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2009.01.17

「禁書売り 緒方洪庵 浪華の事件帳」 浮かび上がる大坂の現実

 大坂の蘭学塾で勉学に励む青年・緒方章は、禁制の蘭学書を手に入れるため、禁書売りの男と接触するが、男は殺され、本は行方不明になってしまう。事件を追う章は、謎めいた男装の女剣士・左近と出会うが…若き日の緒方洪庵と、大坂を陰から守る「在天別流」の左近が、町を騒がす様々な事件に挑む。

 先日からNHKの土曜時代劇として、「浪花の華 緒方洪庵事件帳」のタイトルでドラマ化された、その原作小説が本作であります。大坂に出てきて間もない若き日の緒方洪庵と、謎めいたクールな男装の麗人・左近の活躍を描いた、連作短編集です。

 さて、本作の最大の特徴が、左近が所属する「在天楽所」「在天別流」の存在であることは間違いないでしょう。
 「在天楽所」とは、四天王寺に属し、宮中や寺社に舞楽を奉納する一団のこと。(物語の時点から)遙か一千年前の難波宮の時代から、綿々と大坂の地に生き、舞楽を伝えてきた彼らは、その技能でもって、一種独立した、独特の地位を占める存在であります。
 そしてその彼らの裏の顔とも言えるのが、「在天別流」。大坂の町を、武士や公家、その他の勢力の横暴から守り、大坂で暮らす者たちの自由を護るために陰で働く、いわば実働部隊が、この在天別流なのです。

 本作の主人公の一人である左近は、この在天別流の一員。東儀左近将監という厳めしい本名を持つ彼女は、ある時は饅頭屋の看板娘、またある時は浪花講の案内人――しかして一朝事あらば男装の美剣士として難事件に挑む魅力的なヒロインであります。
 一方、もう一人の主人公である章は、後に門下から数々の英才を送り出すことになる大学者の面影はまだなく、武芸の腕もからっきしと、いささか冴えないキャラクター造形。しかし、学問に対する熱意と正義感は他の人間にいささかも劣るところなく、彼のがむしゃらな行動が、やがて左近との関係を徐々に変えていくことになります。

 このように、伝奇もの的側面、キャラクター小説的側面も持つ本作ですが、しかし最大の魅力は、そうした要素を通して描かれる、(当時の)大坂の現実の姿でしょう。
 本書に収録された四つの短編においては、当時の大坂ならではの、特異な現実・史実が――三話目はちょっと違うかもしれませんが――物語の背景として存在しています。
 「禁書売り」では、町奉行所による出版統制と、出版業界を束ねる行司衆による書籍流通。
 「証文破り」では、薩摩藩の調所広郷の施策にはじまり、大坂商人を苦しめた更始(借金棒引き)。
 「異国びと」では、大坂商人に留まらず、京の公家たちも加わっていた海外との抜け荷。
 「木綿さばき」では、木綿の専売商人に対して行われた農民たちの大規模訴訟である国訴。

 …と、ここで二人の主人公にもう一度目を向ければ、章は備中から数年前に大坂に出てきて、いまだ大坂の何たるかを知らず、むしろ違和感を感じながら暮らしているのに対し、左近の方は、大坂の町とそこに暮らす人々のことを知り尽くし、こよなく愛する人物として描かれます。
 大坂という町に対し、全く異なる視点を持つ二人の男女が、同じ事件に挑むとき浮かび上がるもの――それは、通り一遍の視点では窺うことのできない大坂の姿。知っているようでいて全く知らなかった、そんな大坂の姿は、なかなかに魅力的です。


 エンターテイメントとしての楽しさはもちろんのこと、この時代・この場所でなければ描けない物語を描いた時代小説として――ドラマ化云々を抜きにして、おすすめできる作品です。


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禁書売り―緒方洪庵浪華の事件帳 (双葉文庫)


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