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2008.11.30

「啄木鳥探偵處」 探偵啄木、浅草を往く

 苦しい生活費の足しとするために、探偵稼業を始めることとした石川啄木。親友・金田一京助を強引に助手として、啄木は浅草を舞台とする五つの怪事件に挑む。

 以前にも書いたかもしれませんが、いわゆる有名人探偵もの(こちらに素晴らしいリストがあります)、というのは私の大好物の一つ。あの人物が、あの時あんなことを! という、一種伝奇ものに通じる(いや、史実をベースにその背後にあったかもしれない物語を描くのは、まさに伝奇ものだと思いますが)ものがあり、それに推理小説としての面白さが加わるというのは、二重の楽しみがあります。

 本書もそんな有名人探偵ものの一つ。なんとあの歌人・石川啄木と、その親友である金田一京助を探偵役とした、ユニークな短編集であります。
 啄木と京助が親友であったのは紛れもない事実、奔放で金銭感覚のない啄木に京助が振り回されていたのも事実ですが、そこでこの二人を探偵役に据えるとは、いやはやそれだけで驚かされます。

 しかし、本書の真の魅力は、そんな二人が挑む事件の数々の、ミステリ的面白さ。収録されているのは、以下の五篇――
 夜毎、浅草十二階(関東大震災で崩壊した凌雲閣)の壁面に現れる真っ赤な女の幽霊の謎の背後に哀しい想いを見る「高塔奇譚」
 人気役者が、夜歩くと噂のある美貌の活人形に喉笛を噛み千切られて発見されるという猟奇事件の真相を追う「忍冬」
 空中飛行術で評判となった奇術師が、練習中の事故と見られる姿で死亡した背後に、近代日本の暗部が浮かび上がる「鳥人」
 ある町内で発生した連続幼児誘拐事件の謎に、啄木に代わり京助が挑むこととなる「逢魔が刻」
 そして啄木と京助の最初の事件、私娼窟で思わぬ殺人事件の被疑者とされた京助の窮地を、ある少年が救う「魔窟の女」

 いずれの作品も、奇怪な事件、不可解な謎に探偵が挑むという、探偵小説ならではの興趣に満ちています。
 使用されているトリックこそ、現代では通用しない、一種プリミティブなものではありますが、舞台となっている明治末期であれば十分成立し得るものであり、そして何よりも、何故そのトリックが用いられなければならなかったか、という理由付けがしっかりなされているのが、実に素晴らしいのです。

 例えば「高塔奇譚」は、高楼に出没する幽霊のトリック自体にはすぐに気付くのですが、では何故高楼でなくてはならなかったのか、そしてそもそも何故このトリックでなくてはならなかったのか…結末でその点が明かされた時には、思わず「そういうことか!」と膝を打ちたくなったことです(第三回創元推理短編賞受賞もむべなるかな)。
 また、「鳥人」の事件の犯人の行動の遠因となっているものは、明治という一見華やかな時代の陰に黒々と蟠るもの、まさに啄木の「時代閉塞の現状」に語られた強権が生み出した悲劇であり、時代ミステリとしての視点が強く感じられます。


 ただし、一点残念なのは――これはおそらく同意される方も多いと思うのですが――本書の主人公が啄木と京助である強い必然性が、あまり感じられない点であります。
 史実の絡め方や、キャラ立てのうまさもあり、二人の探偵稼業に違和感はあまり感じられない一方で、何故この二人でなくてはならないか、という点が、些か弱いのです。

 しかし――本書に収録された五話に共通する舞台が浅草であることに目を向けると、何やら感得できるものもあるように思えます。
 本書でも何度か触れられる、浅草に軒を並べる娯楽の流行の推移。活気に溢れているようでいて、その背後では忘れ去られ、捨て去られていく無数のものたちは、大袈裟に言えば、近世から近代へと、そこに暮らす個人の事情などお構いなしに移り変わっていく明治という時代の一つの象徴であり――本書で描かれる事件やその周辺事情の多くは、その最も突出した姿とも言えるように思えます。

 そこに「浅草の夜のにぎはひにまぎれ入りまぎれ出で来しさびしき心」と詠んだ啄木を探偵――一見当たり前のように存在する現実を見据え、その背後に潜む真実をえぐり出す者――として設定することは、無意味ではないと、これは牽強付会に過ぎるかもしれませんが、そう感じられるのです。

 ちなみに、作者は本書の続編に当たる長編も構想しているとのこと。
 時代ミステリとしての内容への期待もさることながら、啄木が主人公である必然性にも、より切り込まれるのではないかとの期待も込めて、続編の登場を強く望む次第です。


「啄木鳥探偵處」(伊井圭 創元推理文庫) Amazon

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2008.11.29

「デアマンテ 天領華闘牌」第2巻 ユニークな世界の中で

 長崎を舞台とした時代サスペンスコミックの第二巻であります。表の顔は丸山遊郭一の遊女、裏の顔は長崎奉行の密偵である美女(?)・金剛の禿となった少女・かなが、金剛とともに様々な事件に直面し、活躍(はあまりしないかな)することとなります。

 第一巻がプロローグとすれば、今回は、かなと金剛をはじめとして、そこで登場した人物たちがいよいよ動き出す導入編というところでしょうか。物語の本筋であろう、かなの父が濡れ衣を着せられた偽金作り事件については今回は直接は触れられませんが、かなが丸山遊郭で様々な人々、様々な出来事と触れ合う様が、丁寧に描かれていきます。

 この第二巻に収録されたエピソードは、大きく分けて三つ。嫁盗みから逃れた小町娘たちが無惨な亡骸となって発見される事件、夜な夜な丸山近辺に出没するという顔なしの怪人の事件、そして出島の商館に潜入した金剛とかなが出会う哀しい抜け荷事件…
 いずれも派手さはないのですが、それぞれに江戸時代の長崎、江戸時代の遊郭という特殊な世界ならではの物語となっており、興味深い内容となっています。

 そんな世界の中で、かなが戸惑いつつも少しずつ適応していく一方で(碧也先生の絵は、思春期の少女の可愛らしさ、賑やかさを巧みに描きだしています)、相変わらず謎の存在なのが金剛の方。丸山遊郭一と謳われる美貌の持ち主ながら、その正体は実は男。通詞も及ばぬほどの完璧なオランダ語を操り、奉行の密偵として活躍する彼は一体何者なのか――
 それはおそらく、いや間違いなくこれからのお楽しみということだと思いますが、しかしかなに対してひどくぶっきらぼうなようでいて、誰よりも優しいその姿は、本作のもう一人の(真の?)主人公として、大いに好感が持てます。

 もちろん本筋の方も楽しみではあるのですが、もう少し、ユニークな世界とキャラクターたちの姿をゆっくりと眺めていたい…そんな気持ちになる作品です。


「デアマンテ 天領華闘牌」第2巻(碧也ぴんく 幻冬舎バーズコミックスガールズコレクション) Amazon
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 「デアマンテ 天領華闘牌」第1巻 二つの「もう一つの国」で

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2008.11.28

「双頭の虎 山嵐妖綺伝」 隠れた名手の快作

 日清戦争での戦勝に沸く日本。横浜の遊郭に足を運んだ福地桜痴は、途中で瀕死の若者から、後藤新平宛の包みを預かる。その包みを巡り、急に慌ただしくなる桜痴の周辺。ついに何者かに誘拐された桜痴救出に立ち上がったのは、快男児・西郷四郎だった。果たして包みの正体は、桜痴の行方は。事件の背後には、日本の命運を握る秘密が…

 隠れた、というか、知る人ぞ知ると言うか、タツノコプロやスタジオぴえろでアニメ監督として活躍し、押井守の師でもある鳥海永行先生は実は時代小説の名手。「水無し川かげろう草子」「球形のフィグリド」「聖・八犬伝」等々…ライトノベル的なレーベルからの刊行のため残念ながらあまり目立たないのですが、時代に対するユニークな切り口と巧みなストーリーテリングは、さすがは、と毎回感心させられます。

 さて本作「双頭の虎 山嵐妖綺伝」は、角川文庫(のうち、今で言えばスニーカー文庫に相当するレーベル)から刊行された作品。舞台は明治時代も後半、日清戦争で日本の勝利がほぼ固まり、下関で講和会談が行われていた時期の物語であります。
 そして主人公となるのは、(元・)講道館の天才児、必殺技の「山嵐」で今なお知られる西郷四郎と、なんと福地桜痴というのが面白い。福地桜痴(源一郎)と言えば、はじめ幕府の通辞として出仕し、明治となってからはて伊藤博文らと結びついて、「東京日日新聞」で御用記者として活躍、引退した後は歌舞伎座の座付作者となったという、何とも不思議な人物。ある意味明治という時代を体現した「ぬえ」的人物ですが、本作ではその座付作者時代の桜痴を、愚痴っぽい、しかし好奇心旺盛な人物として描いており、この波瀾万丈の物語の語り手として、まことにふさわしい存在かと思います。

 この二人の他、登場人物は多士済々。後藤新平に星亨、伊庭想太郎に仕立屋銀次、ジョルジュ・ビゴーに李鴻章…果たしてこれらの人物たちに如何なる繋がりが、と思われるかもしれませんが、それを結びつけるのが本作で描かれる、ある大陰謀。
 当時、スキャンダルに巻き込まれて社会的にはかなり追い込まれていた後藤を中心としたこの企ては、一見、さほど大がかりなものには見えませんが、しかし終盤で明かされるその真の狙いを知った時は、大いに驚くと共に、なるほど! と感心いたしました。
 そして、この陰謀の首魁であり、四郎の強敵として立ち塞がる謎の怪人・北洋の虎の正体の伝奇性たるや…さすがは、としか言いようがありません。

 ただ残念なのは、どうも本作には前史に当たる作品があるらしく、四郎と桜痴の関係や、何よりも四郎のキャラクターが、本作だけを見ているとよく見えてこない点。特に四郎は、本作での活躍がスーパーマン級なだけに、その背景があまりクリアに見えないのが、残念ではありました。
 とはいえ、上に述べたような本作の魅力はやはり捨てがたいもので――やはり鳥海先生の時代小説は見逃せない、と改めて感じた次第です。


「双頭の虎 山嵐妖綺伝」(鳥海永行 角川文庫) Amazon

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2008.11.27

「ムヨン 影無し」第1巻 陰の部分を視て、負の側面を描く

 戦から落ち延びる最中、敵の刃にかかり落命した王。麾下の虎百将軍は、居合わせた母子の口を封じようとするが、菊という娘は王を生き返らせることができると口にする。その言葉通り菊の術で復活した王だが、その性格は邪悪に変化していた。将軍の息子・飛龍は、身を挺した父に救われ、その場から逃れ去るが…

 高橋ツトムと言えば、ドラマ化された「スカイハイ」、時代ものファン的には「士道 SIDOOH」といった作品(個人的には飯田さんの鋭い目が真っ先に浮かびますが)が印象に残りますが、その高橋先生の初原作作品となるのが、朝鮮を舞台とした時代漫画である本作「ムヨン 影無し」。
 媒体は携帯コミック、画を担当するのは韓国の若手漫画家・金正賢という、ユニークな形態の作品ではありますが、この第一巻を読んだ限りでは、伝わってくるのは、人間の負の側面を真っ正面から執拗に描く、高橋作品のテイストそのものです。

 舞台は(この第一巻の時点では)いつの時代とも知れない朝鮮の地。戦乱の最中に、落ち延びてきた主従と、絵に描いたものに生命を与える力を持つ不思議な少女が出会った時、悲劇が幕を開けることとなります。
 絵に描いたものに生命を与える術の遣い手の物語は、洋の東西を問わず存在していますが、本作で描かれる術は、絵に描かれて復活(コピー)したものは、本体の記憶を持ちながらもその性格を邪悪・残虐に変貌させ、そして何よりも、この世に存在するものであれば当然持つべき、地に落ちる影を持たないという奇怪なもの。その意味では本作は一種のドッペルゲンガー奇譚とも言えるかもしれません。

