのは過去の世界ではなく、江戸時代っぽいパラレルワールドが舞台となるから、であります(迷い込んだ直後に、時代考証っぽいことを言い出すゴーオンブルーに思わず共感&苦笑)。

 ここで過去世界ではなく、パラレルワールドのお話としたのは、時代劇には厳密な考証を以って良しとする會川氏らしいこだわりの裏返しでしょうが、しかしそこにもう一つ、個人的に感じたのは、「東映時代劇」から「東映特撮ヒーローもの」へ、という構図であります。
 実は本作のテーマは「ヒーロー魂の継承」。強さを求めながらも戦う意味を見失っていた炎衆が、たとえ弱さを持ちながらでもそこから逃げず正義のため戦うという主人公たちの魂に触れて再び立ち上がるというのが本作のクライマックスなのであります(しかし、見る前は特撮ヒーローOBOGが演じる炎衆の方が、主人公たちにヒーロー魂を教えるものだとばかり思いこんでました…これは一本取られた)。

 さて、最近はすっかりそんなこともなくなってしまったように感じますが、かつてヒーローがいたのは、時代劇の中でありました。チャンバラヒーローが、架空の江戸時代を舞台に、人々の声援を(本作のラストのように)集め、活躍していた時代があったのです。
 その栄光の残滓(シビアな言い方で恐縮ですが…)たる太秦映画村で撮影され、「東映時代劇」と「東映特撮ヒーローもの」が交錯する本作。その中に、時代劇から特撮ヒーローものに形は変わっても、ヒーロー魂は受け継がれていくという姿を見るのは、これはマニアの勝手な思いこみではありますが、美しい構図ではないかなあと感じております。
(そして「東映時代劇」だからこそ、考証ガチガチで描かれる過去世界ではなく、一種のファンタジーたる「サムライワールド」なのだ! とまでいうと、さすがに怒られそうですが…)

 まあ、そんなマニアの深読みはどうでもいい話で、ラストの巨大戦で、城(某大作邦画で使用されたものだそうですが…粉々になっちゃいましたね)を挟んで対峙する正邪の巨人、という構図が見れただけでも、何だか楽しくなってしまう本作。わずか三十分弱にこれでもか! とばかりに見せ場が詰め込まれたなかなかの痛快作でした。
 そして、これを見た子供たちが、将来どこかでこの「サムライワールド」の町並みを見かけて、懐かしさを感じてくれたら、それはそれで素敵なことだなあ、と感じる次第です。


 というわけで、時代劇ファンの目から劇場版ゴーオンジャーを評するという珍文、これにておしまい。


関連サイト
 劇場版公式サイト

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2008.09.14

「太王四神記」 第22話「最後の守り主」

 残すところわずか三回となった「太王四神記」ですが、本当にあと三回なのかと思ってしまうほどの急展開の連続。登場人物のほとんど全員に何かしら動きのある、相当に慌ただしいエピソードでした。

 運命の皮肉か、生き別れの妹スジニの目の前で、姉妹共に愛したタムドクの子を生むこととなったキハ。キハは敵としか認識していなかったスジニですが、サリャンからいきなり真実を告げられた上に赤ん坊まで托されて大混乱(最初は半笑いだった表情が凍り付いていくのが面白い)。
 そのサリャンも、大長老の盾にされてキハの刃を受け、真実を告げる間もなく絶命。あっけないといえばあっけない最後ですが、キハの子を救ったのだから以て瞑すべきか…

 一方、内乱で崩壊した自軍から数騎落ち延びたヨン・ホゲは、前を契丹軍、後ろをタムドクに挟まれてまさに四面楚歌(国は違いますが)。
 しかしホゲのついでにタムドクの首まで欲した契丹軍の暴走と、こっそりとホゲを逃したいタムドクの思惑が悪い意味で合致して大乱戦に…。まあ、高句麗無双というかヨン様無双なんですが。このシーン、血闘に似合わない秋の静かな日差しの下で大殺戮が展開されるのが、妙に印象に残ります。

 そこまでして生き延びさせたかったタムドクの情けを拒んだホゲの一刀からタムドクを庇ってチュムチ死亡というサプライズ――いや、前回「この戦いから帰ったら…」などとタルビに言っている時点でもの凄い死亡フラグだったのですが――があったと思ったら、実はチュムチは白虎の神器の持ち主だったので何だか復活しましたという忙しい展開。せっかく引っぱりに引っぱった白虎の神器の持ち主が、予想通り過ぎる人間のところにあっさりと…しかし、タルビのことは一言も言わずに「王様…」と呟いて王様の手を握って息絶えるチュムチはマジ危険。
 結局、そのどさくさに紛れてホゲはどこかに逃走してしまい、この辺りから、もしかして尺足りてないんじゃ疑惑が沸々と…(まあ、ノーカット版ではもう少し描写があるのかもしれませんが)

 さらにいつの間にかキハに拾われていたホゲは、キハと共に火天会の本拠・阿弗蘭寺に向い、そこでキハは子供の生存を知るというこれまた急展開…この辺りも、以前のペースであれば一話くらいはかけていたように思いますが、やはりずいぶんとお話を急いでいる印象があります。

 というように、終盤に入って話をまとめに入ったか、ずいぶんと一話に詰め込んだ印象のある今回。あと二回で火天会と対決し、ホゲと最後の決着をつけ、タムドクとキハ、スジニの三人の関係に決着をつけ…というのはまあできないことはないかと思いますが、さて手綱捌きを誤ると大変なことになるような気もいたします。

