「おそろし 三島屋変調百物語事始」 歪みからの解放のための物語
実家で起きたある事件をきっかけに心を閉ざし、江戸の袋物屋・三島屋の叔父夫婦に預けられたおちか。そんな彼女がある客の応対をしたことをきっかけに、叔父は、人々が心の中に抱いている奇怪な物語・不思議な物語を聞くよう彼女に言いつける。人々の語る物語は、少しずつ彼女の心を溶かしていくが…
先日、宮部みゆき先生の「おそろし」が新書版で刊行されました。以前から読もう読まねばと思いつつも果たせずにいたのですが、この機会にようやく読むことができました。
ある悲しい体験がきっかけで己の心を閉ざした少女・おちかを主人公に、彼女が、そして様々な人々が経験し、胸の奥に秘めてきたおそろしい物語、怪談奇談が描かれていく、短編連作に近いスタイルの作品であります。
通常の百物語が、人々が一堂に会して一晩で百話の怪談を語るのに対し、副題にある「変調百物語」とは、語り手が一人一人三島屋を訪れ、おちかに怪談を語るというもの。
そんなおかしな会が始まるきっかけとなったのが、第一話「曼珠沙華」であります。
叔父・伊兵衛が留守の間に訪れた客を応対することとなったおちか。何故か曼珠沙華を異常に恐れるその客は、おちかに何かを感じ取ったものか、それまで誰にも語ったことのない、過去の物語を彼女に語り始めます。
そして、同じような想いを抱える人々の物語を聞くことが、おちかの頑なだった心を開くことを期待して、伊兵衛が始めたのが変調百物語であります。
破格の謝礼目当てに不思議な屋敷に住んだ一家の辿る奇怪な運命を描く「凶宅」、おちか自身が三島屋の女中に語る自らの物語「邪恋」、美しすぎる娘の禁断の恋と彼女の残した手鏡が生んだ破滅を語る「魔鏡」、そして全ての物語が絡み合い、魂の救済が描かれる「家鳴り」――
これら、本作に収録されている五つの物語は、いずれもバラエティに富んだ内容ですが、しかし一つの共通項を持ちます。
本作で語られる物語は――主人公であるおちかの経験したそれも含めて――いずれも、家族に、家に縛られた者の物語なのです。
家族という血の繋がり、それを内に収めた家という空間――社会の最小の単位であるそれは、人間にとって当然のもの、あるべきものではありますが、しかし、そこからはみ出した部分があった時…その歪みが生んだ悲劇が、本作では語られていきます。
もっとも、そんな中で第二話は、「家」を舞台にしたものと言い条、その「家」は、外に存在して、その内部に人々を招き入れるものであるという性質を考えれば、いささか趣向を異にするものであるよう感じられます。
しかし、その違和感もまた、ある程度は計算されたものなのでしょう。
最後の物語によって描かれるのは、その「家」からの――そしてそれと等しいものとして見ることができる――おちかをはじめとして全ての人々が己を縛り付けてきた己自身の物語からの、解放なのですから――
(もっとも、それでもやはり、構成についてはなにがしかの違和感は残るのですが)
百物語という行為――人の物語を聞き、記憶するという行為を通じて、自分たちを取り巻く家族の、家の生み出した歪みに囚われた人々を解放したおちか。
しかし、変調百物語はまだ始まったばかり。おちかがこの先も生きていく限り、そして人が人であり続ける限り、百物語は続きます。
近日中に本作の続編も刊行されますが、この先も彼女を、彼女が受け止める怪異譚を見守っていきたいと思います。共に百物語を聞く者として…
| 固定リンク
コメント