 正直なところ、物語の方向性自体は、この第一巻の時点ではまだ見えず、着地点もまた不明ではあるのですが、描かれる内容は、まさに高橋節。
 戦で荒れ果てた世界の有様や、何よりも飛龍の心に罪の意識として残る過去の悲惨な事件など…思わず目を背けたくなるような人間の世の陰の部分、人間の心の負の側面を、真っ向から描ききる様には――そしてそれにはもちろん、画を担当する金正賢氏の新人離れした筆の力によるところが大ですが――好悪を離れて圧倒されます。

 ここで菊の術のことをもう一度考えてみれば、復活して邪悪に変貌した人間の姿は、その人間が元々持っていた負の側面を拡大し、強調したものと見ることができるように思います。
 そしてもう一人の主人公である飛龍の持つ力、霊を視ることが出来る能力は、言い換えれば人間の世の陰の部分を視る力であります。陰の部分を視て、負の側面を描く二人の主人公は、そのまま二人の作者に重なって見える…というのは穿った見方かもしれませんが、なかなかに興味深いではありませんか。

 しかし、この世には陰や負なるものだけではなく、陽や正なるものもあって欲しいと感じるのもまた人情。彼ら二人が行く先に、たとえ小さくとも希望の光が――たとえそれが影を生むものであったとしても――あることを祈りたいと思います。


「ムヨン 影無し」第1巻(金正賢&高橋ツトム グリーンアロー出版社GAコミックス) Amazon
ムヨン-影無し 1 (GAコミックス)

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2008.11.26

「TV ANIMATION 無限の住人 BLADE OF THE IMMORTAL 公式読本」 むげにんの原点を再確認

 あまりこういうことを書きたくはないのですが、今まで何度も痛い目にあっているのが漫画単行本サイズのアニメムックの類です。
 それでも毎度毎度手を出してしまうのは悲しいマニアの性ですが、今回手にしたのは、アニメ版「無限の住人」の公式ガイドブック。さて内容の方はと言えば…

 一言で表せば、「まあこのくらいかなあ」というところ。
 内容としては、キャラクターガイドにエピソードガイド(ただし全十三話の十話までの掲載)、簡単な用語集に設定資料集、スタッフ・キャストインタビュー(対談)、イベントルポ…まずは、この手の本には定番の内容であります。
 正直なところ、設定関係の記事は、原作ファン的にはよく知っている情報ばかりでありますが、原作もののアニメ化なのだからそれはまあ当然のことでしょう。

 そんなわけで原作ファン的に本書の最大の価値は、原作者である沙村氏・監督の真下氏・脚本の川崎氏の三者の対談と、万次役の関智一氏と凛役の佐藤利奈嬢の対談でありましょう。
 どちらも格別に目新しい内容はありませんが(アニメ版の最終回を沙村先生が結構気に入っているらしいのは、色々な意味で気になりますが)、スタッフ・キャストそれぞれの立場から、本作との向き合い方を考えている――それは当たり前といえば当たり前ですが――様が見て取れるのは、やはり好感が持てますし、またその内容も、なるほどとうなづけるものあり、新鮮なものありと、なかなか楽しめました。

 十五年もファンをやっていると、段々作品を見る目がひねくれてきますが(いやこれは私だけかもしれませんが)、物語の最初期を再構成したこのアニメ版の構成・作劇について語ることは、「無限の住人」という物語の原点を再確認することかもしれない…というとこれはほめすぎかもしれませんが、個人的にはこう感じた次第です


 冒頭に述べたように、第十話までの内容しか掲載されていないのは(発売時期的に仕方ないとはいえ)いかがなものか、とは思いますし、必読と皆様に薦めるつもりもありませんが、少なくとも、読むんじゃなかったなどと思うことはなかったですよ、というところであります。

 しかし佐藤利奈さんが「むげにん」よりも前に読んでいた沙村先生の別の作品って…ゴクリ(いや、「おひっこし」だと思いますが)


「TV ANIMATION 無限の住人 BLADE OF THE IMMORTAL 公式読本」(沙村広明&OFFICIAL FANBOOK制作スタッフ 講談社DXKC) Amazon
TV ANIMATION無限の住人BLADE OF THE (KCデラックス)


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2008.11.25

「裏宗家四代目服部半蔵花録」第2巻/第3巻 激突、忍法vs剣技

 第二巻・第三巻が同時発売ということで、私を含め一部で「もしかしてこれで完結…?」と懸念された「裏宗家四代目服部半蔵花録」。まったくもって嬉しいことにそれは杞憂、それよりも何よりも、物語の方もぐっと盛り上がり、実に面白い作品となってきました。

 この第二巻・第三巻で描かれるのは、江戸の町で暮らす忍たちが、何者かによって次々と追い詰められていく様を描く「忍狩りの章」。
 たとえ今は忍を捨て、平和に暮らしていたとしても、容赦なく――本人のみならず、その家族まで――惨殺していく謎の敵。奉行所までも手足の如く使う姿なき敵に、お花は挑むことになります。

 戦闘力という点であればほとんど無敵に近いお花ですが、敵の正体が見えず、そして必ずしも自分を狙ってくるわけではないのでは、何とも動きがたい。
 もちろん自分を狙ってくるわけでなければ、忍者らしく息を潜めていればよいわけですが――もちろんそんなことができるのであれば主人公ではない。住む土地を焼き出され、伊賀から江戸に出てきた三人の若者を救うために、お花は、仲間たちは自ら死地に赴くことになります。
(この辺り、単なるヒロイズムではなく、孤独な子供時代を送ってきたお花の心情と巧みに絡めたドラマ作りがうまい)

 …が、それだけでも十分に盛り上がるドラマに更に一ひねり、というか混乱の種として登場するのが、謎の小鳥侍(違 柳生十兵衛。
 もちろんあの柳生十兵衛三厳その人ではあるのですが、本作での十兵衛は極度の方向音痴の上に、異常なまでの好奇心の持ち主というすっとぼけた男。
 元々息抜きのギャグ要素も少なくない本作ですが、それでも十兵衛のキャラは異色。登場しただけで、場の空気が変わるユニークな存在ですが――もちろんそれだけなわけがない。

 柳生家嫡男として、彼もまた忍狩りに組みする者。そしてその剣技たるや…
 実は本作における忍びの術は、描写だけ見るとほとんど「魔法使い」的なのですが、十兵衛が見せる剣の技は、それらと明確に一線を画するもの。決して超自然的ではない、しかしそれでいて超人的な技として十兵衛の剣は描かれており、異質の強さを持つ十兵衛とお花、十兵衛と忍たちの戦いが、間違いなく今回のクライマックスと言えます。


 個人的には、忍がほとんど職業の一つとして――まるでRPGのクラスみたいに――普通に存在を認識されているのには、正直なところ違和感を些か感じるのですが、それは「こういう世界」と思うべきなのでしょう。

 キャラクタードラマの盛り上げ、そしてアクション描写の巧みさ…いずれも第一巻のそれを超える成長を見せていると感じられる本作。掲載誌が隔月刊なこともあり、次の巻はまだ先のことになるかと思いますが、二冊溜めてからなどと言わず、早く次の巻を手にしたいものです。


「裏宗家四代目服部半蔵花録」第2巻/第3巻(かねた丸 講談社DXKC) 第2巻 Amazon/ 第3巻 Amazon
裏宗家四代目服部半蔵花録 2 (2) (KCデラックス)裏宗家四代目服部半蔵花録 3 (3) (KCデラックス)


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 「裏宗家四代目服部半蔵花録」第1巻 遺された者たちの死闘

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2008.11.24

12月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 すっかり気候も冬めいて、今年も残すところあとひと月――今年も色々なことがありましたが、泣いても笑ってもあとひと月。せめて最後の月は笑っていたいなと思いつつ、今年最後、12月の時代伝奇アイテム発売スケジュールであります。
 ――が、これがまた、ここ数ヶ月の寂しさが嘘のような大量のアイテム投入。どうやら楽しい年の瀬を送ることができそうです。

 まず文庫小説新刊については、風野真知雄先生の「若さま同心徳川竜之助」シリーズ(ちなみに風野先生はまたもや新シリーズの「妻は、くの一」も登場)、上田秀人先生の「奥右筆秘帳」シリーズの最新刊がそれぞれ登場。さらに、個人的には武田櫂太郎先生の「五城組裏三家秘帖」の続編がようやく登場するのも嬉しいところです。また、米村圭伍先生の「退屈姫君 これでおしまい」も、タイトルの時点で大いに気になるところです。

 復刊・文庫化の方では、ここのところ毎月復刊されている柴錬作品では「剣は知っていた」最終巻と「一の太刀」が登場。また隆慶先生の「風の呪殺陣」新装版、海道龍一朗先生の「後北條龍虎伝」も気になるところです。
 そして武侠小説の方は、12月も二大巨匠がそろい踏み。金庸先生は「鹿鼎記」の文庫版刊行開始、古龍先生は好調「マーベラス・ツインズ契」の第4巻が登場と、こちらもありがたいラインナップです。

 さて…上に挙げた他、色々な意味で気になるのは、双葉文庫から刊行される「火盗改香坂主税 影斬り」なる作品。タイトルだけを見ればいかにも文庫時代書き下ろし作品ですが、その作者が、何と倉坂鬼一郎先生…これは一体いかなる作品になるのか、注目したいと思います。

 漫画の方も、かなり、いや大変なラインナップ。「怪異いかさま博覧亭」「惡忍 加藤段蔵無頼伝」「九十九眠る しずめ」「箱館妖人無頼帖 ヒメガミ」といった、続巻を楽しみにしていた作品が、怒濤のように刊行されます。また、同じく続巻が楽しみだった「ガゴゼ」は、12月発売の第5巻で完結。果たしてあそこからどのような結末を迎えるのか、気になります。

 また、新登場としては、以前から単行本化を楽しみにしていた永尾まる先生の「猫絵十兵衛 御伽草紙」が要チェックでしょう。
 その他の作品としては、奇跡の(?)復活を遂げた「ネリヤカナヤ 水滸異聞」、雑誌を移ってもまだまだ頑張る「東京事件」のそれぞれ続巻、時代ものではないですが、さとうふみや先生の「鉄人奪還作戦」続編も楽しみです。

 も一つ気になるのは、講談社から発売される「花の慶次 雲のかなたに 公式ガイドブック いくさ人読本」。「花の慶次」は、現在新潮社の方から復刊中ですが、講談社からガイドブックとは…パチの方かもしれませんが、チェックが必要かもしれません。

 最後に映像作品としては、色々と話題を集めた「隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS」がDVD化。劇場で見そびれてしまったので、ここで見ておかなくては。
 さらに、一応時代劇シーンもあるしな、というか、これこそ今月の本命は、川尻義昭監督の「ハイランダー ディレクターズカット版」。海外主導の製作で色々と大変だったようですが、やはり見ざるを得ません。


 というわけで、今年の時代伝奇アイテム発売スケジュールもこれでおしまい。
 少々気が早いですが、また来年も素晴らしい作品と出会えることを期待している次第です。

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2008.11.23

「絵巻水滸伝」 第七十五回「壺中天」前篇 そして意外なる敵が

 それでもしつこく続ける「絵巻水滸伝」感想。今月の更新分では、童貫との激闘の果てにかろうじて押し返したかにみえた梁山泊を襲う十節度使の脅威が描かれることとなります。

 本隊が童貫を迎え撃つために梁山泊を離れた隙をついて、梁山泊を重囲した十節度使。「宋国に十人の節度使あり。武勇をもって、賊寇夷狄を圧殺す」と謳われた一人が一万の兵を率い…つまりは童貫軍に加えて実に十万の大軍を相手にすることになります。
 戻らねば梁山泊の守りが危うい、しかし戻るためには大軍の追撃が…古来、退却戦は戦闘の中でも最も難しいものと聞いたことがありますが、まさに今回の梁山泊軍は、その困難な闘いを強いられることとなります。

 さて、今回勢揃い(正確には一名欠けていますが)した節度使は、以前も書いたと思いますが、かつて賊徒だったものが、朝廷に帰順することにより官軍となったもの。言い換えれば、そうであったかもしれない(そうなるかもしれない)もう一つの梁山泊と言うべき存在であります。
 さらに面白いのは、この節度使たちの顔ぶれは、水滸伝が今の形で成立する以前の説話・芸能で活躍していたヒーローたちから取られていること。元々水滸伝の豪傑たちの中には、過去の英雄豪傑のパロディと言うか見立て的なキャラクターや、別の物語で活躍していた人物も多く含まれているのですが、梁山泊vs節度使の対決は、ドリームマッチの連続、スーパー中国英雄大戦的な色彩を帯びることとなります。
 ちなみに、今回登場した十節度使のうち九人の渾名――老風流・鉄筆・飛天虎・千手・西北風・闌路虎・梅大郎・薬師・李風水――は、私の記憶ではこの「絵巻水滸伝」オリジナルかと思いますが、しかしその由来は、上記の説話・芸能等から取られているものも多いようで、ニヤリとさせられます。