 しかしそんな今回で一際印象に残ったのは、既に失うものもなくなったキハが、同じく全てを失ったホゲに対し、自分たちの運命をもてあそぶ天と戦う――たとえそのために地上が地獄と化したとしても――という決意であります。たとえ天に見放されても、自分の運命は自分で決めるという強い言葉は、本来なら主人公の台詞だよなあ…と思わないでもないですが、しかしこれまで苦難を重ねた彼女の言葉だけに、響くものがあります。
 …というわけで、残り二回、このやさぐれ地獄カップル(阿弗蘭寺でこの二人が大長老と並んでいるともう完璧に特撮ものの悪役に…)の動向が大いに気になってきたところであります。


 にしても大長老、何だかわけのわからないパワーアップをしてましたなあ…髪型が。


関連記事
 「太王四神記」 第01話「神の子 ファヌン」
 「太王四神記」 第02話「チュシンの星」
 「太王四神記」 第10話「玄武の目覚め」
 「太王四神記」 第17話「冷たき慈悲」
 「太王四神記」 第21話「崩れゆく大軍」

関連サイト
 NHK 総合テレビ公式

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2008.09.13

「さすらい右近無頼剣」 さすらいからものぐさへの路

 つい先日シリーズ四冊目が刊行された「ものぐさ右近」の、これは番外編。本編では江戸で揉め事解決屋を営む主人公・秋草右近ですが、本作は、そのだいぶ前の、右近がまだ諸国をさすらっていた頃の物語、いわばエピソードゼロであります。

 御家人の次男坊として生まれた右近は、旗本の名家に婿入りしたものの、そこで待っていたのは、後継ぎができるや愛妻と引き離されて追い出されるという、屈辱的な扱い。
 我慢できず江戸を飛び出し、諸国を放浪していた右近が、江戸に帰ってくるところから「ものぐさ右近」の物語が始まるのですが、「さすらい右近」の方は、その放浪時代が描かれています。

 収録されているのは全三編――とある宿場町で賭場の用心棒となった右近が、子供を人質に取った凶賊と対決する「かげろう」、よんどころない事情から、やくざの出入りの助っ人となった右近が思わぬ危機に陥る「紅の三度笠」、大藩への婿入りを嫌って家出した大名の若君と出会った右近が、二人で痛快に暴れ回る「若君街道」と、実にバラエティに富んだ内容です。
 さすがにベテランの鳴海先生だけあって、どのエピソードも、チャンバラあり人情ありサスペンスありと、時代劇の楽しさが横溢しており、シリーズは初めての読者でも楽しめる内容となっています。
 しかし、シリーズのファンにとって嬉しいのは、エピソードを重ねていくに連れて、素浪人右近が、徐々に我々の知っている「ものぐさ右近」に近づいていく、成長していくことでしょう。

 鬼貫流抜刀術の達人でありながら、どんな悪人であっても人を斬ることは嫌い、腰には刃のない鉄刀を帯びる明朗快活な快男児「ものぐさ右近」。しかしその彼も、初めからヒーローであったわけではありません。たとえば「かげろう」で描かれるのは、初めて人を斬り殺した右近の姿。
 もとより、右近は決して人殺しを好むわけでも、他人の命を軽ろんじていたわけではありません。しかし、それでもその手を汚すまでは、実感としてわからないことがあります(それを、自分の腕前を示すために蜻蛉を斬るシーンで示すのがうまい)。
 その彼が、悪人とはいえ人一人を斬った後で何を感じたか…普段が明朗なキャラクターだけに、その姿は胸に迫りますし、その後の彼の活躍にも、一つの重みが感じられます。

 人に歴史ありとは言いますが、それは小説のキャラクターでも同じ。
 好漢・秋草右近が明朗熱血のヒーローとなっていく過程を描いた本書は、シリーズファンにとっては、シリーズをもう一度読み返したくなる、そして初めての読者にとっては、シリーズを手にとりたくなる、そんな一冊です。


「さすらい右近無頼剣」(鳴海丈 光文社文庫) Amazon
さすらい右近無頼剣 (光文社文庫)


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 「現実」があるからこその優しさ 「ものぐさ右近義心剣」

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2008.09.12

「使ってみたい武士の日本語」 ユニークなアプローチの用語集

 ひところ、「美しい日本語」本ともいうべきものが、よく書店に並んでいたものでしたが、本書はその一風変わったバリエーションともいうべき一冊であります。

 本書のタイトルは「使ってみたい武士の日本語」。こうあると武士喋りとでもいいますか、「さようしからばごもっとも」のようなものばかり載っているのかな、という印象がありますが、そればかりではありません。

 「六日の菖蒲」「上意討ち」「没義道」などなど――武士が生きていた時代の日本語、武士業界(?)の言葉など、武士にまつわる日本語、武士用語とでも言うべきものが、集められているのです。

 さて、そんな本書の最大の特徴は、これらの言葉について、様々な時代小説の一節を引用して紹介を行っている点です。
 言葉は、それ単独で存在しているものではなく、前後の文脈と組み合わされて初めて生きるもの。その、武士の日本語の文例を示すのに、時代小説を引いてくるというのは、当たり前といえば当たり前ですが、なかなか面白いアプローチです。
 かくて本書は、単なる「美しい日本語」本ではなく、一種の時代小説ガイド、そして時代小説用語集的性質をも持っているのです。

