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2009.01.15

「隠密利兵衛」(その一) 剣鬼として、人間として

 新潮文庫に収められた柴錬「剣鬼」シリーズ第三弾は、全六話を収めた「隠密利兵衛」。今回もまた、二回に分けて収録の各作品を紹介したいと思います。

「霞の半兵衛」
 まず一話目は、槍の達人・桜井半兵衛を主人公とした作品から。気づく方は気づくかと思いますが、半兵衛は、かの鍵屋の辻の決闘で荒木又衛門に敗れた人物。彼が何故又衛門と戦うこととなったのか…
 まず冒頭から驚かされるのは、半兵衛が柳生連也斎(実のところ、年代的には父親の兵庫助の方ではないかと思うのですが)の愛弟子であったという設定。しかし彼は柳生十兵衛との対決を望んだため、破門とされてしまいます。そこまでして対決に固執した半兵衛の前に、十兵衛に代わり現れたのは、江戸柳生の秘密兵器・荒木又衛門! この時から半兵衛と又衛門の因縁が始まった、という伝奇的展開がたまりません(更に言えば、半兵衛の槍術の最初の師の正体も素晴らしい)。
 鍵屋の辻の決闘の背後に、大名と旗本の争いを見るのは既に常識に近いですが、尾張柳生と江戸柳生の確執を持ってくるのは、さすがに柴錬先生です。

 しかし――そんな展開を経た末に、又衛門との最後の決闘に臨んだ半兵衛を待つのは、あまりに惨い結末。血気に逸り暴走する若者には冷たいところのある柴錬先生ですが、それにしても…結末の、あまりに皮肉かつ残酷な十兵衛と又衛門の会話が、強く印象に残ります。


「叛臣十内」
 一話目が剣鬼のある側面を描き出しているとすれば、本作は、また別の側面を描き出していると言えるでしょう。諏訪藩の御家騒動を舞台に、相争う勢力の一方に仕えてその命を散らした男・和久内十内の物語であります。
 庄屋の子として生まれながらも、ある日凄まじい針の技を遣う旅の盲人と出会ったことから、独自の兵法を会得を会得した十内。偶然、藩内で権力争いを繰り広げる一方の領袖の命をその技で救った十内は、その下に仕えることになるのですが…

 主の命を守るためにはためらいなくその刃を振るいながらも、政敵を暗殺するための刺客となることを拒む十内。主に仕えても走狗とはならぬという十内の思いは、彼を死地へと追いやることとなりますが、しかし、その凛乎たる生き様には、見事なる士の姿があります。
 武士の身分に生まれた者たちが醜い権力争いを繰り広げる中で、農民あがりの男が、武士として素晴らしい生き様を見せる――剣に生き剣に死する者を剣鬼と呼ぶのであれば、十内はまさしくそれでありますが、しかしその姿には、柴錬先生の理想とする人間の姿が見て取れるのです。


「隠密利兵衛」
 本書の表題作である本作は、人から送られてきた武者修行日誌を柴錬先生が読み、印象に残ったエピソードを語るという、一風変わったスタイルの作品。
 当田流の達人である津軽藩士・浅岡利兵衛が、病を理由に致仕し、武者修行の旅に出た先で出会う達人たちのエピソードが、淡々とした筆致で描かれていきます。
 利兵衛が出会った各地の達人は、いずれも見事な武術の腕を持つだけでなく、武士として、いや人間として完成された人々ばかり。(この言葉はあまり好きではないですが)品格を持って生きる者の美しさが、彼らの姿からは伝わってきます。

 柴錬先生は、眠狂四郎に代表されるように、剣禅一如などとは無縁の殺人剣の遣い手を描く一方で、武術というものが人間の心に及ぼす作用の中で最も好ましいものの存在をも、描き続けてきました。
 本作で、己の真の使命を擲ってまで、兵法者として生きることを選んだ利兵衛の姿は、まさにそれに触れた故、とも言えるように感じられます。
 もっとも、そのために己の命をも賭けて恬然たるその姿は、やはり剣鬼と呼ぶべきかもしれませんが――

 明日に続きます。


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