「陰陽師 醍醐ノ巻」 居心地の良い怪異譚
前作「天鼓ノ巻」から一年と四ヶ月、ご存じ「陰陽師」シリーズの最新巻、「醍醐ノ巻」が刊行されました。
今回は全9話、いつものことながら、まことに居心地の良い怪異譚が収録されております。
既に今更言うまでもないことですが、本シリーズの主人公は、平安の天才陰陽師・安倍晴明と、笛の名手の好漢・源博雅の名コンビ。
この二人の元に持ち込まれた怪奇な事件、不可思議な出来事に、二人が「ゆこう」「ゆこう」そういうことになった、と挑んでいくというお馴染みの展開は、今回も踏襲されております。
さて、本書に収録されている作品にざっと触れれば――
自分と互角以上の腕を持つ童子の出現に、珍しく博雅が懊悩する「笛吹き童子」
京のあちらこちらに伽羅の香りと共に現れる女性の正体を追う「はるかなるもろこしまでも」
突然体から無数の手足を生やし、奇怪な行動をとるようになった貴族の謎「百足小僧」(ちなみに本書の表紙絵は本作から)
蝉丸の前に現れた瀕死の老人の意外な正体を描く「きがかり道人」
さる貴族の元の夜行杯が、海の向こうからの因縁を語る「夜光杯の女」
帝の腹痛を見事治した上人の正体を暴く「いたがり坊主」
賀茂保憲の兄・心覚上人が拾った赤子を巡る奇譚「犬聖」
寺の愚直な僧を見舞った奇怪な事件の意外な結末「白蛇伝」
山中に迷い込んで恐るべきものを見た中納言を救う「不言中納言」
いずれも、良い意味で安定した、安心して読める作品ぞろい、冒頭に「居心地の良い」
と表しましたが、晴明の屋敷でゆるゆると酒を酌み交わす晴明と博雅の会話から始まる物語の数々は、それがどれだけ恐ろしく、あるいは哀しいものであったとしても、しかしそれ以上に居心地の良さを感じさせます。
そんな中で私の今回のお気に入りは、「きがかり道人」であります。
一日に一度、東から坂を上ってきて、京へと下っていく姿が見かけられる不思議な老人。
道をひたすら急ぐことは共通ながら、その時によってやせ細っていたり、丸々と太っていたり、顔つき体つきが異なるというその老人が、かの蝉丸法師の庵の庭で行き倒れたことから、思わぬその正体が明かされるのですが――
いやはや、それが意外と言えば意外、納得と言えば納得。
ラスト近くの展開は、ある意味本シリーズでも屈指のスケールの大きさなのですが、それをさらりと、あっけらかんと、語ってしまうのは、これはもうこのシリーズでしかできますまい。
ビジュアルを想像するのも実に楽しく、これはぜひ、村上豊の手で絵本化していただきたいものです。
また、平安ものファンとしては、保憲の「兄」が登場する「犬聖」も注目の作品。
度を越した博愛精神から犬聖と呼ばれる心覚上人の、度を越した博愛精神が招いた奇妙な事件を描いた本作ですが、その心覚上人の俗名は、賀茂保胤、またの名を慶滋保胤――
同じく平安時代を舞台とした渡瀬草一郎の「陰陽ノ京」シリーズの主人公であります。
史実では保憲の弟である保胤が、何故本作では「兄」と呼ばれているのか、それにはもちろん理由があるのですが、その何とも切ない理由に絡めて語られる、仏道と陰陽道の違いもまた興味深い。
内容的には大きな事件が起こったわけでもないのですが、しかしこれもまた、「陰陽師」の物語であると感じさせられます。
一定の水準をきっちりと守りながらも、その中で、こちらの琴線に触れるものを描いてくれるこのシリーズ。
今までも今回も、そしてこれからも、この居心地の良い世界があるというのは、何とも心休まることではありませんか。
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