「THE 八犬伝 新章」 第七話「厭離穢土」(その二)
前回の続き、「THE八犬伝 新章」最終話「厭離穢土」であります。
犬士たちの叫びが玉の光を呼んだのでしょうか。光の中に集った七犬士。そして信乃の腕の中にいるのは浜路…ではなく、玉梓!?
彼女は問いかけます。「そなたたちは人として生まれたのか」と。
それに応えるように映し出されるのは、七人がこれまで辿ってきた過去、過去に味わった苦しみの姿…
それが何よりの答えだったのでしょう、玉梓は犬士たちを許したように「行くがよい、そなたたちの望むところへ」と告げます。
そして親兵衛を加えて八つの光の玉は、網干=山下定包の未だ収まらぬ怨念が形となったように現れた巨大な犬の魔物を次々と引き裂き、打ち倒すのでありました。
…が、それでもなお、争いは続きます。
地上に帰還してなお、浜路を狙う親兵衛の前に立ち塞がったのは、両腕を失いながらも生きていた素藤。
義実の偽善を笑い、義実も自分と変わらないと哄笑する素藤を斬った親兵衛の前に、七犬士が、丶大が立ちます。
…そしてここで初めて親兵衛は、年相応の子供じみた泣き顔を見せます。
何故みんな自分に従ってくれないのか。自分は正しいことをしているはずなのに、何故自分のすることを妨げるのか――
年に似合わぬ冷静さから一転、だだをこねる子供そのものの声に変わる日高のり子氏の名演もあって、ここで否応なしに親兵衛というキャラの根本にあったものが浮き彫りになります。
赤子から純粋培養(というより促成栽培)され、人としてではなく犬士として育った親兵衛。
彼にとって、里見家を守ることが唯一の存在意義であり――そして他の犬士たちもそれと同じものと思いこんでいた。
実は親兵衛と他の犬士たちを分かったものは、網干が犬士たちを苦しめるために味合わせた苦しみ多き運命だった、というのは何とも皮肉ですが…
そして、それを理解できなかったのが、ある意味原作に最も忠実な存在であった親兵衛であったというのもまた、大いなる皮肉でしょう。
そして、その親兵衛の嘆きを包み込むのは浜路…いや伏姫。親兵衛は、その腕の中で、彼の真の姿に――赤子に返っていくのでした。
しかし、美しく終わったかに見えた物語には、さらなる残酷な結末が待ち受けます。
その浜路に斬りかかったのは、なんと義実。そしてそれを止めるために飛び出し、その刃に斬られたのは、彼の子・義成――
それは未だ残る定包の怨念の仕業でしょうか。いや、それこそが全ての争いを引き起こした義実の、人の業というものなのでしょう…
それでも人は生きていきます。
城は再建され、浜路は赤子の親兵衛(そして完全に耄碌した義実)とともに里見家再興に努めるのでしょう。
しかし、彼女を置いて信乃は、七犬士は旅立ちます。
信乃にとって、もはや己の手に帰ってきた村雨も、己を縛っていた枷にすぎないのでしょう。実質村雨を捨てた彼の顔に浮かぶ泣き笑いは、悲しみのそれではありません。
…と、ここで終わっても良かったと思うのですが、そこに、赤子に返ったはずの親兵衛が再登場(ここで皆が一斉に臨戦態勢を取るのが仕方ないとはいえ可笑しい)。
しかし親兵衛は、己の玉を投げ捨てます。それを追うように、七犬士の玉も空の彼方に…
今こそ初めて、犬士たちは、いや八人は、定めから解き放たれて歩き出したのでしょう。それが彼らにとって幸せなのかはわかりません。しかし…
何はともあれ「THE八犬伝」もこれにて完結。
また別途、全体を通しての感想を書くかもしれませんが、今はとりあえず、「南総里見八犬伝」の大胆な、そして真摯な解釈に挑んだ方々に敬意を表しつつ終わりたいと思います。
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