「くるすの残光 天草忍法伝」 辿り着いた希望の種
島原の乱終結から数年後、南光坊天海は、天草四郎のもとから奪った七つの聖遺物を配下に与え、江戸で密かに残党狩りを行わせていた。そんな中、貧乏長屋の植木職人・庄吉のところに、寅太郎という無口な少年が弟子入りする。木の声が聞こえるという寅太郎には、しかし、意外な正体と使命があった…
「僕僕先生」シリーズで知られる仁木英之の、実に久々の時代伝奇小説であります。
島原の乱から数年後の江戸、自らの素性を隠して暮らす「守護騎士」たち――常人の及びもつかぬ超常の力を持つ彼らの使命は、天草四郎を復活させ、彼の下で今度こそ理想の国を造ること。
しかし、乱で一度は死した四郎を復活させるために必要となる七つの聖遺物は南光坊天海に奪われ、あろうことか切支丹の残党狩りを行う忍び集団に下賜されていました。
持つ者の力を強化し、人外の域にまで高めるという聖遺物――切支丹の守護騎士と幕府の忍び、倶に天を戴かざる宿敵である両者は、同じ力を淵源としつつも、江戸の闇で激しくぶつかり合うこととなります。
そして描かれる戦いは、今では珍しくなってしまった真っ正面からの忍法アクション…というよりは、むしろ異能バトルと言った趣のもの。
この辺りの感覚は、時代劇プロパーではない作者ならではの自由な発想でありましょう。これ自体、なかなか新鮮で面白いのですが、しかし本作では、一歩間違えれば荒唐無稽なだけで終わりかねない物語に、実にユニークな視点を導入することにより、バランスを取っているのです。
それが、本作の影の――いやむしろ表の、と言うべきか――主人公と言うべき、植木職人の庄吉・たま夫婦の存在であります。
実は、本作の舞台の大半となるのは、江戸の裏長屋。
それなりに重い過去を持ちつつも、その長屋で明るく今を暮らす庄吉たちにとって、切支丹の存在や、彼らと幕府の忍びの死闘などは全く無縁のものでしかありません。
本作は、そんなごく普通の人間の視点を導入することにより、良い意味で、物語の荒唐無稽さが薄められ、地に足のついた物語が展開されていくという構図が実に面白いのです。
しかし本作が素晴らしいのは、この構造から一歩進んで、主人公たちの戦いに、よりポジティブな意味を与えていることでしょう。
本作で繰り広げられる戦いは、基本的には、庄吉たちに代表される一般人には全く無縁のもの。
切支丹を弾圧する者と、それに復讐せんとする者――彼らの血で血を洗う戦いは、しかし、その戦う理由と意味においても、常人からかけ離れたものでしかないのです。
が、本作においては、その常人たちを戦いの中に配置することにより、主人公たちの戦いの意味が、より普遍的な善なるものに昇華されていくこととなります。
クライマックスにおいて、主人公が辿り着く境地は、確かにベタではありますが、まぎれもなく一つの前進であり、そしてそれこそが希望の種というべきものでしょう。
(実はこの伝奇+人情ものとでもいうべきスタイルは、作者がデビュー直後に発表した時代伝奇小説「飯綱颪 十六夜長屋日月抄」でも見られたものなのですが、本作はその組み合わせを、より洗練されたものに昇華していると感じた次第です)
…が、本作の最大の欠点は、そこまでで物語が一端の終わりとなってしまう点でしょう(意味ありげに登場してそれっきりというキャラも多い)。
本作で提示された希望の種がどのような花をつけ、そして実を結ぶのか――
本作の続編は、是非とも描かれるべきものでありましょう。
| 固定リンク
コメント