「尼首二十万石」 自由人になれなかった男
表題作「尼首二十万石」をはじめとして、室町時代から戦国時代、江戸時代を舞台とした短編全六篇を収めた宮本昌孝先生の短編集であります。
「尼首二十万石」は、後の「影十手活殺帖」シリーズのパイロット版とも言える作品。 鎌倉東慶寺門前の餅菓子屋にして御用宿の息子・和三郎を主人公に、東慶寺を狙う陰謀の顛末を描く快作であります。
東慶寺が江戸時代に縁切り寺であったことは非常に有名ですが、その寺を密かに守護してきた忍びがいた…とくれば、これはもうバリバリの伝奇ものです。
その末裔である和三郎が出会った、江戸から東慶寺に駆け込んできた女。一見、ごく普通の不幸な女性に見えた彼女に不審を抱いた和三郎が探索の果てに知ったのは…
と、あれよあれよと物語は幕閣、いや将軍家をも巻き込んだ巨大な陰謀に展開し、和三郎の剣戟をもって締めるという、盛りだくさんの内容の作品であります。
(ちなみに本作のタイトル、解説等では触れられていませんでしたが、やはり「尼寺五十万石」のもじりなのでしょう)
その他、信長の子に生まれながら武田家の人質として育った源三郎勝長の数奇な運命を描く「最後の赤備え」、宮本作品には密かに登場率の高い女武者の恋を描く「袖簾」、いずれも意外な人物が絡む仇討譚「雨の大炊殿橋」「黒い川」など――
時代も内容もバラエティに富んだ作品を収録する本書ですが、個人的に最も印象に残ったのは、室町後期の阿波と京をまたにかけて活躍し、後の元長・長慶と続く三好家繁栄の基礎を築いた三好之長の一代記、「はては嵐の」であります。
一人の荒武者として阿波から上京し、初陣となる応仁の乱では、単身敵側の主将である山名宗全の元に乗り込む豪傑ぶりを発揮した之長。
その後も、ある時は将軍家継嗣争いに加わり、ある時は足軽たちを引き連れ京を荒らし回り、縦横無尽に暴れ回る彼の胸中にあったのは、少年時代以来、数奇な運命の糸で結ばれた美女への恋情だった…というロマンチシズムを持ち込むのが宮本先生らしいところでしょう。
飯綱の巫女であり――そこで妖管領・細川政元が絡んでくるのがまたうまい!――決して之長とは結ばれぬ、まさしく高嶺の花を想いつつ、しかし自らは権力闘争の中で政治の泥に塗れていく之長の生き様が、何とも切ない。
そして物語の序盤で描かれた之長と宗全の対峙で、初対面の宗全が見せた不思議な反応と、之長にかけた「木っ端武者のままでいよ」という言葉の意味が、実感をもって胸に迫ってくるラストが実に泣かせるのです。
思えば、宮本作品の主人公は、常に自由人であろうとする者がほとんどのように感じられます。
そんな中で、木っ端武者(=自由人)であることをやめ、政治の世界で己の心身をすり減らしていく之長は、そうした宮本ヒーローのネガとも言える存在なのではないでしょうか。
かなり初期の短編集ということもあって、内容的・描写的に少々食い足りないものを感じさせる部分は確かにあるのですが、しかし、後の宮本作品に通じる部分を様々に感じさせる…そんな作品集です。
「尼首二十万石」(宮本昌孝 講談社文庫) Amazon
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