「僕僕先生」
唐の玄宗の頃、親の財産頼りに暮らす無気力な青年・王弁は、父の使いで地元の山に住む仙人の元へ向かう。しかし僕僕と名乗るその仙人は、美少女の姿をしていた。僕僕に気にいられた王弁は、彼女の弟子として、彼女に振り回されながらも世界を巡ることになるのだが…
今頃で恐縮ですが、仁木英之の看板シリーズの第一作「僕僕先生」であります。
そこそこの地位を持つ父の財産にすがってだらだらと生きる、今の言葉で言えばニートの青年・王弁が、ふとしたことから知り合った仙人・僕僕先生に連れられて、世界中をかけめぐることとなるというお話なのですが…
まず何よりも驚かされたのは、この僕僕先生のキャラクターであります。
見かけは十代半ばの美少女でありながら、その実数万年を生きたと思われる大仙人。その姿で王弁に語りかける時の一人称は「ボク」…ってボクっ娘のロリババァじゃないですか先生!
いやはや、こんな先生に、王弁が参ってしまうのも無理はありません。もしかしたら正体はもの凄いじじいかもしれないと思いつつも、どんどん先生に引かれていく王弁と、そんな彼の気持ちを読みとりつつも、仙人というより小悪魔的にからかう先生…
この辺りの、読んでいてのたうち回りたくなるほどもどかしいラブい展開は、先生(仁木先生の方)の手の上で転がされているとわかりつつも、もうハマらざるを得ないのです。
そして本作は、そんな楽しいキャラ設定・キャラ配置を用いつつ、現代日本の我々からは遙か遠くの時間・空間で繰り広げられる物語を、わかりやすく魅力的に描いてくれます。
本作に登場する人間や仙人、神怪は、実はその大半は「実在の」――人間以外については、本作の全くの創作ではなく、基となる文献・説話があるという意味で――存在であります。
とはいえ、本作を手にする我々の大半にとって、おそらく彼らの存在、彼らの住む人界と仙界それぞれの世界の歴史・ルールは、我々とは縁遠いものでしょう。人界の物語ですら、あくまでも他の国の過去の歴史であり、ましてや仙界においてをや――
それが、本作の、人界と仙界を股にかけたコミカルな物語を楽しむうちに、我々に身近なものとして、心の中に自然に入ってくるのには驚かされます。
しかし、本作においては、ここまでがある意味準備段階のようなもの。
終盤、ある事件と、それが生み出した大変化が描かれるに至り、本作がこの時代を舞台とし、人界と仙界、二つの世界を縫うように展開してきた意味が、我々に突きつけられます。
それは人間の歴史にとってはある意味必然であり…そしてその選択の末に今の我々があるわけではありますが、しかしそれが王弁にとってはそう易々とは受け入れられぬものであることは、王弁と僕僕の旅を楽しんできた我々にとっては痛いほどわかるのです。
果たしてこの運命に対し、王弁は如何に処するのか――それこそが、本書のテーマであり、結論であり、そして価値であることは言うまでもありません。
その内容をここで触れるのはもちろんルール違反ではありますが、ただ、そこに僕僕が王弁を旅に誘った理由と、そして王弁がその旅の中で成長した証が、確かにそこにあるとだけ語っておけば十分でしょう。
しかしもちろん、本書の結末の後も、人界と仙界は存在し、人間と仙人は生き続けます。そうであるならば、僕僕先生と王弁の物語もまた、まだまだ語られ続けるべきでありましょう。
幸い、本作はシリーズ化され、現在のところ第四作まで発表、まもなく第五作も登場することとなります。
参加は遅かった私ですが、少しでも早く二人の旅に追いつけるよう、続編も急ぎ読まねば! というのが今の偽らざる心境なのです。
「僕僕先生」(仁木英之 新潮文庫) Amazon
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