 個人的には、引用されている作家が、池波・山本(not one power)・藤沢・平岩辺りなのが不満――もっとも、剣術用語の項では五味・柴錬が大活躍ですが――ではありますし、また作者の解説にも必ずしもうなづけることばかりではないのですが、それでもなお、本書のユニークなアプローチには大いに感心し、かつ楽しませていただいた次第です。


「使ってみたい武士の日本語」(野火迅 文春文庫) Amazon
使ってみたい武士の日本語 (文春文庫 の 14-1)

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2008.09.11

「機巧奇傳ヒヲウ戦記」第1巻 至誠が動かしたもの

 嘉永六年、黒船見物に訪れた二人の若者「りゅう」と「とら」は、機の民の男・マスラヲらと共に活動する火車党の存在を知る。日本で蒸気機関車を走らせるという火車党の目的に興味を持ったりゅうは、とら、そしてジョン万次郎と共に行動を開始するが、その前に機巧を武器に利用しようとする者たちが立ち塞がる。

 つい先日、講談社の「マガジンZ」誌の休刊が発表されました。様々な伝奇漫画が掲載された同誌ですが、その最初期に連載されたのがこの漫画版「機巧奇傳ヒヲウ戦記」であります。 全四巻のうち、今回第一巻のみを取り上げるのも妙に思えるかもしれませんが、この第一巻は、本編のビフォアストーリー。
 主人公・ヒヲウが生まれる前、その父マスラヲ(「天保異聞 妖奇士」にも顔を出したあの人物)と、後にヒヲウたちを導くことになる「りゅう」=坂本龍馬が繰り広げた冒険を描いたもので、これだけで独立した物語として成立しているのですが、これがまた実に私の好みエピソードなのです。

 黒船来航という激動の時代を背景に、来るべき新時代の象徴たる蒸気機関、さらにそのまた象徴たる蒸気機関車を中心に据えたこのエピソード――原作は會川昇氏だけあって、多彩かつ個性豊かな登場人物(これは歴史上の有名人の特徴を捉えてビジュアライズしてみせた神宮寺氏の功績大)や、彼らと歴史的事件との絡め方も巧みで、それだけでも既に十分楽しいのですが、しかし何よりも見事なのは、そこに交錯する様々な人々の想いを巧みに織り上げてドラマを展開している点であります。

 機関車を走らせる、その目的のために集まった者たちであっても、その理由は様々。
 それはその一人一人が背負った人生がそれぞれ異なるように――いや異なるがゆえに、様々であるのですが、しかしその様々な想いが交錯した末(特に、ヒロインが蒸気機関車を走らせようとする理由にモリソン号事件を絡め、そしてそれが頑なだった「とら」の心を動かすくだりなど実に良い)に、蒸気機関車の疾走というクライマックスに達するのが実に感動的なのです。

 そして何よりも、このドラマの背景に、純粋なテクロノジーへの想いこそが――テクロノジーを政治(軍事その他現世的に役に立つもの)に利用しようという人々との対峙はあったとしても――人々を動かし、歴史を変えていく、というテーゼがあるのが実に嬉しい。
 もちろんここでいうテクノロジーは、別の言葉にも置き換えられるものであり――そしてその言い換えの一つが、「至誠にして動かざるものは未だこれ有らざるなり」という、本作のテーマとも言うべき言葉に昇華していくこととなります。
 その意味からも、このエピソードが、第一巻で描かれているのは実に意義があると言えます。
(ちなみにこのテーゼ、同じ會川氏がシリーズ構成を務めた「大江戸ロケット」にも通底するものであり、極めて興味深いものがあります)

 「機巧奇傳ヒヲウ戦記」については、TV版・漫画版とも、きちんと取り上げようと思いますが、今日はその第一弾としてふさわしい、この漫画版第一巻を取り上げた次第です。


「機巧奇傳ヒヲウ戦記」第1巻(神宮寺一&会川昇&BONES 講談社マガジンZKC) Amazon
機巧(からくり)奇伝ヒヲウ戦記 (1)

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2008.09.10

「スーパー忍者列伝」 文庫サイズの忍者図鑑

 PHP文庫は毎月硬軟色々とバラエティに富んだ内容で、本屋の棚の前で色々な意味で感心してしまいますが、本書「スーパー忍者列伝」は、そのキャッチーなタイトルとは裏腹に、なかなか充実した内容の忍者解説本です。

 本書に収録されているのは、戦国時代から江戸時代を舞台に活躍した実在の忍者五十人と、架空の忍者十人。実在の忍者については、解説の冒頭に生没年、出身地、地位・居城、参加した主な合戦・作戦が付され、平たく言えば忍者図鑑といった内容であります。

 掲載されている忍者は、服部半蔵や加藤段蔵、風魔小太郎といった超メジャーどころから、軍配者石宗、望月出雲守といった通好みの忍者まで様々。それぞれ二~四ページ割り当てられており、情報量はなかなかのものであります。

 まあ、五十人の中には、黒田如水や藤堂高虎、仙石秀久と「これが忍者?」という人物も収録されているのですが、これはこの手の本にはよくあることなので、まあご愛敬、と言ったところでしょうか。
 個人的には、記事の中で時系列やエピソードが前後する部分や、根拠の薄い(あまり記載されていない)断言が多い点が気になりますが…

