「無限の住人」 第十二幕「斜凛」
アニメ版「無限の住人」も、この第12話を入れて残すところあと2話。今回はそれぞれの行く道に翳りの出てきた凛と天津の出会う「斜凛」であります。
逸刀流の初期メンバーが次々と倒され、槇絵にも去られた天津。
溜まり場(?)である「雪待」に行ってみれば、いつの間にか(本当にいつの間に)逸刀流を抜けた凶津は遊女とイチャコラしている有様…
気持ちが優れない時は山に籠もって刀を振り回すという手もあると、天津に対し凶津はアドバイスします。
一方、前回の川上新夜と錬造のことが頭に残り、心ここにあらずの態の凛。
気持ちがクサクサしている時は体を動かすに限ると、凛に対し万次は野外で稽古をつけると言い出します。
万次の荒っぽい稽古に、凛が自分の無力さを痛感したのはさておき、休憩時間に川で水浴びする凛ですが――サービスシーンもそこそこに、上流から流れてくる真っ二つになった木の葉が凛の目に止まります。
それに興味を持った凛が上流に向かってみれば――そう、そこで木の葉を相手に変形の斧・頭椎(かぶつち)を振るう天津の姿。
相手が天津と気付いてしまった凛は、先手必勝とばかりに殺陣黄金蟲で勝負をかけるのですが…君は数分前の万次先生の教えを何と聞いていたのか。
当然と言うべきか、僥倖というべきか、当たったのは一発のみであります。
効かぬと見るや、天津が置いた頭椎を奪って戦おうとするのは褒めてもよいかと思いますが、敵の武器を奪って…というのはある意味フラグでしょう。
痩身の天津が軽々と振り回していたにも関わらず、頭椎の大変な重さに自分が振り回された凛は、得物を捨てて逃げ出しますがもちろん逃げ切れるわけもなく――天津に捕らわれてしまうのでした。
さて、ここからが今回のメインと言うべき天津と凛の対話であります。
両親の仇に全く歯が立たず、逆に囚われの身となった口惜しさに涙し、早く殺せという凛に対し、何故自ら死に急ぐのか、命乞いをしてまでもその後の機会を窺わないのか、と不思議そうに訪ねる天津。
もちろん、女性である凛はともかく、一廉の武士が同様の目に遭えば、自ら命を絶つのがもののふの道というやつでしょう。抜きんでた剣力を持ちながらも、しかし、天津のこの言葉は、当時の武士の枠を完全に外れたものであります。
しかし、次いで天津が喩えに出すのは長篠の戦の信長の戦法と、宮本武蔵の二刀流。優れた武将であり、優れた剣士――すなわち、優れたもののふである彼らの取った戦法は、しかし太平の時代では、卑怯とは言わぬまでも埒外のものと呼ばれかねません。
天津が凛の両親を殺した理由は、そうした埒外の技を求めたことで破門された祖父の復讐が第一の目的ですが、しかし彼にとっては、武士の体面に拘り続けて老いた祖父もまた、唾棄すべき存在に過ぎません。
彼の向かう先はその遙か彼方――単なる飯の種に堕した剣術を、ただ強さのみを唯一の価値であり規範とするかつてのそれとして、復興することにあったのです。
そんな彼にとって、剣術としてみれば邪道としか思えぬ黄金蟲を遣う凛は、半ば自分たちと同類の剣士であると…そう告げて、天津は凛を残し去っていきます。
(原作ではこの場面の天津の表情が素晴らしかったのですが――アニメではぼかされてしまったのが残念)
初めて知った天津の想い――それはもちろん、強者の勝手な理屈に過ぎないものではありますが、しかし一定の理を備えたもの。
そして自分が、仇である天津に同類と見なされたことが、凛にどれだけの衝撃を与えたことか。
槇絵、そして新夜との戦いの中で自らの復讐の正当性を問われ、そして今また、逸刀流の大義の前に自らの大義を揺るがされた凛(実はこのエピソード、原作では新夜篇の前に位置しているのですが、これはアニメのナイスアレンジでしょう)。
彼女がどのような道を選ぶのか。それは原作と同じ道か、はたまたアニメ独自の道なのか――次回、最終回であります。
「無限の住人」DVD-BOX(ポニーキャニオン DVDソフト) Amazon
関連記事
無限の住人
| 固定リンク
コメント