「秘闘 奥右筆秘帳」 最大のタブーに挑む相棒
松平定信の命で、十代将軍の嫡男・家基急死の謎を探ることとなった立花併右衛門。しかし探れば探るほど不可解さを増す事件に、併右衛門は戸惑いを覚える。幕政を巡る暗闘が激化する中、家基の死に秘められた巨大な秘密に近づく併右衛門と衛悟を狙う様々な勢力。果たして、家基急死の真の理由とは…
気がつけばもう六巻というべきか、まだ六巻と言うべきか…
奥右筆筆頭の立花併右衛門と、その用心棒役の旗本の次男坊・柊衛吾のコンビが、幕政の陰に潜む権力の魔に挑む、「奥右筆秘帳」シリーズの最新巻の登場であります。
前作はちょっとおとなしめの内容で個人的には残念だったのですが、今回はそんな気持ちを吹き飛ばすような快作。幾つもの勢力が対峙し、その走狗が暗躍する中、文と武、二つの力を代表する二人が、徳川十代将軍家治の嫡男・家基の死に秘められた謎に挑むことになります。
幼い頃から英名を謳われ、将来を期待されながらも、鷹狩りの帰りに急な体の不調を訴え、急逝した家基。
この家基の死は、状況があまりに不自然であったことから、田沼意次、あるいは一橋治済といった権力者による暗殺説も流れ、しばしば時代小説の題材ともなっています。
本シリーズにおいては、第一弾「密封」がまさにこれを扱っており、我々読者にとっては、その首謀者も、実行者も明らかになっているのですが、しかしそれが何故、本作で再び取り上げられることになるのか?
実にその点に、本作の、いや本シリーズ最大の謎が秘められているのです。
この先の内容に触れるには神経を使うのですが、差し障りがない程度にいえば、この謎は実は二重底。
既に語られた家基暗殺の動機の陰に、実はもう一つ…真の動機というべきものが存在しているのです。
その動機の内容たるや、比喩でなく、こちらの想像を絶する、とんでもないもの。色々と時代伝奇小説を読んできた私ですが、ここまでとんでもない内容には、ほとんどお目にかかったことはありません。
その意外性には、驚きを通り越して、恐ろしさを感じたほど…というのが決してオーバーな表現でないのは、本作を一読すれば、納得いただけるかと思います。
もちろん――作中でその秘密を知った定信が必死に反論するように――細かいことを言えばかなり無理はあります。
しかし、その衝撃の内容が、本シリーズのテーマともいえる、家の、血筋の継承というものに密接不可分に関わっていることを考えれば、決して鬼面人を驚かす体のものではないとわかるでしょう。
その、徳川家最大のタブーに近づくことになってしまった併右衛門と衛悟を狙うのは、これまで幾度となく死闘を繰り広げてきた御前――一橋治済のみではありません。
決して徳川家以外の者が知ってはならないその秘密に近づいた二人に、将軍が、そして利害の上とはいえ庇護者であった定信が、牙を剥くことになります。
四面楚歌は上田作品の常とはいえ、ここまで窮地に陥る主人公たちというのも珍しい。最高権力者たちを敵に回して、衛悟たちの命も風前の灯火…
ではあるのですが、しかし、これまでの死闘を潜り抜けた二人は、おめおめと死を待つだけの弱い存在ではありません。
老練極まりない官僚である併右衛門は言うまでもなく、衛悟もまた、その剣の腕はもちろんのこと、その見識、そして政治的な嗅覚において、格段の成長を遂げているのですから――
(その成長ぶりを、併右衛門との会話の中でさりげなく、しかし明確に見せてくれるのがまた嬉しい)
シリーズ第一作以来、養子先と、日々の日当という、極めて即物的な関係で繋がってきた併右衛門と衛悟。
しかし、これまでの戦いの数々は、二人の間に、打算を超えた「相棒」としての絆を生みました。
ラストに仄めかされる、併右衛門のある決断は、その一つの表れと言えるでしょう。
ほとんど幕府全体を敵に回して、二人がいかに戦い抜くのか? やはり、いま最も注目のシリーズの一つであります。
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