 こうした欠点とも言える部分もありますが、本書の最大の魅力は、その収録されたデータ数の多さ。これだけの人数の忍者列伝が収録されているのは、やはり壮観の一言ですし、文庫という手軽なサイズでこれだけデータが揃っているのは、なかなかありません。
(個人的には、イメージ的にはちょっと伊賀に押され気味だった甲賀忍者の史実での活躍ぶりにちょっと感心いたしました)

 気軽に忍者列伝を楽しむ、あるいは更なる知識を深めるためのステップとするには申し分ない一冊かと思います。


「スーパー忍者列伝」(川口素生 PHP文庫) Amazon
スーパー忍者列伝 (PHP文庫 か 36-10) (PHP文庫 か 36-10)

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2008.09.09

「カミヨミ」第3-5巻 天狗が招く異界の果てに

 所属もバラバラの五人の軍人が同日同刻に姿を消し、その一人の死体が、高い木の上で発見された。さらに軍の高官が次々と暗殺され、「天狗」を名乗る存在が、一連の事件の犯行声明を行う。事件の調査に当たる天馬たちは、その背後に、かつて軍を震撼させた「義経計画」なるものの存在を知るが、敵の魔手は彼らにも伸びていた…

 明治伝奇アクションホラーミステリ「カミヨミ」の第二章、第三巻から第五巻に収録されているエピソードが「天狗の神隠し編」であります。
 天狗による神隠し伝説を背景に、奇怪な「天狗」の群れが明治の帝都に跳梁する中、事件は空間的にも時間的にも次から次へと意外な広がりを見せ、遂には天馬・帝月・瑠璃男の主人公トリオ自身の運命にも密接に絡んで――
 と、本エピソードは単行本三冊の分量も納得の実に充実した内容。これぞ伏線が巧みに張り巡らされ、複雑に物語が展開していく一方で、時にコミカルに時に哀切にと物語の緩急自在ぶりも楽しく、まことに私好みの内容に、何故もっと早く読んでいなかったかと臍を噬みました。

 しかし私が何よりも好ましく思うのは――これは先の感想でも似たようなことを書きましたが――どれほどありうべからざる事件が、超自然的な現象が描かれようとも、その根底には、あくまでも生きている人間の姿があることです。
 奇怪な事件を引き起こす――たとえきっかけになることはあったとしても――のは、異界からのモノなどではなく、人間の欲望や妄執というのは、悲しいことではあります。しかしそれは、だからこそ事件を解決するのも、異界の力ではなく、人間の力でなければならないのであり…その姿勢はそのまま、異界の力を宿しながらも、あくまでも人間として戦おうとする天馬の姿にそのまま重なっていきます。

 そして、人間という存在が大きな意味を持つのは、主人公の側のみではありません。
 人外の力を得て超人と化したはずの男の中に残っていた人間性…それが、綿密に計画されていたはずの陰謀の崩壊の引き金となるという終幕は、皮肉であると同時にどこまでも切なく、「天狗」の招きにより異界に囚われてしまった者の最後として、胸を締め付けられるような哀しさがありました。

 単に奇怪な物語を描くばかりでなく、現実には存在しないものと対比させることにより、現実というものをより鮮烈に描き出すのが伝奇であるならば、異界と人間を対比させ、人間存在の中の美醜を浮き彫りにした本作は、まさにその伝奇であると、強く感じる次第です。


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2008.09.08

「運命峠」 無私の愛を謳う名作伝奇

 大阪城落城から二年、己の生きる意味を求めてさまよう浪人・秋月六郎太は、天草で徳川方に追われる豊臣秀頼の遺児・秀也を救う。己が育った武蔵野に秀也を伴い、育てることとした六郎太だが、ついに秀也は柳生宗矩のもとに囚われてしまう。秀也の身を賭けて六郎太は、将軍家光の御前で剣鬼・宮本武蔵との決闘に望むが。

 三田の田は柴田の田、であるくらいに柴田錬三郎ファンである私ですが、柴錬作品の中でも特に好きな作品は、と問われれば、一つに絞るのは難しいものの、本作が最有力の候補であることは間違いありません。
 今回、この感想を書くために本作を読み返したのですが、時代小説としての面白さに感心したのみならず、一個のドラマ、ロマンスとしての素晴らしさに、深い感動を覚えた次第です。

 本作は、特にキャラクター配置をみれば、柴錬先生お得意のパターンの作品であります。
 出生の秘密を背負い、虚無の色濃い剣豪。彼に仕える好人物の忍者。主人公を一心に慕う薄幸のヒロイン。主人公のライバルとして対峙する剣鬼。その他、血気に逸る若者に、登場人物たちの生き様を見守る善知識――
 その意味では、本作は柴錬作品の一典型と言えるかもしれません。

 しかし、そんな本作が、他の作品を遥かに上回る感動を私に与えてくれたのは、主人公をはじめとする登場人物たちの多くの行動原理が、無私の愛に貫かれていることであります。
 愛する者のために、か弱き者のために、己の命を賭ける、捧げる…本作では、そのような人間たちの姿と、何よりもその美しさ、尊さが数多く描かれるのです。

 もちろんそれは、本作が、甘ったるい人情話であったり、ひたすら楽観的な理想論を語る作品であることを意味するものではありません。混沌から秩序への過渡期である江戸時代初期を舞台とした本作の世界観は、むしろその真逆――弱肉強食とまでは言わぬまでも、弱き者が、理不尽な暴力あるいは権力の前に涙に暮れることが当たり前の世界であります。
 心正しき者が必ずしも報われるわけではない残酷な世界――しかしそのような世界であるからこそ、人として正しい道を歩みたい、愛する者を守りたいという人々の心の叫びが強く胸を打つのです。


