「啄木鳥探偵處」 探偵啄木、浅草を往く
苦しい生活費の足しとするために、探偵稼業を始めることとした石川啄木。親友・金田一京助を強引に助手として、啄木は浅草を舞台とする五つの怪事件に挑む。
以前にも書いたかもしれませんが、いわゆる有名人探偵もの(こちらに素晴らしいリストがあります)、というのは私の大好物の一つ。あの人物が、あの時あんなことを! という、一種伝奇ものに通じる(いや、史実をベースにその背後にあったかもしれない物語を描くのは、まさに伝奇ものだと思いますが)ものがあり、それに推理小説としての面白さが加わるというのは、二重の楽しみがあります。
本書もそんな有名人探偵ものの一つ。なんとあの歌人・石川啄木と、その親友である金田一京助を探偵役とした、ユニークな短編集であります。
啄木と京助が親友であったのは紛れもない事実、奔放で金銭感覚のない啄木に京助が振り回されていたのも事実ですが、そこでこの二人を探偵役に据えるとは、いやはやそれだけで驚かされます。
しかし、本書の真の魅力は、そんな二人が挑む事件の数々の、ミステリ的面白さ。収録されているのは、以下の五篇――
夜毎、浅草十二階(関東大震災で崩壊した凌雲閣)の壁面に現れる真っ赤な女の幽霊の謎の背後に哀しい想いを見る「高塔奇譚」。
人気役者が、夜歩くと噂のある美貌の活人形に喉笛を噛み千切られて発見されるという猟奇事件の真相を追う「忍冬」。
空中飛行術で評判となった奇術師が、練習中の事故と見られる姿で死亡した背後に、近代日本の暗部が浮かび上がる「鳥人」。
ある町内で発生した連続幼児誘拐事件の謎に、啄木に代わり京助が挑むこととなる「逢魔が刻」。
そして啄木と京助の最初の事件、私娼窟で思わぬ殺人事件の被疑者とされた京助の窮地を、ある少年が救う「魔窟の女」。
いずれの作品も、奇怪な事件、不可解な謎に探偵が挑むという、探偵小説ならではの興趣に満ちています。
使用されているトリックこそ、現代では通用しない、一種プリミティブなものではありますが、舞台となっている明治末期であれば十分成立し得るものであり、そして何よりも、何故そのトリックが用いられなければならなかったか、という理由付けがしっかりなされているのが、実に素晴らしいのです。
例えば「高塔奇譚」は、高楼に出没する幽霊のトリック自体にはすぐに気付くのですが、では何故高楼でなくてはならなかったのか、そしてそもそも何故このトリックでなくてはならなかったのか…結末でその点が明かされた時には、思わず「そういうことか!」と膝を打ちたくなったことです(第三回創元推理短編賞受賞もむべなるかな)。
また、「鳥人」の事件の犯人の行動の遠因となっているものは、明治という一見華やかな時代の陰に黒々と蟠るもの、まさに啄木の「時代閉塞の現状」に語られた強権が生み出した悲劇であり、時代ミステリとしての視点が強く感じられます。
ただし、一点残念なのは――これはおそらく同意される方も多いと思うのですが――本書の主人公が啄木と京助である強い必然性が、あまり感じられない点であります。
史実の絡め方や、キャラ立てのうまさもあり、二人の探偵稼業に違和感はあまり感じられない一方で、何故この二人でなくてはならないか、という点が、些か弱いのです。
しかし――本書に収録された五話に共通する舞台が浅草であることに目を向けると、何やら感得できるものもあるように思えます。
本書でも何度か触れられる、浅草に軒を並べる娯楽の流行の推移。活気に溢れているようでいて、その背後では忘れ去られ、捨て去られていく無数のものたちは、大袈裟に言えば、近世から近代へと、そこに暮らす個人の事情などお構いなしに移り変わっていく明治という時代の一つの象徴であり――本書で描かれる事件やその周辺事情の多くは、その最も突出した姿とも言えるように思えます。
そこに「浅草の夜のにぎはひにまぎれ入りまぎれ出で来しさびしき心」と詠んだ啄木を探偵――一見当たり前のように存在する現実を見据え、その背後に潜む真実をえぐり出す者――として設定することは、無意味ではないと、これは牽強付会に過ぎるかもしれませんが、そう感じられるのです。
ちなみに、作者は本書の続編に当たる長編も構想しているとのこと。
時代ミステリとしての内容への期待もさることながら、啄木が主人公である必然性にも、より切り込まれるのではないかとの期待も込めて、続編の登場を強く望む次第です。
「啄木鳥探偵處」(伊井圭 創元推理文庫) Amazon
| 固定リンク
コメント