「桃山ビート・トライブ」 うますぎるのが玉に瑕?
芸能の中心地・五條河原に集った四人の若者――破天荒な三味線弾き・藤次郎、出雲のお国一座の笛役者・小平太、元黒人奴隷の太鼓叩き・弥介、天然で天性の踊り手・ちほ。既成の音楽に飽き足らない四人は、型破りな舞台で大評判となるが、武士による芸人たちへの弾圧が強まり…
桃山時代末期の京を舞台に、自由な音楽を求めて突っ走る若者たちの姿を描いた時代エンターテイメントである本作、20回小説すばる新人賞受賞もむべなるかな、の快作です。
内容的に見れば、ものの見事にバンドものの定番ストーリーをそのまま時代劇にしたような本作。
既成の音楽に飽き足らない若者たちが集まり、訳ありのプロデューサーと出会ってデビュー、軌道に乗ったところで音楽性の違いから亀裂が生じ、引き抜きが…等々、読み進めている最中に、ある種のデジャヴを感じたのは正直なところです。
しかしながら――おそらくは意図的に――バンドものとしての枠組みを残しつつも、それをこの桃山時代末期にピッタリと当てはめてみせたのは、紛れもなく本作ならではのオリジナリティと言うべきもの。
本来的に反体制的な存在であるパンクロックを描くに、身分が(それまでとは異なる形で)固定化され、芸能者が抑圧され始めた時代に舞台を求めるという、作者の着眼点の良さが光ります。
そして、その想いが爆発するバックグラウンドとして、豊臣秀次の物語を持ってくるのも――物語の目線の高さが急に上がってしまったところに食い合わせの悪さを感じないでもありませんが――巧みなところです。
しかしながら――これはあくまでも個人的な印象かも知れませんが、そうしたうまさが逆に働いてしまった感が、強くあります。
良く出来過ぎているとでも言いましょうか…物語を構成する要素の配置の巧みさ、隙のなさが、逆に作り物めいたものを感じてしまうのです。
こういう引用の仕方は意地が悪すぎるかもしれませんが、作中の「明らかに計算し尽くされている」「客の嗜好を緻密に分析し、それに見合ったものを提供している。乗りやすく、わかりやすい」という表現が、ぴたりと当てはまるように思えてなりません。
完成度が高くて文句を言われるのも理不尽ですが、こういう作品もあるのだなと、妙に感心してしまった次第です。
「桃山ビート・トライブ」(天野純希 集英社) Amazon
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