 剣豪小説として、伝奇小説として稀有の面白さを持ちつつ、人間らしく生きることの素晴らしさ、美しさを謳いあげた本作。ロマンチストとしての柴錬先生の側面が強く表れた名作であります。


「運命峠」(柴田錬三郎 ランダムハウス講談社時代小説文庫 全4巻) 第1巻 Amazon/第2巻 Amazon/第3巻 Amazon/第4巻 Amazon
運命峠I 夕陽剣推参 (ランダムハウス講談社 し 1-1 時代小説文庫)運命峠II 一死一生 (ランダムハウス講談社 し 1-2 時代小説文庫)運命峠III 乱雲 (ランダムハウス講談社 し 1-4 時代小説文庫)運命峠IV 暗夜剣 (ランダムハウス講談社 し 1-5 時代小説文庫)

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2008.09.07

「太王四神記」 第21話「崩れゆく大軍」

 気がつけばこの回を含めて残すところわずか四回となった「太王四神記」。サブタイトルは「崩れゆく大軍」、主人公のライバルたるヨン・ホゲ軍の崩壊を指すものですが、崩れていくのは軍だけでなく、彼を取り巻く全てなのでありました。

 遂に力で高句麗王となることを決意したホゲ軍に対し、搦手で切り崩しにかかるタムドク軍は、ホゲ軍の兵士に対し凧から降伏勧告を投下(古今東西を問わずこういうことするのかなーとへんなところで感心)、初めは力で脱走を押さえ付けていたホゲですが、前回はホゲに賛同していた将軍たちも引くくらいの苛烈さに、かえって人心が離れていく始末。
 と、そこに現れたキハがもたらしたのは、ホゲの父カリョが盗み出した二つの神器と―その―カリョの遺書。さらにキハがタムドクの子を身篭っていると知らされた(それでいてホゲに頼ろうとするキハ様マジ真っ黒)ホゲは、軍(武力)と父(政治力)とキハ(愛)の全てを失ったことに…

 と、主人公そっちのけでホゲの方に目が行ってしまった今回。今まではその余りのダメ人間ぶりが目について、個人的には感情移入しにくかったホゲですが、今回はさすがに可哀相になりました。

 何せ相手は天に選ばれた伝説の神王。それでも能力的には決してひけをとらない間柄であったはずが、ボタンの掛け違いが積もり積もって、いつの間にやら自分は孤独な暴君に…
 天に挑もうとした凡人の悲劇、といえばそれまでかもしれませんが、しかし酷いといえばあまりに酷い話。今回の冒頭で、天道に対する疑問、人間が努力していく意味を投げ掛けながら自決したカリョの姿にも、頷けるものがあります。

 もちろんタムドクの方はタムドクで、無理矢理背負いこまされた運命のおかげで多くのものを失っているわけで…老若男女にモテモテなのが救いですが。ていうかチュムチの王様デレっぷりは異常。
(もっとも今回は、契丹との会談の場面などの強圧ぶりにちょっと違和感。あの状況に置かれた高句麗の王としては、おそらくあれがベストの選択と思いますが)

 さてその失ったものであるキハとスジニの両ヒロインは、奇しくも辺境の地で再会。キハを姉とは知らず、その命を狙うスジニですが、しかしキハは今まさにタムドクの子を生もうと…というところで次回に続く。
 タムドクとホゲ、火天会長老との決着で物語が終わるとすれば、あと三回という話数は、多いような少ないような…さて。


 にしても共に寡黙なちょい美形に尽くされている辺り、似てないようでもやっぱり姉妹だなあ…


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 「太王四神記」 第02話「チュシンの星」
 「太王四神記」 第10話「玄武の目覚め」
 「太王四神記」 第17話「冷たき慈悲」

関連サイト
 NHK 総合テレビ公式
 NHK BShi公式

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2008.09.06

「神雕剣侠 1 忘れがたみ」 未曾有の恋愛伝奇プロローグ

 大侠・郭靖は、女怪・李莫愁が起こした騒動の中で、義兄弟の忘れ形見・楊過と出会う。桃花島に引き取られた楊過だが、周囲と反りが合わず、全真教に預けられるが、そこでも問題を起こして飛び出してしまう。逃げ込んだ地下墳墓で彼が出会ったのは、全真教を敵視する古墓派の美少女・小龍女。彼女を師と仰ぎ、共同生活を送る楊過だが…

 名作「射雕英雄伝」の続編である「神雕剣侠」の第一巻であります。
 前作の登場人物たちの子供達といった次の世代が活躍する、いわばネクストジェネレーションでありますが、物語の趣向は大分異なる本作。前作が、少年の成長物語が主題であったとすれば、本作は堂々の純愛ロマン。激動の時代と、武林の掟に幾度となく引き裂かれながらも、至純の愛を貫いた男女の物語であります。

 金庸作品といえば、誤解と運命のいたずらの連鎖が、物語の歯車を回していくのがいつものことですが、それが恋愛ものと合わさった時、どれほどの効果を上げたかは、本作のファンの多さを考えればわかります。

