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2010.04.18

ゾンビ時代小説特集を終えて

 さて、勝手に始まったゾンビ時代小説特集ですが、最後に、私なりにゾンビ時代小説に、ゾンビそのものに対して思うことを記して終わりとしましょう。

 これまで五本の作品を取り上げることができたこの特集ですが、正直に言ってチョイスはある意味難しく、ある意味簡単なものでした。何しろ、ゾンビが登場する時代小説自体が非常に少ないのですから!
 その中でも、ゾンビの存在が物語の中心となっている、或いはそれなりのウェイトを占めている作品が、この五本であったということになります。
(時代小説において最も印象的なゾンビ活躍シーンがあると個人的に考えている荒山徹「魔風海峡」は、あくまでも作中の一エピソードということで今回は取り上げませんでした)

 さて、この特集の中では、作中の表現を用いてゾンビを「生ける死人」と表記していますが、ややこしいことに、ゾンビは生ける死人ですが、生ける死人がゾンビとは限りません。
 例えば吸血鬼、例えばフランケンシュタインの怪物(人造人間)…彼らもまた、生ける死人と呼べる存在です。
 しかも、人造人間は格別、吸血鬼が登場する時代小説はそれなりの数に上るため、この辺りを含めれば、結構賑やかな内容にできたかもしれません。

 それでもなお、ゾンビに今回拘ってみたのは――「WORLD WAR Z」刊行記念というのは置いておくとしても――私にとっては、ゾンビには吸血鬼とも人造人間とも明確に異なる特徴を持っており、分けて考えるべきだと考えたからであります。

 その特徴――それは、彼らがかつては普通の人間であった、その点に尽きます。
 その点に、基本的に生まれながらの怪物である吸血鬼(この場合、吸血鬼に血を吸われて吸血鬼になった者はとりあえず置いておきます)や、人を材料に作りながらも、全く新しい個性を持つ人造人間を分かつものがあるやに感じられるのです。

 彼らゾンビは、かつては人間として生まれ、暮らし、死んだ存在であります。それが、魔術にせよ病原体にせよ未知の自然現象にせよ…ある原因でもって、己の意志を持たぬ全くの怪物と変わる。

 言うなれば、かつては我々と同じ存在であり、そしてあるいは我々もいつかこうなるかもしれない(!)怪物――

 人外の魔族でも、宇宙からの怪物でもない、我々と地続きの存在。そこに、我々がゾンビを恐れ、悲しみ、怒る理由の源があると感じるのです。


 こう考えてみると、ゾンビという存在が、実は普遍的な存在であって――我々が存在する限り、ゾンビもまた存在しうるのですから――時代小説に登場しても、さして不思議ではないと考えることができます。

 さらに…現実と伝奇の関係と、人間とゾンビの関係は、どこか似ているようにも、私には思えます。
 伝奇が、現実を写した歪んだ鏡像であり、その奇怪な像でもって、現実の隠された諸相を映し出すものであれば――ゾンビは、人間の歪んだ鏡像として、人間という存在の隠された部分を映し出す機能があるのではないでしょうか?


 この辺りを組み合わせて考えてみれば、実はゾンビは時代伝奇小説に適した題材である! …というのは、さすがに狂人のたわごと以外の何ものでもありませんが、ゾンビという存在の持つ可能性――その存在をもって描けるものの多様さ――と、そして時代小説がその存在を拒むものではない、ということくらいは、この特集を通じて証明できたのではないかと感じている次第です。


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