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2009.02.19

「真田手毬唄」 手毬唄に浮かぶ希望

 大坂夏の陣で豊臣秀頼は死なずに落ち延びた――その言い伝えを信じ、先祖代々、秀頼の足跡を追ってきたという七代目勇魚大五郎が仙台の山中で見たものは、豊臣家の遺臣たちの隠し砦だった。そこで七代目秀頼と出会った大五郎は、江戸見物をしたいという秀頼の供をして旅に出るが…

 「花のようなる秀頼様を鬼のようなる真田が連れて退きも退いたり鹿児島へ」
 俗に言う秀頼生存説は、大坂の陣直後から巷間に伝わったというこの唄をはじめとして、実に様々な形で現代に語り継がれています。
 本作ももちろんその系譜に属するものではありますが、作者があの米村圭伍先生であるからして、ただで済むはずがありません。

 大坂落城後、大坂方の侍大将・勇魚大五郎をはじめとする人々が、秀頼が城から落ち延びたことを信じ、従容と命を散らしていくという冒頭の展開にしんみりとしてみれば、それにすぐ続く場面は、何とそれから百七十年後! 江戸時代も後期、(米村ファンにはお馴染みの)将軍家斉の時代に物語は飛んでしまうのですから…

 そしてそこから展開する物語も、もちろん人を食った展開の連続であります。
 次から次へと登場する、豊臣家、真田家ゆかりの人物の子孫たちの物語と、そして彼らが語る百七十年前の物語。そのそれぞれが絡み合い、果たしていずれが真実でいずれが偽りか、次から次へとどんでん返しの連続のまま、物語はあっと驚く結末へと突き進んでいくのです。

 しかし、米村作品の魅力は、あっけらかんとした調子の中で描かれる独創的な伝奇エンターテイメントの楽しさのみではありません。その一方で描かれる、ハッとさせられるほど鋭い人間観察もまた魅力です。

 本作の結末で明かされる一つの「真実」…それ自体は、冒頭に述べた秀頼生存説に基づく作者の伝奇的解釈ではありますが、しかしそれを支え、説得力を与えているのは、やむにやまれぬ人間心理のあり方であることが、同時に示されます。
 冒頭に示した手毬唄に浮かび上がる、ある種の希望を求める人間の心は、何とも切ないものでありますが、しかし、それがもたらすものの大きさを思えば、同時に微笑ましくも感じられるもの。
 そしてそれは、これまで米村作品で描かれてきた「人間らしさ」というものと通底していると、感じられるのです。

 個人的には、私が伝奇時代劇ファンである、まさにその所以をずばりと指摘された気がして、大いに驚かされましたが…


 なお、本作は以前「影法師夢幻」のタイトルで刊行されたものが、文庫化に当たって「真田手鞠唄」に改題されたもの。
 もちろん前者も悪くないのですが、しかし個人的には、本作の内容を、表からも裏からも象徴する現在のタイトルの方が、より適しているように感じられます。


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真田手毬唄 (新潮文庫)

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