 しかし、原典ファンにとっての今回一番のサプライズは、十節度使との激戦が繰り広げられる中で、あるキャラクターたちが登場したことでしょう。
 突如として戦場を覆った妖しい霧(最初は宋江がが女神様に加護を祈ったら出てきたのかと唖然としましたが)。その中で混世魔王樊瑞の前に現れたのは、混沌の力を操る黒衣の道士。そして第三の目を持つ怪人…その名も幻魔君喬道清と神駒子馬霊!
 この二人、原作ではずっと後に登場し、その異能を持って梁山泊と激闘を繰り広げたキャラクターですが、それがこの時点で登場するとは…

 原典を始めから終わりまで俯瞰した上で、キャラクター配置を巧みにアレンジするのは、「絵巻水滸伝」の特長であり魅力の一つですが、ここでこの面子が登場するとはさすがに予想していませんでした。
 果たして現在の戦いに、そして来るべき戦いにこの展開がどのように影響するのか…まだまだ楽しみは尽きません。


公式サイト
 キノトロープ/絵巻水滸伝


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2008.11.22

「柳生烈堂 対決服部半蔵」 理屈抜きの時代エンターテイメント

 京で気儘に暮らす烈堂の前に現れた兄・宗冬。彼は、失脚し失意のうちに死んだ三代目半蔵正就の遺児・四代目半蔵が、幕府への復讐のため、キリシタンを扇動して大乱を起こさんとしていると烈堂に告げる。半蔵の企みを打ち砕くため、烈堂は長崎に赴き、隠れキリシタンの中に潜入するが。

 火坂先生の「柳生烈堂」シリーズ第三弾は、烈堂が四代目服部半蔵と対決する異色編。これまでの二作が、同門たる柳生新陰流との対決であったのに対し、今回はそれ以外、いや剣術者ですらない相手と対決することとなります。

 今回の敵役たる四代目服部半蔵は、服部半蔵正就の子という設定。半蔵正就といえば、家康に従って大いに功績のあった父・半蔵正成に対して、配下の伊賀者たちを私のために動かそうとして人望を失い、ついには前代未聞の伊賀者たちによるストライキを起こされて失脚したという人物。その失地回復のために大坂の陣で無謀な突撃を行い、そのまま戦塵の中に消えたと言われますが、フィクションにおいては半蔵正成の不肖の息子、馬鹿な二代目として描かれるのがほとんどの人物であります。
(ちなみに半蔵正就は、二代目半蔵と呼ばれることが多いのですが、本作では正成の父・半蔵保長を初代としてカウントしているため、三代目ということになります)

 本作においては、実は半蔵正就は狡兎死して走狗烹らるの喩え通り、陰謀によって抹殺されたものという設定で、その子である半蔵が、復讐のために第二の島原の乱を起こすべく、キリシタンを扇動しているというスケールの大きな設定。
 そのため、烈堂は直接の敵ではないキリシタンとも事を構えることになるのですが、その辺りのドラマも本作の見所の一つかもしれません。

 さて、冒頭に述べたとおり、本作は、前二作とは異なり剣の奥義を巡る剣術者同士の対決という趣向ではありません。そのため、烈堂の戦いにも求道的側面はなくなり、それと共に彼が主人公である必然性も薄れた感があるというのは正直なところ。
 しかしその一方で、枠が外されたことによりエンターテイメント性はむしろアップ、長崎から伊賀までを舞台に、派手なアクションを楽しむことができました。

 特に終盤には、思わぬスケールの決戦が展開、その前にはシリーズレギュラーのあの人物も顔を見せますが、彼の出自を知っている人間にとってはニヤリとできる展開でしょう。

 理屈抜きの時代エンターテイメントとして、なかなかよくできた作品であります。


「柳生烈堂 対決服部半蔵」(火坂雅志 祥伝社文庫) Amazon
柳生烈堂―対決 服部半蔵 (ノン・ポシェット)


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2008.11.21

「剣鬼」(その二) ただ己自身が選んだ道を

 新潮文庫の「剣鬼」収録作品紹介の続き、本日は残る四作品であります。

「人斬り斑平」
 つい先日「主水之助七番勝負」第二話の題材となり、またかつて市川雷蔵主演で映画化されたのが本作。
 その出生から「狗の子」と蔑まれ、花の栽培にのみ生き甲斐を見出していた男が、ある出会いから居合いの達人として開眼し、その剣技を暗殺者として利用されていく様を描いた本作は、悲惨な境遇に生まれた者が、剣技に己の価値を見出そうとして滅んでいくという、「剣鬼」シリーズの一つの典型ともいうべき作品であります。

 斑平をはじめとする彼らの生き様は、もちろん一種の悲劇ではあるのですが、しかしそれでも我々がその姿を目にする時に浮かぶ想いが、決して悲しみや哀れみのみではないのは、彼らが、己の往く道を誰かに定められたものではなく、己自身が選んだ道として――たとえそれの行く先が明白な死だとしても――最後まで突き進むからだと、そしてそれこそが柴錬作品に通底する「心意気」なのだと、改めて感じさせられます。
 本作では、剣技を覚えた斑平が、己の帯びる刀として、敢えて悪因縁の妖刀を選ぶ――ちなみにその刀の正体が、伝奇ファンにはあっと唸らされるものであるのにも感心――のですが、これはまさに、この心意気の現れと言うべきなのでありましょう。


「素浪人忠弥」
 本作の主人公は、おそらくはシリーズでも最も有名な歴史上の人物。由比正雪の右腕として知られ、慶安の変で命を散らした槍の達人・丸橋忠弥その人であります。
 宝蔵院流の槍の達人として、様々な作家の作品に登場する人物ですが、さすがに一筋縄ではいかぬシリーズだけあって、本作の忠弥は、数奇な生まれの果てに諸国を流浪する、吃りで跛行の武芸者として描かれます。
 己の血の高ぶりを抑えられぬまま、奇行を繰り返す忠弥の胸中にあったもの。おそらくは由比正雪の壮挙に加わってもなお満たされなかった彼の想いを知った者は誰なのか――物語と史実の統合が図られる結末には、粛然とさせられます。

 なお、本作で描かれる正雪の生い立ちは、同じ作者の連作シリーズ「忍者からす」の一編をそのまま流用したもの。何ともマニア泣かせなサービス(?)であります。


「通し矢勘左」
 武芸百般ある中で、弓術を極めんとした本作の主人公もまた、己の不幸な生まれに対し、武術でもって挑んだ男。京都三十三間堂の通し矢を巡る記録争いで、今なおその名を残す星野勘左衛門の物語であります。
 まるで悪巫山戯のような事情から世に生を受けた勘左衛門。弓術に天分を示しながらも、己の家の身分故に世に出ることが認められなかった勘左は、主家を捨て、己の名を上げるために、三十三間堂の通し矢に挑むことになります。
 本作がシリーズの他の作品と異なるのは、ここで彼を受け止め、導く女性の姿がある点。己の身を顧みず、勘左を世に出すために心を砕く彼女の姿は、重苦しいムードの作品の中で、暖かい光と言えるかもしれません。

 そして、その光に背を向けてまでの修行の果てに彼が掴んだ栄光。その、己の栄光の記録を塗り替えんとする若き者に出会った時、彼の取った行動は…これは史実として一部で有名なエピソードではありますが、本作の物語を通してみれば、何とも言えぬ切なく、味わい深く感じられることです。


「裏切り左近」
 集中最後に収められているのは、家中随一の業前を誇りながらも、家中で最も嫌われ憎まれた男の凄絶な生き様を描く作品です。
 その剣術でもって、低い身分から一躍家中の名家に婿入りしながらも、その狷介な性格でもって家中で孤立する主人公。本作は、その唯一の理解者とも言うべき、彼の家僕の視線から語られることとなります。

 周囲から疎まれ、憎まれようとも己の生き方を曲げることのなかった左近は、普通に考えれば身勝手で、協調性のない嫌われ者。しかし、己を受け容れる者が一人とていない中で、なおも己の生き方を変えず、貫くというのも、これは一個の男の生き様、心意気の発露かもしれません。

 そんな、己を偽ることなく生きてきた彼に与えられたもの…あまりにも無情なその運命に直面してなお、昂然と嘯いてみせた彼の言葉こそは、まさしく心意気の剣鬼ならではの名台詞であり――その姿は、語り手同様、私の心に深く残って消えないものであります。


 以上七編、題材といい人物造形といい物語構成といい、いずれも柴錬先生ならでは、というべき作品ばかりです。
 柴錬作品の精華として、ファンは言うまでもなく、初心者の方にも大いにお勧めできる名品であります。ドラマの題材となったのを機に、少しでも多くの方が手に取ってくれればと祈る次第です。


「剣鬼」(柴田錬三郎 新潮文庫) Amazon


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2008.11.20

「剣鬼」(その一) 己を曲げることなき男たち

 「主水之助七番勝負」のおかげで、最近私の柴錬ファン魂がとみに燃えさかっているのですが、この「主水之助七番勝負」の題材となっているのが、いわゆる「剣鬼」シリーズ。剣に賭ける凄まじい執念と、その魔剣とすらいえる剣技故に功成り遂げるなく散っていった剣鬼たちを主人公に描いた、短編シリーズであります。
 今回は、新潮文庫の作品集「剣鬼」に収められた七篇を、二回に分けて紹介していきたいと思います。

「狼眼流左近」
 集中最初に収められているのは、元は歴とした武士でありながら、人面狼之助と名乗り、晒し者とした妻を賞品とした真剣勝負を続ける男の姿を描く作品。「主水之助七番勝負」の第一話の題材となった作品でもあります。
 とにかく冒頭から目を奪われるのは、美しくも淫奔な妻を晒し者とした上で、その身を賞品として真剣勝負を受け付ける狼之助の姿。柴錬先生は、その執筆の上で、エトンネ(人を驚かせること)の精神を基盤にしていたことで知られますが、本作はまさにその精神を具現化したものと言えるかもしれません。

 もちろん、驚かせるだけではないのが柴錬作品。自ら、人面狼之助と皮肉極まりない名を名乗りながら、妻をダシにして憑かれたように剣を振るう狼之助の姿には、世に容れられぬ孤独を背負いながらも、しかしそれでも己を曲げることのない男の執念と悲しみが満ちており――そしてそれは「剣鬼」シリーズ全てに共通するものであります――剣を振るうこと、ひいては武士として生きることの意味というものを感じさせられるのです。


「大峰ノ善鬼」
 「剣鬼」シリーズの中では珍しい実在の剣豪を扱ったのが本作。伊東一刀斎の一番弟子となりながらも、皆伝を賭けた弟弟子・神子上典膳との決闘に敗れたと伝えられる小野善鬼の物語であります。
 ここで描かれる善鬼の姿は、剣鬼…というよりも、いわゆる悪役剣士そのもの。ただ強くなることのみを渇望して剣を振るい、己の気の赴くままに奪い、殺し、犯す――通常の時代小説、いや柴錬作品でもしばしば登場し、主人公に斬られる悪役の典型に思えます。

 しかし、その善鬼の師である一刀斎の視点から彼を眺めたとき、その善鬼の姿は、一刀斎の――いや、全ての剣に生きる者たちの――負の姿、裏返しの姿であると気付きます。どれほど言葉を飾って道を語り、行い澄まそうとも、剣は人を殺し、己の意を通すために振るうもの。もちろんこれは極論ではありますが、これから目を背けて剣を語ることこそ偽善でありましょう。
 いわば一切の偽善をはぎ取った、素の剣士の姿である善鬼の所行に、一刀斎が見ているのは、かつての己自身であり、そうなるかもしれなかったもう一人の自分。そう考えると、ラストの決闘の後の一刀斎の行動の理由もわかるような気がします。