 もっともこの第一巻は導入部といったところ。主人公カップルである楊過と小龍女もまだまだ若く、特に楊過はまだまだ人を愛することのなんたるかもわからぬ少年。
 一方の小龍女も、それまでの人生を、感情を殺したまま墳墓の中で過ごしてきた女性で、それぞれ違った意味でピュアな二人が、やがて互いを無二の存在と感じていく様が、この巻の見所でしょうか。

 もっとも、個人的に何度読んでもひっかかるのはこの巻後半の小龍女の変わりっぷりで…生死の瀬戸際にあったとはいえ、いきなり「女」の部分が出てくるのはどうなのかしらん、と感じます(この辺り、金庸先生の女性観がだいぶ顕になっている…と言ったら怒られるでしょうか)。

 さて、本作ではダメ人間度がやたら高い印象のある――金庸先生、何か怨みでもあるのかしらん――全真教の、その中でも特にダメな某氏の暴走のおかげで、この巻の終盤で、最初の別離を経験することとなった楊過と小龍女。まだまだ二人の受難の愛は始まったばかりですが、いや、やはり何度読んでもこのヒキの強力さには感心する次第です。


「神雕剣侠 1 忘れがたみ」(金庸 徳間文庫) Amazon
神〓剣侠〈1〉忘れがたみ (徳間文庫)

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2008.09.05

「エンバーミング」第1巻 人外の怪物が描く人間ドラマ

 五年前、謎の怪人に家族を皆殺しにされたヒューリーは、惨劇を共に生き延びた親友レイスと、怪人に復讐戦を挑もうとしていた。が、怪人――人造人間――の強大な力の前にレイスは斃れ、ヒューリーは九死に一生を得る。人造人間の創造主に激しい怒りを燃やすヒューリーだが、その前に現れたのは人造人間となったレイスだった…

 ヴィクトル=フランケンシュタインの落し子たる異形の人造人間が跳梁する世界を舞台とした和月伸宏先生の最新作、「エンバーミング -THE ANOTHER TALE OF FRANKENSTEIN-」の、待望の単行本第一巻が発売されました。先に読み切り版で登場した二組の主人公に続く第三の主人公ヒューリーの登場から旅立ちまでを描く第一章「DEAD BODY and REVENGER」全五話が収録されています。
 当然のことながら、雑誌掲載時に全て読んでいたのですが、こうして一冊にまとまったものを読んでみると――いや実に面白い。おかしな話ですが、こんなに面白かったのか! と改めて瞠目させられた次第です。

 作者の言(和月先生の単行本名物、キャラ&エピソード解説は健在!)によれば、元々読み切りエピソードとして構想されていたプロットとのことですが、そのためか、冒頭から結末に至るまでの構成、演出がとにかく見事。物語の緩急、展開の盛り上げ方、キャラの感情の動きの見せ方が実に巧みで、特にこのエピソードのクライマックスである第五話の展開は――正直なところ、予想できる内容ではあったのですがそれでもその予想の枠を吹き飛ばすように――衝撃的かつドラマチックでありました。
 物語を構成するピースが、カチリと美しく全てはまった次の瞬間、全てを粉々に吹き飛ばされた快感とでも言いましょうか――

 もちろんこの第一章はまだまだ序章。これからヒューリーがどのような旅を続け、そして他の主人公たちとどのように出会うことになるのか、それはまだ全くわかりません。しかし、その旅が血塗られた、悪意と狂気に彩られたものになることだけはしっかりとわかります。
 しかしそれであってもなお、どこか安心して続きを心待ちにできるのは、そのような人外の怪物が跳梁する地獄旅の中にあってなお――いやそれだからこそ――描くことのできる人間ドラマがあるはず、和月先生であればそれを描くはず、と信じているからであります。

 その期待を胸にしつつ――もちろん壮絶な伝奇ホラー展開も楽しみにしつつ――気の早い話ですが、続刊を待つ次第です。


 なお、個人的にこの単行本で嬉しかったのは、時代背景解説である「エンバーミング博物誌」がきちんと収録されていたこと。
 必ずしも本筋と関係ある内容ではないかもしれませんが、しかし読者のほとんどにとって馴染みのない時代である作品世界にディテールを与えるこのコーナーは、一歩間違えれば荒唐無稽なファンタジーともなりかねぬ本編の支えとなるものとして、大いに意義あるものと私は感じているところです。


「エンバーミング -THE ANOTHER TALE OF FRANKENSTEIN-」第1巻(和月伸宏 集英社ジャンプコミックス) Amazon


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2008.09.04

「柳生刑部秘剣行」 常人から隔絶された剣士

 徳川家光の治世、太平に見える世の陰で暗躍する奇怪な者たちの影があった。これに挑むのは柳生新陰流最強にして美貌の剣士――しかし既にこの世を去ったはずの男・柳生刑部友矩。二人の刑部の剣が、怪人たちの陰謀を断つ。

 某作家のおかげで、一部でヘンな人気の出てしまった柳生友矩ですが、しかし、彼を一番作中で活躍させている作家は、菊地秀行先生ではないかと思います。本作で初登場した美剣士・柳生刑部は、その後、謎のからくり人形使いを追いかけたり東北で死人の剣流と対決したりと、本作以降は脇役ながら、菊地時代劇にはしばしば登場する一種の名物キャラクターとなっています。

