「ころころろ」(その二) もう取り戻せない想いを追いかけて
さて、昨日の続き、「ころころろ」収録の作品の紹介であります。
仁吉が思わぬお荷物の前に振り回される「ころころろ」に対して、佐助を主役とする「けじあり」の方は全く趣向の異なる作品です。
気がつけば小間物屋の主人に収まっていた佐助。妻と仲睦まじく暮らし、店も順調、しかし気に掛かるのは、幾度となく自分の目の前に現れる「けじあり」と書かれた紙――
はたして「けじあり」の意味とは、妻が異様に恐れる鬼の正体は、見る度ごとに大きさを変える店は現のものなのか、そして何より佐助はなんのためにここにいるのか…?
佐助を主人公としたエピソードとしては、「ねこのばば」収録の「産土」という好編がありますが、こちらもそれに勝るとも劣らない、謎と不条理さに満ちた物語。
佐助というお馴染みのキャラクターがいるのに、しかし彼のいる場所は我々の知るものとは全く異なるという、何とも言えぬ居心地の悪さが、佐助の感じているであろうそれとシンクロして伝わってくる本作、その謎を乗り越えた先にある真実の哀しさも印象的で、個人的には本書の中で最も好きな作品です。
そして最後に収められた「物語の続き」は、一連の事件の発端となった生目神と、若だんなや妖怪たちがついに対面することになります。
若だんなの目の光りを取り戻すために、神様の出す「物語の続き」を答える羽目になった一同ですが、いつの間にか問題は思わぬ方向に…
人間・妖・神というメンバーで繰り広げられる実にまとまりのない議論が楽しくも、その果ての結論はほろ苦い、いかにも「しゃばけ」らしい一編です。
さて、駆け足で見てきた本書ですが、実はほとんどの作品で共通して描かれるものがあります。
それは、過ぎ去ってもう帰らない者への想い…すれ違い、通り過ぎ、遠く離れてしまった、それでも忘れられない、そんな想いが、本書では様々に描かれます。
本書を締めくくる「物語の続き」では、神の定義が語られます。それは人間と神とが如何に異なるかを示すものでしたが、しかし、人も神も、相手を想うという点ではなんら変わらないことが、本作では語られます。
そしてそれはもちろん、妖にとっても同じこと。
人も妖も神も、それぞれ異なる点は多くとも、その一点では共通であり――そしてそうであれば、互いにわかりあうことができる。 それは必ずしも幸せな結果に繋がるものばかりではありませんが、しかし素晴らしいことではないでしょうか。
もっとも本書の場合、必ずしも全ての作品でそれが貫かれているとはいえず、その辺りも含めて、連作として成立させるのにかなり苦労したのではないかな、という印象も正直なところあるのですが…。
「ころころろ」(畠中恵 新潮社) Amazon
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