 なお「主水之助七番勝負」全編を通しての悪役として登場するのが、この善鬼。原作の野獣のような男とは、また違った印象のドラマ版善鬼ですが、しかし、決闘の末に落命することのなかった善鬼の後の姿として、何やら頷けるもののあるキャラクター造形かと思います。


「刃士丹後」
 実は私が「剣鬼」シリーズを通して最も好きな作品が本作であります。何よりもまず、主人公の異名たる「刃士」――「忍」にわずかに残った「心」までも無くした、忍びを殺す非情の男――のネーミング自体が素晴らしい(柴錬先生の作中でも最高のネーミングの一つではないかと真剣に思います)のですが、もちろんそれだけでなく、凄絶という言葉すら生ぬるいその内容には、ただただ圧倒されるのです。

 柴錬版「おのれらに告ぐ」とも呼びたくなる本作は、細川忠興に仕え、戦場でその窮地を救いながらもかえって憎まれ、偽られて天刑病患者の里を領地として与えられた男の、凄まじい復讐絵巻。主君や己の愛する妻をはじめとする周囲の全ての人々から偽られ、裏切られたと――そして己も病を得たと――感じた彼の怒りの向かう先は、忠興と、そして里の人々であり、彼の復讐に賭ける執念には、それが正当なものであるかどうかは別として、ただただ圧倒されます。

 尤も、これだけであれば残酷時代劇なのですが、柴錬先生の凄まじいところは、この里の住人が、実は忍びを生業としていた(忍びなら常に顔を隠していてもおかしくないから、という理由付けの説得力が凄い)と設定したことで――これによって、色々と物議を醸しそうな彼の復讐行が、剣豪vs忍者の死闘劇にシフトしてしまうのも、見事としか言いようがありません。

 そして、ほとんど自己破壊にも等しい復讐行の果て、心を捨てた男が見せた最後の「心」を感じさせる結末がまた心を打つ本作。題材的に色々と難しい作品(まずドラマ化等は不可能でしょう)ですが、ぜひ一読いただきたい逸品です。


 明日に続きます。


「剣鬼」(柴田錬三郎 新潮文庫) Amazon


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2008.11.19

「主水之助七番勝負 徳川風雲録外伝」 五番勝負「野獣剣 久蔵」

 今回で第五番目の「主水之助七番勝負」、早いものでもう後半戦です。今回の「剣鬼」は「野獣剣 久蔵」――恥ずかしながら、今回は原典がよくわからないのですが(「いのしし修蔵」の曲修蔵?)、しかし物語のクオリティの方は、かなりのものがあったかと思います。

 七年前、とある道場主の闇討ち現場に出くわした主水之助。その際に出会った人足・仁吉の消息を訪ねた主水之助は、その後、仁吉が何者かに斬られて命を落とし、その妻・おみねは酌婦に身を落としたことを知ります。主水之助が夫の仇と吹き込まれたおみねは、主水之助に復讐の刃を向け、また、道場の門弟たちも、主水之助が師の仇と思いこんで彼をつけ狙うことに。
 さらには、野獣の剣を使う剣鬼・真鍋久蔵も主水之助の首を狙って…と、まさに主水之助は四面楚歌。どちらかというとこれまでは傍観者ポジだった主水之助ですが、今回は彼自身の事件という印象で、久蔵のポジションが明確に悪役ということもあり、今回の「剣鬼」はむしろ主水之助という印象すらあります。

 ストーリー的には、毎度のことながら、悪いのは役人というオチではあるのですが、登場人物たちのキャラがなかなか立っていたので、不満はありません。悪役の久蔵も、やっていること自体は典型的なキャラではあるのですが、その振る舞いの一つ一つ(人を強請りながら代官所の障子をネチネチと破いたり)が実に癇に障る厭らしさでありましたし、道場の門弟たちも、いざ仇(と信じ込んでいる)の主水之助と対峙しながら、人を斬った経験もなく慌てふためいてしまう様がなかなかリアル。
 今回は通りすがり的立場だった善鬼も、かつての許嫁にだけは、ほんの少し、本当に少しだけ違った顔を見せた――と思ったら、久蔵の始末を依頼してきた役人を理不尽にも叩き斬ったりと、実に「らしい」活躍であります(にしても三田村氏、こういう役もアリなんだなあ…と毎回感心いたします)。

 しかし今回の圧巻はやはり筒井真理子演じるおみねの存在感でしょう。登場した瞬間から「人生に疲れた酌婦」というキャラクターを強烈に感じさせる佇まいに感心しましたが、その後も、主水之助と久蔵の存在に翻弄され、ついには主水之助に包丁を向ける姿に――そしてその後、久蔵に騙されていたと知った時の怒りと絶望の表情に――圧倒されました。
(…圧倒されたと言えば、微動だにせず土手っ腹におみねの包丁を受ける主水之助の姿も凄まじかった。さすがはマツケン)


 残すところあと二回の本作、最終回は当然「大峰ノ善鬼」として、その一話前は…と思いきや、これが意外な変化球。こういうパターンで原典を使ってくるかと予告を見て驚かされましたが、それはまた来週触れましょう。


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関連サイト
 公式サイト

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2008.11.18

「甲賀忍者お藍」 戦国のエピローグに

 大御所・徳川家康の懐刀でありながらも、その政に強く反発していた本多正純は、家康の死を機に、自らの理想である人が人らしく生きられる世を作るための政を始めようとする。正純に仕える甲賀忍者・お藍は、彼の理想を助けるために陰で動くが、その前に、残虐非道な根来忍者・羅王が立ち塞がる。

 反骨の忍者・服部三蔵と、家康配下の謀臣・本多正純の友情を描いた「天駆け地徂く」の続編が、本作「甲賀忍者お藍」であります。タイトルロールであるお藍は、前作から登場し、三蔵と正純の双方から愛された女忍。彼女の目を通して、家康亡き後の正純の、戦国の武人たちの最期の姿が描かれることとなります。

 本多正純について、史実を見れば、家康亡き後もしばらくの間権力の中枢にあったものの、やがて周囲に疎まれ、ついには秀忠の不興を買って流罪となった…というのがその後半生。
 そんなこともあって、特にフィクションの世界においては陰険な悪役として描かれることが多いこの人物ですが、前作及び本作においては、人が人らしく生きることを妨げるものとして、家康の政に密かに敵対する人物として描かれているのが特色であります。

 主人公たるお藍も、その正純の理想に共鳴して、身命を賭して彼のために働くわけですが、史実が証明するように、その前途は決して平坦なものではありません。
 家康の、そして正純の政は、少数の才ある人間のリーダーシップにより動かされるもの。それに対して、秀忠の世の政は、大老・老中といった複数の政治家・官僚がシステマチックに動かすものであります。
 本作では、この政治システムが確立していく中で、正純が孤立し、没落していく様が描かれることとなります。

 それはいわば、時代から彼が取り残されていくということでありますが、取り残されたのは、一人彼のみではありません。
 本作でその晩年が描かれる坂崎出羽守、福島正則――この二人は、史実においてもその最期/没落に関して、正純と密接な関係を持つ人物であります――もまた、個の力を必要としない、いや排斥すらするシステムの中で孤立した人物。
 彼らは、その境遇において、己の命や地位をもって、その流れに無言の抗議を行ったものとして描かれますが、その姿は、やはりもの悲しいものとして感じられます。

 本作の舞台となる江戸時代初期は、戦国時代の清算期、ある意味エピローグともいえる時代。
 冒頭で、本作は「天駆け地徂く」の続編と述べましたが、あるいは前作の長いエピローグと言うべきかもしれません。

 ただ残念なのは、作中における正純像に、理想に生きた政治家としての説得力が、さして感じられず、それゆえその没落が、単に脇が甘かった故のものに見えてしまうことでしょう。
 そのため、お藍の悲劇的な活躍にもさしてカタルシスが感じられず、ただただ陰鬱なムードの物語になってしまったのは、厳しい言い方ではありますが、いかがなものかな…と感じた次第です。


「甲賀忍者お藍」(嶋津義忠 講談社) Amazon
甲賀忍者お藍


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2008.11.17

「へるん幻視行」 ハーンの瞳に映るもの

 英語教師として松江を訪れた「へるん先生」ことラフカディオ・ハーン。しかし、古き良き日本の風物に限りない愛を向けるハーンを松江で待っていたのは、数々の不可思議な事件だった。ハーンの見えぬ片目に映る、哀しい事件の真実とは…

 歴史上の有名人を探偵役とした物語というのは、それこそ枚挙に暇がないほど描かれています。
 単なる事件の謎解きだけでなく、その人物自身の魅力、そして後の活動に事件がどのように影響を与えたのか…などと、物語の構造が、読者の興味を色々と掻き立ててくれるかと思いますが、そこには一種のパロディの視点から現実を見るという、伝奇ものに近い魅力があるのではないかな、と個人的には考えている次第です。

 さて本作は、そうした作品の中でもへるん先生ことラフカディオ・ハーンを主人公とした作品集。言うまでもなくハーンは後の小泉八雲、日本の怪談奇談に親しみ、「怪談」をはじめとする様々な作品で、我々に貴重な日本の精神的遺産とも言うべきものを残してくれた偉人であります。
 こうしたハーンの立場を考えると、なるほど、異境からやって来て事件を解決する「探偵」という存在に、うってつけのマージナルマンではあると感心させられます。

 そんなハーンの作品には実はベースとなる実際の事件があった、というスタイルは、これは有名人探偵ものの定番ではありますが、しかし描かれる作品が作品だけに、実に興味深い話。しかもそれが、単純に事件の謎を超自然的存在に帰するのではなく、一定の現実的・論理的解を出し、その上でなお「えっ」と思わせるような不思議の世界を垣間見せてくれるという構造で、これは実に私好みでありました。

 題材となっているのは「水飴」「蒲団」「破約」「雪女」の四作品。いずれも有名な原典を、如何に本作が料理してみせたか――それはここでは詳しくは述べませんが、いずれもハーンという人物、その瞳に映った明治の日本という風土を存分に生かした、味わい深い佳品揃いであります。
 ことに、原典を読んだとき、ヘタなホラー小説など裸足で逃げ出すほどの恐ろしさに震え上がった「破約」を、見事にロジカルに解釈しつつも、一片の怪奇と哀切さを漂わせた作品に仕上げてみせたのには、まことに感心いたしました。


 単行本を見た限りでは、この一巻で完結となっているようですが、へるん先生の日本での生活はまだ始まったばかり。原典となるべき作品もまだまだ山のようにあるわけですから、ぜひとも続編を期待したいところです。


「へるん幻視行」(ほんまりう&宇治谷順 小学館ビッグコミックススペシャル) Amazon
へるん幻視行 (ビッグコミックススペシャル)

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2008.11.16

「幕末喧嘩博徒 諸刃の麒麟」 麒麟、最後の戦いは…

 かつて麒麟が一泡吹かせた一橋慶喜の陰謀で、将軍上洛の先行役として京に赴くこととなった狭山藩主・村上定守。旧知の定守のため、麒麟らも共に京に向かうが、そこで待っていたのは、桂小五郎操る千人の攘夷浪人たちだった。麒麟側はわずか二百余名、絶対的に不利な状況で、麒麟は起死回生の一手を打つ!

