「奪われた「三種の神器」 皇位継承の中世史」 神器争奪に見る日本の姿
三種の神器といえば、神代より永遠不滅に存在するアイテムという印象がありますが、実は失われたり奪われたり、様々な目にあっているというのは、意外に知られていないことかもしれません。
本書はそんな三種の神器争奪を通して、日本の中世史を描くという、ユニークかつ意欲的な内容の一冊です。
本書で対象としている時代≒日本の中世は、平安時代末期、源平合戦の時代から、室町後期、応仁の乱の少し前までの辺り。
壇ノ浦での宝剣喪失から、南北朝時代の皇統の混乱、そして嘉吉の乱・禁闕の変・長禄の変といった室町時代のテロ・動乱の数々まで、三種の神器という存在を軸に、中世の政治史、さらに言えば天皇の在り方が描かれています。
三種の神器、すなわち八咫鏡・天叢雲剣・八尺瓊曲玉といえば、皇位の証として神代から伝わってきた宝物。
その存在は、常に時の帝と共にあるもの――と当然考えてしまいますが、しかし、必ずしもそうではなく、時に失われ、時に奪われたということは、案外知られていないようです。
三つ揃って皇位の証となるべき宝の一つが失われ、あるいは奪われた時、帝の地位はどうなるのか? そしてそもそも何故そのような事態が発生したのか?
本書では、当時の記録の積み重ねにより、そんな刺激的な問いかけに、一つ一つ答えていきます。
その中に浮かび上がるのは、ある意味帝以上に(と言っては物議を醸すかもしれませんが、ここは南北朝を念頭に置いていると思っていただきたい)不変に思われた三種の神器が、存外簡単に失われ、そしてその性格を変えていく様と、そのような変容をさせるに至った中世の混沌ぶり。
中世の混沌ぶりについては、これまで様々な書物・小説で目にしてきましたが、本書で三種の神器を足かがりにして眺めてみれば、今更ながらにその凄まじさに驚かされます。
そして同時に、その混沌に振り回されながらも、やがて適応し、前向きに利用すらしてみせようとする人間のしたたかさというものにも――
(初めのうちは三種の神器なしに帝を立てるため必死に過去の前例を探していたものが、やがて「帝のおわす所が三種の神器があるところ」「天下に三種の神器が存在していればそれでOK」となっていくのは、これはある意味もの凄いコメディではありますまいか)
その混沌さゆえに、格別歴史に興味を持つ方以外からは敬遠されているやに思われる日本の中世史ですが、本書のような角度から眺めてみれば、また違った魅力が見えてくるでしょう。
そしてその視点をさらに遠くに向けてみれば、実に刺激的な我が国の姿も見えてくるはず――そんなことを考えさせられた次第です。
「奪われた「三種の神器」 皇位継承の中世史」(渡邊大門 講談社現代新書) Amazon
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