 さて柳生友矩といえば、剣の腕もさることながら、その美貌で知られる人物でありますが、それを菊地先生は如何に己のキャラクターとして再生させたか?
 剣技の冴えは超人級、そしてその美貌はこの世のものと思えぬほど(まあ、本作の段階ではそこまで極端に描かれてはいないのですが)…と、これくらいであればまだ時代小説によく登場するキャラクターでありますが、本作の、そしてそれ以降の作品の柳生刑部にとっては、これはスタート地点。菊地刑部の最もユニークな点、それは彼が一度病でその命を落とし――しかし死から再生して後、もう一人の己、二重身(ドッペルゲンガー)を操る存在と化している点なのです。

 本作は、その刑部が家光の宿痾を巡り異国の妖医と対峙する「異人剣」、柳生と小野、二つの将軍家指南の流派が激突する「黙示剣」、仙台を舞台に伊達家の巨大な陰謀が描かれる「暗殺剣」と、全三話で構成される作品であります。さすがに伝奇アクションを書けば天才・鬼才というしかない作者だけあって、アイディア・ガジェットの奇想天外ぶりは、さすがは、というべきで、エンターテイメントとしての面白さは間違いない内容となっています。
 しかしながら――今の目で見ると、作者の時代小説としては初期の作品ということもあり、時代伝奇小説というよりは、江戸時代を舞台にした超伝奇小説、という趣であって、後の「幽剣抄」の境地には遙か遠く、時代小説としてはどうかなあ…と思わざるを得ないのが正直なところではあります(先日も似たようなことを書きましたが…)。

 とはいえ、注目すべきは、超人・美形・生ける死人・ドッペルゲンガーという、菊地作品の定番要素が、見事に柳生刑部という史実上の人物の上で結晶している点であり――そしてこの四つの要素が全て「孤独」、すなわち常人からの隔絶に繋がっていく点が、孤高の剣士の造形に実によくマッチしているのには今更ながらに唸らされます。
 上に述べたように、以降の作品にもしばしば顔を出すというのは、それだけこの菊地刑部のキャラクターの完成度の高さを物語っているようにも思えるのです。

 願わくば、今の菊地先生の手で、再び柳生刑部を主人公とした物語を読んでみたいものです。


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柳生刑部秘剣行 (集英社文庫)

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2008.09.03

「蛍丸伝奇」 勤王の名刀と鎮魂の象徴と

 勤王の象徴として阿蘇に眠る名刀・蛍丸。その蛍丸を後水尾上皇が所望したことから、幕府に緊張が走る。上皇を押さえるべく選ばれた、沢庵和尚の弟子であり上皇の異母弟・化龍は、西へ向かって旅立つが、その旅に、柳生一門が、松山主水が、宮本武蔵がそれぞれの思惑を秘めて関わるのだった。

 思うところあって、えとう乱星先生の処女長篇であるこの「蛍丸伝奇」を読み返しておりました。
 南北朝の頃、南朝の忠臣・阿蘇惟澄の佩いていた来国俊の太刀が合戦で刃こぼれしたものが、一夜、無数の蛍がとまって去った後に直っていたという名刀・蛍丸の伝説。この不思議に美しい伝説が、江戸時代初期の幕府と朝廷の暗闘の最中で甦ることとなります。
 幕府と後水尾上皇との対立というのは、隆慶一郎の諸作にあるように、ある意味この時期の時代ものでは定番ネタの一つではあるのですが、そこに蛍丸という勤王の象徴的存在を絡めるのが、本作の見事な点でしょう。

 そしてこの争奪戦に絡むのが、主人公たる悩める青年僧・化龍の他、柳生十兵衛に宮本武蔵に荒木又右衛門に松山主水といった錚々たる剣豪の面々に加え、八瀬童子、伊賀忍軍に謎の美少女等々と盛りだくさん。特に剣豪連は、一人一人のキャラクターの強烈さもさることながら、それぞれが伝奇的な秘密・バックグラウンドを背負っての参戦とひねりも聞いていて、伝奇エンターテイメントとして第一級の作品として楽しめます(特に松山主水の設定には、作者の初期作品に共通する二階堂流サーガとでも言うべきものがあって興味深い)。

 しかし――本作の真骨頂は、そうした派手な伝奇エンターテイメントを彩る登場人物の一人一人が、それぞれの心に様々な重荷を抱えながらも、懸命に生きていこうとする姿を描き出す人間ドラマにあります。
 一見、明朗な伝奇活劇のようでいて、しかし、主人公をはじめとするキャラクターが、皆どこか青春の影を背負っているのがえとう作品の特徴の一つと私は考えていますが、それはこの処女長編から健在と言うべきでしょうか(その一方で、それが重さや暗さに直結せずに、切なさや哀しさに転化していくのがえとう作品の味わいであります)。

 そして本作において、人々の鎮魂の象徴として描かれるのが、蛍。人々の悲しみや無念といった感情を包み込み、浄化していくかのように、本作において蛍は現れ、消えていきます。
 そして鎮魂とは、必ずしも亡くなった者に対してのみ行われるものではありません。仏道の修行でも到底癒せぬほどの壮絶な悲しみを背負った化龍、孤独と背中合わせのどこまでも荒ぶる魂を持つ十兵衛――彼らの魂をも、蛍は、蛍丸は、優しく受け止めていくのです。