 幕末を舞台に、規格外れの博徒・麒麟が大敵を相手に大暴れする「諸刃の博徒麒麟」の第二部が、「幕末喧嘩博徒 諸刃の麒麟」のタイトルで単行本化されました。
 これまで黒船のアメリカ兵や土方歳三、一橋慶喜に島津久光といったとんでもない面子に喧嘩を売ってきた麒麟ですが、今度の相手はあの桂小五郎。今回も相手にとって不足はなし、であります。

 桂小五郎、後の木戸孝允については、維新の英傑である一方、「逃げの桂」の異名もあるように、いささか信用ならないイメージもあるのも事実。そのためあってか、フィクションの世界では悪役として描かれることもなきにしもあらずなのですが…本作での桂像も、その一環と言ってよいでしょう。
 常に二重三重の策を用意して絶対的に有利な立場から相手を追い詰め、万が一敵わぬ時には、配下を見捨てても生き延びる…そんな桂のネガティブな側面を具現化したような、イヤなイヤなイヤなヤツとして、本作の桂は描かれています。

 しかしイヤなヤツでも強敵は強敵…長旅の疲れも癒えぬまま、麒麟たちの前に立ちふさがるのは千人の攘夷浪人。幕府の威信を貶め長州の勢力を伸張せんとする桂の陰謀の下、大砲までも装備して迫る敵に、いかに麒麟は立ち向かうのか、というのが今回の眼目であります。
 多数を相手の戦いでは、トシ(土方歳三)とその配下相手の戦いが以前描かれましたが、今回は一回り以上スケールが違う。しかも自分のみならず、敬愛する定守を始めとする仲間たちの命を背負うこととなってしまうのですが…やはり麒麟は麒麟、実に意外かつ豪快な手段――これはぜひ映像で見てみたいものです――で大逆転を見せてくれます。桂もフルボッコになって、いや痛快痛快。


 が――ここで本作の最大の不満点が。この「幕末喧嘩博徒 諸刃の麒麟」は、このエピソードで完結、おしまい。
 まさに一巻の終わり、などと洒落る気にもならない、何とも腹立たしい仕打ちであります。

 次々と幕末の大物たちを叩き潰していく麒麟の運命は。やがては決定的に立場を違えることとなる、トシや直柔との友情の行方は。いまだ描かれていない、麒麟と定守の過去の物語は…そうしたこちらの興味を全て置き去りにして、パッと物語に幕が下りてしまうのだから堪ったものではありません。

 もちろんこんなことはよくあること、誰を責める気にもなりませんが、しかしもう少しどうにかならなかったのかな…と、雑誌連載終了時に感じた悔しさが、今更ながら甦った次第です。


「幕末喧嘩博徒 諸刃の麒麟」(土屋多摩&村尾幸三 ヤングマガジンKC) Amazon
幕末喧嘩博徒諸刃の麒麟 (ヤングマガジンコミックス)


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2008.11.15

「柳生烈堂血風録 宿敵・連也斎の巻」 江戸対尾張のドリームマッチ

 将軍家綱の鶴の一声により、開催される江戸柳生と尾張柳生の御前試合。将軍家指南役を賭けたこの御前試合に、尾張柳生は最強の剣士である連也斎が出場、対する江戸柳生からは、烈堂に白羽の矢が立てられる。旅先で連也斎と出会い、己の腕が遙かに及ばぬことを悟った烈堂は、沢庵和尚が残したという秘奥義を求めるが、連也斎も同じものを求めていた…。果たして秘奥義の正体は、そして闇御前試合の結果は如何に。

 火坂先生の「柳生烈堂」シリーズ第二弾。先日紹介した「柳生烈堂 十兵衛を超えた非情剣」の続編です(ちなみにこのシリーズ、微妙にタイトルに統一が取れてなくて、並べてみるとちょっと微妙)。

 前回は兄・十兵衛の死の真相を巡り、十兵衛の高弟たちと対決した烈堂ですが、今度の相手は、同様に柳生新陰流とはいえ、江戸柳生とは不倶戴天の関係にある尾張柳生。それも最強と噂される連也斎厳包を向こうに回しての御前試合となれば、剣豪小説ファンとしては否応なく興味をそそられます。

 連也斎厳包は、江戸柳生の面々や父・兵庫介に比べると、知名度の点ではいささか劣りますが、その強さでは他の面々に勝るとも劣らないと言われる人物。中でも、将軍家光の御前において当時の江戸柳生総帥・宗冬と対決、その指を砕いて勝利したという逸話(伝説)は、剣豪小説ファン、柳生ファンであればよくご存じではないかと思います。

 ここで烈堂と連也斎の生没年に目を向けてみると、連也斎は寛永2(1625)~元禄7(1694)、一方、烈堂は寛永12(1635)~元禄15(1702)。連也斎の方が10年先に生まれ少々早く亡くなったものの、ほぼ全くの同時代人と言ってよいでしょう。
 しかしながら、この二人が競演した作品というのは、私の知る限りほとんどなく――あるいは、上記の宗冬と連也斎の御前試合のエピソードが有名すぎるためかとは思いますが――本作でこの二人のいわばドリームマッチを持ってきたのは、なかなかにうまい着眼点、コロンブスの卵かと思います。

 この二人の御前試合がクライマックスである本作のストーリー構成は、前作に比べても比較的シンプルではありますが、そこに興味深い味付けとなっているのが、沢庵和尚が残したという秘奥義の存在。
 沢庵が剣術の奥義を、というと一見眉唾というか、逆にありがちにも見えますが、ラストで明かされるその正体はなかなかユニークであり、烈堂がその奥義に開眼する過程/理由も、二人の間の関係を考えると頷けるものがあり、この辺りは――初期の火坂作品に共通する――職人芸的なひねり、うまさがあるな、と感じた次第です。


「柳生烈堂血風録 宿敵・連也斎の巻」(火坂雅志 祥伝社文庫) Amazon


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2008.11.14

「やわら侍・竜巻誠十郎 五月雨の凶刃」 ロジカルに、そして優しく暖かく

 部屋住みの次男坊ながら想身流柔術の達人・竜巻誠十郎は、ある事件がきっかけで家を追われ、天涯孤独の身の上となってしまう。目安箱を管轄する将軍吉宗の御用取次・加納久通によって、「目安箱改め方」の任務を与えられた誠十郎は、ある油商人の番頭の怪死事件の謎を探ることになるが。

 「誘拐児」の翔田寛先生が、本作を書くと知ったときには、ちょっとした驚きがありました。何しろ本作のタイトルは「やわら侍・竜巻誠十郎 五月雨の凶刃」という、どこからどう見ても文庫書き下ろし時代小説のそれ。文庫書き下ろしをどうこう言うのではもちろんありませんが、翔田先生とは今ひとつ結びつかないように感じたのです。
 しかし、いざ蓋を開けてみれば、なるほどこれはいかにも翔田作品。ロジカルな謎解きの楽しさと、人間心理の綾を見つめる優しさが込められた、実に面白い作品でした。

 さて、主人公・誠十郎が務めることとなる目安箱改め方とは、あの目安箱に投じられた訴えのうち、無記名等の理由で取り上げられなかったものの真実を探るというもの。
 根拠なき誹謗中傷などを避けるため、目安箱は記名が原則。しかし、記名なき訴えの中の一片の真実を――あるいはその中の偽りを――証明することが、天下の政を行う上で、有用なこともある。ここに、公には取り扱われないこれらの訴えの虚実を探るお役目として、目安箱改め方が誕生することとなります。
 そして誠十郎が挑む最初の事件は、油商人・椿屋の番頭の怪死事件。
 油改所の免状書き換え(幕府御用達の油商人の免許更新とでも言いましょうか)を目前として、些細な瑕疵も椿屋には命取り。果たして番頭の死は事故だったのか、はたまた殺人だったのか――

 と、これだけではよくある捕物帖的展開ですが、ここに、椿屋にまつわる数々の謎が、大きく物語に関わってくるのが本作ならではの展開。
 年に一度、椿屋が奉公人を早く寝付かせ、外に出るのを禁じるのは何故か。五月頃の日暮れ時、店の納屋に現れるという幽霊の正体は。そして何より、かつてはあまりの非情なやり口に鬼と呼ばれた椿屋が、ある日を境に人が変わったように善行を施すようになった理由は――

 一見、本題の事件とは無関係に思えるこれらの謎が、物語の中でどんな意味を持つか…それをここで語ることはもちろんしませんが、はっきりと言えるのは、一見不可解な事件が極めてロジカルに解き明かされた果てに見えるのは、複雑怪奇でいて、そして同時に優しく暖かい人の心である、ということ。

 事件の謎を解き明かすことが、その背後の人間心理――あえて「人情」とは呼びません――を浮き彫りにし、そしてそれが我々を感動させてくれる…これこそまさに翔田作品の味であり魅力、と言ってしまっても、決して言いすぎではありますまい。


 そして…目安箱改め方というのお役目(隠密ではありますが)活動も、今回の事件も、冷静に考えるとこじんまりとしたものではあるのですが、その背後に、尾州徳川家の陰謀を絡めることにより、スケール感と時代ものとしての必然性を与えているのも巧みなところ。

 物語を貫く背骨として、誠十郎自身を襲った悲劇の真相の究明という要素もきちんと(?)用意されていて、シリーズものとしての目配りもぬかりなし。続巻は来春とのことですが、次の巻も――もちろん翔田作品として――大いに期待できそうです。


「やわら侍・竜巻誠十郎 五月雨の凶刃」(翔田寛 小学館文庫) Amazon
五月雨の凶刃 (小学館文庫 し 6-1 やわら侍・竜巻誠十郎)


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2008.11.13

「柳生大作戦」第三回 まずはじめに柳生ありき?

 今年度の舟橋聖一文学賞を受賞してしまった「柳生大戦争」に続く荒山先生の柳生もの「柳生大作戦」第三回が掲載された「KENZAN!」誌最新号が発売されました。
 前二回を読んだ時は比較的(荒山作品的に)おとなしめだと思っていた本作ですが、この第三回においてついに本性を現したな、という印象。もう、一体どうしたらいいのか…と読者が途方に暮れるテンションで、荒山節絶好調であります。(色々とネタバレしておりますのでご注意を)

 第三回前半は、前回に引き続き668年サイド。拉致された新羅王女と共に、神器の安置された塔に閉じこめられた謎の剣士“劉仁軌”の運命は…という前回のヒキから始まりますが、最初のうちこそ「やっぱり元ネタ的に、操られるとホイホイついて行っちゃう尻軽なんだな臘鷺守は」とか「冷静に考えたら七色光線を出すのは亀の方じゃなくて冷凍怪獣だろJK」とか呑気に構えていられたのですが…

 前回登場した八岐大蛇の卵が「八岐大蛇は新羅のご当地怪獣だったんだよ!」という狂った理由で孵化してからの展開を何と評すべきか。
 荒山ファン的には、八岐大蛇といえば、どこかで聞いたような歌と共に現れるワンゴン様というのが常識でしたが(最近文庫化された「柳生陰陽剣」(旧題「柳生雨月抄」)ね)、あに図らんや、金星の文明を三日で滅ぼしそうなやつだったとは…
 これには臘鷺守も大ハッスル、三つのしもべというよりは、ソーニックブーム(平田昭彦調)と共に飛び回る空の大怪獣チックに空中大激突であります。

 …誰が得するんでしょうこの展開。僕は大好きですが。
 こうなったら荒山先生には時代怪獣作家として、ぜひ藤原審爾先生の跡を継いでいただきたい(怒られそうだな、色々と)。


 さて、そんなこんなで668年サイドは終了。天正サイドに移りますが、こちらも怪獣こそ登場しないものの、忍法創世記ならぬ柳生創世記、「まずはじめに柳生ありき」とでも言わんばかりの荒山捏造史観で先生大ハッスル。
 あまり詳細に書くわけにはいかないので箇条書きにすると
・柳生流には一千年の歴史があったんだよ!
・上泉伊勢守は実は柳生石舟斎の○○だったんだよ!
・引用ばっかりしてますがそれが何か?
・山岡荘八vs山田風太郎をプロモート
・あまつびん じゃなくて てんしんびん(先生そんなに赤影が好きですか。僕は好きです)


 …読んでいる方もわからないと思いますが、書いている方もよくわかりません。
 ただ一言、感想を書くとすれば「柳生がそんなに好きかーっ!」というところでしょうか。柳生のためなら捏造も辞さないその創作態度、何が荒山先生をそうまで動かしているのか…いや何となくわかるようなわかりたくないような。

 今になってみると第一回の感想で「正直なところ、前作に比べると今のところネタ分は皆無に等しいですが」などと書いていたあの頃は如何に平和だったかと思いつつも、この先、果たして一体どのようなとんでもない波乱が待ち受けているのか、楽しみでなりません。

 ただ一つ言えるのは、舟橋聖一文学賞を取ろうと何を取ろうと、この先も荒山先生は荒山先生であり続けるのだろうな、ということ。
 真面目な作品ももちろん好きですが、やっぱりこういうのもなくちゃ! と思ってしまうのはタチの悪いファンゆえかもしれませんが、正直な気持ちでもあります。


