「男たちの戦国 新編武将小説集」 敗者の中の美しさ
先に同じ集英社文庫から刊行された「かく戦い、かく死す」に続くオリジナル編集の柴田錬三郎の短編集「新編武将小説集」です。
収録されているのは、以下の短編七編とエッセイ一編であります。(カッコ内は主人公・中心となる人物)
「傀儡」(小西行長)
「奇蹟の武将」(正木弥九郎時堯)
「片腕浪人」(明石掃部助全登)
「竹中半兵衛」(竹中半兵衛)
「どもり浪人」(時雨宮左門)
「切支丹剣士」(大友音之助)
「小野次郎右衛門」(小野次郎右衛門)
「五郎正宗、実在せず」(エッセイ)
これを見れば分かるとおり、「武将小説集」と謳いつつも、本書の収録作の主人公は必ずしも武将というわけでもなく、また架空の人物、実在が疑わしい人物も混じっているなど、短編集としての統一性は今ひとつ。
タイトルが「姫たちの戦国」のもじりであることからもわかるように、来年の大河ドラマに便乗したものという印象は否めません。
…が、短編集としての完成度には疑問があったとしても、収録された作品の完成度は優れたものであることは言うまでもない話であります。
本書に収録された作品の主人公たちに、あえて共通点を探すとすれば、それは全員がいわゆる勝ち組ではない、歴史上の敗者の側に属する者であること、と言えるでしょう。
ライバルについぞ勝てなかった者、表舞台から姿を消した者、勝ち目のない戦いに挑んだ者、立身出世に背を向けた者…
(もちろん例外はあるものの)そんな人物が登場する作品ばかりでありながら、しかし本書の読後感が決して悪いものではない、いやむしろ爽やかさすら感じさせるのは、言うまでもなく、彼らが自らの信念を貫いて、生き、死んでいったからにほかなりません。
私が本書で一番気に入っているのは、長曾我部盛親の旗奉行・時雨宮左門の生き様を描いた「どもり浪人」であります。
関ヶ原の戦に敗れた末に、徳川に土佐を奪われた長曾我部盛親…その股肱の臣として、時に汚れ役を買ってまでも主君を守り、生き抜いた左門。
その生き様は、彼がひどいどもりでありながら、いやそれだからこそ、上辺の華やかさとは無縁の至誠が、我々の心に迫ってくるのです。
そしてそんな彼の生き様が、一つの奇蹟となって昇華するラストシーンの美しさよ!
(ちなみに、本書の他の作品でいえば、柴錬立川文庫の一編である「竹中半兵衛」の残酷かつ不思議な静謐さに満ちたラストシーンの奇跡的な美しさも強く印象に残ります)
これまで柴錬作品を紹介するたびに語ってきましたが、柴錬主人公に通底するのは、たとえどのような境遇にあろうとも、己の信じるところを貫き、それに殉ずる心意気であります。
それは時に極めて不器用で、社会的成功とは無縁の、そして自分や他人を傷つける生き方に繋がるものではあります。
しかしそれでもなお、彼らの生き方に強い魅力を感じてしまうのです。
今という閉塞感に満ちた時代、一度敗れた者がなかなか浮かび上がれない時代だからこそ、なおさら強く輝く美しさというものが、柴錬作品にはあります。
ちなみに、巻末に収録された「五郎正宗、実在せず」は、史実というものの疑わしさを痛烈に抉ったエッセイ。
「だから、私は、歴史小説などというものはあり得ないと思っている」というラストの一文は、作者とその作品の姿勢を明確に示したものとして、痛快ですらあります。
「男たちの戦国 新編武将小説集」(柴田錬三郎 集英社文庫) Amazon
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