「梅一枝 新編剣豪小説集」 剣に映し出された心意気
自分にとってのカンフル剤…というのとは少々違いますが、読んだ後に何やら身が引き締まった思いとなるのが、柴錬先生の、それも短編小説であります。
本書はそんな柴錬先生の短編の中から、剣豪小説を中心に集めた短編集。己の一剣に全てを賭ける男たちの凜乎たる姿が強く印象に残る一冊です。
本書に収録されているのは、「斑三平」「狼眼流左近」「一の太刀」「柳生五郎右衛門」「月影庵十一代」「花の剣法」「邪法剣」「梅一枝」「生命の糧」と、全部で九つの短編。
基本的に既刊の作品集に収録された作品ばかりなので、既に読んだことのある作品がほとんどでしたが、しかしやはりその面白さと、作品から受ける、身の引き締まるような感覚は何度読んでも変わりません。
これらの作品は、最後の一編を除けば、いずれも己の剣を極限まで研ぎ澄ました者を主人公とした作品。しかし興味深いのは、その主人公たちが、必ずしも正道を歩む者ばかりではなく、己の道に踏み迷ったり、あるいは邪道を歩む者もいることでしょう。
しかし、作者が彼らに向ける眼差しは、その進む道の善悪正邪に関わらず、等しく澄んでいるように感じられます。
言い換えれば、その者がいかなる存念で剣を振るうかに限らず、一つの境地に達した者の姿は、物語の主人公として描くに足ると、作者が考えていると感じられるのです。
(ちなみに本書の中で唯一剣豪ではない「生命の糧」の主人公が、己の剣を出世のために差し出したことも合わせて考えると、なかなか興味深いものがあります)
それはもちろん、決して単なる相対化などというものではなく、彼らの剣に映し出される、彼らの強い思い――己の往く道を示す指針であり、己の背負う十字架であり、そして決して曲げてはならぬ己が己である証、すなわち「心意気」――は、善悪や幸不幸といった世俗の基準では測れぬ尊さがあるということなのでしょう。
そしてその主人公たちの心意気と、それを描く作者の心意気が、私に身の引き締まるような思いをさせるのだと、そう思います。
本書は先に述べたように既刊からの収録作ばかりで、昔からのファンにとっては必ずしも貴重な作品ばかりというわけではなく、また一冊の短編集として見た場合のテーマ性、背骨というものがあまり感じられないというのが正直なところではあります(表題作は実に私好みの名作ですが、つい最近他社で出た短編集にも収録されているわけで…)。
しかし私にとっては、上に述べたように、柴錬短編に感じる魅力の源を、本書は再確認させてくれたわけで――その意味では大いに価値ある一冊であります。
「梅一枝 新編剣豪小説集」(柴田錬三郎 集英社文庫) Amazon
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