「柳生大作戦」第三回(荒山徹 講談社「KENZAN!」vol.7掲載) Amazon
KENZAN! vol.7


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2008.11.12

「主水之助七番勝負 徳川風雲録外伝」 四番勝負「死神剣 壱岐」

 前回はビデオを撮り損ねて見そびれてしまった「主水之助七番勝負」、今週はちゃんと失敗せずに見ることができました。
 そんな個人的事情はさておき、今回登場する剣鬼は平田壱岐。…そんな剣鬼いたかな? と思いきや、知らないはずですこの名はもじり。ベースとなった「剣鬼」シリーズ中の作品は「平手造酒」でありました。

 平手造酒は、年配の方であればよくご存じかと思いますが、元は「天保水滸伝」の登場人物。元々は千葉周作門下の北辰一刀流の高弟でしたが、酒が元で身を持ち崩し、流れ流れて下総で笹川の繁蔵の客分となり、繁蔵一家と飯岡助五郎一家との、いわゆる大利根河原の決闘で命を落としたと言われる、実在したものの、半ばフィクションの住人とでも言うべき人物であります。
 柴錬先生は「剣鬼」シリーズの中で、この平手造酒を、生来奇矯な振る舞いが多く千葉道場を破門された肺病病みの妖剣の遣い手、代々首斬り役の家系に生まれたことにコンプレックスを持つ複雑な精神の持ち主という、いかにも柴錬チックな人物として再生させています(ちなみに平手造酒は、同じ作者の長編「遊太郎巷談」では、作者のライバルとして登場します。柴錬先生のお気に入りだったのでしょうか)。

 今回、その平手造酒が平田壱岐となったのは、さすがに時代劇界の有名人、それも天保時代の人物を、享保時代を舞台とした作品に出すのはちょっと…ということなのでしょう(まあ、それを言ったら善鬼の立場はないですが)。
 ちなみに今回の平田壱岐は、心形刀流伊庭道場出身という設定。平手造酒の北辰一刀流千葉道場とはちょっと響きが似ているかもしれません。

 さて今回は、その平田壱岐が、愛人の元深川芸者・蔦吉と放浪の旅を続けるうち(この辺りは原作通りの設定)、辿り着いた下諏訪でやくざ同士の争いに巻き込まれるというストーリー。繁三ならぬ茂三親分が何者かに殺され、仇討ちに逸る子分衆に雇われ、助五郎親分の首を取ることになるのですが、実は…という展開で、何だかこの番組、毎回剣鬼は騙されて利用されているような気がします。

 主人公たる主水之助は、茂蔵を殺したのが実は宿敵・善鬼であったことから事件に巻き込まれるのですが、その最中で、壱岐は主水之助を好敵手と認め、死に花を咲かせるために、主水之助に最期の決闘を挑むことになります。
 「剣鬼」の中では造酒、蔦吉(いま見るとこのキャラクター、まるっきり共依存状態なのが興味深い)を捨て、大利根河原の決闘で凄絶に討ち死にするのですが、ドラマの方では二つの組が全面対決に至ることはなかったため、華々しい死に時をなくしてしまった人物として、何とももの悲しく、決闘の果てに主水之助に対して叫ぶ「何故もっと早く…俺の前に現れなんだ!」という科白が、切なく響きます。

 ちなみに「剣鬼」の中の造酒は、自分の呪われた生とは対照的な青い空を好む人物として描かれており、その点はこのドラマの方でもきちんと踏襲されていたのは好感が持てます。
 ストーリーは全く異なってはいましたが、この辺りのこともあり、私個人としては結構納得できるドラマ化ではありました。


 しかし――ラストのスタッフロールのバックが、悪行がばれて醜態を晒しながら切腹する代官と、荒れ果ててしまった宿場町の風景が交互に流れるというのが何とも凄まじく、壱岐の最期と合わせて印象に残った次第です。


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 「主水之助七番勝負 徳川風雲録外伝」 二番勝負「人斬り斑平」
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2008.11.11

「本能寺六夜物語」 闇に浮かぶ六つの真実

 本能寺の変より三十数年後、とある山寺に六人の男女が集められた。僧侶、乞食、商人、武士――境遇も職業も全く異なる六人に共通するのは、それぞれがそれぞれの形で本能寺の変に関わったこと。一夜に一人ずつ、己の体験談を語る彼らの物語の末に浮かび上がる真実は…

 私がいま、自信をもっておすすめできる時代小説作家の一人が、岡田秀文先生であります。寡作の気味ではありますが、その歴史解釈とドラマチックな物語展開、そして何よりも、サスペンスとミステリ色の濃厚な作品群は、私の最も好むところであります。
 本作「本能寺六夜物語」は、岡田先生がが小説推理新人賞を受賞した後の第一作、初単行本でありますが、岡田節とでもいうべき味わいは、本作の段階で、既にはっきりと感じられるかと思います。

 作品の構成は、連作短編形式――それぞれの形で本能寺の変に関わった六人の男女が、己の体験談を語る全六話の短編で構成されています。

 信長の茶坊主が見た信長の最後の姿と、ある人物が秘めたおぞましい執念の果てが語られる「最後の姿」。
 変の直後、京から徳川家康と共に逃れた穴山信君の死の陰の策略を、かつての家臣が語る「ふたつの道」。
 商家の奉公人の目に映った、死を覚悟の上で己の意気地を貫き二条城に奔った武士の姿「酒屋」。
 かつての京都所司代の役人が語る、混乱が収まったはずの京に跳梁する黒衣の怪人の怪を描いた「黒衣の鬼」。
 常に信長の傍らにあった森蘭丸に深く懸想した女の、凄まじい恋情と嫉妬の物語「近くで見ていた女」。
 そしてかつての光秀の小姓の口から明かされる、本能寺の変の真実「本能寺の夜」。

 いずれも短編ながらも、その中で描かれる意外な裏面史とでもいうべき内容と、そこに浮かび上がる有名無名の人々の人間模様は実に興趣に富んだ、エキサイティングなもの。
 伝奇的な謎解きの妙味もさることながら、「本能寺の変」という一大事件とその前後の歴史のうねりにより、己の運命を変えられた人々、その時に心に焼き付いたものを胸に生きる人々の姿から感じ取れる、歴史の――そしてそれを形作り動かす人間の世界の――非情には、後の岡田作品に通じるもの見て取れます。

 尤も、完成度の点でいえば、最初期の作品ということもあって、特に構成の点でいささか食い足りない部分――もう少し、各話に有機的な結びつきが欲しかった――はあるのですが、それを差し引いても、完成度の高い作品であることは間違いありません。
 本能寺の変について語った作品は古今無数にありますが、その中でも異色の一冊として、記憶に残るべきものかと思います。


「本能寺六夜物語」(岡田秀文 双葉文庫) Amazon

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2008.11.10

「江戸宵闇妖鉤爪」(その二) 人間豹、江戸に消ゆ

 江戸川乱歩「人間豹」を原作とした歌舞伎「江戸宵闇妖鉤爪」の感想、続きであります(以下、本作や他の作品の核心に触れる部分がございますのでご注意)。

 さて、本作を乱歩ファンが見た時に驚くべきは、原作にない、本作ならではの独自展開を、他の乱歩作品を引いて作り上げている点でしょう。
 原作では「永遠に解きがたき謎」とすら記されて、ついぞ明かされることのなかった人間豹・恩田の正体。それが、この「江戸宵闇妖鉤爪」の中で語られるのです。

 人間豹の正体――それは、百御前によって幼い頃に体を作り替えられ、ケモノの姿を与えられた男でありました。
 それだけではなく、百御前は自分が集めてきた赤子たちも同様に改造し、奇形の世界を作り出していたのでありました。
 …と言えば、乱歩ファンであれば驚く方、あるいは頷かれる方も多いでしょう。この件は、乱歩の「孤島の鬼」をベースとしているのですから。

 さらに驚かされるのは、こうして生み出された子供たちが、浅草奥山の見世物小屋で働かされているという設定。
 かつての日本に限らず、世界各地で見られた見世物小屋の実状についてここでは触れませんが、そこで時には人道的ではない行為があったことはしばしば語られる話。
 そのため現代では一種タブーとされている世界を、ここで変化球とはいえ題材として描いたきたのには、ちょっとどころではなく驚かされました。

 しかしながら――ここで再確認させられたのは、歌舞伎というメディアが持つ特殊な作用であります。
 生々しい人間の欲望も残忍無惨な殺人も、いい意味で現実味が薄れ、まるで絵草紙の中の物語のように見えてくるという歌舞伎独特の作用――そして、乱歩作品にもこうした性格は少なからずあるのですが――が、ここでは働いており、思ったよりもどぎつくは感じられなかったのが、興味深いところでありました。


 閑話休題、この人間豹・恩田の出自の設定は、ある意味当然のことながら、その後の物語の内容にまで影響を与えることとなります。
 恩田は明智との対決の中で語ります。
 親に捨てられ無惨な怪物に変えられた子が親を憎んでどこが悪い、人を呪ってどこが悪い。人の面をして獣の心をもった悪人どもがゴマンといるこの世に俺を裁く掟はない…と。

 もっとも、この辺りは、正直なところ、原作読者の間では、大きく賛否が分かれるのではと――そしておそらく後者の方が多いのではと――強く感じます。
 私個人としても、謎めいた怪物・人間豹が説教めいた言葉を口にするのには、些か違和感を感じないでもありません。

 しかし同時に――本来暴力と怪奇の化身たる人間豹が、己の凶行の理由として斯様な言葉を口にしたこと自体、彼が、彼の否定する人間性に敗北したとも取れるのではないか…そう感じたのも事実です。

 実は、私の座ったのは二階席で、宙乗りの経路のほとんど真横でした。自然、宙乗りで消えていく染五郎の、人間豹の姿は、頭から爪先まではっきりと見えたのですが…
 私の目に映った彼の表情は、台本には「哄笑とともに」とあったにも関わらず、むしろ悲しげに歪んでいたように見えたというのは、いささかセンチメンタルに過ぎるでしょうか。


 斯様に、単に話題性のみに寄りかからず、作品に新しい要素を加えて物語性を広げてみせた本作。
 その試みは、必ずしも評価されるものばかりではない(上で述べたほかにも、人間豹の存在を幕末の混乱に結びつけるのは、少々苦しかったと感じます)かもしれませんが、歌舞伎ファンとして、乱歩ファンとしては、大いに興味深く、かつ楽しく拝見させていただきました。
 まだまだ乱歩作品には、歌舞伎の題材となりそうな素材が山のように眠っているのではと感じているところ、江戸の明智小五郎の再登場を、期待する次第です。


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 「江戸宵闇妖鉤爪」(その一) 明智小五郎、江戸に現る

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2008.11.09

「江戸宵闇妖鉤爪」(その一) 明智小五郎、江戸に現る

 世情雑然たる幕末の江戸を騒がす猟奇殺人。人間業とは思えぬその残虐な手口から「人間豹」と呼ばれるその怪人に、御家人・神谷芳之助は二人の恋人を殺害されてしまう。この憎むべき怪人との対決を決意した隠密廻り同心・明智小五郎だが、人間豹の次の標的は、明智の妻・お文だった…

 第一報を耳にしたときから心待ちにしておりました、松本幸四郎と市川染五郎の歌舞伎「江戸宵闇妖鉤爪」を見て参りました。
 江戸川乱歩先生の「人間豹」を、幕末を舞台に翻案し、江戸の街を舞台に明智小五郎と人間豹が対決するという、誰もが驚いたであろうこの企画。蓋を開けてみれば、原作+αで乱歩世界を巧みに歌舞伎の世界で展開してみせた、実に興味深い作品でありました。(以下、ネタバレにご注意ください)

 原作の舞台は昭和初期の東京でしたが、本作の舞台は幕末の江戸。当然、作中で描かれる風俗もそれに合わせて移し換えられていますが、それがさしたる違和感もなく、歌舞伎的世界への移植がなされているのが面白いところです。
 また、単純な移し換えのみならず、神谷と人間豹を一人二役で演じる染五郎の早変わり、染五郎の鼓や新内節に合わせた舞、そしてラストの宙乗りまで、この舞台ならではの場面を巧みに織り込んでいるのが目を引きました。

