「八雲百怪」 忘れられていくものたちの物語
日本の古きものを愛する隻眼の外国人・小泉八雲。八雲を敬愛する三つ目の青年・会津八一。不思議な人形「キクリ」を連れた覆面の男・甲賀三郎。奇妙な目を持つ三人が出会うとき、移りゆく時代に消えてゆく古き世界の扉が開く。
ついに、というかようやく、というか、森美夏&大塚英志の「八雲百怪」の単行本第一巻が発売されました。
「comic新現実」「コミックチャージ」と雑誌を渡り歩いてきた、否、渡り歩いているという数奇な運命の作品ですが、ついに民俗学三部作(以前は偽史三部作とも呼ばれていたと記憶していますが)の最後の作品が、単行本の形で我々読者の元に届いたこととなります。
これまでにこのコンビで描かれた「北神伝綺」「木島日記」同様、本作もまた、民俗学者/文学者である主人公と、この世にあってはならないものを排除する怪人との出会いから、正史から忘れ去られた存在が浮かび上がっていく…というスタイルを取っています。
しかしながら本作は、その設定年代を明治三十年代とする点が、他の二作と大きく異なります。
日本がほぼ完全に近代国家としての体裁を整えた――それはあくまでも体裁に過ぎないのですが――昭和初期と異なり、未だ近世の残滓を各地に残していた時代、それが本作の舞台なのです。
それゆえ、八雲と八一が出会うもの、そして甲賀三郎(大塚作品読者であればある種の感慨が伴う名前ですな)が封じ、蒐集するものたちは、「あってはならないもの」ではなく「あったが捨てられ、忘れられていくもの」なのだと感じます。
そしてその点にこそ、主人公が学者というよりもロマンチストとでも言いたくなる八雲である理由なのだろうな、とも感じます。
古きものたちを、学問という体制の一部に組み込んでいくのではなく、文学という虚構の中に残し、遊ばせる…その力と意志を持つ点で、八雲は甲賀三郎や彼の背後にいる大塚作品お馴染みの人物とは対等であり、そして対立する位置にあるのだろうと想像できます。
巻末の原作者の言によれば、本作は「まだようやく始まったばかり、というところ」とのこと(まあ、この原作者の言葉を鵜呑みにすると痛い目にあうのだけれど)。
変わりゆく日本の中で、八雲の目が、いや、三人の奇妙な目が何を見ることになるのか、その姿にいやが上にも興味をそそられるのです。
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