 派手な仕掛けの伝奇活劇と、切なく暖かい人間ドラマ――処女作には作者の全てが現れるものだとよく聞きますが、本作に関しては、まさにその通りと、深く頷くところです。


「蛍丸伝奇」(えとう乱星 青樹社文庫) Amazon

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2008.09.02

「日本猟奇史 江戸時代篇」 裏面から見た江戸時代史

 言葉の意味・用法が時代によって変化していくのは世の常とはいえ、「猟奇」という言葉の受け取られ方は、ずいぶん変わっているものだと感じます。
 今では(…と思ったら、初刊行時に既に誤解を受けていたようで苦笑)、グロテスクなもの・変態的という印象のある「猟奇」ですが、本来の意味は「奇」を「猟る」、すなわち「怪奇・異常なものをあさり求めること」。本書「日本猟奇史」も、もちろんこの本来の意味に基づくものです。

 この「江戸時代篇」は、タイトル通り江戸時代に記録された様々な怪奇事件・奇現象を当時の書物から収集し、年代順に記載したもの。いわば編年体の江戸怪奇事件簿といったところでしょうか。

 全二百話収録されたその内容は、駿府城の肉人や、うつろ舟の女のようにメジャーな(?)ものから、安房勝浦で地中の櫃から発見された巨大な頭蓋骨と剣など、なかなか類書では取り上げられないものまで、実に様々。
 実は私もこの手の怪奇事件というのは大好きで、折を見てネタを漁っては、このサイトの年表に掲載しているのですが、こういう人間にとっては、実に、実に楽しい書物であります。

 しかし何よりも注目すべきは、本書が年代順に編まれていることではないでしょうか。
 こうした方面の内容を集めた類書は、何冊も――それこそ毎年のように――出版されていますが、それらは大抵テーマ別に題材をまとめて掲載されています。
 それに対して、本書は冒頭から一貫して、その事件が発生した(記録された)時期に従って配列されています。

 正直なところ、単純に事件の内容を読者に読ませるだけであれば、同傾向のものを集めたテーマ別の方が良い部分もあります。しかし本書で敢えて編年体を採っているのは、単なる物語集とするのではなく、一種の歴史を記すものとして、裏面から見た江戸時代史として成立させることを目指した作者の気持ちの表れではないか…私はそう感じます。

 普通の(?)事件がそうであるように、その時代に起きた、語られた怪奇事件もまた――明示的ではないにせよ――その時代の世相を映し出すものと、私は考えています。
 「史実」の年表と、この「猟奇」の年表を重ね合わせたとき、また新たに見えてくるものがあるのではないか――内容の面白はもちろんのこと、そんな楽しみも感じられる書物です。


「日本猟奇史 江戸時代篇」(富岡直方 国書刊行会) 江戸時代篇1 Amazon/江戸時代篇2 Amazon
日本猟奇史 江戸時代篇 1 (1)日本猟奇史 江戸時代篇 2 (2)

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2008.09.01

「梅一枝 新編剣豪小説集」 剣に映し出された心意気

 自分にとってのカンフル剤…というのとは少々違いますが、読んだ後に何やら身が引き締まった思いとなるのが、柴錬先生の、それも短編小説であります。
 本書はそんな柴錬先生の短編の中から、剣豪小説を中心に集めた短編集。己の一剣に全てを賭ける男たちの凜乎たる姿が強く印象に残る一冊です。

 本書に収録されているのは、「斑三平」「狼眼流左近」「一の太刀」「柳生五郎右衛門」「月影庵十一代」「花の剣法」「邪法剣」「梅一枝」「生命の糧」と、全部で九つの短編。
 基本的に既刊の作品集に収録された作品ばかりなので、既に読んだことのある作品がほとんどでしたが、しかしやはりその面白さと、作品から受ける、身の引き締まるような感覚は何度読んでも変わりません。

 これらの作品は、最後の一編を除けば、いずれも己の剣を極限まで研ぎ澄ました者を主人公とした作品。しかし興味深いのは、その主人公たちが、必ずしも正道を歩む者ばかりではなく、己の道に踏み迷ったり、あるいは邪道を歩む者もいることでしょう。

 しかし、作者が彼らに向ける眼差しは、その進む道の善悪正邪に関わらず、等しく澄んでいるように感じられます。
 言い換えれば、その者がいかなる存念で剣を振るうかに限らず、一つの境地に達した者の姿は、物語の主人公として描くに足ると、作者が考えていると感じられるのです。
(ちなみに本書の中で唯一剣豪ではない「生命の糧」の主人公が、己の剣を出世のために差し出したことも合わせて考えると、なかなか興味深いものがあります)

 それはもちろん、決して単なる相対化などというものではなく、彼らの剣に映し出される、彼らの強い思い――己の往く道を示す指針であり、己の背負う十字架であり、そして決して曲げてはならぬ己が己である証、すなわち「心意気」――は、善悪や幸不幸といった世俗の基準では測れぬ尊さがあるということなのでしょう。
 そしてその主人公たちの心意気と、それを描く作者の心意気が、私に身の引き締まるような思いをさせるのだと、そう思います。

 本書は先に述べたように既刊からの収録作ばかりで、昔からのファンにとっては必ずしも貴重な作品ばかりというわけではなく、また一冊の短編集として見た場合のテーマ性、背骨というものがあまり感じられないというのが正直なところではあります(表題作は実に私好みの名作ですが、つい最近他社で出た短編集にも収録されているわけで…)。
 しかし私にとっては、上に述べたように、柴錬短編に感じる魅力の源を、本書は再確認させてくれたわけで――その意味では大いに価値ある一冊であります。


「梅一枝 新編剣豪小説集」(柴田錬三郎 集英社文庫) Amazon


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