 と、染五郎絡みの場面ばかり挙げてしまいましたが、ひ弱い神谷と魔人・人間豹を演じ分けた様は、やはりさすがと言うべきもの。一方、明智小五郎を演じた幸四郎は、原作のイメージからすると、ちと重厚かな、という印象もあるのですが、荒れ狂う人間豹を抑え、物語を収める役としては、これくらいで良いのかもしれません。
 しかし一番感心させられたのは、人間豹に狙われる三人の女性を演じ分けた市川春猿で…可憐な町娘、年増の女役者、そして気丈な同心の女房――ことに明智の女房・お文は、如何にも歌舞伎らしいキャラクター化が為されていて、嬉しくなってしまいました。


 さて、歌舞伎に限らず、今回のような原作にある種のアレンジを加えた作品においては、原作以外の、同じ作者のネタを織り交ぜてくることがよくあるもの。
 本作でもそれに期待していたのですが、その期待は裏切られることなく、いや想像以上のものがありました。

 人間豹・恩田の母である怪人・百御前が初めて明智らの前に姿を現す際に、経文めいた口調で呟くのが、乱歩とくればある意味定番である「うつし世はゆめ、よるの夢こそまこと」という言葉であるのは、少々ベタかもしれませんが、やはり楽しい遊び。
 それだけではなく、明智と人間豹の立ち回りの中で「鏡地獄に陥ってウヌが姿をとくと見やがれ」という科白があったり、明智の家が団子坂にあったりと、ファンであればニヤリとさせられる要素が随所に含まれておりました。

 が――乱歩作品の要素は、お遊びの域を超えて、作品の根幹にまで関わる部分にまで用いられていました。
 それは…というところで、少々長くなってしまうので、次回に続きます。

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2008.11.08

「魔京」第三篇「黄金京」 応仁ダニッチの怪

 管領・細川勝元の嫡子・聡明丸が生まれたときから、京の運命は少しずつ狂い始めた。赤子ながら成熟した知性を持つ聡明丸は、周囲の人々を操り、混乱を広げていく。かくて京を血と炎に染めて始まった応仁の乱の背後で跳梁する奇怪な妖魔。京魄を用いて聡明丸が生み出さんとする黄金京とは…

 魔京第三篇は室町篇。近年、室町時代を舞台とした時代伝奇小説の達人たる作者にとってはまさに自家薬籠中の題材、それも日本史上に名高い応仁の乱を如何に描くかと思えば――意外、それは室町版ダニッチの怪とも言うべき伝奇ホラーでありました(以下、ネタバレご注意下さい)。

 舞台となる応仁の乱は、日本史の授業でも必ず(おそらく)取り上げられる一大事件であり、当然のことながら、これを扱った歴史小説・時代小説も枚挙に暇がありません。朝松作品としても、既にぬばたま一休シリーズの「応仁黄泉圖 」の題材とされておりますが、そちらでは乱がどちらかといえば物語の背景として置かれていたのに対し、本作においては、この乱そのものの成り立ちについて、魔術的解釈が為されることとなります。

 朝鮮王の陰謀(京魄は元々朝鮮から奪われたもの、という設定がここで生きます)によって、歪んだ存在として生まれた細川勝元の二人の子。その狂気は果てなく拡大して未曾有の大戦を引き起こし、ついには京の、いや物理的次元の存在をも危うくすることに…
 これまでのエピソードでは、どれほど奇怪な術法の応酬が描かれようと、その目的は現世における京の――京魄の――主導権を巡る争いであった「魔京」ですが、この室町篇においては、想像を絶する地への「遷都」が企てられることとなるのです。

 そして見逃せないのは、魔童子(という言葉も似合わぬほど更に幼い)・聡明丸(後の妖管領・細川政元)と共に現世に誕生したのが、巨大な顔を持つ姿なき妖魔であるという点。
 透明な怪魔の跳梁、異界から生まれた人外の姉弟、現世を崩壊させんとする企て…ホラーファンであればニヤリとさせられるでしょう。ここで描かれているのは、あのH・P・ラヴクラフトの名作「ダニッチの怪」を想起させる怪奇の世界であります。

 東軍が擁する巨大な動く井楼から放たれる無数の火矢が、西軍が作り出した巨大な地下迷宮「御構」に降り注ぐという黙示録的風景の中で繰り広げられる魔戦は、これまで描かれた応仁の乱の中で、最も奇怪かつ魅惑的なものと言っても差し支えないでしょう。
(結末がいささか唐突という感がなきにしもあらずですが、聡明丸の言葉の通りだとすれば、納得はできます)


 そして次なる舞台は安土桃山、中心となるのはあの織田信長――信長と石、と言えば、やはりあのエピソードが思い浮かびますが、さて。


「魔京」第三篇「黄金京」(朝松健 「SFマガジン」2007年7月号、9月号、11月号、2008年1月号掲載)


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2008.11.07

今年の舟橋聖一文学賞は…

 舟橋聖一文学賞に荒山徹氏の「柳生大戦争」
 事前に情報を掴んでいながら公式発表が出るまでと思っていたら微妙に出遅れてしまいました。

 えー、正直なところ、作者と作品をご存じの方にとっては目を疑うような内容でありますが、本当です。時代劇ファン的には「花の生涯」の作者として知られる舟橋聖一先生の名を冠して彦根市が開催している舟橋聖一文学賞、その第二回の受賞作は荒山先生の「柳生大戦争」であります。
(ちなみに舟橋聖一文学賞の概要についてはこちらこちらをご覧下さい)
 ちなみに毎日の記事だと「堺市の作家、荒山徹さん(47)」と書いてあるのが妙におかしく感じてしまいました。

 それにしても、ファン的にはよりにもよって若竹に…という気分にはなってしまうのですが、しかしこの「柳生大戦争」、ここ最近の荒山作品の中では、破天荒なエンターテイメントの中に、ある意味初期作品を思わせる「国家と人」の視点と問題意識を色濃く持った――特に最終章において――作品であり、その点において読み応えある作品であったことは間違いありません。
 ――それ以外の部分でかなり狂っているので、そして狂っている部分が目立ちすぎるのでアレなのですが(でもだからといって「柳生百合剣」が受賞するのよりかは文学賞的に納得できるような気がします)。


 と、些か狼狽え気味になっていて大事なことを忘れておりました。
 ――荒山先生、受賞おめでとうございます。ファンとして、これからの一層のご活躍を祈念させていただきます。


 しかし「花の生涯」の主人公が彦根藩主・井伊直弼だったがために設立された(といって良いでしょう)この文学賞を受賞したのが、荒山先生の時代伝奇小説というのは、「伝奇城」に掲載された「其ノ一日」を思い出してちょっと愉快な気持ちになりました。
 「云う、これ時代伝奇小説なり、と」


「柳生大戦争」(荒山徹 講談社) Amazon
柳生大戦争


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 「柳生大戦争」第三回 大戦争とは何だったのか
 「伝奇城」の荒山徹先生

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2008.11.06

「神秘昆虫館」 宝の鍵は幻の蝶

 田安家の重臣を父に持つ一式小一郎は、ある晩、宿敵の一ツ橋家士・南部集五郎との決闘の最中、「永生の蝶」を求める美しい女性の声を聞く。謎の女性に魅せられて旅に出た小一郎は、秘境に立つ昆虫館に辿り着くが、それがために、彼は莫大な財宝の秘密を秘めた永生の蝶を巡る争いに巻き込まれることに…

 国枝史郎の時代伝奇小説には、ある種共通するパターンやキャラクター、ガジェットというものがあり、これはこれでなかなか楽しいのですが、この「神秘昆虫館」もそれに当てはまるものであります。
 不思議な女性の導きで一種の異世界に迷い込む若者、人里離れた地に設けられた理想郷、怪建築に妖術師、山棲みの異人、貴人とその配下の怪盗…本作を構成するこうした要素は、ファンにとってはお馴染みのものばかり。あまりそういうところばかりに注目するのもいかがなものか、と自分でも思いますが、国枝作品の場合、これが歌舞伎の約束事的味わいにすらなっていて、これを前向きに楽しむのが良いように思います。

 さて、そんな本作で、最も注目すべきは、物語の中心、争奪戦の的である「永生の蝶」であることは間違いありません。
 謎の昆虫館主人が欧羅巴から持ち帰ったという雌雄一対の蝶にして蝶でないもの――呼吸もすれば脈もある、飛びもすれば餌も食べる…それでありながら、その身を構成するのは柔らかな肉ではなく、自律的に動くものの生命は宿っていないという、まさしく神秘の存在、それがこの永生の蝶。
 そしてこの幻の蝶を交尾させて子を産ませた者は、莫大な財宝を得られるという――宝の在処を示す鍵の存在は、伝奇小説において枚挙に暇がありませんが、その奇怪さ、ロマンティックさにおいて、群を抜くものでありましょう。

 まあ、問題は、作品が蝶の争奪戦に終始してしまって、肝心の蝶そのものの秘密は…という点ではありますが、それも国枝作品にはままあること。
 そんな大きな欠点は持ちながらも、道具立てのユニークさや、主人公の脳天気な個性、そして何よりもテンポ良く展開していく物語にひっぱられて、最後まで楽しく読むことができるのは、さすがだと思います。

 相変わらずすっぽ抜けた結末に苦笑しつつも、しかし何だか許せてしまうのは、やっぱりこの国枝節あってのことなのだろうな、と感じるところです。


「神秘昆虫館」(国枝史郎 未知谷 国枝史郎伝奇全集第3巻所収) Amazon

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2008.11.05

「戦國ストレイズ」第2巻 等身大の戦国時代

 戦国時代の尾張にタイムスリップした現代の女子高生と若き日の戦国武将たちの青春絵巻、このブログにいらっしゃる方の検索ワードで、何故かかなり上位を占めている(本当)「戦国ストレイズ」の続巻であります。

 この第二巻で描かれるのは、主人公・草薙かさねが、若き日の丹羽長秀・前田利家・佐々成政と交流を深めつつ、この世界の在りようを少しずつ理解していく様。
 派手な合戦は描かれないものの、一揆寸前の暴発や、謎の女忍たちの襲撃、信長主催の武芸大会等々、様々な事件に、かさねは巻き込まれることとなります。

 正直なところ、第一巻の時点では方向性が見えにくい――というよりこちらの方でどのように作品と付き合ったものか戸惑う――部分もあったのですが、この第二巻に至って、かなりわかってきたような気がする本作。

 丹羽長秀の得物がファンタジーものに出てきそうな幅広刀だったり、佐々成政は「トライガン」に出てきそうな変態二丁拳銃遣いだったりと、如何にも今日日の戦国もの漫画、時代漫画的なキャラクター化、デコレーションは為されているのですが、これはもう、こういうものだと思えば、気になりません。

 それよりも大事なのは、そんな漫画チックな世界の中であっても、かさねが、彼女なりに戦国時代というものを認識し、その中で自分がいかに生きていくべきかを理解し、少しずつ成長していく様が、きちんと描かれていることであります。

 尾張の賑わいを見て、現代の街と同じくらいと感じたり、その一方で、繁栄の陰に取り残された人々の姿にショックを受けたり――斎藤道三も知らない(体育は大得意だけど日本史は苦手というかさねの設定が愉快)現代の少女なりに、ひたすら純粋に過去にあった世界を見つめ、受け止めるかさねの姿に、大いに好感が持てるのです。

 そう考えてみると、確かに異なるところは山ほどあるけれども、そこで懸命に生きる人々の姿は――特に若者の姿は――現代とさして変わらない共通項。
 かさねだけでなく、長秀も、利家も、成政も…そして信行や、もちろん信長も、懸命に等身大の戦国時代を、青春時代を生き抜く様が、本作の魅力ではないかと思うのです。


 しかし個人的に一つだけ気になるのは、主人公の設定的にあまり長い時間戦国時代で活動させにくいんじゃないかな、という点。
(いや、信長の人生をリアルタイムに経験していったら、もう結構お年を召してしまうわけで…)
 まあ、この辺りはなにがしかの仕掛けがあるのだろうと想像しつつ、それも含めて続きを楽しみたいと思います。


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 「戦国ストレイズ」第1巻 少女戦国を駆ける

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2008.11.04

「柳生烈堂 十兵衛を超えた非情剣」 悪役剣士の再生

 父の遺命で僧侶にされることを嫌い、無頼の日々を送っていた柳生宗矩の四男・烈堂は、剣の師である荒木又右衛門の勧めで、兄・十兵衛の晩年の三人の高弟を訪ねる旅に出る。だがそれは、柳生家の暗部に触れる旅に他ならなかった。十兵衛の死の真相を求める烈堂を襲う敵の正体は…

