「隠密 奥右筆秘帳」 権力に挑む決意の二人
旗本の息子が、併右衛門の娘・瑞紀を誘拐した。衛悟とともに娘を救出した併右衛門は、ある決意を固める。その頃、家斉がかつて暗殺されかけたことを知った定信は、併右衛門にその真相究明を命じる。探索を進める併右衛門たちに伊賀者の魔手が迫る。一方、朝廷側から、定信に対して恐るべき誘いが…
今年も大活躍だった上田秀人の年の締めくくりは、「奥右筆秘帳」シリーズの最新巻であります。
幕政の闇に巻き込まれた老練の奥右筆・立花併右衛門と、彼の警護役として雇われた旗本の次男坊・柊衛悟の戦いも、早いものでもう七巻目。
前作「秘闘」で、徳川将軍家の根幹に関わる恐るべき秘密に接してしまった二人は、これまで同盟関係にあった松平定信とも決別し、いよいよ抜き差しならぬ状況に陥るのですが――
その座を退いたとはいえ、前老中の定信と対立して、一旗本がただですむわけではない…はずなのですが、しかし、面白いのはそこに働く政治的力学。
定信と将軍家斉、そしてその父・一橋治済という三人の権力者が互いの出方を牽制する中、不思議なバランスで併右衛門は再び定信から命を受けることとなります。
江戸城内で幾度となく家斉が命を狙われたという衝撃的な事実。それを知った定信が、併右衛門に探索を命じたのです。
(一見、無茶な命に見えますが、江戸城内で何か行動を起こすには、たとえ暗殺に繋がるものであっても書類に依らなければならないという点からたぐっていくのが面白い)
しかしその探索の行き着く先にあったのは、かつて隠密(まさに今回のタイトルであります)として幕政の闇の一端を担った伊賀者。
御庭番にその任を奪われ、復権に燃える伊賀者の刃は、併右衛門と衛悟を襲うこととなります。
しかし、物語の流れを大きく変えかねない陰謀がその一方で動き始めます。物語の当初から暗躍を続けていた(というかほとんど毎回顔だけ出していた)公澄法親王方が、この混乱を機に動き始めたのです。
公澄法親王方が誘いをかけた先は、松平定信――これまで、冷徹ではあっても私心なき人物であった定信の心は、ここにおいて変貌を見せることとなります。
その一方で、権力者としての孤独な顔を見せる家斉、そして治済。家斉はともかく、これまで幾度となく併右衛門と衛悟を苦しめてきた陰謀家・治済ですら、権力の重みに苦しむ姿は意外であり――そして、それでいてなお権力を、権力を求めることを放棄できない姿には、個人を飲み込む権力の魔の恐ろしさと、それに逆らうことのできない人の業というものをまざまざと見せつけられた思いがします。
しかし、それでは権力に対して個人が全く無力なのかといえば、そうではないこともまた、言うまでもありません。
巨大な権力を向こうに回して、自分の経験と知恵を武器に戦う併右衛門。そして、己よりも遙かに強い相手に対しても背を向けず、孤剣を持って立ち向かう衛悟。
我らが二人の主人公の姿は、権力に対して個人が如何にあるべきかということを、教えてくれるのです。
特に衛悟は、今回伊賀者との死闘の中で傷を負い、これまでの剣が振るえなくなるという大ピンチに見舞われながらも、しかし、目の前に示された安逸な道をあえて捨て、人として守るべき信義のため、困難な道を選ぶ姿がやはり良い。
結末でついに形として示された併右衛門の決意も、単なる打算のみではなく、そんな衛悟の人として、武士として好ましい心を買ってのこともあるのでしょう。
先は未だ険しい道のりですが、二人の決意が次の困難を如何に乗り越えるのか、見届けましょう。
「隠密 奥右筆秘帳」(上田秀人 講談社文庫) Amazon
関連記事
「密封 <奥右筆秘帳>」 二人の主人公が挑む闇
「国禁 奥右筆秘帳」 鎖国と開国の合間に
「侵蝕 奥右筆秘帳」 ただ後の者のために
「継承 奥右筆秘帳」 御家と血筋の継承の闇
「簒奪 奥右筆秘帳」 主役二人は蚊帳の外?
「秘闘 奥右筆秘帳」 最大のタブーに挑む相棒
| 固定リンク
コメント
次作では、併右衛門のあれがかなりあぶなそうですね。
投稿: G3 | 2011.02.03 20:19
G3様:
そこまで今回書くのかな? と思いきや…
いやはやいきなりクライマックスになりそうですね
投稿: 三田主水 | 2011.02.06 00:02