 来年の大河ドラマ効果ということか、火坂雅志先生の旧作「柳生烈堂 十兵衛を超えた非情剣」が書店に並んでいました。柳生十兵衛・友矩・宗冬の下の、柳生宗矩の四男であり、後に京都大徳寺の住持ととなったと言われる列堂義仙の若き日の活躍を描いた剣豪小説です。

 内容的には、この時期の火坂作品らしく、いかにもそつなくまとまった、ウェルメイドな作品。チャンバラあり、サスペンスあり、謎解きあり、濡れ場あり…まずは一時の楽しみとして読む分には、実に楽しい作品となっています(柳生ファン的には、柳生新陰流幻の奥義として、あの秘伝が登場するのが興味深いところ)。
 尤も、後世に残る名作か、と言われれば首を傾げてしまうのですが、大衆時代小説に対してそれを云々するのは野暮というものでしょう。

 そんな本作で最も注目すべきは、やはり主人公にあの柳生烈堂を持ってきた点でありましょう。
 柳生烈堂の名前そのものを天下に知らしめた「子連れ狼」、また小説で言えば「吉原御免状」シリーズでの印象から、自然と悪役としてのイメージが強い烈堂。
 その烈堂を、予め定められた己の境遇に激しい焦燥と不満を抱く青春の最中にいる若者(この人物像が、当時の火坂先生に重なるように思えます、などと言ったらやっぱり怒られるかしらん)として、そして剣の道を往くことで己を高め、成長していく剣士として描くことで、本作は、「悪役」烈堂を、新たなヒーローとして再生せしめたと――いささか大げさかもしれませんが――言えるかと思います。

 火坂先生の「柳生烈堂」シリーズは、本作を含めて全五作。残る四作についても、いずれ紹介したいと思います。


「柳生烈堂 十兵衛を超えた非情剣」(火坂雅志 祥伝社文庫) Amazon

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2008.11.03

「キジムタン」 少女剣士の魂の遍歴の行方は

 卑弥呼の血と鬼道を継ぐ姫巫女の力により、人に害なす瘴鬼より人々を守り続けてきた神教国・邪馬徒の国。その姫巫女の血を引く由那は、国を姉に任せ、従者・武蔵と共に旅に出る。己のあるべき場所を求め、荒ぶる由那の魂の行方は…

 現在、綾瀬はるか主演映画「ICHI」のコミカライズを担当している篠原花那が、数年前に少女漫画誌に掲載した時代ファンタジーコミックを、「ICHI」単行本第一巻発売を機に読み返してみました。

 人の暗い情念に取り憑いて害をなす瘴鬼を討つ力を持つ少女剣士を描いた作品というと、よくある作品のように思えますが、本作の最大の特徴は、その主人公のキャラクター造形が、実に暗いというかゆがんでいる点。
 一国を治める姫巫女として皆に慕われる姉に強烈なコンプレックスを持ち、自らが瘴鬼を引き寄せるほどの負の感情を背負った少女――それが主人公・由那であります。
 その戦いぶりも、あえて相手の負の感情を高めて瘴鬼を引きずり出すなど、彼女の師である柳生十兵衛(そういう時代設定であります)の言葉を借りれば「邪悪なやり方」で。

 と、こう書くといかにもとんでもないキャラクターに思えますが、しかし、置かれた状況と彼女の能力の特殊さを差し引けば(あるいは加えて考えれば)、自分の居場所に悩む思春期のティーンズの想いの噴出として、これもありかな…と思わないでもありません。

 ただし、それが物語中で万全に描けているかと言えば、物語全体が単行本一冊分、全五話でエピソード的には約三編ということもあって、正直なところを言えば食い足りない印象があります。少々厳しい言い方ではありますが、問題提起のみで終わって答えの提示がない、とでも言いましょうか…

 「ICHI」のクオリティを見るにつけ、ほぼ未完と言ってよい本作を、少女剣士の魂の遍歴の行方を、今の作者の筆で読んでみたい…そう感じています。


「キジムタン」(篠原花那 スクウェア・エニックスステンシルコミックス) Amazon


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 「ICHI」第1巻 激動の時代に在るべき場所は

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2008.11.02

「半七捕物帳」鬼談(その二)

 怪奇・怪談の「半七捕物帳」前回からの続き、以下の後半五編の紹介であります。
「人形使い」
「一つ目小僧」
「むらさき鯉」
「柳原堤の女」
「春の雪解」

「人形使い」
 後半一作目は あやつり人形芝居一座の人形使い二人の間に起きた血なまぐさい事件に半七が乗り出す本作を。
 本作の物語、事件の内容自体は、さまで特別なものではないのですが、その事件の発端となったのは、夜更けに人形たちが独りでに動き出し、互いに切り結んだという怪事なのですから面白い。
 このあり得べからざる怪異とも夢幻とも評すべき景色を、綺堂先生は一流の筆でもって描き出しており、この場面だけでも、本作を人形怪談の佳品と呼ぶのにふさわしいと感じる次第です。


「一つ目小僧」
 前回紹介いたしました「猫騒動」同様、本作も江戸怪談をベースとした作品。しかし本作は、タイトル通り一つ目小僧にまつわる有名な怪談を題材としつつ、それに極めて現実的な解を提示してみせた作品であります。
 正直なところ、捕物帳としての面白みとしては今ひとつではあるのですが、冒頭の、雨のそぼ降る中、古屋敷に現れる一つ目小僧の姿はさすがにムードがあり、その辺りも含めて、ここで取り上げる次第です。


「むらさき鯉」
 魚が人間に変じて命乞いをする、殺生を戒めるという物語は、いわゆる「イワナの怪」のようにしばしば聞く話ではありますが、本作で登場するのは、殺生禁断の御留川で捕らえられた紫鯉。
 ご禁制の紫鯉を捕らえて身すぎとしていた男の妻の前に現れ、その鯉と共に去った怪しげな女――紫鯉の化身としか思えぬその女が招いたかのように次々とおこる奇怪な事件もムードたっぷりで、魚妖にまつわる作品も幾つもものしている綺堂先生ならでは、の作品と言えるかもしれません。


「柳原堤の女」
 江戸には様々な「魔所」というべき場所が存在したことが伝えられていますが、本作はその一つを舞台として描かれる奇譚。
 魔所として恐れられる柳原堤に出没するという怪しの女――町の物好きが正体暴きに乗り出したことから、思わぬ事件に発展する本作は、物語そのものもさることながら、当時の人々の対あやかし観とも言えるものが下敷きとなっているのが実に興味深い。綺堂作品の背後にあるのは、こうした、生の江戸の人々の精神であり――こればかりは現代の人間には書けぬ味わいだな、と感心いたします。


「春の雪解」
 さて、私が「半七捕物帳」全編の中でも最も好きな作品を挙げて結びとしたいと思います。
 入谷のさる寮の前で、按摩を招こうとする女と、そこから逃げようとする按摩という場に行き合わせた半七が、按摩から聞き出した話に興味を持って探索を始めるのですが…
 本作、職業探偵である半七が、果たして事件かどうかもわからぬものを探索するというスタイルも一風変わっていて面白いのですが、半七が興味を持つきっかけとなった按摩の語る内容が、実にいい。
 内容的にはさまで珍しいものではなく、むしろありふれたものではあるのですが、それを補って余りあるのが綺堂先生の筆。按摩が感じた「もの」を想像するに、こちらの背筋までぞうっとしたものが残る…綺堂怪談の妙味ここにありというべきでありましょう。


 以上十編、駆け足で紹介して参りましたが、いかがだったでしょうか。
 短編ミステリの内容を紹介するのはなかなかに難しいもの、それも時として内容そのものではなく、内容を構成する一部分を前面に取り上げてというのは、想像以上に難しいものでありましたが、この拙い文章から、「半七捕物帳」の、意外に語られていない魅力の存在を知っていただければ、これに勝る悦びはありません。

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2008.11.01

「半七捕物帳」鬼談(その一)

 岡本綺堂先生といえば、今ではやはり「半七捕物帳」の作者、ということになるのだと思いますが、このブログ的には、やはり忘れてはいけないのは、怪談・怪奇小説における巨大な業績でしょう。
 その綺堂先生の「半七捕物帳」が、本邦初の捕物帖として登場しながらも、同時に怪奇色・怪談色が濃厚なのは、ある意味当然のことかもしれません。
 というわけで、二回に分けて「半七捕物帳」の中から、特に怪奇色が濃厚なもの、江戸怪談に題材を求めたものを十編取り上げて紹介したいと思います。

 さて前半の五編は次の通り。
「お文の魂」
「津の国屋」
「猫騒動」
「あま酒売」
「白蝶怪」

以下に、各編を簡単に紹介いたします。


「お文の魂」
 「江戸時代に於ける隠れたシャアロック・ホームズ」たる半七の初お目見えが本作でありますが、そのシリーズ第一作から、怪談を題材としたものであるのは、実に興味深いことです。
 夢枕に夜毎現れては幼女の心を脅かす幽霊の謎を描いた本作は、古今の怪談に通じた作者らしい見事な筆致で、不気味な幽霊譚を描きつつも、結末で快刀乱麻の如く謎を解き明かし、見事に推理小説として成立させた佳品。事件の背後にある人間心理の描写などにはモダンな味わいがあり、綺堂先生らしい一編であります。
 ちなみに本作には題材となった怪談があり、「お住の霊」の題名で「KAWADE夢ムック」の岡本綺堂特集号に収録されておりますので、比較してみるのもまた一興でしょう。


「津の国屋」
 続いてはシリーズの中でも名作の一つ、死霊に祟られたかのように怪事が相次ぐ酒屋にまつわる事件を描いた「津の国屋」。もらい子にまつわる陰惨な過去を持つ津の国屋を舞台に、そのもらい子の死霊が跳梁、店に次々と凶事を引き起こすという陰々滅々とした物語が、一転、終盤でがらりとその裏側の絡繰りを見せるのには驚かされます。
 怪談として見ても、次々と津の国屋で起こる怪事の不気味さもさることながら、何と言っても物語冒頭の、常磐津の師匠が出会う奇怪な少女の描写に、綺堂怪談の骨法とも言えるものが感じられるのが興味深いところです。


「猫騒動」
 お次は、実際の(?)江戸怪談に題材を求めた作品。異常なまでの猫好きの老婆が、怪死を遂げた事件と、その背後の悲劇を描いた本作は、実はかの「耳袋」にほとんど同様のエピソードがあり、これをほぼそのまま下敷きにしております。
 とはいえ、そこはさすがに綺堂先生。巧みにこの奇談を換骨奪胎して、探偵役たる半七を活躍させたミステリにとして仕上げていると同時に、何とももの悲しくやるせない物語として成立させているのが目を引くところです。


「あま酒売」
 さて四作目は、正真正銘のホラーとしても通じるお話。行き会った人間は病を得るという、奇怪なあま酒売りの老婆によって、江戸の町が恐怖に包まれる様が描かれるのですから…
 その恐怖に相対するのはもちろん半七ですが、そうこうするうちに事件は意外な方向に展開。そして語られる老婆の正体は、これはもう怪奇というより伝奇というべきもので、まさか「半七捕物帳」でこのような作品に出会うとは…と大いに驚かされました。
 そしてさらに驚くべきは、本作で描かれた老婆の一件が、本作の設定よりもだいぶ以前ではありますが、「武江年表」に記載されていること。事実は小説よりも奇なり、ということでしょうか。


「白蝶怪」
 前半のラストは、シリーズ中の異色作を。季節外れの冬の夜にひらひらと舞う白い蝶が招くかのように起きた怪事を描く本作は、半七捕物帳とは言い条、半七は登場せず、その一つ前の世代の物語であります。
 分量的にも中編といってよいボリュームの本作、物語のタッチや道具立てもミステリというよりもむしろ怪奇小説調で、綺堂先生の抑えた筆致が、より作中の緊迫した空気を強める効果を挙げており、不思議な味わいの作品となっています。
 半七捕物帳を離れても、一種の怪奇探偵小説として、魅力的な作品であります。


以下、続きます。

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